シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その3
イラク政治の焦点:イラク再建を巡る2つの道の対立と闘争
−−米主導の「政治プロセス」=植民地化コースか、反米・反占領の民族解放コースか−−


============= 目  次 =================
[1]はじめに−−“政権委譲”の1周年を迎えて、改めてイラクの政治情勢について考える。焦点は、イラク再建を巡る2つの道、2つの陣営の闘い。

[2]ブッシュが押し付ける「政治プロセス」=“植民地化”コースだけがイラク再建の唯一の道ではない。
(1)日本のマスコミは、ブッシュ政権が描いた「政治プロセス」=“植民地化”コースがイラク再建への唯一の道であるかのようにねじ曲げている。
a.撤退論は無責任か。日本のマスコミを覆う侵略者、加担者の論理。
b.ブッシュの定めた「イラク再建の政治プロセス」(「移行政府」−憲法起草−国民投票−「正式政府」)が唯一の道ではない。
(2)まともに組閣すらできない「移行政府」と支持率の急減−−「政治プロセス」は、その発端から四分五裂状況。
a.「移行政府」組閣過程が示す“植民地化”コースの行き詰まり・破綻。
b.米の選挙戦略=シーア派・クルド人勢力利用が内包する根本的な諸矛盾。
c.対米依存によるシーア派・クルド人勢力の野合の根本的限界。
d.シーア派の対米依存と対米離反の二面的傾向。イラン接近と米の疑心暗鬼。
e.急進派サドル師派が急速に影響力を増大させ、反米・反占領民族解放勢力の主力部隊としての性格を強めている。
f.対米依存を通じて分離独立主義的な方向を狙うクルド人勢力。

[3]旧い軍事・官僚機構は全面的に崩壊。“飛び地”のような特殊な「占領統治中枢」(米占領軍、「移行政府」等)と麻痺状態の行政機能。
(1)旧い軍事・官僚機構の全面的な破壊・粉砕。米軍主導では不可能な新しい軍事・官僚機構の再構築。
a.米軍の圧倒的な軍事力による旧い軍事・官僚機構の全面的な破壊・粉砕。
b.“アラモ砦”のような占領統治中枢の特殊な権力構造=「グリーンゾーン」。
c.排除か取り込みか−−目まぐるしく変わるスンニ派=旧バース党に対する基本方針
d.中央政府の手を離れたところで各派民兵がもたらす社会的混乱
(2)米軍も「移行政府」も人民から浮き上がり、ますます悪化する人民生活を前にして、インフラ基盤・産業復興の意志も能力もなし。
a.ファルージャの惨状と「再建」のウソ。
b.産業の崩壊と異常に高い失業率。深刻な電力・水の供給不足。妊産婦死亡率の上昇、子どもの栄養失調の急増−−生活状態の劇的な悪化。
c.教育制度の未曾有の崩壊。

[4]反米・反帝民族解放戦線=「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)の結成と国際連帯の意義。
(1)米国内で勢いを増す米軍撤退論。その米軍撤退論にブレーキを掛ける2つの神話を論駁する。
a.[神話その1]:「米軍が撤退すれば、イラクは“無政府状態”に陥る」?!
b.[神話その2]:「米軍が撤退すれば、いよいよ“内戦”に入る」?!
(2)反米・反帝民族解放戦線=「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)の結成−−“植民地化”コースに対抗し、反米・反帝=民族独立、民族解放への道、“反植民地化”コースを模索するイラク人民。
a.スンニ派のイスラム聖職者協会(AMS)とシーア派サドル師派を中心とする反米・反帝民族解放戦線=「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)が結成される。
b.「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)につながる反米・反占領武装抵抗運動。
(3)多大な犠牲を払いながら抵抗するイラク人民に対し、米軍・多国籍軍と自衛隊の撤退を実現することで国際連帯の力を示そう!


2005年6月28日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



[1]はじめに−−“政権委譲”の1周年を迎えて、改めてイラクの政治情勢について考える。焦点は、イラク再建を巡る2つの道、2つの陣営の闘い。

 6月28日は、昨年連合国暫定占領当局(CPA)から「暫定政府」に“政権委譲”されてから1周年に当たる。この“政権委譲”自身、まやかしに過ぎないことはすでに述べてきた。“委譲”儀式もデタラメで異常だった。最初から逃げる体制で軍靴を履いたブレマーがアラウィなど「暫定政府」の数人と立ったまま文書を交わし、わずか5〜10分で終えて、実際に逃げるように軍用ヘリで米国に逃げ帰ったのである。米の占領支配と傀儡政府の戯画をこれほど鮮烈に見せつけるものはなかった。

 1周年を迎えて、日本のマスコミでも幾つかの報道や連載記事が組まれている。各社それぞれ楽観・悲観が入り交じっているが、一つだけ共通している点がある。それは、「移行政府」、憲法起草委員会、憲法草案策定、憲法制定国民投票等々という、CPA時代にブッシュ政権がイラクに押し付けた「政治プロセス」がイラク再建への唯一の道として、何の疑問も呈することなしに描かれていることである。

 そこで今回は、侵略者・加担者の立場からしか報道しない日本のマス・メディアを批判する形で、イラク人民の立場に立ったイラクの直近の政治情勢について検討する。結論を先取りすれば、現在のイラク政治を捉える最も重要な焦点は、イラク再建を巡る2つの陣営、2つのコースを巡る闘いの観点からイラク政治を把握するということである。
 マスコミが当たり前のように日本の国民に向かって吹き込む米主導、対米依存のイラク再建コースは、実はイラク再建の唯一の道ではない。それは再建の道どころか“植民地”への道でしかない。
 米占領軍は、なぜ大規模掃討作戦と徹底的な軍事弾圧でスンニ派の武装抵抗を根絶やしにしようとしているのか。なぜ憲法起草委員会にスンニ派を取り込まねばならないのか。一方、スンニ派主体の反米武装抵抗がなぜ殺されても殺されても米軍に立ち向かっていくのか。なぜ占領下での選挙や「移行政府」への参加・協力を拒否するのか。−−これらの背景には、米主導の「イラク再建の道」とイラク人民の反米・反占領=民族解放によるイラク再建の道、すなわちイラク再建に関する2つの道、2つの陣営の深刻な対立と闘争がある。これがイラク政治の複雑な動向を解き明かすカギである。

 現在、憲法制定から「正式の政府」に至る今後の「政治プロセス」の発端をなす「移行政府」そのものが四分五裂状態に陥りすでに完全に行き詰まっている。米主導のイラク再建の道は現に袋小路に入り、破綻しているのである。しかし、同時に米占領軍の力はイラク国内ではまだまだ大きい。イラク人民の民族解放闘争も占領軍権力を一気に敗北させる力はない。一方の道は完全に行き詰まっているが、他方の道はまだ小さすぎる。ここにイラクの現在の苦悩と苦境のジレンマがある。

 私たちは、民族解放の道、民族解放の陣営が、もう一つの米主導のイラク再建の道と対等に闘っているとか、何の困難もなく順調に進んでいるとか、民族解放の陣営はバラ色で何の欠陥もないとか主張しているのではない。反米・反占領の民族解放=反植民地コースに転換する以外にイラク再建の道がないということを主張しているのである。
 国際反戦運動が、どこまでイラク人民に連帯することが出来るか。イラク人民の苦悩と苦痛を和らげるには、この国際連帯の拡大と前進しかない。私たちの責務は重大である。



[2]ブッシュが押し付ける「政治プロセス」=“植民地化”コースだけがイラク再建の唯一の道ではない。

(1)日本のマスコミは、ブッシュ政権が描いた「政治プロセス」=“植民地化”コースがイラク再建への唯一の道であるかのようにねじ曲げている。

a.撤退論は無責任か。日本のマスコミを覆う侵略者、加担者の論理。
 米国内で急速に台頭する米軍撤退論の高まりに対して、早くも奇妙な議論が出ている。「新生イラクが独り立ちする日はまだ遠い。速やかな治安回復こそ米国の重要課題であり、この仕事を放り出すように米軍が撤退すれば、無責任のそしりを免れまい。」「どの国も好き好んで危険地域に人を送ったわけではない。・・・『米国がそうなら、我が国はどうすればいいのか』」「イラクの治安対策に積極的に取り組んでほしい。・・・武装勢力の攻撃が衰える気配がないのは、極めて不気味な状況である。イラクを『第二のベトナム』にしないために、ここが踏ん張りどころではないか。」−−これは「本気で米軍撤退を望むのか」という毎日新聞6月16日付の社説である。
 今更撤退は無責任だ、イラク人民の正当な民族自決権の行使を「不気味」と評し、責任を取って彼らを徹底的に殲滅せよ、もっと大量に虐殺し、もっと破壊せよと要求しているのである。しかしこれ以上「踏ん張って」イラク人民を殺し国土を破壊し荒廃させることが果たして責任あることなのか。執筆者の「第二のベトナム」とは、米軍撤退と同時に当時の南ベトナム傀儡政権が崩壊したことを指しているのだろうが、傀儡政権はどのように取り繕っても瓦解する運命にある。しかも情けないことに、米に命じられたまま自衛隊を派兵した日本を一体どうしてくれるんだ、ハシゴを外すなと泣きついているのである。もちろん、執筆者は同じ論理を自衛隊撤退論に向かってもぶつけるだろう。最初から最後まで侵略者、加担者の論理で貫かれた主張である。イラク人民による米占領軍撤退の強い要望、独立と民族解放に向けた切実な願いは一顧だにされない。
 ブッシュが取るべき責任とは、米軍・多国籍軍を即時無条件に撤退させ、イラクとイラク民衆の被害の実態調査を行い、虐殺した10万単位のイラク民衆に謝罪と補償を行うこと、破壊したインフラと生産力を原状に復すること、等々である。


b.ブッシュの定めた「イラク再建の政治プロセス」(「移行政府」−憲法起草−国民投票−「正式政府」)が唯一の道ではない。
 しかし、侵略と占領継続を正当化するこのような驕り高ぶった主張は何も毎日新聞だけではない。イラク侵略を支持し煽った日本のマスコミ全体に共通する議論である。
 そもそもマスコミのイラク報道には重大な問題点がある。イラク再建に関する、いわゆる「政治プロセス」報道への疑問である。−−「移行政府」は成立した。次の焦点は8月15日の憲法案起草であり、2ヶ月後の憲法国民投票であり、更にそれに基づく12月の議会選挙と正式の政府樹立である。それに向かって5月10日、暫定国民会議は新憲法制定にあたる憲法起草委員55人(「統一イラク同盟」28人、「クルド同盟」15人、アラウィ元首相が率いる「イラク・リスト」8人)を選出した。「移行政府」はこれにスンニ派を参加させるために武装勢力と対話を開始した。憲法起草委員会にスンニ派が25人参加することが決まった。等々。まるでイラク再建が順調に進んでいるかのような取り上げ方である。

 しかし、実態は全く逆である。表向きの動きとは裏腹に、「移行政府」も憲法起草委員会も利害対立と勢力争いで四分五裂状態である。ところが、憲法起草と「政治プロセス」を巡る宗派と民族の対立が報道されればされるほど、「政治プロセス」がますます順調に進んでほしいと願うような気持ちにさせられる。ここに重大な“落とし穴”がある。私たちはこの報道を見聞きしてすっかり騙されているのである。どういうことか。
 早い話、あたかも今の「政治プロセス」以外にイラク再建の選択肢がないように思い込まされているのである。一種の世論操作だ。本当に、侵略者である米国が自分に都合のいいように軌道を敷いた「政治プロセス」だけが唯一の「イラク再建」の道なのか。その根本的なところから、一から考え直さねばならない。

 そもそも、この「政治プロセス」が描く将来像には、イラクの“植民地化”しかあり得ず、イラク人民が切実に求める民族独立、民族解放への道は存在しないのである。何かがおかしい。私たちが問うべき疑問は、まず第一に、この「政治プロセス」が全て米国により一方的にイラク人民に押し付けられたものであるということだ。そこには、米国によるイラクの帝国主義支配の様々なテコ、すなわち米の言いなりになる傀儡政権(「移行政府」であろうと「正式政府」であろうと同じ事)、米軍の恒久基地、油田・関連施設の差し押さえ、国営企業の民営化と米系多国籍企業への売却、米系金融機関による金融支配などがてんこ盛りである。イラク人民がこのような露骨ないわば時代錯誤の植民地支配を受け入れるはずがない。
 第二の疑問は、イラクの将来像が問題であるだけではなく、米が描く「政治プロセス」そのものが進展し得ないものだということである。米軍による残忍で横暴な暴力支配、スンニ派に対する弾圧と分断の下では、イラク国家の再構築など不可能である。現に「移行政府」自体、米の圧力と介入でかろうじて統一を保っているだけで、内実はバラバラだ。私たちは、この政府を“新しい傀儡政府”と性格付けたが、正確に言えば、四分五裂に分裂し、傀儡政府というのもおこがましいほど国家権力の機能と実態を著しく欠いたものとなっているのである。

 まず「移行政府」が如何に四分五裂状態に陥っているのかを詳しく見てみよう。このことを確認することは、対米依存の、スンニ派の分断・屈服を強要する「政治プロセス」が、如何にイラク再建を不可能な状況に追い込んでいるかを明らかにすることにつながる。


(2)まともに組閣すらできない「移行政府」と支持率の急減−−「政治プロセス」は、その発端から四分五裂状況。

a.「移行政府」組閣過程が示す“植民地化”コースの行き詰まり・破綻。
 米軍主導ではイラク再建などあり得ない。それは、「移行政府」の閣僚たちが、統治評議会や暫定政府という傀儡政府の閣僚から横滑りした連中、米国が指図した連中、米英に亡命したり国籍もこれらの国々にある連中が中心になっており、イラク人民から完全に浮き上がっているからである。

 それはまた「移行政府」の組閣の経緯にも端的に表れている。1月末の暫定国民会議選挙からおよそ3ヶ月間、「移行政府」を発足させることが出来ず、全閣僚を選出することが出来なかった。大統領と副大統領2名、計3名からなる「大統領評議会」を選出するのに2ヶ月以上、4月6日までかかった。大統領はクルド愛国同盟(PUK)のタラバニ氏が就任した。
 翌4月7日には実質的な権限を持つ首相には、「統一イラク同盟」のジャファリ氏が就いた。その後も約1ヶ月もめ続け、重要ポストが決定されない状況が続き、業を煮やした米政府の圧力でようやく「移行政権」が発足することとなった。しかし、4月28日の発足段階においても、閣僚中7ポストが空席のままとなっていた。そして5月3日にやっと宣誓式にたどり着いたのだが、その宣誓式は米軍部隊が厳戒態勢で警備する「グリーンゾーン」の中でしか行うことができなかったのである。

 とりわけ利害対立が際立ったのが、石油利権に絡む石油相のポストであった。北部油田地帯を拠点とするクルド勢力、クルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(PUK)がそのポストを強く要求した。しかし解決の目途がたたず、結局はシーア派である副首相のチャラビの暫定的兼任を経てシーア派のウルムが就任する。

 イラク軍の指揮権に絡む国防相のポストには、スンニ派の武装勢力を懐柔する目的でスンニ派勢力が就く予定であったが、その人選はシーア派によりことごとく否決され、選出することができなかった。結局、ジャファリ首相が暫定的に兼任するしかなかった。その後5月8日にようやく、スンニ派のドレイミ氏が選出され、副首相にもスンニ派のジュブリ氏が選出された。
 スンニ派の多数派を代表するイスラム聖職者協会と主要政党は、先の議会選挙にも「移行政権」にも最後まで参加しなった。政権に参加したスンニ派の一部のグループ(イラク・イスラム党など。マスコミでは米軍や傀儡政府に妥協的なこの党の動向を過度に強調してスンニ派を代表させているが全くの誤りである)は、スンニ派の多数派にとってみれば、いわば裏切り者である。その少数派スンニ派が国防相という重要ポストを獲得したことは、一方では治安回復を進めたい米国の意向に従い懐柔を期待したものであり、他方ではスンニ派をしてスンニ派を分断・弾圧する役回りを背負わせたものである。「統一イラク同盟」、クルド勢力は当初、国防相に就任したドレイミ氏が旧政権と深く繋っていたとして、強く反発した。(2-1) 

 もめにもめた閣僚の選出過程、一向に改善されない治安状況、ますます悪化する生活状態。インフラ基盤の復興や産業復興をそっちのけで利権争いと権力抗争に終始する「移行政府」に対する民衆の支持は大きく失墜している。バグダッド大学の最近の世論調査によると、「移行政府」への民衆の信頼は、選挙直後の85%から45%へと急落したことを示している。(2-2)
※(2-1) 「イラク、副首相と国防相に旧フセイン政権の軍幹部就任」読売新聞 2005年05月08日 http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/kokusai/20050508/20050508i113-yol.html
※(2-2) 「Generals Offer Sober Outlook on Iraqi War」(NY Times) May 19, 2005 http://www.occupationwatch.org/headlines/archives/2005/05/generals_offer.html


b.米の選挙戦略=シーア派・クルド人勢力利用が内包する根本的な諸矛盾。
 米の言いなりになる傀儡政府づくりの行き詰まり。先の「暫定政府」も、今回新しく発足した「移行政府」もまともに機能していない。現在イラクでは、もはやブッシュ政権も制御できないまでにもつれ合った、大きくは以下の4つの質的に異なる宗派間・民族間の利害対立と勢力争いが存在する。
 米占領下では、ますます@Aの矛盾が全体に重くのしかかっている。とりわけ、イラク再建がイラク民族の独立と解放に向かって前進するためには、Aがカギとなる。シーア派内部においても、クルド人内部においても、その親米的売国的上層に対して反米的人民的下層がどこまで発言力を増すか、フセイン政権時代の被支配者シーア派、クルド人の人民大衆がイラク独立の大義のために支配者であったスンニ派の人民大衆とどこまで一致団結することが出来るか、にかかっている。
@アメリカ帝国主義=米占領軍とイラク民族全体との矛盾。
A米占領軍及び親米傀儡=「移行政府」とイラク人民大衆との矛盾。
Bアラブ民族内部のシーア派とスンニ派との矛盾。
C多数民族アラブ人と少数民族クルド人との矛盾。


 現在の「移行政府」の四分五裂状態とイラク再建を巡る袋小路を解き明かすためには、米が占領支配の主導権を握るために選挙戦略を採用した昨年の段階に立ち戻って検討を加えなければならない。
 2004年、イラク情勢と米の占領統治は危機的な状況を迎えていた。4月のファルージャ、8月のナジャフ、11月のファルージャ。スンニ派の主力勢力の反乱にシーア派サドル師派が呼応した武装蜂起が、イラク国内の政治的軍事的力関係を反占領勢力の側に一気に有利な方向に突き動かし、占領統治機構を根底から揺さぶったのである。とりわけ米は、スンニ派とシーア派の反米武装勢力が共同行動し始めたことに驚愕する。

 そこで、軍事的に守勢に立たされた米占領軍は、シーア派が兼ねてから求めてきた国民議会選挙という一大政治ショーを思い切って推進することで巻き返しに打って出る。イラク情勢の焦点を選挙一色に染め上げ、シーア派を取り込むことによって主導権を奪い返そうとしたのである。しかし、選挙に踏み切れば、新しい深刻な矛盾を生み出すことになる。どういうことか?
−−何よりもまず、選挙をすれば人口構成が6割を占めるシーア派の圧勝は避けられない。シーア派は反米指向のイランとつながりがある。選挙の結果生まれる「移行政府」が米の傀儡とならず反米・離米傾向を強める危険がある。
−−「分断して支配せよ」が支配者の鉄則である。米は、シーア派の台頭と発言権の増大を抑えるために、これまで徹底的に殲滅し弾圧してきたスンニ派の利用を考える。
−−もちろんスンニ派全体ではない。スンニ派の主力をなす武装勢力は引き続き徹底弾圧し、穏健派を重用するという手前勝手な利用を画策した。


 予想した通り米占領軍は、選挙を決断した時点で分かっていたこれらの諸矛盾に、「移行政府」成立後の現在もなお振り回されているのである。


c.対米依存によるシーア派・クルド人勢力の野合の根本的限界。
 そもそも、イラクに国際法を蹂躙して侵略し、大量の民衆を虐殺した米軍に全面依存した「選挙」など認めることは出来ない。米軍の暴力と戒厳令を背景にし占領反対勢力を排除した選挙が「自由」で「民主的」なはずがない。選挙をボイコットしたスンニ派を中心とするイラク人民と反占領勢力の側に正義、正当性がある。

 シーア派「統一イラク同盟」とクルド勢力による「移行政府」閣僚の独占は、スンニ派と反米勢力を封じ込めた「論功行賞」であり、同床異夢の勢力が手を結ぶ野合政権でしかない。かつてフセイン政権時代、いくらスンニ派から弾圧され続けてきたとはいえ、侵略者米軍への依存は致命的だ。スンニ派や反米・反占領勢力の排除・弾圧を前提にするようなイラク国家再建は不可能であるだけではなく、断じて許すことは出来ない。
 また、クルド勢力とシーア派の指導者たちは、「移行政府」を牛耳る傀儡として、反米武装勢力が前進すればするほどそれを恐れるという立場に置かれている。その意味では彼らの利害は一致する。しかし、利害の一致は一時的で限定的である。クルド勢力は、「統一イラク同盟」の路線への不信を明白にしてきた。特に、イラン型イスラム国家建設を目指すイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)に対して、強い警戒感を募らせている。クルド勢力は、さらに世俗的な人物を望んで、意図的に組閣に混乱を持ち込み、ジャファリ首相を交代させようとした。


d.シーア派の対米依存と対米離反の二面的傾向。イラン接近と米の疑心暗鬼。
 米の「統一イラク同盟」に向ける目は疑心暗鬼に満ちている。彼らは「多国籍軍の撤退日程の設定」を選挙公約に掲げた。現在のところ、イラク軍の再建にメドが付くまでは米軍の駐留を容認する腹ではあるが、いつ態度が豹変するか分からない。事実上の最高指導者シスタニ師は、米国筋と直接会わず、絶えず状況を見ながらバランスを取っている。等々。

 ブッシュ政権にとって最大の懸念は、「移行政府」へのイランの影響力の強化である。とりわけ、イランの核開発計画を巡って米・イランが衝突した場合、イラクの多数派を形成するシーア派住民が反米となることを恐れている。しかもこの6月24日の大統領選決選投票で、貧困層の支持を得た反米保守強硬派のアハマディネジャド・テヘラン市長が大方の予想を打ち破って地すべり的大勝で当選を決めた。親欧米穏健派のラフサンジャニ前大統領(最高評議会議長)は敗北した。事前のブッシュ政権による内政干渉的な強硬派当選への牽制が完全に裏目に出た恰好だ。米の懸念は深まるばかりだ。

 米の懸念はすでに今から1ヶ月以上前に現れていた。5月17日、イランのハラジ外相がイラクを訪問しジバリ外相と会談したことが、ブッシュ政権に衝撃を与えたのである。この会談は、「我々は米政権の中東戦略には決して組み入れられない」と言わんばかりの、米に対する強烈なメッセージであった。「移行政府」は、隣人のシーア派国家イランとの協調を前に出すことで、対スンニ派武装勢力に対してだけではなく、米に対しても「イランカード」を見せつけたのである。(2-3) クリスチャン・サイエンスモニター紙は、イラン外相の訪問は、米国の軍事外交政策にとってのジレンマとなった、と指摘した。(2-4) イラク外相は、次のように語った。「我々は、イランとともに、二国間関係の新たな一ページを開きつつある」。そしてジャファリ首相、タラバニ大統領と会談し、治安、対アルカイダ、イラン・イラク国境の共同監視の面における協力を約束した。(2-5)
 ジャファリ首相をはじめ、「移行政府」には、旧フセイン政権時代にイランに亡命した者が多数存在する。イランは現在のイラクに対して様々なパイプ、影響力を保持しているのである。(2-6)
※(2-3) 「Analysis : Bad week in Iraq」 ワシントンタイムズ May 19,05 http://www.washtimes.com/upi-breaking/20050519-025541-7294r.htm
※(2-4) 「US generals say Iraq outlook 'bleak'」クリスチャン・サイエンス・モニター May 20,2005  http://www.csmonitor.com/2005/0520/dailyUpdate.html 「イラン外相、関係改善へイラク訪問 移行政府を全面支援」産経新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050519-00000010-san-int
※(2-5)  同上
※(2-6) 「The Quagmire: As the Iraq War Drags on, it's Beginning to Look a Lot Like Vietnam」by Robert Dreyfuss May 7, 2005 by Rolling Ston Common Dreams NewsCenter より http://www.commondreams.org/views05/0507-23.htm 「イラクの新首相となったシーア派のイバラヒム・ジャファリが指導するダワ・イスラム党は、1960年代から1980年代にかけての地下テロ組織であり、1983年にクェートの米国とフランス大使館を攻撃したグループと繋がる、好戦的なグループである。米国務省は、ジャファリ自身がテロリスト活動とつながっている証拠はないと言っているが、そのグループを研究している人々はダワもまたイランから支援を受けていると疑っている。」
※(2-6)「分析・イラク新政権」(酒井啓子 『世界』2005年6月号)によれば、「統一イラク同盟」を構成するSCIRIとダワ党、それぞれの対イラン関係について、前者の方が後者よりも緊密であると分析している。また、この酒井氏の「分析」によれば、発足した「移行政府」は「静かなる『革命政権』」だと規定、イスラム勢力が、現在の対米依存路線を受忍する「統一イラク同盟」を、占領終結、正式政権発足までの「トロイの木馬」だと見なしているのだと評価している。氏の関心は、「政治プロセス」の下でイスラム主義が親米化していくのか、イスラム革命勢力が「トロイの木馬」に隠れて進み正式政権発足と同時にイスラム革命を起こすのか、である。あくまでも宗派対立の観点から情勢を捉えており、イラク人民の反米・反占領の民族独立=民族解放の観点からの把握がない。


e.急進派サドル師派が急速に影響力を増大させ、反米・反占領民族解放勢力の主力部隊としての性格を強めている。
 シーア派内部も決して一枚岩というわけではない。シーア派の中で急進派であるサドル師派の影響力が急速に拡大している。一部でそのイスラム原理主義的な限界を持ちながらも、スンニ派のイスラム聖職者協会(AMS)との「兄弟関係」を強固にし、後述する「反米・反占領愛国勢力」に中心勢力として参加、全体として反米・反占領民族解放勢力の主力部隊としての性格を強めている。同派は基本方針としては、選挙ボイコットを打ち出した。米軍撤退の闘争を強め、反米武装抵抗闘争を依然堅持、明らかにシーア派中枢とは一線を画している。

 他方で、政治的影響力の拡大にも力を入れている。選挙の際、シーア派「統一イラク同盟」に支持者を参加させ、サドル師派に近い「全国独立指導者グループ」が3議席を獲得した。「移行政権」にも同派系の閣僚(交通相や保健相)を送り込んでいる。
 「昨年の主だった二度の蜂起のときに米軍と戦ったマハディ軍は、カリスマ的熱狂的聖職者で、シーア派原理主義ファミリーの子孫であるムクタダ・サドルに忠誠を誓っている。昨年の戦闘で叩かれたサドルの部隊はマシンガン、ロケットランチャー、ロケット推進式榴弾(RPG)で武装した新しい補充兵ですぐに建て直しをおこなっている。同派は、現在イラクの唯一の港がありイラク第二の都市であるバスラの大半を支配している。その他、クート、アマラ、ナシリア、およびサドルシティーとして知られるバグダッドの巨大な東部地区を支配している。4月には、サドルは米国がイラクから撤退するよう要求する30万人の集会を組織した。」(2-7)
※(2-7) 「The Quagmire: As the Iraq War Drags on, it's Beginning to Look a Lot Like Vietnam」by Robert Dreyfuss May 7, 2005 by Rolling Ston Common Dreams NewsCenter より http://www.commondreams.org/views05/0507-23.htm


f.対米依存を通じて分離独立主義的な方向を狙うクルド人勢力。
 シーア派以上に親米傾向を示し、占領統治に全面協力するクルド人勢力は、対米依存を通じて「連邦制」を追求し、分離独立主義的な方向を狙っている。
 「米国の侵攻以来、クルド人は事実上彼ら自身の州を、二つの軍閥、クルド愛国同盟のジャララ・タラバニとクルド民主党のマッサウド・バルザニの二人の指揮の下の義勇軍により運営してきた。4月にイラクの大統領と呼ばれることになったタラバニ氏は信仰に関して背景はない。『歴史的に、人口統計的に言って、クルジスタンはいまだかつて一度もイラクの一部となったことはない』と彼はいう。1月に、およそ97パーセントのクルド人はクルジスタンの独立に賛成して投票した。」
 「『中央政府は、クルジスタンにおいて何の影響力も持っていない』と長年クルド人の共感者であった前米国務省高官のピーター・ガルブレイズは言う。『政府は、そこに事務所さえ持っていない。そこには、イラクの国旗はたなびいていない。標識は、イラクのクルジスタンへようこそ、と書いてある。』(2-8) 
 「事態をさらに悪くすることには、クルド人はイラクの北部の広大な油田にある多民族都市キルクークに狙いをつけている。その都市はクルジスタンの外にあるが、タラバニはそれを『クルジスタンのエルサレム』と呼び、バルザニは『我々は戦いと、魂をそのアイデンティティーのためにささげる用意ができている』という。クルド人は、既にアラブ人をその都市から残忍な方法で追い出すことにいくつか手を染めている。『彼らはすでに、彼ら自身の民族浄化を行っており、それは汚い話だ』とイラクの前CIAアナリスト、ユディス・ヤーフは言う。しかしながら、全面的なクルド人による乗っ取りは、キルクークのアラブ人とトルコ人により抵抗されるであろうし、イラクをさらに内戦の方向へ押しやることになる。そしてクルド人は、クルド人を自国の少数民族として悩みの種とするイラクの隣国トルコ、イラン、シリアを苛立たせるだろう。多くの専門家は、トルコがクルド人のキルクーク奪取を阻むため、イラク北部に侵攻するだろうと予言している。(2-8)
※(2-8) 「The Quagmire: As the Iraq War Drags on, it's Beginning to Look a Lot Like Vietnam」by Robert Dreyfuss May 7, 2005 by Rolling Ston Common Dreams NewsCenter より http://www.commondreams.org/views05/0507-23.htm 



[3]旧い軍事・官僚機構は全面的に崩壊。“飛び地”のような特殊な「占領統治中枢」(米占領軍、「移行政府」等)と麻痺状態の行政機能。

(1)旧い軍事・官僚機構の全面的な破壊・粉砕。米軍主導では不可能な新しい軍事・官僚機構の再構築。

a.米軍の圧倒的な軍事力による旧い軍事・官僚機構の全面的な破壊・粉砕。
 イラクの国家権力は現在、どのような現状にあるのか。中央集権的なフセイン政権が、世界最大最強の最新のアメリカの軍事力によって瞬時に崩壊させられたが、それに取って代わる中央集権的で統一的な国家権力はまだ形成されていない。旧い軍事・官僚機構は破壊・粉砕されたが、イラク全土を統治する全一的な新しい軍事・官僚機構はまだ再構築されていないのである。

 実は米占領軍にとって国家再建のカナメは、スンニ派と旧バース党に対する基本的態度、基本的方針であった。占領統治の発端から、旧フセイン政権関係者と官僚、旧バース党の党員、特に旧イラク軍・イラク警察、旧イラク特殊部隊に対する基本的方針が問題になっていた。ところが、米政府と米軍当局、米国務省と米国防総省、制服組と背広組(いわゆるネオコン)、亡命者の各派閥、シーア派やクルド人勢力の対応は、排除方針を打ち出したり、取り込み方針を打ち出したり、それぞれに右に左に揺れ続け、結局は全体として、反米・反占領闘争の側に追いやってきたのである。

 元々イラクの戦後復興を任されたイラク復興人道支援室(ORHA)のガーナー氏は旧バース党・イラク軍の“再利用”を柱にしていた。ところがバグダッド陥落の翌月2003年5月にガーナー氏が突如解任されORHAも解散、後任にブレマー氏が赴任、占領機関も連合国暫定当局(CPA)に改編される。ブレマー氏はバース党及び旧イラク国軍・国防省・情報省の全面的な解体を決定し断行する。その後彼は懐柔策に転じるが、それも手遅れになり中途半端に終わる。更に石油産業を含め、工業・農業・通信・貿易など国営企業から成る基幹産業の民営化政策を推進しようとして、経済官僚機構も大幅に削減しようとした。フセイン政権崩壊時、旧イラク軍だけで40万人と言われた。おそらく軍事・官僚機構を担ってきた50万人、100万人単位の軍人・官僚が暴力的に失業者の大群に叩き込まれたと思われる。バース党とは要するに軍事・官僚機構だったのであり、バース党の解体とは、軍事・官僚機構の粉砕だったのである。(3-1)

 今回のイラク戦争が始まる以前にすでに、国連の厳しい経済制裁の下で、フセイン政権の中央集権的国家機構は著しく弱体化し大きく変容・変質を遂げていた。湾岸戦争後、軍事機構は戦前の約3分の1まで削減され、バース党機構も1990年の180万人体制から翌91年には4割減の100万人体制に、その後も衰退・解体状態が続く。フセインは、統治機構そのものの危機の下で、またイラク支配層や民衆の不満を拡散あるいは吸収するために、自らの国家権力を「中央=上層構造」(フセインを中心とするスンニ派の中心的一族の粛正・再編)においても、「地方=下層構造」(スンニ派部族の広範な部族主義同盟)においても、全国的規模で部族を復活・再生させることによって国家機構を抜本的に再編し延命を図ってきた。そしてイラク戦争で中央集権的なフセイン的「中央=上層構造」が粉砕された後に下から表出したのが、フセイン政権末期に復活・再生した各地の部族主義=宗教支配構造だったのである。(3-2)
※(3-1)「イラクにおける戦後統治の実態と今後の展望」(酒井啓子)http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/chutou-5.pdf 東京大学社会科学研究所・第50回プロジェクト・セミナー「イラクにおける占領支配構造とその問題点」(酒井啓子、アジア経済研究所)http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/seminar/50em.htm 酒井氏の『イラク 戦争と占領』(岩波新書 2004年1月)は、フセイン政権崩壊後、国家に代わって治安維持、慈善・福祉サービスなどの機能を代行し、社会秩序を担ってきた宗教指導者を核とするイスラム勢力の台頭を、シーア派の「ハウザ」、スンニ派の「ムスリム・ウラマー機構」を例に挙げて詳しく紹介している。(第4章 宗教勢力の台頭)
※(3-2)「フセイン体制の基盤はどこにあるか」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年10月号 ファーレハ・A・ジャッバール)http://www.diplo.jp/articles02/0210-2.html


b.“アラモ砦”のような占領統治中枢の特殊な権力構造=「グリーンゾーン」。
 米軍と「移行政府」は、こうした宗教的=部族的「地方=下層構造」から完全に分離された“飛び地”のようなものとして、イラクの人民から完全に浮き上がった形で存在している。米軍と民間軍事請負会社(PMF)の大軍勢に守られたバグダッドの「グリーンゾーン」の中に「占領統治中枢」(米軍現地司令部=米大使館、「移行政府」など)が集中する。ある人は、それを“アラモ砦”と揶揄する。そして、そこからイラク全土に、米軍と民間軍事請負会社(PMF)に守られて主要幹線道路を移動すると、各地にイラク軍・警察などの治安機関の現地事務所、各宗派・各政党の事務所がこれまた“飛び地”のように存在している。「グリーンゾーン」から放射線状に張り巡らされた「点」と「線」だけ、極論すれば、それも昼間だけの「国家機構」が存在する。

 ある人は、この戯画化された「占領中枢」を「グリーンゾーン共和国」と呼ぶ。米軍司令官や「移行政府」閣僚たちのオフィスや住居、彼ら専用のレストラン・ショッピングモール、フィットネス・クラブ、ガソリン・スタンド、バスケットボール・コート等々、城壁に囲まれた快適な空間が存在する。「バーチャル・カウントリー」(virtual country)と言う訳だ (3-3)
※(3-3) 「Republic of the Green Zone」By Riverbend , Baghdad Burning. June 27, 2005.http://www.alternet.org/waroniraq/22279/

 「グリーンゾーン」に閉じ籠もった「占領統治中枢」の特異性を非常にコンパクトにまとめたのが次のルポルタージュである−−「新イラク政府はバグダッドの防御されたグリーンゾーンに腰を下ろしている。それは、単にそこが数千人の米軍兵士に守られている場所だからである。イラク高官は会議や記者会見をアラモ砦のような施設で、しばしば近くの爆発音に中断されながら行っている。グリーンゾーンの外では、党の高官や政府の建物は対戦車地雷、18フィートの高さの厚いコンクリート、マシンガンとAK-47を操る傭兵に囲まれている。下級の政府職員でさえ、要塞から要塞へ重武装した軍の車両で移動している。・・・状況は認められているよりはるかに不安定だと私に告げる上級士官や司令官に次のように述べる、と防衛情報庁の中東担当チーフのCol. Patric Langは言う。間接的な被弾のため、たとえグリーンゾーンの中でも安全ではありません。もし大胆にも夜間に外出すれば、あなたは次の朝頭部のない死体として発見されることになります。」(3-4)
※(3-4) 「The Quagmire: As the Iraq War Drags on, it's Beginning to Look a Lot Like Vietnam」by Robert Dreyfuss May 7, 2005 by Rolling Ston Common Dreams NewsCenter より http://www.commondreams.org/views05/0507-23.htm


c.排除か取り込みか−−目まぐるしく変わるスンニ派=旧バース党に対する基本方針
 バース党全面解体を断行した連合国暫定当局(CPA)は2004年6月28日解散し、イラク暫定政府が成立する。暫定政権のアラウィ首相は、スンニ派を中心とする武装勢力による反米・反政府抵抗運動を抑えるために、一転して旧政府の治安機構、旧バース党の人員を積極的に取り込む路線を採用した。
 そして今年4月新たに誕生した「移行政府」とそれを構成する「統一イラク同盟」のイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)とダワ党、クルド勢力は、前政権のアラウィの方針を再び覆して、反バース主義を前面に押し出した。「統一イラク同盟」のシーア派イスラムの諸政党も、クルド人勢力も、かつてフセイン政権下においてバース党に弾圧されてきた過去を持つ。そして彼らから成る新政権は、今後旧フセイン政権と繋がる勢力、人物を、徹底的に排除していこうとするだろう。(3-5)
※(3-5) 「分析・イラク新政権」(『世界』2005年6月号 酒井啓子) また「前閣僚全員に出国禁止 イラク政府が前政権『汚職追及』(朝日新聞 http://www2.asahi.com/special/iraq/TKY200505310384.html )によれば、ジャファリ新政権が、アラウィ前政権に対する厳しい汚職追及を進め、前閣僚全員に出国禁止を命令、一部に逮捕状まで出した。狙い撃ちされた前閣僚の共通点は、「旧バース党員追放委員会への非協力」。これら前閣僚はスンニ派が多く、旧バース党と直接、間接の関係があり、委員会の活動を最も妨害したメンバーという。 アラウィ氏自身もバース党員であり、旧バース党員の復活を強く進めていた。

 「移行政府」のこのようなやり方がイラク治安部隊の再建努力を掘り崩していること、スンニ派武装勢力からの大きな反発と抵抗を引き起こしていることを懸念したブッシュ政権は4月12日、ラムズフェルド国防長官をイラクに送り込んだ。そして「移行政府」が、旧バース党員、旧政権の関係者を追放するような措置を取らないよう釘を刺した。(3-6)
 5月15日にも、ライス国務長官をイラクに派遣し、スンニ派をさらに広範に政権内に取りこむようにと、クルド人組織とジャファリ首相の説得に乗り出した。武装勢力の分断・取り込みと合わせて、新憲法制定過程にスンニ派を取り込むことも要求した。しかしまさにこのライス訪問の直後、ジャファリは米と対立関係にあるイラン外相のイラク訪問を実現させたのである。これら一連の動きの中に、ブッシュ政権の思惑を離れて徐々に制御が利かなくなりつつある新政権の現状が現れ始めている。
※(3-6) 米国防長官、イラク電撃訪問「組閣は超党派・人物重視」(産経新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050413-00000011-san-int

 アラウィ政権下において進められた取り込み政策によってイラク治安部隊の中には多くの旧政権関係者・旧バース党員が入り込んできた。「移行政府」が彼らを追放する動きを強めるようだと、それら部隊が更に弱体化することは必至である。そして政権から離れた彼らを、今度は敵に回すことになる。ブッシュ政権がいかに説得を行おうが、旧フセイン政権と仇敵であったクルド人勢力とシーア派「統一イラク同盟」が、バース党党員、旧政権関係者の追放を強行するかも知れない。その時には、内戦の芽を蓄積することになるだろう。


d.中央政府の手を離れたところで各派民兵がもたらす社会的混乱
 イラクには、様々な軍事・警察部隊が並存している。米軍が必死になって再建しようとしているイラク軍=治安部隊、内務省、警察機構と並んで、各派・各勢力が独自の軍事部門を組織している。しかもイラク政府の軍・警察機構にこれら民兵が加わり、各派の宗派的・党派的利害を貫こうとしている。これらの事情全体が、治安機構を非常に不安定なものにしている。この問題は、この点が肝要であるのだが、「移行政府」成立以前からの「統一イラク同盟」とクルド人勢力との間の最大の対立点の一つであった。「PUK、KDPの両クルド勢力が、クルドの自治拡大と自治を前提にしたイラクの連邦化を求めていることは、湾岸戦争後のクルド自治区の半独立化以来自明なことであるが、クルド勢力は連邦交渉の機を捉えて、極力『クルドの自立』を既成事実として確定しておきたかったのである。北部最大の油田地域、キルクークのクルド自治区編入要求などはその代表的な争点だろう。」(3-7)
※(3-7) 「分析・イラク新政権」(『世界』2005年6月号 酒井啓子)

 そしてクルド勢力は、自らの分離独立主義的立場を保証するために武装民兵組織「ペシャメルガ」の温存を暫定政府や今回の「移行政府」に既成事実として認めさせているのである。例えば、タラバニ大統領は、3000人を超える「ペシャメルガ」民兵をバグダッドに引き連れ、自分の住居のまわりを警護させていると言われている。要するに、親米路線を基本とするクルド勢力はフセイン政権崩壊直後から、自治区における自治権拡大と武装民兵の保持に関してブッシュ政権からの承認を得ていたのである。ところが一方では、米軍は昨年8月、シーア派サドル師民兵マハディ軍の解体と武装解除を目指してナジャフ侵攻を行った。また反米武装闘争を繰り広げるスンニ派の拠点ファルージャに対して米軍と傀儡政権は残忍非道な大量虐殺と大量破壊を行ったのである。明らかなダブル・スタンダードである。(3-8)
※(3-8) 「分析・イラク新政権」(『世界』2005年6月号 酒井啓子)

 また今、宗派対立が深まる中で、イラクイスラム革命評議会(SCIRI)の率いる民兵組織バドル軍の存在が注目されている。スンニ派武装勢力によるシーア派攻撃に対して報復に乗り出しているという。バドル軍はイランで訓練を受けた精鋭部隊であり、表向きは内務省の警察組織に改編されたと見られているが、クルド勢力との取引で、2万人もの部隊の一部が民兵組織として残存していると言われている。

 国軍・治安組織と各党派の民兵組織が並んで存在する。国軍・治安組織にこれら民兵が加わっている。米軍、イラク軍にクルド勢力とシーア派勢力の民兵組織が協力する形で、スンニ派武装勢力に対して攻撃がかけられている。−−このような有様で、果たして安定した治安が実現されるであろうか。


(2)米軍も「移行政府」も人民から浮き上がり、ますます悪化する人民生活を前にして、インフラ基盤・産業復興の意志も能力もなし。

a.ファルージャの惨状と「再建」のウソ。
 昨年4月、11月の二度に渡り、米軍はファルージャを包囲し、住民虐殺、破壊を繰り広げた。その後、破壊した張本人たちは、高らかに、ファルージャの「再建」を約束した。しかし実態は、悲惨そのものである。全くと言ってよいほど街の再建は進んでいない。80%もの人々が街から逃れたと見られているが、その半分しか未だに戻っていないという。避難を続ける人々は、街の社会基盤が破壊されてしまい復旧のメドが立たないために戻れない、と語っている。排水システム、電力、水供給システム、家屋・・・。街は復旧されずに放置されたままである。(3-9) これが米軍のやり方である。当時の暫定政権も侵攻を支持した。しかし、米軍の蛮行を目の当たりにした市民たちの怒りは決して消えることはないであろう。反米武装闘争の芽を、米軍自らが各地に振り撒いているのである。
※(3-9) 「Iraq : Focus on reconstruction in Fallujah」(Reuters:Source: IRIN)24 May 2005 http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/IRIN/96cb1e0d5747c8a51412e2e3434509a6.htm 「失敗だったファルージャ包囲」ダール・ジャマイル 6月3日 URUK NEWS イラク情勢ニュース http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005The_failed_siege_of_Fallujah.html


b.産業の崩壊と異常に高い失業率。深刻な電力・水の供給不足。妊産婦死亡率の上昇、子どもの栄養失調の急増−−生活状態の劇的な悪化。
 確かにファルージャの実情は突出したものかも知れない。しかし、戦争で破壊されたインフラ基盤、生産力基盤に復旧のメドが立たないのは、イラク中のどこも同じである。
 国連開発計画(UNDP)とイラク計画省が2004年に、全18州の2万1600世帯を対象にして実施した「イラク生活環境調査2004年」(3-10) が、先月5月12日発表された。それは豊かな石油資源を有しているにもかかわらず、米軍の戦争・占領がイラク民衆の生活状態をいかにどん底に突き落としているかを改めて示した。イラクの85%の家庭で電力が不足し、54%が清潔な水を利用しているに過ぎない。わずか37%のみが、排水システムと結ばれている。この数値は、1980年代が75%であったのと比較すると、格段に低いものである。住宅の不足も危機的であり、新たに150万戸住宅を供給しなければならないとしている。
 この報告書は、アラブの中でもとりわけ高い水準を誇った医療制度が、今では最低水準にまで下がってしまった実態を明らかにしている。具体的には、生後半年から5歳までの子どもの4分の1が栄養失調になり、10万人当たり93人の妊産婦が出産時に亡くなっているという。ヨルダンでは14人であり、サウジアラビアでは32人である。いかに高い数値かが分かる。別の調査によれば、5歳以下の子供たちの中の栄養失調が、過去と比較して2倍に増加している。フセイン政権下では、飢えに苦しむ子供たちは4%であったが、昨年末には8%にも上昇しているという。(3-11)

 経済面では、失業率は50%、不完全就業者は33%、高校・大学卒業者の37%が職に就けない状況だという。ただし、戦争による犠牲者の評価については、昨年10月の“ランセット”の数値9万8000人よりも少ない。戦闘と1年間の占領支配下における犠牲者数を2万4000人と見ている。その中の12%が18歳以下だという。
※(3-10) 「Living conditions in Iraq 'tragic'」http://www.middle-east-online.com/english/?id=13481 「US war in Iraq yields a social “tragedy”」http://www.wsws.org/articles/2005/may2005/iraq-m18_prn.shtml
※(3-11) 「Let them eat bombs The doubling of child malnutrition in Iraq is baffling」April 12, 2005 http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1457630,00.html

 「イラクにおける静かな死」−−医療制度の崩壊をこう表現する人がいる。公衆衛生の専門家は、今夏におけるコレラの大発生を警告している。ドゥレイド・アル・カトゥーン医師は、IRINに対して、次のように語っている。2005年1月には、子供一日当たりのコレラ発生件数は1件であった。この90%近くが排水システムの存在しない地方において発生したものであったという。しかし、バグダッドにおける、未だに回復しない排水システムは、今夏に向かってコレラの大発生を引き起こす可能性があるという。(3-12)
※(3-12) 「IRAQ: Doctors alert for a possible cholera outbreak in summer season」(Reuters:Source: IRIN) 26 May 2005 http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/IRIN/ed66c7045a77898e3e57da2f67366551.htm
※「Collapsing Health Care System: Silent Death in Iraq」Ghazwan Al-Mukhtar http://globalresearch.ca/articles/MUK506A.html


c.教育制度の未曾有の崩壊。
 戦争は、イラク全土の教育機関の84%を崩壊させた。特に高等教育機関でそれが顕著である。(3-13)
※(3-13) 「The war on Iraq destroyed 84% of education establishments」5/9/2005 http://www.arabicnews.com/ansub/Daily/Day/050509/2005050925.html

 言うまでもなく、生活環境に関するどん底の指標はUNDPが調査した昨年度だけではない。2005年も引き続き、治安の悪化とともに更に悪化し続けているのである。米国は、掃討作戦でやたら暴力を振るうだけで統治能力もなく、復旧の意思もないのである。「そもそも、回復の前提である治安が最悪の状態なのである。制御不能な安全状況は、ほとんどの再建プロジェクトが地に足を着けることができないことを意味する。移動手段は妨害され、イラクの中核施設−−道路と橋、発電施設、浄水施設、極めて重要な石油施設−−は、戦争でひどくダメージを受けたまま残っている。」(3-14)
※(3-14) 「The Quagmire: As the Iraq War Drags on, it's Beginning to Look a Lot Like Vietnam」by Robert Dreyfuss May 7, 2005 by Rolling Ston Common Dreams NewsCenter より http://www.commondreams.org/views05/0507-23.htm



[4]反米・反帝民族解放戦線=「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)の結成と国際連帯の意義。

(1)米国内で勢いを増す米軍撤退論。その米軍撤退論にブレーキを掛ける2つの神話を論駁する。

 米国内で、米軍撤退論が勢いを増している。6月23日の米上下両院の軍事委員会での激しい論戦で、民主党のケネディ議員はラムズフェルドの辞任を要求、共和党リンゼー・グラム上院議員からも「人々は疑問を持ち始めている」との疑問の声が上がった。(4-1)
※(4-1)「イラク情勢で応酬 米軍事委員会公聴会」(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050624-00000029-san-int 「イラク撤退時期の明示はテロリスト延命」米国防長官(読売新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050624-00000415-yom-int <イラク戦争>成否めぐり米政界殺ばつ 中傷合戦激しく(毎日新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050627-00000017-mai-int


 しかし米国内で米軍撤退論が更に加速するためには、これにブレーキを掛けようとする2つの神話を打ち砕かねばならない。一つは、「米軍が撤退すればイラクは“無政府状態”に陥る」というもの。もう一つは、「米軍が撤退すれば、いよいよ“内戦”に入る」というものである。米の民主党や反戦運動の内部にも、こうしたマス・メディアによって吹聴された“神話”にごまかされ、撤退慎重論を取ってきた部分が予想以上に多く存在する。
 何と帝国主義的で傲慢な思い上がりか。イラク人民には統治する能力がないというのだ。独立主権国家を一方的に崩壊させた侵略者の側にこんなことを言う権利などない。冒頭に取り上げた毎日新聞の社説も、「第二のベトナム」のデタラメな解釈を持ち出してこの論を主張した。しかしあっと言う間に崩壊したのは傀儡政権であって、政権一般ではない。ベトナムの場合もすでに樹立された南ベトナム臨時革命政府が前面に出たのである。イラクでも、米軍の撤退によって初めて本来のイラク人民の政府樹立に向かって進むだろう。(4-2)
※(4-2)「Do The People of Iraq Have The Right To Resist The US Occupation? 」Jack Smith?05/2005
http://www.energygrid.com/society/2005/05js-occupation.html


a.[神話その1]:「米軍が撤退すれば、イラクは“無政府状態”に陥る」?!
 この議論は、現在イラクがそれなりの秩序を維持しているのが何であるのかを、完全に覆い隠している。現在のイラクの法秩序を曲がりなりにもギリギリのところで維持しているのは、もちろん米占領軍ではない。すでに述べたように、中央集権国家崩壊の下から姿を現した部族集団=宗教界のネットワークである。だから、米軍が撤退したら無秩序に陥るというのは、撤退論を牽制する作り話なのである。いや、逆に米軍の居座りこそ無秩序を作り出しているのである。
 酒井啓子氏など、幾つかの研究や実態調査が示しているように、今回のイラク戦争後、フセイン政権という中央集権的な権力構造が崩壊した後に、「唯一、法秩序を代替的に提供できる存在が宗教界であった。」「イスラム法学者の持つ社会的な影響力が戦後の無秩序状態の中で再評価され、それを背景としてイスラム系の政治政党が政治的な活動を強化しているというのが、今のイラク国内での状況である。」「伝統的な親族ネットワークに基づく社会形成、あるいはイスラムの法秩序に基づく社会構築などに頼らざるを得ないところに、今の宗教勢力台頭の背景がある。」(4-3)
 また、別のイラク専門家によれば、フセイン時代末期にすでに国家機構が弱体化し、国家機構に「部族集団」を組み込む「国家部族主義」システムが形成され、バース党の弱体化の下で伝統的な部族集団の血縁ネットワークが復活する「社会的部族主義」システムが形成されていたという。それがフセイン政権の崩壊で、更に劇的に社会の前面に立ち現れたのである。そしてイスラム宗教界の復活と部族主義の復活は密接不可分に結び付きながら現在のイラクの秩序を支えている。(4-4)
※(4-3)東京大学社会科学研究所・第50回プロジェクト・セミナー「イラクにおける占領支配構造とその問題点」(酒井啓子、アジア経済研究所)http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/seminar/50em.htm
※(4-4)「フセイン体制の基盤はどこにあるか」(ル・モンド・ディプロマティーク2002年10月号 ファーレハ・A・ジャッバール)http://www.diplo.jp/articles02/0210-2.html


b.[神話その2]:「米軍が撤退すれば、いよいよ“内戦”に入る」?!
 もちろん、内戦の危険があり得ないということではない。私たちは、米軍が撤退すれば内戦が勃発するというのが作り話でありウソだと言っているのである。真実はその逆であり、米軍が居座れば居座るほど内戦の危険が高まる。内戦の危機を煽ることに利益を感じているのは、米占領軍の側である。(もちろん、本当に内戦になれば彼らも困るのだが。)

 内戦の危機を無造作に煽る人たちが見落としているのは、まず第一に、本格的な内戦シナリオは、シーア派・クルド人からなる治安機構が再建されればスンニ派武装勢力との衝突が大規模な内戦に転化する危険があったのだが、皮肉にも治安機構の再建が全くメドが立たないことで、本格的な内戦の危険は後退しているという事情である。

 第二に、イラク民族主義の力とエネルギーを過小評価しているということである。イラク現地で取材を続けるフリー・ジャーナリストのダール・ジャマイル氏は言う。(4-5) 「現地においては、スンニ派とシーア派は、米国で一般に考えられているよりももっと多く部族社会の絆と家族関係で入り組んでいるのである。シーアの導師とスンニの部族長、主流メディアによる政治的糾弾の世界から、人々の日常生活のレベルに降りてくると、内戦の危険性ははるかに遠い世界のことのように思われる。」シーア派ダワ党の広報担当幹部も彼のインタビューに答えてこう言う。「私たちはいかなる種類のものであれ国を分断することに反対だ」と。また「イラクを分断することは外国に政治的および社会的、経済的な支配を許すことになると彼は考えており、彼はそのことに強く反対している。」「メディアで言われているように互いに戦うつもりはない」「敵が望んでいるような内戦には何の希望もないし、ほんとうのイラク人なら内戦を望んでいるとは思えない」。そしてこのスポークスマンは宗派の違いがあることは認めた上で、「これは互いに戦うような違いを意味してはいないんだ」と言う。
 更にバグダッド大学のスンニ派の政治学者の主張を引用する。「この内戦という概念はアメリカの政策立案者の頭の中にだけ存在しており、おそらく彼自身はシーアとスンニの間に内戦などないことを知ったうえで、それを口実に使おうとしているのだろう」と。
※(4-5)「イラクにおける宗派と結束」ダール・ジャマイルのイラク速報 2005年3月23日 「イラク情勢ニュース」より http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005Sects_and_Solidarity.html

 米の中東専門家フアン・コール氏は、米軍の強権的占領支配と軍事弾圧体制が、ますます反米反帝のイラク民族主義をかき立てると言う。彼は、2004年4月のファルージャ支援を巡って、2003年8月のキルクークの聖地の管理を巡って、宗派や民族を越えた連帯の事実を指し示した上で、「イラク人は、近隣諸国からの宗教的、政治的な影響にさらされながらも、強固な民族意識を築き上げてきた。さまざまな宗派にとって、宗教的な帰属意識はイラク人であることに先立つものではない。」「イラクは民族意識が低く、シーア派アラブ人の南部、スンニ派アラブ人の中部、クルド人の北部の三つに割れていると思い込んでいた人々は、イラクの民族意識の強さを示す多くの証拠を見落としていた。」と、認識を改めるよう促した。そして、歴史の弁証法を指し示す。「アメリカ政府は、イラクへの駐留を『国造り』の実践であると考えていた。この計画は、きわめて皮肉なことに、アメリカを追放するという目的に向けてイラク人が結集することによって成功するかもしれない」と述べた。しかも1920年代の反英蜂起の中でシーア派とスンニ派の反帝民族主義連合を唱えて以来、こうした民族主義構想は常に失敗に終わってきたが、今回の米帝の占領支配によって、それが「夢から現実に変わりつつあるようだ」と。(4-6)
※(4-6)「シーア派とスンニ派を結束させるイラク民族主義」 (ル・モンド・ディプロマティーク 2004年5月号 フアン・コール) http://www.diplo.jp/articles04/0405.html

 最近特に、内戦につながりかねない事件が頻発している。ダール・ジャマイル氏は最新情報「イラク:国家がスポンサーとなる内戦」で強調する。(4-7) シーア派の民兵バドル軍やクルドの民兵「ペシュメルガ」から成るイラク軍が、ファルージャ、モスル、ラマディ、バクバなどにおいて暴力や略奪や侮辱行為を働いている。バドル軍は南部に住むスンニ派に圧力を加えたり、スンニ派聖職者を殺害したりしている。これらは「国家がスポンサーとなる内戦」(State Sponsored Civil War)に他ならない。しかしだからこそ、イラクの政治的・宗教的諸組織は、精力的に、この「低強度内戦」(low-grade civil war)が悪化するのを回避しようと働いているのである、と。すなわち「低強度内戦」はすでに始まりつつある、それを本格的な内戦にしてはならない、と訴えているのである。
※(4-7)「State Sponsored Civil War 」Iraq Dispatches June 10, 2005 http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000254.php


(2)反米・反帝民族解放戦線=「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)の結成−−“植民地化”コースに対抗し、反米・反帝=民族独立、民族解放への道、“反植民地化”コースを模索するイラク人民。

a.スンニ派のイスラム聖職者協会(AMS)とシーア派サドル師派を中心とする反米・反帝民族解放戦線=「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)が結成される。
 ブッシュと傀儡=「移行政府」が推進する、また日本のマスコミが唯一の出口だとして美化・礼賛する「政治プロセス」=“植民地化”コースに対抗して、イラク人民の最も戦闘的な部分は反米・反帝=民族独立、民族解放への道、“反植民地化”コースを模索している。もちろん、まだ奔流になるほど大きな力は持っていない。しかしイラク人民には一つの道しかないのではなく、二つの道があるのであり、反米・反帝の民族独立の道、民族解放の道こそが大道であり、イラク人民大衆の利益にかなった道である。米占領軍による大量虐殺と軍事弾圧の下で圧殺されそうになりながらも、イラク人民はこの困難な道を追求しているのである。このことを私たちは理解しなければならない。

 日本のマスコミは全く無視しているが、米占領に反対する多くのグループを結集した反米・反帝民族解放戦線である「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)が結成されている。(4-8) スンニ派−シーア派の政治戦線が構築されつつあるのだ。中心になっているのはスンニ派のイスラム聖職者協会(AMS)とシーア派サドル師派である。(4-9) 最近もアルジェにおいて、同愛国勢力が会合を開き、米の占領反対、ペンタゴンの恒久基地反対、民営化と企業によるイラク経済の略奪に反対、バルカン化に導くようなイラク連邦化に反対する、と宣言した。この解放戦線のメンバーたちは、宗派主義に火を付けることは内戦を刺激するだけであり、米軍のプレゼンスを正当化するだけだと明瞭に理解している。彼らは、ジャファリ首相との政治対話を拒否してはいないが、前提条件として米軍の撤退時期明示を中心に7項目を要求し、「移行政府」を揺さぶっている。議会選挙直後の2月15日に出された7項目条件を盛り込んだ「声明」は以下の通りである。

反占領愛国勢力(AOPF)の声明

1)あらゆる側面、あらゆる形態における、占領軍のイラクからの撤退の、明瞭でまぎれのない、公的な、国際的保証のもとに義務づけられたタイムテーブル。
2)宗派的、人種的、民族的境界線による再分割という原則の廃止と、同等に市民であること、法のもとでの諸権利と義務の平等という原則の採用。
3)占領を拒否するイラク人民の権利という原則の承認。イラク人のレジスタンスを認めること、その国と資源を防衛する合法的な権利を認めること。無辜のイラク人、公共施設、礼拝の場所――モスク、フセイニヤート(シーア派の宗教センター)、教会、あらゆる神聖な場所――を標的とするテロリズムの拒否。
4)選挙は、the Administrative Law (ブレマーが考案した統治法制でシスタニ自身が異議を唱えた)に基づいていたという事実によって正当性を欠き、法的諸条件と安全保障上の諸条件を欠いていて、多くの人民がボイコットし、急ごしらえの間に合わせであったので、この選挙から生み出される政府は、イラクの主権、人民の統一、領土、経済、資源保護を侵害するいかなる協定または条約をも締結する権限を持たない。
5)民主主義と選挙を権力移行の唯一の選択肢として採用すること。および、中立の国際的監視の下で、政治過程が誠実で透明な諸条件のもとに遂行されることを可能にする諸条件と法制の準備。
6)イラクの愛国的、アラブ・イスラム的、アイデンティティ−の肯定。および、このアイデンティティ−の喪失に導くようなあらゆる立場に対する断固とした反対。
7)占領と暫定政府の刑務所・拘置所にいる全囚人・拘留者の解放。特に女性。イラクのあらゆる諸州における継続的な掃討作戦と人権侵害の中止。破壊された諸都市の再建とその住民に対する公正かつ正当な賠償を要求する。

 参加諸勢力は、これらの諸原則に同意する他の愛国諸勢力に、我々の愛国的大義に資するものとして、またイラクのあらゆる愛国的諸勢力を再結集し統一するために、この声明への署名を呼びかける。

反占領愛国戦線
1426 Muharram 6 / 2005年2月15日


※(4-8)「Iraq Developments」by Gilbert Achcar March 04, 2005 http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?ItemID=7362 「WHITHER IRAQ? The US occupation and the antiwar movement after the election」by Gilbert Achcar February 25, 2005 http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?ItemID=7308 「Exit strategy: Civil war」By Pepe Escobar Jun 10, 2005 Asia Times Online http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/GF10Ak03.html
※(4-9)反米・反帝戦線には、これら聖職者・宗教関係者の他、様々な政治グループが存在する。
−−「イラク愛国同盟」はこう主張する。「イラク・レジスタンスは、不法で残忍なシオニストおよび帝国主義者のイラク占領と戦っている。われわれのレジスタンス運動は、武装した手段に頼る権利を含めて、国連憲章と国際法によって合法的だとされるものである。われわれは民族自決と真の主権を手にする権利を訴えるものである。」
昨年12月の「イラク愛国同盟からの手紙、世界の兄弟姉妹の皆さんへ」(Letter from Iraqi Patriotic Alliance addressed to our brothers all around the world)、今年1月にポルトアレグレの世界社会フォーラムに参加した際のインタビュー「民主主義よりも、まず国民の解放を」を参照。http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005Letter_from_IPA.html http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005Interview_with_IPA.html
−−「占領に反対するイラクの民主主義者」(Iraqi Democrats Against Occupation、IDAO)
http://www.idao.org/index.html
−−これらとは別に、「移行政府」にも、反米武装勢力の武装抵抗にも反対する「イラク自由会議」(IFC)がある。

 もう一つ、注目する動きが出ている。この5月25−26日の両日、南部バスラにおいて、バスラ石油労働組合が、歴史的な意義を持つ「反民営化会議」を開催したのである。イラクの様々な労働組合や市民活動家、更には欧米の反グローバリズム活動家らが、イラク人民の財産である石油を米欧の石油メジャーに売り飛ばす民営化計画を阻止するために立ち上がったのだ。こうした反政府・反体制活動が公然と可能になりつつあるという意味では、イラク情勢は変化の兆しを見せていると言えよう。(4-10)
※(4-10)「Iraqi Oil Workers' anti-privatisation conference Premieres Naomi Klein Film 」11.6.05 Iraqi Democrats Against Occupation  http://www.idao.org/2005/06/iraqi-oil-workers-anti-privatisation.xml


b.「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)につながる反米・反占領武装抵抗運動。
 すでに何度も私たちが紹介してきた反米・反占領武装抵抗運動、昨年4月と11月のファルージャを中心とするスンニ派三角地帯の抵抗運動、昨年8月のナジャフでのシーア派サドル師派の武装抵抗運動が、この「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)の重要な一翼を担っている。両者はすでに、サドルシティの戦闘でも、ファルージャの戦闘でも、ナジャフの戦闘でも米占領軍との戦いで「共闘」してきている。(4-11)
 とりわけ現在、米軍・イラク軍が掃討作戦を展開しているイラク中西部からバグダッド中心部にかけて、かつて支配者的であった何百万ものスンニ派住民が居住する地域が、武装抵抗運動の拠点になっている。反米武装抵抗組織は宗教的=部族的ネットワークを通じて活発に活動しており、大きく2つの陣営に分けられる。一つは、解体されたイラク軍・警察・情報機関やバース党関係者から成る世俗的なアラブ民族主義者、もう一つは、宗教的性格を色濃く帯びるイスラム主義者である。これには一部にイスラム原理主義的な一派も存在すると言われている。戦闘員だけで数万人、支持者を含めると20万人〜40万人と言われており、これらスンニ派三角地帯では、全体として住民の支持と共感を得ているとされている。
※(4-11) 以下の署名事務局の記事を参照。「米軍=イラク軍はバグダッドでの大規模掃討作戦を即刻中止せよ!」 「最新の掃討作戦「マタドール作戦」が示すもの−−米軍の異常な残虐さと軍事占領の限界・破綻」 「米軍は「選挙」のための無差別攻撃、「選挙」のための住民虐殺をやめよ!」 「2004年8月:“ナジャフの戦い”の政治的・軍事的意味


(3)多大な犠牲を払いながら抵抗するイラク人民に対し、米軍・多国籍軍と自衛隊の撤退を実現することで国際連帯の力を示そう!

 イラク人民の抵抗闘争と連帯に関する国際会議についても、日本のマスコミは全く報道していない。昨年5月、パリで第1回「イラク人民連帯国際会議」(4-12) が開かれた。支持者の顔ぶれを見ると、世界社会フォーラムで主要な役割を果たしているブラジル労働党(PT)、キューバや南アの共産党、ベネズエラなど世界から50カ国の参加者が名を連ねている。会議が採択した最終宣言はこう訴えている。会議は、帝国主義による戦争冒険主義に終止符を打つ必要性を世界の人々にアピールした。イラク侵略の狙いを石油資源と「大中東構想」に見られる覇権主義だと非難、米によるシリア、イラン、北朝鮮、キューバとベネズエラへの侵略の恫喝を糾弾した。とりわけ「今日、イラクは、帝国主義に対する闘いの最前線にある」(Today, Iraq is on the frontline of the fight against imperialism.)という規定は、特筆すべきである。
※(4-12)「第1一回イラク人民連帯国際会議」報告 http://www.iraqresistance.net/rubrique.php3?id_rubrique=1


2004年5月 第一回「イラク人民連帯国際会議」(パリ)
( http://www.iraqresistance.net/article.php3?id_article=23より)

 今年3月24日から27日にかけて、エジプトのカイロで「第3回 カイロ会議」(4-13) が開かれた。ヨーロッパ社会フォーラム(ESF)や世界社会フォーラム(WSF)と並んで、2003年のイラク開戦ストップを掲げたあの2・15国際反戦行動を準備し成功させたのが第1回のこのカイロ会議であった。主催は、エジプトの反戦平和団体が結成した「米とイスラエルの占領に反対する国際大衆行動」で、世界20カ国から延べ2500人が結集、イスラム主義者、アラブ民族主義者、社会主義者など、様々な政治的傾向を持つ活動家が集まった。会議参加者は、パレスチナ、イラク、レバノンの抵抗闘争との連帯、そして中東での米国とシオニストの計画に挑戦するために最も広範な運動の創出を求める、2002年の第2回会議以来の大きな進展について議論した。それを踏まえて以下を強調した。
(1)イラク、パレスチナ、レバノンの抵抗闘争への無条件の支持・連帯。その抵抗闘争に対するあらゆる形態の政治的・物質的・道徳的支援を積極的に支持する必要性。
(2)その地域への米とシオニストのあらゆる計画に対する断固とした拒否、それらに挑戦し、それらとアラブ諸国政府との共犯関係を暴露する持続的な闘い。
(3)イラクとレバノンにおいて宗派対立と戦争を引き起こすことによって抵抗闘争を弱めようとする、米とシオニストによるあらゆる植民地主義の試みに対する闘争。団結と連帯の死活的な必要性を強調すること。
(4)戦争、植民地主義に反対する国際的運動を拡大し深めること。それをグローバリゼーションに反対する国際的運動と結び付けること。更には、それらの闘争の中で、全てのアラブ人民の解放と民主主義の闘争と国際的運動との協力・連帯を強化すること。

※(4-13)「英国反戦運動も力を入れているカイロ会議」http://www.labornetjp.org/labornet/NewsItem/20050225m2 「3rd Cairo Conference Resolution and report」http://www.antiimperialista.com/view.shtml?category=9&id=1116930871&keyword=+
※今年6月4日には、まだ詳細は不明だが、イタリアのフローレンスで「イラク抵抗運動を支持する国際会議」が開かれた。「International Conference in Support of the Iraqi Resistance
Report of the preparatory meeting in Florence, June 4」http://www.antiimperialista.com/view.shtml?category=9&id=1118591559&keyword=+

 イラク再建を巡る2つの道、2つの陣営の対立と闘争の帰趨が、イラクの未来を決することは間違いない。私たちは、イラク人民が必ずや幾多の苦難を乗り越えて、アメリカ帝国主義に蹂躙された祖国の解放を勝ち取るであろうことを確信している。
 ただ、イラクの現状は異常に困難であることも承知している。ここで紹介した反米・反帝民族解放戦線=「イラク反占領愛国勢力」(AOPF)、スンニ派やサドル師派の武装抵抗闘争が、今日のイラク政治の中でどのような位置にあるのか、今後どのような位置を占めていくのかについても、詳細は不明であるし予め確定的なことを言える状況ではない。イラク情勢があまりにも複雑であり、またあまりにも多くの条件や要因に依存しているからである。仮に、米軍を撤退させたとしても、イラク固有の民族的・宗派的諸矛盾を踏まえると、イラク再建は途方もなく困難な道を辿ることになるだろう。

 しかし一つだけ確かなことは、米占領軍の巨大な重しをまずは取り除くことが、新生イラクの出発点であるということである。21世紀の今日、かつてのような古典的な植民地主義が持続する条件はない。現に米によるイラクの植民地主義的占領支配は完全に行き詰まっている。米国内でも米軍撤退論が急速に沸き上がっている。
 イラク人民の苦痛と苦難を和らげるために世界の反戦平和運動が果たす役割はますます重要になっている。“植民地化”コースに対抗し、反米・反帝=民族独立、民族解放への道を模索するイラク人民と連帯しこれを支援するために、一刻も早く米軍・多国籍軍と自衛隊を撤退させ、イラク占領支配を終わらせることが、侵略国家、侵略加担国家の反戦運動に課せられた最重要の責務である。