[シリーズ米軍の危機:その6 イラク帰還兵らの反戦運動] |
アメリカ反戦運動の一つの主要な担い手・組織者へと成長した帰還兵、兵士の家族、戦死者家族の運動 |
[1]2005年3/19−20 イラク戦争開戦2周年。裾野を広げた米の反戦平和運動。
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(1) イラク戦争開戦2周年の今年3月19日〜20日、全米で反戦運動が闘われた。今年の特徴は、大都市ニューヨークや首都ワシントンでの数万人規模の行動だけではなく、地方都市や地方の大中小様々なコミュニティで数千人から数十人、場合によっては数人規模の反戦行動が行われたことである。UFPJ (平和と正義のための連合United for
Peace and Justice)によると3月19日、20日には全米50州765カ所で反戦行動が開催された。昨年開催された319地域の実に2.5倍である。UFPJが3月14日にホームページに公表した時点で行動予定は45州365カ所であったが、3月17日には725カ所に膨れ上がっていた。統括団体の予想を遙かに上回る規模で反戦行動が組織されたのである。ANSWER連合(戦争を止め、人種差別を終らせるために今行動を、Act
Now to Stop War and End Racism)も800を超える諸都市で行動が組織されたことを報告している。
※At Least 765 Communities in U.S.
Take Action
Against the War
http://www.unitedforpeace.org/article.php?id=2798
http://www.unitedforpeace.org/article.php?id=2782
※March 19/20 AntiWar Action Reports
from
hundreds of cities
http://answer.pephost.org/site/News2?JServSessionIdr001=vqyifqnl51.app13b&abbr=ANS_
&page=NewsArticle&id=6037&security=1023&news_iv_ctrl=1521
http://answer.pephost.org/site/PageServer?pagename=ANS_M19reports
(2) イラク戦争開戦2周年の運動は様変わりした。一年前のスローガンの主要なものの一つは、「大量破壊兵器はなかった」「大義のない戦争をやめよ」であった。昨年1月の米政府大量破壊兵器調査団団長のケイ報告によって大量破壊兵器のウソが明らかになった直後に開かれたイラク開戦一周年の闘いは、この「戦争の大義」が前面に出た。運動はイラク戦争の不当性を強くアピールしたのである。反戦運動の強固な「コアのアクティビスト」、「オルガナイザー」が、ブッシュ政権と翼賛化した大手企業メディアの「イラク脅威論」「イラク解放論」の一大プロパガンダ戦に真正面から抗して、イラク侵略の違法性、不当性、不正義を粘り強く訴えた結果、その成果を結実させたものであった。
しかし、イラク戦争一周年の直後からイラク戦争の政府側プロパガンダを根底から揺るがす事件が起こった。アブグレイブ拷問・虐殺事件の発覚、ファルージャの大虐殺、重傷者の帰還、戦死者の増加、再任期拒否の裁判闘争等々、こうしてイラク戦争の重圧がもはや一般市民の中にも無視することができないものとして出てきた。
(3) UFPJは各地での反戦行動を「住民の運動」、「人々の運動」として表現している。もはや少数の先鋭な一部の活動家の歯を食いしばった闘いではない。数千人のデモから、一人、二人のアピールまで、一般の大衆の下からの総意によって様々な形態で組織され、広範な人びとを捉えたのである。
米の反戦平和運動は、2周年の行動に向けて新たな攻勢を加えるために、いくつかの新たな反戦行動の方法を提起した。すなわち戦費返還キャンペーン、州兵の帰還要求、そして新兵募集阻止行動への参加である。膨大なイラク戦費が教育や社会保障を切り捨てていること、州兵の召集が地域社会を崩壊させようとしていること、めちゃくちゃな新兵募集が若者を死と精神的荒廃に追いやっていることを暴露し、広範な一般市民の反戦意識を目覚めさせようとしたのである。
※反戦運動に再点火する(Reigniting
the Anti-War
Movement)
http://www.commondreams.org/views05/0318-28.htm
3/19ファイエットビルでの集会。肉親をイラクに兵士として送り込まれた家族らからの声
"BRING THEM HOME NOW !"が統一のスローガンとなった。
http://nc.indymedia.org/news/2005/03/14156.php
(4) 「米兵を今すぐ帰還させよ!」「新兵募集に応じるな!」は、一般的なスローガンや、戦場へ肉親を送りこまれた家族らの側からだけでなく、イラク現地で侵略戦争と虐殺の実態を目撃し、自らそれを経験してきた帰還兵たちの側からの、肉声を伴った要求、魂の叫びとしても認識されるようになった。
そして昨年秋頃から新兵募集に対する大衆的なオルグ行動が組織されるようになった。このような新しい運動の組織化において決定的な役割を果たしたのが、帰還米兵たちの運動である。帰還米兵たちがイラクの戦場の惨状を米国民に伝え始めたのである。帰還兵たちの姿も映し出された。その中で中心的な役割を果たしたのが、「戦争に反対するイラク帰還兵の会」(Iraq
Veterans Against the War)である。昨年8月に結成されて以降、米国で精力的に講演やラリーを組織し、イラク派兵の不当性を訴えた。そしてもう一方が、イラク戦争によって肉親を失い、あるいはこれから失いかねない家族らの運動である。開戦当初より精力的に活動を続けてきた「発言する兵士家族の会」(Military Families
Speak Out)に加え、昨年末に結成されて今回の集会がはじめての一般大衆に向けたアピールとなった「平和のための戦死者家族の会」(Gold Star
Families for Peace)が前面に出たのである。
※「戦争に反対するイラク帰還兵の会」(Iraq
Veterans Against the War)※IVAW Statement
on the Second Anniversary of the Invasion
of Iraq http://pt.radicaldesigns.org/article.php?id=514
※「発言する兵士家族の会」(Military
Families
Speak Out) http://www.mfso.org/
※「平和のための戦死者家族の会」(Gold
Star
Families for Peace) http://www.gsfp.org/
(5) これら家族の会と帰還兵らの運動が結びつき、ブッシュ再選以降最初の大規模な反撃として行われたのが、ノースカロライナ州ファイエットビルでの5000人の大集会である。同様に、今年3月1日におこなわれた米バーモント州各地での住民集会と49の町でのイラクへの州兵派遣に反対する決議採択は、反戦意識の住民への浸透を象徴的に示した。州兵の不当な召集が、住民全体を巻き込んだ反対の意思表示をするところまで追い込んだのである。
[2]新しい運動の起点−−帰還兵、兵士家族、戦死者家族が組織の中心となったノースカロライナ州ファイエットビルの反戦行動 |
(1) 今年3月19日、20日の行動で決定的に重要なのは、アメリカのノースカロライナ州での反戦行動である。これはイラクで戦闘に従事している第82空挺師団と多数の特殊部隊の本拠地ブラッグ基地のあるフェイエットビルで行われた行動である。ブラッグ基地は米国内最大の軍事基地であり、イラク派遣兵士の5人に1人はノースカロライナ出身である。
※Historic March Against Iraq Var with
Military
Families, Veterans, Fayetteville NC
March
19
http://neworleans.indymedia.org/news/2005/02/2901.php
昨年同じ場所で行われた集会の参加者は1500人であった。今年の行動にはその3倍にのぼる4500〜5000人が参加した。公園では反戦スピーチが行われ、地面には星条旗に包まれた兵士の棺桶を模した箱が並べるデモンストレーションが行われた。集会の基調ではイラクでの米兵の死傷者問題が取り上げられ、深刻な雰囲気に包まれた。
この行動の主要な発起人には、「平和のための退役軍人会」(Veterans For
Peace)や「戦争に反対するイラク帰還兵の会」(Iraq
Veterans Against the War)といった帰還兵の団体、そして「発言する兵士家族の会」(Military Families
Speak Out)や「平和のための戦死者家族の会」(Gold Star
Families for Peace)といった兵士ら家族、イラク戦争に反対し早期の兵士帰還を要求する団体が名を連ねた。帰還兵、帰還兵家族、戦死者家族らの10数グループが中心となって、イラク侵略の拠点の都市で5000人規模の大集会を成功させたのである。政府・ペンタゴン・右翼の妨害や切り崩しや脅迫にもかかわらず、兵士やその家族が結集したこと自体、当局にとってショックだったはずだ。まさに画期的な反戦行動となった。
100個の兵士の棺桶を模した箱をもち行進をする家族と集会参加者たち
http://nc.indymedia.org/news/2005/03/14156.php
(2) 行進は「平和のための戦死者家族の会」の共同創設者シンディ・シーハンの一歩から始まった。彼女の息子ケーシーは昨年4月に死亡し今は墓に眠っている。シンディが強い意志で一歩進むと、5000人の群衆は彼女の後について険しい丘を登っていった。彼女はイラク戦争が若者の命を未だに浪費していることに怒りファイエットビルに駆けつけたのだ。
ローワン街公園は数百人の警官に取り囲まれた。米国旗に包まれた100の棺桶が並べられた。人々は次々と舞台に上がりスピーチを始めた。
戦争に反対するイラク帰還兵の会のマイケル・ホフマンとケリー・ドーター。昨年5月にイラクで拘束され人質になり、殺害されたマイケル・ベルクさんの父親は、報復ではなく平和を望むと訴えた。「平和な明日のための9・11家族の会」(ピースフル・トゥモローズ)の共同創設者デビッド・ポトーティも参加し、平和を求めた。イラク戦争反対を公言し投獄された最初の軍人スティーヴン・ファンク、イラクへの再任を拒否し投獄され、陸軍刑務所から最近釈放放されたカミーロ・メジャー等々。人々は「ブッシュはウソを付いた、無実の人々が死んだ」、「おまえの戦争を闘うのはゴメンだ」などのプラカードやゼッケン、ピースパラソルを掲げた。女性たちのドラマーのグループ、イラク戦争に反対する「平和のための女性」(CODEPINK)も参加した。
※CODEPINK women for peace http://www.codepink4peace.org/
(3) 9.11の犠牲者、イラク戦争での兵士の犠牲者、残された家族たち、アブグレイブの報復として殺された米国人の遺族、徴兵で息子をとられることを拒否する女性たち−−これら、ブッシュの戦争、アメリカの帝国主義的軍事外交政策、9.11以降の戦争の、ありとあらゆる犠牲者が一堂に会し、5000人の集会を成功させたのである。
これらフェイエットビルの主催者らは、この集会をブッシュ再選以降の反撃の起点と位置付けてきていた。昨年1年間、大統領選の下で封じ込められてきた反戦運動は、選挙後の11月以降、運動の巻き返しを行うための計画に着手してきた。その中で帰還兵や兵士家族らを中心として、イラク戦争2周年に即時のイラク撤退を要求する行動を、ここフェイエットビルより発信することとしていたのだ。ノースカロライナ州は「アメリカで最も軍にフレンドリーな州」と形容されるほど、基地と軍事関連の仕事に依存しており、イラクからの帰還兵も2万人に達する。一方で、フェイエットビルは、1971年にベトナム反戦の4000人規模の集会が行われた歴史を持ち、イラク戦争でも開戦当初より地元の帰還兵や兵士の家族らによる粘り強い運動が続けられていた。この反戦運動にとって象徴的な場所から、アメリカでの運動の新たなスタートが切られたのである。
※Why Pick a Military Town as the Site
for
an Antiwar Rally? By Lou Plummer
http://www.truthout.org/docs_2005/030905N.shtml
※Soldiers' families to hold anti-war
rally
at Ft. Bragg. By Charisse Jones,
http://www.usatoday.com/news/nation/2005-03-17-bragg--rally_x.htm
ファイエットビルで起こったことは、一年前には小さく特殊な運動に過ぎなかった軍人やその家族のグループが、反戦平和運動と密接に結びつき、大きな力となっていることを示した。
※「ファイエットビルの行進は真のアメリカの尊厳を示した」Fayetteville
March Shows Real American Values http://www.freedomroad.org/content/view/326/1/
※Thousands march in Fayetteville,
NC. Iraq
veterans, military families, resisters:
out
now!
http://www.indybay.org/news/2005/03/1728893.php(写真多数)
http://carolinapeace.org/gallery/view_album.php?set_albumName=fayettville05Melanie(ギャラリー)
[3]イラク戦争の負担と矛盾の集中点としての州兵・州兵制度。米バーモント州での住民投票の成功とイラク撤退決議の採択。州兵帰還要求運動(Bring
the National Guard Home)の開始。 |
(1) 米軍危機と反戦世論の拡大・浸透を示したのが、3月19日、20日に先だって行われた米バーモント州の住民投票である。バーモント州各地では3月1日、50を超える町で住民集会が開かれた。州251の町のうち実に5分の1に当たる町が、有権者総数の5%以上の請願署名を集めて住民投票を組織し、49の町がイラク撤退決議を採択し、3つの町が反対、一つの町が同数であった。
このバーモント州での決議は、州兵の召集が地域社会に大きな困難を与えていることを表している。同州北部の町ミルトンでは警官の4分の1がいなくなった。ジョネス村では、町の商店が閉鎖された。オーナーが召集されたためである。消防士もいなくなった。251の町のうち200以上の工場および農場で従業員がいなくなっている。企業、役所、家族、地域のコミュニティなどあらゆるレベルで、息子、娘、夫、妻、いとこ、あるいは隣人の誰かが州兵に関わっている。バーモント州出身の米兵の人口当たりの死者数は召集された兵士の中で最高であり、召集された兵士の割合も2番目に高い。イラク民衆の粘り強い武装抵抗闘争を前に米軍が陥った死傷者の急増、ローテーション危機、現役の兵員不足を埋め合わせ、何とかやりくりしするための強引な州兵召集が、住民の生活や雇用、更には地域社会そのものをズタズタにし、住民全体を投票へと向かわせ、ブッシュ政権に一撃を食らわせたのである。
※Vermont towns say ‘Bring our troops
home’
http://la.indymedia.org/news/2005/03/123366.php
(2) 米政策分析研究所(Institute for Policy Studies)が全米の地方議会を舞台にして、兵士の即時帰還決議をあげさせる運動を展開しており、「発言する兵士家族の会」(Military Families
Speak Out)も各地で働きかけを行ってきた。第2次、3次派兵を併せて10万人以上の州兵・予備役が派遣され、その多くが現役兵よりも劣悪な装備、環境におかれて、より大きな被害をうけていることもあり、バーモント州では2月に州議会で決議が成立していた。
決議はイラクにおける州兵の使用を再検討するよう要請し、さらに、大統領と議会に、米軍の撤退のステップをとるよう要請している。州の大都市バーリントンでは反戦決議への賛成が65%の支援を受けた。バーモントは賃金が低い田舎町であり、軍が主要な就職先であった。軍では危険な仕事が押しつけられる。めちゃくちゃな新兵募集がまかり通っている。こんな状況下でバーモント州では、高校に新兵募集担当官を近づかせない闘い、「反募集プログラム」(counter-recruitment
program)が粘り強い闘いを展開していた。最近の数か月で、バーモント州兵は、新人募集が困難になっている。半年前、2004年の夏までは、新兵募集は全国第2位であったが、2005年2月現在は最下位10州の内のひとつである。まさに、州兵への犠牲と負担転嫁と地元の反戦運動が、高卒の若者たちの新兵募集を困難に陥れているのである。
「州兵を帰還させよ」(Bring the National
Guard Home)、「新兵募集阻止行動に加わろう」(Join the
Counter-recruitment movement)」−−このような新しい運動がここに結実したのである。
※For Many Vermonters, Iraq is on the
Ballot Towns
to Vote on Antiwar Resolution by Sarah
Schweitzer http://www.boston.com/news/local/articles/2005/02/26/for_many_vermonters_iraq_is_on_the_ballot?mode=PF
http://www.afsc.org/pacificsw/counter-recruitment.htm
http://www.militaryfreeschools.org/
(3) バーモントの決議自体に法的拘束力はなく、すぐにブッシュの政策をストップするものではないが、しかしバーモントの決議を巡る運動は、大きな意義を持っている。ひとつは、有権者の請願を集める中で、住民の中にイラク戦争に対する議論を持ち込み、「この戦争のインパクトについて議論すべき人々、州兵の家族や地方議員、警察や学校職員らを巻き込んだこと」(MFSOのナンシー・レシン)である。この過程で、住民らは、いかに自分達が密接に戦争に関わり、そして肉親や知り合いが兵士としてイラクに送り込まれて大きな犠牲を強いられているのかを思い知らされたのである。
そしてもうひとつは、この闘争がブッシュ再選に対する運動の反攻の起点として行われ、見事に勝利したことである。地方の問題のみを取り上げる住民集会という制約の中で、有権者の請願を集める際に「決議だけが戦争を止められる」という反戦プロパガンダ以外の何物でもないスローガンを掲げ、圧倒的な賛同を得たのである。いまも各州で同様の取り組みが行われており、それは地方から徐々にブッシュ政権を包囲していくであろう。
※「In Vermont, a Town-Meeting revolt
over
Iraq war」By Sara B. Miller | Staff
writer
of The Christian Science Monitor http://www.csmonitor.com/2005/0228/p01s04-uspo.html
[4]着実に前進するイラク帰還兵、兵士家族、戦死者家族の反戦運動 |
イラク帰還兵、兵士家族、戦死者家族の反戦運動は今どのような位置にあるのか。大ざっぱに歴史を振り返り、今彼らがアメリカ反戦運動の一つの主要な担い手、組織者として登場し新しい出発点に立っていることを確認したい。
(1)第1期:2002年11月。イラク開戦前に、イラク侵略を止めるために「発言する兵士家族の会」(Military
Families Speak Out)が創設される
イラクに家族や友人を派兵された市民の会、「発言する兵士家族の会」は、イラク戦争開戦準備のための米軍クゥエート派兵が始まって間もない2002年11月に1組の家族が結成したものである。2005年3月現在、約2000組の家族が参加するまでになっている。
イラクからの兵士帰還を求める軍家族団体の草分けといえる「発言する兵士家族の会」は、ブッシュが「大規模戦の終了」を宣言する2003年5月までには200組の家族が参加していた。当時、イラク戦争支持率がまだ高い中、運動に対する軍や世論、他の兵士家族らからの批判と逆風は強かった。参加した家族らは、「兵士を支援することと戦争を支持することは違う」との主張をしながら粘り強く兵士帰還の必要性を訴え続けた。
(2)第2期:2003年春〜夏。イラク派遣延長問題が焦点化。「発言する兵士家族の会」の急拡大と「BRING
THEM HOME NOW」の立ち上げ。
転機は2003年の春頃より始まった。ブッシュが「戦争終結」を口にし始めたのとは裏腹に、イラクでの反米武装レジスタンス活動の高まりが顕在化してきた。戦闘は恒常的に続き、5月までほとんど無かった米軍の死者の数は200名を超えた。ブッシュやラムズフェルドが夢想したような、少数の軍隊で短期間で制圧して支配し撤退するというシナリオは破綻し、イラク派遣軍の10万人体制を維持し続ける必要に迫られていた。2002年のクゥエート派遣から始まった第一陣の派遣期間(通常1年)の期限切れが目前となり、米軍は約束を破り従軍兵士の派遣期間を数ヶ月も延長する方針を出した。
驚いたのは兵士とその家族らである。「大量破壊兵器のため」「イラクに自由と平和をもたらすため」と言い聞かされてイラクに派兵された兵士らは、大量破壊兵器など全くのでっち上げであり「解放しにきた」はずのイラク市民らからは憎まれて、「戦争の大義」など信じられなくなった。そしてこの正当化できない侵略戦争で自らが罪のない民間人を殺戮する現実に直面し、一刻も早く帰還することを待ち望んでいた。家族らも「大義」のない戦争で息子や娘を失うことに危機感を強めていた。このような状況下、派遣延長問題は直ちに政治焦点化した。家族らから兵士の帰還を求める気運が高まりを始めた。このような背景の中で「発言する兵士家族の会」は、この時期に1000組が参加し、一気に5倍以上の規模となった。
さらに米軍の泥沼状況に焦燥感を覚えたブッシュが、反米武装レジスタンスに"Bring
'em on"(かかってこい)と挑発した無神経な発言は、兵士家族らの猛反発を買った。「」発言する兵士家族の会」は、UFPJ(平和と正義のための連合、United
for Peace and Justice)や「平和のための退役軍人会」(Veterans for
Peace)などのグループとともに、新たな運動「兵士を帰還させよ」("BRING
THEM HOME NOW!")を立ち上げた。彼らの「声明」は、次のように述べている。「真実が露呈しつつある。米国の人民は、ブッシュ政権によってイラク侵略の欲求と意図についてだまされた」「多くの米国人は我々の軍隊がそこにいることを望まない。多くの軍人の家族は我々の軍隊がそこにいることを望まない。多くの兵員自身もそこにいることを望まない。圧倒的多数のイラク人も米軍隊がそこにいることを望まない」「もうこれ以上一人の兵員も殺させるな」「もうこれ以上一人の兵員も、恐ろしい屈辱的な、無辜の人々を傷つけ殺戮する行動で精神的に傷つけられるな」と。
(3)第3期:2004年春。州兵の再派遣・派遣延長で不満が噴出。イラク開戦1周年 州兵による再任拒否の表明、良心的兵役拒否が起こる。
2003年後半より多数の兵士が帰還してくるにつれ、ベトナム戦争、湾岸戦争以来の大規模な帰還兵問題が浮上してきた。イラク戦争では米軍の装備向上や高水準の医療技術導入に伴い、これまでにない程負傷兵の死亡率を低下させているが、これは逆に重傷を負った兵士の急増に結びついている。さらに、すでに私たちが本シリーズで明らかにしたように、帰還後、深刻な精神疾患やPTSD症状に悩まされ始めた。
このようなイラク帰還兵問題の浮上により、さらに輪をかける事態が発生した。帰還兵の再派遣であった。派遣延長、そして再派遣が帰還兵らに与える衝撃は計り知れない。
2004年3月16日に、休暇で一時帰国したまま所属部隊に戻らなかった米フロリダ州兵が、「良心的兵役拒否者」としての取り扱いを求めて同州の州兵部隊本部に出頭するという衝撃的な事件が起こった。これは、多くの帰還米兵がカミングアウトし、雪崩のような再任拒否、任務拒否へと向かう決定的なきっかけとなった。
(4)第4期:2004年夏。「戦争に反対するイラク帰還兵の会」(Iraq
Veterans Against the War)の結成
そして2004年夏には、イラク帰還兵による反戦団体「戦争に反対するイラク帰還兵の会」(Iraq
Veterans Against the War)が結成された。
2004年8月のベトナム帰還兵団体「戦争に反対する退役軍人会」の支援をうけ、その経験を受け継ぐ形で、「戦争に反対するイラク帰還兵の会」は立ち上げられた。従来の帰還兵団体が帰還後の保障などを求めて活動しているが、「戦争に反対するイラク帰還兵の会」はイラク戦争反対、兵士の即時帰還を求める点でこれまでの団体とは異なっている。マイケル・ホフマン、ケリー・ドーティ、ダニエル・エルズバーグらたった8人の帰還兵によって設立されたこの団体は、現在では約150名のイラク帰還兵が参加するようになっている。設立者の1メンバーはインタビューに答え、イラクからの帰還後、非武装で罪のないイラク市民を誤射して殺したことに対する罪の意識にさいなまれたこと、自分の行為を正当化しようとしたができなかったことなどの苦しみを吐露し、結局は大義のないブッシュの戦争に刈りだされていたにすぎないこと、怒りを米政府に向けなければならなかったことに思い至ったと述べている。彼らは、今のイラクの混乱は米軍が支配を続けようとしているからであり、今すぐ撤退することこそ、米兵にとってもイラク市民にとってもよいことなのだ、と主張している。
ファイエットビルの集会でアピールする「戦争に反対するイラク帰還兵の会」のメンバー達
http://www.indybay.org/news/2005/03/1728893.php
単なる戦争反対、米国人の犠牲やPTSDなどの被害から撤退を要求しているのではない。イラク市民の立場を理解し、イラクの真の解放、真の復興という立場から、戦争と占領支配に反対しているのである。
元憲兵部隊軍曹のケリーは語っている。イラクの「人々が一体どんな状況下で暮らしているのか。仕事もない、電気もない、清潔な水もない。これらは基礎的な生活のニーズです。そんな状態で、どうしてイラクの人々が選挙や憲法について話し合うことができるというのでしょう?これは帝国のための戦争です。イラクやアフガニスタンから彼らを連れ戻す要求こそ、彼らに与えられている権利の役にたつでしょう」
※同じ時期2004年6月、フィラデルフィアで開催されたNational
Counter-Recruitment Conference 全国反新人募集会議で、全国で活動していた100人が集まり、the
National Network Opposing the Militarization
of Youth (NNOMY)を公式に全国ネットワークとして立ち上げ、統一した運営委員会のもと公式の活動戦略を作成、草の根のコミュニティを結合していくことを決定している。
http://www.objector.org/conferencecr04.html
http://www.youthandthemilitary.org/orgs.htm
※Iraq Veterans Against the Warのメンバーや活動などは以下に詳しく紹介されている。(反戦翻訳者集団)
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/15129346.html
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/8710602.html
※Iraq Veterans Against the War founded by
Tim Wheeler
http://www.pww.org/article/articleview/5563/1/226
Kelly Dougherty 元憲兵部隊軍曹
「人々が一体どんな状況下で暮らしているのか。状況は全然変わってないようでした。仕事もない、電気もない、清潔な水もない。これらは基礎的な生活のニーズです。そんな状態で、どうしてイラクの人々が選挙や憲法について話し合うことができるというのでしょう?これは帝国のための戦争です。あなたたちは兵士らを支援したいとお思いでしょうか?イラクやアフガニスタンから彼らを連れ戻す要求こそ、彼らに与えられている権利の役にたつでしょう。」
*Iraq Veterans Against War February
17,
2005
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=15&ItemID=7268
Amadee Braxton IVAWの運営コーディネーター(Administrative
Coordinator)
「アメリカでの反戦運動はより顕著なものになっていくだろうと思います。昨年春の2004年4月には高い位置にあるようにみえましたが、その後はもちろんのこと、選挙があらゆる焦点とエネルギーを吸い上げたのです。私は兵士の家族とイラク戦争帰還兵の関与が増加していることが、アメリカでの反戦運動に大きな後押しをするものと考えています。」
「イラク戦争は誤りであることに気づいた数人のイラク戦争帰還兵によって設立されました。組織は順調に成長してきています。」
「今現在はイラクに配備されていない多くの兵士が、戦争は誤りで、そこに行く目的など実際のところはなにもなく、そこで彼らが真に達成すべき任務もないように感じており、そして政府が、基本的にはなにも得ることのない彼らを、ここアメリカ本国の企業の富のために、危険にさらして配備する事に憤慨していることを、私達は発見しています。」
「私たちの組織は軍の即時撤退を要求している点でユニークであると思います」
「私たちは、米軍はイラク占領軍であると認識しています。そしてそこに居座れば居座るほど、より多くの憤慨と破壊、死がそこに生じるでしょう。」
<Q:順次撤退あるいは部分的撤退を要求しはじめた政治家が多くなってきた。米軍が直ちに撤退すべきと望むパーセンテージが増加していると思いますか?>
「私達がはじめてから、それは少しばかり増えました。即時撤退を要求する議員2,3人と会っています。彼らはほんの少数はにすぎないのですが、しかしブッシュ再選前からその立場をとっていました。それで、帰還兵や兵士らの家族が戦争反対の声をあげることで、より多くの人々に、あそこでこれ以上時間を費やす事は一層の死と破壊をもたらすことにしかならないことを理解させられるようになると思います。」
「ベトナム帰還兵たちは、私たちの組織の育成を支援し、私たちとベトナムでの彼らの類似の経験を共有するのに大きな役割を果たしました。」
<Q:カナダでの難民申請について今月末に決定されると想定されている、イラクで戦うことを拒絶した数人の抵抗者がいます。あなたたちの組織はカナダの戦争拒否者のケースをどのようにみられていますか?>
「私たちは、熱心にその決定の結果を待っています。また、私たちは、カナダの政府が亡命を求めるものに与えられる難民認定の必要を理解することを実際に望んでいます。」
<3/19について>
「また、新人募集反対、良心的兵役忌避者ステータスおよびそれらのような事柄に関するワークショップがあるでしょう。」
※ Iraq Veterans turn war critics by
Neela
Banerjee (New York Times) January 23,
2005
http://www.notinourname.net/troops/vet-critics-23jan05.htm
IVAW 現在150人以上 Operation Truth300人、2500人のメールリスト
イラク帰還兵は、ベトナムおよび湾岸戦争の帰還兵の闘争を与えられ、彼ら自身の利害を主張する必要性を痛切に感じている。古い帰還兵たちは、彼らが冒した誤りをイラク帰還兵が回避するのを助けるために知識の蓄積と同情を提示した。
Operation Truthメンバー、Corporal Huze
イラクで見た殺戮を忘れられず、戦争の正当化の理由と取り組み始めた。2003年12月までに、私は結論に達した。W.M.D.はそこにありませんでした、そして、サダム・フセインは全く9/11と関係がありませんでした、また、今、私は、イラクで経験したものすべてを残され、それをバランスさせるものはない。その結論に来た時、私は裏切りの感覚を感じました。私は激怒と鬱でいっぱいでした。
*Breaking Ranks: An Interview with
Mike
Hoffman
The co-founder of Iraq Veterans Against
the
War knows firsthand why the United
States'
mission in Iraq is the wrong war.
Mike Hoffman
Interviewed By Eva Steele-Saccio
October 11, 2004
http://www.motherjones.com/news/qa/2004/10/09_400.html
(5)第5期:2004年末。ブッシュ再選後の運動の巻き返し。戦没者家族の運動「平和のための戦死者家族の会」(Gold
Star Families for Peace)の結成
2004年12月末の「平和のためのイラク戦死者家族の会」(Gold
Star Families for Peace 2005年3月現在で約60人)の立ち上げは「戦争に反対するイラク帰還兵の会」と同じくらい衝撃的である。なぜなら、戦死者は英雄と祭り上げられ、戦没者遺族はその「栄誉」を受け、口を封じ込められるからである。それ故、戦没者家族による運動は、他の軍家族らを初めとして強い反発、妨害を受ける状況にある。
しかしとうとう反戦を掲げる戦死者家族らが出現しはじめたのである。メンバーの一人は、戦争が長期化して日常となり、自分の息子を戦争で失ったことを話すと「どの戦争で?」と返答されることに危機感を覚えたという。「平和のためのイラク戦死者家族の会」は、ほとんど手探りの中で旗揚げされたものであり、インターネットを通じて偶然知り合った「発言する兵士家族の会」と連携し、自分達の悲痛な経験を訴え、即時の兵士帰還要求を掲げ始めた。最初はほとんど公けの宣伝をしていなかったものの、次第に同様の境遇の2、3の家族から連絡があり、徐々にその輪を広げてきた。(有名な会員は、あのマイケル・ムーアの「華氏911」に取り上げられたライラ・プリスコムさんである)
述べ100万人以上にもなるイラク派遣兵士、そして1500名以上を数える米軍戦死者の数から比べればまだ少数にとどまるが、しかしイラクで米軍がその占領支配に行き詰まり深刻な軍ローテーションの問題を抱える中、その矛盾が最も深刻に現れる兵士と家族らの中から、ゆっくりと、しかし確実に、イラク戦争反対の気運と運動が沸きあがってきているのである。
※[シリーズ米軍の危機:その4 もうだまされない]
『華氏911』と『戦場から届いた107通の手紙 マイケル・ムーアへ』
(6)第6期:イラク戦争2周年、2005年3/19−20。帰還兵、兵士の家族、戦死者家族の運動が結集し反戦運動の前面へ。
そして今年の開戦2周年に、反戦運動は新たな一群をその隊列の前面に押し出すのである。すでに冒頭で報告したように、ノースカロライナの軍事基地ファエットビルで行われた反戦行動に、戦没者家族、帰還兵、兵士家族をそれぞれ代表する3団体すなわち「平和のためのイラク戦死者家族の会」「戦争に反対するイラク帰還兵の会」「発言する兵士家族の会」が中心舞台に立ったのである。ネットを通じてしか接点のなかった「平和のためのイラク戦死者家族の会」のメンバーはこの行動で初めて顔を合わせ、一般大衆に向けて自分達の悲しみと怒りを訴える場所になったのである。会員のビル・ミッチェルは言った。「私たちが集まれば、それはとても大きな力だ。」
「戦争に反対するイラク帰還兵の会」は語っている。「選挙があらゆる焦点とエネルギーを吸い上げたこと」によって、米の反戦運動は一時的に後退したが、兵士の家族とイラク戦争帰還兵の運動への関与が増加していることが、アメリカでの反戦運動に大きな後押しをする、と指摘した。民主党のケリーは救済者ではないと明確に述べている。3/19、20はまさにそのような新たな取り組みの起点となったのである。
※For Some, a Loss in Iraq Turns Into
Antiwar
Activism Gold Star Families Band Together
to 'Make People Care'http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A42498-2005Feb21.html
※Iraq Veterans Against War February
17,
2005 http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=15&ItemID=7268
帰還兵、兵士の家族、戦死者家族が集ったファイエットビル集会
http://chapelhill.indymedia.org/news/2005/03/14147.php
[5]反戦運動内部の論争と着実な運動の広がりと前進。民主党系のスローガン「できるだけ早い帰還を」を乗り越える新しいスローガン「今すぐ撤退せよ!」の意義 |
(1) 「戦争に反対するイラク帰還兵の会」のような先鋭化した立場の帰還兵団体の登場はブッシュとアメリカの加害への批判が不徹底な民主党支持の団体との間で論争を巻き起こした。その集中点の一つが「今すぐ撤退せよ!」(OUT
NOW!)をめぐる論争である。すでに冒頭で紹介したバーモントでの住民投票決議を求める運動では、ベトナム戦争の際に軍の即時撤退を要求したのと同じスローガン、"OUT
NOW!"が用いられた。これはイラク戦争が早くも末期症状に陥っていることを、運動が認識し始めたことを示している。このスローガンを巡って、民主党系の団体は、この要求に対置して「できるだけ早い帰還」"Bring
the troops home as soon as possible."を主張した。アメリカの侵略戦争に対する反省と自己批判ではなく、米国人の被害の面から撤退を要求し、米の中東支配・石油支配の権益を確保した上でのきちんとした「出口戦略」を描いた上での緩やかな段階的な撤退を求めたのである。しかしこれら民主党の党利党略に左右されないイラク帰還兵・兵士家族の団体は一歩も譲らなかった。このような激しい論争の中で、「OUT
NOW!」が全体のスローガンとなったのである。
※U.S. Rallies Mark Iraq Anniversary,
Reflect
Anti-War Groups' Growth, Challenges
http://www.commondreams.org/headlines05/0321-07.htm
http://www.veteransforcommonsense.org/index.cfm?Page=Article&ID=3021
※Burlington Votes to Bring the Troops
Home
Now!
http://www.commondreams.org/views05/0309-28.htm
(2) 確かに、徴兵制がとられていたベトナム戦争時とは異なり、現在では多くの帰還兵が軍務を解かれず軍に所属したままであり、帰還兵の運動への大量参加は難しい状況下にある。にもかかわらず、様々な不利益や障害を乗り越えて、再任を拒否して訴訟を起こしたり、イラク派兵を逃れるための部隊からの離脱、カナダへの集団逃走、そして良心的兵役忌避者として認めさせるための活動などが行われている。「米兵の権利ホットライン」(GI Rights Hotline)には、兵士らからの相談が昨年32,000件(2001年は17,000件)と急速に増加しており、その15%は良心的兵役忌避者だという。
2002年10月に立ち上げられた「平和と正義のための連合」(United for Peace
and Justice)は、反グローバリズム運動の「グローバル・エクスチェンジ」(Global Exchange、この組織はイラクの占領を監視するOccupation
Watchセンターを設立した)と「政策分析研究所」(The Institute for Policy
Studies )がその設立に重要な役割を果たしている。これは、反グローバリズム運動と反戦運動の協力関係により、新たなイラク反戦運動が展開され始めたことを意味する。こうしてイラク反戦運動は、次々と新しい切実な要求やエネルギーを巻き込みながら、意見の相違や対立を乗り越え、その運動の裾野を拡大し前進している。
2005年4月22日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
[シリーズ米軍の危機:その1 総論]
ベトナム戦争以来のゲリラ戦・市街戦、二巡目の派兵をきっかけに顕在化した過小戦力、急激に深刻化し増大し始めた損害
[シリーズ米軍の危機:その2 イラク帰還兵を襲うPTSD]
イラク帰還兵で急増するPTSDと戦線離脱。必死に抑え込もうとする米軍の非人間的な“殺人洗脳ケア・システム”
−−NHK・BSドキュメンタリー2004年12月11日放送:「イラク帰還兵 心の闇とたたかう」より−−
[シリーズ米軍の危機:その3 イラク帰還兵とイラク症候群]
イラク症候群:イラク帰還兵をめぐる諸問題の急速な顕在化
[シリーズ米軍の危機:その4 もうだまされない]
『華氏911』と『戦場から届いた107通の手紙 マイケル・ムーアへ』
[シリーズ米軍の危機:その5 新兵募集危機と徴兵制復活の脅威]
米陸軍を襲う新兵募集危機――若者が中心となった新兵募集反対運動、徴兵制復活反対運動
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