ある高校生からの手紙−−有事法制についての質問

 7月中旬、署名事務局に高校3年生のAさんから以下のようなメールが届きました。有事法制についての質問です。私たちとしても、この法律を改めて考える良い機会だと思い、まとめを作ってみました。今の日本の軍国主義化・反動化は、これからの若い世代に深刻な影響をもたらすものです。私たちのHPには高校生や大学生のアクセスもあります。若い皆さんにもぜひ検討してもらいたいと思い、質問と返信を掲載することにしました。

2003年7月31日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




●はじめまして。突然このようなメールをしてしまってすみません。
 私は高校3年生です。今学校で「有事法制」について調べているのですが,わからないことがたくさんあるのでメールしました。質問に答えていただけると幸いです。
 
 1.有事法制とは何か?
 2.有事法制ができることによって何が変わるのか?
 3.有事法制における憲法的な問題点

1は今調べている時点でだいぶわかってきたように思います。ですが、憲法上の問題(主に憲法9条)が難しくてよく分かりません。お忙しいとは思いますが、返信していただけるとうれしいです。メールを打つのは初めてなので、失礼な点もあるかもしれませんが、よろしくお願いします。



●高校生Aさんへ

(1) 遅くなりましたが、質問にお答えします。この法律そのものが非常に包括的なものなので、短く簡潔に答えることはとても難しく、答えが非常に長くなりました。若い君たちにどこまできちんと説明できたのか少々不安ですが、分かるところから辛抱して読んでみて下さい。

 答えの構成は、質問の順番です。「T.有事法制とは何か?」では、[1]で普通の法律とは違うとても包括的な、まるで憲法に取って代わるような「疑似憲法」的な性格を持っていること、[2]では、そもそもこの法律が米国の北朝鮮に対する戦争をするために米国からの強い要求で作られた経緯を明らかにしました。
 「疑似憲法」的性格の問題については、「V.有事法制における憲法的な問題点」に直接つながります。Tの後はVを読むのが良いかも知れません。Vの[1]ではそもそも日本国憲法がなぜ誕生したのか、その誕生の原点、つまり過去の戦争の反省の中に、有事法制のような戦争法が排除された経緯を見るべきではないか、その点を強調しました。[2]では有事法制で現行憲法の三大原則がことごとく否定されていることを明らかにしました。ここで憲法第九条を取り上げています。
 「U.有事法制ができることで何が変わるのか」については2つを区別しなければなりません。まず[1]法律成立後から、この法律が具体化されていく「平時」過程ですでに出てくる色んな悪影響です。次に[2]「有事」発動時の危険性です。ここでは簡単なシミュレーションをやってみました。本当に恐ろしくなります。

 ただ以上はあくまで私たちが考えていることであり、これを参考にあなた自身の考えをまとめていただきたいと思います。どちらかというと本屋さんに並んでいる有事法制を説明する本には触れていない点について触れてみました。後に参考になると思われる本をいくつか挙げますので、機会があればそれらも読んでみて下さい。

 今回、この答えを作ったのは、君たちのご両親の世代に当たる高校の先生や平和運動の市民活動家です。君たちが成人になり社会で活躍する5年後、10年後を見通すとき、有事法制がフルに発動されるような事態になればどうなるか、このまま軍国主義と反動の世の中が進めば一体どうなるか。私たちは非常に心配です。あるいはそうならないためにも、大人の私たちが頑張らねばと思う毎日です。
 今回、若い君たちがこの重要な問題に取り組んでくれることをうれしく思いました。ぜひ継続して取り組んで下さい。そしてわからない点があればどんなことでも質問してみて下さい。私たちにも励みになります。

(2) 先日政府与党が強行採決したイラク特措法は、戦後初めて相手国の民衆を殺し、自分も殺されることを覚悟の上で、「自衛隊」(もはや日本の国を守るというものではありません。侵略の軍隊です)をイラクに派兵するものです。戦争をするために軍隊を送ることなど数年前までは全く考えられなかったことです。

 そのイラク特措法の国会審議の中で、「殺すこともあれば死ぬこともある」「殺すことは人間本来の活動(人間本能)なんだから」(小泉首相)、「危険を冒しながらやろうという国民精神がない限り我が国は発展しない」(山崎拓自民党幹事長)、「消防隊員や警察官だって命をかける」(福田官房長官)等々、自衛隊員に「殺してこい」「殺されてこい」という発言が公的な場でどんどん飛び出しました。イラクは「戦闘地域」ばかりじゃないかと野党に追及されると、うるさいなぁ、「私に分かるわけがないでしょ」(小泉首相)と開き直る始末。
 どう思いますか?責任ある政治家ならこんな発言は絶対しません。とても軽くて無責任な発言です。本来なら首相や政府の責任者として一番憲法を守らなければならない人たちがこんなデタラメな状況なのです。彼らには真剣さ、まじめさなどこれっぽっちもありません。国家が成り立つ基本である憲法をないがしろにするような人たちが今政治を取り仕切っているのです。彼らは安全な場所で「突撃ーッ」と命令だけしていれば済む人たちです。人間を殺したり殺されること、戦争の重さと悲惨さが分からない人たちです。他国の人々はもちろん自分の国民の命を何とも思わない人たち、戦争という重大で深刻な問題をこんなにも軽く他人事のように扱う人たちが、まるで凶器のような危険な法律を発動し運用する。実はこれが有事法制の最も恐ろしい本質なのかも知れません。

(3) なぜ彼らがこんなに無責任なのか。その一端は小泉政権が自分で外交政策を決めていないということにもあります。ブッシュのアメリカに言いなりだからです。「イラクへ行け」「はい行きます」。「逆らうイラク人を殺せ」「はい殺します」。「アメリカのために死ね」「はい死にます」。要するにこれがイラク特措法なのです。
 日本にはちゃんとした平和憲法がある。紛争を戦争ではなく平和的外交的手段で解決するので、あなたたち米国と軍事行動をしない、となぜ毅然と断らないのか。憲法や法律より米国に付き従うことが信念であるかのようです。今の小泉政権の根本的に誤った姿勢だと思います。こんな政権が支持率40%、50%なのか。不可解でなりません。今の有権者である大人の責任ですが、その結果、日本社会の右傾化の被害を受けるのは若い君たちなのです。何としても現状を変えなければなりません。

(4) 米国のようにどんどん海外を侵略し民衆を殺していけば一体どうなるか。憎まれるのは私たち日本の国民全体です。理由もなく国をつぶされた人たちや家族を殺された人たちが日本に復讐をすることもあるでしょう。世界中から日本は「平和国家」ではなく「軍事国家」と見られるでしょう。
 
 そして更にこんな無責任な政府の下で米の言いなりのまま世界中へ軍隊を派兵することになっていけばどうなるか。(現に次に政府与党は「恒久法」という聞き慣れない名の無制限の「海外派兵法」を作ろうとしています)自分の国を守るためではなく侵略のためアメリカのために死ぬ自衛隊員など集まらなくなるでしょう。

 そうなれば政府与党は次にどんな手を打つと思いますか。そこで出てくるのが学校教育で「お国のために死ぬ」教育をさせようという考えです。義務教育の段階から「国防教育」「戦争を義務と考える精神的な鍛錬」をたたき込む。小さいときから「洗脳」し戦争をしたがる子どもたちをつくることです。日の丸・君が代で学校現場をがんじがらめにするのは、その手始めにすぎません。「徴兵制」がすぐに出てこないとしても、兵士が集まらないのなら学校教育を通して、なりふり構わず無理に集めようとするでしょう。
 ここまで来れば、君たちやその子どもの世代は他人事ではなくなります。自衛隊員だけの問題ではありません。かつて戦前のように戦争に明け暮れた時代、このようにして天皇を崇拝し、天皇のために死ぬことを美徳とする教育を通じて大勢の兵士が生み出されたのです。その意味で学校教育はとても大切なのです。

(5) 一昨年の米同時多発テロ事件以降、日本社会はかつてないほど軍国主義化・反動化が進みました。全て「日本の防衛」とは無関係なことです。一昨年のテロ対策特措法はインド洋に海上自衛隊の自衛艦を派遣することが目的でした。そして上で述べたイラク特措法は陸上自衛隊をイラクの戦場に派兵するものです。「恒久法」は、えーい面倒くさい、いつでもどこでも軍隊を米軍の下請け部隊として派兵できるように新法を作ろうというものなのです。どれもこれも「日本が攻撃される」、「日本をどう守るか」ということではありません。米軍の世界的な侵略戦争と軍事介入にどこまでくっついていくか。そういうことなのです。

 有事法制も「日本を守る」法律ではありません。実は9年前、米国が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に戦争を仕掛けようとした際に、韓国が反対しただけではなく、日本にも自衛隊や国民を丸ごと動員する体制がなかったために戦争に踏み切れなかった経緯があったのです。その後、北朝鮮と戦争をしたい勢力は、米政府と一緒になって有事法制の制定をずっと追求してきたのです。今度こそは攻撃してやるという訳です。一言で言ってしまえば、有事法制とは、北朝鮮を米軍と一緒に攻撃するために自衛隊と国民を駆り立てる法律なのです。

(6) 日本はかつて朝鮮半島を侵略し植民地支配で多くの朝鮮の人々を殺し傷付けました。戦後も朝鮮戦争で米軍に加担しました。日本には過酷な植民地支配と強制連行で連れてきたたくさんの在日韓国・朝鮮人の人たちが住んでいます。こんな複雑な歴史を持っている隣国と再び戦争することなど絶対してはならないことです。
 今小泉政権を牛耳る戦争好きな人たちが、ブッシュと一緒になって北朝鮮を攻撃したとしましょう。その後始末を強いられるのは戦争を仕掛けた連中ではありません。彼らには責任感などありません。結局私たち一般の国民と君たち若い世代に戦争の結末全部が覆い被さってくるのです。事が起こってからでは遅い。だから今私たちは戦争を起こさせないために頑張っているのです。

 軍隊が好き放題するようになったらその社会は一体どうなるか。君たちは今公開されている「スパイ・ゾルゲ」(篠田正浩監督)という映画を見ましたか。そこには「昭和」に入って軍部が台頭したとき社会がどう壊れていくかを映像で示しています。ぜひ一度見て下さい。君たちの祖父母が小さい頃の時代の話です。切れ目なくずーっと続いた侵略戦争と植民地支配、戦争に反対する言論、自由や民主主義の圧殺、そんな暗い戦前・戦中へ歴史を逆戻りさせるのか、させないのか。今日本は間違いなく歴史的な転換点に立っています。

(7) 最後にあと一言。上で述べてきたのは全て、ブッシュ政権がこのまま続けば・・・、今の小泉政権や自民党政治がこのまま続けば・・・ということが前提になっています。しかしこうした暗い歴史を変えるのもまた人間なのです。特に君たち若い世代です。

 現に明るい兆しが見えてきています。ブッシュ政権はどうやらイラクの民衆を見くびったようです。イラク戦争で短期圧勝した4月はじめの戦勝気運はもはやありません。イラク民衆の抵抗と反対で明らかにイラク戦争は「泥沼化」しています。また米国と世界の人々をも見くびったようです。イラク戦争をやるための唯一の大義名分だった「大量破壊兵器」が結局はでっち上げであったことがばれてしまい、追及を受ける立場となりました。君たちも知っていると思いますが、今年2月、3月にイラク戦争に反対する2千万人、3千万人もの全世界的な反戦平和の大行動が巻き起こりました。この運動は戦争を止めることは出来ませんでしたが、ブッシュ政権に対して、戦争を起こすには大変な反対を覚悟しなければならないことを事実で示したのです。この民衆のエネルギーは今、じわじわと効いてきています。

 米の戦勝気運に悪乗りして次々と戦争法を強行してきた小泉首相も形勢が悪くなってきました。アメリカべったりの小泉政権の調子の良さはあくまでもブッシュの調子の良さがあってのことだったからです。イラク特措法も有事法制も、成立はしたが発動できない、そういう状況を作り出すことは可能です。
 私たちはあきらめず頑張ります。君たちも、平和と民主主義的な精神、社会正義と科学的真理を探求する姿勢を学んで下さい。


T.有事法制とは何か?

[1]有事法制とは、憲法の三大原則を一時的に機能停止させる「疑似憲法」のようなもの。

 今国会でいわゆる「有事法制」に関連する三つの法案が成立しました。「武力攻撃事態法案」「安全保障会議設置法改正案」「自衛隊法改正案」の三法案です。ここでいう「有事」とは「戦争」を意味します。つまり有事法とは、首相が独裁的な権限を持って他国への侵略戦争をするために、自衛隊、自治体、民間企業を、そして国民全体をどう動かすかを細かに取り決めた戦争法のことです。
 この戦争法はこれまでの法律とは全く違った構造を持つ特殊な法律です。もっと言えば、現平和憲法のままでは米軍と一緒に侵略戦争ができない、だからと言ってすぐに憲法を改悪することもできない、手っ取り早いのは戦争をするために平和憲法の機能を一時停止させること、憲法の三大原則を一時的に機能停止させる戦争用の「疑似憲法」のような特殊な法律を作ること。こうしてできたのが有事法なのです。だからこの法律は、憲法の三大原則全部を否定するためにとても包括的な規定を設けているのです。以下に少し詳しく見ていきましょう。

(1)「武力攻撃事態法」――自衛隊が武力行使に踏み切る「武力攻撃事態」というものを定め、国民に協力を強いる。
 「武力攻撃事態法」は、@政府が「武力攻撃事態」という「戦争状態」を一方的に想定し宣言する、A自衛隊が武力行使、戦闘行動を行う、B「武力攻撃事態」を発動すれば地方公共団体や「指定公共機関」(NHKなどです)に戦争への協力を義務付ける、C国民に対してもさまざまな協力を義務付ける、そういうものです。この法律は有事法制の中では最も基本的な法律であり、また包括法(=全部をひっくるめて、一つにまとめた法)と言われます。

(2)「安全保障会議設置法」の「改正」――首相の相談するメンバーを決め、「武力攻撃事態」対処の基本方針を決める。
 次に「安全保障会議設置法」の「改正」。これは他の2つの法律と一緒になって、国会や国民の意見を無視し、首相に独裁的な権限を与える法律にするものです。
 「有事」の出発点、すなわち「武力攻撃事態」とは具体的に何を指し、どういう事態なのか認定することも、内閣総理大臣によってまず安全保障会議に諮られ、その後に内閣で決定されますが、国会にはすべて決定された後に求められる承認(事後承認)だけが求められるのです。

 そもそも安全保障会議というのは、「国防に関する重要事項及び重大緊急事態への対処に関する重要事項を審議する機関」として内閣に設置されることになったものです。そこでは「国防の基本方針」「防衛計画の大綱」などとあわせて、自衛隊の「防衛出動(自衛隊が、戦争や国内の治安維持のために出動することです)の可否」を決定することになっています。その「防衛出動の可否」を「武力攻撃事態法」の提案に対応させて「武力攻撃事態への対処に関する基本的な方針」に改めようというものです。その中にはもちろん、自衛隊の「防衛出動」も含まれます。
 要するに「武力攻撃事態」が発生した時に、内閣総理大臣が一番に相談を持ちかけるメンバーが誰であるのか決めてあり、またそこで「武力攻撃事態」にどう対処するかの基本方針を決めるぞ、ということが書かれてある法律なのです。

(3)「自衛隊法」の「改正」――戦争をするため「自衛隊」を自由に動かすあれこれの条件を定める。
 「自衛隊法」の「改正」。そもそも「自衛隊法」は「自衛隊」に関するあれこれのことが決めてある法律なのですが、今回の「改正」は非常に危険な内容を沢山含んでいます。
−−例えば、防衛出動が命令された時に、施設などへの立ち入り検査を拒否したり、取扱物資の保管命令に違反してその物資を密かに隠したりした者に対して罰則を加えることまで規定しています。
−−また自衛隊員だけでなく、医療(具体的には医師、看護士など)、土木建築(大工さんや職人さん)、輸送(運送会社のドライバー等)に従事する人も戦争に動員することを決めているのです。
 つまりいざ戦争となれば、自衛隊が自由自在に動くことができ、自治体や病院や学校や民間企業を政府と自衛隊が自由に協力させることができるようにするもの、自衛隊の戦争に国民を無理矢理協力させるものなのです。

(4)戦争をするには日本国憲法の三大原則全てを捨てなければならない。
 ここまで読んでもらっただけでも、この法律が日本国憲法の三大原則−−平和主義、基本的人権の尊重、国民主権−−とは随分違う、いや正反対のものであることがわかっていただけたと思います。
@まず「平和主義」がじゃまです。日本国憲法はことにその前文と第九条(戦争放棄)で武力を放棄し、交戦権を否定しています。こんな条文があれば戦争など出来ません。
A「基本的人権の尊重」もじゃまです。戦争をするには自由や民主主義はあってはならないことなのです。集会・結社の自由、思想・信条の自由など基本的人権を尊重しておれば、おちおち戦争などしておれないし、反対する者は弾圧しなければなりません。戦争と基本的人権も水と油なのです。
B国民主権もじゃま。国民を戦争に動員するためには誰かが独裁的な権限を振りかざさねばなりません。かつてドイツではヒトラー、日本では天皇でした。それが今回の有事法制では内閣総理大臣です。このままでは小泉首相が独裁的に権力を振るうのです。ぞっとします。
 以上の点については「V.有事法制における憲法的な問題点」でもっと詳しく触れることにします。


[2]有事法制は、米による対北朝鮮戦争を準備するためのもの。


 有事法制が是か非かについて、政府与党が人々をごまかす最大の「理屈」は、「それでも日本を守らなくてはならない」「備えあれば憂いなし」です。有事法制の国会答弁で政府与党はこのような一般論でしか説明しませんでした。しかし私たちは机上の世界、抽象的世界に生きているわけではありません。「日本を守る」といっても一体どの国のどんな侵攻から守るのか。「備え」とは一体何に対する、どんな「備え」なのか。「憂い」とはどんな憂いなのか。具体的には何一つ説明していないのです。具体的説明が求められているときに、一般論・抽象論でごまかすのは、何か人に言えない魂胆があるからです。その魂胆こそが有事法制の本質なのです。

(1)有事法制は、実際には米国の圧力で作られ、米国の対北朝鮮戦争の時に、米国の大統領の命令で発動される。
 その魂胆とは?−−北朝鮮に対して、米軍が先制攻撃戦争を仕掛ける際に、沖縄を含む日本全体、日本の人的物的資源全体を総動員させようとすること、米軍の出撃拠点・司令部・補給基地として好きなように使える体制を作ることにあります。

 米国が北朝鮮に仕掛けるための戦争に、なぜ日本で有事法制が必要なのか。こんがらがってくると思います。戦後の日米軍事同盟の歴史を語らないと、この問題にはちゃんと答えることは出来ないのですが、ここでは結論だけを述べるにとどめます。
 今、北朝鮮を先制攻撃して壊滅させる戦略を作っているのは日本ではなく米国です。いつ、どんな方法で北朝鮮を攻めるのか。それを決めるのは日本ではなく米国なのです。日本はただその米国の戦争に、出撃拠点・司令部・補給基地として全面的に協力するだけです。まだ日本単独で北朝鮮を攻撃できる装備も態勢もできていません。(今政府・防衛庁はこの対北朝鮮軍拡を加速しているところです。)
 戦後ずーっと日本は米国の軍事戦略に従属する形で「軍事大国化」してきたのです。今では、海上自衛隊、航空自衛隊を中心に、自衛隊は戦略面・指揮命令系統面・装備面・軍事演習の面等々、ほとんど全ての面で恐ろしいほど完璧に米軍の下請け部隊になっているのです。もちろん沖縄を含めて日本全土にある在日米軍基地は、「治外法権」になっており米国が好き勝手に使うはずです。

 実は有事法制を一番要求してきたのは米政府でした。ではなぜ米は有事法制にこだわるのか。それはかつて1993〜94年にかけて米朝関係が緊張した際に、クリントン政権が北朝鮮を先制攻撃しようと一触即発の事態になったことがありました。ところが日本が出撃拠点・司令部・補給基地として使えないことが分かり、結局は攻撃できなかった事情があったからです。それ以降です。米政府が日本に対して「日米安保の再定義」「日米ガイドライン」「周辺事態法」等々、矢継ぎ早に北朝鮮との戦争ができるように法制化・制度化要求が強まったのは。その総仕上げが今回の有事法の制定なのです。一言で言えば、米国が北朝鮮を攻撃したいと思った時に自由自在に日本に総動員体制を敷き、日本国民に戦争への協力義務を押し付ける法律を、米国言いなりの小泉政権に制定させたのだと言えます。

 ところが政府与党は、米政府から要求されている、北朝鮮戦争の準備をしている云々とは口が裂けても言えません。有事法制を作らせたのも、発動の権限を実質的に持っているのも米政府だとは絶対言えないのです。あまりにも恥ずかしすぎ、露骨すぎるからです。北朝鮮の存続か否か、韓国を含む朝鮮半島全体が悲惨な戦場になるか否か、日本をその戦争に巻き込むか否か等々、これらの命運を米国の大統領が握っている。そういう構図になっているのです。恐ろしいと思いませんか。だから私たちは、アメリカべったりの小泉政権を変えなければならない、と奮闘しているのです。

(2)「北朝鮮の脅威」はウソ。米国こそが真の脅威。瞬時に北朝鮮を壊滅させることができる。
 米国の対北朝鮮戦争の道具が有事法制だとすれば、その戦争には正当性があるのでしょうか。ブッシュ政権は対イラク戦争をする際に、「イラクの脅威」「大量破壊兵器の脅威」を騒ぎ立て、今度は「北朝鮮の脅威」を誇張しています。しかしイラクでは大量破壊兵器が見つからず、「証拠」なるものが偽造されたものであることが暴露され、イギリスでは自殺者まで出ています。ウソとでっち上げでイラクに戦争をしたことがばれてしまったのです。今度の「北朝鮮の脅威」のウソも全く同じ論理です。私たちはブッシュ大統領や小泉首相のウソとでっち上げを北朝鮮で繰り返させてはなりません。

 「北朝鮮脅威論」の根拠は、核兵器保有とミサイルです。現に北朝鮮政府は数個の核兵器を防衛力として持っていると発言しました。中距離および長距離ミサイルはすでに発射実験されました。多くの軍事専門家は、たとえあったとしても小型化されていない、従ってミサイルに搭載できない初期段階の核兵器にすぎないと考えています。仮にこれら全部が本当だとしましょう。それがどうだというのでしょうか。

 世界最大最強の軍事大国アメリカは、現に北朝鮮をその巨大な核戦力、陸海空の巨大な軍事力で包囲しているのです。これには日本の在日米軍基地も加担しています。北朝鮮のあるかないか分からない「核兵器」、数少ないミサイルの「脅威」を騒ぎ立て、今にも攻めて来るかのように大げさに描くのは、全くのウソです。北朝鮮の軍事力は、米軍と米日韓3ヶ国の軍事同盟全体の軍事力と比べれば圧倒的に劣勢なのです。北朝鮮の旧装備と人海戦術は韓国へ攻めることは出来ても、従って韓国との間で防衛力になることはあっても、日本や米国の本当に脅威になるような攻撃力とはなりません。北朝鮮側が限られた攻撃力を仮に使おうとしたところで、その瞬間に、米の偵察衛星に常時監視されているその攻撃力は徹底的に破壊されるでしょう。
 いずれにしても事実はまったく逆なのです。本当の脅威は北朝鮮の側にではなく、ブッシュの米国の側にあります。現実にあるのは北朝鮮を包囲する米日韓の巨大な軍事同盟の危険性です。国際政治の現実と軍事バランスを冷静に、また客観的に見れば、「北の脅威」など存在しないというのは軍事的な常識なのです。

 私たちは北朝鮮が今やっているような核兵器を使って対米交渉をエスカレートさせるやり方には反対です。しかし北朝鮮がなぜそうするのかが問題なのです。その背景には、ブッシュ政権の対北朝鮮戦争への恐怖があるのです。北朝鮮の細かな動静は毎日マスコミをにぎわせますが、米国の側の非常に危険な動き−−北朝鮮攻撃戦略をより先制攻撃的なものに変更していること、在韓米軍を配置換えしたり大増強していること、グアムやハワイに攻撃態勢を整備していること、地下施設攻撃用の新型核兵器を開発し実戦使用すること、何よりもイラクへの先制攻撃が北朝鮮に軍事的な脅迫行為になっていること等々−−は全く報道されないのです。こんな一方的なことはありません。「報道の中立性」など全くないのです。日本の国民の目には、動いているのは北朝鮮だけで、米国は全く動いていないと映っています。北朝鮮が脅し、米国は脅されている。そう思い込まされています。しかし真実は全くその反対なのです。

(3)日本が対北朝鮮戦争に参戦すれば一体どうなるか、真剣に考えよう。
 「金正日政権は独裁国家だ」「脅威だ」とTVや新聞で伝えられない日はありません。毎日毎日それらが日本国民の頭にたたき込まれているのです。「まぁ、ここまで悪い奴ならやっつけてしまうのも仕方ないか」と思わせ感覚をマヒさせようとしています。まるでブッシュがイラクに戦争をする前の状況と同じなのです。イラク戦争前に米国系マスコミやブッシュ政権が、これでもかこれでもかと「フセイン脅威論」をがなり立てたことを思い起こしてみましょう。「フセインは独裁者」「大量破壊兵器の脅威」等を大々的に宣伝し、まるで米国よりも恐ろしい強大な軍事国家のように人々を信じ込ませました。これこそを大衆心理操作、マインド・コントロールと言うのです。侵略戦争を起こす際、必ず相手国の指導者や政権に対する徹底的な非難キャンペーンが行われるのです。

 しかしちょっと待てよ。朝鮮半島で一旦戦争が起こったならどんなことになってしまうか、少し立ち止まってよく考えて下さい。それは大変なことです。何よりイラクを確実に上回るかもしれない膨大な犠牲者と破壊が生み出されます。米国にとって、朝鮮半島はどうせ遠く離れた所です。彼らは好き放題しても知らん顔でおれます。しかし韓国内は大分裂し、軍部と国民の間で想像をこえる緊張と闘いが起こるでしょう。悲惨な朝鮮戦争の記憶を持つ民衆は必ず大反対するでしょう。
 日本だって大変です。隣国で起こるであろう大量虐殺、大量破壊に日本が直接の出撃基地、司令部になったりすれば、国論が二分することは間違いありません。
 それだけではありません。北朝鮮の民衆はもちろん、韓国の民衆だって、かつて日本が朝鮮半島に対して行った侵略戦争と植民地支配の悲惨な記憶を呼び覚まし、その張本人日本に対する憎しみを燃え上がらせ、両国民衆は必ずや敵意・敵対感情を持つことになるでしょう。さらには、いやもっと身近な所で、すなわち在日の韓国・朝鮮の人々に対して、政府与党や右翼勢力・右翼マスコミがさらにさらに、敵意と敵対、迫害行為を煽るでしょう、などなど。――言葉では言い表せないほどの対立と分裂、想像を絶する深刻な事態が起こるのです。どんな理由があっても朝鮮半島で戦争を起こしてはならないのです。



U.有事法制ができることによって何が変わるのか?

[1]「平時」から「有事」に備えた「戦争国家体制」作りが進められる危険――法律成立後すぐに始まる危険

(1)有事法制成立後すぐに始まる危険。「有事に備える」を「大義名分」とする軍国主義化・反動化。
 有事法が決まるだけでは世の中は何も変わらないと、一般に思い込まされていませんか?政府・与党や小泉首相が言う通り、「日本が攻められた時に発動される」と信じ込まされていませんか?しかしそんなに甘くはありません。有事法制を推し進める人々はきっと言うでしょう。「戦争になったときでは遅い」「日常的に戦争に備えなければならない」と。私たちがまず強調したいのは、有事法制が発動された前と後に何がどう変化するかという問題以前に(それは[2]で述べます)、法制化された後から「戦争準備」が始まるということです。

 中でも警戒しなければならない最も危険なことは、時間をかけて「戦争国家体制」作りが進行することによって、日本の国家のあり方、憲法の枠組み全体が変質させられる危険です。国内の政治が反動化すること、基本的人権の制限・剥奪、メディア規制、そして日米軍事協力、日米共同軍事行動、在日米軍基地、これらすべてがさまざまな既成事実を積み重ね、「戦争本番」「有事本番」に向けて準備と具体化を積み重ねてゆくことが問題となります。

(2)有事法制関連法を全て通すまでの2年間、国会は戦争法についての議論で一杯になる。
 今後2年間(ただし、それは最低で2年ということ。次から次に反動法が出てくると、それは無制限に延びるでしょう)、さまざまな戦争準備法が予定されています。今わかっているだけでも、電波規制や空域・海域統制、民間防衛、有事版の対米物品役務提供協定(ACSA)関連法などがあります。軍事優先、権利制限、人権抑圧、言論統制などが国会の中心議題となり、戦争法と反動法の審議が目白押しとなるのです。

(3)日米軍事同盟、在沖・在日米軍基地がさらに強化される。
 米ブッシュ政権の新たな戦争拡大準備にさらに危険な形でもっと深く組み込まれることが考えられます。その際、「有事法制発動に備えて」ということが大義名分になります。例えば米第7艦隊旗艦ブルーリッジは、地方自治体の民間港に「有事法制」発動準備のために正々堂々と寄港することになります。
 在日米軍基地が強化され、日米共同軍事演習が恒常化します。特に在沖縄米軍基地が強化され、第7艦隊の基地・横須賀が強化されます。これら全てが「有事法制発動準備のため」なのです。

(4)有事法制「発動要件」の拡大解釈と政権による好き勝手な発動、発動権の濫用。
 中谷前防衛庁長官は、「インド洋展開中の自衛隊艦船に攻撃が加えられればどうする?」との質問に「(有事法制を)発動する」と答えました。この答えをつきつめてゆくと、わざと危険地帯に自衛隊を派遣し、(どこかの国を)挑発して、それをきっかけに侵略を開始するといったとんでもない危険につながります。
 不審船事件が起これば、テポドンが飛べば、ニューヨークでのテロのようなことが起これば等々、「有事法制の発動」か「発動待機事態」に入るのか、その可能性は首相の考えるままに任せられます。つまり発動の「前段階」がどんどんどんどん拡大解釈されて、「発動待機」も含めれば、いつでも、どこででも首相が「非常大権(=旧憲法なら非常時に天皇が行う統治権【国土・人民を支配する権利】)」を振りかざすことができるようになるのです。

(5)「戦争国家体制」作りによって国家のあり方そのものが変わる危険。
 有事法制が制定された今後、どんな速さで、どんな形で「戦争国家体制作り」が進むかは、現実の政治・社会動向、反対派と賛成派の力関係等々で決まっていきます。抵抗が弱い場合と強い場合でも違うし、世界の動向、ことに米国の動向に大きく左右されます。
 以下のまとめは、抵抗が弱い最悪の場合を考えたものです。これは今後どのような反対の闘いがあるかによって内容は変わっていきます。

@軍事・政治・社会あらゆる領域で、国家のあり方そのもの、戦後の国家の統治の仕組み全体が軍国主義的で反動的なものに変質・変容させられる。
 恐ろしいのは、有事法制の制定が日本の政治を転換する画期になるかもしれないということです。政局と政治情勢が大きく右傾化、反動化、軍国主義化する危険性です。有事法制が通過しての今すぐというわけではありませんが、数年かけて変わる可能性は十分あり得ます。日本の政治状況そして社会の雰囲気が根本的に転換し、政治反動化と軍国主義化がエスカレートするかもしれません。

 以下に掲げることが「戦争国家体制作り」の中で具体化され整備されることになると、一体日本はどうなってしまうのでしょう。首相の独裁権限は大きくなり、米軍の戦争への加担、自衛隊の自由自在な行動を認めさせるだけでなく、自衛隊や米軍への協力を(これは憲法で禁止されたはずですが)、社会制度・法制度、社会生活の隅々にまで浸透させ、首相に全面的に従わせようとするでしょう。「有事のために軍に協力するのは当たり前」のようになり、戦争に備えるという名目ですべての人々に従わせるといったようになりかねません。
 このまま何の抵抗もなく進めば、市民一人一人に自衛隊が好き勝手に行う行動への容認や礼賛を迫り、自衛隊・米軍への協力を迫ることになります。これに協力しない市民が「非国民」とされて、他の人々からはじき出され、孤立させられつぶされる危険性だって出てきます。これは戦後初めて出てきた事態です。

−−有事に耐えられる自治体作り、有事に備えた病院作り、有事に備えた民間企業作り。公務員、医療関係者、運輸・港湾労働者、NHK等のメディア関係従業員は、「有事」に戦争協力を義務付けられただけでなく、「平時」からそれを前提に協力が強要されます。反対する者は何らかの「踏み絵」を踏まされる可能性だってあります。
−−「災害演習」が「軍事演習」へ。これまで「災害」対策を名目に各地で行われてきた「災害演習」が、公然と「有事」を想定した「有事演習」に変えられるかもしれません。東京都で過去行われてきた総合的な防災訓練「ビッグ・レスキュー」はその先駆けです。自衛隊の演習にあわせ、自治体職員が土地収用や、物資収用の訓練にかり出されるかもしれません。
−−自治体の戦争協力。自治体はかつて住民を戦争に動員する道具の役割を果たしていました。これから予測される民間防衛法、国民保護法・・・等々は、住民組織(かつて「隣組」といわれた)を作らせ普段から戦争動員に備えさせるかもしれません。
−−有事に耐えられる対米・対自衛隊協力。自衛隊が、また自衛隊と米軍が、有事を想定した演習を公然と始めるでしょう。有事法制は、有事に自衛隊や米軍に自由きままに行動する保証を与えるものです。有事法制成立後の今となっては、自治体、企業、市民の協力を前提に演習は行われることとなります。自衛隊・米軍が一層好き放題に行動するかもしれません。軍の輸送に民間業者を動員する、港湾労働者を動員する、公務員に協力させ、住民の避難や民間防衛をその中に組み込んだり、などなど。平時の演習の段階からすでに深く民間が組み込まれ、普段から軍の指示の下におかれる危険性だってあります。
 米軍艦船が民間港に入港を求めた際、これまでなら政府が「(日米)地位協定で拒否できない」といっても自治体側が拒否することで、実質入港を阻止した事態もありました。しかし、これからはむしろ積極的な協力を要求されます。有事に備えて協力体制を整えろ、平時から協力しろです。米軍は日本の法律に縛られていないし、現にそうであると言い放っています。それに加え、有事法は日本の自治体、企業、市民に米軍への協力を強要するのです。
−−有事に備える学校作り。有事法制は、有事への対処のために「国民の理解を得るために適切な措置を講ずる」(「武力攻撃事態法」21条6項)こととしています。「国民の理解を得る」「適切な措置」を取るための最大の狙いは学校教育にあります。
 今や全国の学校で卒業式・入学式時に当たり前のごとく存在する「日の丸」「君が代」は、国旗・国歌法という本来「国民に強制しない」はずの法律ができた結果、いやそれができただけでほとんどの学校現場に強制されることになったのです。有事法制ができた今、「天皇制賛美」「愛国心の注入」「国防教育」「自衛隊への賛美・協力」などこれまで公然とは教えられなかったものも学校教育の中に公然と持ち込み、教えさせようとするでしょう(「愛国心」を通知票で評価するという「愛国心通知簿」の話はご存じだと思います)。
 学習指導要領を通じて上で書いたようなことを教科書に書かせ、それを教えさせようとするでしょう。有事法を盾に教育委員会と右翼が結びついて、教えない学校や教職員を攻撃することがあちこちで起こるでしょう。
 今のところ押しとどめられている「滅私奉公」「国のため」「命より大切なもの」という価値観が子どもに押し付けられる危険性があります。これらは先頃話題になった「新しい歴史教科書をつくる会」(略称;「つくる会」)が作った中学公民・歴史教科書がもっとも強調するところです。それは「教育勅語」(=明治天皇の名で国民道徳の根源、国民教育の基本理念を明示した勅語【天皇の意思表示の言葉】。旧憲法と並んで戦前・戦中の日本の教育の絶対的なよりどころとなった。教育の根源を天皇の先祖の残した言葉に求めている。)と同じ価値観に立っています。
 また、自衛隊が参加する「有事」に備えた様々な演習に学校や子どもたちが動員される危険性も出てきます。
−−有事に耐えられる国内治安弾圧体制作り。「武力攻撃事態法案」の22条1項ハには「社会秩序の維持に関する措置」が盛り込まれています。要するに有事になれば戦争に反対する者、反戦論者は黙らせなければならないのです。大切なことはこうした法律ができるだけで、戦争に反対する者を孤立させ、反戦運動は押さえつけるべし、との雰囲気を作りだせることです。一般に「非常事態法」「有事法」は「戒厳令」(=非常事態に際し、一切の法律の効力を停止して軍隊が一定地域に出動し、行政権・司法権を持ち、治安の維持にあたることを定めた法令)を含みます。確かに現有事法はこうした強硬手段が今すぐ含まれていなくても、きわめて危険な治安弾圧法だと言えます。

A軍国主義的、反動的、右翼的勢力の発言権の増大と台頭
 中央政治でも、地方政治でも、教育分野でも、マスコミや論壇やイデオロギー分野でも、反対派と賛成派の力関係の中で、軍国主義的で反動的な部分や右翼勢力が活発化し、台頭してくることは避けられないことでしょう。現有事法案を提出した段階で、すでに自民党の若手タカ派や右翼保守反動、自衛隊出身者、制服組など、日本の軍国主義勢力、反動勢力が力を増しているのです。日本のほぼ全部のマスコミが有事法制の必要を認める容認姿勢に立っています。


[2]有事法制が発動されると何が変わるか

(1)有事法制発動は対北朝鮮戦争への参戦を意味する。
 有事法制の発動とは戦争です。具体的には対北朝鮮戦争への参戦を意味します。Tの[2]の(3)の対北朝鮮戦争の惨禍を想像して下さい。かつて日本は朝鮮の人々を36年にもわたって侵略と植民地支配の下で苦しめてきました。その間違った歴史をきちんと公式に謝罪も補償もしないまま再び侵略することになるのです。北朝鮮に対してはついに国交正常化も果たさぬまま侵略することになります。
 日本国内に住む在日韓国・朝鮮人の人々は、政府から極右反動勢力から今に増して激しい民族差別、弾圧や迫害を受けることになるでしょう。私たちは再び彼らの運命をもてあそぶことになるのです。
 戦場になるのは朝鮮半島全体です。米国による北朝鮮戦争が近づけば、韓国では政権が動揺し、民衆は反戦運動に立ち上がるでしょう。日本が韓国世論の反対を押し切って米国の戦争に加担すれば、北朝鮮だけではなく韓国を含む民族的憎悪は米国にだけではなく日本にも向くでしょう。

(2)米国による北朝鮮戦争の時、有事法制はどのように発動されるか。
 以下は北朝鮮戦争の大雑把なシミュレーションです。これから作られる「国民保護法制」や有事関連の個別法が全てフル稼働した場合を想定しています。
−−米政府の対北朝鮮戦争は先制攻撃戦争です。とりわけ核施設に対する先制攻撃が想定されています。米政府とマスコミは一緒になって北朝鮮危機キャンペーンをあおり、北朝鮮を徹底的に悪者にした上で攻め込むでしょう。米政府はぎりぎりまで北朝鮮を挑発し、先に北朝鮮に手を出させるようし向けるはずです。でも、いつ、どのように北朝鮮を攻めるかは最後は米政府が決めるのです。
−−米政府は北朝鮮を攻撃する前に日本政府に通告します。日本政府は米政府の命令を忠実に日本国民に命令し、有事法制を発動し、国家総動員体制を緊急命令します。
−−日本はすぐさま「武力攻撃事態」という有事法制に書かれている戦闘態勢に入ります。日本はこうして対北朝鮮戦争の出撃拠点・現地司令部・兵站基地(いわばイラク戦争で言えば、クウェートとカタールの両方の役割)を果たすのです。米政府とすれば韓国が戦場になるので、北朝鮮から離れておりながら出撃できる日本を最大限利用するのが好都合なのです。米本土から遠く離れていますから、少々日本が北朝鮮の反撃を受けようと、そんなことはどうでも良いのです。
−−有事法制の発動で現行の平和憲法は緊急停止されます。なぜなら米日共同の北朝鮮戦争の際には、「交戦権放棄」条項はじゃまですし、国民にむりやり「戦争協力の義務」「国防の義務」を強いるためには基本的人権などじゃまになるからです。戦争を理由に集会や表現の自由、言論の自由は禁止されます。中でも反戦運動は徹底的に弾圧されるでしょう。
−−米軍や自衛隊は何をやってもいい自由を保証されます。日本本土とその周辺地域で好き放題に軍事行動するため、戦車や航空機を自由自在に動かすために土地や個人財産が没収され破壊され移動させられるのです。
−−地方自治体や病院や公的機関だけではなく、民間企業も戦争へ駆り立てられ、もちろんここで働く従事者・従業員も動員されます。そしてこれに反対すれば罰せられるのです。
−−全国に張り巡らされた「地域防衛組織」(戦前には住民を見張る「隣組」という相互監視組織がありました)が、地域ぐるみで戦争協力を呼びかけ、地域にいる非協力者を探し出すスパイの役割を果たします。軍国主義・反動勢力が政府や米軍の代わりに総動員態勢の先兵になり、言うことを聞かない者や事業体を「非国民」呼ばわりし糾弾を組織します。
−−NHKも民法もメディア全体が国家統制の下に厳重に管理され、世論誘導体制が築かれます。翼賛報道機関が戦争気運を盛り上げ、北朝鮮の悪行を煽り立てます。国民全体をヒステリー状態に持っていくのが目的です。マスコミを利用して国家総動員体制を作りやすくするのです。等々。



V.有事法制における憲法的な問題点

[1]有事法制と憲法はまったく相容れない。下位の法律(有事法制)が最高法規(平和憲法)を覆すことはできない。

(1)有事法制は憲法違反であり、現行憲法は有事法制を受け容れない。実は有事法制を国会審議すること自体が越権行為、違憲行為
 違憲そのものの有事法制が国会で堂々と論議されたこと自体の異常さもそうですが、後で述べる憲法誕生過程からも明らかなように、そもそも憲法で排除されたはずの有事法制が法律として成立してしまったこと自体が違憲行為だと言うべきです。なぜならそれは、明治憲法の対外侵略的・国内弾圧的本質を復活させるものであり、日本国憲法の基本原則全てをことごとく否定し、覆すことだからです。
 
 日本国憲法には有事法制の存在を根拠づける、条文としてはっきり示された文章による定めはありません。憲法が出来上がる過程での議論、また憲法の内容から見て、国家の「緊急事態」「戦争状態」を予測した規定はないのです。むしろ積極的に緊急事態、戦争状態に陥ることを避ける手だてをとり、緊急事態、戦争状態に対処する法律(有事法制)の制定を排除しています。

 それでははぜ日本国憲法が有事法制を排除したのか。それは現在の平和憲法誕生の原点に関わる問題です。明治時代から昭和の敗戦まで、いわゆる15年戦争を含めて戦前天皇制の独裁体制、その下で息つくひまもなく日本は中国や朝鮮、アジア太平洋へ次々と侵略していきました。そこでの甚大な犠牲者と悲劇を繰り返してはならない。そういう過去の歴史的反省を踏まえたものだからです。有事=緊急事態制度を排除しようとする理由は、軍事的政治的権力が天皇に集中した明治憲法の下での危険きわまりない緊急制度に対する反省からくるものです。

(2)日本国憲法が有事法制を排除した理由の中に有事法制の危険がある。
 現在の日本国憲法は、有事(戦争、非常事態)に根本的に対立する政治体制をどのように考えているのでしょう。
 第一に、言うまでもありませんが、一連の平和主義条項にあるように、戦争放棄、武力の不保持、国の交戦権の否認を規定し、徹底した非武装国家への道を要求しています。国際紛争の解決を、むやみやたらに戦争に訴えるのではなく、また武力を背景にした外交(「砲艦外交」)によるのでもなく、平和的外交的解決に徹して行うことを要求しています。戦前・戦中の戦争に次ぐ戦争のような時代をきっぱり拒絶することを国の基本戦略としています。だから武力の行使に伴う緊急事態制度、有事法制の制定の要素など少しの入る余地もなく、むしろそれらを積極的に否定しているものと解されます。

 第二に、従って日本国憲法は、諸外国憲法(仏・独・伊)及び明治憲法に見られた「国防の義務」規定を排除しました。軍隊への協力義務はもとより、宣戦布告(大日本帝国憲法13条)、常備軍の規模、決定権(同12条)、戒厳令体制(同14条1項)などのような非常事態を生み出す規定を設けませんでした。

 第三に、戦争に明け暮れる戦前・戦中の暗い時代にはおよそ認められなかった基本的人権を徹底的に取り入れ、それを中心に据えることを基本原理にしました。日本国憲法は、国民の基本的人権を最大限尊重することとし、明治憲法下で見られた、反戦的出版物等に関する検閲を禁止し(日本国憲法21条2項)、徴兵制のような奴隷的な拘束からの自由(同18条)を保障し、さらに軍事法廷である特別裁判所も廃止(同76条2項)しました。また憲法下で何より「平和に生きる権利」を保障し、国民の思想、信条、言論の自由を何らの制約も伴わないものとして保障(同19条〜21条)したのです。

(3)有事法制の制定は改憲を求める人々を活気づかせる。
 いずれにしても有事法制の制定が、憲法の「平和条項」の存在そのものを否定し、軽く扱わせ、ついには改憲につながる道を準備させることは間違いありません。
 このところ日本を支配する人々内部で改憲を求める勢力は第九条を中心に、改憲を激しく主張しています。ほぼどの大新聞も「改憲」を口にするようになっています。例えば、自民党憲法調査会が作成している憲法改正草案が明るみに出ました。首相に「国家非常事態命令」を発動する権限を与え、国民には「国家を防衛する義務」を課すとしています。さらに「陸海空三軍その他の戦力」の保有を明記し、集団的自衛権の行使を認めている他、天皇を元首とし、「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と定めています。さらに国際協力活動への武力行使を含む積極参加を盛り込んでいます。まるで明治憲法への逆戻りです。

 また自民、自由両党国会議員や右翼文化人たちも同じような復古的、反動的、軍国主義的な主張を繰り広げています。与党の主張がひどく元気が良いのは、野党も同じような主張を掲げているからです。例えば民主党の憲法調査会は昨年7月、従来の「論憲(=憲法の諸問題についてあれこれ議論するという立場)」から新憲法を作るという「創憲」へ踏み出す最終報告をまとめています。国連の集団安全保障を肯定し、自衛隊が国連平和維持活動(PKO)だけでなく、正規の国連軍や多国籍軍にも参加できるようにするべきだとの考えを打ち出しています。また、自由党は2000年12月に「新しい憲法を創る基本方針」を決定。国連による集団安全保障に積極的に参加する考えを示しています。

 こうして声高になる改憲の主張の流れの中で衆議院の憲法調査会は2005年に作成する最終報告について、憲法「改正」の具体的な方向性を示す意向を明らかにしました。

(4)有事法制は、軍国主義化・反動化を進めるあらゆる法律を導き出す。
  反動的で軍国主義的な改憲論議が大手を振れるのは、違憲そのものの有事法案が国会に提出され、それが公然と論議され、ついには採決までされるという、今日の社会の右翼的で保守的な流れと無縁ではありません。有事法制だけではありません。
−−マスコミを規制し、国民の表現・思想の自由を奪い制限するとあれほど批判されていた個人情報保護法案まで国会を通過しました。
−−また中央教育審議会の答申を受け、教育基本法の「改正」まで日程にあがってきています。教育基本法は教育の憲法、日本国憲法の教育部分ともいわれる最重要の法律の一つです。戦後この法律は民主的で平和的な教育を作ろうという国民の支えとなってきた法律です。ところが、政府や文部科学省はこれを破棄し、「教育勅語」と同じような考え方を復活させようとしています。

(5)下位の法律(有事法制)が最高法規(平和憲法)を覆す異常事態。
 いずれにしても国民が黙っている限り、反対しない限り、日本は軍国主義と反動の道をたどるしかありません。ところがご存じのように、日本の法律はすべて日本国憲法とその精神に基づいて作られたもののはずであり、そうした意味で憲法は国の「最高法規」と言われます。すべての法律が日本国憲法から発しており、これに反するものは法律として認められていません。そこで憲法と他の法律の関係は、上位法と下位法と呼ばれます。従って有事法を仮に下位法として認めたとすると、下位法(有事法制)が上位法・最高法規(平和憲法)を覆すなんてことは本来あり得ないことです。

 憲法から排除されたはずの異質なものが現憲法下で法律として成立させられることそのことが根本的矛盾です。この憲法的矛盾、平和か戦争かをめぐる矛盾は、明治憲法や教育勅語と似た旧時代的な異様な封建的憲法が復活でもしない限りずっと続くでしょう。改憲ということが具体的になるまで、この矛盾は最大の政治的法的な争いの中心になります。そしてこの争いはまだ始まったばかりなのです。なぜなら先に述べたように、有事法制に関連するいくつもの法律は、これから制定されるのですから。


[2]有事法制はいかに憲法の三大原則を蹂躙するか。

(1) 有事法制は憲法の「交戦権否定」条項を完全に否定する。
 まず憲法第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】がどのような構造になっているのか、見てみましょう。2項からなります。
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 このように第九条はその第1項で戦争放棄、武力による紛争の解決放棄など平和的手段による紛争の解決を根本精神として示しています。その上でその第1項を制度的に保証する条文が第2項です。「戦力の不保持」と「交戦権放棄」の二つの条件を定めています。

 有事法制が第1項に真っ向から対立するものであるのはすぐに理解できます。国権の発動たる有事=戦争で解決するのですから当然です。問題は第2項です。前段の「戦力の不保持」はすでにこれまでの「自衛隊」の巨大化の中で完全に否定されてしまいました。戦後直後の「警察予備隊」の発足以来、「自衛隊」への継承、その「自衛隊」の肥大化という恰好で憲法第九条2項の前段が真っ先に掘り崩されてきたのです。その後憲法第九条は「交戦権」をめぐる闘いへと移りました。
  日本の軍国主義は「交戦権」放棄条項をどのようにして掘り崩してきたのかについて、私たちはHPに詳しく書きました。そちらをご覧下さい。
【憲法と有事法制シリーズその1】有事法制は憲法「交戦権放棄」条項を最後的に葬るもの−「後方支援」から一足飛びに「先制的武力行使」が可能に、しかも「領域外」で−
2002年7月3日 アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局

 「交戦権」というのは、@他国への直接的武力行使、A国家総動員体制の確立、この2つの要素から成ると考えられます。そして有事法制は「交戦権放棄」のこの2つの条件を同時に否定するものなのです。
 まず@の「直接的武力行使」が可能となります。「日本が攻撃された場合」というフィクション(作り話)を前提に作られた法律ですから、どんな攻撃でもできることになるのです。すでにインド洋まで拡大された「領域外」行動は、有事法制では「行動範囲」をめぐっては何の制約も限定もありません。世界中で武力行使できることになります。イラク戦争のような「先制攻撃」も可能となります。なぜなら「武力攻撃事態法」の発動に必要な条件はことごとく曖昧にされ、時の首相と内閣が自らの思惑と判断で勝手に開戦できるようになっているからです。(実際には米政府と米国防総省が決めることになるのですが)。「武力攻撃事態法」が「わが国に対する武力攻撃」だけでなく、「武力攻撃が予測されるに至った事態」を法律に盛り込んでいるのは、アメリカの「先制攻撃戦略」に見事に対応したものです。

 次に、A実際に戦争を遂行するための「戦争国家体制」「国家総動員体制」の法的制度的保証を実現しようというものです。有事法はこの「交戦権」の二重の条件をクリアする法律なのです。Aとの関係では、今後2年間かけて作られる「個別法」が重要になってきます。そこで日本が戦争を遂行する法的制度的保障がすべて完成することになるのです。すなわち有事法制は、アメリカが引き起こす戦争に「国をあげて」協力するために「関係諸機関」や「地方自治体」、さらに国民、市民の一人一人にまで「協力」という名の義務と服従を強い、そのための国内治安弾圧体制を合法化する法律を整備していくのです。
 
 従って、法律は制定されたが細かな制度化はまだこれからです。個別法を全てそろえるまでまだまだ長い道のりがあります。逆に言えば、途中挫折させることも可能です。日本の軍国主義はこれまでと同じようにこれからも一直線に進むものではありません。それは反戦・平和を唱える人々、護憲を訴える人々の闘いで押しとどめることができるのです。

(2)「国民の保護」というのは嘘っぱち。「公共の福祉」論を振りかざし、国民の基本的人権踏みにじり、同時に戦争協力と「国防の義務」を無理強いする。
 有事法制は戦争をするための法律です。戦争を理由にいかに基本的人権を力ずくで取り上げ踏みにじるか、またいかに無理矢理戦争協力と国防の義務を国民に強いるか。この点を忘れてはなりません。

 注目してほしいのは、国会審議中に政府が持ち出した「公共の福祉」という新しい論理です。「公共の福祉」という言葉は、憲法の中にもありますが、日本政府の場合、それを人権侵害と戦争・国防義務のおしつけの“万能の武器”として持ち出しているのです。
 @戦争は「公共の福祉」である→Aだから「公共の福祉」のためには個々人の権利や私権は切り捨てる。戦争のためには我慢せよ。→新たに戦争協力の義務、国防協力の義務をやむを得ないものとして受け入れよ→C逆らえば罰則を与える。監獄にぶち込む、等々。
 しかし平和主義を掲げる憲法の原理からすると、戦争=「公共の福祉」なんて憲法違反以外のなにものでもありません。だから「公共の福祉」だ、何だかんだと屁理屈をこねることも、国民の基本的人権を切り捨て、民間企業の「責務」だ、「国民の協力」だと無理強いすることも憲法違反です。

(3)首相に独裁的権限が与えられ、首相と軍部が独走する危険がある。
@国会権限の否定・無視、地方自治体の権限を奪うことにより主権在民原則はあからさまに掘り崩される。
 小泉政権と今の与党ほど違憲行為・違法行為を平気でやる政権はありませんでした。こんな政権が有事法制を武器に独裁的な権限を握ればどんなことになってしまうのか。「武力攻撃事態」=「有事」の宣言を含めて、首相が事実上全権力を掌握し、自衛隊、国の行政機関、地方公共団体、公共機関あげて米軍への支援体制を強力に指揮・命令することでしょう。まさに「首相独裁」です。一旦選ばれた首相が独裁者のように振る舞える、そんな危険な事態が可能となるのです。民主主義の原理とはおよそかけはなれた事態であることは簡単にわかることだと思います。政治の世界でも、いや社会全体に好戦的な雰囲気が出てくるでしょう。

 第一に、国会無視が当然のことのようになります。政府はまず“国会の事前承認なし”に、「対処基本方針」を作り、「対処措置」を実施することができます。首相は安全保障会議を開催し、そこで自衛隊の制服組に助けられながら「対処基本方針」を策定します。この「基本方針」は、閣議決定を経て“事後に”国会の承認にかけられますが、それに基づく「対処措置」は“国会の承認を待たず”に開始できるのです。

 第二に、地方自治体や公共機関の権限を奪います。首相の強権発動が可能となります。特に対処措置の実施段階では、首相は「武力攻撃事態対策本部長」として「総合調整」権限をふるいながら、事実上全権を掌握して措置を指揮します。この本部長である首相の指示に、自治体や指定公共機関は強制的に従わされ、従わない場合は、対処措置を代わりに執行されることもあるのです。対処措置の「現場」では、自衛隊員が指揮命令することも考えられます。

A首相と好戦的な文民、さらには軍隊(米軍と自衛隊)が日本の政治に強大な権限をふるう危険が高まる。
 有事法制はとても危険なものです。建前としては戦争前から「戦時体制を発動する」ことができるのですから、実態としては、米日の軍部が戦争前から日本の国政を左右する危険が高まります。例えば、安全保障会議では、米日軍部のシナリオに基づいて首相主導で“密室審議”が行われます。国民が全く知らないところで事が進められていきます。首相に権限が集中することで、軍部が首相を飾りにして自分たちの権力を振るうことが可能になります。またその集中した首相権力が「権限の委任」を通してその権限を自衛隊に委任できるシステムが組み込まれています(武力攻撃事態法第十三条)等々。

 軍事を政治・国会の支配下におき、それをたった一人の人間(首相)の判断や特定の集団(与党)の判断のみで好き勝手に動かせないようにするためには、軍に対する主権者である国民の民主的な統制が不可欠です。日本国憲法下であれば国民の代表機関である国会がその役割を担うことになります。ところが有事法制では、その国会で「有事」の認定ができなかったり、「対処基本方針」に対する承認が事後のものになったり、「武力攻撃が予想される」だけで「有事体制」が国会の承認ぬきに動き出したり、「有事体制」を終了させることすらできないといった形で、「国権の最高機関」は、すっかり有名無実化させられています。
 また国会承認ぬきで「防衛出動」の可能性が拡大し、国会を飛び越え、自衛隊による防衛施設の構築など、「有事体制」が前倒しになる可能性だってあります。国民による軍に対するシビリアン・コントロールなど名ばかりのものになります。
 このように今回の有事法は、国会を黙らせたまま、政府主導で、その実は米日軍部主導でいかに効率的にアメリカが起こす戦争への体制作りを行うかというところに狙いがあるのです。


【参考文献】
以下に比較的入手しやすく、参考になると思われる文献を紹介します。問題を考える際の参考にして下さい。

@「法律時報増刊 憲法と有事法制」全国憲法研究会編 日本評論社 2002年12月
大部なもので少し専門的な本ですが、有事法制と憲法に関するさまざまな問題をすべて網羅しているように思われます。

A「有事法制を検証する 『9・11以後』を平和憲法の視座から問い直す」山内敏弘編
法律文化社 2002年9月
 有事法制にまつわるさまざまな問題をさまざまな論者が論じています。なかでも「第8章 <<軍事的公共性>>と基本的人権の制約」は、よくできた論文だと思われます。

B「有事法制か、平和憲法か 私たちの意思が問われている」梅田正己 高文研 2002年5月
 有事法制と憲法を考える入門書になるかもしれません。

C最後に、「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」HP上の有事法制関連の論文はそれぞれ参考になると思われますので、是非参照下さい。
以上



憲法と有事法制シリーズ

 その1 憲法第9条と有事法制−−有事法制は憲法「交戦権放棄」条項を最後的に葬るもの

 その2 「国民保護」とは全く逆のことを目論む有事法制

 その3 憲法機能を停止し改憲への道を開く有事法制


シリーズ 有事法制:討論と報告