わたしの雑記帳

2006/3/26 長野県立丸子実業高校の高山裕太くんの自殺事件にみる、学校・部活動の問題


2005年12月6日、長野県小県郡丸子町の県立丸子実業高校の高山裕太くん(高1・16)が自宅で首吊り自殺をした。裕太くんはバレーボール部に所属しており、部活内のいじめや暴力を親や教師などに訴えていた。

私がこの事件から感じたのは、名門、強豪といわれる部活動、学校の典型的事例であるということだ。
事件がおきるたびに、社会も、教育関係者も、親たちも、「命の大切さ」を声高に言う。
しかし、現実の大人たちの対応を見ていると、生徒ひとりの心や命よりも栄光のほうが大切なのだと思ってしまう。


いじめはなかった?

お決まりのパターンで、学校長は記者会見で、いじめの存在を否定した。
「ものまねは6月の1回だけあった。ただのものまねで、いじめとは認識していない」と話し、バレーボール部の先輩部員が1年生部員をハンガーで殴ったことは認めたが、その後、きちんと対応しており、自殺との関連は考えられないとした。

「きちんとした対応」というのは、被害者が納得する対応のことを言うのではないか。裕太くんは全然、納得していなかった。だからこそ死ななければならなかった。そのことは、遺書にもはっきりと書いている。

学校長の言葉を信じる多くのはひとは、「たかがものまね1回くらいで死ぬなんて、ハンガーで1回殴られたくらいで死ぬなんて、今の子どもはなんて弱い」と思うかもしれない。
しかし、いじめは隠されるもの、表面に現れるのは氷山の一角にすぎない。
とくに心理的ないじめというものは証拠があげにくく立証しにくいことから、被害者でさえ、それをどんなに不快に思っていたとしても、「いじめ」と呼んでいいのか躊躇することがある。

「ものまねは6月の1回」というが、そのときだけは大勢の生徒や保護者が見ており、否定しようがなかった。他にはなかったことが立証されたわけではない。
部活の保護者たちは「高山くんは積極的に参加して楽しんでおり、自分からものまねの特徴を指摘していた。上級生とコンビを組み漫才をしていた。また、この1回だけであったがいじめではない」と言う。
いじめは、その人間が何をいちばん気にするか、どこを突かれるのが一番弱いかをリサーチし、それをターゲットに行われる。
アトピーがひどい子にはアトピー、障がいを持つ子には障がい、そして高山くんの場合、声が出ない、かすれることをとても気にしていた。そのことを悩み、通院し、そのことが原因で1回目の家出をしている。もしかすると、上級生は1回目の家出の原因が「声」であることを知っていたからこそ、わざとそれを真似たのではないかとも思う。現代のいじめは、自殺未遂した子どもに、「自殺未遂やろう」「死ぬ勇気もないのか」と自殺をネタにいじめ抜くほど残酷だ(林賢一くん・いじめ自殺 790909)。

裕太くんは、上級生に対して強い恐れを抱いていた。それは、ハンガー事件があったからだけではなく、日頃の上級生たちの言動から感じ取っていたのだろう。暴力は直接受けたひとだけでなく、それを見ているものにまで強い恐怖を与える。
上級生たちには「ものが言えない」「逆らえない」雰囲気があった。だから、みんなの見ている前で、本当はやってほしくはなくとも、自分のものまねに協力をせざるを得なかった。
ここでもし、「やめてください」と言ったり、嫌な顔をすれば、せっかく3年生をみんなで激励しようとしているのに雰囲気を壊したといって、制裁を加えられかねないだろう。ハンガー事件と同様、また連帯責任になるかもしれない。こうした部活動では、具体的な拒否や悪口の言葉、はっきりとした否定的な態度だけでなく、不満げな顔つき、目つきさえ、見咎められて、鉄拳制裁の対象となる。

そして、大人であれ、子どもであれ、もっとも深く心が傷つくのは、「無視」である。
悪口を言われるのはまだいい。存在が認められているから。否定されているのは、あくまで自分の一部でしかない。しかし「無視」は存在さえ否定される。そして、無視する相手には反論のしようもない。無視が続けば、だんだんと自分が存在してはいけないんだと思えてくる。死に追い詰められていく。

裕太くんは事件が表面化したあと、もっとも信頼していた仲間たちから無視されていた。彼らのためにもよかれと思って、連帯責任による理不尽な暴力を勇気を振り絞って告発した。みんなも苦しんでいたはずなのに、変えたいと思っていたはずなのに、後ろを振り向いたら誰もいなかった。
みんな上級生や監督が恐かったのだろう。具体的な暴力もある。レギュラーになれるかどうかの人選は、監督や上級生が握っている。切り捨てられたくはない。保身に走ってしまった。

日本の強い部活動にみられる「精神主義」は、暴力さえ正当化してしまう。監督の言うことは絶対、上級生には逆らうな。それができなければ、団体競技はできない。強くなれないという考え方。
その考え方がもとで、どれだけ多くの子どもたちが夢半ばで、体や心を傷つけられて、挫折せざるを得なかったことだろう。監督や顧問の暴力も、上級生からの暴力も是認され、伝統として次の世代へと引き継がれてきた。そのなかで何にもの子どもたちが、シゴキ殺され、リンチで殺され、そして心を深く傷つけられて自殺へと追い込まれてきた事例には事欠かない。
そして裕太くんは、同級生たちだけでなく、本当はいちばん守ってほしかった、わかってほしかったであろう監督から怒鳴られ、無視され、部員として切り捨てられた。

精神的な暴力がひとを死に至らしめることがあるということは今更、言うまでもないだろう。まして、長野は、1997年に前島優作くんが「あの4人にいじめられていた」「ぼうりょくではないけど ぼうりょくよりも ひさんだった」と書き残して自殺している(970107)。
心理的な暴力の悲惨さと、立証の難しさを大人たちはわかっていたはずだ。


●悪いのは母親?

子を亡くした親は、それがどういう状況下であれ、大なり小なり自分を責めてしまう。まして、自殺であれば、どうして助けてやれなかったのかと悔やむ。あの時、こうしていれば、ああしていればと、いろいろ思い悩む。
さらに重ねて、周囲は親を攻め立てる。親は一番身近にいながら、どうして気づかなかったのか、助けられなかったのかと。小さい頃ならいざ知らず。子どもが精神的にも自立してくれば、親が子どもの心に占める割合はだんだん小さくなる。代わりに自分と社会とのかかわりが比重を大きく占める。親だけでは、どんなに努力してもどうにもならないことのほうが多くなる。
それをわかっているから、子どもたちは親に、いじめのことをなかなか打ち明けられない。

「いじめはなかった」「母親のせいで子どもが死んだ」「母親が動きすぎたから、学校と母親との板ばさみになって、子どもが死ななければならなかった」。
裕太くんの自殺後、いじめのターゲットはまるで母親に移ったかのように、学校、PTA、教育評論家たちから、責められた。なんとか、わが子を救おうと必死に動いたことさえ非難の対象にされる。

しかし私は、自殺前も自殺後も、裕太くんのお母さんはよくぞここまでがんばってきたと思う。
私などが、いじめの電話相談で提案する、あるいはいじめ解決のマニュアル本が提案するほぼすべての対応がとられていたのではないかと思える。
教師、顧問への相談と要望。同級生部員や保護者への働きかけ。加害生徒の保護者への働きかけ。教育委員会、教育相談。その他の相談窓口。議員さん。そして、最終手段として警察。

そして、それでもまだ、母親を責めるひとがいるのなら、「では、どうすればよかったのか」その人に具体的な方法を聞いてみたい。母親にこれ以上、何ができたのか、あるいは何をしなかったら裕太くんは死なずにすんだのか。私にはどんなに考えても答えは見えてこない。

小森香澄さんの事件に似ている(980725)。小森さんの場合、母親の美登里さんは香澄さんの様子から、いじめの存在を感じていた。学校に何度も通い、部活動顧問に対応を求めた。いじめている相手の家にも、相談という形をとりながら、それとなく言いに行った。カウンセラー、青少年指導室。親が子どものためにできることをすべて思いつくまま実行した。
裁判で教師たちは言った。「過保護な母親、心配症の母親だと思った」と。自分たちはまるで問題を感じていなかったと責任逃れをしながら。しかし、母親の心配は、いちばん最悪の形で現実のものとなってしまった。

犯人探しをしようというのではない。大切な命が、未来ある若い命が失われたのだ。
裕太くんに、その周囲に、何があったのか。事実をまずはきちんと受けとめること。そのうえで、いつ、誰が、どのように対処すれば、裕太くんは死なずにすんだのか。しっかりと検証して、謝罪すへきは謝罪し、反省すべきは反省して、再発防止につなげていくべきだと思う。

列車事故。飛行機事故。原発事故。池田小事件。事件、事故が起きたとき、私たちはますば何が起きたのかを正しく知らなければ、それを教訓に生かして再発防止をすることができないことを知っている。
保身に走って隠蔽工作をする行政や企業には怒りを感じる。本気で対策を取る気があるのか、また同じことが起きたらどうするのかと。
どうして、学校のなかで、部活動で、子どもが死んだとき、その原因がきちんと解明されなくとも、みんな平気でいられるのだろう。次に犠牲者が出たとしても、それがわが子でなければ、関係ないと思うのだろうか。1回に死ぬのは1人、2人であっても、全国で同じような事件事故が起こり、子どもたちは傷つき、亡くなり続けている。その数は何年に1回、何十年に1回、起きるかもしれない大きな事件、事故よりさらに膨大だ。

母親はすでに、自分のどこが間違っていたのか、どうすれぱ息子は死なずにすんだのか、辛い検証作業をはじめている。残されているのは、学校、教師、教育委員会が、どう動いたのか、あるいは動かなかったのか。ではないだろうか。


学校には少なくとも3回、裕太くんを救うチャンスがあった

親にあれ以上何ができたのか答えがみえてこない一方で、教師があの時こうしていれば、裕太くんを救うことができたのではないか。あるいは、学校側がこれさえしなければ、裕太くんは死に追い詰められずにすんだのではないかと思うことはたくさんある。
基本的には、学校が本気になれば、いつの時点であっても裕太くんを救えたのではないかと思うのだが、私は少なくとも、学校・教師には、裕太くんを救うチャンスが具体的に3回はあったと思っている。その3回を学校側は見逃しただけではなく、逆に裕太くんを追い詰めたと私は感じている。

1回目は、裕太くんが2回目の家出から戻ってきたとき。
裕太くんは、はじめて、学校でいじめがあったこと、先輩部員の後輩部員全員に対する暴力があったことを打ち明けている。

これは、私の本「あなたは子どもの心と命を守れますか!」のなかの「自殺の可能性があるのは、どんなサインか?」のところでも書いていることだが、「家出しても自分の居場所がないという現実を思い知らされたとき、逃げ場所を失った子どもは死を考える。家出から戻った直後から数日は気をつけてほしい。過去に何度か家出を繰り返しているときにも注意したい」。
そして、「自殺前に、子どもたちは身の回りのものを身辺整理し、形見分けをしていることがある。大切にしていたものを親しいひとにあげる」と書いた。

2度目の家出のとき、裕太くんは弟あてに「自分の物を使って良い」という置き手紙をしていた。いまの子どもにとって、何より大切な携帯電話も置いていった。これは、死を決意しての家出だったと思う。実際に裕太くん自身が、「死んでもいいや」という気持ちで家出したと書いている。

家出は、そこにいれば傷つけられるとわかっているから、自分の心と命を守るために、子ども自らが選ぶことができる数少ない選択肢だ。しかし、現実は厳しい。日本の国で、犯罪に手を染めることなく、子どもひとりで見知らぬ場所で生きていくことは極めて困難だ。
一縷の望みをもって家出した子どもが、親の保護下以外に自分の生きていける場所はないのだと思い知らされたとき、子どもは死に追い詰められてしまう。
もし、母親が東京の上野まで単身、ビラを配りに行かなければ、そのビラがきっかけで裕太くんが保護されるという「奇跡」がなければ、裕太くんはこの時、自殺していたかもしれないと思う。
母親が必死になって自分のことを探しあててくれた。このことは、裕太くんの母親への信頼につながったと思う。だからこそ、思い切って胸のうちを打ち明けてくれた。

一方で、学校はこの重大なサインを見逃した。帰宅しないことを心配した母親に、前日と勘違いして、学校には出席していたと担任教師は話した。一緒に探してはくれたものの、「友だちの家にでもいるんでしょう」と軽く考えていた。危機感も緊張感もなかった。そして、そのことが過ちの第一歩だったのだと思う。
家出したときに危機感を持たなかった学校は、帰ってきたときも危機感が薄かった。
それまで悩んで悩んだ子どもが、具体的な行動に移したあとの大人たちの対応が、子どもの生死を分けることがある。本人のSOSをどれだけ大人たちが真剣に受け止めてくれるかで、事態は好転するか、暗転するかが決まる。

学校は、家出の捜索時の対応には触れたが、いじめや一年生部員全員に対する暴力事件には触れず、対応策もとろうとはしなかった。
裕太くんが何を悩み、家出に追い詰められたのかをまるで考えようとはしていない。裕太くん自身が具体的に話していたにもかかわらず、母親が必死に告げていたにも関わらず、裕太くんが学校に何を期待したのか、裕太くんの気持ちを完全に無視している。

いじめられた辛さを口にすることが、子どもにとってどれほど勇気がいることか。言えなくて、家出したくらいなのだから。その勇気に対して、担任教師も、部活監督も、学校管理者も、いじめや下級生に対する暴力をなくそうと具体的に動こうとはしなかった。
これでは、裕太くんにとって、何一つ、解決にはならない。このまま学校に登校すればどうなるか。事態はより悪くなる
考えてもみてほしい。裕太くんが家出したことはすでに他の生徒たちに知れ渡っている。原因についてはいろんな憶測がとんだことだろう。なかには、真の原因に気づいていた生徒たちもいたに違いない。
学校側がいじめや暴力について具体的に知ってしまったということは、子どもたちにも容易に想像がつく。いじめる側の子どもたちにとって、いちばん困ることは、いじめが学校教師や大人たちに知られてしまうこと。自分たちのしたことが明らかになって、罰が与えられること。叱られることだ。
しかし、そこで大人たちが動こうとしなかったら。自分たちの行為は認められたことになる。いじめても、暴力をふるっても、罰せられないことを子どもたちは知る。
いじめ・暴力はエスカレートするだろう。「ちくった」として制裁が加えられることは目に見えている。この学校の対応をみて、周囲の子どもたちもみな、長いものにはまかれろ、強いものに従えと、裕太くんを見捨てて、加害者側につくことを決心させたと思う。
裕太くんは、そのことをよくわかっていたからこそ、自分の身を守るために登校を拒否したのだろう。
暴力の残酷さ、恐さを子どもたちは大人以上に身近に感じている。まして相手は暴力的な体質をすでに見に着けてしまっている体育会系の部活。集団リンチも十分に考えられる。実際に日本各地で数多く起きている。教師たちが、守ってはくれない状況下で、学校に行けば殺されるかもしれないという恐怖を裕太くんは感じたのではないか。

2回目のチャンスは、9月27日。
今井議員が仲介に入って、それまでいじめを否定していた学校が、いじめていた生徒を校長室に呼び、謝罪をさせた。校長と加害生徒の謝罪文を出すと約束した。裕太くん自身、これでなんとか一旦は、折り合いをつけようとしたのだと思う。だから、仲直りの握手にも応じた。
この大人たちがよくやりたがる「仲直りの握手」。表面的な形に大人たちは、解決したと満足する。
しかし、いじめられたほうにとっては、もともとけんかではないのだから、仲直りではない。自分が許すか許さないかなのだ。その本来自分がもつはずの主導権、意思決定権が不当に分割されてしまうような気になるのではないかと思う。
それでも、大人が仲介してここまでこれたのだから、納得せざるを得ない。

学校の遅ればせの対応。それでも、きちんと約束が守られていたとしたら、裕太くんは少なくとも、学校・教師に対して、それほど不信感を抱かずにすんだと思う。大人でも、順序だてて話せば、わかってくれると思うだろう。うまく作用すれば一連の事件への思いは、ここで何とか整理がつけられたかもしれない。たとえ、部活動内でのいじめが再発したとしても、そのときは、裕太くんは教師に相談できたかもしれない。

しかし、一旦信じて、それが裏切られたとき、どんな気持ちになるだろう。
実際にいじめ事件でも多いのは、大人たちの仲介で一旦は、相手が謝罪してくる。最初は謝られても許すものかと思っているが、それでもつい、謝罪されれば心を許してしまう。
ところが、警戒心を解いて無防備になったところに、新たな攻撃をしかけられる。今まで以上に傷つく。最初から期待していなければ、よろいで心を覆っていれば、それほど傷つかずにすむものを、仲直りしようと言って、武器をとりあげ、こちらのよろいだけをぬがせ攻撃する。ひどいだまし討ち。これを何度か繰り返されれば、大人でも子どもでも、たいていのひとは人間不信になるだろう。
学校が裕太くんとの約束を一方的に破った。この時点は、学校は、裕太くんを守る存在ではなく、はっきりと傷つける存在へと変わった。

3回目の最後のチャンスは、12月5日。
前日、学校の説得で一旦は登校を決意した裕太くんが、やはり学校には行けないと欠席した日。学校側は裕太くんの深い心の傷を思いやるべきだった。「留年」と引き換えてでも学校に行けなくしているものを裕太くんの立場に立って、取り除く努力を学校はするべきだったと思う。
その間、学校側は裕太くんの心のサポートに回るべきだった。これほどまでに傷つけてしまった裕太くんの気持ちが、どうすれば少しでもよい方向に向かうのか、そのことだけに焦点をあてて考えるべきだった。

しかし、学校がしたのは、自分たちは平気で裕太くんとの約束を破りながら、どうしても登校することができなかった裕太くんに対して、一方的に自分たちのルールを押し付け、約束を守らなかったとなじり、登校を強要することだった。事前に、裕太くんが今、どういう精神状態であるか、医師の診断書の送付で知りながら。
「うつ」という状態が死を招くことは、自殺者が毎年3万人を超えるなかで、とくに勉強しなくとも自然に耳に入ってくる情報だ。うつ状態の人間を、そのひとがもっとも恐怖している場所に無理やり引きずり出そうとする。不安をあおってはいけない状態であることを知りつつ、しかも保護者が何度も、出席関する通知を出さないでくれと頼んだにもかかわらず、通知を送り続けた。
裕太くんが相談したいときには、何度かけても、留守電にメッセージを残しても一切、電話に出ようとしなかった担任教師が、登校を催促するときだけは本人に直接かけてくる。
学校・教師が、裕太くんを死に追い込んだ。弁護士が、「殺人罪」として校長を刑事告発したことに、私は納得する。


●被害者を封じ込める社会

部活のPTAは、わざわざ自分たちで記者会見を開いて、裕太くんの母親を糾弾した。
もし、亡くなったのがわが子だったらとは思わない。子どもを亡くしたばかりの親の気持ちを気遣う気持ちもない。
いじめ自殺のあと多くの学校で、同級生の親たちが被害者遺族の味方になるどころか、「自分の子どもの受験に差し支えたら、どうしてくれるんだ」と、敵に回って被害者遺族を責める。
親たちの態度は、裕太くんが「僕は一年生みんなを信じていたのにどうしてみんな助けてくれなかったの? みんなは今どう思ってる?」と残した同級生たちの対応に呼応している。

裕太くんのお母さんも、きっと誰かは味方になってくれると信じたから、一生懸命に働きかけたのだと思う。それをPTAの親たちは「母親から部活教員や生徒宅に暴言や誹謗中傷のファクスなどがあり、部活動にも影響が出た」と評した。子どもの命を必死につなげとめようとする行為のどこをどうして、誹謗中傷と攻められなければならないのだろう。

1978/7/4 野球部の副主将の校内暴力事件が発覚し、全国大会出場を辞退した埼玉県の県立上尾高校野球部事件では、同校のテニス部長の中村照男教諭(42)が新聞社への情報提供を疑われて、焼身自殺した。
事件そのものよりも、マスコミが取り上げたことで、大会出場ができなくなったことを問題視する学校や保護者。どんなに理不尽な目にあったとしても、騒ぎ立てるほうが悪者にされてしまう。問題をすり替えてしまうことに誰も疑問を感じない社会。
学校、PTA、地域に、同じように裕太くんの母親を責め殺しかねない恐ろしさを感じる。

そんななかで、加害者は親も子も反省しない。
遺族宅にわざわざ年賀状用のハガキで送りつけられた誹謗・中傷ハガキ。
大野悟くんのいじめ自殺事件(000726)で、遺族を脅すような手紙を出したのは、加害者の親だった。
子どものいじめに鈍感な親たちは、自分たちも平気でいじめ行為をする。この親だからこそ、子どもがいじめをするのだと思う。

大人たちがこんな状況で、子どもたちだけが反省するはずもない。命の大切さを感じ取れるはずがない。この事件で、大人たちは子どもたちに、どんな教訓を残したのか。
強い部活のレギュラーであれば ひとを死においやったとしても学校、教育委員会、PTA、大人たち みんなに守ってもらえる。力こそは正義。長いものにはまかれろという教訓。 暴力の伝統は付加価値をもってさらに後輩たちに伝えられるだろう。

そして、これだけ大きな事件でありながら、報道の少なさに驚く。
かつて、愛媛県の市立新居浜中央高校のバスケット部で阿部智美さんが熱中症で死亡した事件があった(S880805)。そして、その後も同じ顧問のもと女子部員が熱中症で死亡した。
しかし直後に、同女子バスケット部はインターハイに準優勝。顧問教師は秋の国体監督に選ばれたことが大きく報道される一方で、女子部員の死亡や4
年前の安部智美さんの事件と関連づけて大きく報道されることはなかったという。

どちらが報道の使命かと考えることよりも、どちらを取り上げるほうが、より多くの読者がつくかを計算するのだろうか。優勝常連校であれば、何かにつけ取材はしたい。とくに地域の明るい話題は多くの読者をひきつける。今後の取材がやりにくくなるようなことはしたくないのかもしれない。
みんな横並びの記事になる。どこか一社がすっぱ抜いてはじめて、責任回避できると安心して報道する。

この社会で、ほんとうに子どもたちの心と命を守れるのか。疑問に思う。
かつて、学校事故で子どもを亡くしたお母さんが言った。「わが子が死んだから学校がこのような対応をとるのではなく、このような対応をする学校だからこそ、わが子が死ななければならなかったのだと知りました」


これ以上、犠牲を出したくなければ、まずは事実を明らかにすること。
大人たちが、そこから何を教訓とするのか、子どもたちの未来に何を残したいのか、真剣に考えることだと思う。でなければ、何度でも犠牲者はでるだろう。




HOME 検 索 BACK わたしの雑記帳・新