2016/5/26 | 指導死 現時点で感じている問題点と闘う人びとに参考になる資料 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昨年の東広島市の中2男子生徒をはじめ、今年になって、札幌市の高1男子生徒、高崎市の中1男子生徒(未遂)、大阪市の高1男子生徒と、指導死(未遂含む)をめぐっての民事裁判がここのところ立て続けに提起されている。 (2016/5/26更新「指導死一覧」 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/Shidoushi%20ichiran.pdf 参照) 亡くなった時ではなく、民事裁判になって初めて、そのような事件があったことを知ることも少なくない。 自殺の背景調査は適切に行われたのだろうか。家族への説明責任はきちんと果たされたのだろうか。 以前に比べれば、親の知る権利に応える環境整備はなされてきたと思うが、まだまだ課題は多いようだ。 「指導死」という言葉の定着はある程度なされたものの、桜宮のように凄まじい暴力と暴言を伴わない事案へのメディアの関心は薄い。多くは後追い記事もない。 指導死が報じられると、「指導死」の言葉をつくった指導死親の会代表世話人で、NPO法人ジェントルハートプロジェクト理事でもある大貫隆志さんや私のところに様々な問い合わせがあったりするが、記者さんにたくさん話しても、新聞に載るのは1〜2行、あるいは紙面の都合でとほぼ全部カットされてしまう。 そこで、現時点で、私が伝えたいと思っていることをいくつか簡単にまとめておきたいと思う。 また、この機会に、指導死が疑われる場合に、闘う人びとにとって参考となるであろう資料を上げておく。 (これは論文ではないので、形式その他あまり気にせず書いている) ●「指導死」という言葉誕生 「指導死」ということば、2000年9月30日に、息子・大貫陵平くん(当時中2・13歳)を指導死で亡くした(000930)大貫隆志さんの造語。 生徒指導によって自殺に追いつめられたと言っても、周囲からは「生徒が悪いことをしたから叱られたんでしょ?」「自業自得で死んだのに、先生を逆恨みしているの?」などと言われ、なかなか理解してもらえない。 そもそも自殺ということ自体、世間で認識されている以上にまだまだ差別偏見が多く、きょうだいや職場での影響、親戚からの非難を考えると、口に出しにくい。 言えないからこそ、今まで長い間、問題が隠されてきた。 それが、全国学校事故・事件を語る会(http://katarukai.jimdo.com/)で、遺族同士が話をしたときに、自殺の直接の原因は様々あるものの、多くの共通点があることに、遺族たち自身が気がついた。 ここ数年、指導死が増えているのは、教師の多忙化やゼロトレランスの導入など、児童生徒を追いつめやすい教育環境の変化もあるものの、ひとつには遺族たちが声をあげたこと、「指導死」という「いじめ自殺」と同じように、長々と説明しなくてもある程度の概要を理解してもらえる言葉ができたことが大きいと思う。 「指導死」の定義。 (「追いつめられ、死を選んだ七人の子どもたち。『指導死』」 P4 大貫隆志氏による) 1.一般に「指導」と考えられている教員の行為により、子どもが精神的あるいは肉体的に追い詰められ、自殺すること。 2.指導方法として妥当性を欠くと思われるものでも、学校で一般的に行われる行為であれば「指導」と捉える(些細な行為による停学、連帯責任、長時間の事情聴取・事実確認など)。 3.自殺の原因が「指導そのもの」や「指導をきっかけとした」と想定できるもの(指導から自殺までの時間が短い場合や、他の要因を見いだすことがきわめて困難なもの)。 4.暴力を用いた「指導」が日本では少なくない。本来「暴行・傷害」と考えるべきだが、これによる自殺を広義の「指導死」と捉える場合もある。 ●有形暴力がなくても死ぬ 桜宮事件で、教師による体罰が注目を浴びたこともあって、各地で体罰に関する集会がもたれた。指導死についても注目が集まった。しかし、まだまだ有形暴力がなくとも子どもが死ぬということの理解は深まっていないように思う。 いじめで、有形暴力がなくとも、たとえばSNSを使ったネットいじめでも子どもが死に追いつめられるということは、もはや社会常識だと思う。 一方で、たくさん起きているいじめ裁判でさえ、まだまだ有形暴力や恐喝など犯罪行為が伴わないいじめは軽視されがちで、第三者委員会chousaiinkai listでも、裁判20141116ijimejisatusaibanでも、いじめそのものが認定されることさえ簡単なことではない。 まして、自殺との因果関係となると、3月30日に神戸地裁で判決が出た兵庫県川西市のいじめ自殺の民事裁判でも、いじめと自殺の事実的因果関係までは認められたが、自殺の予見は難しかったとして、亡くなった男子生徒が受けた精神的苦痛の慰謝料として同級生3人と県に計210万円の支払いを命じるにとどまっている。 指導死においても、有形暴力を伴わない指導が原因の自殺の場合、ハードルは高い。 しかし、現実には、1952年から2015年までに未遂9件を含む指導死計86件中、有形暴力が確認されたのは18件(21%)。つまり、約8割は有形暴力を伴わない指導により、児童生徒が自殺に追いつめられている。(平成になってからでは65件(未遂8件)中 有形暴力が確認されたのは9件。) ●指導死の数字は見えにくい 指導死は、報道されるものより、警察庁の人数の方が多い。まだまだ、遺族が声をあげられないということを表しているのではないかと思う。 しかも、いじめ自殺は高校生に比べて中学生が多い、もしくはあまり変わらないが、指導死は中学生より高校生のほうが多い。大学や専修学校でもかなりの数、起きているのも特徴的だ。 年齢が上がるほど、学業であれ、部活動であれ、生徒指導であれ、教師の生徒評価が将来に直接影響するからではないかと思う。とくに、専修学校や大学では、その教科の単位がとれないことは、卒業資格が得られないことにつながる。せっかく就職が決まっていても、卒業できなければ、すべてがダメになる。正社員の門戸が非常に狭くなっている状況では、一生が左右される。大学や専修学校で、未来を夢見た若者たちが自ら命を絶たなくならなくなるような「教師との関係での悩み」とはどういうものなのか、きちんと調査する必要があると思う。 いじめ自殺の文科省と警察庁の人数の差(5人)より、指導死の人数の差(19人)のほうが大きい。 児童生徒のいじめ要因より、教師が直接関わっている場合のほうが、学校や教委は認めたがらないということだろう。 なお、 いじめ自殺で、文科省の数字のほうが警察庁より大きいものは、警察庁は自殺直後に遺書や遺族に聞いた情報から判断しているが、文科省の数字は学校での調査の結果を反映しているため、人数が多くなる場合がある。つまり、指導死と思われる自殺事案も、今後、適正に調査が行われれば、もっと増える可能性がある。 警察庁の統計では、2007年から2014年までの8年間で、大学や専修学校を入れた統計では、教師との関係での悩みといじめ自殺とでは大差がない。
いじめ自殺と比べると
【参 照】 ・文科省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」→「自殺した児童生徒が置かれていた状況」(国公私立) ・内閣府自殺対策推進室・警察庁生活安全曲生活安全企画課「自殺の状況」→「職業別、原因・動機別自殺者数」 なお近年、外部調査委員会などが設置され、自殺の原因を調査することが多くなってきたが、調査結果が出るまでに1年以上を要することもある。 2007年度から、「自殺した児童生徒の置かれていた状況について、自殺理由に関係なく、学校が事実として把握しているもの以外でも、警察等の関係者や保護者、他の児童生徒等の情報があれば、該当する項目全てを選択するものとして調査」とあるものの、調査中のものは「その他」に分類されているとみられる(いじめ自殺ではと報道され、遺族が「いじめ」が原因と訴えていても、「いじめ」原因には分類されておらず、その理由を関係者に問い合わせたところ、外部調査委員会の結果が出るまでは「いじめ」に入れなくてよいと、文科省の担当者から言われたとの回答をもらった)。 児童生徒の自殺人数は、過去のものも毎年、文科省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」に掲載されているが、「置かれていた状況」はその年度のものしか掲載されない。第三者委員会等の調査結果が出たあと、「置かれていた状況」が訂正されたかどうかは、わからないようになっている。 せっかく、自殺の背景調査がなされても、その結果が広く情報共有されないのであれば、再発防止に生かすことができないのではないかと思う。 ●事後対応が問われることの意味 学校事故事件で、当事者や遺族たちは、学校教師の不誠実な対応、すなわち、事実の隠ぺいと嘘、調査の拒否、脅しともとれるような言動、説明のなさ、情報の非開示に苦しめられてきた。これは、事故事件で受けた肉体的精神的な損害とは別に、本来受けずにすんだ被害、新たな加害行為だ。 大津のいじめ自殺以前にも、学校の対応を裁判のなかで付随的に問うことはあったが、多くの裁判で学校・管理職の合理的な裁量権の範囲内という判断が多かった。 ごく一部しか認められず、金額も低かった。(金額の高低は責任の評価に比例すると私は思っている) そうした流れのなかで、大津のいじめ自殺では、第三者委員会が調査対象を「自殺後の対応が適切であったかを考察」すること(大津市立中学校におけるいじめに関する第三者調査委員会規則 参照)にまで広げた意義は大きい。 外部調査委員会が立ち上がった時、被害者や遺族への対応が調査の対象となり、不適切な言動や情報の隠ぺい、嘘が発覚すれば報告書で指摘されるであろうことを考えれば、被害者や遺族への対応の抑止力になっているのではないかと思われる。 また、同事件で、加害生徒の不法行為や学校の安全配慮義務違反を問う裁判(大津市とは2014年)とは別に、遺族は「黒塗りアンケート確約書事件」訴訟を起こし、2014年1月14日に勝訴判決を得ている( 確定)。 → 「わたしの雑記帳」 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2014/me140115.html 参照。 続いて、出水市のアンケート開示訴訟でも一部が認められている。 「わたしの雑記帳」 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2016/me160131.html 参照 また、いじめ防止対策推進法に伴う「「いじめの防止等のための基本的な方針」で「重大事態への対処」のガイドラインができた http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/2013ijime_judaijitaihenotaisho.pdf ことで、今までのような学校・教委の自由な裁量権にかなりの歯止めがかかったと思う。 まお、参考までに、それ以前の民事裁判で、学校の調査報告義務違反や事後対応が問題になったものに、以下のものがあった。 2006年7月4日、学校であった「盗難事件」について「大変なことが起きている」と母親に告げた翌日、鉄道自殺した開智学園の杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の一審、二審で、学校側の調査報告義務違反のみ認め、原告父に10万円、母に10万円、弁護士費用として2万円の計22万円を支払うよう命じた。 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2009/me090227.html 最近、中川明弁護士が書かれた「教育における子どもの人権救済の諸相」(2016年2月12日エイデル研究所発行)のなかで(P122-124)、 1992年2月21日千葉地裁判決 習志野市立第七中学校「体罰」事件(判例時報 1411号 54頁)で、 千葉地裁は、慰謝料算定要素として、 (1)教師らの体罰後の配慮の有無を重視 @教師は原告が負傷しているとわかったのに、障害の程度を確認せず、これを放置し、診療等の配慮も しなかった。 A教師は数日後に一度謝罪したのみで、特別の配慮をせず、原告は長期欠席をするようになった (2)校長は本件行為に至った経緯、行為態様、負傷の程度等について事故報告書を作成し、市教育委員会に 提出したが、報告書の内容に一部不正確な点があった (3)原告が再調査のうえ訂正するように求めたが、市教育委員会はこれに応じなかった と判断して、これらの配慮の欠如を慰謝料算定にあたってプラス(増幅)要素とした 続く1993年11月24日浦和地裁 大宮市宮原中体罰・内申書裁判(判例時報1504号 106頁)でも、暴行後の一連の学校長・教師の行為・態度は、「事後的対応の不誠実さを示すものとして慰謝料算定の一事由に取り入れられるべき」と判じされていることが紹介されている。 ●裁判の難しさ 事実認定の難しさ 裁判になると、訴えた側に立証責任がある。しかし、学校・教委に調査権限があり、ある程度の情報開示はここのところ急速に進んだものの、まず事実が出てくることが難しく、原告側が主張するような指導の事実があったということが認められることが難しい。とくに、いじめ以上に、生徒指導は密室で行われることが多く、当該教師と被害者の2人だけで目撃者がいないこともある。仮にいたとしても、とくに部活動などでは部の廃止や対外試合の禁止、実績のある指導者がいなくなること、指導者から目を付けられ、いじめにあったり、レギュラーから外されたり、学校推薦を受けられなくなることを恐れて、証言者がいない。あるいは、嘘の証言をするものさえ現れる。 違法性立証の難しさ 暴力が伴うものは判断しやすいが、暴力を伴わないものは、指導のどこまでが合理的で、どこからが違法性の高いものかを分ける基準がはっきりしない。教師の裁量権内とされてしまったり、多少の行き過ぎはあったものの「違法」と言えるほどのものではないと判断されやすい。 適切な指導とはどういうものなのか、不適切な指導とはどういうものなのか、もっと国や教育界で議論され、指針が出ることが望まれる。 自殺の予見性の問題 文科省は児童生徒の自殺予防ら取り組んでおり、いろいろな資料が配られているとはいえ、生徒側の死を予見させるような具体的な言動がないと、とくに中高生においては、教師が自殺を予見できたと認められることは難しい。 ただ、指導死の事例が集まり、指導によって子どもが死ぬことがあると多くの人が認識することで、指導をする際には子どもの心身の状態に配慮しなければならないという根拠になるのではないかと思う。 それは裁判だけでなく、教師の認識を変え、指導死を防止することに役立つと思う。指導死を批判し、遺族の声をふさげば、その分、社会的認知が遅れ、子どもたちは死に続けるだろう。 ●参考になる資料 参考になる通知・法律・ほか (直接は関係なくとも、考え方などで参考になる場合があります)
「指導死」に関する武田の記述(「日本の子どもたち」 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/ 内) 「指導死」に関する文献ほか
●その他
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