[投稿]「靖国合祀イヤです訴訟」の現展開とその意義−−その2
山口県自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決を全面批判する
靖国神社に近親者が合祀されている遺族による「靖国合祀イヤです」訴訟は、国と靖国神社の欺瞞性に切り込む切っ先をさらに鋭くしながら、原告に加わる当事者と支援者の確実な広がりをみせています。ここでは、2007年10月16日の第六回口頭弁論で行なわれた山口県自衛官合祀拒否訴訟の最高裁判決に対する全面的な批判を紹介します。
なぜ、この「靖国イヤです訴訟」においてその批判が必要であるかといえば、国がその判決を持ち出してきて、すでに決着済みの事案であるという主張を行なっているからです。しかし、本当にその判決で決着済みだと言えるのでしょうか。また、その判決そのものに問題点はないのでしょうか。こうした問題を明らかにするためには、まず、山口県自衛官合祀事件とは何だったのかを振り返ってみなければなりません。
この事件は、社団法人隊友会山口県支部連合会(県隊友会)と自衛隊山口地方連絡部(地連)とが共同して、公務死した自衛官を、その妻の明白な拒絶の意思に反して山口県護国神社に合祀するための申請を行なったというものです。訴訟の主要な争点は、地連(=国の機関)が合祀申請に関わったことが憲法違反であるかどうか、そして、妻である中谷康子さんの「宗教上の人格権」すなわち「静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送る法的利益」が侵害されたかどうか、という点にありました。一審と二審では、原告の言い分がほぼ認められたのですが、最高裁ではそれが覆され、原告敗訴の判決がでてしまいました。それ以来、国は政教分離や信教の自由が問題になる裁判においては、金科玉条のようにこの最高裁判決を持ち出してくるようになったのです。
まず、この最高裁判決は、およそ裁判というものの規範から大いに逸脱しています。通常、最高裁では事実認定は行わず、法律の解釈に関する審査のみを行うことになっています。そして、もしも事実認定が誤っているという評価がなされれば、原審に差し戻さなければなりません。最高裁自身が新たな事実認定をしてはならないのです。
一審・二審では、合祀申請行為は地連と県隊友会との共同行為であるという事実認定がなされていました。これが間違いだというのであれば、差し戻しを行なわなければなりません。なのに、「県護国神社による合祀は、基本的には遺族の要望を受けた県隊友会がその実現に向けて同神社と折衝を重ねるなどの努力をし、同神社が殉職自衛官を合祀する方針を決定した結果実現したものである」ので、「地連職員の事務的な協力に負うところがあるにせよ」、県隊友会の「単独名義で」合祀申請がなされたことをもって、「県隊友会の単独行為」であると、勝手な事実認定を行なったのです。
この事件の原告である中谷さんの場合、「遺族の要望」どころか明白な拒絶をしていたにもかかわらず、まったく正反対のことが書かれています。また自衛隊員の協力があったことは認めても、それを「事務的」と評価して、県隊友会の「単独行為」と認定するのも常識では考えられない話です。このような詭弁を弄し、手続きにおける違法を犯してでも「共同行為」であることを否定しなければ、国を勝たせることができなかったのです。県隊友会は自衛隊のOB組織であって、自衛隊と密接な関係があることは誰の目にも明らかですが、単なる民間団体と位置づけられ、それが宗教行為を行なっても何の問題もないということになっているのです。
さらに、この時の訴訟は、護国神社を被告とした裁判ではなく、護国神社の合祀を争点にしたものではありませんでした。にも関わらず、唐突に、護国神社による合祀が原告に対する権利侵害にあたるかどうかについての言及がなされました。そこでは、県護国神社と中谷さんとの関係を私人相互の関係であると述べた上で、中谷さんが権利を侵害されたとは認められないという論を展開しました。そして、中谷さんに「寛容であること」を押し付ける暴論を展開したのです。
「合祀それ自体は県護国神社によってされているのであるから、法的利益の侵害の成否は、同神社と被上告人(中谷さん)の間の司法上の関係として検討すべきこととなる。」
「人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教行為によって害された」としても、このような宗教上の感情を害されたということで損害賠償を求めるなら、「かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至る」とし、「信教の自由の保障は」、それが「強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。」としているのです。いわゆる「寛容」の押し付けです。
一個人の意思が地連や隊友会という巨大組織の思惑によって踏みにじられたという事件であったというのに、ことさら「人」「他者」といった抽象的な言葉によって事件の深刻さを覆い隠しています。護国神社が靖国神社とともに戦前から国家と密接な関係の下で戦没者合祀を行ってきた国家神道の担い手であったという、具体的、歴史的認識もまったく欠落しています。
憲法の政教分離規定は、具体的には戦前の国家神道の問題を想定しています。その国家神道の担い手であった県護国神社による、戦前と同じような個人の意思を無視した、殉職者の「合祀」は、公権力による人権侵害と同視して判断すべきものではないでしょうか。
憲法における人権概念は、18〜19世紀においては、国家に対する私人の権利の保障として考えられてきました。しかし、20世紀に入ってからは、公的権力だけでなく、私的団体・組織からも個人の人権を守らなければならないという見地が憲法に反映されるようになりました。
公権力による個人の信教の自由侵害が憲法上絶対的に禁じられていることはいうまでもありません。この趣旨からすれば、私人相互間であっても、そこに公権力と個人の関係に類似するような関係があれば、それは公権力による信教の自由の侵害の場合と同様に考えるべきでしょう。
この判決では「寛容」という言葉を使って、原告に我慢を強いています。しかし、現憲法においては、人権を制約できるのは、他者の人権を侵害した場合においてのみであって、その時には「個人の尊厳」を解釈基準として調整がなされます。一方、「寛容であること」を根拠に人権が制約できるのであれば、どんな人権侵害があってもそれを追認する結果になりかねません。そもそも宗教上の「寛容」とは、国家に対して求められるべきです。個人の信教の自由を保障するためには、国家が個人の信仰に対して寛容であることが前提です。
以上のような論を展開したイヤです訴訟原告第15準備書面は、最後に次のような言葉で締めくくられています。「もともと寛容の精神は、力弱き少数者に対し、その人格や思想を認め保護するものとして、民主的な原則たる意義を持つ。とりわけヨーロッパ史の中で長い宗教的対立や抗争を重ねた結果として生まれた寛容の要請は、そのことを自ら実証してきたといえよう。したがって、その本来の意味において、それが差し向けられるべき相手は、権力(者)や多数者であって、力なき少数者ではない。後者に(前者に対する)寛容を説くことは、およそノンセンスであるか、あるいは“抑圧を甘受せよ”という抵抗封じ込めの説教になるか、何れでしかないであろう。」(「自衛官合祀訴訟最高裁判決の検討」小林直樹・法律時報60巻10号56頁)
さらに厳密に言えば、この自衛官合祀拒否訴訟と、現在行われている靖国イヤです訴訟とは、全く違う事案になります。前者はあくまでも国の機関である地連の行為の違憲性を問う訴訟で、護国神社を直接被告とするものではありませんでした。現在の訴訟は、国の違憲性を問うだけでなく、靖国神社を直接被告としている点、そしてまた侵害された法的利益を「肉親らへの敬愛追慕の念」としている点が異なっています。したがって、自衛官合祀訴訟での判決をそのまま適用することはできないと言わなければなりません。
次回の公判では、いよいよ、マスメディアからも注目を浴びた新資料に基づく批判が予定されています。靖国神社の合祀に、戦後も国がずっと関わり続けていた実態が、生々しく描かれた膨大な資料の分析に基づき、どのような批判が展開されるのでしょうか。ぜひ傍聴しましょう。
(2007年12月10日 大阪Na)
次回の公判は、12月18日(火)午前11時開廷です。(傍聴券の抽選のためには、午前10時までに大阪地裁正面玄関前にお集まりください。)
(「靖国合祀イヤです訴訟」のHP http://www.geocities.jp/yasukuni_no/でご確認ください。)
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