わたしの雑記帳

2010/6/12 北海道滝川市いじめ自殺事件 和解  (6/5-6 全国学校事故・事件を語る会大集会 報告から)
※ 6/21 木幡さんに内容を確認していただき、加筆訂正していただいた。

今年も、6月5日(土)、6日(日)で、「全国学校・事故・事件を語る会」(http://homepage3.nifty.com/Hyogo-GGG-Izokunokai/)の大集会が神戸で開催された。
私は2006年の大集会(me060606参照)以来、毎年、大集会に参加させていただいている。
年々、知り合いが増える同時に、新しい被災者の参加がある。
今回のシンポジウムテーマは、「学校事故・事件と事後対応」

いくつか報告があったなかで、今年3月に和解した北海道滝川市いじめ自殺裁判について、ここでは報告したい。
( 2005年9月9日、北海道滝川市の市立小学校で、松木友音(ともね)さん(小6・12)が教室で首を吊り、翌年1月6日に亡くなった事件)

初日(6/5)、「滝川いじめ自殺裁判を支える会」の方が支援について話され、続いて、この事件を担当された児玉勇二弁護士、原告で亡くなった友音さんの親戚である木幡幸雄さんが話された。木幡さんは、6/5と6/6の両日、話をされた。


北海道滝川市いじめ自殺裁判で、札幌地裁は原告側の求めに応じ、証拠に基づき和解調書を作成し、下記の事実認定をした。
@「自殺の予見可能性を認定」
A「行政の違法性を認定」
B「被害者・遺族の名誉を毀損した事実を認定」

原告は、裁判所の訴訟指揮の中で、滝川市・北海道と和解した。和解内容は下記の通り。
@ 滝川市と北海道は遺族に謝罪をする。
A 過失相殺のない賠償金を支払う。
B 全道の小中学校の教職員(数万人)に、地教委を通して和解調書の内容を周知徹底させる。
和解協議の中で、「遺族からのメッセージ」を和解調書に添付し、配布することになった。また、全道の公・私立高校の教職員にも同様に、周知徹底が図られることとなった。
C 滝川市は、「広報たきかわ」5月号に和解骨子を掲載し市民に周知する。
D 重篤な事件が起きたとき、道は地教委に対して、「第三者による調査を指導する。
E その場合、被害者・遺族の意見を聞く場を設けることを指導する。


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支える会の方は、遺族に寄り添った活動を心がけてきたという。そして、原告(遺族)と弁護士の間をつなぐことをしていた。
和解については、事故が起きる前に子どものSOSを引き受けるような第三者機関(子どもオンブズパーソン)の設置を要望したが、この裁判の和解条項では難しいとして断念。(北海道は、「道が、第三者機関等を立ち上げる場合、立法措置が必用なので無理である。重篤な事件が起きたとき、地教委に対して『第三者による調査』(第三者機関以上の調査機関)を設置するよう指導する」との約束がなされた。)
また、広報誌への掲載内容については当初、市側は自分たちに都合のよい内容の原稿を出してきたので、原告の意に添った内容(市側は「広報は、子どもや老人などが見てもかまわない穏やかな表現にしたい」と言うので妥協した)にして掲載・配布させたという。


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児玉弁護士の報告から

児玉弁護士は言う。今回の滝川市の事件では3つの隠ぺいがあった。
すなわち、@自殺後の隠ぺい、A調査報告書の中の隠ぺい、B裁判での隠ぺい

@自殺後の隠ぺいについて。2006年10月1日の讀賣新聞の報道を受け、2日、滝川市教育委員会は記者会見で、遺書から明らかにいじめ自殺であることは明白 であるにもかかわらず、自殺の原因はいじめではないと記者会見した。
その後、マスコミや当時の文部科学大臣が、遺書の内容からしていじめを否定するのはおかしいと言い、市教委に批判が殺到したことから、いじめが原因であったと認めざるを得なくなった。その後、調査委員会がつくられ、本件自殺の原因がいじめであったことを認めた内容が明らかにされた。(報告書第2次がつくられた)

A調査報告書の中の隠ぺい。学校が市教委に提出した事故報告書の中で、担任はきちんといじめ指導をしてきた、道県も指導してきた、市も遺書によってその後調べたら自殺の原因がいじめであるったことがわかったなどと、事実とは違う調査報告書があげられていた。
友音さんは、自殺を図る直前の修学旅行では、担任は、?子どもたちの自主性に任せた″ため、好きなもの同士の班分けで、仲間に入れてもらえず、最終的に日中の行動の班は男子となり、宿泊先の部屋は、決まらずに揉めに揉めた。担任は、友音さんをいじめていた女子グループにお願いして、同じ部屋に入れた。女子児童たちは担任に、「口を聞かなくてもいいの!どうでもいい」などと言っていた。
友音さんは自分の部屋の鍵をもっていなかったために、エレベーターに乗って上へ、下へとくり返す姿が目撃されていた。また、教師の部屋に来て、「みんな窓に張り付いて夜景が見えないから見せて」と言っていた。それを教師らは知っていたという。にもかかわらず、担任は努力していたと事故報告書には書かれていた。

B民事裁判の中で、担任は、自殺の原因を家庭にあるかのように言い、いじめを否定するかのような発言や自殺の原因がいじめであると認めた調査報告書に納得していないなどと述べたりした。
市の教育長もまた、遺書の内容が公になったことで、社会的批判を受けたためやむなく、自殺の原因はいじめだとしただけで、市は調査しておらず、当時、いじめであることを認めていないような証言もなされた。(市教育長は、道からは、「この遺書では、いじめと認められない」と言われたと証言した。一方、2006年秋、道教育長の説明では、「滝川市教委には、いじめの疑いもあるので速やかに調査するようにと指導した」と発言。道教委は二枚舌!)

このように、傷ついた遺族が再び傷つけられるような行為が起きないよう、和解条項には「このような事件が起きた場合には、道は市町村に第三者機関を設置しなければならない」ことを盛り込ませた。
そして、この和解調書と遺族のコメントをともに、教育委員会を通して、教師に伝わるようにした。

ほかにも、和解の大きな成果として、自殺に至るまでの経過を事実認定し、この事実に基づいて、今までの判例のなかではきわめて困難だった自殺の予見可能性を認めさせた。
そして、自殺後、遺書が明らかであるにもかかわらず、真相究明のための調査をしなかったことの判断をもって、調査報告義務違反も認めさせた。


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木幡さんは、「話すのはつらいものですね」と、ところどころ言葉に詰まりながら、話してくれた。

2005年9月9日、連絡を受けて病院に駆けつけた。救命措置室の前で、校長から「自分で」と聞き、傍にいた担任に、「何があったのか!」と問い詰めると、「席替えのいざこざ、修学旅行のいざこざがあった」と力なく答えた。
自殺をはかった教室の机の上に7通の遺書が残されており、いじめによる自殺とわかった。
気づいてやれなかった自分たちを責めた。
ICUに付き添っていても、校長に呼び出され、何かと思えばただ「申し訳ありません」と言う。一方で、「トラブルはあったが、担任の努力ですべて解決ずみ」と校長は言った。

9月15日、校長から、「友音さんのかばんを預かっているので取りに来るように」と、校長室に呼びだされた。
かばんを返してもらい、教室を見たあと、校長に次の要求をした。
「同級生と、その保護者を集め、その前で遺書を読み上げさせること。子どもたちは、いじめを認め、心から謝罪すること。それで私は納めたい」と伝えると校長は「必ずやります」と言った。

9月23日、校長室にて校長に、?遺書を読み上げる日″はいつになるのかと尋ねると、校長は、来月でも…と言葉を濁す。校長が即答できないのであれば、日時、可否を、自宅の留守電に入れるように要求する。校長は留守電に、市教委を入れて、読み上げる遺書の内容を三者で協議したい旨、述べていたので、後日、私から断った。

10月11日、「教頭が友音さんの手紙を持っている」という噂を聞き、教員住宅に担任を訪ねる。病院で聞いた、席替えのいざこざ、修学旅行のいざこざについて聞くためであったが、結果として、担任からは、事実を歪曲、矮小化して教えられた。

10月12日、校長から再度、学校に呼び出された。
全体保護者会の開催のための、私たちの同意と、同級生の折った千羽鶴を渡したいということだった。
私は、千羽鶴の受け取りを拒否し、学校での調査結果を要求し、2通の遺書、「6年生へ」と「学校のみんなへ」を読み上げた。(後日、校長は私との面談を無断録音していたと認めた。)

10月19日・20日・24日・27日と面談をするが、担任の話は、ひとつの事案においても、面談ごとに変化してゆく。

11月4日、学校は、全体保護者会(保護者及び地域住民が対象)を開いた。
そのなかで、「手紙(遺書のことをこう言った)には、友だちの好き嫌いが書いてあり、「一緒に遊んでくれてありがとうと書いてありました」と校長が発表した。

11月22日、市教委が記者会見を行った。「いじめはなかった模様で、手紙(遺書)には友達の好き嫌いが書いてありました」と発表した。
私たちは病院で、友音に付き添っていたため学校・市教委の保護者会や記者会見を知らずにいた。 

11月25日、毎日新聞記者から、市教委が記者会見を行ったと聞かされ、コメントを求められたので、校長に面談を申し込む。
市教委の記者会見の内容を校長は、「知らない」と言う。さらに校長は、「全体保護者会を開きましたが、『現段階における学校の捉え』を元にして行いました」と説明するが、後日、嘘であったとわかる。
面談では、「いくつもトラブルはあったが、担任の努力ですべて解決ずみ」と校長は言うので、その根拠を尋ねると、「その後、本人から苦情などなかったので、解決したという捉えです」と言う。私は、「解決したのなら、何で遺書に名前が出てくるのですか。みんなトラブルのあった子ばかりじゃないですか」と言うと校長たちは黙っている。
学校に尋ねても事実は分からないと思い、同級生に話を聞いて、いじめの実態を知った。

友音は、年明け(2006年1月6日)に亡くなった。
担任は夕張に転勤になり、学校からは、「自殺の原因は不明」「希死念慮があった」「すべて解決ずみ」と言われた。
一方で、陰では「家庭のせいで自殺した」と話していることが耳に入る。

交渉の過程で、学校との交渉は、2月24日、校長室での面談を最期に、これ以上話し合っても無駄と思い打ち切った。
その後、遺書を公開した。
2006(平成18)年10月1日、讀賣新聞が「市教委いじめ訴え隠す」と全国紙でとりあげてくれた。

10月2日、市教委は記者会見を開き、いじめを否定。原因はわからないとした。
しかし、伊吹文部科学大臣が「にぎりつぶすことがあってはならない」とコメントし、市教委は「自殺の原因はいじめだった」と記者会見して謝罪した。

2006年11月になって、第1次報告書の存在を知って、手に入れた。家族や本人を侮辱するような悪意に満ちた事実無根の内容だった。2006年12月につくられた第2次報告書も、担任からの聞き取り部分は1次をベースにつくり直し、納得がいかない部分が多々あった。
市教委に、1次報告書の訂正削除を要望し、2次報告書の事実認識の違いについては両論併記を望んだ。

私たちは、担任に事実を突きつけるために、2006年12月、夕張の小学校に行き、面談を求めたが、会おうとはしない。
学校、教育委員会も会わせようとしない。担任のうそを確認したいのにできない。
加害の子どもたちに再度、聞きたいと思ったが、市教委や保護者などから「接触するな」と言われた。

2007年3月、再度、夕張に行き、半強制的に担任と面談し事実を突きつけたが、とぼけられる。
市教委に担任の嘘を突きつけたが、こちらが忘れた頃に、やっと認める。
その後、事実を突きつけるための面談を求めても、担任は「疑念の追求になるので遺族とは面談しない」と拒否した。
元担任や市教委には、民事裁判で事実関係をはっきりさせるしかないと思った。
担任は一つの事案でも、いろんな違うことを言った。事実ではないことを話していたという確認をしたいと思った。

裁判では、担任は、修学旅行でのいじめについて、席替えでのいじめについて、同級生たちからのいじめを訴えたことについても、「忘れた」「忘れた」「指導をしたけれど覚えていない」と言うばかりだった。
さらに担任は、自殺の原因は家庭にあると言い出し、児玉弁護士が、その根拠を尋ねたが、裁判長から「事実だけにしてください」と言われると、担任は絶句した。
担任は最後まで自分の非を認めようとしない。

元教育長は、「道教委に遺書を見せたが、いじめとは言えないと言われ、認めるわけにはいかない」と証言した。
道教委は報告書の中で、「いじめの可能性があるので調べるように、調査するよう指示を出していた」と言っていた。
隠ぺいは、道教委の指示によってされたのではないかと思った。

和解について、判決以上の内容をもった和解だと思っている。評価している。お金だけではないものを得ることができた。
和解調書には、自殺の予見可能性を認定、和解調書の写しを全道の教職員に周知徹底させること、滝川市の広報に載せること、重大事件が起きたとき、第三者機関をつくるよう指導するという内容を入れることができた。判決では得られない。

裁判は終わった。しかし、事実については、まだまだ知りたいことがある。友音がどのようにいじめられ、追いつめられていったのか。事実を知ることが、子どもの心に寄り添うことだと思える。今後とも、知るということにおいて、努力していきたい。


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資 料 (PDF)

@ 遺族から、「教職員の皆様へ」 
A 別紙第1 和解の前提となる当裁判所の判断 
B 別紙第2 和解条項
C 広報たきかわ 平成22年5月 滝川市 滝川市教育委員会

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この事件はマスコミ報道が大きくなされなければ、完全に闇に葬られていたと思う。
世論に押されて、一旦は認めていたいじめと自殺との因果関係を平気で覆すことは、残念ながら滝川市だけではない。
言い訳はいつも同じ。いじめはあったが、自殺との因果関係は不明。あの時は世論で、そういわざるをえない雰囲気だった。
そして、世間のほとぼりがさめると、学校、教育委員会の逆襲がはじまる。

だからこそ、「隠ぺい」の事実を含めて、認めさせた今回の和解の意味は大きい。
次の「隠ぺい」を阻止し、せめて亡くなったわが子に何があったか知りたいと切に願う親の思いを支えるものになってほしい。


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