(21)秘密にして生きなければならない事は辛いことだと思った。被害者であっても受け入れられずに言葉を飲み込んで何もなかったように仮面をつけて生きなければいけないなんて想像することが耐えられない。
(22)当たり前のことだけど、写真に写っているおばあさんたちが見た感じ、普通の人たちだった。自分は、そうゆうひどいことをされてきた人のことをもっとすごい姿をしているというような想像をしてしまっていたのかもしれない。周りの人となんら変わらない人がこうゆう仕打ちを受けていることがまた悲しいことだと思った。
(23)阿媽の目を見た時、悲しい想いが伝わってきた。私達の先祖はなんて恐ろしい事をしてきたのだろう。胸が苦しくなりました。自分が思っていた以上に阿媽の表情は白かった。自分の意志が抜けたような顔だった。セラピーを受けないと生きてゆく道を見失ってしまう彼女たちの存在を胸にひめることがつぐないの第一歩だと思う。彼女たちは本当に魂が抜けたような顔をしていた。
(24)阿媽の写真を見ると言ったとき、当時の写真を見ると思っていた。今回見たのは50年以上たった今に近い写真だが、見て、ずっと苦しみや恨みをもっていたということが感じとれた。ドイツのアウシュビッツもそうだが、日本軍も暴力を組織的に行っていた。組織的に行われると被害にあった人達は守れない。彼女たちのコメントを読むと、どれもだまされたと言っていて、従軍慰安婦という言葉は大間違いである。彼女たちを見て、哀れむのではなく、このような事実があったということを日本人は認識していかなければいけないと感じた。
(25)とても残酷だと思った。被害者の方たちは、何も知らず騙され慰安婦にさせられた女性たちばかりだ。そして何十年も経った今でも、その時の傷は消えることがなく、苦しんでいる女性たちがいると聞いて、私は同じ女性としてとても心が痛んだ。日本人兵隊のことを同じ日本人として、とても恥ずかしく思った。
(26)写真を見て想像以上の内容であった。80を超えるおばあさんが昔、僕たちと同い歳の頃、日本人によて性奴隷として、暴力を受けた詳しい内容をみな、今でも忘れられない。死んで自由になりたいと言っていた。とても悲惨な内容であった。彼女達は日本政府の対応に激しい怒りが込められていた。日本をとても恨んでいる。僕たちが写真を見てかわいそうだなんて思ってはいけない。なぜなら僕たちも彼女たちに辛い思いをさせてしまった日本人だからである。
(27)一見、どこにでもいるような普通のおばあさん達に見えた。しかし、写真に書いてある文章を読んでから写真を見ると、1人ひとりの顔が「自分がどれだけの苦痛を味わったかわかるか?」と言っているように見えた。特に腹部に大きな傷がある写真を見ると、自分は直接関わっていないのに罪悪感が生まれた。
(28)どの写真も、ただ流し見する分には普通の写真である。
だが、それら一つひとつと目を合わせると、そのまま目が釘づけになった。
彼女たちの瞳は物理的に輝きがあったが、精神的にはとても暗い影を落としていた。
写真は、人により受ける印象がマチマチだ。だが表面上は笑っていた写真も、実際としては、誰も笑ってなどいなかった。言葉では表しがたい感情が沸いてきた。
やはりどこか、死人の色が見えた。
(29)最初の方以外の写真で阿媽たちが心から笑っていると思える写真はなかった。ほとんどの人がだまされて、無理矢理つれていかれたりして仕事をさせられて、中にはたった13歳で性暴力を受けた人もいた。無事に母国に帰れた人も一生消えることのない傷、心においても身体においても引きずって生きる苦しみは計り知れないだろう。今、自分達はあの人達を救ってあげることはできないけれど、そのような事があったという事実を少しでも多くの人が知って、いつのまにか忘れてしまわないようにする事が最低限できる事だと思った。
(30)映画でみた阿媽の人たちが写真に写っていた。いくつかの写真は映画の映像がそのまま写真になっていた。写真には阿媽の心の苦しさや訴えが表現されていると思った。特に仮面をつけてとった写真は今までの本当の自分をずっと隠し続けてきた阿媽の辛さと、やっと本当の自分を出せた阿媽の勇気みたいなものを感じた。阿媽は勇気を出して、本当のことをみんなに伝えたので、私達もそれにこたえなければならない。
(31)私は、この従軍慰安婦問題にかねてから関心があったので、今回のこのようなイベントに出会えることができてうれしいと思う。
私の実家のある千葉の館山には日本版「ナヌムの家」というべき日本人慰安婦の施設があり、過去に一度訪れたことがある。その時も今回のパネルも「被害女性の目」にとても視線がいってしまう。顔の表情は笑っているにもかかわらず、目は完全に死んでいるように思われるのだ。過去の被害がどれほどのものだったかを物語るといってよいだろう。今夜の証言集会でどのような話が聞けるのか、とても期待している。
(32)1人ひとりの今までの経歴が書いてあるパネルで、阿媽たちは微笑している人もいたが心の中ではとても苦しいんだ、ということがとても伝わってきた。だが、一方でのアートセラピーなどのセラピーでの彼女達の表情は以前見ていた一人一人で写っているときとは違い、はればれしたような表情をしていたのが印象的でした。今回のパネルの中で「私達はとても苦しい思い出したくもない出来事なのに、今の日本人は何も知らない」と言っていた言葉がとても胸につきささりました。たしかに、私もこの授業を受けるまで慰安婦、阿媽の事を何も知りませんでした。こんなに苦しい想いをしているのに彼女たちの事を今まで知らなかった、自分自身がとてもイヤです。何か彼女達のために役立てる事があったら何か手伝いたいです!
(33)20万以上もの女性が日本に連れてこられて奴隷のように扱われたという事実を知らなければならない。「一番悲しいのはこんなにひどいことをされたということを日本人の多くが知らないことだ」というメッセージが重かった。騙して連れて来て性的な奴隷として働かせるというだけで十分酷い。それに加えて暴力まで振るったなんてとんでもない。物質的な破壊の面以外でも、戦争の悲惨さが見えた気がする。
(34)写真展を見て、前に映画で見た阿媽も多く写真に写っていて、それを見て一番印象的だったのが、阿媽の多くがコメントに「日本政府は、賠償金も払わないし、謝罪の言葉一つない」というものだった。また、多くの日本人が阿媽が受けた被害を知らないというコメントを見て、今日行われる若者がいる証言集会のようなものは、阿媽にとっては、確かに嬉しいものだと感じた。
(35)映画を見たとき、自分が想像もしなかったことが、そこにはあってかなり衝撃的であったけれど、今日観た写真は映画などの映像が流れるものをとらえた時と異なり、1枚1枚の写真が別に話しているわけではないが訴えかけるものを強く感じた。写真の中でたたずむ姿は、近く感じたり、遠くに感じたり、写真の中の時間が止まっているように撮った時の一瞬が、本当は一瞬なんだけれど、長い時間のように感じた。それだけ、1枚の写真が現すことが重いのだと強く感じた。
(36)今日この数々の写真を見るまで阿媽の人たちについてのことを軽く考えていた自分がいた。一つひとつの写真や言葉にはこの数だけではきっと語りつくせないものだと思いました。
中には過去のことを忘れようとする人もいれば、絶対に忘れないという人もいた。忘れようと思っている人も心のどこかでは忘れずにこのようなことを知ってもらいたいという人もいるのかと思った。何よりも今色々なセラピーなどで自分を表現したり、被害にあった人々と会い、踊っている彼女たちの生々と笑っている顔がすごい印象的だった。こういう機会があり、阿媽について深く考えることができてとてもよかったです。
(37)写真展の写真には、実に多くの表情があったと感じた。特に何人か立って写っている写真があった。その写真から彼女達の「生きるんだ」という強い意志がにじみ出ているように感じた。それはモノクロでただ1枚の写真という存在だが、彼女たちの強い表情(喜怒哀楽)が伝わる意志に感銘と自分が日本人であるという責任と自覚の念を考えさせられました。
(38)阿媽たちの苦しみを知っている日本人なんて、きっとほとんどいないのだろう。そしてそれが阿媽たちにとって、一番悲しい事なのだろう。自分と同じ年の女性達が60年前、被害者となり、60年間、誰にも言えずに1人で苦しみ、悲しみ続けた。人生を台無しにされた彼女たちの痛みを今の日本人は理解しなくてはならない。そして、日本政府は彼女達に謝罪しなければならない。お金で解決できる問題ではないし、そのお金をめぐり、新たな問題が生じている。何事も金で解決しようとする日本政府が更に彼女達を苦しめてしまった。説明付きの白黒のパネルは、一枚一枚重みがあり、全身で悲しみと怒りを訴えているようだった。証言集会に参加できないのが残念だ。
(39)「20万人以上のアジア人が被害に遭い、たった30人の女性が今台湾にいる」とあった。多くの人が心身ともに非常に傷ついた。「50年以上の苦しみを言葉で語ることはできない」多くの人の体験を写真と一緒に見て、今も彼女たちは苦しみ、大きな心身の傷と戦っていると強く感じた。
でも、私たちに何ができるのだろうかと考えると答えが出ない。
また、ワークショップで見せた彼女たちの笑顔や表情は、一生懸命その経験と向き合い、戦っている姿であり、少しでも傷がいえたらと強く思う。そのワークショップは誰が主催なんだろう?日本政府は「強制性」を調査でわかっているのに、司法がああだからといってなぜ謝罪しないのだろうか?
(40)写真とその言葉を一個一個読んでいって、何も知らずに慰安婦にならされた状況を知った。私達と同じ年、またはもっと若いうちに強制的につれていかれた。とても私では考えられない恐怖を味わったのだろう。ヨガや自分を表現するカウンセリングなどに参加している様子では笑顔もみれた。特に印象的だったのは布や紙、毛糸などで自分を表現しているパネル。自分の顔を笑顔で表現していた。自分の過去に向き合うという強い気持ちが感じられた。
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2005年12月 写真展 「台湾の阿媽のまなざし」
文教大学 学生たちの感想(2)
〜台湾の阿媽の写真展と呉秀妹阿媽の証言を聞いて〜