注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
050909 | いじめ自殺 | 2008.10. 2014.5. 2014.10.20 |
2005/9/9 | 北海道滝川市の市立江部乙小学校の教室で朝、松木友音さん(小6・12)が天井に設置されたOHP機材に自転車の荷台用ロープをかけ、首吊り自殺をはかる。30分以上たってから、同級生らが発見。救急搬送されるが、脳死状態になる。 2006/1/6 約4ヶ月後に意識不明のまま死亡。 |
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遺 書 | 教卓上に学校や母親(37)、同居の大伯父(58)、友人3人あてに、計7通の遺書を残していた。 「私が死んだら読んでください」とのメモ書きがあった。 【6年生のみんなへ】 6年生のことを考えていると「大嫌い」とか「最てい」と言う言葉がうかびます。 (中略) みんなは私のことがきらいでしたか?きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。 それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。 なので私は自殺を考えました。 あなたたちは表ではわたしが死んで悲しいといっていても、 裏ではよろこんでいるのかもしれません。 もしも笑って、とてもよろこんでいるのなら、私はその人を 呪い殺しに行くことでしょう。 さようなら 友音より 【学校のみんなへ】 この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう。 私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは3年生のころからです。 なぜか私の周りにだけ人がいないんです。 5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。 6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。 それがだんだんエスカレートしました。 一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。 何度か自殺も考えました。でもこわくてできませんでした。 でも今私はけっしんしました。 私は○○だけにこのことを話そうと思いましたがその○○にせきにんを負わせるわけにはいかないと思い やめました。 (中略) 私は、ほとんどの人が信じられなくなりました。 でも私の友だちでいてくれた人には感謝します、「ありがとう。」それから「ごめんね。」 私は友だちと思える人はあまりいませんでしたが今まで仲よくしてくれて「ありがとう。」「さよなら」。 (後略) |
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手紙ほか | 自殺をはかる4日前、友音さんは(修学旅行前に仲直りした?)同級生のC女に、自殺をほのめかす手紙を渡していた。 「首つり自殺する 学校? 自転車ゴムひも たぶん9月中」 などと書いていた。 「秘密にしてね」と書かれており、C女は担任ら学校関係者に相談しなかった。 C女はA女、B女に相談。 翌日、C女は友音さんに「死んでも友だちだよ」という返事の手紙を渡した。 A女は自分の母親に、友音さんからの手紙について相談したが、「死ぬと言う人は死なないから大丈夫」と言われたので安心し、友音さんに電話をしようと思ったがやめたという。 |
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経 緯 |
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主ないじめ 態様 |
仲間はずれにされたり、集団で陰口を言われるなどしていた。 「キモイ」などと言われる。 友音さんと遊んでいると、「遊ばない方がいいよ」と言われるなど、日常的に仲間外れにされていた。 「嫌いな人」と誰かが言うと、大勢が手をあげたりした。 |
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被害者 | 学校の成績は優秀で、下級生の面倒見もよかった。(校長談) 読書が好きで、手のかからない、ものわかりのよい子だった。(遺族談) 将来の夢は薬剤師になることだった。 6年生時の欠席は2日。発熱時だけだった。 |
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保護者の認知と対応 | 日ごろの友音さんの言動からは、友人関係に悩む様子は感じ取れなかった。 母親は友音さんが5年生のとき、課外学習で男子のグループに班分けされたと知って、「いじめられているの?」と聞いたが、「違うよ」と否定され、それっきりになっていた。その時、友音さんは同じ班の特殊学級の児童の世話をするために入っているという内容を話していた。 自殺をはかる2、3日前の夕方、友音さんが自室で何か書いていたのを母親は見ていた。 自殺をはかる前の日、友音さんは母親の布団で寝た。いつもより甘えた感じだった。 友音さんが自殺を図ったあと、親族が同級生らに聴き取りをした結果、「仲間はずれにされていた」「集団的な陰口があった」などの証言を得る。 |
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同級生や保護者の対応 | 友音さんが入院している120日間、同級生は1人も見舞いに来なかった。 友音さんが亡くなってからも、遺影に手を合わせに来た同級生は1人(2007/11/5 親同伴)だけだった。 2006/10/上旬 元同級生のなかには、(報道について)「俺たち、何もしていないのに悪くなっている」と話すものものいた。 2006/10/10 市教委から経過説明を受けて、「1年前のことをほじくり返してどうする」「自分の子どもの名前が書かれている親もいるだろう。遺書は見たくない」との意見が、保護者のなかで多数を占めた。 |
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背 景 | 6年生は1学級で、女子14名、男子16名の計30名。ほとんどが幼稚園のときからの顔ぶれだった。 |
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担任ほかの対応 | 友音さんは席替えの際、隣の席になった児童が周囲から「かわいそう」と言われたことを担任教師に訴えていた。 2005/7/20 友音さんは自殺する1か月半前、授業中に友人関係のことを担任に訴えていた。(後に発覚) 2005/9/7 友音さんは、担任に手紙を渡そうとするが、「そんなものいらない」と手で払われていたという。(下級生が目撃) 2005/9/9 友音さんが自死行為をした直後に運ばれた病院の救命措置室前の廊下で、大叔父に「何があったのか」と問い詰められた担任は、「修学旅行のいざこざと席替えのいざこざがありました」と力なく答えた。 2005/10/11 友音さんが自殺をはかってから1カ月たって、9月9日に聞いた話の詳細を知りたいと思った親族が担任宅を訪問。しかし、担任の説明は、教頭からの聞き取りの結果と、親族に話した内容が異なり、矛盾だらけだった。 担任は遺族に、「友音さんから、(修学旅行の)部屋割りについての訴えはなかった」と話していたが、話を聞いた翌日、校長から遺族は「部屋割りで本人の方から担任に訴えがあったんです」と聞く。 2006/4/ 夕張の学校に転勤。 担任教師が、遺族宅に謝罪に訪れることはなかった。 担任は、10月開催の「国語研岩見沢大会公開授業者」に任命され、プレ授業も含め膨大な時間と準備に忙殺されていた。 そのためか、6年生では家庭訪問は希望者だけになった。松木さんからは希望が出ていなかったので、実施しなかったという。 修学旅行の打ち合わせも十分に行われなかった。旅行のしおりは配布されたが、担任からの説明や働きかけもほとんどなく、計画立案も遅く、取組が遅れていたという。 |
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学校・ほかの対応 | 2005/9/9 病院に詰めていた校長が夕方、一旦、自宅に戻った母親の前に現れ、友音さんの遺書を持参。 「ここにいると聞いてきました。(遺書の内容を)見せてください」と言って、学校あてと6年生あて、母親あての遺書を見た。学校あてと6年生あての2通の内容を自分の手帳にメモした。 9/9 学校は6年生の保護者を集め、緊急保護者会を開催。 PTA会長は校長に、「犯人捜しはしないよう」申し入れをした。 学校では、カウンセラーを常駐させ、教員同士が様子のおかしい児童はいないか、情報交換しあった。 2005/10/12 小学校の校長室で、遺族が遺書の一部のを読み上げ、校長が内容をメモした。 (後日、この面談を校長がこっそり録音していたことを認める) 遺書のコピーの提供を求められた遺族が、9/9に校長がメモした事実を指摘すると、校長は「一切していない」と否定。言い合いの末、校長は「メモは名前だけしかしていない。気が動転していた」と認めた。 遺族はこうした対応に不信感を抱き、2006年6月まで遺書のコピーを渡さなかった。 2005/10/19 学校は遺族に「本人のサインを学校、担任として受け止められなかった」という内容の文書を渡した。 文書は、学校側が事前に把握していた女児の様子について、「席替えのことや友人関係について担任に相談があった」「修学旅行の部屋割で(女児一人がどのグループにも入れないという)問題が生じた」ことに触れていた。しかし、同時に「担任の指導で解決された」と説明し、いじめは否定。 2005/ 11/4 学校は地域住民も含む「全体保護者会」を開催。 校長は、手紙(遺書)には「遊んでくれてありがとうと書かれいてました」などと説明した。 |
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学校の調査 | 2005/9/ 友音さんが自殺を図った後に学校が同級生に行った聞き取り調査で、友音さんが「死にたいと漏らしていた」「カッターナイフをカチャカチャ出し入れしたり、手首にあてていた」などの証言が多数得られた。 家庭訪問を含めた3回の聴き取り調査では、「友音さんの趣味や得意だったこと」「変わったことや気になること」などを児童に尋ねただけだった。 |
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教育委員会ほかの対応 | 2005/9/11 友音さんが自殺を図った2日後、入院先の病院で親族が、市教委の教育部長に遺書を見せようとしたところ、「遺書ではない。文書だ。見たくない」と言って断られた。 (教育部長はのちに「『後日複数で見せていただきたい』と伝えた」「原因究明のため遺書を見せてもらいたかったが、遺族に応じてもらえなかった」と説明。) 11/22 市教育長は記者会見を開き、報道関係者に「手紙の中には、友だちが少なかったこと、迷惑をかけてごめんなさいという趣旨のことが書かれていた」「友だちの好き嫌いに関するもの」「自殺の原因に直接結びつくようなことは書かれていなかった」「自殺の動機は判断できない」と発表。 「教職員や同級生に聞き取り調査をしたが、いじめなどの事実は確認できなかった」とした。 2006/1/10 友音さんの死亡(2006/1/9)を受けての記者会見で、市教委が「心のサインをつかめず、深く反省。本人や家族におわびしたい」としたが、「原因を特定する決め手は見つかっていない」と発表。 6/21 滝川市が、遺族の了承を得て遺書のコピーを入手。 6/29 道教委の担当者は、遺書のコピーを入手したが、上司に報告しないまま、紛失したという。 6/ 1月から6月まで4度の教育委員会議で、友音さんの自殺が議題にあがったが、いじめの話は一度も取り上げられなかった。6月に入って、事務局から遺書の存在が初めて明かされたが、「他の生徒の名前も記されているため、公開しない」との説明があった。 9/ 遺書の内容を問いただす新聞記者に対して、市教育長は「いじめという言葉が独り歩きして、第2、第3の『事故』が起きることは防がなければならない」「遺書から、いじめがあったとは言えない」と答えた。 10/1 読売新聞が全国紙面で、事件のことを報道。 夜、取材に来たテレビ局記者に指導室長は、「手紙(遺書)にはどこにもいじめと書いていないのでいじめは確認できない」と話し、その様子が全国に放送された。 10/2 (2006/10/1の読売新聞の報道を受けて)市教委は記者会見で、「遺書の内容に基づき調査したが、いじめの事実は確認できなかった。原因を特定できないので慎重になって発表しなかった。隠したわけではない」などと釈明。いじめについては「原因とは特定できない」とした。 また、教育長は「児童の心のサインをつかむことができず、誠に申し訳ない」と謝罪したが、「ささいな言葉や行為であっても無視することはできないが、一方でその受け取り方は人によってさまざま。」「これまでの聞き取り調査では、死の直接的な原因は特定できない。調査ではこれぞというものは出てこなかった」として、いじめの存在を否認。 市教委の指導室長は、「無視が即、陰湿ないじめら結びつくとは思わない。遺書の中身自体は学級でよくあること。原因は今も調査中」と話した。 遺書の内容で、友音さんが5年生時に「キモイ」と言われたことについて、市教委は「クラス全員から言われたとの事実は出ていない」とし、バレンタインチョコを渡そうとした同級生からの言葉と明かしたが、いじめには直結しないとした。 また6年生の時、「私がチクリだったのか差べつされるようになりました」とした内容については、(これは7/20の授業中、友音さんがいじめの中心になっている3人のことを担任に訴え、担任を含め5人で話し合いをもったことを指す)、「担任の指導がなされ、解決したと受け止めた」とした。 修学旅行で仲間はずれにされたことについては、「どこの班に入るか迷った」だけとした。 市教委の指導室長は、テレビ取材に「(遺書に)いじめという言葉は使っていないですかよね。隠しているつもりはありません。慎重にやってきました」と話した。 発覚後も自殺を事故、遺書を手紙と言い換えた。 10/5 市教委は会議を開き、友音さんが自殺した原因について「遺書を踏まえ、いじめと判断する」との認識を初めて示す。教育長は「遺書には苦しい思いがある。遺書はいじめと考えると判断させていただく」と話し、5委員全員一致の結論とした。 市教委の指導室長は、「暴力行為やトラブルなどの『事実』の把握にとらわれすぎた。反省している」と話した。 「隠ぺいしたのではないか」との指摘は否定。 10/5 午後、滝川市長、教育長、教育部長、指導室長、校長の5人が、遺族宅を訪問。 市長は、「いじめの把握、対応に不十分さがあった。子どもの苦しみ、家族の心中をないがしろにしてしまい、心からおわび申し上げます」と謝罪。 謝罪後の記者会見で、教育長は「いじめが自殺の原因か」という質問に対して、「恐らくそうではないかと思う」と話した。しかし、マスコミから保護者会(2005/11/4)での発言を問われた校長は、「自殺の原因がすべていじめにあるとは思えない」と話し、教育長にたしなめられた。 10/16 道教委は、道内の各市町村教委と道立学校長に、いじめに対する指導の徹底を求める通知を出した。 ・いじめられた児童・生徒の立場になって問題に対応する。 ・学校の体面などを気にして、いじめを校内だけで解決しようとせずに、家庭・地域との連携や教育委員会への相談を行う。 ・教育委員は日ごろから、いじめ問題解決の重要性を地域住民に知らせ、学校への指導や助言を行う。 などと通知した。 |
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関係者の 処分・ほか |
2006/10/10 教育長は、市議会総務文教委員会で「自殺の重大さを極めて深刻に受け止めている。社会的責任ということを考えて、責任を取らせていただく」と辞意を表明。10/14に、退職金を返納して辞職。 10/16 市の教育委員長の辞職が決まる。 2007/2/28 道教育委員会は、積極的に原因究明に取り組まず校長としての職務の義務に違反したとして、小学校長を減給1カ月(10分の1)の懲戒処分。当時の教頭と学級担任には「訓告」が相当として、滝川市教委に通告。いじめに絡む学校問題で北海道教育委員会が職務義務違反を理由に懲戒処分するのは初めて。 |
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社会の反応 | 2006/10/9までに全国から電話約1800件、電子メール約2800通の「いじめではないという判断はおかしい」「市の対応は遅すぎる」との抗議や批判が寄せられた。 2009/1/ 不登校親の会が中心となって、「滝川いじめ自殺裁判を支える会」が発足。 |
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その他の対応 | 2006/10/3 文部科学相は会見で、「子どもが訴えていたことを公表せずに握りつぶすことはあってはならない」と批判した。 10/4 文部科学相が、調査命令を発令。 11/6 文部科学省副大臣、初等中等教育局の児童生徒課長らが、実態調査のため滝川市を訪問。小学校長や遺族らと面談する。 札幌法務局も事件の調査を行い、人権侵害事件と認定。 2007/5/8 札幌法務局は、事件発生当時の校長に対し、事件の反省を促す説示の措置を、滝川市教育委員長と2007年時点の校長に対し、再発防止を求める要請の措置を行った。 2006/11/17 中学1年生の3日間連続で行われた道徳授業の3時間目「悲しい事故」と題された授業で、友音さんのことを取り上げる。 「もう終わった話」「何を今さら」と不満を漏らした生徒もいた。一方で、「ごめんね。気持ちに気付けなくて。苦しくてつらかったよね」「すごく後悔してる。本当にごめんなさい。」「僕たちは過ちをおかしてしまった。僕たちは1年たっても、去年のことを責めています」「ちゃんと励ましてあげられなかった私が悪い」「苦しみと悲しみが消えません」と友音さんや遺族に送る言葉を書いた生徒たちもいた。 中学校は作文で、小学校時代を振り返らせたり、道徳などでいじめを題材にした授業をした。 しかし市教委内部にも、「当時の気持ちや記憶が薄れてしまっている。事件後、すぐやるべきだった」との意見もあった。 |
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関 連 | 2006/12/ 事件をきっかけに、北海道教育委員会が道立高校や公立小中学校の児童・生徒約42万人を対象に、書面によるアンケート方式で、「いじめられたことはあるか」「どんないじめをしたか」などの調査を実施。調査用紙を学校に送り、封をした状態で集めて、集計。 道教職員組合が、道内全21支部に、いじめの実態調査に協力しないよう文書で指示。「いじめについては学校ごとに教職員が子どもの顔を見て対応すべき問題だ。調査は、いじめの実態を知らなければならない教師が目を通せない形で集めており、おかしい。数字が独り歩きしてしまう危険もある」とした。 |
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民事裁判 | 2008/12/19 遺族が、「当時の担任教諭がいじめを見逃した」「自殺後の市教委の対応が不十分だった」などとして、滝川市と北海道に対し7900万円の損害賠償訴訟を求めて、札幌地方裁判所に提訴。 | |
裁判での証言 | 担任は証人尋問で、修学旅行や席替えでのいじめ、友音さんが同級生たちからのいじめを訴えたことについて、「忘れた」「指導をしたけれど覚えていない」と繰り返した。 さらに担任は、自殺の原因は家庭にあると言いい、原告弁護士が根拠を尋ね、裁判長から「事実だけにしてください」と言われると、担任は答えられなかった。 担任は最後まで自分の非を認めようとしなかった。 |
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裁判結果 | 2010/3/26 札幌地裁で、中山幾次郎裁判長のもと、和解成立。 札幌地裁は原告側の求めに応じ、証拠に基づき和解調書を作成し、下記の事実認定をした。 @「自殺の予見可能性を認定」 A「行政の違法性を認定」 B「被害者・遺族の名誉を毀損した事実を認定」 原告は、裁判所の訴訟指揮の中で、滝川市・北海道と和解した。和解内容は下記の通り。 @ 滝川市と北海道は遺族に謝罪をする。 A 和解金を支払う。 B 全道の小中学校の教職員(数万人)に、地教委を通して和解調書の内容を周知徹底させる。 和解協議の中で、「遺族からのメッセージ」を和解調書に添付し、配布することになった。また、全道の公・私立高校の教職員にも同様に、周知徹底が図られることとなった。 C 滝川市は、「広報たきかわ」5月号に和解骨子を掲載し市民に周知する。 D 重篤な事件が起きたとき、道は地教委に対して、「第三者による調査を指導する。 E その場合、被害者・遺族の意見を聞く場を設けることを指導する。 別紙第1 和解の前提となる当裁判所の判断 別紙第2 和解条項 広報たきかわ 平成22年5月 滝川市 滝川市教育委員会 遺族から、「教職員の皆様へ」 |
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参考資料 | 2006/10/1、10/3、10/17毎日新聞、2006/10/1、10/2、10/5夕刊、11/7讀賣新聞、2006/10/2、10/5、10/6、10/10北海道新聞、2006/10/6日刊スポーツ、「財界さっぽろ」2006年12月号 第44巻 第12号/平成18年12月1日発行/株式会社財界さっぽろ、 「滝川いじめ自殺裁判を支える会」 http://takikawaijimesaiban.seesaa.net/ 文部科学省「北海道滝川市における小6女子児童の自殺事件の経緯」http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06102402/003.htm ほか |
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