(61)ビデオとこの写真展示会で元「慰安婦」たちがみんなだまされて連れてこられたということが分かった。彼女たちは、若くて、女として一番輝ける時期に、その全てを失ったうえに、家に戻ってからも、結婚できなかったり父親に家から追い出されたり、彼女たちは何も悪くない被害者なのにおかしすぎると思った。ビデオで、彼女たちのほとんどが「誰にも言えなかった」と言っていた。何か、同じ女性として、私が簡単に言うべきではないが、気持ちは分かると思った。家族に心配をかけて悲しませるなら、自分だけが苦しめばいい。彼女たちはみんなそんな風に思っているんではないかと思う。日本政府は謝って済むことではないが、公式に謝罪して、ほんの少しでも、彼女たちの想いを晴らすべきだ。写真の一つに「私はあの時半分死んだんだと思うことがある。」と書いてあったのが、ものすごく印象的で忘れられない。
(62)写真は現在の姿で外見から性暴力の被害者であることは想像できない。何人かでいるとき、その写真は笑顔であふれていたが、個人の写真は笑顔でいるのはなかった。一人でいるときはリアルな映像として、過去の体験がよみがえってるのだろう。1日六人相手させられた人、さまざまな被害の形があるが、現在では考えられないこと。過去の経験で、心も体もボロボロなのに、それが隠され続けてきたことはおかしいと思ったし、裁判で負け続けているのも納得できない。日本側の謝罪の声もない。このような事実を消そうとしている政府etc・・・。こんな歴史があるのにっていう思いと、現在、未来って国際関係がぎこちなくなるのも当然だと感じた。
(63)目が印象的だった。あんな優しそうなおばあさんが性暴力を受けていたなんて考えられない。私たちと同じ年頃に連れていかれ、今、同じ暴力を受けたら私は生きる気力がなくなってしまうと思う。今まで、生きてきた阿媽はすごく大きな精神力を持っていたのだと感じる。日本人、私の先祖がしでかした事だけれども、私たちがそれを背負って生きてゆく運命なのだ。そして未来に伝える義務があると思う。阿媽たちはそれを望むだろうか・・・。
保守的な彼女たちのことを考えると「広めないで」と聞こえてきそうである。
(64)写真展をみるまで、日本人がこんなひどいことをしていたなんて知らなかった。阿媽たちは、一日10数名の日本兵の相手をし、子宮を傷付けられ、子供を産めない体にされた。女性にとって、子供が産めないということはとても耐え難いことだと思う。また過去にあったことを隠していかなければならないのは辛い。死を向かえたときに、自由を手にしたという言葉にとても衝撃を受けた。日本人が犯した罪を知ることが大切だと思った。
(65)阿媽の孤独感が写真から押し寄せてきて、胸が苦しくなりました。日本兵は当然のように、この事について何も語りません。阿媽たちが、今こうやって語れるようになったことに、私はすごいと思います。自分の親族に伝えるのに何十年も費やし、公の場で発言できるようになった阿媽の顔を見ていて、熱くこみあげてきました。写真から、訴えられるものがありましたが、言葉では伝えることができません。
(66)正直、何を書いて良いのかわからない。戦争のときの事実と今現在、何をどうすればいいのかわからない。ただ、まずはこの“慰安婦”として働かせられていた事は、日本人にもっともっと認知させていかなければならないと感じる。人として生まれて、当たり前のように生きてきた私は、悲しむ事しかできない。やる気がないのかもしれない。自分の気持ちもわかりません。
(67)阿媽のことを全くといっていいほど知らなかったので、今日写真を見たのはすごく衝撃的でした。阿媽は日本政府にだまされ、慰安所で性暴力を受け、どれだけつらかったかと、写真だけで心が痛んだので、実際は言葉にならないほど、というより生きている気もしなかったのかもしれない。しかし、自分のことを書いた写真などでいくつか明るいものがあって安心した。たくましさと強さが感じられた。
また阿媽の、一番悲しいことが、今の日本人がそのことを知らないことというコメントが印象深かった。
(68)写真を見ていくうちに、阿媽さんの顔が同じに見えてきた。顔が同じというよりも、顔から出ている悲しみと憎しみのあらわれた表情など、写真ごしにうつるもの、伝えたいものが似たものだからでしょうか。阿媽さんの顔は悲しみというより、憎しみと絶望感にあふれていた気がする。心に雲がかかったみたいに彼女たちの目をみていると、曇ってしまったガラス玉のような目をしていて、なんだか痛々しく思えてきた。彼女たちの傷が癒されることはないのか・・・。傷ついた体と心を持った阿媽さんたちを見て、胸が苦しくなった。
(69)先週ビデオで見たので写真に写っている人も書いてあることもとても強く心に残っていた。多分1回見たら忘れられないと思う。ビデオでももちろん今日写真を見て60年経った今そのことを思い、顔を隠し寝入るのではなく強くなろうと同じ経験にあった人たちで集まり、どうにかしようと行動している。国の名誉にも負けず頑張っている姿がとても印象的でした。今日の夜の証言集会に行って早く会って実際の話を聞きたいです。
(70)“慰安婦”に関して正直他人事のように感じていた自分がとても恥ずかしくなった。写真と一緒に書かれているコメントはどれも自分の想像をはるかに超えるもので大きな衝撃を受けたと同時に自分は家族に大切に育てられ何事もなく生きていることだけで幸せなのだと思った。性暴力ももちろんありえない許せないことだが、何よりも怒りを感じたのが、慰安婦と分って無理矢理連れて行かされるのではなく、夫がいない間に騙されて連れていかされることだ。私は、この騙すということに酷い怒りを覚えた。他にも言葉にできないほどの感情がこみ上げてきて、写真を見てとてもやるせない気になった。
(71)彼女たちは皆、私と同年代のくらいの時、慰安婦にさせられた。
慰安婦になるということは決して知らされず騙された上、何年もの間、辛い状況で生きてきた。消せない過去である。そして日本は、その罪を重大さをもっと理解しなくてはいけない。思わず、涙ぐんでしまう。私は、今日、日本人として生まれたことを少し恥ずかしいと思ってしまった。
(72)初めて女性が日本軍もしくは警察に騙されて慰安所につれてこられたことを知った。
写真の中で一番心に残ったのは、演技の中で人間ではなく“大きな石”を演じている女性が写った物であった。“人間である”という当たり前の尊厳さえも奪い取ってしまう行為に憤りを覚えた。
彼女たちの夫の中には“そんな過去”を受け止めている人達がいたが、もし自分の妻がこのような目を背けたくなるような過去を持っていると知った時、自分は彼女を受け止めることができるだろうか、と考えずにはいられなかった。
(73)私たち日本人が、日本人について知らないことがたくさんある。それは昔から中学や高校の先生に言われてきたし、僕もそう思う。ここで知ったのは全体から見ればちっぽけな10数人のおばあちゃんだが、この少ない人たちからの私への衝撃はすごいものだったし、絶対ムダにならない、知っておかなければいけないことだった。私たちは、日本人としての教育ではなく、『日本のための教育』を受けてるのだと思った。国のための、仕向けられた流れに流されている。私たちはその人たちと向き合った時、謝るべきなのか?私たちがやったことではない。しかし、私たちは一生『日本人を背負っていく。どうするべきか答えはわからない。しかし私たちは、「なにも知らない」のに平和を訴えられるのだろうか。私たちは『全て』を知るべきである。私たちがまずするべきことは知ることだと思う。
(74)一つ一つの写真にとても悲しい過去と忘れることの出来ない痛みを感じた。初めて知った事実に日本の恥とおろかさを思い知った。とてもじゃないけど”人”のする事とは思えない。自分達日本人の情けなさと、同時に彼女たちのあまりにもつらい人生を公の場に出して今この瞬間に伝えてくれた人たちに感謝の意を表したいと思います。本当に今日来れてよかったです!
(75)皆で見たので少し見にくかったけど、それでも伝わってくるものがあった。一通り写真を見てプロフィールを読んでみる。色々な人がいると思った。怒り、恨み、悲しみ、やるせなさ、日本政府が許せない、私たちは忘れないと訴えてくる
おばあさん達が多い中で、過去のことには触れず、犬だけがずっと一緒にいてくれるとコメントしていた女性が印象的だった。夫の臨終まぎわに初めて過去を告白し、許しを乞うた女性へ夫が「私も守れなかった」と返したという文を読み、涙が出そうになった。
“性暴力”という傷はどんなものか。計り知れない。彼女たちは傷ついた。怒っている、恨んでいる、憎んでいる。なのに大きな声で言えない。言うことでまた傷ついてしまう。女性として生きていく間、ずっと縛り続ける、そんな残酷な犯罪だと思った。彼女たちが求めるものに応える義務があると本当に強く感じた。話すなら聞かなければ。苦しく、つらくても彼女たちが苦しんだ様に私たちも逃げずに向き合わなければならない。
(76)慰安婦を強制的に仕事としてやらされていた、私と同じくらいの女性たちのとても悲しい出来事だと思う。そういうことが行われていたこと、高校の時はじめて知った。しかしこうやって明るみにでてきたのはごく最近で、彼女たちは今まで言いたくても言えなくて・・・そんな複雑な気持ちを孤独にせおいながら、今まで生きてきた。そんなことを思うと、本当に複雑だ。昔は昔といっても、私たちの日本人が犯してしまった過去の重みは変わらず今も残っているし、どうにかしてあげたい。その重みを少しでも軽くできるなら私たちは何ができるのだろうか。
また、一方通行で強制的に暴行されて、人間扱いしていない。コミュニケーションとか、そういうことはたぶんなかっただろう。そしてほとんど全ての人が、今は孤独やさみしさと戦っている。それは、見て分った。
(77)阿媽の事を今でも否定し、ひどいあつかいをしている日本政府。そして、過去に日本政府のせいで今でもなお傷ついている阿媽の存在を知らず裕福に暮らす日本人。
そして、今まで何も知らずに生きてきてしまった自分。すごくむなしい事だし、人間として間違っていることと感じた。写真の中の彼女たちの表情、目には何かとても冷たく憎しみが込もった目をしている気がする。一言では語れない、何かが伝わってきた。今、こうして世界何十年も経ち、時代も変わっている中で、今も何十年も日本政府のせいで苦しみ続けている人が事を私達はは忘れてはいけないと思う。そしてその苦しみ続けている阿媽の人々を守り生かせていかなくてはならないと思う。ある写真のコメントには、死ぬことで彼女たちは自由を得たと書いてあった。彼女たちが生きてくれている間に、私たちは自由を与えなくてはならないと強く感じる。
(78)私は彼女たちを見て、女って強いなって思った。感じとらなくてはいけない大切なことと出会えていないかもしれないが、悲しみより強さを感じた。なぜなら彼女たちはほとんどの人が後に結婚している。愛してもいない誰の子かわからない子を産んでいる(後に死んでしまっているけれど、きっと大事に育てると思う)。私は、同じ女として、まだその気持ちが理解できない。でも生きていく強さってこれだなと思った。それは女だけだと思う。あと彼女たちはピアスをしたり、指輪をしたり、自分を表現するアーとでも着飾っていた。これも女だなと思う要因だった。
ちなみに、以前、私が読んだ本に、性暴力とは関係ないが、南米の方であった事件で、学生が政反運動をおこし、処刑された事件で、その母親たちは毎年怒りの行進を首から子どもの写真をかかげて行うんだけど、年々、だんだんと怒りの暗い顔から一緒に行進している仲間のおばさんと楽しそうに世間話をしているらしい。今でも子どもを失った悲しみ、怒り、苦しみは忘れていないんだけれど、でもこうゆものだなって、今日写真展を見て同じ感じを受けた。
(79)当時、実際に慰安婦として扱われていた人の言葉を聞くのは初めてだった。期間も1〜3年ぐらいととても長く、屈辱だったと思う。戦争とは人間を買えてしまうものだと思う。日本人は人をかぞえきれないぐらいの人数を殺したし、たくさんの女性を傷付けた。逆に、日本人も数えきれないほどの人が殺された。何が正しくて何が正しくないのかという事さえ分らなくなってしまうのではないか。写真の中の人たちも本気で日本人に何かを訴える目をしていたように感じた。これからの日本の立場はどうなっていくのか。
(80)映画の中で話していた慰安婦の人は「夫や子供には言えなかった」と言っていたが、、写真展の中で「夫に話した」といっていた人がいた。その女性の夫達は彼女を責めることはしなかったという。やはり、ショックだったろうが、今まで起きていたことは彼女たちが悪いわけではないと夫たちは言った。
確かに慰安婦になったのはだまされてやらされていたことだし、彼女たちには何の罪もない。なのに、60年間も誰にも言わずに心や体にとてつもない傷を負って生きてきた彼女たちの気持ちはどう頑張ってもわかってあげられない。この彼女たちの痛みは彼女たち自身にしかわからないし、彼女たちもたとえこの話を夫や子供に言ったとしても何の解決にもならないのだと考えているのだろう。しかし、何の解決にもならないくらい、悲惨な出来事だろうけど話すことでその痛みの1%でも楽になると私は思う。でも、話したことでまた新たな苦しみも出てきてしまうのかもしれない。
この問題はとても複雑で彼女たちはどうして良いのか迷っているのだろう。これは一生解決できないものなのだとあらためて感じた。
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2005年12月 写真展 「台湾の阿媽のまなざし」
文教大学 学生たちの感想(4)
〜台湾の阿媽の写真展と呉秀妹阿媽の証言を聞いて〜