キューバ−−金がなければ子どもたちの命は救えないという悲惨から免れた国
医療とはどうあるべきか、社会福祉とはどうあるべきかを鋭く問いかける本です。表紙を開くといきなり全世界174カ国の福祉医療の現状として、一人あたりの所得と乳幼児死亡率が相関関係にあるというチャートが示され、「金がなければ子どもたちの命は救えない」と刺激的な言葉が続きます。ところが貧しいカリブの小国キューバ一国だけは全体の傾向から外れ、所得は低いのに乳幼児死亡率がアメリカよりも低いという特異な位置にあります(2006年で1000人あたり5.3人)。筆者はキューバを「金銭的な豊かさで医療水準が決まるという悲しい宿命から逸脱している国」として、キューバ医療の紹介へと導きます。
筆者の関心の一つは崩壊する日本の福祉医療です。それは後期高齢者医療制度の導入や障害者自立支援法などで社会的弱者を切り捨てながら、金持ちのための医療へと向かう日本の医療制度の対極にあるものとして紹介されているように思います。そこで筆者は「TINA(There
is No Alternative)」=「新自由主義政策以外には道はない」という、イギリス医療制度を崩壊させたサッチャーの新自由主義のスローガンを引き合いに出し、これに対していわば「もう一つの世界は可能」「持続可能な福祉医療」の一つの例としてキューバ医療を捉えるのです。それは小泉首相が声高に始めた新自由主義的構造改革の批判ともなっています。
筆者はこれまで有機農業などの関心からキューバに深い愛着を持っていましたが、キューバからやってきた24歳の若き女性医師バロッサさんの「私はお金のために医師になったのではありません」との言葉がきっかけに、「ごくありきたりの若者をここまで育て上げるこの国の医療教育制度はどうなっているのだろうか」と興味をかき立て、キューバの医療を見聞し紹介しようと思ったといいます。
本書では、キューバのファミリードクター制度やプライマリケアを軸とした保健医療体制、地域予防医療、代替医療とバイオ薬品の開発などが驚きと賞賛をもって描かれています。ここでは、私たちが進めている反戦平和運動との関係に引きつけていくつかの点を取り上げてみたいと思います。
軍事費を半減させ、福祉医療・教育を死守
まず第一に上げたいのが、医療と教育という人々の生活の根幹の予算と体制を最優先にし何としても維持しようとしてきたキューバ政府の姿勢です。著者は「軍事費を削って医療福祉予算を増額」という一章を建てて紹介しています。福祉医療予算は1960年の5100万ペソから1990年の10億4500万ペソへと拡大しています。キューバは、医薬品や医療機器をソ連からの輸入に頼っていましたがソ連崩壊によってそれが不可能となりました。1990年から始まったいわゆる「平和時における特別な時期」です。フィデル・カストロはこの時期を、アメリカによる全面的な軍事封鎖を意味する「戦時の非常時」に対して「平和時の非常時」と捉え、「社会主義」を堅持するための死にものぐるいの闘いを遂行しました。この間、病院などの医療関連施設の建設費が90年から94年にかけて15%減、89年から93年まで医療関連物資の輸入も2億2730万ドルから6700万ドルへ70%減という信じがたいダメージを受けました。
ところが、1990年と1997年比で医療費は134%、社会保障予算は140%も伸びています。その秘密のひとつは軍事費削減にあるといいます。軍事費はこの間55%と半分に削減されました。アメリカの経済封鎖と軍事的脅威のもとでの決断、苦渋の選択であったと思われます。
※米国はキューバとベネズエラから手を引け!
米軍、ベネズエラとキューバを標的にカリブ海で前代未聞の大軍事演習(署名事務局)
※「対テロ戦争」の欺瞞を暴く 「キューバン・ファイヴ」解放運動(署名事務局)
むろんそれは、お金の問題、予算の配分だけで達成されたのではありません。ソーシャルキャピタル(社会的資本の整備)、予防医療制度、「健康市町村づくり計画」などを全国に張り巡らせることによって可能となったのです。
「国際通貨基金のメンバーではないという特権」(フィデル・カストロ)
これとの関係で、カストロの興味深い演説が紹介されます。すなわち、「40年もの経済封鎖にもかかわらず、キューバが教育、医療、文化、科学、スポーツ、その他で成功をおさめていることには誰しも疑念を抱かないであろう。それは国際通貨基金のメンバーではないという特権のおかげなのだ」(2004年4月14日のグループ77のサミットでの発言)。実に皮肉に満ちた、しかし本質を突いた言葉です。公共サービス、公的部門の福祉医療を削減することがIMFや世界銀行から経済融資を受ける条件であり、とりわけ80年代から90年代にかけてベネズエラやブラジルアルゼンチンなど他のラテンアメリカ諸国は先進資本主義諸国と国際機関から借金漬けにさせられました。途上国の貧困・飢餓・失業・財政破綻は、帝国主義の金融的・植民地主義的収奪によってもたらされています。キューバはそれを免れたのです。あるいは、経済封鎖と食糧不足による生命の危機、健康の破壊から国民を守り社会主義を堅持するために、充実した医療体制の構築に賭けたといってもいいかもしれません。著者自身が、治療だけでなく生活スタイルや食事指導までも含めて行う地域医療体制の構築によって経済危機の試練に耐えたと認めています。
本の中のコラムの一つでは、1976年に採択されたキューバの憲法第9条「医療を受けない患者があってはならない」が紹介されます。キューバ政府はこれを遵守しているのです。このことは社会主義のもとでも、国家権力を規制するという憲法の基本的な性格は変わらないということを意味し、人民主権とは何か、民主主義とは何かという問題を改めて問いかけます。
積極的な医療支援と医療平和外交
もう一つ驚くのは被災地への医療支援と平和外交です。これは日本のマスコミなどが冷ややかに紹介しているようなプロパガンダではないということです。いや著者も言っているように、日本のマスコミではその存在そのものをほとんど無視しています。
2005年10月8日のパキスタン北部での大地震では、キューバは全経費を自前で負担し、最大の医師団を派遣しました。なんと、全体医療活動の73%がキューバ一国でやられたといいます。しかも熱帯の出身であるキューバの医師たちがパキスタンの酷寒の中でテントを張って行いました。最終的に2456人まで増員し、被災した人だけでなく、貧しくで医者にかかれない人に対しても気持ちよく医療活動をおこなったため、遠隔地からわざわざ何時間もかけて足を運んだ住民もいたそうです。
この国際援助隊は実は2005年9月、アメリカのルイジアナ州で8月29日に起こったハリケーンカトリーナ被害に際して生まれました。ところがブッシュはこの援助を拒否しました。それどころか、ブッシュは民間部門による復興を強く主張し、「連邦政府には地域再建の責任はない」とまで言い切って見捨てたのです。このブッシュの対応と、「米国はキューバを経済封鎖している敵対国だが、それは人道援助とは関係ない。犠牲者を救助するための医師団を派遣したい」というキューバ政府の発表との違いは歴然です。
※シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その10
ブッシュの被災者放置=人種差別とイラク戦争政策最優先に怒りが爆発(署名事務局)
※シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その11
「被災者」さえ差別選別する恐ろしい米国社会の暗部(署名事務局)
ひるがえって日本政府は、自衛隊の戦地派兵を「国際貢献」「国際社会の一員」などと喧伝しますが、真の国際貢献とは何かを問い直すべきでしょう。
社会主義キューバが、ピークオイルの問題を特に重視し、温暖化対策も含めて「もったいない運動」を国家的事業として進めていることも特筆すべきです。単に経済封鎖の元で資源がないからというのではなく、このままでは人類が絶滅してしまうという真の危機感をもって進めていることが見て取れます。カストロのバイオエタノールに対する批判もこのような関心から行われています。
※フィデル・カストロ議長の考察 世界の30億人以上の人々が飢えと渇きで早すぎる死を運命づけられる
根底にあるチェ・ゲバラの思想
ではなぜこのようなことが可能であったのでしょうか。人民に医療や教育を保障することを社会主義社会の根幹と位置づけて死守できたのはなぜなのでしょう。その答えは簡単ではありません。ソ連のペレストロイカと崩壊後の打撃を考えれば、まさに奇跡です。アメリカの封鎖にさらされながらも、軍事費を削り、子どもたちにはきれいな服を着せ無料の教育を受けさせる、高齢化が進行した元でも無料の医療を貫徹する。高度な医療技術を自前で開発する。そしてチェルノブイリの被災者や敵国であるアメリカのハリケーン被災者にまで手をさしのべる。等々。
著者は、「国際的な医療援助を行うというのは革命当初からの原則」と言っています。「小国にしては分不相応なほどの医療援助」といい、途上国から医学を学ぶ学生を受け入れ彼らの母国に医療が根付くよう支援しています。もちろんこれは、医療輸出、医者や医療従事者の海外派遣が重要な外貨獲得源となり、とりわけベネズエラでチャベス政権が誕生してからは、石油とのバーター取引によって経済の好転に向かっているという側面も見ておかなければなりません。キューバでの医療・教育政策が、社会主義経済の基盤を強化するまでに実を結んだと言えるでしょう。
著者は最後に、キューバがなぜこれほどまでに医療と教育を重視し、社会主義を堅持してこられたのかという疑問について考える材料を用意してくれます。それはゲバラの言葉です。革命直後から、いやシエラ・マエストラでの革命の渦中から、革命戦士にとって教育と医療が最重要の一つだったのです。それはゲバラの思想なしにはあり得なかったでしょう。著者は「ゲバラは革命家であったがまず、何よりも医師だった」「一人の若い医学生を革命家に変えたのは、(オートバイでの南米6400キロの旅の)道すがらに目にした光景、迫害された人々の理不尽な状況や社会矛盾への憤りだった」として、『革命的医療』という1960年のゲバラの演説を紹介しています。
「私は、ハイチとサントドミンゴ以外のラテンアメリカの国はどこもある程度は旅したことがある。まずは医学生として、その後は医師としてだが、私流の旅のやり方から、いつも貧困、飢餓、病気を身近に目にしてきた。金銭がないために子どもを治療できず、慢性的な飢餓や刑罰で息子を失っても父親がそれを重要でない事故として受け入れてしまう。われらがアメリカの祖国の搾取階級の間ではそんな状況があたりまえだった。」
「社会的、哲学的な一般概念のみならず、医学の概念も変える必要がある。病気も大都市の病院でなされるように、常に治療されなければならないものではないことがわかるだろう。例えば、貧しい栄養状態を改善し、食べ物への要望を満たすには、医師が農民として、新たな作物を植え、種を蒔くことすら目にすることだろう。」
「ただ一人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。隣人のために尽くす誇りは、高い所得を得るよりもはるかに大切だ。蓄財できるすべての黄金よりも、はるかに決定的でいつまでも続くのは、人民たちの感謝の念なのである。」(チェ・ゲバラ「革命的医療」1960年8月19日 公衆衛生省・研修過程開設式における演説)
2008年1月22日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
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