注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
940715 | いじめ自殺 | 2000.9.10. 2001.5.25 2002.2.3. 2002.3.3 2003.2.11更新 |
1994/7/15 | 神奈川県津久井町立中野中学校の平野洋(よう)くん(中2・14)が、学校から帰宅後自宅でしばらくゲームをして遊んでいたが、その後2階自室のクローゼットの中で、ロープで首吊り自殺。 | |
遺 書 | なし。 | |
親の認知と 経 緯 |
94/4 相模原市から転校してきたばかりだった。当初は楽しそうに登校していた。 4/ 半ば頃になると、朝、布団にくるまったままギリギリまで起きてこなくなった。 5/ 連休明けの家庭訪問時に担任に相談するが、「遅刻はしていませんから大丈夫です」と言われた。 5/ 末、母親が洋くんの部屋を掃除していて、英語のノートに落書き(私は占い師みんなが嫌ってるぞ、君は呪われている、死ね、など日記風の文章が、女の子が書いたと思われる丸文字で1ページ半にわたって書いてあった)がされているのを発見。担任に電話で連絡する。 その際、このことは本人に内緒にしてくれるよう頼んだが、担任からは「本人の持ち物を調べてみましたが、ほかに落書きのようなものはありませんでした」と報告があった。 6/ 洋くんは下痢をするようになり、2回ほど学校を早退。病院にも連れて行ったが、「かぜでしょう」と診断。 担任は洋くんをめぐるトラブルのうち、学校は1件のみ両親に報告。 ジャンケンをしてつねるゲームをして、男の子が強くつねりすぎたために、洋君はアザをつくって帰ると思います」という内容のみで、相手の氏名を尋ねたが教えてもらえなかった。 頬に一円玉大のアザができていたが、洋くんは多くを語りたがらなかった。 洋くんは家で何も話さず、涙もみせなかった。服が破れていたので理由を聞くと、「転んだ」と言っていた。 弟とのけんかでも手加減をしなくなっていた。(家族註:サンケイ新聞にはなぜかそう書いてあったが、実際にはそのようなことはなかった) 洋くんの自殺後、学校が情報を十分に開示しないので、両親が独自に議会の傍聴、同学年全生徒へのアンケート、手紙の配布、訪問聞き取り調査等で、情報収集につとめる。 |
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いじめの態様 (裁判で明らかになったものを含む) |
4/5 始業式の後、つっぱりグループが「髪の毛が長いじゃん」「(自分たちの)名前を覚えておけ」と言いながら、洋くんの頭や体をたたいた。 最初、からかいが始まり、その後は同級生2名から集中的に足掛け(机の間から突然足を突き出して転ばす)などされる。最初は女子生徒によるものが多かったが、次第に陰湿化、集団化。(ただし、転校当初から「生意気だ」「目つきが悪い」などと暴力を受けることがあったとする関係者もいる。) 4/ 以前から洋くんと口げんかのようなトラブルがあった女子生徒Bが、他のクラスの気の弱い女子生徒に「私は洋くんが好きです」という内容の手紙を書かせて洋くんに渡し、破り捨てると張り合わせてみんなで読んだり、はやし立てたりした。 机の上に「I LOVE YOU」など様々な落書きをした。教科書にアホ、バカ、タコ、おまえなんか死んじまえなどと書き込んだり、問題集の回答欄に全くでたらめな答えを書き込んだりした。 ノートの裏表紙や副読本などに複数の筆跡で、「みんながきらっているぞー」「私は占師。みんなからきらわれている/きえろ/しね」など罵倒する内容が書かれていた。 洋くんが教科書を探しているのが何回か目撃されており、担任教師が一緒に探したこともあった。 女子生徒2名とは、洋くんが「バカ」「チビ」と言ったり、にらんだ、にらんでいないなどのトラブルがあり、洋くんの机やイスを廊下に出し、教科書を窓から投げ捨てた。 授業直前に、女子生徒が洋くんの教科書を窓から投げだし、担任から注意を受けたことがあった。 洋くんが、ある男子生徒に「オカマ」と言い、つかみ合いの喧嘩の末、互いの教科書を投げ捨て合うことがあった。 5、6月頃から暴力行為が始まる。洋くんと同級生の1人が喧嘩をしていると、大勢が周りを囲み、はやしたて、洋くんが殴られて後方へ逃げようとすると、後ろから前方に押し出す。 ジャンケンゲーム(ジャンケンで負けた人間の肩や腕、足などを強くたたくゲーム)と称して、頬にあざがつくくらい強くつねったりした(6/担任教師はこのことを母親に電話)。 ベランダに避難している洋くんに対し、「ベランダ遊び」と称しておしくらまんじゅうのようにしてベランダの角に押しつけて圧迫し、殴ったり蹴ったりした。 6/ 洋くんが「バカ」「ブス」などと言ってトラブルのあった女子生徒や男子生徒4名が、この頃、毎日のように、イスの上にチョークの粉をまいたり、画鋲を置き、洋くんがその上に座るのを見て喜んだ。 6/中旬 クラスのキャンプで、懐中電灯を下から照らし、突然、扇片手に体をくねらせて「ジュリアナ・ダンス」を始めた。しかし、このパフォーマンスも同級生たちには「変なヤツ」としか映らなかった。 キャンプの写真が張り出されたときに、女子生徒の写真の顔が傷つけられたが、洋くんがやったと思い、洋くんの写真にも画鋲を刺し、洋くんも画鋲を刺し返した。 掃除のときに洋くんが教卓から電池を落とし、男子生徒に「拾え」と言われて、喧嘩になった。 7/13 テストの点数を見せ合っていた生徒たちが、洋くんのテストの点数を見ようとして断られたため、教科書を3冊ゴミ箱に捨てた。洋くんは怒って、捨てた生徒を5、6回、殴った。 7/14 男子生徒が口喧嘩から放課後、洋くんのカバンを持って逃げ回り、洋くんは担任に訴えた。その後、美術室で粘土細工をしていた洋くんは、美術部長の男子生徒が教師に頼まれて片付けをするように言ったところ、非常に興奮し、「誰も信じられない」とつぶやいた。 7/15 自殺した当日の朝、洋くんの教科書や机に給食用のマーガリンが塗られ、いすにはチョークの粉がまかれ、画鋲が置かれていた。机の上には花びんの水がまかれていた。洋くんは知らずにイスに座った。洋くんはそれまで数々のいじめに自分なりに反撃してきたが、この日は反撃せず、教師に申し出ている。その日の夕方、自殺。 |
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担任の対応 | 担任はトラブルが起きると、洋くんと同級生をお互いに謝らせたり、握手させたりといった指導をしていた。 イタズラ書きの件は母親が学校に連絡したため、担任の男性教師が加害生徒に注意を促していた。 机やいすの件では、犯人に「自主申告」を求めるアンケート用紙を配った。回収して結果を確認する前に、女子生徒5人と男子1人が名乗り出たので、昼休みに注意し、その後洋くんと互いに誤った。 担任は、洋くんが自殺するまで少なくとも15回のトラブルを知りながら、校長に報告をしていなかった。 |
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被害者 | 相模原市から転校してきたばかりだった。 転入時の書類に、前の学校でいじめに近いことがあったと書いていた。 洋くんは快活な少年で、負けん気が強く、安易な迎合を嫌った。やられたらやりかえす、からかわれたら反撃していた。 |
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加害者 | 38人クラスのうち9人と、他のクラスの1人。 問題のあるグループではなく、普通の子どもたちがいじめの中心。亡くなる直前にはクラスの大半がシカトなどしていた。「子どもっぽくて、むきになってやりかえしてくる反応が面白かった」と多くの同級生が証言。 同級生の親たちは、「うちの子も傷ついている。そっとしておいてほしい」と話す。 |
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学校・ほかの対応 | 洋くんの自殺後、学校は当日のマーガリン事件について両親に知らせなかった。(両親は新聞報道で初めて知る) 学校は生徒たちに対し、本件について口外することを禁じたり、弔問に生徒が訪れることを制限した。 自殺の後に行った保護者向け説明会に、両親の出席を拒んだ。その席で学校側は、自殺の原因を「(洋くんは)変わった性格だったから」と説明したことを、両親は人づてに聞く。 両親が何度も出向いて説明を求めたが、学校側は、「いじめはなかった。自殺は家庭内で起きた事故」と繰り返すばかりだった。 |
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教育委員会の対応 | 教育委員長は町会議で、「いじめで死に至った確証はない。そもそも、いじめ自体なかった」と答弁。その後も、校長や町教育委員会は、「成長ざかりのケンカやいたずらの範囲内で、いずれも一過性で継続性と陰湿性はない」と集団でのいじめの存在を否定。「自殺に直結する行為はなかった」との立場をとる。 | |
事故報告書 | 自殺直後、学校長が教育委員会に報告した文書の中に、「本当に愛された人は自らの命を断つことはない」との記載があった。 |
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背 景 | 学校はここ数年、ひどく荒れていた。男子便所の便器や火災報知器が壊され、消化器の泡がまき散らされたりした。体育館では、たびたびガラスが割られた。いじめは伝統だったという卒業生の声もある。 | |
誹謗・中傷 | 自宅に無言電話がかかる。女性や子どもの声で「早く出ていけ」「洋くんいますか」という匿名の電話が数回あった。「ほかにも自殺した子どもがいる」「両親が不仲だから」といった根も葉もないうわさが飛び交う。提訴後も、「お前ら親が悪いくせに」などと嫌がらせの電話が続く。 |
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人権救済 | 1995/7 洋くんの一周忌に、両親が横浜弁護士会の人権擁護委員会に救済を申し立てる。 |
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裁 判 | 1997/5 津久井町及び神奈川県に対し、洋くんと両親の損害ということで8000万円の損害賠償請求をを求めて提訴。 1.様々ないじめの事実を知りつつ、情報収集するなど全体像を把握することを怠り、場当たり的な対応しか行わなかったことを内容とする注意義務違反。 2.洋くんの死後、両親に対して報告を怠ったことを内容とする不法行為及び債務不履行責任。 同級生の生徒ら10人(男性7人、女性3人)に対し、各100万円の損害賠償請求。 洋くんに対する執拗かつ段階的に過酷になっていったいじめを行い、その結果自殺へと追い込んだことへの共同不法行為責任。生徒自身が初めて被告として裁かれる。 |
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被告(生徒)の言い分 | 申請した証人の多くが出廷拒否。 被告生徒らの本人尋問では、生徒らの対応はまちまちで、原告の主張をおおよそ認めるものもいれば、矛盾した発言をする生徒、時間が相当経過しているので「ほとんど覚えていない」とする生徒もおり、なかなか一致しない。 被告生徒らは、「洋くんの態度に問題があったから」「やられたから、やり返した」といじめを正当化。洋くんに対する暴力は、いじめではなく遊びだったと主張。行為の大半は認めたが、「いじめという認識はなかった」と反論。いじめの事実を否定した。 加害生徒の一人は、平野くんに自分はすでに謝ったのに、死んでしまって、裁判にも出させられて割り切れないというようなことを言った。それに対して裁判長は、「君は謝ったかもしれないが、平野くんは納得していなかったから死んだんじゃないの?」と諭すように言ったという。 |
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被告(学校)の言い分 | 町側は、「基本的にはいじめは存在しなかった」「いじめではなく、よくある一対一の喧嘩である」と主張。「その場でそれぞれ関係した生徒に指導した」と弁明。 |
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証言・ほか | 裁判になって、洋くんをめぐるトラブルの多くを学校側が把握していたことが判明。洋くんのテストの点をのぞき見ようとした同級生らが、カモフラージュのために洋くんの教科書をゴミ箱に捨てたり、洋くんのカバンを持って校舎中を走って逃げ回ったり、殴り合いも把握していたなど、15例が明らかになる。 自殺の前日の放課後、美術の作品を補修しながら、「もうだれも信じられない」と泣きそうになりながら言っていた事実を複数の教師が知っていたが、「やられたらやり返していい」などの声かけにとどまっていた。 1997/8の第1回弁論期日で始まり、3年後の2000/7結審。 その間、19回の弁論と2回の準備期日が開催。被告生徒らの本人尋問、証人となった同級生2名、当時の担任教師、当時の校長、原告両親の本人尋問。また、医師による鑑定書や、新聞記事、通達集、議会議事録などを提出。取り調べのうえ結審。 |
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裁判と判決 (一審) |
2001/1/15 洋くんの自殺から約6年半後、提訴から3年半、横浜地裁で勝訴判決が出る。 池田亮一裁判長は、「元同級生らによる行為が自殺の原因」と認定し、男子1人を除く(同生徒についは洋くんがやったことをやりかえしたにすぎないと認定)元同級生ら9人に計200万円の支払を命じた。さらに、学校側が適切な指導をしなかったなどとして、町と県に計3947万円の支払を命じた。 【要旨】 被告の男子7人、女子3人のうち男子1人を除く加害生徒らは1994年4月に転校してきた洋君に対し、ほかに同様の行為をしている者がいることを認識しながら、足をかけたり、黒板消しでたたいたりするなどの行為を繰り返したから、これらの行為は加害生徒らの認識や、洋君の反撃などにかかわらず、洋君に対する共同不法行為に当たる。 中野中学校の男性の担任教諭は、洋君が転校後、7月に自殺するまでの間、少なくとも約3ヵ月間に15回以上、加害生徒らとのトラブルが起きていたことを知りながら、共同不法行為として把握せず、個別的、偶発的なトラブルとして扱い、その都度双方に謝罪、握手させるなどにより指導を尽くしたものと軽信し、共同不法行為を阻止するための十分な指導監督措置を怠った過失が認められる。 また、同校は洋君を「生徒指導上配慮を要する生徒」と把握しながら、具体的な施策をとらず、担任教諭が把握したトラブルすら校長に報告されていないなど、学校全体として洋君に対する言動の実態を把握し、担任教諭による指導内容を検討し、より強力な指導を行うなどして、加害生徒らによる洋君への共同不法行為を阻止する義務を怠った過失が認められる。 94年当時、報道や官公庁の通達などによって、級友から継続的な暴行などを受けた中学生が、自殺などの重大な結果を含む行動を起こす可能性があることが周知されており、ほかに自殺の原因となる事情が証拠上、見当たらないことからすると、被告らとの行為と洋君の自殺との間には因果関係が認められる。 加害生徒らとのトラブルには洋君の言動に起因したものもあること、子供の教育は、本来的には親が第一義的責任を負担しており、家庭において洋君と生活を共にしていた原告らにも自殺について相当の責任があるものとして、洋君と原告らの損害の総額から4割を減額する。 |
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裁 判 (高裁) |
2001/1/16 元同級生9人と、県は、横浜地裁の判決を不服として、東京高裁に控訴。 津久井町は、「学校側に過失はない」とし、県教育委員会の教育部長も、「上級審で再審議してもらいたい」としている。 同級生の父親の1人は、「自殺は大変残念に思うが、私たちは『勝手に死なれた』という思いもある。死なれては、もう何も問うことはできない。私たちも被害者だ」と話した。 平野さん側も、過失相殺4割の妥当性をめぐって付帯控訴。 |
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証言・ほか | 2001/9 控訴審の口頭弁論の証拠提出で、町からの依頼で、洋くんの自殺から1ヶ月後の1994年8月に「自殺の原因は精神障害にある」などとする精神科医の意見書が作成されていたことが、初めて明らかにされる。このことを学校側は平野さんに知らせていなかった。 (なお、この医師は1994年に医療過誤で提訴され敗訴している) |
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判 決 (高裁) |
2002/1/31 東京高裁で勝訴判決。 奥山興悦裁判長は、一審と同じく「いじめが自殺の原因」と認定。 内容的には原審(一審)より前進した部分が大きい。 1.「いじめ」すなわち共同不法行為として、「いじめ」という言葉を使用。 2.高裁では初めて「自殺の予見可能性が認められた」。 自殺を予見するような直前の様子があったかどうかではなく、いじめ事件報道やいじめ自殺事件の頻発により、いじめが不登校や自殺など重大な結果を招くことは社会的に周知されているとした。 3.学校の安全配慮義務違反の内容をより明確にした。 4.学校の報告義務違反についても、自殺直前のマーガリン事件を重くとらえて、責任について言及。 生徒個人の責任以上に、学校の責任をより大きく追及。 一方、いじめられていることを打ち明けなかったことや洋くんの行為に触発された面もあるとして洋くんの責任や、子どもが死ぬほど追いつめられていることに気付かなかった両親の責任が大きいとして、一審の過失相殺を4割から7割に設定。賠償金額を町と県に2160万円、元同級生9人に、120万円を連帯して払うよう命じ、大幅に減額した。 |
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参考資料 | 総力取材「いじめ事件」/毎日新聞社会部編/1995年2月10日毎日新聞社、いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化、季刊教育法2000年9月臨時増刊号「いじめ裁判」の中の「津久井町立中野中いじめ自殺事件」/菅野善夫(弁護士)/2000年9月エイデル研究所、2001/1/15読売新聞夕刊、2001/1/15朝日新聞夕刊、2001/1/16朝日新聞、2001/1/30朝日、「津久井町立中学校いじめ自殺損害賠償事件」/市川須美子/季刊「教育法」/2001年3月25日エイデル研究所、裁判の傍聴、遺族の話、2001/9/神奈川新聞、2002/2/1朝日新聞 | |
参 考 | 「わたしの雑記帳」 me010426 me010925 me020203 | |
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