2014/12/18 | NPO法人ジェントルハートプロジェクト主催 第10回『親の知る権利を求めるシンポジウム』 「学校事件事故に関する第三者委員会のあり方を考える」 〜第三者による調査委員会や検証委員会から何が見えてくるのか?〜 |
|
2014年11月23日(日)、NPO法人ジェントルハートプロジェクト主催 第10回『親の知る権利を求めるシンポジウム』が、東京都渋谷区のダイヤモンド社本社会議室で開催されました。 内容は、今年8月24日仙台で行った第9回と同様、『「学校事件事故に関する第三者委員会のあり方を考える」 〜第三者による調査委員会や検証委員会から何が見えてくるのか?〜』 9回目と10回目の両方に、2011年3月11日、東日本大震災で津波被害にあった大川小学校のご遺族の只野英昭さんとビデオメッセージで佐藤敏郎先生が、シンポジストとして参加。 そのほかに、仙台では2011年6月9日に野球部の顧問から呼び出されて指導死した愛知県刈谷市の山田恭平君(当時高2・16歳)のお母・山田優美子さんが、東京では2013年3月28日に携帯電話に「みんな呪ってやる」と未送信メールを残して自殺した奈良県橿原市の女子生徒(当時中1・13歳)のお母さんが、話をしてくださった。 また、ジェントルハートプロジェクトからは、2010年6月7日、「友達をいじめから助けられなかった」という内容の遺書を残して自殺した篠原真矢君(当時中3・14歳)の父・篠原宏明さんと、武田が話をした。 パネルディスカッションでは、ジェントルハートプロジェクトの理事で、2000年9月30日に指導死した大貫陵平君(当時中2・13歳)の父・大貫隆志さんが司会を務めた。 ●他の方の内容はジェントルハートプロジェクト通信45号にて一部掲載。 (http://npo-ghp.or.jp/wp-content/uploads/2014/12/045.pdf 参照) ●シンポジウムの資料は同じくNPO法人ジェントルハートプロジェクトの資料コーナーでダウンロードできる。 (http://npo-ghp.or.jp/data/) 私の話した内容を当日の読み原稿(約20分)に、資料のリンクを加えたものを以下に掲載する。 ★ 第三者委員会の最新一覧は、オリジナル資料にあります。 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/takeda_data.html |
||
ジェントルハートプロジェクトの理事で、武田さち子と申します。 私自身、足立区と長崎市の自殺事案の第三者調査委員会に調査委員として入った経験があります。 足立区はすでに報告書が出ていますが、長崎市は12月に出す予定です。 ジェントルハートプロジェクトは長い間、学校事故事件被害者の「親の知る権利」を求めて活動してきました。「親の知る権利を求める」シンポジウムは、2007年11月18日の第1回目を皮切りに、今回で10回目を迎えます。 他の被害者団体や学者、弁護士らが、第三者調査委員会の設置を求めるなか、意外に思われるかもしれませんが、私たちはむしろ反対の立場をとってきました。 それは、第三者委員会が、真実の追及ではなく、遺族との交渉を打ち切る口実やマスコミの攻撃をかわすための手段として使われたり、「自殺の原因はいじめはではない」「学校に責任はない」という結論を押し付けるために利用されてきたことを知っていたからです。 2009年、自殺予防に関する調査研究協力者会議のヒヤリングに、ジェントルハートプロジェクトと、神戸の全国学校事故事件を語る会が呼ばれました。 (http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/063/gijiroku/1287057.htm 参照) ヒヤリングで私は第三者機関の主な問題点として、次の4点をあげました。 1.構成メンバー 2.権限 3.当事者との関係 4.その他 最初の3つの問題はある程度、想像がつくと思います。 その他の問題について簡単に補足すると、 調査委員会の立ち上げに時間がかかり、児童生徒や当事者の二次被害が防げないこと、加害者の指導の機会を失うこと、その間口封じや隠ぺいが先行するのではないかという懸念、調査委員会に丸投げすることで、学校に当事者意識が生まれず、再発防止につながりにくいのではないかという懸念について話しました。 そして、もし、第三者機関をつくるならということで、 ・当事者や親の知る権利を保障すること。 ・調査方法、その他に当事者や親の意見を反映させること。 ・当事者や親に情報を開示すること。 ・外部にどの程度、情報を開示するかは、当事者や親の意向を第一優先とすること。 ・構成メンバーの選出、調査方法に透明性をもたせること。 などをあげました。(PDF PDF 参照) 第三者調査委員会が大きく注目されるようになったのは、大津のいじめ自殺事件がきっかけですが、それ以前も、第三者調査委員会はありました。 今日はA4用紙4枚の資料をお配りしていますが、私が調べた範囲は現段階で、人権救済申し立てによる調査を含め、1986年から2014年までに86事案、91件の外部調査委員会等が設置されています。 (http://npo-ghp.or.jp/wp-content/uploads/2014/11/daisannsya_chousa_list_20141123.pdf http://npo-ghp.or.jp/wp-content/uploads/2014/11/chousaiinkai_list_20141123.pdf 参照) 急激に増えているのは、2010年以降ですが、それ以前からあります。 あまり知られていませんが、保育事故や柔道事故でも、第三者調査委員会が設置されています。 人権救済申し立てによる調査以外の第三者機関の調査は、私が調べた範囲内では、1996年4月10日の千葉県流山市の男子生徒の自殺(960410)が最初です。 この事案では、亡くなった中学3年生の男子生徒と保護者は、2年生の時から「いじめを受けているので何とかしてほしい」と学校に相談していました。 この時期は、1994年の大河内清輝君(941127)の自殺に代表される第2期いじめ自殺多発期がまだ続いていました。 いじめ自殺ではと報道されたのは、私の調べでは94年12件、95年18件、96年12件あります。(20140327jisatu 参照) そのためか、自殺の2日後には、 事件報道を聞いた奥田幹生文部大臣の指示で、文部省幹部が異例の現地調査を行っています。 その後、流山市教育委員会は、「公正・公平の立場で真相に迫ってほしい」との観点から、第三者機関の事故調査委員会に調査を依頼しています。あくまで想像ですが、もしかすると、文部省幹部の入れ知恵だったのかもしれません。 調査委員会の代表は千葉大学教育学の大学教授とありますが、調査委員の氏名が公表されたかどうかはわかりません。 調査委員会の結論は、「(A君が)通常の弱者ではなく、金品を奪われたり、激しい苦痛を伴う肉体的な攻撃はない」などの点から、「これまで報告されているいじめとは異なるケース」「いじめと自殺は直接関係ない」というものでした。 当時の文部省のいじめの定義は、「@自分より弱い者に対して一方的に、A身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、B相手が深刻な苦痛を感じているもの。」です。 大河内清輝君のいじめ自殺をきっかけに、「個々の行為がいじめに当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うことを留意する必要がある。あくまでいじめられている子どもの認識の問題。」と明記されましたが、調査委員には、あまり関係なかったようです。 文部省が関与した後に設置された第三者委員会の調査の結果ですから、この手法はある面、文部省の監視下であり、お墨付きが与えられたようなものではないでしょうか。 その後も、世間の耳目を集めるような事件が起きると、教育委員会主導で、第三者委員会が設置されるようになりました。 遺族が望んでの設置ではなく、むしろ遺族には秘密裏に調査委員会が立ち上がり、結論が導きだされました。 その目的は何だったのでしょうか? 調査委員会の存在をメディアから知らされた遺族が抗議をすると、調査委員会は形式的な聴き取りを遺族に行います。 遺族が伝えたいことは、学校であったいじめのことや、不可解な学校の対応についてです。しかし、そのことは無視され、生まれた時に難産だったかどうか、親は働いていたか、嫁姑の関係など、家庭の問題ばかりを聞かれたといいます。 当然、調査委員会の結論は納得のいくものではありません。 2006年10月11日、福岡県筑前町の森啓祐君(中2・13)が「いじめられて、もう生きていけない」などと遺書を残して自殺しました。(061011参照) この事件は、1年生時の担任教師の言動がいじめのきっかけになったとして、遺族の怒りの声とともに、全国に大きく報道されました。 この時期、それまでの7年間、たくさんのいじめ自殺報道がなさていたにも関わらず、文科省のいじめ自殺の数字がゼロだったことに批判が集中し、文科省は1999年から2005年の7年間の41件の自殺を再調査を各教育委員会に依頼しています。 結果、いじめが確認された自殺が14件あり、うち3件はいじめが「主たる原因」、6件が「理由の一つと考えられる」とされました。 このうち2件で、「いじめが直接的な動機とは考えられない」根拠として、外部有識者による調査結果をあげています。(1件は外部調査委員会が調査中。その後の結論不明。その年の中学生いじめ自殺ゼロ) (http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/040/shiryo/07052301/003.pdf 参照) 筑前町のいじめ自殺に話を戻します。 10月11日に自殺があり、10月25日には教育再生会議から義家弘介氏、山谷えり子氏が現地視察。文科省は18日に職員、25日に小渕優子政務官らを派遣しています。 その後、町教委は第三者調査委員会を設置。「公平性、客観性、透明性、迅速性が確保できる第三者機関による調査を目的にしている」ことを理由に、遺族が委員に入ることや弁護士を入れてほしいという要望を拒否しました。 実は行政が「公平」「中立」を掲げるときには、「遺族側に偏らないこと」つまり、遺族排除を意味します。そして客観性、透明性は担保されません。それは今現在も変わらないのではないでしょうか。 11月に調査を開始し、12月に報告書。これは、当初の計画通りです。 筑前町の報告書には、委員会の課題として「生徒が自殺するに至った経緯をできる限り客観的に明らかにする。いつ頃、どこで、どのような事象が発生して、生徒を追い込んで行ったか。」「なぜ防げなかったか」とあります。今で言うところの設置要綱に当たります。 設置要綱は確かに大事です。一方で、どんなにりっぱな内容を掲げていても実行されなければ、意味がありません。 当初の目的に対し、事実調査の実態について、「真相究明を最優先課題とした」と書きつつ、報告書に次のような文言もあります。 「生徒たちへのアンケートは、事実調査を明確にするために、できるだけ厳密に行う必要がある。しかし、「からかい」「冷やかし」等を含めた「いじめ」に関する質問はできなかった。それは、そのアンケートが生徒たちにPTSD等の二次的問題を引き起こさないように慎重な配慮をせざるを得なかったためであり、同様の理由で聞き取りもできなかった。」「作成したアンケート案については、事前に臨床心理士によるチェックを受けた」と書いています。 できる条件があっても事実確認をしない言い訳に、都合よく使われるのが、専門家のお墨付きによる「心の傷」です。 渦中にいる教師や子どもたちに事情を聞かなかったり、あいまいな部分や矛盾点を確認せず、あいまいなままに終わらせることの理由づけにもよく使われます。 言いたいのに聞いてもらえない。証言したのにムシされた。信じてもらえない。嘘を言われた。自分の証言が歪められた。そのほうが、よほど心を深く傷つける行為、二次受傷だと思うのですが、言及されません。「心のケア」を何度も口にしながら、実際には苦しんでいる子どもたちが放置されています。 なお、心の専門家たちは、事実を積み重ねることなしに、本人の心の問題や家族、とくに母子間の影響という「結論」を、もっともらしく導き出せてしまいます。 臨床心理士や精神科医など心の専門家と言われる人たちが何人も入っている調査委員会は、要注意だと私は考えています。 筑前町の調査委員会の結論には「いずれの情報からも、特定の個人ないしは特定の集団による『いじめ』が存在したという事実はない。」とありました。 しかし、遺族の情報開示請求で出てきた調査委員会のアンケートのフォームには、見た内容や回数、時期、場所、啓祐君の様子を選択式で回答するようになっていましたが、「誰が」という質問項目はありませんでした。個人名や集団の情報があがらないような調査をわざわざしていたのです。 1年生の学級担任について、報告書は「不適切な言動があった」としたが、「当該生徒を恒常的に『からかい』の標的として『いじめ』を煽ったと言う事実はない」「半年から1年程度前のことである」ことを理由に、自殺の直接的な要因だった可能性を否定。むしろ、「問題教師」とされ、全国的にも特異な事件として取り上げられたことを「誠に遺憾であったと言わざるを得ない」としています。 しかし遺族はのちの手記に、啓祐君の自殺の直後に、加害生徒たちが自宅に来て、謝罪とともに遺族に伝えた情報が発端になっていることを書いています。根も葉もない噂が根拠ではありません。むしろ、否定する根拠こそ、遺族は明らかにして欲しかったのではないでしょうか。 第三者調査委員会が、隠ぺいする方法はいろいろあります。 それらは巧妙に隠され、どんなに納得のいかない結論であっても、第三者委員会が調べた結果なのだからというお墨付きが与えられます。 委員に提供された資料などが開示されないなか、何も情報を持たない遺族がその結論をひっくり返すのは、今まで以上に困難です。 そして、学校や行政に都合のよい結論を出した調査委員会は、条例などで固定化されます。 違う事案が起きても結論は同じです。とくに予算も少なく、人材が限られる地方でこのような動きが見られます。 今、調査委員会メンバー選出の流れは、団体推薦です。 しかし行政と利害関係のある団体はいくらでもあります。 教育大学は、教職員として学生をできるだけ多く採用してほしいし、現職の教職員の中には教え子もいるでしょう。 大学の研究室には公的な助成金が入っているところがいろいろあります。 臨床心理士や精神科も、顧客を紹介してくれるのは行政窓口です。また、卒業生をスクールカウンセラーとして、できるだけたくさん採用してほしいと考えます。 そして、あれほど根拠もなく専門家は中立だと言っていたにも関わらず、学校事件事故弁護団の関与は中立ではないからという理由で拒否しています。 本当に中立かどうかは外部からはわかりにくいことがよくあります。この不透明な部分に客観性を持たせるには、むしろ、行政側と遺族側が半分ずつ、委員を推薦できる仕組みだと思います。 |
||
なお、パネルディスカッションの中で、法務省や弁護士会による人権救済の申し立てによる調査についても触れた。時間の関係で触れ損ねた部分も含めて、ここに少し書きたい。 (★その後、人権救済の申し立て一覧を独立させました。 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/20150407_gakkou_jinkenshingai.pdf 参照) 具体例として、ジェントルハートプロジェクトの小森美登里さんから、1998年7月25日にいじめ自殺をはかった(7/27死亡)香澄さん(980725参照)の調査について話してもらった。 裁判をしたくなかった両親は、裁判以外に娘に何があったかを知る方法として、弁護士会に人権救済の申し立てを行った。 いつ、どこで、誰が、どのような調査をしたかは一切、知らされることなく、2年2カ月待ってようやく、A4用紙で4枚がFAXで送られてきたという。 人権擁護委員会は生徒たちには一切、話を聞くことはなく、香澄さんの死の原因について、吹奏楽部の体質、香澄の技術の未熟さ、母親の対応の甘さなどの記載が多くなされていたという。中には、明らかな間違いもあったという。 そして、高校に対して出された「人権侵害に当たる」とする「警告書」も結局、何の効力もなかった。 人権救済の申し立てによる調査は、被害者側が申し立てをできる、中立性の面である程度、信頼できるという利点がある。 少なくとも1986年からこの仕組みはあり、現在もなお、学校や教育委員会に訴えても対応をしてもらえなかったり、学校や教育委員会、第三者委員会の出した結論に納得がいかない場合に、利用されている。 近年では、被害者側が訴えなくとも、社会的に大きくとりあげられた事件などでは、人権擁護委員会が主体的に調査をすることもある。(050413) 一方で、司法においても被害者としての権利の視点が取り入れられるようになったにもかかわらず、「人権擁護」を前面に押し出しながら、.中身は旧態依然としている。権限の面でも、弱さがある。 すなわち、 ・被害者や遺族の要望をきかない ・進捗状況やいつ結果が出るかわからない ・委員の氏名非公開 ・生徒たちに聞き取りをしない ・学校、教委、教師、保護者、児童生徒の協力が得られるとは限らない (学校、教委、自治体の調査委員会のほうが協力が得られやすい) ・報告書の大部分が当事者にさえ黒塗り ・結果に対して、法的しばりや強制力がない。影響力が小さい 人権擁護委員会の調査は、ある面、学校や教育委員会、第三者調査委員会の負の部分を併せ持っている。 被害者や遺族にとって、他の調査委員会に納得がいかないときの最後の砦であり、せっかく行政とは距離を置いている組織だけに、もっと被害者が何を希み、何を望まないのかを聴き取り、要望を容れてほしいと思う。 |
HOME | 検 索 | BACK | わたしの雑記帳・新 |
Copyright (C) 2014 S.TAKEDA All rights reserved.