「富田メモ」が明らかにする昭和天皇の無責任と傲慢
小泉首相は靖国神社に参拝するな!
−−改めて昭和天皇と靖国神社の戦争責任を追及する−−


[1]あくまでも8月15日の靖国参拝強行を追求する小泉首相

(1) 7月20日、日本経済新聞は、1975年を最後に昭和天皇が靖国神社の参拝を中止したのはA級戦犯が合祀されたことに不快感を感じたからであるとする富田朝彦・元宮内庁長官(故人)のメモを朝刊一面トップでスクープした。
 このスクープは、小泉首相自らが政治公約として掲げた「8月15日の靖国神社参拝」を強行するのかどうか、「次期総裁候補」安部官房長官の靖国参拝問題ともからめ重大な政治焦点となっているもとで発表され、反対の世論を拡大している。
 さっそく、「ポスト小泉」の閣僚の中では、谷垣財務相が、首相になった場合の靖国参拝を見合わせるという態度を示すなど、総裁選の争点の一つに浮上してきている。

 小泉首相は、これまで世論の反対を押し切り、1月1日や8月13日など「8月15日」をはずしながらも毎年靖国神社への参拝を強行し、中国や韓国など日本の侵略戦争と植民地支配の犠牲となったアジア近隣諸国政府の抗議を受け、その人民の怒りを買ってきた。それは、「つくる会教科書」、「竹島問題」、「尖閣諸島問題」等々と共に、アジア外交を破壊してきた。
 しかし、そのような内外からの批判にもかかわらず、小泉首相は、「靖国に何回行ってもかまわない」、今回の富田メモについても「心の問題だ」などと露骨な挑発的発言を繰り返し、強硬姿勢を変えていない。今年の夏は、小泉首相にとって政治公約を実現する最後の機会として、8月15日の靖国参拝を強行する危険性はかつてなく高まっている。


(2) 日本にとっては敗戦の日である8月15日は、アジアの人々にとっては日本軍国主義からの解放の日である。その日に、侵略戦争を遂行して死んでいった人々を神として祀る靖国神社に首相が参拝することは決して許されることではない。日本政府が、自衛隊を恒常的な海外派兵ができる侵略部隊へと改変し、中国や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を想定した軍事力の強化と日米同盟の強化、米軍再編、基地移転と司令部移転を進めているもとで、極めて危険な外交的挑発行為となる。絶対にやめるべきである。

 しかし、「A級戦犯が合祀された靖国神社に参拝しない」という富田メモの中身が、いつの間にか「天皇も堂々と参拝できるような本来の追悼施設の建設」にすり替えられ、A級戦犯分祀論、新たな追悼施設の建設論を勢いづかせているのである。これは、過去の侵略戦争を美化し、正当化するための極めて危険な動きである。また露骨極まりない天皇の政治利用である。私たちは、小泉首相の8月15日靖国神社参拝に断固反対するとともに、侵略戦争に尽くした者の死を称揚するいっさいの動きに反対する。



[2]天皇の戦争責任を糊塗するための新たな“神話”作り−−最大の戦争犯罪人昭和天皇を「平和主義者」に祭り上げるマスコミ

(1) かねてから日本の財界は、小泉首相の靖国参拝が、中国への経済進出を強化しようとする財界の意図に対する障害になっていると考え、今年の5月9日には、経済同友会が小泉首相の靖国参拝中止を公然と求める提言を公表するまでになっていた。今回の日経新聞のスクープは、こうした財界の意図にストレートにそったものである。
※今後の日中関係への提言−日中両国政府へのメッセージ−(経済同友会)
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2006/pdf/060509.pdf

 日本の財界は、一方では、世界に利益と権益を求めてグローバル展開をし、ブッシュの戦争政策に加担し、自衛隊のイラク派兵と恒常的な海外派兵を提言しながら、他方では、中国や韓国との、特に中国との外交関係を修復することを至上命題にするという関心から、アジア人民と政府の感情を逆撫でする靖国参拝については、自粛を求めてきた。
経済同友会イラク問題研究会・「恒久法」意見書−−−武力を背景に企業の海外進出や「復興ビジネス」を目論む驚くべき提言(署名事務局)


(2) 日経新聞のこの記事を受けて、他紙も夕刊で一斉にこの問題を報じた。しかし、靖国神社参拝に対して批判的な立場をとってきた新聞の多くが、判を押したように、「天皇の平和の御心」などと侵略戦争の最高指導者であって最大の戦争犯罪人である昭和天皇を「平和主義者」に祭り上げはじめた。A級戦犯の靖国合祀は天皇の心に反する−−このようなイメージだけが作り上げられ、その様な観点から、靖国神社とそれに参拝する首相を批判するという雰囲気が作られているのである。朝日新聞と毎日新聞は、さっそくその線に沿った方向に世論を誘導するために世論調査を行い、公表している。
※次期首相の靖国参拝、反対60% 本社世論調査(朝日新聞)http://www.asahi.com/national/update/0725/TKY200607240658.html
※<毎日世論調査>次期首相の靖国参拝「反対」が54%(毎日新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060724-00000012-mai-pol
 もともと、世論は小泉首相の靖国参拝には否定的である。しかし今回の調査では、靖国参拝の是非を判断する上で「富田メモ」を重視するか、8月15日をさけるべきと考えるかなど、意図的な中身が盛り込まれている。

 さらに、7月31日の朝日新聞の論説においては、天皇の言動を政治的に重視せよという呼びかけまでが行なわれた。驚くべきことに、この主張は「天皇の政治利用」ではなく、「政治の務め」だなどと、居直っている。朝日新聞社の中では、すでに改憲が行なわれているのであろうか。国民主権から君主主権の憲法へと。
※2006年7月31日の朝日新聞朝刊、若宮啓文論説主幹による「靖国とA級戦犯」では、次のようなことが公然と述べられている。
 天皇は「国民統合の象徴」であるばかりか、過去の経緯から戦没者の追悼に人一倍の責任をもち、その言動が国民に注目される公的存在だ。その天皇が「あれ以来参拝していない」のを公然と無視できるのだろうか。(中略)国民統合の象徴である天皇がわだかまりなく追悼に訪れる場所をどう確保するか。それは「天皇の政治利用」どころか、政治の務めというものだ。

(3) マスコミだけではない。野党もこぞって天皇の言葉を礼賛し始めた。民主党の小沢代表は、「昭和天皇は本当に偉い方」「大御心だ」などと述べ、「天皇も堂々と参拝できるような本来の靖国神社にすべきだ」という主張を展開した。社民党の又市幹事長も「戦争の反省と平和の希求という気持ちが表れた言葉だ」と賛辞を送っている。共産党の志位委員長は、天皇の言う「私の心」を、“靖国派”の破綻の論拠として無批判に歓迎している。天皇の戦争責任を追及すべき野党が、逆にマスコミ同様「天皇の心」を持ち上げる危険な動きである。
※民主・小沢代表「昭和天皇は偉い方」 靖国発言メモで(朝日新聞)http://www.asahi.com/politics/update/0720/010.html


(4)しかし、「富田メモ」で天皇は、あの戦争が侵略戦争であったとも、間違いであったとも何とも言っていない。「平和主義者」でも何でもない。富田メモによると、天皇が言っていることは次の3点である。@靖国神社にA級戦犯が合祀された、A合祀した今の宮司はけしからん、Bだから私はそれ以来参拝していない。それだけである。
※昭和天皇:A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ(毎日新聞)http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060720k0000e040046000c.html

戦前、天皇が、天皇のために戦死した軍人たちの栄誉をたたえる顕彰施設として靖国神社はあった。天皇は、戦中も戦後も当然のように靖国神社に参拝してきた。ところが、A級戦犯がまつられたおかげでそれが出来なくなった。それだけである。その基底には、侵略戦争とそれを担った戦死軍人たちへの賛美があるのである。
※富田メモ靖国部分の全文
 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)

 私たちは、富田メモが改めて提起した問題は、昭和天皇自身の戦争責任の問題、昭和天皇こそが最大の戦犯であるという事実であると考える。
 富田メモは、昭和天皇が敗戦以来一貫して、自らの身に戦争責任の問題が及ぶことをおそれ、いかにその回避のために腐心してきたかということを明らかにしている。それは、無責任と責任転嫁、徹底した自己保身、我が身の延命のためにはマッカーサーの前に跪き、沖縄を切り捨てることをも辞さないという自己中心主義である。
 同時に私たちは、「象徴天皇」となった昭和天皇が、30年たった後においても、意識の上では「絶対君主」でありつづけ、A級戦犯となって処刑された部下たちを呼び捨てにし、虫けらのように扱うその傲慢さにあきれるばかりである。
 天皇制軍国主義が行った侵略戦争への反省と謝罪を完全に欠落させ、靖国問題をA級戦犯問題に切り縮め、天皇の戦争責任を糊塗するための新たな“神話”作りを絶対に許してはならない。
 私たちは、この富田メモで浮上してきた靖国神社と昭和天皇の戦争責任問題についてあらためて検証し、批判していきたい。



[3]天皇が靖国参拝をやめたのは、A級戦犯合祀によって自らの戦争責任問題が再燃することを恐れたためではないのか

(1) 主要メディアの「天皇=平和主義者」の大合唱とは裏腹に、このメモの発見が、天皇を崇拝する右翼の論客に大きな打撃を与えたのは間違いない。彼らは、昭和天皇が1975年を最後に靖国神社参拝を中止したのは、1975年8月15日、当時の三木首相が私人の立場で靖国参拝をしたことをきっかけに、野党やマスメディアが政教分離問題で騒ぎ立てたためであって、A級戦犯の合祀とは何の関係もないと言い張り続けてきたのである。
 しかし今回、天皇自身の言葉で、A級戦犯合祀問題と参拝断念との関係が明らかにされた。しかも、彼ら右翼勢力が最も受け入れがたい事実、すなわち、A級戦犯=東京裁判での判決を天皇が受け入れていることが示された。
※右翼勢力とその論壇は、東京裁判を「勝者の裁判」として否定してきた。従って「A級戦犯」を断罪する判決も否定してきた。そこでは、東京裁判が同じ帝国主義国としての米国によって主導されたことをもって、日本の民族主義を煽る形で議論されているのであるが、それは東京裁判の別の側面を完全に無視している。東京裁判が、日本帝国主義によって侵略された中国、朝鮮をはじめとする諸国人民の反帝・民族解放闘争、当時のソ連社会主義の戦い、全世界的な反ファッショ闘争の圧力の中で行なわれたという側面である。東京裁判を突き動かしたこの2つの勢力は、アジア・太平洋戦争の戦争責任、とりわけ天皇の戦争責任をめぐって鋭く対立した。つまり、一方では、米国が対日単独占領支配を大急ぎで確立し天皇を最大限利用するために、最大の戦犯である昭和天皇を免罪したのであるが、他方では、代わりにごく少数の「A級戦犯」に全ての戦争責任を負わせて、天皇を筆頭とするその他数多くの戦争指導者たちを免罪にしたのである。

 だからこそ、彼らは、天皇が不快感を示したのは、メモで名指しされていた松岡、白鳥の二人だけであって、A級戦犯全員に不快感を示したものではないという曲解や、さらには、メモの信憑性そのものを疑う見解さえ出てきている。天皇に累が及ばないよう自らの命を犠牲にした“股肱の臣”を、当の天皇が見捨てるような発言をするなどということはありえないというのである。自分が信じたくない事柄は存在しないことにしてしまうというのは、彼らの常套手段なのであろう。


(2) それでは、一体どのような意味でA級戦犯問題と天皇の靖国参拝断念とは関係していたのか。なぜ、A級戦犯が合祀されたことで、天皇は靖国参拝を断念せざるを得なかったのか。天皇の最後の参拝の年であった75年と78年の経緯を見ることによって私たちは、その関係を見ることができる。
 天皇は、戦後の1945年から1975年までの30年間に靖国神社を8回参拝した。およそ3、4年に1度の割合での参拝であった。現在の小泉首相のように毎年参拝していたわけではないし、75年をもって、以後の参拝はしないという表明をしたわけでもなかった。
 確かに、右翼連中が言うように、敗戦・被爆30周年の1975年は、天皇の戦争責任問題にとって、まさに重要な年であった。しかし、75年を問題にするとき、彼らが触れたがらない重要な事実がある。8月15日に三木首相が靖国神社を参拝し、それが天皇の靖国参拝と戦争責任問題にまで発展したのである。
昭和天皇は、1975年10月31日、訪米時のホワイトハウスでの晩餐会での記者会見で戦争責任について質問され、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」というあの有名な答弁を行ったのである。すなわち、天皇は記者会見の場で、客観的に戦争責任を追及されるという事態に陥ったのであった。結局天皇は、その年の11月に、そうした批判を無視する形で参拝を強行しているが、このような一連の事実が、天皇自身の靖国参拝の意向に影響を与えたのは間違いない。そして、A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは、それから3年後、ちょうど天皇が次の靖国参拝をする時期にあたる1978年であった。


 戦後3、4年に1回、当然のごとく靖国神社を参拝していた天皇が、75年、三木首相の靖国神社参拝をきっかけに、戦争責任の問題を追及され狼狽し、恥知らずな回答を余儀なくされ、さらに78年のA級戦犯合祀によって、自分の戦争責任が再燃する可能性が出てきた。天皇が身の危険を感じたのは容易に推察できる。A級戦犯が合祀された下で、自らの戦争責任問題に追及が及ぶ危険を冒してまで靖国参拝を強行するのか、そして記者会見で妄言を吐かされた75年のような状況を再現させるのか、それとも参拝を断念するのか。問題はこのような形で存在していたのではないか。


(3) 富田メモがつくられた、したがって、昭和天皇がこの発言を行った1988年もまた、天皇の戦争責任の追及にとって極めて重要な年であった。天皇の死期が迫り、「Xデー」が取りざたされる中、天皇の存命中に戦争責任を明らかにさせなければならないという気運が、反戦平和、民主主義陣営の中で高まっていた。その中で、韓国教会女性連合会のメンバーが、「従軍慰安婦」の足跡を追う調査を開始し、「挺身隊研究委員会」設置した。そして、ねばり強い努力の末、1991年、元「従軍慰安婦」金学順さんが名乗りをあげた。これは大きな衝撃であった。皇軍による戦時性暴力と天皇の戦争責任を追及する運動は勢いを増した。そのような闘いは、2000年12月8日〜12日東京で行われた「女性国際戦犯法廷」に結実する。加害国日本、被害6カ国、女性人権活動家などで構成する国際実行委員会によって開廷されたこの法廷は、日本軍性奴隷制=日本軍「慰安婦」制度を裁き、4人の裁判官が、当時の国際法に照らして、天皇有罪と国家の責任を認定する判決を下したのである。
 「従軍慰安婦」という最も忌まわしい戦争犯罪の追及の歯車が大きく動き出した1988年に、天皇が自らとA級戦犯との区別を「告白」した事実は、決して偶然ではないだろう。
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[4]最高権力者として戦争を遂行しながら、一貫して自らの戦争責任を回避し続けた昭和天皇

(1) このメモが長らく表に出てこなかった理由は、誰もが唖然とするような、あまりにも無責任な昭和天皇の姿勢にあると思われる。このメモは、昭和天皇は自分の部下に戦争責任を押し付けて自らの保身を図る人物なのだということを端的に示している。それは、およそ一国の元首であった人物、軍の最高責任者であった人物としては、最低最悪の無責任な態度である。そうしたことを理解していたからこそ、富田氏は、自分が生きているうちにこのメモを表に出すことは、ついには、しなかったのであろうし、新聞の論評の中でも指摘されているように公表を前提にはしていなかったのかもしれない。

 昭和天皇にとって、日本国民の命は、自らの命や地位の安泰と比較すれば、鴻毛より軽いものであった。そのことは、多くの事実や資料によって裏付けられている。

〈自らの保身=「国体護持」を理由に早期講和を拒絶して多大な犠牲〉
 1945年2月に、敗戦はもはや必至として早期講和を進言した近衛文麿に対して、天皇は「もう一度戦果を挙げてから」として、これを拒絶した。この後、3月には東京や大阪など人口密集地への大空襲と沖縄への艦砲射撃が開始され、6月には沖縄占領、8月には広島、長崎へ原爆が投下された。こうした数多くの犠牲よりも、降伏した場合に天皇の地位、いわゆる「国体」が守られるのかどうかという懸念の方が優先された。ソ連の参戦によって満州に展開されていた関東軍が壊滅し、最後の切り札を失ってはじめて天皇は「聖断」を下したのである。

〈真珠湾奇襲攻撃の責任を東条英機に転嫁〉
 1945年9月、敗戦直後のこの時期に、昭和天皇は、米国のニューヨーク・タイムズの記者とUP通信(現UPI)の社長と会見し、彼らの質問に答える形で、真珠湾への奇襲攻撃は当時の首相であった東条英機の独断であったとの回答を行ない、責任転嫁を図った。
 このことは、当時すでに世界中に報道されていたが、朝日新聞の7月26日の朝刊で、これを裏付ける宮内庁の記録が発見されたことが報道された。
※昭和天皇が海外記者と会見 宮内庁で文書控え見つかる (2006年07月26日朝日新聞)http://www.asahi.com/national/update/0725/OSK200607250185.html

 朝日紙面では、その回答が「天皇に対する責任追及を回避する意図がある」とあり、昭和天皇の戦争責任を問題視する視点があったが、その夜のテレビ朝日系「報道ステーション」では、昭和天皇が戦争放棄を真っ先に主張したことに焦点が置かれていた。平和憲法はあたかも昭和天皇のイニシアティヴで作られたかのような印象を与え、意図的な世論誘導を感じさせた。

〈自らの戦争責任を回避するための、東京裁判への弁明書「独白録」作成〉
 1946年3月、天皇はその側近の4人に対し4日間に亘って独白を行ったが、その中身は詳細には知られていなかった。ところがこの側近の1人である寺崎英成氏の遺品の中からそれが発見され1990年に公開された。天皇は戦争の回避と早期終戦を望んだが、軍部の暴走によって不可能であったなどとする独白録は、侵略戦争の責任が天皇ではなく、軍部にある証拠とされた。しかし、この「独白録」の意味について大論争が起こり、その後、英文の独白録が発見されるに至って、東京裁判での天皇への訴追を免れさせるために占領軍が弁明資料として作らせ提出させたものであることが明らかになった。1946年4月28日に、東条英樹元首相以下のA級戦犯28名が起訴され、天皇は免れた。

〈米軍による沖縄の軍事支配を要望〉
 さらに1947年9月には、天皇の顧問であった寺崎英成氏が、GHQ政治顧問のシーボルトを訪問して、米国が沖縄を軍事占領することを天皇自身が望んでいると伝えた。日本国内で最も多くの犠牲を払った沖縄を米国に差し出したのである。沖縄はこれにより、現在に至るまで米国の基地帝国主義の支配を受け続けている。
※「沖縄戦の記憶」中の「沖縄戦関連の昭和天皇発言」 (沖縄戦の記憶・分館) http://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/okinawasendetakan/syowatennohatugen.html

 言うまでもなく、ここにあげた事例は、多々ある昭和天皇の戦争責任と責任逃れの証拠のごく一部にすぎない。日本国民に対してすらこのような態度をとっている昭和天皇が、朝鮮や台湾への植民地支配や、中国や東南アジア諸国への侵略についてどう考えていたかは、推して知るべしである。


(2) このような昭和天皇を、マスメディアはこぞって「平和主義者」として、そして、軍部に騙されて心ならずも戦争に応じざるを得なくなった、一般国民と同じ戦争の“被害者”であるかのように描き出してきたし、今もそのように描こうとしている。
 例えば、読売新聞の7月21日付の社説にはこうある。
「昭和天皇は、一貫して戦争を回避することを望みながら、立憲君主としての立場を踏まえて積極的な発言は控えたとされる。」

 大日本帝国憲法をもう一度読み直してみよう。そこには「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規によりて之を行ふ(第四条)」「天皇は陸海軍を統率す(第一一条)」「天皇は戦を宣し和を講し及諸般の条約を締結す(第一三条)」とある。憲法のどの条項も、天皇が日本の政治、軍事、外交のすべてにおける最高責任者であることを規定している。天皇はまた「大本営発表」しか知らされることのなかった一般国民とも異なり、御前会議において詳しい戦況を知る立場にもあった。そして時には、前述のように、戦略上のことにも直接口を出していた。
※大日本帝国時代の天皇は、18世紀以降のイギリスの「君臨すれども統治せず」といったような立憲君主とはまったく性格を異にし、むしろ絶対王政時代の君主に限りなく近い。ヨーロッパでは、王権神授説により、王の権威は神に由来すると信じられていたが、日本の天皇はさらにその上を行く。天皇は神の子孫であり、神そのものであると信じられていた。「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す(第一条)」「天皇は神聖にして侵すべからず(第三条)」という条項は、この帝国憲法が、封建制や絶対王政との闘いの中から国家権力に制限を加えることを目的として生まれた他の近代憲法とは正反対の性格のものであることを示している。天皇の絶対的な権力にお墨付きを与える一方、「臣民」の権利に対しては法律や詔勅でいくらでも縛りをかけることができるものとなっている。(現在の憲法改悪を目指す勢力にとっては、このような憲法こそが理想なのではあるが。)[大日本帝国憲法の条文については、読みやすくするために、カタカナはひらがなに転換した。]

 このような立場にあった昭和天皇が、自分の責任を棚上げして、自分のために刑死した人々を非難するなどということは、到底許されるべきものではない。



[5]A級戦犯だけが問題なのではない――「感情の錬金術」を行なう施設としての靖国神社

(1) 靖国神社をめぐる問題では、A級戦犯の合祀だけが問題であるかのような報道がなされてきた。この富田メモ報道もまたその例に漏れない。ここから当然の論理的帰結として、A級戦犯の分祀や、あるいは、無宗教の国立追悼施設の建設によって、この問題を解決しようという方向に拍車がかけられている。
 しかし、靖国問題をA級戦犯合祀問題と捉えることは、この問題を極度に矮小化することにつながる。日本の侵略戦争そのものを賛美する施設としての靖国神社、さらには今後日本がおこなうであろう侵略戦争への加担や海外派兵における戦死を奨励する施設としての靖国神社の性格を覆い隠すものとなる。
※もちろん、靖国問題をA級戦犯問題に絞り、日中の友好・善隣・協力という政治・外交関係を前面に押し出している中国政府の立場と、自国日本の侵略戦争を徹底して追及しなければならない私たち日本の反戦運動の立場とは区別しなければならない。

 さらに、A級戦犯のみを問題にすることで、15年戦争以前に日本が行なった数多くの戦争と台湾と朝鮮に対する植民地支配についての責任もまたすっぽりと抜け落ちてしまっている。これらの植民地支配については、東京裁判でも問題にされることなく、今日の小泉首相の靖国参拝訴訟等を通じた台湾や韓国の遺族たちの心の叫びによってようやく日本の司法の俎上にのせられたのである。
※「台湾島がわが領土となって以来、そこに棲んでいる蕃人蕃族をどうして治めてきたか、またこれまでには、どれだけの尊い犠牲を払ってきたかを紹介しようと思う。」「蕃人の相手はわけもないように思われるが、その実決してそうではない。(中略)討伐に携わる人々の、辛酸労苦というものは実に大したもので、同じ御国のためとは云いながら、文明の敵を対手として花々しく戦場で討死を遂げたのと、これとを比べるとその差はまた格別であるから、我々はこれ等の人々に対しては多大の感謝と同情を表さねばなるまい。」(『靖国神社忠魂史』による。高橋哲哉氏の『靖国問題』で紹介されている。)


(2) 靖国神社というものの本質は、『靖国問題』の著者高橋哲哉氏の言葉によれば「感情の錬金術」――戦争で愛する者を失った悲しみを国家の役に立ったという喜びへと転換すること――を行なう装置である。
※『靖国問題』では、「感情の錬金術」の典型的な例として、1939年に『主婦の友』に掲載された「母一人子一人の愛児を御国に捧げた誉れの母の感涙座談会」という記事を示している。息子を失った母たちはみな「浄福感」を口にしてやまない。
「あの白い御輿が、靖国神社へ入りなはった晩な、ありがとうてありがとうてたまりませなんだ。間に合わん子をなあ、こないに間にあわしとてつかあさってなあ、結構でございます。」
「私らがような者に、陛下に使ってもらえる子を持たしていただいてな、ほんとうにありがたいことでござりますわいな。」
「靖国さまへお詣りできて、お天子様を拝ましてもろうて、自分はもう、何も思い残すことはありません。今日が日に死んでも満足ですね、笑って死ねます。」

 このような役割を果たすことができるなら、それは何も靖国神社である必要はなくなる。むしろ無宗教の国立追悼施設の方が、スマートな形で――国際的にも認知を得た形で――、その役割を果たすことも可能になってくる。



[6]新たな追悼施設の危険性−−侵略戦争を美化する一切の動きに反対する

(1) 現在の政財界においては、内外からの批判が強い今のような靖国神社のあり方に見切りをつけて、新たな形で国家による死者の顕彰を行なおうとする部分と、かつて絶大な威力を発揮した天皇崇拝にあくまでもこだわり靖国神社そのものに固執する部分との二つがせめぎ合っている。そして、今回の富田メモは、前者の勢力が後者に対して、靖国神社の“神通力”に打撃を与え、膠着状態に陥っている対アジア外交を立て直すきっかけとして持ち出してきたのであろう。

 このように、天皇の発言をまるで“神託”ででもあるかのように扱って靖国神社に対する批判を行なうことに、私たちは絶対反対である。今回の天皇発言が靖国神社公式参拝賛成論者の論陣を批判する内容を持っていることで、天皇が政治的な発言をする(それも死んだ天皇が!)ことに何らの反発も感じずに受け入れ、それに慣らされてしまう危険性が大いにある。すでに述べたように、野党や新聞の社説までが「天皇の心」を尊重すべしという見解を表明し、昭和天皇の発言を巡る世論調査までが行なわれている。
 しかし、彼らが尊重すべきという「天皇の心」とは、「大東亜共栄圏」を掲げて植民地支配を拡大し、侵略戦争を遂行し、泥沼化・敗戦し、挙げ句の果てに自己の責任を回避し続けたという心ではないか。私たちが思い起こすべきは、侵略戦争と植民地支配、皇軍による数々の蛮行に苦しめられ、抵抗し、日本帝国主義を敗北に導いたアジアの人々の心ではないのか!


(2) 私たちは、靖国神社という復古主義的な形での戦死の美化だけでなく、新たな追悼施設による新しい形で国家に尽くした者の死を称揚しようとする動きに対しても、同様に警戒しなければならない。それは憲法改悪と教育基本法改悪により、国家のために死ぬことを厭わない国民作りを目指す政財界の動きと軌を一にしているからである。
 これまで、靖国神社は、合祀の取り消しについては、A級戦犯についても、また、植民地出身者などの遺族による再三の合祀取り消し要求に対しても、それは教義上一切できないとはねつけてきた。ところが、この富田メモが発表されて以降、その態度に変化が生じた。7月26日、靖国に「合祀」されている韓国人生存者に対して、手続きの不備を認めて合祀対象から外すという内容の手紙が届いた。これまで、このような訴えをことごとく無視してきた靖国神社が、このような態度を見せるのは初めてであり、これを皮切りにA級戦犯に対しても、何らかの理由を設けて、合祀の取り消しを行なう可能性がある。
※2006年岩手日報7月26日 不備認め合祀対象から削除  韓国人生存者に靖国神社(岩手日報) http://www.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-bin/newspack.cgi?world+CN2006072601004951_1
 一度合祀されたものは何が何でも分祀できないと主張してきた靖国神社がこのような姑息な形で自らの主張を修正し始めている。マスメディアは、このような動きを白日の下にさらして公然と議論すべきである。

 天皇も首相も参拝できる施設として、A級戦犯を分祀した靖国神社が登場する可能性が出てきた。靖国問題をA級戦犯合祀問題としてのみ取り扱うことの危険性がますますはっきりしてきた。

 もちろん、小泉首相の靖国参拝について、私たちは絶対に反対である。小泉首相は「8月15日の靖国神社参拝」を公約し、政教分離原則を踏みにじり、戦争と植民地支配の被害者の心を踏みにじり、違憲判決を突きつける司法(2004年4月7日の福岡地裁判決および2005年9月30日の大阪高裁判決)に対してもそれを無視して参拝し続けている。
 今年6月23日に、一連の小泉靖国参拝訴訟で初の最高裁判決が出されたが、それは、憲法判断をしないまま上告棄却の判決を言い渡すという、「憲法の番人」たる役割を完全に放棄するものであった。最高裁は憲法判断を回避することで、小泉首相の違憲行為を勢いづかせるという犯罪的な役割を果たしている。
 小泉首相の靖国参拝および、戦争の美化と国家宗教の復活につながる一切の行為を私たちは糾弾する。
書評『靖国問題』(署名事務局)
改めて台湾訴訟大阪高裁判決の意義を再確認する (署名事務局)

2006年7月31日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局





[小泉首相の靖国神社参拝反対行動]

 小泉首相の靖国参拝に反対する行動が各地で提起されています。ぜひ参加しましょう。東京と大阪における行動提起を紹介します。



[東京]

平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動

●キャンドル行動日程
8月11日(金):18:30 屋内集会 → 霞ヶ関キャンドルデモ
8月12日(土):19:00 銀座キャンドルデモ
8月13日(日):15:00−19:00  屋内集会(地下鉄「神保町」・日本教育会館ホール)
      第1部 講演・証言・アピール
      講演=高橋哲哉(東京大学教授)
      証言=李 金珠(光州遺族会長/夫がタラワ島で戦没、靖国神社に合祀)
      金城 実(彫刻家/沖縄靖国訴訟原告団長)
      チワス アリ(台湾立法院委員/靖国アジア訴訟原告団長)
      アピール=李 煕子(合祀取消訴訟韓国人遺族代表/キャンドル行動実行委共同代表)
      第2部 コンサート
        台湾=「飛魚雲豹音楽工団」/韓国=「朴保」さんライブ
      集会終了後(19:30〜) キャンドルデモ
8月14日(月):野外イベント & キャンドル人文字(地下鉄「外苑前」・明治公園)
      13:00〜18:00 野外展示 & コンサート
      18:00〜20:00 2000名の参加者によるキャンドル人文字づくり
8月15日(火):早朝  抗議デモ

●「キャンドル行動」についての問合せ先
平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会
東京都新宿区三栄町八番地三栄ビル6F 四谷総合法律事務所気付
TEL:03-3358-5793 FAX:03-3351-9256
e-mail:peacecandle2006@yahoo.co.jp
HP:www.peacecandle.jp
平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会
【共同代表】今村嗣夫(弁護士)、小田 実(作家)、東海林 勤(牧師、高麗博物館理長)、菅原龍憲(真宗遺族会、靖国アジア訴訟団原告団長)、徐 勝(立命館大学コリア研究センター長)、新倉 修(日本国際法律家協会会長)、西野瑠美子(「女たちの戦争と平和資料館」館長)、針生一郎(美術評論家)、李 仁夏(大韓川崎教会名誉牧師)、山本俊正(日本キリスト教協議会総幹事)、金城 実(彫刻家、沖縄靖国訴訟原告団長)、李 海学(牧師、韓国実行委員長)、高金素梅(台湾立法委員、靖国アジア訴訟原告団長)、李 煕子(韓国太平洋戦争被害者補償推進協議会)




[大阪]

8.9世界連帯行動・水曜デモin大阪
もう待てない!日本政府は被害者らの声に耳を傾けよ

8月9日(水) 18:30〜 地下鉄淀屋橋陸橋北側 大阪市役所南
ミニ集会    18:30〜
ピースウォーク 19:00〜(淀屋橋〜大阪駅前)
スタンディング&パフォーマンス19:20〜20:00
当日は「河内音頭水曜デモバージョン」を踊ります。メッセージを描いたうちわのご用意よろしく。
呼びかけ団体:日本軍性奴隷問題の解決を求める会・大阪

アジア民衆とともに8.15を問う!
小泉靖国参拝を許さない8.10大阪集会

  日時:2006年8月10日(日) 午後6時30分〜
  場所:北区民センター2階大ホール(環状線天満橋駅または地下鉄堺筋線扇町駅徒歩5分)
     入場無料
  内容 「小泉政治全面批判―8.15と靖国」 森田実さん(政治評論家)
     「アジア戦争責任と靖国」 朴 一さん(大阪市大教授)
     靖国アジア訴訟団原告団より 映像を交えたアピール 他
  主催 大阪平和人権センター
     日朝日韓民衆連帯8月行動実行委員会
     (ヨンデネット・ユニオンネット呼びかけ)
  協賛 小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団
  連絡先 大阪平和人権センター 06-6351-0793
      おおさかユニオンネットワーク(丹羽) 06-6355-3101
      ヨンデネット大阪 yondenet@e-sora.net

第20回 アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会
  日時:2006年8月13日(日) 午前10時〜午後4時30分
  場所:クレオ大阪西ホール  TEL 06-6460-7800  (地図)
      (JR環状線・西九条駅から徒歩3分) 
  <チラシダウンロード/PDF/228KB>

  午前:死者は「靖国」の外にいる(10時〜12時)
      解説 上杉聰さん(「心に刻む会」呼びかけ人)
      台湾 チワス・アリさん(台湾立法院委員)
      韓国 金 旭さん(強制連行被害者遺族)
      日本 岩淵宣輝さん(太平洋戦史館専務理事)
  午後:首相の靖国参拝をどう考えるか(13時30分〜16時)
      日本 田中伸尚さん(ノンフィクションライター)
      中国 李 秀石さん(上海国際問題研究所日本研究室副主任)
      韓国 南 相九さん(「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」遺骨問題担当チーフ調査官)
  参加費:1300円(前売り1000円・中高生半額)
  主催:「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会」実行委員会
  事務局:TEL 06-6562-7740  FAX 06-6562-5272