チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.05 No.08 2005.03.10

チェチェンイベント情報: http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/event/index.htm#2005031201

■マスハードフはどうして殺されたのか?

(大富亮/チェチェンニュース)

 チェチェン独立派のマスハードフ大統領が殺害されたのは、 首都グロズヌイ近郊の村、トルストイ・ユルトでした。 現場での状況を知り、公表できるのは今のところロシア側だけなので、 その報道のなかから確実と思われる点をピックアップして3月8日の事件を考えてみます。

1.マスハードフとは何者だったか)

 もとソビエト陸軍の砲兵隊の大佐で、1992年に引退して以来、チェチェン独立派の総司令官になった。 94−96年の第一次チェチェン戦争を指揮し、ロシアのレベジ将軍との間で和平合意を結ぶ。 97年1月に、欧州安全保障協力機構(OSCE)などの監視下で行われた民主的な選挙により、大統領に選ばれた。 同年5月にエリツィン大統領との間で平和条約を締結。 チェチェン抵抗勢力のなかで、一貫してロシアとの交渉を主張していた人物だった。 ロシア側によると「ベスラン学校占拠人質事件の黒幕」だが、有力な根拠はなく、 むしろマスハードフは事件の最中にも、犯人グループを非難していた。

人物情報: http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/basic/biograph.htm#Maskhadov

マスハードフの結んだ合意と条約:
ハサブユルト合意(96年)http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/archives/khasaviurt.htm
平和と相互関係に関する条約(97年)http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/archives/peacetreaty.htm

2.前景その1−−−一方的停戦)

 2月2日、マスハードフ大統領が、チェチェン側部隊に対して、 ロシア軍に対する一方的な戦闘行動の停止を命じた。同時に、コメルサント紙のインタビューで、 マスハードフは、この停戦がロシアを交渉に呼び込むための「善意の表明だ」と語る。 これに対してプーチン政権側は何も反応しなかった。 逆にコメルサント紙に対して「テロリストの発言を報じた」などと警告する。 停戦は、予定どおり2月22日まで続いた。

コメルサント紙のインタビュー:
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1594

3.前景その2−−−和平交渉)

 停戦のねらいは、チェチェン側のゲリラ部隊のすべてがマスハードフに従っていると、 ロシアと国際社会に示すことだった。実現すれば、交渉当事者としての資格が証明される。 事実、これに呼応して、ロシアのNGO「兵士の母親委員会」のメリニコワ委員長らが、マスハードフの代理人であるザカーエフ文化相と、 ロンドンの欧州議会代表部で会談した。これにかかった費用は、欧州議会が負担した。 ここで「チェチェン戦争に軍事的解決はありえない」と明記した合意文書「チェチェンにおける平和への道」が採択されている。

「チェチェンにおける平和への道」[ChechenWatch]:
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1606

4.ロシア政府の態度)

 和平交渉はロシア側にとっても重要なはずだが、ロシア政府はこの動きを黙殺した。 応じれば戦争は終わってしまい、チェチェンに展開している軍・治安機関は存在意義を失う。 また、「交渉に値しない」と宣言すれば、逆にマスハードフから和平のオファーがあることが目立ってしまい、 西側と、場合によっては国民からも批判を受け、このところ下がり気味のプーチン政権の権威が地に落ちる。 こうなると、無視するしかない。

5.死の状況)

 3月7日ごろから、連邦保安局(FSB)部隊がトルストイ−ユルト周辺での掃討作戦を行い、8日に、 民家の地下に隠れていたマスハードフが殺された。村は、首都グロズヌイからわずか15キロほどの場所。 連邦保安局(FSB)のパトルーシェフ長官は、得意気に「こちらの部隊には損害がない。彼らは勲章を与えられるだろう」と語った。 遺体はすぐにビデオ撮影され、ロシアのテレビNTVで放送された。 マスハードフは上半身の服を脱がされ、あごに銃弾と見られる損傷がある。 ロシア軍のスポークスマンのシャバルキンによると、遺体は遺族に返還されない(!)。

 ラムザン・カディロフ(親ロシア私兵集団のボス)は、 「ロシア軍が殺害」ではなく、「戦闘中に死亡」という表現にすり替えたいのか、 「マスハードフは自分たちの武器の誤射で死んだ」と語ったという報道もあった。

モスクワニュースの報道(写真あり):
http://www.mosnews.com/news/2005/03/08/patrushmask.shtml

6.日本の各紙の報道)

 一概に報道と言っても、だいぶ媒体によって違う。ネットにあるものを比較してみると、 ・・・してみたかったのだが、余力がないので、読者のみなさんの判断を仰ぎます。(いずれも9日付)

朝日新聞<チェチェン独立派指導者、マスハードフ氏が死亡> http://www.asahi.com/international/update/0309/001.html

毎日新聞<ロシア政権、起死回生かけ決断−−平和解決遠のく恐れ> http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/03/09/20050309dde007030034000c.html

読売新聞<チェチェン独立派指導者、マスハードフ氏が戦闘で死亡> http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050308it20.htm

東京新聞<チェチェン マスハードフ元大統領殺害> http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20050309/mng_____kok_____002.shtml

産経新聞<チェチェン元大統領死亡 強硬路線に拍車か> http://www.sankei.co.jp/news/evening/10int001.htm

共同通信<元大統領死亡で報復強調 チェチェン武装勢力幹部>:
http://www.kahoku.co.jp/news/2005/03/2005030901000624.htm

 気になったのは最後の共同通信の無署名記事で、 ザカーエフの発言を、和平交渉の文脈から切り離して伝え、<報復を強調した>というレッテルを貼り付けている。 趣旨は、和平を達成しようとしていたマスハードフが死んだことで、「危険をクレムリンに与えるだろう」と言う意味であり、 報復とは関係がない。ロシアの「強硬路線」が10年間続いていてもほとんど記事にはならないが、 チェチェンの「強硬路線」ととれる発言があると、それはとたんに記事になる。 それを繰り返し見ていると、書き手は「ロシアに襲いかかる野蛮なチェチェン」という思い込みを前提にしているように思える。 チェチェンへの軍事侵攻がなければ、「報復」などありえないのだが?

7.ロシア側の目的)

 邪魔だから消した。と、シンプルに考えるのがよいと思う。

 まず、選挙当時の国民の明確な支持のあったマスハードフと、 親ロシア派のカディロフ(04年に暗殺)や、アルハノフ(現在の親ロシア派大統領)を比べると、 親ロシア派の選挙違反は数限りなくあり、国際機関も選挙監視していない点で「見劣り」がした。 多くのチェチェン市民にとって、親ロシア派は軽蔑と憎悪の対象であるし、私兵集団「カディロフツィ」の出現以降は、 これに恐怖も加わっている。

親ロシア派の大統領選挙: http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/chn/0336.htm
カディロフツィについて(アムネスティのリリース): http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/archives/pr20040507amnesty.htm

 また、民主的に選挙されたマスハードフ大統領が和平交渉を提起していたのは、ロシア側にとって頭痛の種だった。 ロシア政府には、国際機関や西側各国政府と市民団体からの圧力が常にあった。 圧力から逃れるためには、マスハードフを消すのが一番で、和平は二番以下。ロシアでは平和を口にするのが一番危険なのだ。

8.ロシア政府は解決を求めていない)

 紛争を平和的に解決するつもりならマスハードフを殺すべきではなかったし、武力で解決するならバサーエフを殺すべきだった。 マスハードフの殺害より、バサーエフの生存のほうが興味深い事実かもしれない。

バサーエフの近況[ChechenWatch]:
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1595

9.おわりに)

 マスハードフは、2月の停戦を実行したときに、気になる言葉を口にしている。 「(もしもプーチン政権が交渉に加わらなければ、)流血はまた長い間続くだろうが、 われわれはその最悪の事態に道義的責任を負えない」

 それは、そうだろう。
 今回の事件の結果として、誰の統制にも属さないゲリラグループが増えるなら、 それは「統制」そのものを消してしまったロシア政府に責任がある。いまだにプーチン大統領からは、はっきりしたコメントがないようだ。

 マスハードフとの交渉が平和への道だと考えられていた時代は終わり、今はまた別の時代に向かおうとしている。 その時代の姿はまだ見えてこない。

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