[投稿]「靖国合祀イヤです訴訟」提訴

 「靖国合祀イヤです訴訟」と名付けられたユニークな訴訟が8月11日に大阪地裁で始まりました。このレポートは、提訴と同時に発足した「共に闘う会」の方からの投稿です。あらたに始まった裁判は、多くの若者を侵略戦争に駆り立て、戦死を奨励し、戦死者を顕彰するための施設、天皇制軍国主義の戦争遂行の精神的支柱であった靖国神社そのものを被告として、その戦争犯罪を問い、遺族の意志を踏みにじる形で行われた合祀の取り下げを求める訴訟です。
 この訴訟の原告には、8月15日の小泉靖国参拝反対闘争でも最先頭で闘った台湾の原住民の人や、箕面忠魂碑違憲訴訟、愛媛玉串料訴訟、そして小泉靖国訴訟などを闘った人たち、さらに肉親の靖国合祀が昨年新たにわかり靖国神社に直接合祀取り下げをねばり強く求めたが拒否され続けているという人などが入っています。その意味でも、この訴訟は、国や首相の靖国神社参拝の違憲性を問う裁判や、自衛官護国神社合祀取り消し訴訟、数々の戦争宣揚のための宗教施設の違憲性を問う訴訟などの闘争の成果を継承する形で提起されていることになります。靖国神社自身を被告席に座らせる裁判闘争、「いよいよ本丸に迫る訴訟」です。
言うまでもなく、靖国問題はA級戦犯問題に限定されるものではありません。靖国神社を追及することは、日本の侵略戦争と戦争犯罪、台湾や朝鮮に対する植民地支配そのものを追及することです。それは、侵略戦争への加担や海外派兵という現代の日本における戦死を奨励する施設としての靖国神社の性格を追及することです。
 新しい裁判は、靖国神社の幾重にも渡る犯罪性を暴きだすでしょう。

※署名事務局では、「靖国合祀イヤです訴訟」の弁護団の一人中島光孝さんを招き、講演会を開催します。是非ご参加ください。
憲法改悪、教育基本法改悪に反対する連続講座
第6回「靖国参拝=政教分離原則の形骸化と思想統制への途」
 講師:中島光孝さん(弁護士・台湾靖国訴訟弁護団事務局長)


2006年9月9日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局

(本文中の小見出しは署名事務局の責任でつけています)


[投稿]「靖国合祀イヤです訴訟」提訴!
靖国神社を相手取ったまったく新しい裁判が始まる

侵略戦争の精神的支柱としての靖国神社を被告とする新しい裁判

 2006年8月11日、靖国神社に親族が合祀されている遺族9名(日本人8名、台湾原住民1名)が、靖国神社と国を相手取り、合祀の取り消しを要求する訴訟を大阪地裁に提訴しました。
 これがまったく新しい裁判であるというのは、靖国神社を被告として、合祀の取り消しを要求しているという点にあります。
 実はこれまでにも合祀取り消しを要求する訴訟がありましたが、それは国を被告とするものでした。また、小泉首相の靖国神社参拝に対して全国6箇所で7つの違憲訴訟が繰り広げられましたが、そこでも主要なターゲットは国と小泉首相であり、首相が靖国神社を参拝することが政教分離違反であるかどうかが主要な争点でした。
 しかし、今回の裁判では、靖国神社の根幹を成すシステムそのものに切り込むことになります。そのシステムとは、戦争で死んだ人々を、天皇の戦争のために役に立ったかどうかという基準で一方的に選別し、その基準に合致した戦死者を「英霊」として祀ることで、見習うべき模範とし、後に続かせるということにあります。
 遺族たちは「分祀」を要求しているのではありません。靖国神社に祀られることそのものを拒否しているのです。

提訴当日の、公安警察による異様な行動規制といやがらせ 

 さて、当日の昼過ぎ、大阪地裁前に原告と支援者が続々と集まってきました。そして、1時半に予定された提訴に向けて、裁判所の外の入り口のそばで列を作りました。先頭には、原告団長の菅原龍憲さんを真ん中に、その両脇に、同じく原告で台湾の原住民アウィーさんと、この裁判の原告ではありませんが、一連の違憲訴訟で「違憲判決」を勝ち取った台湾訴訟の筆頭原告であったチワス・アリさんとが「靖国合祀イヤです訴訟団」と書いた横断幕を持って並び、他の原告と支援者がその後ろに続きました。
 その列そのものは歩道全体に広がってはいないのに、報道陣が取り巻いたために、一般の人が通りにくくなってしまいました。するとそれを待っていたかのように公安警察官からさっそく、「道を開けなさい!」という強圧的な物言いが飛んできました。
 さらに驚いたことには、公安警察官の1人が「これはデモ行進だ!」「デモ行進の許可を取っていない!」と言い出したのです。裁判所に入ろうとして歩道を少し歩くことが、許可の必要な「デモ行進」になるとは、まったく前代未聞の珍解釈です。
 原告らの列はすぐそばの門から入ろうとしていたのですが、裁判所の方からやってきた係の人が、報道陣が映像をうまく取れるようにと、正面を少し歩いて20〜30メートル先の入り口から入るよう指示をしました。その指示に従って列が動き出すと、さきほど「デモ行進」云々を叫んでいた公安警察官が「だれがこんなことを決めたんだ!」とわめきだしました。私はその様子を見ていて、半ば可笑しく、半ばあきれ果てていました。
 ところが、その直後、もっと深刻なトラブルが持ち上がりました。台湾の報道関係者が、敷地内での撮影をしようとすると、取り押さえられてしまったのです。裁判所というところはまったく奇妙なところで、敷地の外から裁判所を撮影することは自由なのに、敷地に一歩でも足を踏み入れると、そこでの撮影は一切禁止なのです。しかし、記者クラブに加盟している報道関係者は、敷地内でも撮影ができるのです。チワス・アリさんは、台湾の報道関係者が撮影を阻止されたことに抗議の意を表明するために、裁判所に入るのをしばらく遅らせました。
 こうしたいやがらせは、やはり台湾の人々に対する差別意識の現われではないかと思われてなりません。大阪高裁での違憲判決(2005年9月30日)を勝ち取った台湾訴訟も、大阪地裁での一審判決(2004年5月14日)は、これまでの違憲裁判の中で最悪の判決でした。その時、チワス・アリさんは身を震わせて「台湾はまだ植民地なのか!」と叫んだのでした。小泉首相の靖国参拝を私的なものと判断し、いわば小泉首相の行動にお墨付きを与えるようなものだったのです。(ある意味、あまりにもひどい判決だったので、高裁ですべてをやり直した結果、「違憲」という真っ当な判断がなされたと言えるかもしれませんが…。)

合祀を拒絶する、原告団ひとりひとりの深く強い思い

 その夜、「靖国合祀イヤです訴訟」決起集会と「共に闘う会」の発足集会が行なわれました。私もさっそく「共に闘う会」に入会しました。
 この決起集会では、あらためて、原告および弁護団の紹介がなされました。この時出席されていた原告は、総勢9名のうちの7名でした。そのひとりひとりが、靖国との関わりとこの裁判にかける思いを述べました。亡くなった方のことを思って涙ぐんでいる方もいました。箕面忠魂碑違憲訴訟、愛媛玉串料訴訟、そして小泉靖国訴訟などで、長期にわたって粘り強い活動をしてこられた方もいれば、昨年お父さんが合祀されていることを知ってはじめてこの運動に加わった方もいました。その方は、1年8ヶ月の間に29回も靖国神社と手紙のやり取りをし、これまで知りえなかった貴重な情報を引き出すことに成功しました。そのことは、この裁判を闘う上で大きな武器になることでしょう。
 台湾の原住民アウィーさんは、義父が高砂義勇隊として戦死し、今、靖国に祀られています。また、おじいさんは「霧社事件」(1930年日本の植民地支配に抗して起こった武装蜂起)で、頭目のひとりとして処刑されました。アウィーさんの家族史は、まさに台湾全体が被った侵略と植民地化の歴史そのものです。アウィーさんの思いを裁判所の中で明らかにすることで、台湾での日本の植民地支配の実態が白日の下にさらされていくことでしょう。

「いよいよ本丸に迫る訴訟」−−人格権の侵害を根拠とした靖国神社との裁判闘争

 弁護士の方々は、小泉靖国訴訟ですでにおなじみの方ばかりですが、「いよいよ本丸に迫る訴訟になる。」「今まで一番やりたかった訴訟だ!」と、みなさんたいへん意気軒昂でした。
 そして、靖国神社を相手取って合祀を取り消させるという訴訟が、これまでなぜ行なわれてこなかったのかが説明されました。それは、「合祀」が宗教行為である以上、「合祀の取り消し」もまた宗教行為にあたるのではないかという考えがこれまでの法律の世界の常識だったからです。つまり、裁判所という国家機関が、靖国神社という一宗教法人に、特定の宗教行為をするよう命ずることは、それ自体が政教分離原則に抵触してしまうということなのです。誰よりも政教分離原則を重んじる人々がその原則を自ら破るようなことはできません。合祀の取り消しを目指す人々は、こうしたジレンマに悩み続けてきました。
 しかし、今回の訴訟では、これまで国を相手取った訴訟とは異なる新しい発想の法律構成で臨むことになりました。靖国神社を相手に憲法は使いません。憲法はあくまで権力を縛るものです。この訴訟で使用するのは、民法の不法行為の一般原則(権利侵害から損害賠償請求権が発生する)です。そして原告が靖国神社に侵害された権利は、「人格権に基づく自己決定権」です。靖国神社は遺族に無断で戦死者を合祀することで、死者と遺族とのかけがえのない絆を断ち切ってしまいました。仏教の僧侶であるのに神道の神にされてしまう理不尽、台湾原住民であるのに侵略者である日本の神にされてしまう屈辱、戦争は二度と嫌だと願う人の肉親が「英霊」とされ国家のための死を称揚されることへの怒りと悲しみ…。その人を人たらしめる人格権に対する侵害が行なわれたのは明らかです。最高裁判決でも、「人格権」は確立された権利として通用しています。
 一方、今回の訴訟では国もまた被告として訴えられています。国に対しては憲法が威力を発揮します。戦後、国・地方自治体・靖国神社が一体となって合祀を進めていった具体的な証拠が新たに次々と明らかになってきました。これは当然明らかに政教分離に違反します。
 このように、まったく新しい訴訟に挑むという、困難ではありますが重大な意義のある訴訟の勝利目指して、弁護団の方々はとても意欲に燃えているようでした。

靖国の残酷さを知らしめる闘い−− 「靖国にはA級戦犯こそがふさわしい」

 それから、こうした訴訟の先駆者ともいうべき山口県自衛官合祀訴訟を闘ってこられた中谷康子さんのお話がありました。中谷さんはキリスト教徒で、亡くなった自衛官の夫が護国神社に合祀されることを拒否したにもかかわらず、彼女の意向は無視されてしまいました。彼女は1973年、この合祀取り消しを求めて、国と自衛隊の隊友会を相手取って裁判闘争を闘ってきました。一、二審では勝訴したのですが、88年の最高裁で逆転敗訴してしまいました。
 中谷さんは当時の心境を「最初は何もわからないからこそ“いやです”が言えた」と語り始めました。最初はなぜ自分がこんな立場になったのかわからず、「あなたひとりの裁判ではない」という励ましにも、なかなかそうは思えなかったが、最後には「この裁判は起こるべくして起こったという認識」をもつことができた、「私憤から公憤へ」にたどり着くことができたと自分の心の動きを率直に語りました。中谷さんはこの裁判を通じて「自分が変わった」と笑顔で述べました。そして、まだまだわからないことがたくさんあるがこの裁判でそれを解決してほしい、靖国問題に関わることが自分の解放につながる、と述べました。そして「これで勝利をしなければ日本はどうなる!」という力強い言葉で、話を締めくくりました。

 靖国神社を相手取った合祀取り消しの訴訟は、これを皮切りに、韓国でも、そして沖縄でも次々と提訴することが予定されています。韓国のイ・ヒジャさんから、「靖国の“神”との戦いでは人間が勝つ!」という確信に満ちた言葉が述べられました。
 最後に、この「共に闘う会」の事務局の菱木さんから、この訴訟の意義についてのまとめがありました。現在は、大勢の遺族の中に、「本来はありがたいはずの靖国神社にA級戦犯が祀られているのがけしからん」という考え方があるが、この訴訟を通じて靖国の残酷さを明らかにし、靖国の信者であることが恥ずかしいと思うようになる人を増やしていけば、それが我々の勝利だと。「靖国にはA級戦犯こそがふさわしい」との菱木さんの言葉に、私は思わず賛同の拍手を送りました。
 憤怒と屈辱の涙ではなく、歓喜の涙をもって判決の日を迎えんことを!
(大阪Na)

なお、第1回弁論は、10月24日(火)午後1時半〜 大阪地裁202大法廷にて行われます。
ぜひ傍聴に行って、この裁判を支援しましょう。

靖国合祀イヤです訴訟のホームページはこちらです。
http://www.geocities.jp/yasukuni_no/




【関連記事】
[映画紹介] 『出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦』人間の魂とは何か、人間の尊厳とは何かを問う
−−チワス・アリさんと飛魚雲豹音楽工団の闘い−−