「記録と記憶のトライアングル・韓国ツア−」
−−韓国の反米闘争を闘う人達との交流と連帯の旅−−

 「記録と記憶のトライアングル・韓国ツア−」が、8月13日から17日までの5日間、20数人の参加で行われた。これは、沖縄、大阪、東京で連続して開催された写真展「記録と記憶のトライアングル 韓国、在日、沖縄を撮る10人の眼」の韓国展に参加することと、写真の現場を自分の目で確かめようということで企画されたものだ。

 今回のツア−参加者には、写真展の主催者、在日の人々、反戦・平和を願う人々が含まれていた。参加者は、写真展を見るにとどまらず、現地の平和集会や平和行進に参加し、米軍基地の前では抗議の声を上げた。現場を案内していただいた韓国の写真家の人達は、写真を武器に米軍の犯罪を暴露し、日本政府の戦争犯罪を告発する活動をしている。米軍の犯罪に怒り、米軍基地、米軍そのものを憎み反対する韓国の写真家たちの案内で、パジュの米軍キャンプと女子中学生轢殺現場、梅香里、オサン米空軍基地などを見ることができた。今回のツア−では、韓国の写真家やツア−に同行の韓国通の方々、そして、韓国の若者たちの支援と協力を得て、多くの反米闘争を闘う人たちと交流し、連帯し、充実した日々を過ごすことができた。これらの方々に深く感謝申し上げたい。以下は、ツア−の簡単な報告である。

2003年8月25日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
写真班 高山




    

 写真展に先立って行われたシンポジウムでは、写真家と反基地・反米闘争との関わりについて真剣な論議が行われた。

    

 写真展のオ−プニングセレモニ−には、多くの人々が参加した。(8月13日)


パジュの米軍キャンプ

    

 パジュの米軍キャンプ「CAMP HOWZE」に置かれていた野戦用の橋梁。この橋梁を運ぶ車輌が女子中学生を轢き殺したのだ。

    

    

 パジュの米軍キャンプの前で説明するイ・ヨンナムさん。イ・ヨンナムさんは、この数日前、反米行動の取材中、逮捕され、釈放されたばかりであった。そういうこともあって、この日は、警察が監視を目的にツア−に同行、先導して、数カ所の米軍キャンプを回った。おかげで、普段は写真が撮れないようなものまで撮影することができた。イ・ヨンナムさんは、キャンプ・ジャイアントの前で警備していた韓国の機動隊員を押しのけて、機動隊員の立っていた場所で得意顔で説明した。「なぜ、そんなに強いの?」と質問され、「中途半端はかえって舐められる。徹底してやるのがいい。」と答えた。(8月14日)


女子中学生米軍装甲車事件現場訪問

 女子中学生轢殺の現場に立てられた墓標の前で説明するイ・ヨンナムさん。質問が続いたが、最後には、もうしゃべりたくないと言う態度になった。イ・ヨンナムさんは、女子中学生の轢殺された遺体を撮影している。写真で見るよりももっと凄惨なものであったであろう現場を思い出すのはつらいのだろう。(8月14日)(写真左) 



女子中学生が轢き殺された道路。(写真右)



    

 翌日のハンギョレ新聞には、ツア−の様子が記事になった。(上左)
 女子中学生の墓標に黙祷を捧げるツア−参加者。(上右)


パジュの米軍

    

パジュでは、米軍によるトラブルが日常茶飯事。
私たちが昼食をした店の前で米軍が交通事故を起こした。(上左)
パジュで軍事演習をする米軍戦車。(上右)


DMZ(非武装地帯)訪問

        

 DMZ(非武装地帯)で、ツアー参加者からのメッセ−ジを持って。
8月14日。


    

 沖縄へのメッセ−ジを書くイ・ヨンナムさん。「沖縄よ泣くな!イ・ヨンナムが沖縄に行って写真を撮るぞ!」と書いている。(写真左)
 DMZのイムジン川。(写真右)


西大門刑務所跡地見学

    

 ソウル・西大門刑務所跡地入り口。8月15日。(写真左)
 獄舎外観。(写真右) 

    

  西大門刑務所跡地では、旧日本軍の拷問用具が展示されている。
 ここでは、旧日本軍によって、独立運動の闘士が多数拷問され、殺された。
 また、独立後も民主化闘争の運動家がここで多数犠牲になっている。(写真左)
 日本軍の侵略の歴史と韓国人民の闘いの説明を受けるツア−参加者。(写真右)

    

西大門刑務所の獄舎の内部。

    西大門刑務所の死刑場


ソウル市庁前の8/15平和集会に参加

    

    

    

 8月15日、日本の敗戦記念日は、韓国では解放の日である。ソウル市庁前の平和集会は、歌あり、踊りありで、ツア−参加者も踊りに加わった。集会の合間に繰り返されるシュプレヒコ−ルは、韓国語のため、残念ながら見ているだけだった。
 集会は、夜まで続き、暗くなってからは、ろうそくに火をつけ、アメリカ大使館前に向かってデモ行進をした。韓国機動隊がデモに立ちふさがり、デモ隊は抗議の声を上げた。


女性の平和集会に参加


 キョンヒ大学で行われた女性の平和集会で、ツア−参加者が、壇上から連帯の挨拶を行うと、会場の参加者は、拍手と歓声で応えた。(8月16日)


    

  ツア−参加者は、韓国の平和集会参加者に、連帯の寄せ書きを送った。(写真左)
  韓国側からは、全国リレ−行動の旗に寄せ書きをして頂いた。(写真右)

    

 大学構内には、アメリカ軍を風刺する多数のポスタ−が飾られていた。


ソウル龍山米軍基地前の平和集会に参加


 ソウル龍山米軍基地前で行われた平和集会に、ツア−参加者は、「戦争を止めよう!平和を運ぼう!全国リレ−行動」の旗を掲げて参加した。ツア−参加者は、米軍に向かって、「米軍撤退!」と拳を上げて、抗議のシュプレヒコ−ルを繰り返した。(写真左)



 写真家クックヨンさんは、後に、この日のツア−参加者の抗議行動に最も感激した、と語った。
 ツア−参加者は、平和集会に参加した後、バスに乗って梅香里に向かおうとしたが、右翼のデモと機動隊の衝突で道がふさがれ、バスが動かなくなった。そこで、何とクックヨンさんは、機動隊の隊長と交渉。まもなく警察の車が先導して、バスは動いた。
(8月16日)




梅香里訪問



 米軍が爆撃の標的にしているノン島。
 手前に投下された爆弾が見える。


不発弾で作られたオブジェ。


 闘争本部の前の不発弾。


 米軍演習場の警告の看板。


 鉄条網に囲まれた演習場。

 ツア−参加者から、梅香里の闘争本部に寄せ書きが手渡された。
 米軍の飛行機は、ノン島を爆撃する際、以前は、陸上を通っていたが、
 運動の結果、今は海上しか飛ばないと説明があった。

        
 この日訪れた梅香里は、トンボの飛び交う自然の豊かな美しい所であった。
 海から取れる貝は種類も豊富で、昼食はその貝を堪能した。
 その豊かな漁場は、米軍の演習によって、平日、封鎖される。
 漁民は、土日にしか漁ができない。


オサン米空軍基地見学


 オサン空軍基地では、パトリオットミサイルが配置されていた。(写真左)
 米軍の基地再編の動きは、オサン空軍基地の拡張計画とつながっていた。
 150万坪とも言われる広大な田んぼをつぶして、ソウル龍山米軍基地などの基地機能の移転が計画されている。


 現地の基地反対運動では、沖縄の一坪反戦地主の闘いを参考にしており、日本の反基地闘争の経験をもっと知りたいと希望が出された。来年は、この地で反基地のシンポジウムを開く予定で、日本からの参加を要請された。私たちツアー参加者は、一坪反戦地主が購入した最初の日本人ということで、大歓迎を受け、闘争ゼッケンまで頂くことが出来た。(写真下右) (8月16日)



写真展再訪問

韓国訪問の旅は、写真展訪問に始まり、写真展再訪問で幕を閉じた。
 米軍に轢殺された女子中学生の遺影には、写真展に来た人々によって赤いリボンが飾られていた。写真展に展示されている写真の多くは、現在の米軍犯罪や過去の旧日本軍による犯罪の数々を告発する迫真のものであるが、中でもこの写真は、私の胸を打つものであった。黒いリボンが無ければ、そして、多くの人の涙と思しき水滴がなければ、普通の写真である。しかし、彼女たちの身に起こった悲惨な事実を知る者には、深い同情と米軍への怒りが沸き起こる。わずか14歳。轢き殺した米兵は無罪となっている。女子中学生の轢殺の経緯や結末を知れば知るほど、米軍の犯罪は具体的なイメ−ジとなって脳裏に焼き付く。それは、在韓米軍の犯罪の数々、イラクやアフガニスタンで子供や女性を殺す米軍の犯罪の象徴的なイメ−ジである。
 そして同時に、韓国で出会った多くの反米闘争の活動家たちの顔も思い浮かぶのである。韓国の反米闘争の活動家たちは、私達ツア−参加者がどこへ行っても歓迎し、米軍の犯罪を訴えた。「日本で韓国の米軍犯罪を告発して欲しい。」「日本の反基地闘争の経験を取り入れたい。」「日本の運動と連帯し、協力して米軍と闘いたい。」そのような、期待を強く感じる旅であった。(8月17日)




 韓国ツアー感想

 「記録と記憶のトライアングル」写真展図録の紹介