米国はベネズエラから手を引け!
HANDS OFF VENEZUELA!


■イラクだけではない。米国はハイチに続きベネズエラへの介入を狙っている。
 ブッシュのアメリカがやっているのはイラクへの無法で残虐な侵略戦争だけではない。毎日毎日パレスチナ民衆を、子ども達を殺しまくるシャロンのイスラエルを全面支持するだけではない。シリアやイランを恫喝するだけではない。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への封じ込めと戦争挑発だけではない。
 ブッシュは、日本ではほとんど報道されておらず、関心も示されていない中南米でも介入と干渉を強めている。世界的地域的覇権を求めての、また経済利権と石油・天然資源を求めての、途上国への軍事介入と内政干渉は、ブッシュのアメリカの、帝国主義アメリカの普遍的な本性なのである。
※米軍はアフリカへも軍事介入を増大させている。「US to increase African military presence」3 March, 2004, By Martin Plaut BBC regional analyst http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/3561619.stm

 ハイチで今年2月29日、突如クーデターが起こった。選挙で選ばれたアリスティド大統領が、北部から南下してきた親米武装勢力と米政府によって追放された。しかし追放されたアリスティド大統領が即座に、幽閉先のアフリカから米国のリベラル系ラジオ・TVステーションや民主団体と連絡を取り、事態はアリスティド派の巻き返しとなって思わぬ方向へ展開している。米の民主的進歩的勢力の即刻の反撃、クーデター反対の大々的なキャンペーンが、ブッシュ政権の思惑を押し返しつつある。ハイチ・クーデターは実はアメリカが直接主導したことが暴露され、「身柄の安全確保」あるいは「国内の混乱を避ける」などとの理由で、実際にはアリスティド大統領を「誘拐」「拘束」し政権転覆を主導したことが明らかになった。
 3月26日、15ヶ国からなる「カリブ共同体」の消息筋は、米の傀儡政権を認める計画はないと断言した。アリスティド氏は現在、アフリカからジャマイカへ移り、いつでも帰国できる態勢を整えている。ハイチ情勢は一触即発の状況である。
※リベラル系のラジオ・TV「Democracy Now!」が最も早く、最も詳しく米政府によるアリスティド「誘拐」を報じて全米で反響を巻き起こした。http://www.democracynow.org/static/haiti.shtml
※「Caribbean Leaders Don't Accept Haiti Gov't」Mar 27 By BERT WILKINSON, Associated Press Writer
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&cid=589&e=14&u=/ap/caribbean_summit

 このハイチでの事件をきっかけに、ベネズエラでも中南米諸国でも、また米国内の反戦平和勢力、民主的進歩的勢力の間でも、「HANDS OFF!」(米国は手を引け)が再び共通の合言葉になっている。ハイチへの軍事介入とベネズエラへの内政干渉に反対するスローガンである。ブッシュ政権は、ハイチだけでは飽きたらず、ベネズエラへの干渉と再クーデターを再び目論み始めたのである。
 ベネズエラのチャベス大統領は、幾度となく米国の政権転覆や暗殺工作の中を生き抜いてきた若手将校である。ことごとく米国に逆らい、ブラジルの左翼ルラ政権とも連携し、あろうことか米国最大の敵である社会主義キューバのカストロと結び付きを深め、キューバに石油まで提供しているのだ。ブッシュにとって「中南米の左傾化」の“新しいヒーロー”として頭角を現したチャベスは、今や抹殺の対象と言っていいだろう。

■「国民投票」で失地回復を狙う反チャベス勢力とそれを支援する米国。
 2002年4月に、米国と、ベネズエラのオルガーキー・特権労働者・財界メディアの反革命勢力が、大衆デモを利用して一度クーデターを起こして失敗した。この時の、まるで映画を見ているかのような錯覚に陥るチャベス復権の顛末、チャベス派による米国=反チャベス勢力共同のクーデターを失敗に追い込む劇的な過程について、私たちはNHKの番組紹介の形で紹介した。
[番組紹介]NHK・BSプライムタイム(11月22日)「チャベス政権 クーデターの裏側」
※このクーデター過程を自身で明らかにし、ボリーバル革命をどのように遂行しようとしているのか、その目的と意義を本人の口から語った『ベネズエラ革命―ウーゴ・チャベス大統領の戦い ウーゴ・チャベス演説集』(伊高 浩昭 (翻訳) VIENT社)が出版されている。

 しかし映画とは違い、米側の介入はそれで終わりではなかった。その後、ちょうど全世界がイラク戦争へ関心を集中させていた2002年末から2003年はじめにかけて、反チャベス勢力と米国は、国営石油公社を中心とするゼネストで経済危機を演出してチャベス政権の転覆を図ろうとしたのである。ところが、断固たるチャベス側の反撃によって、それも失敗することとなった。

 このように野党側の政権転覆工作のたびに、貧困層のいっそうの覚醒と政治的進出が巨歩の前進をとげ、チャベス政権が主導するボリーバル革命がいっそうの前進をとげている。国営石油公社は、チャベス政権に結集する人民(貧困層・農民・労働者・国軍兵士)が掌握するようになった。ベネズエラ最大の富の源泉を人民の側が握り、貧困層や人民大衆に再分配する物質的基礎を獲得したのである。これは歴史上かつてなかったことだ。

 しかしそれでも反チャベス・反革命勢力側はあきらめなかった。失地回復を狙い、2003年夏からチャベス大統領罷免の国民投票を要求する署名運動という、一見「合法性」をよそおった形での政権転覆を図ろうと動き出した。しかし、これもまた失敗であることがこの間、明らかになりつつある。
 憲法の規定では罷免国民投票のためには有権者の20%、約240万人分の署名が必要である。反政府勢力は、340〜380万票を豪語したが、国家選挙委員会(CNE)が有効と認定したのは約180万人分だけであった。上からの企業ぐるみ署名や、でっちあげ署名、その他ありとあらゆる不正をしてかき集めようとしたが、思うようには集まらなかったのである。このキャンペーンの中心的な団体に、米政権は公然と資金提供していたことも暴露されている。

■最高裁をめぐる闘い。「合法的」やり方が失敗すれば暴力事件をでっち上げ再クーデターを狙う計画。予断許さぬ情勢。
 今年3月2日、国家選挙委員会(CNE)が不正署名を除いた180万票しか認めないとの裁定を下した後、大統領罷免国民投票をめぐる争いは最高裁へ移った。最高裁選挙法院は、CNEによって除外されたもののうち約80万人分を有効とする決定を下したが、その後3月23日に最高裁長官イワン・リンコンと最高裁憲法院はその決定を無効とした。明らかに選挙法院は反チャベス派が、最高裁長官と憲法院はチャベス派が優勢であることを表している。チャベス派優位の下で現在、最高裁における熾烈な闘いが進行しているのだ。
※「Venezuela’s Recall Process Allowed to Continue With Supreme Court Ruling」 Mar 23, 2004 VenezuelAnalysis.com http://www.venezuelanalysis.com/news.php?newsno=1235


野党側を支持した最高裁選挙法院の判定を覆した最高裁長官イワン・リンコン(venezuelanalysis.com より)
 「合法的」なやり方が失敗したと考えた反チャベス勢力は、CNEの裁定が出される前から挑発行動を繰り返しはじめた。暴動や銃撃などの暴力事件を意図的に引き起こして挑発を繰り返している。治安悪化を演出して大統領側の「弾圧」を引き出し、「衝突事件」をでっち上げようと躍起になっている。ブッシュ政権や米欧のメディアにありもしない「チャベスの暴力」「チャベスの弾圧」をアピールし、チャベス政権を不安定化させてブッシュ政権や米軍の介入を導き、再度クーデターによる政権転覆を狙っているのである。その背後では、ブッシュ政権および米国の支配層とメディアが支援し資金援助し糸を引いている。

 しかしこれは、反チャベス勢力が「合法的」手段で行き詰まったために「非合法的」な手段に訴えようとしているのであって、強さの現れではない。追いつめられた最後の悪あがきに他ならない。チャベス大統領と彼を支持するベネズエラ人民は、絶え間なく続く米国と反チャベス勢力の攻撃や攪乱工作をはね返し、驚くべきエネルギーと英雄的な奮闘で前進をとげている。ひとにぎりのオルガーキーによって簒奪されていた富を、ベネズエラ人民に平等に分配するということをめざして開始されたボリーバル革命は、旧い権力機構と既得経済権益からその権限を一つ一つ人民大衆の側に奪い返しながら、まるで「連続革命」のような形で一歩一歩その地歩を固めながら前進している。

 もちろん、ブッシュ政権と米国の政財界は、指をくわえたままベネズエラの石油利権を譲り渡すことはないだろう。中東の石油は良質だが、とにかく遠くて米国への輸送に時間が掛かる。中東は中南米以上に不安定でもある。それに比べてベネズエラの石油は、近くて便利、そして「米国の裏庭」にあるのだ。ベネズエラはいわば「米国の石油備蓄基地」である。石油利権・石油支配のためのイラク戦争とベネズエラ石油の略奪は一つのことである。
※米国の石油がぶ飲み経済、石油浪費経済が、軍産複合体と相まってブッシュの軍事外交戦略と戦争政策、イラク侵略の背景にあることについて、私たちはパンフレット『石油のための戦争−−ブッシュはなぜイラクを攻めたいのか』で明らかにした。
※米の石油がぶ飲み経済の最大の元凶は、とどまるところのないモータリゼーションと自動車市場の拡大、とりわけ今後数十年の米国のエネルギー消費の増加の大半を占めるSUV(4輪駆動多目的自動車)などによるガソリン消費である。極論すれば、米国は快適なレジャーのためにイラクを攻撃し、またベネズエラを弄ぼうとしているのである。

■米国はイラクから、ハイチから、ベネズエラから、全世界から、手を引け!−−米国の介入・干渉に反対する中南米民衆の闘いと連帯しよう。
 米国のイラク占領統治は行き詰まり泥沼化している。ハイチへの軍事介入も当面「成功」したかに見えるが、アリスティド大統領擁護勢力と反アリスティド親米勢力の対峙は続いている。ベネズエラへの介入は、失敗に継ぐ失敗であったが、それ故にいっそうなりふりかまわず強められる危険性がある。

 米国の干渉によってボリーバル革命の前進が阻止・遮断される可能性・危険性も強まっている。全世界の反戦平和運動は、イラク反戦に結びつけて、米国のハイチへの軍事介入とベネズエラへの内政干渉・介入に断固反対しなければならない。ベネズエラをはじめとするラテンアメリカ諸国の、米国の介入・干渉に反対する闘いと連帯しよう。

2004年3月29日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局


 ハイチ情勢についてもベネズエラの現状についても、日本での報道は極度に乏しい。以下に、2つの論説を紹介する。一つ目は、米国内で反戦平和運動の重要な核となっているインターナショナルANSWERを率いる「ワーカーズ・ワールド」のベネズエラに関する論説の翻訳。二つ目は、ハイチ情勢について、インターネットニュースなどで知り得た情報を私たちが取りまとめたものである。


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ベネズエラは米国に告げる:
「ハイチで行なったことを我々に試みるな」

'Don't try on us what you did in Haiti'
by ベルタ・ジュベルト
(「WWワーカーズ・ワールド」より)
http://www.workers.org/ww/2004/venezuela0318.php



チャベス大統領を支持し、米国の介入に反対して行進する数十万人のベネズエラ民衆(カラカス) (Alvaro Cabrera; venezuelanalysis.comより)
 米国に支援されたハイチでのクーデターの後、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は、ベネズエラで米国政府が助長している不安定化キャンペーンに対して、抵抗し続けるということをワシントンにはっきりと知らせた。

 「真実の名において、私は、ワシントンの政府にベネズエラから手を引くことを要求しなければならない。」と彼は述べた。「我々はブッシュ氏に言う、ハイチで行なったことをベネズエラで敢えて行なおうとするな、と。」

 さらに、「我々は、あらん限りの力で抵抗する。今この現段階で、ボリーバル革命には、100年戦争を開始することもできる十分な同盟者が、ボリバリアンの領土だけでなくこの大陸の全域に存在する。」と。

 ワシントンとウオールストリートは、チャベスが1999年に大衆に支持されて選出されて以降、彼を追い出そうと絶えることなくたくらんできた。チャベスは、彼がボリーバル革命と呼んでいるものを通じて貧困な多数者を前進させる計画を、大統領に選出された1999年に開始したのである。2002年4月の米国に支援された軍事クーデターは、ほんのわずかな期間チャベスを大統領から退かせた。しかし大衆は、大統領官邸のクーデター首謀者たちを取り囲んだ巨大なデモンストレーションで、彼を権力に復帰させた。

 労働者と人民の国軍は、国の資産である石油も守った。CIAとベネズエラのオルガーキーが手を結んで、国家経済をほとんど破滅させるかもしれないような工場閉鎖で、国家石油産業の破壊工作が行なわれたとき、労働者と国軍が生産を回復させることに成功したのである。

 今では、かれらの戦略は、チャベスを罷免するための「リコール国民投票」である。あふれるほどの米ドル資金が、2002年に生まれた組織「スマーテ」のような、チャベスに反対する勢力へと流れた。「スマーテ」は、国民投票を求める反チャベス運動のために昨年9月に 53,400ドルを「民主主義のための国民基金(NED)」から受け取った団体である。この金は、おおぴっらに送金されたものである。もちろん、米政府が反革命活動に費やしている秘密資金については、会計報告などできるものではない。

 ワシントンに本拠を置く「NED」は、1983年にロナルド・レーガン大統領のもとで、米国が海外の「親民主主義」勢力と呼んでいるものに公然と金を与えるためにつくられた。その理事の中には、ウェスリー・K・クラーク将軍がいる。

 失敗した石油クーデターの後、この組織は、自らの活動が1999年ベネズエラ憲法に基づいているという主張を試みながら、反革命活動をいっそう活発化させた。この憲法は、ベネズエラの上流階級が忌み嫌っているまさにその憲法であり、2002年4月のクーデター首謀者たちがとった最初の行動は、この憲法を無効にしようとすることであったのだが。


国民投票をめぐる闘い

 憲法によれば、政府のいかなる部署の者も、その職務を十分果たしていなければ、その任期の半分を経過した後、リコール国民投票を受けることがありうる。国民投票を求めるためには、有権者の20%−−240万人−−が署名しなければならない。

 「スマーテ」は、そのウェブサイトに、2003年2月2日の「エル・フィルマーゾ」(大署名運動)の設計、立案、実行を、活動の成果として掲載している。これは、チャベス罷免を求める失敗した試みであった。署名は、チャベスの任期が半分を超える前に、憲法に違反して集められた。他にも多くの不法行為があった。

 国家選挙委員会(CNE)は、ベネズエラの選挙プロセスを統轄している。2度目の試みで反対派は、12月にCNEに380万人の署名を提出した。

 しかしCNEは、注意深く点検した後、180万人分しか認めなかった。100万人分近くがはなはだしい不正のため拒否され、さらにほぼ100万人分が、子どもや死んだ人に一致すると推定され、検証のために除かれた(訳注−−この約100万人分は全国2700カ所にセンターが設けられて本人による再確認が行なわれている)。ある例では、同じ筆跡がいくつもの署名に現れているが、それは、広範な不正の証拠となりうるものであり、また、署名総数を国民投票必要数より少ないものとするであろうものである。

 チャベスは、CNEがいかなる裁定を下しても遵守すると述べているけれども、反対派は、まさにその同じこと(裁定の遵守)を拒否し、暴力的行動に出ると脅している。

 実際、オルガーキーを代表する包括的なグループ「民主的協同(Democratic Coordination)」は、既に2人の死者を出した小規模だが暴力的な抗議行動を企てた。外国の介入、特に米国からの介入の舞台をととのえるために、このグループは、政府を人権侵害で非難するキャンペーンを企てた。

 メディアは、依然として反対勢力によって、主にシスネロス・グループ−−とりわけヴェネヴィジョン、グローボヴィジョン、ユニヴィジョン−−によってコントロールされ、国際的な提携局と結びついている。最近、ひとりのデモ参加者の血にまみれた顔の同じクローズアップが、世界中で繰り返し繰り返し見られた。国際的な世論を揺り動かそうとするこの企ての目的は、国民投票を強制すること、そしてチャベス政権を転覆させることである。

 CNEが結果を公表した翌日の3月1日に、ベネズエラで、また世界中の多くの都市でも、ボリーバル革命のプロセスを守り米国の介入に反対するために、人々が街頭へ繰り出した。

 意図的な同じ映像を繰り返し流した内外のメディアは、このチャベスへの大衆的支持は報じなかった。反対派のデモは暴力的で小規模であったため、より大きく見せるためにクローズアップが必要であったのだが、チャベス擁護のイベントは、ボリーバル革命の支持者の海をとらえるために望遠レンズとパノラマ的観察が必要であったのである。

(「ワーカーズ・ワールド」2004年3月18日号より)


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ハイチ情勢:
米国によるクーデター=軍事介入に抗議する!

(1)デュバリエ親米軍事独裁政権打倒後の民主化の旗手アリスティド大統領。

アリスティド大統領 (AFP/File/Desirey Minkoh)
 ハイチでは、約30年の親子二代にわたるデュバリエ親米軍事独裁政権(1957〜86年)が崩壊したのち、1990年、ジャン・ベルトラン・アリスティドが大統領に選ばれた。(彼は元神父で、ラテンアメリカにおける「解放の神学」の実践者の一人であった。)翌91年には軍事クーデターによって亡命を余儀なくされたが、94年に復帰し、その後2001年の大統領選でも再選を果たした。今回のクーデターは、この選挙で選ばれた大統領を軍事力で追放したのである。
※ハイチ年表 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/carib/haiti.htm

 アリスティド大統領は95年にハイチ軍の解体を行い、それ以降は5000人足らずの国家警察が治安維持にあたることになった。しかし、軍の残存勢力や、極右組織「ハイチ前進と発展の前線」(FRAPH)(デュバリエ一族のひとりがCIAの支援を受けて創設)や、アミオ・メテイエのような不可解な人物(アリスティド派と反アリスティド派の間を行き来し、最後には何者かによって虐殺された)および「人食い軍」と称する彼の配下などが引き起こしてきた暴力事件のため、ハイチ国内は、民政が実現して以降も絶え間ない不安定状態にあった。

(2)親米軍事独裁政権復活をもくろむ米国。
 2004年2月7日、アリスティド大統領の退陣を求める武装集団が警察署を襲撃するなどし、暴動や略奪が各地に広がった。この反政府武装集団には、亡命していたFRAPHの幹部や2001年のクーデター未遂の首謀者とされるギー・フィリップ元国家警察幹部らが帰国して加わり、広範な地域が無政府状態と化した。(ギー・フィリップは1990年代初期にエクアドルで米軍の特殊部隊によって訓練を受けたことがあり、彼の最も尊敬する人物はチリの独裁者ピノチェットで、二番目はロナルド・レーガンだということである。)
※San Francisco Bay Area Independent Media Center 2004年2月25日記事
 http://www.indybay.org/news/2004/02/1671447.php


ハイチの大統領宮殿「ホワイトハウス」を取り囲む米海兵隊の装甲車(Andrew Winning/Reuters)
 ハイチの旧宗主国であるフランスは、治安のための国際警察部隊の派遣を提案するとともに、アリスティド大統領がこの暴動に責任があるとして大統領の退陣を迫った。アメリカは国際的な治安部隊の派遣に反対し、あくまでも「政治解決」を目指すべきであるという見解を表明した。2月26日の国連安全保障理事会では、アメリカの意向通り、治安部隊の派遣承認は見送られた。

 しかし、アメリカのいう「政治解決」とは何であったかが、そのあと明白な形をとることになった。翌日にはアメリカは海兵隊の派遣を検討し始め、2月29日にそれを決定、3月1日には先遣隊100名を首都に到着させるという迅速さであった。この動きを見ると、アメリカが、国連の部隊を出すことに反対したのは、結局のところ、海兵隊の展開の邪魔になるという思惑からであったとしか受け取れない。そしてフランスは、イラクにおける態度とは異なり、アメリカに遅れまじと自らの軍隊を派遣した。

(3)米による国家元首の拉致・誘拐・追放。
 この間、2月29日、アリスティド大統領は、米国の警備隊に“付き添われ”ながらハイチを出国した。しかし、この出国は、彼の意志に基づくものではなかった。米軍による拉致・誘拐、そして国外追放であった。
 3月1日に、アリスティドは「私は強制的に出国させられた。米国によるクーデターだった」という見解を発表し、米政府を非難した。
 この米兵に拉致されたという見解を、パウエル国務長官らは「ばかげた話」だと否定し、アリスティドの主張を完全否認しているが、毎日新聞によれば、3月26日、米軍事情報筋が、前大統領は米軍に拘束され強制出国させられたと語ったということである。米国のウソと強弁は早くもほころびを見せ始めている。
※<ハイチ前大統領>米に拘束され強制出国 米軍事情報筋が証言(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040327-00002129-mai-int

 一方、反アリスティド武装勢力の指揮をとっていたギー・フィリップは、3月2日、軍部の新たな発足の必要性と武装勢力の軍部入りの可能性を表明し、外国軍の介入に反発する姿勢を示していた。ところが、一夜明けて3月3日、「外国部隊が国民を守ると保障している」と述べ、一転、武装解除を表明した。しかしながら、実際の武装解除は、3月17日にアリスティド派の民兵の一部が古い銃約70丁を差し出したのが最初であり、反アリスティド派の武装解除は現実にはまったく進んでいない。


March 11, 2004 - Port au Prince

(4)事態は極度に緊迫。−−世界の反戦平和戦力が米国の軍事介入反対でキャンペーンを張ることが必要。
 事態は極度に緊張している。米海兵隊は、アリスティド派の住民を弾圧し殺し始めた。米が指名した傀儡ラトルチュ新首相は3月16日、組閣に着手したが、アリスティド大統領派は除外されたという。ブッシュの思惑通りに進むのか、進まないのか。もし進めば、ベネズエラにも飛び火する危険性もある。インターナショナルANSWERやアメリカの反戦平和運動は、3・20国際反戦行動に「ハイチへの軍事介入反対」「米は手を引け」のスローガンを急遽掲げることにした。そして3・20以降も全力を挙げてこの米の軍事介入に反対するキャンペーンを張っている。
※ハイチ、米海兵隊を標的 前大統領派と対立激化も(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040311-00000147-kyodo-int
※ハイチで新閣僚任命、前大統領派は除外(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040317-00000825-reu-int
※Yahoo!ニュース http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/republic_of_haiti/

 3月6日、アリスティド支持派による、出国後初めての大規模な抗議行動が、首都ポルトープランスの米国大使館前で行われた。数千人の支持者が「ブッシュはテロリストだ」「ハイチは独立国だ。占領はやめろ」と気勢を上げながらデモ行進を行った。アリスティド追放後初めての反撃である。
 中南米諸国もブッシュの軍事介入への批判姿勢を強めている。ベネズエラやジャマイカ、カリブ海共同体諸国は、米が主導する今回のクーデターを非難し、親米傀儡政権を承認していない。アリスティド大統領は近くのジャマイカにまで帰国している。
※ハイチ前大統領がジャマイカ入り、ハイチは猛反発(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040316-00000706-reu-int

 米国の軍事外交政策の二つの本質、覇権拡大の二つの手法−−イラクのような大規模な侵略戦争と、チリのような現地の親米勢力を使ってのクーデター−−のうちの一つが、またしても、ここハイチで実行されたのである。しかしハイチで後者の戦略をとったにもかかわらず、米軍自身が直接大統領の身柄を拘束して退去させるという挙に出たのは、2002年4月のベネズエラにおけるチャベス政権転覆を狙ったクーデターの失敗から、現地勢力だけに任せては最後の詰めを誤るという判断に基づいたのかもしれない。だとすれば自信のなさ、焦燥の表れでもある 

 いずれにしても公然たる侵略戦争も、国家元首を誘拐し追放しあわよくば殺害するのも、ともにあからさまな国家主権の侵害であり、国際法の蹂躙である。「ならず者国家」−−それはアメリカ自身である。


★ なおハイチ情勢については、益岡賢氏のサイトに記事や論説が多く掲載されています。
  http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/