政府・安倍首相による、日本軍「慰安婦」被害者への侮辱と暴言を糾弾する! |
◎米議会における日本政府非難決議への妨害工作をやめよ
◎今こそ、「慰安婦」被害者に公式謝罪と誠意ある国家補償を行え
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(1)墓穴を掘った安倍発言−−日本軍性奴隷制問題が日米関係の政治的焦点に急浮上 |
米議会下院で提出された決議案をめぐって、再び日本軍「慰安婦」=性奴隷制問題が急浮上し国際政治の場で注目されつつある。米決議案の主たる内容は次の通りである。
@1930年代から第二次世界大戦中を通じてのアジア太平洋の植民地支配での、「慰安婦」として世界に知られている女性の性奴隷に対する責任を、公式に認めるべきである。
Aこの恐るべき人道に対する罪について、現在と将来の世代に教育すべきである。
B「慰安婦」の隷従と奴隷化はなかったという主張の誤りを、公に、強力に、繰り返し論破すべきである。
C「慰安婦」に関する国連とアムネスティ・インタナショナルの勧告に従うべきである。
※RESOLUTION http://www.govtrack.us/congress/billtext.xpd?bill=hr110-121
米議会では公聴会が開かれ、韓国の李容珠(イ・ヨンス)さん、金君子(キム・グヂャ)さん、オランダ国籍のジャン・ラフ・オハーンさんら3人の「慰安婦」被害者が証言し、強烈なインパクトを与えたことが米国内各紙で報じられている。ブッシュ共和党の後退と、民主党との勢力逆転の下で採択の可能性が高まる中、危機感を募らせた日本政府・安倍政権はなりふり構わず採択の阻止に乗り出し、「事実ではない」「強制ではない」「広義の強制はあったが狭義の強制の証拠はない」等々の暴言・詭弁を繰り返したが、そのことによって逆に墓穴を掘り窮地に陥っている。
「広義」と「狭義」という陳腐な論理で旧日本軍による強制を否定する安倍発言直後に、米議会での日本政府非難決議案の共同提出議員は急増した。それまで決議に反対だった議員までが支持に転換。まさに「やぶ蛇」である。安倍は慌てて一部前言を取り消し、「河野談話」の継承を言い訳がましく強調し、NHKインタビューで「心からのおわび」を語って火消しにやっきになり、以後は強制性には言及しない姿勢を通そうとしている。米議会は態度を軟化させ、4月の安倍訪米以降に決議を持ち越す公算が強まっている。しかし、たとえ決議が先送りされたとしても問題はここで終わらない。
事態の沈静化を図る一方で、安倍は本来の思想的基盤を同じくする右翼からの突き上げとの間で板ばさみに陥っている。3月16日の閣議で「軍による強制の否定」と「河野談話の継承」という矛盾した玉虫色の答弁書を出して、即刻、韓国からの怒りを買い批判にさらされている。安倍のつぎはぎだらけの二枚舌はもう誰の目にも取り繕いようがない。さらにまたしても下村官房副長官の「強制否定」発言で物議をかもし、米紙ワシントン・ポストの社説では「拉致問題で国際的支援を求めるなら、日本の侵した罪の責任を認めるべきだ」と批判されている。
問題は、日本国内でいつまでこのふざけた論理を許しておくのかが迫られているということである。
※<従軍慰安婦問題>「軍の関与はなかった」下村官房副長官(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070326-00000119-mai-pol
※Shinzo Abe's Double Talk――He's
passionate
about Japanese victims of North Korea
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and blind to Japan's own war crimes.(washingtonpost)
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html
(2)動かない日本、動き出した世界−−日本政府による採決阻止の醜い言動そのものが「謝罪」拒否のあかし
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昨年2月、来日した韓国挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)のユン・ミヒャン事務局長はこう語っていた。―――水曜デモを始めた頃、このデモを100回続けたら闘いは勝利する、この問題は解決すると思っていた。誰もがそう信じてハルモニ(おばあさん)たちと共に日本大使館前でシュプレヒコールをあげ続けた。しかし100回続けても200回を超えても問題は解決しなかった。事務局メンバーも一人、二人といなくなり、水曜デモにも人が集まらなくなった。もうやめよう、こんなことをしていても仕方がない、という声が出始めるようになった。けれどハルモニたちがやめようとしない。だから歯を食いしばってがんばった。そして300回、400回を超える頃、日本政府は動かなくとも世界が動き始めた。海を越えて私たちの声が世界に届き、各地で私たちに連帯する闘いが取り組まれ、国連やアムネスティが動き始めた。・・・もう誰も、水曜デモをやめようとは言わなくなった。―――
※[訪韓報告]第721回 水曜デモに参加して (書名事務局)
水曜デモは、今では国際連帯の名の下に世界各地に広がり続けている。そしてついにアメリカで、事は噴出した。日本が盟友と頼み最強のパートナーシップを誇示するアメリカ、その議会で日本政府非難決議があがれば安倍政権への痛烈な打撃となる。同様の決議案は、96年以降8回にわたって繰り返し上程され、その都度葬り去られ国際社会から無視されてきた。しかし今回は、ほかならぬ安倍自身の墓穴を掘る発言によって採決の可能性が高まっている。
日本政府は自ら「採択阻止をめざす」ことを公言し、ありとあらゆる手を尽くして採決の妨害に余念がない。まさにこの妨害活動こそが、「謝罪」などしてもいないしする気もないことの証明である。重要なことは、安倍と日本政府のこの姿勢が国際社会の場で暴露され鮮明なものとなり、翻って日本国内での無関心、認識の欠如、やすやすと安倍の詭弁を受け入れる風潮に、少なからず影響を及ぼすにちがいないことである。
事はアメリカだけでは収まらない。3月27日にはカナダ議会で、日本の首相と政府に対して、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める決議案が提出された。また英・エコノミスト誌は3月16日社説で安倍発言をとらえ「過去の傷に新たな侮辱を加えた」「安倍氏は恥を知るべきだ」と非難し、強制性の「証拠」については「これまでの日本政府が隠蔽し破壊しなければより多くの証拠が残っているだろう」と語り、英・ガーディアン紙もまた「日本は戦時性奴隷いついての完全な謝罪を回避」(3月27日)と報じた。被侵略国、アジア諸国からの追及・非難は力でねじ伏せてきても、欧米諸国をも巻き込んで国際問題に発展していることに慌てふためく日本政府の姿は、ぶざまという他はない。
※「日本政府に圧力」 慰安婦めぐり決議 カナダ下院小委(朝日新聞)
http://www.asahi.com/international/update/0330/006.html
安倍政権・日本政府の思惑とは裏腹に、問題は沈静化どころか飛び火して拡大の様相を呈している。それは、この問題のもつ重みと共に、日本がこれまでいかに無責任を通してきたか、国際的な民主主義の基準に照らしても、どれほどずさんな戦後処理しかしてこなかったかを示すものである。そのことが安倍政権の言動から明らかになり、「河野談話」や国民基金でどうにか取り繕ってきた化けの皮が剥がされようとしている。動かぬ日本を知った世界が、動き始めたのである。
(3)強制に「広義」も「狭義」もない−−口先だけの「謝罪」からくる様々な矛盾
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大量の女性を「慰安婦」として性奴隷化し、日本軍のあるところほとんど全てに「慰安所」=強かん所を設置し、それがまぎれもなく軍の管理下に置かれていたという事実は、あったのかなかったのか?
被害者からも、国際的にも、連れて行かれた「方法」やそれを示す「公文書」など問題にされていない。安倍・日本政府だけが、あたかもそれが事の核心であるかのように問題をすりかえようとしているだけである。連れて行かれた先で何があったのか、どんな悲惨な状況下でどれほど惨たらしい日々が繰り広げられてきたかが問題であり、それが当時の日本政府と軍の管理下に置かれていたという事実が問題なのだ。戦争指導者たちが、自分たちが告発されることを恐れて大量に「公文書」を焼却処分したのは周知のことである。「始末したはず」「ないはず」の「公文書」の重要性をことさらに強調し、それが「ない」ことをもって責任のがれの論拠とするのは、日本政府の長年の戦略、常套手段である。中央大学・吉見義明教授の指摘する通り、「公式文書以外は使えないとすれば、歴史自体を説明することは不可能になる」。
「謝罪」はしたのかしていないのか? 「事実がなかった」というのならなぜ「何度も謝罪」したのか? 誰に、何のために「謝罪」したのか? ほかならぬ被害者自身が、一度として謝罪は受けていない、日本政府による公式の謝罪なしには死んでも死に切れないと再三にわたって訴えている。これに耳を貸そうともしないのはなぜなのか? 被害者の証言をウソつき呼ばわりする右翼団体らに好き勝手に暴言をさせておきながら、「証拠はない」と侮辱を繰り返しながら、「謝罪」しているなどと言えるのか?!
「河野談話」を踏襲すると何度も言明しつつ、その修正をほのめかす矛盾はどう説明するのか? どうにかして修正したいが今は国際的非難にさらされたが故に当面棚上げを決めたにすぎない、と自ら吐露しているようなものである。ほとぼりがさめれば何度でも頭をもたげる。「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」と官邸との間のこの間のやりとりからは、「河野談話」を否定したい衝動が透けて見える。安倍政権の得意とする「あいまい戦術」は次々と破綻をきたしている。
「強制に『広義』と『狭義』があるという日本政府の言い分は、理解せよというほうが無理である。強制は強制ではないか。」(マサチューセッツ工科大教授 リチャード・サミュエルズ氏)当然すぎるほど当然の指摘だ。このような馬鹿げた議論は、日本国内の狭い枠組みの中でだけ、マスコミの全面協力と世論の無知・無関心に支えられてのみ、まかり通ってきた稚拙な論理である。ひとたび国際社会の場に出るや否や、まるで通用しないたわごとでしかない、まともにとりあってももらえない、ということがやっと明らかになりつつある。
※「安倍の言い訳は意味不明−強制が狭義か広義かという定義はナンセンス」(ニューズウィーク2007年03月21日号)
「狭義の強制」―――いったい何のために、こんなわけのわからない論理を持ち出したのか。「軍や官憲が」「強制連行」したという「直接の証拠」? そんな「公文書」を誰が作成するというのか? 「家の中に踏み込んで」「銃剣を突きつけて」「強制した証拠」? それがないから軍による強制はなかったと、こんな子どもの言い訳のような論理がいつまでも通用すると本気で思っているのか。
徹底的に証拠隠滅をはかったにもかかわらず発見された軍関与を示す公文書、次々と出てきた証拠、証言、膨大な資料。それらは「関釜裁判」をはじめ日本国内各地での「慰安婦」関連裁判においても事実認定されている。それらの意義を意図的に低めるため、責任のがれのためだけに頭の中で考え出したもの。見つかりそうにないもの、見つかるはずのないものをでっち上げ、「それがなければ証拠がない」と言いつのるためだけのもの。それが「狭義の強制」である。
(4)「河野談話踏襲」の欺瞞−−今や「河野談話」の限界を語るとき
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断じて、日本政府は被害者に対して謝罪などしていない。「河野談話」は日本政府による公式謝罪ではない。「踏襲」「継承」を何度口にしたところで所詮は借物である。私はこう考えています、という官房長官の「意見表明」=「談話」が政府の公式見解、公式謝罪になりうるはずがない。謝罪するのに、被害者に向かってではなく周囲に向かって、しかも14年も前の他人の言葉を借りて「私も同じ考えです」―――これが「謝罪」か?!
アジア女性国民基金と歴代首相の「おわびの手紙」、これも公式謝罪などではない。「手紙」はカネを受け取った人にだけ届けられたものであり、金をやるからこれ以上何も言うなといわんばかりの口封じのためのものである。被害者を見下した同情金である。人をバカにするのにもほどがある。哀れみは謝罪ではない。それは、「法的責任」「賠償責任」を否定するために渋々「道義的な責任」を認めたに過ぎない。被害者の多くは毅然として受け取りを拒否してきた。
米決議支持者の大半は、「河野談話」と共にこの国民基金を評価・賞賛している。「河野談話」がかろうじて許容できる最低限のものだったのである。だがそこからの後退は許しがたい、それがアジア諸国と国際社会の少なくとも政府レベルでの認識である。まして被害者たちにとっては、「河野談話」さえ修正・後退させる動きは言語道断である。
謝罪とは一貫性のあるものでなければ意味がない。数々の暴言、妄言。これを放置し擁護さえし続けながら、「謝罪」も「反省」もありえない。歴史教科書からの抹殺。侵略の美化・正当化。日本軍性奴隷制を裁いた「2000年女性国際戦犯法廷」のドキュメンタリー番組改ざん。政治圧力に屈してその番組を改ざんしたNHKを告発した裁判判決での開き直り、「圧力はなかった」というデマゴギー。これらは、どれほど口先の「謝罪」を繰り返しても、断じて謝罪などではありえない。
「これまでの日本政府の謝罪は決して本当の謝罪ではない」「河野談話を公式な謝罪とは考えていない。それは国会および首相による謝罪を意味しないからだ」(米下院・アジア太平洋地球環境小委員会・フォレオマバエガ委員長)。
今や「河野談話」の限界を語るときである。実名で初めて名乗り出た「慰安婦」被害者、故・金学順(キム・ハクスン)さんによる衝撃の告発と、吉見義明教授による日本軍関与の公文書。動かぬ証拠を突きつけられて、やむにやまれず責任を認めざるをえなくなり、政治決着を図るために出されたのが「河野談話」である。それは韓国、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)、中国、フィリピン、台湾、インドネシア、シンガポールなどアジア全域の被害者、人民の長期にわたる不屈の闘いと、日本国内でのささやかではあるが粘り強い闘いが日本政府から勝ち取った成果でもあった。しかしそれは根本的解決を意味するものではない。だからこそ、それが不十分なものであったからこそ、今回の事態を招いているのであり、根本的な解決がはかられない限り、何度でも再燃するだろう。「慰安婦」被害者はもちろん私たちもまた「河野談話」に留まることに満足していない。その先に進むことを、すなわち政府による公的な真の謝罪と国家責任に基づく補償を要求する。
米決議案が言うように、「慰安婦」被害者の奴隷化や強制はなかったという「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」をはじめ右翼団体らによる主張の誤りを、「公に、強力に、繰り返し論破すること」が、真の謝罪である。決議採択を妨害するために投じている巨額の費用を、被害者の求める公的補償や、歴史教育の場で真実を伝え二度と繰り返さぬ誓いを継承するために投じてこそ謝罪である。安倍と日本政府が行っている被害者への侮辱、中傷、愚弄の数々は、およそ「謝罪」とは遠くかけ離れている。
(5) 六カ国協議の再開、「拉致問題の国際化」がもたらした皮肉な結果−−
日本軍「慰安婦」被害者をはじめ日本の侵略戦争被害者への真の謝罪と補償を
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「慰安婦」問題がこれほどに国際的に一気に広がり注目されたのは、国際的に、とりわけアメリカで北朝鮮によるいわゆる「拉致問題」の認識が広がったことにも起因してる。米のメディアで「北朝鮮による拉致問題と、日本軍性奴隷制とは共に許しがたい非道である」という報道がなされている。ところが、自らの罪には責任逃れと見苦しい言い訳に終始し、「拉致被害」だけを訴える日本政府の姿勢が受け入れられるはずもない。いずれにせよ安部政権が対北朝鮮批判で賛同を得ようと「拉致問題」を国際社会の場に持ち込めば持ち込むほど、日本が侵略戦争とその被害者に対してどんな対応をとってきたかを突き返されるのは当然のことである。「慰安婦」問題、被害者へのあまりに不実な対応、卑劣、傲慢さが際立つのは当然である。「拉致問題」への認識が広がれば広がるほど、「慰安婦」問題への怒りが高まり安倍政権に跳ね返る局面に立ち至っている。
自らの過去の戦争犯罪に、「慰安婦」や強制連行の被害者に誠実に向き合うことなしに、北朝鮮に向かって「誠実な対応を要求する」と大声で叫んでみても、相手の心を動かすことも、周囲から理解されることもできるはずがない。安倍政権の真意は最初から「拉致問題」を解決することではなく政治的に利用することだけではないか、「拉致問題」の真の解決を阻んでいるのは他ならぬ安倍政権ではないのかという認識が今、日増しに明らかになりつつある。
安倍政権は「拉致問題」を利用するだけ利用して、「北朝鮮の脅威」を理由に緊張をあおってきたのではなかったか。六カ国協議を妨害し、新たな軍国主義強化を進めるため、憲法改悪のために世論を誘導することに利用してきたのではなかったか。安倍政権は朝鮮半島と極東の平和も「拉致問題」の解決も望んではいない。そして北朝鮮バッシングをテコに、首尾よく体制翼賛的メディアを作り上げることにも成功してきた。だがすでに国際的にはこの問題を政治利用することに限界が生じ、手詰まりに陥っている。日本が極東アジアの緊張激化の最大の要因となっていることは明らかである。今や国際的に孤立しているのは北朝鮮ではなく日本と安倍政権である。
安倍政権は、「拉致問題」を戦争責任問題に取り組まない道具として利用するのではなく、平壌宣言を誠実に履行し日朝国交回復に本気で取り組むべきであり、日本軍「慰安婦」被害者をはじめ日本の侵略戦争被害者への真の謝罪と補償、加害責任を全うすべきである。
(6)アジアを見下し米英の糾弾にうろたえ、一転して「毅然とした姿勢」を求める、腐敗しきった日本のマスメディア
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被害者とその支援者たちがこれまで語ってきたことが米議会で問題にされ、それがまた米世論の話題に上ったことで日本政府は動揺し、日本マスコミは俄然これを注視し始めた。アジア諸国がどれほど主張しても黙殺か、「国内事情」を持ち出して揶揄し、その主張の正当性ではなく、せいぜい「被害感情」を主要に問題にし、「被害妄想」はいい加減にうんざりだと言わんばかりに右翼的風潮に迎合・助長してきたのではなかったか。「国民基金」を批判し日本政府に公式謝罪と国家賠償を促す国連勧告を、まともに伝えようともしなかったのではなかったか。
ところが米議会と米世論が動き日本非難決議が採決されそうだと見るや、とたんに手のひらを返すがごとくこぞって「慰安婦」問題を「河野談話」を報道しはじめたのだ。さらに安倍発言が批判を拡大させると、あわてて安倍政権擁護。―――「誤解されるような発言は控えろ」(朝日新聞社説)「不健全なナショナリズムをあおる行為は慎め」(毎日新聞社説)、ワイドショーでは「言い訳の必要などない」「毅然とした姿勢を示せ」の大合唱等々、問題の本質を語ることなくひたすらアメリカの批判を回避するために安倍首相を諌めにかかった。右翼産経新聞にいたっては「米国下院の慰安婦決議案と米紙の誤りには、首相が出るまでもなく、その都度、日本政府として訂正を求めるべきだ」「そのまま放置すると偽史が独り歩きし後世に禍根を残す」と、うろたえながらも露骨な居直りと反発を見せている。
被害者、被害諸国に対し、なんという不遜、なんと失礼な態度だろうか。政権に媚び、米の動向に右往左往し、真剣に戦争犯罪に向き合うのではなく、安倍政権と一体となってなんとか無事に事を収めることに神経を尖らせる、このマスメディア、ジャーナリズムのなんと情けない体たらくだろうか。このようなメディアの深刻な状況が日本の加害責任をあいまいにし、拉致問題の政治利用を許し、性奴隷制問題においても拉致問題においても真の解決を遠ざける大きな要因となってきたことを見逃すわけにはいかない。
(7)日本国内でこそ追及し解決を迫らなければならない
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NHK番組改ざん問題で、彼らが最も隠しておきたかったもの。何としても封じ込めたかったもの。「広義」か「狭義」か云々という子どもだましの論理を吹き飛ばすものが、そこにあったことを、私たちは知っている。それは、自らの加害事実を語った旧日本軍兵士の証言である。彼らが、「慰安婦」被害者と共に米議会で証言したとしたら、安倍首相は同様に「強制の証拠はない」などと繰り返すのであろうか。元兵士個人の責任だとでも開き直るのだろうか。
右翼勢力は、実名で素顔をさらし家族の反対を押し切ってまで真実を語り証言した元兵士の姿を、どんな卑劣な手を使ってでも、決してテレビ画面上に登場させたくはなかった。だからこそ、視聴率わずか0.5%の教養番組に牙をむき、右翼団体は大挙してNHKに押しかけ放映させまいと脅迫し、「大物政治家」=安倍は露骨な政治的圧力をかけてまで番組を改ざんさせたのだ。右翼と安倍政権のこの異様なまでのむき出しの憎悪、常軌を逸した反応は、それがまさしく彼らの急所を痛撃するものであったことを物語っている。そこに明瞭に表れているのは、安倍政権は、旧日本軍・旧日本政府と一体の観点と利害を持つ者たちで構成されているということにほかならない。それは、戦後日本において連綿と続き継承されてきたものである。
右翼勢力だけが問題なのではない。戦争犯罪、とくに日本軍「慰安婦」問題=性奴隷制に対する日本国内での国民一般の希薄な認識、無関心がこの右翼勢力の露骨な言動を支えているとは言えないだろうか。その根底には「父や祖父たちを責めるのは酷」という漠然とした無意識・無自覚の擁護があるのではないだろうか。私たち日本人自身が無意識の加担者としてこのような誤った感情に囚われ続けている限り、問題は一歩も前進しない。
だがもはや、問題の解決をこれ以上米議会に頼っているわけにはいかない。米議会での決議案に端を発して国際的に暴かれつつある日本政府・安倍政権の「慰安婦」問題に対する責任逃れと恥知らずな対応は、日本国内でこそ追及し解決を迫らなければならない。それは、私たち日本人の責任である。
※政治家の圧力によるNHK番組改ざんは違法−東京高裁で画期的勝利判決(署名事務局)
私たち日本人一人ひとりに問われているものは、戦争犯罪の責任を負うべき天皇制支配層、すなわち天皇・政府・軍閥・財閥等々アジア太平洋戦争を指導した者と、戦争に参加し追随し指導された者、すなわち国民一般を区別すること、そしてその上でそれら戦争犯罪を美化・礼賛し擁護する立場に立つ安倍反動政権と闘うことである。苦しみぬいて証言に立った元兵士たちは見事その責任を果たし範を示した。ゆえに、「慰安婦」被害者たちは元兵士の証言を限りない感謝と尊敬をもって受け止め、称賛の言葉を惜しまなかったのである。
今度は、恥ずべき戦争犯罪の無意識の加担者となることから免れるために、私たちが動くときである。事実を認識し自覚し、正面から受け入れ闘うのでなければ、反動の側に消極的に加担することにしかならない。それが安倍政権を漫然と支えてきた。今、そこが揺れている! 否、何としても揺り動かし突き崩さなければならない。NHK裁判が明らかにしたもの、そして米議会決議案が引き出した安倍政権の本音、正体を完膚なきまでに暴露し追及しなければならない。そのことを通じて、私たちは私たちの責任を果たそうと思う。
2007年4月4日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する書名事務局
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