[シリーズ米軍の危機:その2 イラク帰還兵を襲うPTSD]
イラク帰還兵で急増するPTSDと戦線離脱。必死に抑え込もうとする米軍の非人間的な“殺人洗脳ケア・システム”
−−NHK・BSドキュメンタリー2004年12月11日放送:「イラク帰還兵 心の闇とたたかう」より−−



番組紹介に当たって−−一気に噴き出してきた米兵のPTSD問題。「爆発的な急増」を恐れる従軍精神科医たち。

(1) 昨年末12月11日、多数の兵士を襲う深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)を取材した『NHK BSドキュメンタリー「イラク帰還兵 心の闇とたたかう」が放送された。それは戦場での恐怖とストレス、無実のイラク市民を殺害したことによる良心の呵責によって引き起こされている。このドキュメンタリ−は、そのような人間として苦しみ抜く米兵の姿をあからさまに描いている。イラク戦争の現状を憂い、イラク反戦活動に取り組む全ての人々に見て欲しい番組である。[シリーズ米軍の危機:その2]では、この番組の紹介をしながら、米兵を襲う精神疾患とPTSDについて考えてみたい。
※『NHK BSドキュメンタリー「イラク帰還兵 心の闇とたたかう」』http://www.nhk-jn.co.jp/002bangumi/topics/029/029.htm

 この番組が放送された直後の昨年12月16日、ニューヨーク・タイムズ紙は、「問題を抱えた兵士の洪水が間近に迫っている」(“A Flood of Troubled Soldiers Is in the Offing, Experts Predict”、Scott Shane)という衝撃的な記事を配信した。現在では負傷兵の98%の命を救うことができる反面、膨大な負傷者の数を生みだし、精神疾患・PTSDを抱えた兵士が爆発的に急増する、と警告したのである。ベトナム戦争同様、数十年に渡ってアメリカ社会の病巣となって人間と社会を蝕んでいくのだと。そして、31000人が精神疾患や負傷のため障害者給付金を請求している状況を明らかにした。こうした米軍兵士の精神疾患やPTSD負傷者の急増の事実は、負傷者21000人、31000人という無機質の公表された数字の背後に極めて重大な問題が存在していることを示している。
※なお、この記事については本シリーズで翻訳紹介する予定である。“A Flood of Troubled Soldiers Is in the Offing, Experts Predict”By Scott Shane The New York Times 16 December 2004 http://www.talkaboutwars.com/group/alt.war.vietnam/messages/505125.html

 私たちは、[シリーズ米軍の危機:その1]において、現在のイラク駐留米軍を中心とする米軍が今現在陥っているこの上ない危機の現状を包括的に概観した。実は私たちが本シリーズを開始する動機の一つとなったのも、このNHK番組、ニューヨーク・タイムズの記事など米兵の精神疾患とPTSDを扱った情報である。数十人、数百人、千人という単位の戦死者、数千人、数万人という単位の負傷者−−これに対してPTSDは、数万人、数十万人という単位である。「これでは米軍はもたない」と直感したのである。もちろん米軍は、この番組の後半にあるように、過酷な「戦力増強システム」を通じて、軽症患者と重症患者を選別し戦場に無理矢理再投入しようとするのだが、PTSD患者に鞭打ってもこんな状況ではおそらく戦力になるまい。否、それどころか、ますますこれら若い兵士たちをより重傷のPTSDに陥らせ、人格を破壊し、精神をギリギリまで破壊するだろう。米軍はイラク戦争で若い自国民をボロボロにしているのである。

 撤退させるにさせられない行き詰まり状況には幾つかの要因がある。しかし間違いなく、ここに紹介するような米軍兵士の苦しみなど意に返さない戦争指導者の戦争という悲惨で過酷なものに対する無知、いやそれを知ろうとしない姿勢、いや知る必要などない特権的支配エリートの階級的立場がある。現在のブッシュ政権は、ブッシュも、ラムズフェルドも、チェイニーも、ウォルフォウィッツもネオコンの連中も、誰一人として戦争の悲惨な現実を体験した者はいない。むしろ全員がベトナム戦争で徴兵逃れをした者ばかりである。「チキン・ホークス」と批判されている。しかも制服組も、同出身者もパウエルやアーミテージを筆頭に出世主義と迎合者ばかりであり、政権トップに米兵が陥っているこの深刻な状況が伝わるスベがないのが現状である。
※「ベトナム戦争以来のゲリラ戦・市街戦、二巡目の派兵をきっかけに顕在化した過小戦力、急激に深刻化し増大し始めた損害」(署名事務局)


(2) 番組は、「イラクから帰還した兵士の6人に1人がPTSDなど精神的に深刻な問題を抱えています」のナレーションからはじまる。そして3人のイラク帰還兵の証言が続く。若い帰還兵たちが深刻な精神的ダメージを口々に訴える。「人混みの中にいると不安になります。逃げ道を確保し、いざという時に使える武器を探してしまうんです。」「イラクでの経験がスローモーションでよみがえりパニックに襲われます。幻覚が現れ、頭が混乱してしまいます。」「私の部隊は48時間の内に30人以上の民間人を殺しました。」等々。
 ベトナム帰還兵のPTSD問題は、ベトナム戦争末期、ベトナム戦争集結後に大きな社会問題へと発展し、数十年に渡ってアメリカ社会を蝕み続けている。しかしイラク戦争開戦からわずか1年9ヶ月。イラク戦争の渦中において早くも米兵のPTSD問題が大問題になり始めたのだ。現在のゲリラ戦、市街戦がいかに凄惨かつ過酷であるか、イラク戦争がいかに残虐で大義のない戦争であるかがわかる。

 番組では、帰還兵士の証言に続いて、イラクの前線基地、負傷者が搬送されるドイツのラムステイン空軍基地とランドスツール病院、派兵と帰還の拠点となるワシントン州のランス陸軍基地基地、そしてカリフォルニア州の国立PTSDセンターを通じてPTSDになった米兵がどのような扱いを受けるかを取材している。派兵する前の予備教育、派兵地での精神科医や従軍牧師による精神的ケア、精神障害を負った兵士の収容先としてのドイツ・ランドスツール病院、戦闘への復帰が不能となった兵士の兵站・後方部隊への編入、部隊そのものへの復帰が困難となった兵士の帰還先としてのランス陸軍基地、そして長期にわたる国立PTSDセンターでの治療。
 この一連の施設を一言で言い表すならば、戦闘可能な兵士と戦闘不能な兵士、再起できる兵士と再起不能な兵士を選り分ける選別システムでる。この選別システムを使って米軍は戦闘可能な兵士を絶えず戦場に供給してきたが、現在、その末端においても入り口においても機能不全に陥っているのである。
 その危機感は「兵士が精神的な問題のために戦線を離脱したら、アメリカ軍全体として任務が遂行できなくなってしまう」という精神衛生担当高官の言葉がよく表している。


(3) 2003年末に帰還兵の6人に1人、16%がPTSDなどを発症−−番組制作の最も重要な素材になったのがこの数字である。これはアメリカの医学雑誌『ニューイングランド医学ジャーナル』が、米軍の協力で行ったイラクに駐留するアメリカ兵の精神状態に関する調査の結論である。調査報告書「イラク及びアフガニスタンにおける現役米軍兵士の精神衛生問題、ケアの障害」は2004年7月に発表された。
 その結果、2003年10月から12月に帰還した兵士1695人の内、278人、およそ16%の兵士がPTSDなど精神的に深刻な問題を抱えていることが分かった。きっかけとなった出来事は次のようなものであった。敵から撃たれた、市民の殺害に関与した、仲間が死亡した、救助されずに負傷している子供や女性を見た、等々。

※「Combat Duty in Iraq and Afghanistan, Mental Health Problems, and Barriers to Care」The New England Journal of Medicine Volume 351:13-22 July 1, 2004 http://content.nejm.org/cgi/content/full/351/1/13

 しかしよく考えて欲しい。2004年7月に出されたこの報告が依拠しているのは、2003年10月〜12月の調査である。番組はこの報告をもとに新しい映像が加えられているにすぎない。すなわち、2004年4月のファルージャの侵攻と大虐殺も、5月のアブグレイブ捕虜虐待・拷問発覚も、8月のナジャフの大攻撃と激しい市街戦も、そして11月の2度目のファルージャの侵攻と大虐殺も含まれていない。さらにつけ加えれば大量破壊兵器がなかったとの最終報告が出されたのも昨年10月である。PTSDの原因となる非武装の一般市民の虐殺、ゲリラ戦と市街戦、大義名分の欠如と崩壊等々の一番激烈で衝撃的な体験は、2004年に入ってからなのである。それら全てが含まれていないのだ。16%という数字は、今ではその2倍、3倍に跳ね上がっているであろうことは間違いないだろう。


(4) どちらが人間的で、どちらが非人間的なのか。どちらが健康で、どちらが病気なのか。どちらが正常で、どちらが異常なのか−−この番組を見た人は、米軍の転倒した姿、非人間的な本質、そこに従事する精神科医とケア・システムの病的で腐敗した犯罪的な役割を見せつけられるだろう。「女性や子どもたちを殺しても構わないのだ」「君が悪くはない」「身を守るため当然のことをしただけだ」等々、PTSD患者を強引に説得する従軍精神科医、軍の高官たち、米軍そのもの。まさにこれは“洗脳”である。これに対して無実の武器を持たない女性や子どもたちを殺してしまったと罪の意識、良心の呵責に囚われる兵士たち。

 米兵に対して、いかに市民殺害に罪悪感を感じさせず平気で虐殺を遂行させるか−−番組は後半部分で、兵士を殺人マシンに仕立て上げる驚くべき“洗脳ケア・システム”が紹介されている。PTSDにかかっている余裕はない。一人でも多くの兵士を戦場に叩き帰さねば兵力不足は危機的な状態になる。本国だけではなく、現地イラクにまで設置された「戦闘ストレスコントロール」システムの非人間的本質が出てくる。おそらく自らが実際には過酷な体験をしたことのないような、エリートの精神科医が、平気でPTSD兵士を戦場に無理矢理突き返しているのである。まるで消耗品を扱うように、歩留まりを上げろというわけである。

 私たちはこの番組を見て初めて知ったことだが、意外にもPTSDの最大の原因は、「一般市民、女性や子どもを殺してしまったという良心の呵責」なのである。他にもPTSDの原因には「いつ敵にやられるかわからない恐怖」「同僚の死亡」「救助されずに負傷している子供や女性の姿の目撃」等々もあるが、しかし紛れもなく、最大の要因は「一般市民殺害」なのである。治療責任者の以下の言葉が印象的である。「兵士は人間の心を持っています。軍服を着たからと言って人間の心の奥底にあるものまで無くなってしまうわけではありません。そして、その人間としての心が衝撃的な出来事と対面したとき、彼らを苦しめ始めるのです。」

 しかし無慈悲にも「戦闘ストレスコントロールチーム」すなわち、米兵を無理矢理戦場へ復帰させる選別組織の元隊長が「民間人の犠牲が出てしまってもしかたがない・・・我々は、正当な戦い方をしてきたんだ」と兵士を「手当て」する言葉も別の意味で印象的である。大量殺戮と市民の犠牲を当然のこととし、他民族を虫けらのように扱う米軍の本質がこれほど集中的に現れている事例はないだろう。
「戦争における「人殺し」の心理学」(テーヴ・グロスマン著 ちくま学芸文庫)という本がある。この本は米陸軍で心理学を担当していた元教官が書いたものである。この本は、ベトナム戦争以降、米軍がいかに兵士に人を殺させるようにするかに腐心してきたかという物語である。兵士が相手を殺す心理的抵抗はとても大きい。例えば、第2次世界大戦では歩兵の15〜20%しか敵に向けて発砲していない。あとの80%以上は、たとえ自分の身をより危険にさらす状況であっても、喜んで銃を撃つ以外の任務をし、戦線から離脱しようとしている。米軍は兵士が発砲しないこと、そして相手を殺したときに心理的ダメージをうけて使い物にならなくなることに悩み、どうすれば多数の兵士の心理的抵抗を減らして人殺しをさせるかを系統的に研究してきたのだ。その結果、ベトナム戦争では80%以上の兵士が「敵」に向かって発砲するようになった。
 しかしその分、PTSDに苦しむ帰還兵が膨大な数に増え、これらの心理的ケアという新たな問題に直面した。ベトナムで多数の兵士を人殺しに踏み切らせたのは、遠距離からの攻撃による心理的抵抗の削減(爆撃など、相手が見えないようにして殺す。また狙撃もとても有効であるという)以外に、徹底した訓練をしてパブロフの犬のように条件反射させることであった。実際に人の形をした標的を使った実戦的訓練を繰り返すことで、戦場に出たときに相手を「ただの的」のように感じさせ条件反射的に引き金をひかせるという。また相手に対する差別・偏見をもちこみ、対等な人間でないと教え込むことで、殺したときの後悔を感じる必要がないと思わせるのである。−−全て今回のイラク戦争にも当てはまることだ。
 こうしてみると、米が「武装勢力」「テロリスト」「オサマビンラディン」「ザルカウィ」と並べて戦争を正当化するのは、ジュネーブ条約や国際法、メディア対策の口実だけではなく、何の「大義」もない戦争に従軍し、イラク現地で殺戮・破壊任務を遂行している米兵自身に対しても呼びかけているのである。「そいつは殺しても問題ないのだ」と。そういえば、昨年11月のファルージャ攻撃の際、海兵隊司令官が、「あそこには悪魔が居る。我々の任務はその悪魔を退治することである」と命令を発していたのを想起する。

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 以下の紹介では、この番組を、以下の4部に分けて紹介したい。
[1]イラク帰還兵たちのPTSDの生々しい証言
[2]米軍に張り巡らされたPTSD対策のための諸施設−−兵士=殺人マシンの稼働率を上げる驚くべきシステム
[3]住民虐殺を受け入れさせ平気にさせる従軍精神科医の“洗脳”ケアと非人間的役割
[4]ファルージャの大虐殺が米兵の間に更にPTSDを拡大
 帰還兵やケアマネージャーたちの証言についてはできる限り忠実に再現した。彼らの言葉は、米軍がイラク戦争遂行のための戦力の維持ができるかどうか、まさに今瀬戸際に立っていることを証明するだろう。なお以下の紹介は、署名事務局の責任で、課題ごとに再構成したものである。

2005年1月23日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局





[番組紹介]
NHK・BSドキュメンタリー2004年12月11日放送
「イラク帰還兵 心の闇とたたかう」


[1]イラク帰還兵たちのPTSDの生々しい証言

 まずは、3人の帰還兵の証言を聞いてみよう。一人目は、イラク開戦から9ヶ月間、最前線で任務に就き、バグダッドでの激しい戦闘も経験したというアレックス・ジマーマンである。彼は、カリフォルニア州の退役軍人病院にある国立PTSDセンターでグループ治療を続けている。2人目は、イラクに去年1月から5月まで駐留し、海兵隊の軍曹として55人の部下を指揮してきたジミー・マアシー(33歳)である。ジミーはアメリカに戻って1年以上がたった今も、誰かに狙われる恐怖に脅えながら自宅で治療している。3人目は陸軍軍曹のアンドリュー・ポガニー(32歳)である。アンドリューはイラクで、アメリカ軍の砲弾を受けたイラク人の無残な死体を見て以来、幻覚症状に悩まされるようになった。PTSDを訴え治療を要求したが、軍はアンドリューを本国送還し、最高刑が死刑ともなる「臆病罪」で訴追したのである。アンドリューは戦場の経験に加え、この軍の裏切りと冷酷な仕打ちが大きなストレスとなっている。


□証言1 海兵隊員アレックス・ジマーマン(20歳)。

 幼い少女とその家族を殺してしまったことが悪夢の始まり
 アレックス・ジマーマンはイラク開戦から9ヶ月間、最前線で任務に就き、バグダッドでの激しい戦闘も経験した。

 医師:「イラクから戻ってしばらくたちますね。どんな症状がありますか?」
 アレックス:「イラクで体験した出来事についての悪夢を見ます。初めはあまり深刻に考えていませんでした。ストレスを感じているんだな、ぐらいに思っていました。でもその悪夢が毎日現れるようになったんです。基地の敷地内を夜、運転していたとき、突然、過去の記憶がよみがえりました。基地には湾岸戦争の時に持ってきたイラクの戦車が置いてありました。その戦車を見たとき、思わずハンドルを切って道路から外れてしまったんです。」
 医師:「イラクに戻ったと思ったんですか?」
 アレックス:「一瞬ね。そこは丁度砂漠のような地形になっていて、道から外れると車は砂の中で止まっていました。しばらくして、一体自分は何をしているんだと我に返ったんです。」
 アレックスはイラクで体験した一つの出来事が元でPTSDを発症した、と医師たちは見ている。それは、戦争後の混乱が続いていたときのことであつた。アレックスは仲間と共に不振な車を見つけ発砲する。ところが、車の中にいたのは、幼い少女とその家族だった。アレックスは怪我をした少女を抱え、助けを求めて走った。しかし、少女は亡くなった。

  軍服を着て人殺しの訓練をしても人間の心は残って苦しめる

 アレックスの治療の責任者は、センター長のフレッド・ガスマン。ベトナム戦争の最中、1973年にセンターを開設して以来、帰還兵のPTSDの治療に当たってきた。

 「アレックスはイラクでの出来事について、これは戦争なんだ、自分は任務を遂行しただけなんだ、と納得するチャンスも時間もありませんでした。誰にも相談することができず、自分の胸にしまい込んでしまったのです。それは、本人にとって、とてもつらいことです。どう受け止めていいのかわからず、混乱し、その結果、落ち込んだり、怒りっぽくなったりした挙げ句、夢にまで出てくるようになったのです。軍隊では敵から自分や仲間の命を守らなければならない。そして、敵を倒す任務があると訓練でたたき込まれます。しかし、兵士は人間の心を持っています。軍服を着たからと言って人間の心の奥底にあるものまで無くなってしまうわけではありません。そして、その人間としての心が衝撃的な出来事と対面したとき、彼らを苦しめ始めるのです。


□証言2 海兵隊軍曹ジミー・マ−シー(33歳)
 ジミー・マーシーはイラクに去年1月から5月まで駐留し、海兵隊の軍曹として55人の部下を指揮してきた。ジミーはアメリカに戻って1年以上がたった今も、誰かに狙われる恐怖に脅えている。
 ジミー「イラクに行く前は、鍵をドアに刺したまま忘れて寝てしまうこともあったほどでした。でもイラクから帰国してからは周りに対してとても警戒心が強くなりました。誰かが自宅に侵入してきたときのために、防犯装置をつけました。警報で目が覚めますからね。」

 ジミーは、妻のジャッキーと二人で暮らしている。ジミーがイラクから戻ってきたとき、それまでとは人が変わったようになっていたとジャッキーは言う。
 ジミーの妻:ジャッキー「ジミーは、外見は健康な男性に見えますが、心の中には全く異なるもう一人の人間がいます。週に4−5日は悪夢にうなされています。叫び声を上げたり、枕をたたいたり、蹴っ飛ばしたり、平手打ちをしたり、ぐっすり眠れることなんて彼にはありません。私が起こすと、彼は自分が一体何をしていたのか、覚えていないんです。」

 非武装のデモ隊を銃撃 部下が説明を要求
 ジミーの心に深く刻まれた体験はイラクで、一般の市民を殺害したことであった。
 ジミー:「私はバグダッド郊外を軍用車で走っていました。すると、通りの向こうの方でイラク人たちが看板を掲げながら、叫び声を上げていました。デモ隊のようでした。サダム・フセインとイスラム教の指導者の看板を掲げていました。車を止めて戦車の乗っていたアメリカ兵に『一体あそこで何が起きているんだ?』と聞きました。兵士は『大丈夫です。彼らは武器は持っていません。』と答えました。しかしその時、突然、こちらに向けて発射された銃声が聞こえました。私は即座に肩に下げていた武器を手に取り、狙いを付けてデモ隊に向かって、発砲を始めました。私の部隊の部下たちもすぐに攻撃を開始しました。一通りの攻撃を終え、我々は武器と死体を確認しに行きました。しかし、そこには武器はありませんでした。我々はデモをしていただけの無実の民間人を銃殺してしまったのです。」
 この出来事は、ジミーの部下の兵士たちを動揺さた。ジミーは、必死に動揺を抑え、平静さを装うとした。

 ジミー:「部下たちは私に質問をしてきました。『軍曹はこの事態をどう説明するんですか?』私は、『我々は政治家ではない。倫理的に何が正しくて、何が間違っているかを決めるためにここにいるわけではない。大統領から命令された任務を遂行するためにここにいるんだ』と答えました。」
 それは、ジミー自身が自分の心に言い聞かせ続けていた言葉だった。やがてジミーは、それでは自分の心を納得させられないことに気づく。そして、悪夢にうなされるようになる。
 ジミー:「銃の引き金を引くのは簡単です。問題はその後です。殺したのが敵の兵士ではなかった。民間人だったことに気づいたその後が、問題なんです。私は結果的に民間人に対しても引き金を引いてしまいました。それに気づいたときに、それがトラウマとなって、苦しみが始まるんです。その後も同じような事件が続き、もうたくさんだと思いました。沈黙を保っていてはいけない。何が起こったのかを正直に口にしなければならないと思いました。我々は48時間の内に、30人以上の民間人を殺しました。
 ジミーは、「民間人を殺害することは罪です。」と上官に告げた。その後、イラクからアメリカ国内の基地への配置転換を言い渡され、ジミーは自ら除隊した。イラクから帰還して1年半以上がたった今も悪夢と恐怖に悩まされ続けている。


□証言3:陸軍軍曹のアンドリュー・ポガニー(32歳)

 イラク人の無残な死体を見て以来幻覚症状 
 アンドリューは、イラクでアメリカ軍の砲弾を受けたイラク人の無残な死体を見て以来幻覚症状に悩まされるようになった。さらにそのストレスを訴えたときの軍の対応が深い心の傷となって残ってる。
アンドリュー:「何もかもがスローモーションで襲ってきました。パニックに陥りました。幻覚で頭が混乱してしまいました。まず、部隊の上官に助けを求めました。『冷静になって、自分を取り戻せ。』と言われました。『乗り切るんだ』と。そうしようと努力しましたが、ダメでした。三日目になって、ようやく従軍牧師に相談ができました。牧師は、私のストレスは決しておかしいことではない、私のような状態の兵士を数え切れないほど見てきた、と言ってくれました。症状を緩和するために、戦闘ストレスコントロールチームのところに行くように勧められました。」
 戦闘ストレスコントロールチームが書いたアンドリューの診断書には以下のように書かれている。「戦闘のストレスによって精神的な障害が出ている、本人が希望するならば、前線の任務から離し、コントロールチームの下で72時間の治療を受けさせる。」

 軍はアンドリューを帰還させ、何と“臆病罪”で告訴−−軍からも裏切られ 二重の衝撃
 アンドリューは治療を受けたいと申し出た。しかし、上官はそれを聞き入れなかった。そして、アンドリューに突然、アメリカへの帰還を命じた。アメリカでアンドリューを待っていたのは軍法会議であった。罪名は臆病罪。恐怖のために任務を遂行できなかった罪である。最高刑は死刑であった。
 アンドリュー:「強い疑惑と衝撃を受けました。そして、自分は軍から裏切られたんだという気持ちがわいてきました。その気持ちは消えることなく続いています。信じていたものを失ってしまった。大きな悲しみに満ちた出来事でした。何故ならば、私をそういう状況に陥れたのは、戦争での敵ではありませんでした。共に戦った人たちだったからです。自分の身に起きたことが、理解できませんでした。いや、事態は理解していたのですが、そのことがあまりにも信じられなかったのです。」
 最終的に軍は、アンドリューに対する告訴を取り下げた。アンドリューはその後、PTSDと診断され、治療を続けている。


[2]米軍に張り巡らされたPTSD対策のための諸施設−−兵士=殺人マシンの稼働率を上げる驚くべきシステム
 
 米軍の戦争を通じてPTSD対策のための諸施設が張り巡らされていることに驚く。PTSD対策は米軍にとっての最大の課題の一つといっても過言ではない。それでなくても米軍は兵力不足である。PTSDで戦闘不能に陥っては困るのだ。
 番組の後半は、兵士を人間扱いせず、単なる“殺人マシン”あるいは“消耗部品”としか捉えないブッシュ政権と軍上層部が、必死になって戦線離脱を抑えるために、イラクの前線、ドイツの負傷者搬送先の病院、米国の帰還兵が一旦立ち寄る基地等々に張り巡らした「戦力増強」システムで、無理矢理、PTSDを抱えた兵士たちをイラク現地に叩き帰す過酷な体制を取材している。番組に登場する順に紹介すれば、@ドイツのラムステイン空軍基地 ランドスツール米軍病院、A米ルイス陸軍基地 マディガン陸軍病院、B国立PTSDセンター、C部隊に随行する戦闘ストレスコントロールチームである。

(1)ドイツ ラムステイン空軍基地:ランドスツール米軍病院。
 番組ではドイツにあるアメリカ軍のラムステイン空軍基地が映し出される。ここは応急措置をおこなう病院である。イラクからやってきた輸送機が着陸する。負傷したアメリカ軍の兵士が降りてくる。イラクで負傷すると多くはまずこうしてドイツに運ばれる。軍の病院で数日間応急処置を受けるのである。
 この日到着したのは45人。反米武装勢力との戦闘やテロで負傷した兵士たちである。その中には怪我をしたのではなく、戦闘によるストレスによって精神的な障害を抱えた兵士もいる。
 リチャード・ジョーダン医師:「戦場から戻ってくる兵士の精神的な問題は深刻です。毎週イラクから飛行機で送還されてくる兵士の内、少なくとも2〜3人は精神に非常に大きな問題を抱えて、この病院に送還されてきます。その数は増える一方です。
 ナレーションは語る。「PTSDは衝撃的な体験によって引き起こされます。体験したことが後々まで幻覚や悪夢となって現れるといった症状が出ます。脳の中で記憶を司っている海馬と言う部分の機能が低下したために起こると考えられています。
 PTSDを発症した兵士に対しては、医師の治療に加えて、従軍牧師によるカウンセリングが行われる。従軍牧師は、頻繁に兵士の部屋を回って、精神状態を確かめる。
 「額の傷が大丈夫なの?」「笑顔が戻ったわね。」「アメリカに電話をするレテフォンカードはまだあるの?」
 従軍牧師キャサリン・ペース大尉は言う。
 「イラクで色々な経験をしてきた帰還兵の心を癒すのがこの病院の役割です。入院している兵士の多くが悪夢を見たり、3時間おき位に目が覚めています。ここではぐっすり眠っていいんです。襲撃を警戒する必要はもうありません、と話します。しかし、兵士にとって正常な状態に戻るのは、難しいことです。」
 ドイツの病院で応急処置を終えた兵士は、本国アメリカに戻り、軍の病院などで本格的な治療を受ける。

(2)ワシントン州のルイス陸軍基地:マディガン陸軍病院
 続いてワシントン州のルイス陸軍基地。ここはイラク派遣の拠点となる基地の一つである。全米各地から兵士たちが集められ、ここからイラクへと送られる。しかし、任務を終え帰還するとまず降り立つ場所でもある。帰還したPTSD患者を治療するのだ。
 ルイス陸軍基地の中にあるマディガン陸軍病院では、イラク戦争が始まってからPTSDへの対応に追われるようになった。常時、数十人の患者の治療を行っている。
 マディガン陸軍病院で精神科の治療を担当する部員たちは頻繁にミーティングを開き、患者の受け入れ態勢を整え、治療方針を確認していく。
 「入院してきた患者全員に3時間かけて徹底的な検査を行う予定です。心拍数や体温検査はもちろん、症状についての詳しい問診を行います。検査結果に基づいて抗うつ剤などの投薬を開始することになります。イラクから帰還した兵士の間には、睡眠障害や悪夢が多発しています。イラク駐留兵の交代時期になると大量の患者が新たに入院してくるはずです。PTSD治療についての有効な研究対象になると思います。」
 入院したPTSDの患者には、薬の投与やカウンセリングの他、様々な治療が試みられている。その一つがEMDR=眼球運動法である。患者は医師の指の動きを眼で追う。眼球を左右に動かすことによって、脳が刺激され、過去の記憶を整理する能力が促進される。
 しかし、こうした治療を続けても快復しない患者は少なくない。PTSDの決定的な治療法は、まだ見つかっていない。
 軍の病院の治療で改善が見られない患者は、滞在型の専門病院に送られ、長期の治療を受けることになる。

 一方、ルイス陸軍基地ではこれからイラクへ向かう兵士たちの戦闘訓練も行われている。急に攻撃を受けた場合には、即座に反撃するよう訓練される。
 兵士:「準備は万全です。訓練も完璧です。我々は今年4月にイラクから帰還しましたが、再びイラクに戻る用意はできています。」
 兵士たちがこれからイラクに向けてルイス陸軍基地を出発する。出発前の健康診断では軍医と面接をし、精神的な面についてアドバイスを受ける。
 軍医:「これまでイラクに派兵されたことはありますか?」
 兵士:「いいえ」
 軍医「何か感情的な問題や孤独感など感じてはいないか?」
 兵士:「大丈夫です。」
 軍医:「精神的なストレスが生じたらすぐにカウンセラーに相談しなさい。ストレスの原因を分析してもらい、それにどう対処したらいいのかアドバイスしてもらうんです。カウンセリングの態勢や薬が準備されています。用意されているものを躊躇せずに使いなさい。」

(3)カリフォルニア州の退役軍人病院にある国立PTSDセンター
 カリフォルニア州の退役軍人病院にある国立PTSDセンター。この病院は、ベトナム戦争の帰還兵を中心におよそ300人のPTSD患者を治療している、長期的な対策センターである。兵士の精神的なストレスは、ベトナム戦争以降、大きな問題となってきた。ここでは、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争−−戦場も年齢も違う帰還兵たちがそれぞれの体験をみんなの前で語り、分かち合うグループ治療が行われている。証言で前出のアレックスもここで治療をうけている。
 湾岸戦争帰還兵:「湾岸戦争で砲弾によってバラバラになった死体を見ました。真夜中に地雷源を突破しなくてはならないこともありました。1990年に派兵されて以来、一晩中眠ったことは一度もありません。
 別の湾岸戦争帰還兵:「花火の音を聞くと、錯乱状態になってしまいます。地面に体をぶつけそうなほど全身が震え、泣き出すことさえあります。」

 医師:「あなたは帰館後38年たってようやく治療を始めるんですね?」
 ベトナム戦争帰還兵:「私は38年間、人付き合いを避けてきました。そして、あまりに多くの人間関係を壊してきました。その一部でも取り返せれば幸せです。しかし、本当にそんなことを自分ができるようになるのか、それが不安です。」

 医師:「アレックスは治療に対してどんなことを希望していますか?」
 アレックス:「皆さん、自分の心と向き合い続けてきたんですよね。その経験から学んで、私も問題を少しでも解決できたらいいと思っています。できるだけ早く自分の人生を先に進められるようになればいいのですが。」

 センター長:「患者たちは、グループ治療によって、自分と同じように戦場に赴き、似たような体験をしてきた仲間の存在を知ることができます。家族のような間柄になり、仲間同士で支え合うようになります。自分はひとりぼっちではないと感じられるのです。兵士は戦場から帰ってくると家族や社会になじめず、何か違和感を感じるものです。しかし、グループ治療によって、自分の他にも同じような思いを抱えて、悩んでいた人たちがいることを知ります。自分だけがそうなったんじゃない、と気づくことがとても大切なのです。」

(4)「戦闘ストレスコントロールチーム」−−われわれの任務は、ストレスを抱えた兵士をアメリカに帰還させるのではなく、戦場に戻すことだ。
 現地で兵士が極度のストレスを感じた場合にすぐに対応できるように中心的な役割を担っているのが、兵士たちと共に派遣される戦闘ストレスコントロールチームである。軍医やカウンセラーなど、およそ20人で一つのチームを組む。イラクでは地域ごとにチームが編成され、前線の近くで兵士の精神的なケアを行う。問題が起きた場合、いち早く応急措置を執るためである。戦闘ストレスコントロールチームは、前線の後方に仮設テントを建て、診療を行っている。精神的な苦痛を訴えた兵士は、一旦、前線から離脱し、ここで数日間、集中的なカウンセリングを受ける。
 戦闘ストレスコントロールチーム・デニス・リーブス元隊長:「私たちの任務は、ストレスを抱えた兵士をアメリカに帰還させるのではなく、戦場に戻すことです。そのために専門家が現地で兵士を診察するのです。民間人を殺した罪悪感に苦しむ兵士が沢山いました。そういう兵士とは語り合うことが大切でした。『我々の武器はそんなに精密ではないので、誤って殺してしまうことだってある。テロリストは群衆の中に身を隠して攻撃をしてくるのだから民間人の犠牲が出てしまってもしかたがない。君は応戦する必要があったんだ。テロリストに対して我々は、正当な戦い方をしてきたんだ。』と話しました。ストレスを抱えた兵士は、現地ですぐに治療をしないと、あとあと幻覚や悪夢を見ることになります。つらい戦闘経験をしたら、その直後に手当をすることが大切なのです。」


[3]住民虐殺を受け入れさせ平気にさせる従軍精神科医の“洗脳ケア”と非人間的役割

(1)従軍精神科医の任務=「戦力増強」。人間的な心を持つ兵士に非人間的な洗脳を施し戦線離脱を抑制する
 アメリカ軍の対策は、兵士が前線で任務を続けられるように措置し、戦力を保持するためである。部隊を率いるリーダーに対してもストレスを訴える兵士にどう対応するか、指導が行われている。
 ルイス基地の精神衛生担当官クーパー大尉は、部隊と共にこれからイラクに向かう。イラクでは前線を回って、リーダーたちに戦闘でのストレスに対処する方法を指導する。
 イラク行きを二日後に控え、クーパー大尉は、部隊のリーダーたちを集めた。
 部隊のリーダー:「兵士が『膝が痛む』と言ってきたときには検査で病状を確かめることができます。しかし、精神的な問題は、ちょっとやっかいです。症状を見極めるのが難しいですからね。」
 クーパー大尉:「確かにその通りです。だからこそ兵士を前線から外すべきではありません。非常に深刻な状況に陥った兵士は、前線から離脱させなければなりませんが、ただ単に不安を抱えているくらいだったら、前線に置いておくべきです。仮病を使って任務から逃げ出そうとする兵士もいますからね。あなた達リーダーの指導力が大切なのです。多くの兵士が、戦闘でストレスを感じるのは事実です。だから前線で応急措置をするのです。私も専門家としてできる限りあなた達を助けます。現地では連絡を密に取り合いましょう。どんなことが現場で起きているのか、必要としているのかを教えて下さい。」
 クーパー大尉:「私の任務は、戦力増強要員と呼ばれています。職務の遂行が可能な兵士の数をできるだけ多く保つという任務です。戦場ではそれぞれの兵士に役割があります。もしある兵士が精神的な問題のために戦線を離脱したら、アメリカ軍全体として、任務が遂行できなくなってしまうのです。

 国立PTSDセンター長のフレッド・ガスマンは言う。「兵士の中には、あまりにも強烈な体験をして、激しいストレスに見舞われたために、もうこれ以上、前線に置くべきではないと言う者もいます。軍も兵士がストレスに悩まされていることは認識しています。しかし、問題は、軍はすぐに活動できる兵士を保持しておく必要があるということです。軍と我々精神治療に従事する者との間では、ストレスを抱えた兵士を戦場に戻すかどうか、お互いが妥協できる基準を見つけるために、せめぎ合いを続けているのです。」


(2)苦悩するのは中堅・下級兵士。現場兵士に虐殺の責任を押し付け転嫁する無責任体制
 陸軍士官学校で哲学を教えてきたピート・キルナー少佐は、イラクの前線に立つリーダーたちのために、ホームページを開設した。前線での悩みや不安を自由に語り、分かち合えるようにするためである。誰が何を書き込んだか、秘密は厳守される。
リーダーたちの書き込みがある。
「戦闘中に命令通り敵を殺害する事は絶対に必要なことだ。しかし、人を殺すと言うことについて、実際に部下と話し合っている人はどれだけいるのだろうか?」
「一般市民を巻き添えにせざるを得ない状況を作ったのは、武装勢力側だ。私たちは、市民の犠牲を出すと本当に嫌な気持ちになる。私たちは何も悪いことはしていないはずではないのか。」
「敵を殺すために兵士を訓練したのは私たちだが、兵士が人を殺した後の面倒まで私たちが責任を持たなければならないのだろうか?」

 ピート・キルナー少佐:「テロが横行する戦いでは、戦場でのルールなどは通用しません。兵士の取った行動が正しいか間違っているか、はっきり判断できないような状況になります。ルールが通用しなければ、判断は現場のリーダーに全てがゆだねられることになります。リーダーが自分の判断に自信を持てなければ、部下は命令に従わなくなります。特に人を殺すという行為について、リーダーはそれが正当な行為かどうか、明確な判断基準を持っていなければなりません。部下にきちんと説明ができれば、納得してより効果的に任務を遂行するはずです。戦場での行為を兵士自身が、どう受け止め判断すべきなのか、軍全体でそうした議論を行うほどまだ問題意識は浸透していません。まず、リーダーの間で、そうした議論を行うことが、今は大切だと思っています。」

 現場のリーダーの責任だというのだ。「大量破壊兵器」然り、アブグレイブ然り、個々の虐殺事件然り。全ての責任は中堅・下級兵士に押し付けられ転嫁される。イラク政策の一切を企画・立案し、準備し遂行したブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官、ネオコンの連中は一切責任を取らない。ブッシュ政権と国防総省による今回のPTSDに対する冷酷で無責任で卑劣な対応は、ブッシュ政権の本質である。


[4]ファルージャの大虐殺が米兵の間に更にPTSDを拡大

 最後に番組は、ファルージャの大虐殺に言及する。ナレーションは語る。「2004年11月、アメリカ軍は、イラク中部の都市ファルージャへの総攻撃を開始しました。この作戦には1万人以上の兵士が参加し、激しい市街戦を展開しました。しかし、アメリカ軍を狙ったテロ活動はイラク各地に広がり、アメリカに対するイラク国民の反発も高まっています。兵士たちは益々厳しい状況の中で任務を続けています。そして、部隊を率いるリーダーたちの中にもストレスを訴える声が出てきています。」

(1)戦場で隠され、帰国後一気に噴出するPTSD
 前出のアメリカの医学雑誌が行った調査を見ると、前線で可能な限り任務を続けさせるという軍の方針は、兵士に強力な重圧を与えている。調査結果によると、PTSDなどの深刻な病状を抱えている兵士のうち、イラクで実際にカウンセリングや治療を求めた兵士は40%以下となっているという。仲間からの信頼が無くなる、上官からの取り扱いが変わるのが怖い、弱い人間だと思われる等々の理由でひた隠しにしているのだ。

 ルイス陸軍基地では10月、イラクから4800人の兵士たちが、この基地に帰還した。イラクでの任務を終え、二日前にこの基地に戻ってきた兵士たちである。兵士たちはここで従軍牧師の講義を受ける。前線で体験した不安や恐怖を和らげ、穏やかに日常生活を送れるようにするためである。

 従軍牧師:「元の生活に戻るときに焦ってはいけません。そして、もし助けが必要なら躊躇しないで下さい。君たちは戦争に行ったことのない市民には、とうてい理解できないような経験してきたはずです。今の君たちは『精神的なケアなんて必要ないよ』と思っているかもしれません。でも私たちは、助ける準備がちゃんとできていますよ。時には、軍の仲間同士で、電話で話をしてみて下さい。」
 彼らは、イラクでは精神的に問題はなかったとされた兵士たちであった。しかし、講義の後、個人的なカウンセリングを申し出る兵士が相次ぎいだ。

 従軍牧師:「イラクには何ヶ月いたんですか?」
 兵士:「10ヶ月です。」
 従軍牧師:「どこで任務に就いていたんですか?」
 兵士:「あちこちのキャンプを移動していました。ドカンという音が聞こえ、2分後にはそれで親友の一人が死んでしまったことを知りました。自分だっていつ死んでもおかしくない。あれは自分だったかも知れないんだと言う思いが胸を覆いました。」


(2)戦争ストレス最大の原因はイラク民衆の反米感情と敵対心
 兵士の一人は、ストレスの訴えを通じて、戦争の目的の問題に図らずも言及する。「イラクの民主化」で感謝されるべき米軍がなぜ敵と見なされるのかと。
 兵士:「一番強く感じていたストレスは、イラク国民のアメリカ軍に対する敵対心でした。私たち自身、アメリカ軍の任務は、もっと早く進み、治安も良くなり、イラク人も理解を示してくれるはずだと思っていました。しかし、思ったほど順調にアメリカ軍の任務が進んでいないと言う欲求不満が身に迫る危険と同じくらい大きなストレスでした。

 ナレーションは以下の言葉で終わる。「帰還する兵士たちがいる一方で、ルイス基地からはまた新たな兵士たちがイラクへと派遣されていきます。混迷の続くイラク。待ち受けているのは精神的にも過酷な任務です。兵士たちを襲う激しいストレス。アメリカ軍は根本的な対策を見出せないでいます。」
※米軍兵士のPTSDの背景には、ゲリラ戦・市街戦、その最も激烈な戦場であるファルージャの情勢がある。1月総選挙のための反対勢力殲滅を目的として11月に始まったファルージャの軍事行動は完全に失敗している。ファルージャは完全制圧できていない。それだけでなく、米兵が依然攻撃をうけており、反米武装闘争は継続している。難民の帰還どころではない。米軍はあれだけの甚大な犠牲をはらって、政治的だけでなく、軍事的に成功しなかったとなると兵士の間から疑問が噴出するのは不可避である。「ジャーナリスト志葉玲のブログ  新イラク取材日記」では、NGO「人権・民主主義研究センター」の話として、ファルージャで3000人の米兵が「戦闘不能」に陥ったことが明らかにされている。 http://reishiva.exblog.jp/1337696/





[シリーズ米軍の危機:その1 総論]
ベトナム戦争以来のゲリラ戦・市街戦、二巡目の派兵をきっかけに顕在化した過小戦力、急激に深刻化し増大し始めた損害