憲法と有事法制 【シリーズその2】
「国民保護」とは全く逆のことを目論む有事法制
○「公共の福祉」論を振りかざし基本的人権を全面的に剥奪・蹂躙。
○「公共の福祉」論で罰則と監獄を背景に「戦争協力の義務」「国防の義務」を強いる恐ろしさ。
2003年4月27日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
はじめに
小泉政権は現在、イラク戦争と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「核開発疑惑」と「ミサイル疑惑」を最大限に利用しながら、有事法制関連3法案の審議・可決を強行しようとしています。
私たちは、憲法と有事法制シリーズ第2弾として、一方では、日本国憲法が保障した基本的人権が、有事法制によって蹂躙されようとしている、他方では逆に戦争や国防の義務が国民全体に課せられる事態が起ころうとしている、こうした観点から有事法制のこの上ない危険性を暴露・批判したいと思います。
皆さんに注目して欲しいのは政府が持ち出した「公共の福祉」論という新しい論理です。人権侵害と戦争・国防義務押し付けの万能の武器として持ち出しているのです。@戦争は「公共の福祉」である。→Aだから「公共の福祉」のためには我慢してもらう。権利は奪う。→B代わりに戦争協力の義務、国防協力の義務だけ押し付ける。→C逆らえば罰則を与える。監獄にぶち込む。云々。−−何とこれが「国民保護」の中身なのです。こんなことを絶対許してはなりません。
T.人権侵害と戦争義務押し付けの万能の武器:戦争=「公共の福祉」論。
(1)戦争を「公共の福祉」にすり替え、これをテコに基本的人権剥奪を正当化するとんでもない論理。
武力攻撃事態法案三条4項は、「武力攻撃事態への対処においては、日本国憲法の保障する国民の自由と権利が尊重されなければならず、これに制限が加えられる場合は、その制限は武力攻撃事態に対処するための必要最小限のものであり、かつ、公正かつ適正な手続の下に行われなければならない」としています。これは有事法制の中の基本的人権の制約に関するいわば「総則的規定」です。
この規定を説明する中で政府は、戦争が「国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉」であると強弁しているのです。
※福田官房長官は、「こうした権利の制限は、国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉のため、合理的な範囲と判断される限りにおいては、『国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』という憲法第十三条(ママ)などの趣旨に沿ったもの」(2002年5月8日)であるとしています。
※また、2002年7月24日の有事法制特別委で示された政府統一見解でも、「同上〔=憲法十三条〕自体が『公共の福祉に反しない限り』と規定しているほか、憲法第十二条(ママ)その他の規定からも、憲法で保障している基本的人権も、公共の福祉のために必要な場合には、合理的な限度において制約が加えられることがあり得るものと解され」、「武力攻撃事態への対処のために国民の自由と権利に制限が加えられるとしても、国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉のため、合理的な範囲と判断される限りにおいては、その制限は憲法第十三条(ママ)等に反するものではない」として、軍事的手段による「国及び国民の安全」の確保に「高度の公共の福祉」としての性格を認め、いわゆる「高度の公共の福祉」に基づく「合理的な範囲・限度」での基本的人権の制約を当然のこととしているのです。
このような政府解釈が、軍事的な手段で「国及び国民の安全を保つ」こと、具体的には自衛隊や米軍の作戦行動の自由を確保するために「軍事的に必要とされる事項」に通常の行政の公共性より一段と高い「高度の公共性」を認めていることはきわめて重要な問題を含んでいると言わざるを得ません。それは日本国憲法、ことにその第九条に真っ向から挑戦し、それを破壊するものです。
憲法第九条は、自衛のための戦争を含む一切の戦争を放棄(=日本政府による戦争行為の禁止)し、またそのためのあらゆる軍備の保持と自衛権を含む交戦権の行使を無条件で禁じています。この日本国憲法の立場からすれば、「軍事的必要性」を憲法十三条にいう「公共の福祉」の中身とするような論は、到底容認されるものではありません。
(2)戦争=「公共の福祉」は憲法違反。
また平和主義を掲げる憲法の原理からして、憲法が唱える「公共の福祉」の中には戦争が一切含まれていない、予定していないことは以下を見るだけで明らかでしょう。
−−憲法は、「公共の福祉」によって、基本的人権を制限できる場合を次の二件に特定しています。すなわち、@居住、移転および職業選択の自由の行使に際しての公共の福祉による制限(第二十二条)。A財産権を制限する場合(第二十九条)。この場合、法律によって個別具体的に公共の福祉の内容を規定しなければなりません。たとえば、財産権を公権力によって大幅に制限することの出来る「土地収用法」は「公共の利益」となるべき事業を具体的に列挙し、その範囲内での強制的な土地の収用を認めています(同法、第2条)。ちなみにここでは、軍事目的の土地収用はその対象となっていません。この意味で、本来は「公共の福祉」目的ではない軍事目的で土地を強制収用する駐留軍土地収用特別措置法は、文字通り例外的な法律であり、憲法違反なのです。
−−長沼訴訟では、航空自衛隊高射砲教育施設設置のため、水源の涵養目的で造られた保安林の伐採が、森林法に定める「公益上の理由」(第二十六条二項)に該当するか否かが争われました。札幌地裁判決は、(1973.9.7)、自衛隊が憲法違反である限り、保安林の伐採は「公益上の理由」とは認められない、と結論しました。札幌高裁は統治行為論によって自衛隊の合憲・違憲に判断を下さず、代替施設の整備によって訴えの利益が消滅したとして地裁判決を取り消し、最高裁もこれを支持しました。最高裁、高裁ともに地裁判決を正面から論理的に論破できなかったのです。
こうした意味で有事法案は憲法改正手続によることなく、ただの一片の下位法によって日本国憲法の核心部分の一つである「平和主義」を蹂躙・否定するものであり、しばしば指摘されるように「法的クーデター」という以外ないものなのです。
U.人権侵害と戦争・国防義務の中身と程度は政府が自由勝手に決める。
(1)有事法制における人権侵害と戦争・国防義務の条項。
上述のように、政府は戦争を「高度の公共の福祉」と言い切り、その「公共の福祉」を振りかざして国民の基本的人権をばっさり切り捨て、更には民間企業の「責務」や「国民の協力」について定めるのです。ざっと以下の条項がその例です。
−−すでに取り上げた武力攻撃事態法案三条四項は、「必要最小限」という条件をつけながら、戦争による基本的人権の制約を当然のこととします。
−−また六条では、一般の民間企業を含む指定公共機関について、「国及び地方公共団体その他の機関と相互に協力し、武力攻撃事態への対処に関し、その業務について、必要な措置を実施する責務を有する」ものとします。
−−八条では「国民は、国及び国民の安全を確保することの重要性にかんがみ、指定行政機関、地方公共団体又は指定公共機関が対処措置を実施する際は、必要な協力をするよう努めるものとする」とします。
−−自衛隊法改正案でも、一○三条の収用命令・業務従事命令規定や、自衛隊の行動の自由を確保するための国内法の適用除外に関する特例措置(一一五条の二・三項〜一一五条の二一)等の規定を設けることにより、国民の基本的人権を制限する内容になっています。
(2)どの人権をどこまで制限し切り捨てるのかの「自由裁量」を政府に「白紙委任」する恐い法律。
なお、基本的人権制限の具体的な態様と程度については、「制限される権利の内容、性質、制限の程度等と、権利を制限することによって達成しようとする公益の内容、程度、緊急性を総合的に勘案して」(2002年7月24日、政府統一見解)、事態対処法制や自衛隊法などの個別法によって定められることになります。福田官房長官は何を制限するのか追及されて、「今後個別具体的に規定する」とふざけた答弁を繰り返しました。こうしたことを考えあわせると、今後の法制にすべてを「白紙委任」した、要するに国民の自由と権利は何の歯止めもなく政府によって任意に制限されるということなのです。
V.有事法制は、憲法に保障される基本的人権を全項目・全領域にわたり抑圧し蹂躙するもの。
(1)いつから基本的人権を制限するかは政府の、従ってアメリカの一存で決まる。
基本的人権の制限は、日本に対する武力攻撃が発生した場合にのみ行われるわけではありません。政府の勝手な解釈で発動できる、というかアメリカの勝手な侵略で発動できる「予測事態」から制限されるのです。
武力攻撃事態法案は、この法案で定める対処措置及び武力攻撃事態法施行後二年以内を目標に整備される事態対処法制が対処すべき「武力攻撃事態」を、日本に対する外部からの武力攻撃が発生した場合である狭義の「武力攻撃」のみならず、「武力攻撃のおそれ」がある場合と「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」を含むものとしているからです(一条・二条二号)。
すなわち、武力攻撃事態法案等の定める基本的人権の制限は、事前の準備段階から実施されることになるのです。これは「武力攻撃事態」を「武力攻撃事態」と「武力攻撃予測事態」に二分(与党三党修正案)したところで変わりはありません。
また2002年5月7日からの衆議院有事法制特別委の審議の中で政府は、周辺事態法にいう「周辺事態」が、武力攻撃事態法案にいう「武力攻撃のおそれ」又は「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」と「併存」=重複する場合があるとの見解を繰り返し示しました。この結果、「周辺事態」と「武力攻撃事態」が重複する場合には、米軍の戦闘行動への後方支援への国民の協力を確保するために国民の基本的人権が制約されることになります。日本に対する武力攻撃が現に発生していない場合であっても、アメリカが「悪の枢軸」と名指しして非難する北朝鮮への米軍の先制攻撃などによって周辺事態が発生し、それを政府が「武力攻撃のおそれ」または「事態が切迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」と認定すれば、いつでも国民の基本的人権が制限されることになるのです。
(2)「国民保護法制」の「保護」は嘘っぱち。人権侵害、戦争・国防義務を押し付ける全く逆のもの。
以下、具体的にどのような基本的人権の抑圧が予測されるか主要なものを中心に見てみます。抑圧が憲法の保障する基本的人権の全項目・全領域にわたることが容易に見てとれます。
昨年来中断していた有事法の審議は2003年4月18日、「国民保護法制」の「骨子」説明から始まりました。本来有事関連3法案成立後2年以内に作ればいいことになっている法制を早期に公表するのは、ひとえに3法案の審議にはずみをつけるためと言われています。有事3法が、自衛隊の活動や権限を中心に規定していることから自治体、野党はもとより、与党内からも「国民保護の法制をセットで議論すべき」との声に配慮したからとも言われています。
いずれにしても私たちが最も警戒すべきは、「国民保護法制」こそ、「国民の保護」=「国民の安全」の名の下に最も広範な国民の監視・統制を正当化するものであり、有事法制関連立法の中で、国民の基本的人権にとってもっとも侵害度の大きなものになる危険性があることです。今回の「骨子」や、国会での質疑だけではそれは全体としては見えていません。というより政府答弁はそれを隠し通そうとしています。しかし、わずかの情報からでもその危険性は十分に見えてきます。
@「国民の協力」の実態=罰則をもって「内心の自由」を弾圧する。
福田長官は有事に際する国民の協力について「義務を課すものではないが、できる限り協力いただきたい」と、あたかも法制には「法的拘束力」がないかのように述べています。
しかし、そもそも武力攻撃事態対処措置には、生活関連物資等の価格安定・配分等の措置、事態対処法制には武力攻撃事態下での「社会秩序の維持に関する措置」(=戦時治安維持法制)と「国民生活の安定に関する措置」(=戦時経済統制法制)などいわゆる有事法制研究の「第三分類」(=防衛庁以外の各省庁所管の有事法制)に該当するものが含まれています。同時にそれらは国民生活・国民経済にきわめて密着するものであり、それゆえにこれら分野のきわめて広範な統制を予定するものであります。かつての国家総動員法・治安維持法に類似するものです。このような強権的な国民統制法制の下で求められる「国民の協力」が何の「法的拘束力」を持たないはずがありません。
なるほど「骨子」にはこれらの協力を拒否した場合の規定はありません。しかし、医薬品や食糧品の保管命令に従わなかった場合や、交通規制、立ち入り制限等に従わなかった者には罰則を科すことが明記されています。
政府は、昨年度の答弁では、武力攻撃時の「地域における被災者の搬送など、国民の生命、身体等の保護のために地方公共団体が実施する措置への協力」を担保するため、平時から住民を訓練し組織しておくための民間防衛について、「平時から備えるということはこの武力攻撃事態に対処するための措置としても大事なことでございますので、検討は考えております」(2002年5月8日、福田官房長官)としています。(民間防衛の組織作りについて官房長官は、2003年4月18日の答弁では、否定的見解を示してはいますが。)
いずれにせよ有事体制の構築に反対または消極的な住民は、食品の保管命令、交通規制等、また民間防衛組織・訓練への参加を「要請」された時、その「要請」を断ることによって有事体制の構築に反対もしくは消極的であるという自らの内心(思想・信条)を明らかにするか、あるいは自らの内心に反して参加するかを否応なく選択せざるを得なくなります。
そこでは自らの「内心」を明かすことを強制されないという意味での「沈黙の自由」や「内心の自由」が侵害されます。「沈黙の自由」を含む「内心の自由」は、「憲法第十九条(ママ)の保障する思想及び良心の自由、憲法第二十条(ママ)の保障する信教の自由のうち信仰の自由については、それらが内心の自由という場面にとどまる限り絶対的な保障である」(2002年7月24日、政府統一見解)。食品の保管命令、交通規制等あるいは民間防衛組織・訓練への参加「要請」は、憲法上絶対的な保障が与えられているはずの「内心の自由」を簡単に踏みにじり、国民に政府の戦争準備行為への忠誠を要求する「踏み絵」となります。
仮に民間防衛組織のようなものが作られると、それは戦時中の「隣組」に類似した住民相互監視機能を担うことになるため、「国および国民の安全の確保」に協力しない国民を「非国民」として選別し排除するものとして機能します。それはまた、戦争や政府の戦争準備行為に対する表現行為に対して著しい萎縮効果をもたらすことになります。何のことはない有事法制・「国民保護法制」は「戦争準備段階」から、いや「平時」から国民の自由と権利を侵害するものとして機能するのです。
A地方自治体は市民の生命・財産を危険にさらす役割を押しつけられる。
武力攻撃事態法はその五条で「地方公共団体の責務」を示し、「国民保護法制(骨子)」においても「地方公共団体の役割」またその【責任と権限】について触れています。しかしここで、国による代執行の要件規定が地方自治法のそれより拡大しているという問題点があります。首相による「代執行・直接執行」また「指示」について、自治事務についても「指示」等の対象となっており、憲法に保障された地方公共団体の地方自治の本旨に基づく独立性、自主性を根底から否定することになります。
地方自治体は本来、住民の生命・財産を守ることを第一の責務として負っています。有事法制関連3法案による地方公共団体の責務は、市民を軍事協力に追い立て、また米軍の軍事行動を円滑に行うための協力を強いられることにより、逆に市民の生命・財産を危険にさらす役割を地方自治体自身が果たすことになります。
(3)「指定公共機関の責務」押し付けによる人権侵害。
@「指定公共機関」で働いているだけで軍事協力を強いられる。
武力攻撃事態法は五条で「指定公共機関の責務」を示し、「指定公共機関」が何かについては二条五項で「定義」しています。指定公共機関に従事する者は必要な措置を実施する義務を負うことになりますが、指定を受ける機関は、公共的機関から公益的事業を営む法人とされ、市民生活に密着した広範囲の法人が指定される可能性があります。福田官房長官は、警報などの伝達にあたる指定公共機関について「民間放送事業者が指定される可能性はある。しかし現時点ではNHKを主に考えている」と述べ、民放も指定される可能性を指摘しています(2003年4月18日答弁)。
一般国民が武力攻撃事態対処措置への協力を求められる形態の一つが、指定公共機関の職員・従業員としてのものです。指定公共機関に従事する国民は、多数にのぼり、従って国民の多くが、財産権を侵害され、また軍事協力に駆り出される可能性を持つことになります。
A憲法違反の「奴隷労働」「意に反する苦役」を強制される。
指定公共機関が実施すべき対処措置には、武力攻撃を回避もしくは排除するための自衛隊の防衛出動などの行動だけでなく、日米安保条約に基づく米軍の行動も含まれます(二条六号イ(2)・三条五項・二二条三号)。さらに、周辺事態と武力攻撃が併存する場合には、指定公共機関は周辺事態での戦闘行動中の米軍への後方支援を武力攻撃事態対処措置として強制されることになります。
すなわち、政府が「武力攻撃事態」の発生を認定した場合には、たとえそれが日本への武力攻撃と直接関係のない場合であっても、民間の航空会社・船舶運輸各社・陸上運輸各社などの指定公共機関は、自衛隊や米軍の行動を円滑にするための対処措置へ協力するために、それこそ戦火をかいくぐり、武器弾薬や軍需物資、さらに兵員を、自衛隊や米軍の部隊へ輸送することが義務付けられることになります。
自衛隊や米軍と一体の仕事を強制されることが「意に反する苦役」であることは明白です。これが憲法第十八条【奴隷的拘束及び苦役からの自由】違反であることは明白です。
B報道機関が「指定」され、「国民の知る権利」「報道の自由」が侵害される。
政府は指定公共機関としての放送事業者について、また新聞について、報道を政府の統制下におき、国民の知る権利、報道の自由を侵害することについても決してその本音を隠してはいません。
2002年7月24日の答弁において、福田官房長官は「人命尊重などの観点から、真に必要な報道協定などについてもお願いすることはあり得る」としています。強制的な協力義務に支えられた報道協定は「大本営発表」でしかなく、表現の自由や知る権利を大幅に制約するものでしかありません。
また、長官は5月9日の有事法制特別委で「戦争反対の意思表明・・・そういう個人の意思表明・・・集会とか、また報道なんかもそうでありますけれども、こういう自由というものは確保されている、権利として確保されている・・・しかし、それはあくまでも公共の福祉に反しない限り、こういうことであろうかと思います」と、軍事・戦争に関わる際言論・表現の自由の規制は当然であるとの本音をもらしています。
これでは例えば、国民に無用な混乱をもたらさぬためとかの屁理屈を並べて、武力攻撃事態法案二二条一号ハの「社会秩序の維持に関する措置」の一環として何らかの言論統制立法が検討される可能性が大いにあります。これに関連して中谷元防衛庁長官は、政府の定める対処基本方針のうち国民に公表するのは「公表することによりまして国の安全を害するような内容」を除いた部分だけとの考えを示しました。これは、国民には知ることのできない対処措置によって、基本的人権を制限されたり協力を強制されたりすることを公言しているに他なりません。
(4)自衛隊法改正案=軍事活動最優先で広範な人権侵害。
@広範な業種が戦争参加を強制される。
自衛隊法103条では「医療、土木建築工事又は輸送を業とする者」に対して指定した業務に従事することを命じることができることになっています。その範囲を防衛庁が検討した結果は、1981年ですでに12業種にもわたり、医療、建築・土木、運輸関係の事業者および労働者が根こそぎ対象になっています。しかし、実際に仕事を強制されることになる労働者はそれ以外にも考えられます。だいいち米軍への「支援」は、補給、輸送、衛生、警備、通信、整備・修理、給水、汚水処理、給電など広範な分野にわたっています。
しかもこれらの仕事は、軍隊が戦闘を進めるのに必要不可欠な活動です。戦闘行為と一体の活動です。例えば、戦闘行為で壊された道路や橋の補修工事をする労働者、武器弾薬や食料・燃料など物資を輸送する労働者は、まさに弾丸の飛び交う戦場で仕事をさせられることになるのです。先に述べたようにこれが憲法第十八条違反であることは明らかです。
A戦争反対の信条は罰せられる!
今回改正の自衛隊法では、自衛隊が必要な物資を取り上げるため、取り扱い業者に出す保管命令違反の者には、六ヶ月以下の懲役、三十万以下の罰金を科すとしています。中谷元防衛庁長官はこれに関し、「本人の内心には関係ない。行為にもとづき罰則を科す」と述べました。戦争反対の信条に基づく行為でも、自衛隊の行動を妨げるものとみなされれば、犯罪として処罰されるということです。その信条を「沈黙する自由」も奪われるのです。先にも述べたようにこれは憲法第十九条違反です。
B「防衛秘密」と指定して国民には何も知らさない。
2001年11月の自衛隊法改悪は、防衛秘密を特別に扱い、その違反に対しては、国家公務員法の場合より重罰で処罰することにしました。しかも対象とされるのは、自衛隊・防衛庁関係者だけではありません。国家公務員や自衛隊の仕事に関係する民間人に対しても、「秘密を漏らした」として、処罰できるようにしました。自衛隊の仕事に関わる企業や民間人は、例えば、防衛兵器・艦船・航空機を製造するものから、修理に携わるものも含みます。さらには、航空、港湾、海運、建設、陸運、医療、情報産業などきわめて広範な範囲に及びます。
しかも秘密と知らずに情報を伝えたり、鍵をかけ忘れてデータが盗まれたりした場合にも過失犯として処罰されるのです。また、自衛隊の仕事を引き受けている会社や防衛庁に情報公開を求める運動も、国民の秘密を漏らすことを煽動したなどと称して処罰の対象とされる恐れがあります。マスコミなどの取材も、秘密を漏らすようそそのかしたなどとして教唆罪で処罰されかねません。煽動や教唆は、実際に秘密が漏れなかった場合でも、独自に処罰されます。国民の「知る権利」は大きく侵害されることになります。
さらに問題なのは、防衛庁長官によって、さまざまな情報が「防衛秘密」と一方的に指定され、国民の知りたい情報も国民の目から隠されることになってしまうことです。報道関係者に対してだけでなく、国会審議や国政調査権などにおいても、秘密であるとして明らかにされない事態も起こってきます。
これらに今審議されている個人情報保護法案等が加われば一体どうなるのでしょう。軍事情報はもとより政府・自衛隊・米軍にとって流すことが好ましくない情報はすべて国民の前から消し去られてしまうことになるのです。
C首相権限で土地が簡単に取りあげられる。
周知のように沖縄では、米軍のために沖縄県民の土地を強制的に取り上げる米軍用地特措法が改悪を重ねられ、その下で、市町村長や県知事の関与も否定され、簡単な手続きで土地を取り上げることが可能とされました。これと同じことを政府は有事法案の下で行おうとしています。
すなわち、自衛隊法103条ではすでに「戦時」=有事の際、自衛隊が必要とする土地や物資をとりあげ、医療、土木建築、輸送関係者に業務従事命令を出せる仕組みになっています。これは防衛庁長官などの要請に基づき、都道府県知事が執行することになっています。知事が「戦争に協力しない」として国の要請を拒否したらとして、中谷元防衛庁長官は、「内閣総理大臣が是正の指示、代執行の措置をとる」と答弁しました。要するに知事が協力しなければ、自治体を飛び越えて首相が直接国民の財産を取り上げ、動員すると述べたのです。これ自身憲法第29条「財産権は、これを侵してはならない」違反です。
(5)国民生活を犠牲にして、すべて軍事最優先。
以上で述べなかった基本的人権の侵害もたくさんあります。有事法案は以下のような意味において憲法第25条「@すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。A国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」に違反します。
@環境破壊はあたりまえ、災害防止など二の次。
たとえば、道路が壊れている場合、県の道路であれば、道路管理者である県が工事をしなければなりません。しかし、有事法制下では、戦争のために部隊を移動させ、物資を輸送するために、自衛隊自らが道路工事をできるようにします。自衛隊の工事のために住民の通行ができなくなっても、欠陥工事でもおかまいなしなのです。
また、現行法の下では、海岸、河川敷、森林や自然公園を使用したり、そこで樹木を伐採したり、その他土木工事をしたりすることは勝手にはできません。知事や役所の許可が必要です。それは自然環境が破壊されたり、水害など災害の原因になるからです。ところが有事法制では、役所のチェック抜きで陣地や資材置き場などを作る工事を進めてしまえます。自然環境の保護や災害防止は二の次なのです。
A国民の安全・衛生など関係ない。
建物を建てるには、安全と良好な住宅環境を確保するため建築基準法に基づいて建築確認を得なければなりません。しかし有事法制では、倉庫や航空機用格納庫、指揮所などを速やかに建築できるようにするため、建築基準法の手続きが無視されます。安全性や住環境などは度外視します。
武器・弾薬の輸送その他の取り扱いについては、国民の生命や身体に危険が及ぶことのないよう厳重な規制があるにも関わらず、有事法制ではこれらを無視し、夜間にも火薬類の積み下ろしができるようにしたり、フェリーなどで輸送することが可能となります。
実際、沖縄の海兵隊が本土で実弾砲撃演習をするために、日本のトラックが米軍の弾薬を積んで高速道路を走っています。民間の港、空港に武器や弾薬が持ち込まれれば、一般の旅行者、そこで働く労働者が大変な危険にさらされることは明らかです。
医療法は適切な医療水準を確保するために、病院や診療所の構造や設備について厳格な基準を定めています。ところがいわゆる野戦病院を作るには、これら設置基準は無視されます。また死者に対しては、火葬は火葬場で、埋葬は墓地でしなければならないことになっていますが、有事法制では戦死者を広場や公園で火葬出来るようになります。
B軍事活動のためには、国民生活犠牲は当然
自衛隊・米軍の軍事活動が行政や民間の業務に優先し、国民生活にさまざまな障害が生じることになります。
1)港・空港は米軍・自衛隊最優先
第一に、有事法制の下では、日本の港や空港は自衛隊や米軍が優先して使用することになります。空路や航路も自衛隊・米軍が優先し、港・空港が閉鎖されたり、民間の貨物船や航空機がストップするなど著しい影響を受けます。人員や物資の積み下ろしに必要な場所や保管のための施設も、自衛隊や米軍に提供されることになります。
空港で軍用機、港で艦船が優先されれば、航空交通を管制し、船舶の運行を統制することはできなくなります。空港や港湾は機能マヒに陥り、あるいは閉鎖状態となります。それだけでなく、空港や港湾を利用する自衛隊や米軍によって、その周辺の空域・水域が独占されることもありえます。そうなると、民間航空機の飛行、船舶の航行に著しい障害が生じます。
旅行や出張、国民の国内外への移動、貨物の輸送などに支障をきたすことは必至です。特に、日本では食料はじめ日常生活に必要な物資の多くを海外からの輸入や国内輸送に頼っています。これが途絶えることになれば、国民の生活自体がマヒすることになってしまいます。
2)24時間使用による騒音問題などそっちのけ
第二に、自衛隊や米軍による港湾や空港の使用は24時間体制で行われ、民間空港や港湾の運用時間も延長されるでしょう。そのため激しい騒音などの被害が発生し、国民生活に重大な影響を及ぼすことになります。(横田、嘉手納、厚木基地周辺住民の被害を見よ!)「有事」の使用となれば、自衛隊基地はもちろん、他の民間空港でも軍用機による騒音被害が一層激化することになります。航空機騒音公害に関して、裁判所は「平穏に生活する権利」を確認しています。しかし、こうした国民の権利は無視されるのです。
3)港・空港は攻撃目標――犠牲も当然?!
第三に、自衛隊や米軍の航空機や艦船が物資補給などのために使用する空港・港湾は、相手国が仮に攻撃を加えてくるとすれば、もっとも重要な攻撃目標となるでしょう。そこを利用している民間の船舶や航空機も非常に危険な状態に置かれます。もちろん、空港や港湾で働く労働者、周辺の住民も危険にさらされます。
4)医療も軍人のため、民間人は後回し
第四に、有事法制の下では、傷病者の治療・輸送が優先され、そのために医薬品・衛生器具が提供されます。国立病院、自治体の病院、民間の医療施設でも、ベッド・治療検査器具・医薬品などの提供が義務付けられます。実際、朝鮮戦争の時には、日本赤十字社によって九州各地の国立病院などに勤務する看護婦が集められ、米軍の治療にあたったのです。
すでに米軍は、「朝鮮半島有事」を想定して、重傷の米兵約1000名を日本の病院で手術や治療できるように求めていました。さらに、民間の病院や診療所自体が、自衛隊や米軍のために知事の管理の下におかれ、兵隊の治療のために優先して使用されることだってありえます。
「国および地方公共団体は」「国民に対し、良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制を確保されるよう努め」る義務を負っていますが、自衛隊や米軍のために医療行為・施設提供が優先されて、国民の「医療を受ける権利」が侵害されかねません。
5)自衛隊・警察の天下――過剰警備もあたりまえ
第五に、住民に対し、過剰警備が加えられる恐れがあります。2001年11月の自衛隊法改悪によって、自衛隊は米軍基地の警備も担当することになりました。自衛隊や米軍施設・区域警備や周辺海域の警戒監視、輸送経路上の警備のために、住民に対し、きわめてきびしい警備が行われることになります。職務質問や所持品検査などが、頻繁に行われ、プライバシーの侵害も多発することになります。さらに、警備を担当する警察などが公民館などの公的施設を優先的に利用することになります。
6)電波、無線も米軍・自衛隊のもの
第六に、自衛隊や米軍が利用する電波通信のために、国民が利用する電波の周波数や無線機などが制限されることになります。
W.基本的人権を全面的に侵害する憲法違反の有事法制を阻止しよう。
有事法制が制定されるや否や、全面的な基本的人権の制限が、「有事」のみに限られるのでなく、「平時」から準備される事態になることは上に述べた通りです。いや有事法制という日本国憲法を真っ向から否定する法案が公然と審議されている事態そのものが、もはや基本的人権を蚕食している事態と言うべきでしょう。
そして2001年9月20日、ブッシュ米大統領が「対テロ戦争」を全地球人類に対して宣言して以来、「平時」と「戦時」の区別・境界線はますます曖昧かつ漠然となったと言うべきです。「対テロ戦争」は兵士のみならずあらゆる市民を「戦闘員」として動員すると同時に、「潜在的な敵」と見なし、職場や家庭などあらゆる日常生活空間を「戦場」とするものです。それに伴う基本的人権の抑圧はアメリカではことに、アラブ系の住民やイスラム教徒に対して顕著になっています。こうした状態を「永久戦争」と称する論者もいます。
ひとたび「対テロ戦争」に飛び込んだアメリカはアフガンからイラク、次いでシリア・イラン・北朝鮮へと戦争の大義もなく戦線を拡大しようとしています。日本がこうしたアメリカの政策を「全面的に支持」し、それに追随するつもりなら、もはや「戦時」は「平時」であり、「平時」は「戦時」です。こうして、永久の「有事」は、その遂行を名目とした国民の基本的人権の制限も「永久」に続くことになるのです。
私たちはこのような事態を到底許すことはできません。今国会ではそれこそ国民の運命を左右するきわめて重要な審議――戦争か平和か、基本的人権の擁護かその「消滅」か――が、それ自身異常な事態ですが、さほどの世論の盛り上がりもなく行われているのです。何としても有事法案を廃案に追い込まねばなりません。それこそが、基本的人権を将来にわたって擁護する唯一の道なのです。
憲法と有事法制シリーズ
その1 憲法第9条と有事法制−−有事法制は憲法「交戦権放棄」条項を最後的に葬るもの
シリーズ 有事法制:討論と報告