2009/7/12 | 専修大学付属高校バレー部合宿中に亡くなった草野恵さん(高1・15)の裁判が和解。 | |
2009年6月30日、専修大学付属高校バレー部合宿中に亡くなった草野恵さん(高1・15)の裁判が和解した。 その報告会が、2009年7月11日(土)、東京・虎ノ門で行われた。 恵さんが、新潟県南魚沼郡で行われた専修大学付属高校バレー部の合宿中に亡くなったのは、2003年7月31日。もう、6年になるが、両親の時計は止まったままだ。 娘を亡くした母親は今だに、何か食べて「おいしい」と思うことさえ罪悪感を感じてしまう。シャワーを浴びて、「気持ちよい」と感じることさえ、「メグはあの暑い夏の日に、シャワーを浴びることさえできずに亡くなってしまった」と思うと、罪悪感を感じてしまうという。 恵さんの診断名は急性硬膜下血腫。駆けつけたご両親が病院のベットで見たものは、まるで殴られたかのような目の周辺のあざ。全身のあざ。しかも、救命救急や死亡後の解剖にあたったドクター2人までもが、恵さんの死に疑問を口にした。 しかし、合宿に付き添っていた顧問からは一度も、説明も、謝罪も受けることなく、学校は恵さんの死を「自己過失」として片付けた。「学校には何ら問題はない」という結論のみを持ってきた。 学校との交渉も一方的に打ち切られた。娘に何があったのかを知りたいと願う両親は民事裁判を起こすしかほかに、方法がなかった。「自己過失」という汚名をきせられたままでは、娘があまりにしのびなかった。 提訴したのは、不法行為の時効3年ぎりぎりの2006年7月25日。 今回、東京地裁で和解するに当って、ご両親は随分、悩まれたという。 これは、多くの原告が口にすることだが、「和解」という言葉そのものに第一、納得がいかない。 裁判での「和解」は、私たちが日常的に使っている、互いの納得のうえで仲直りする、というニュアンスからはほど遠い。 そもそも、裁判官の仲裁で仲直りできるようであれば、裁判など起きなかった。感情的にも、すでに修復できないところまでいっている。 弁護士が説明してくれた。民事裁判には、一般的には判決と和解しかない。ひとつの終結方法、落としどころなのだと。 そして、再び、両親に問うたという。何がこの裁判の真の目的だったのか、何があれば納得感が得られるのかと。 それが金銭でないことは明らかだった。だいたいからして、学校相手に裁判を起こしても、印紙代や弁護士費用、その他裁判にかかるもろもろの出費を考えれば、たとえ勝訴して賠償金が入ったところで、出費のほうが多くなる。金銭的にはほとんど割があわない。まして、学校事故・事件の原告勝訴率はけっして高くなく、支払われる金額も、企業相手の訴訟とはちがって、驚くほど少ない。 両親としては、もちろん、謝罪もほしかった。元気に合宿に旅立った娘が、遺体で帰されて、申し訳ありませんの一言さえなかった。むしろ、自己過失とされ、学校や部はかえって迷惑をかけられたというニュアンスだった。 しかし、心のこもっていない謝罪の言葉をもらって何になるだろう。 判決か、和解を選ぶのかも悩んだという。地裁で万が一、負けても高裁がある。勝てる可能性にかけて判決を選ぶのもひとつの方法だった。しかし、両親が考えたのは、判決が出れば、それがどういう形であれ、学校との縁は切れてしまう。学校はきっと何も変わらないだろう。娘の死という、ありえない悲劇。このようなことが二度と起きないためにはどうしたらいいのか。自分たちに何ができるのか。それを考えたときに、学校に変わってほしいと願い、「再発防止」のために和解をすることに決めたという。 「和解条項」も、実質的には「今後の取り決め事項」なのだと弁護士にいわれて、踏み切ったという。 私自身、多くの和解条項をみてきた。しかし、ここまで具体的かつ細部にわたって、再発防止のための取り決めをした事例を知らない。 弁護士からの説明があったように、なるほど、和解条項には、盛り込まれることの多い、「謝罪」「陳謝」「遺憾の意」「学校の責任」などの言葉が一切入っていない。 主な内容は 1.学校側が、原告(草野さん)に金銭を支払うこと。 2.事件当時の顧問教諭2人を1年間、女子バレー部の活動に関与させないこと。 3.学校行事として行う競技・球技大会に「草野恵杯」と名づけて、草野さんの親族を来賓として招待すること。 4.保健体育教育及び運動部活動指導における安全確保。 5.学校は草野さんに対して、毎年、学校の年間行事予定表及び女子バレー部の年間スケジュール表を送付すること。 6.学校長や関係者、事件発生時の女子バレー部顧問らが仏前で口頭や文章で心情等を報告することを、遺族らが希望していることを厳粛に確認すること。 7.原告・被告ともに第三者に発表する際、和解に基づく金員の金額と名目、顧問らの個人名に触れないこと。 などが盛り込まれた。 (030729に和解条項全文あり) なかでも、4の「安全確保」については、かなり具体的に、体育安全対策委員会の設置や安全対策マニュアルの策定、安全対策講習会、事故報告と事例リポートの作成などが規程された。 その内容すべてに、恵さんの事故死が具体的にを教訓化されている。ここで示されている「安全確保」が、もし実施されていれば、恵さんは亡くなることはなかっただろうという原告の思いが込められている。 とくにここでは、部活動において、生徒自身が体調不良を口に出せない、自分で自分の安全を守れないことを前提に、きめの細かい配慮がなされている。 部活動で事故があると必ずのように学校側は主張する。中学生、高校生ともなれば、体調を自分で管理するのが当たり前。本人が体調の悪さを申告しないのがいけない。顧問が気付かなかったのは無理がない。 しかし現実には、多くの体育会系の部活動で、子どもたちは「体調が悪いので、休ませてください」とは言えない。実際に言ったとしても、顧問や先輩に受け容れられないどころか、「甘えている」「たるんでいる」として、かえって制裁の対象になったりさえする。「根性がない」として、今後のレギュラーの道さえ閉ざされかねない。 部活動の事故は1年生部員が多い。(子どもに関する事件・事故 3(学校災害ほか) 参照) その理由として、体力がついていない、技術が未熟。とくに1年生では、経験者と未経験者とで体力・技術にばらつきがあり、顧問や上級生もそれを把握していないことが多い。、 休憩になっても1年生部員には様々な役割が与えられており、先輩にタオルや飲み物を持っていったり、ウチワであおいだりしなければならず、自分自身の休憩にはならない。場合によっては水分補給する時間さえとりそこなってしまう。 体調が悪くても、顧問や上級生が怖くて、口に出せない、あるいは言っても、「甘え」と判断されて、かえってしごかれる。場合によっては連帯責任として、他の同級生部員にまで累が及ぶ。 また、多くの部活動事故の裁判で露呈することは、指導者に驚くほど生徒の安全に関する科学的な知識がないこと。ただ、自分たちがやってきた経験知のみで生徒を指導している。自分たちもやってきたのだから大丈夫と。 これは、学校の部活動だけでなく、 日本のスポーツ界の問題だと思う。あまりに全体主義、根性主義に走り、スポーツ科学的な目が無視されている。無茶な練習で選手が障がいを負ったり、死亡してさえ、むしろ英雄視される。まるで、戦時中の日本の軍隊だ。 今回の和解条項は、部活動のあり方やスポーツ界の安全対策にも一石を投じるものだと思う。ほんとうはもっとスポーツ界の指導的立場にあるひとたちから、こういった指針が早くからでるべきだと思う。そうすればきっと、優秀な人材を芽が出るまえにつぶしてしまうことも少なくなることだろう。最終的にそれは、日本のスポーツ界全体のレペルアップにつながるものだと思う。 今の日本で、命を大切にしようと思ったら、部活動など、子どもにやらせられない。安全に楽しく、スポーツをする権利が子どもたちから奪われている。 残念ながら、学校に自浄作用はないことは、今回の民事裁判の証人尋問でも明らかだ。 それでも、今回の和解条項を学校側がよくここまで呑んだと思う。しかも、3の「草野恵杯」の提案は学校側からなされたという。 ご両親の思いが、ここまで学校を変えた。草野さんは、娘を見殺しにし、しかも「自己過失」とまで言い切った学校と対立関係を続けるのではなく、学校とともに、子どもたちの命を守り続けていく道を選んだ。 和解条項により、これからは学校に出向き、先生方と話をする機会も増える。それは遺族にとって、想像以上に苦痛を伴うことだと思う。それでも、パレーボール部を愛した恵さんの、ひとと争うことが嫌いだった恵さんのそれが願いだと思えば、ご両親は幾多の困難もきっと乗り越えることだろうと思う。 裁判をして、たとえ勝訴したとしても、ここまでの結果は得られなかったと思う。お金を払っておしまい。あるいは、もう謝罪しましたでおしまい。 このような結果が得られるのであれば、裁判もけっして不毛ではないとさえ思える。 しかし本当は、裁判など起こさなくても、学校には、死亡事故に対して、何があったのかを様々な角度からきちんと調査し、それを納得がゆくまで遺族に報告をし、その調査報告のなかから、どこに問題があったのかを分析して、再発防止に務めるべきだった。そうすれば、娘の死を納得することはできなくとも、受け容れて、そこから新たな人生を歩みだすことができたはずだ。 バレー部の元部員たちとも、ご両親は話をする機会が持てたはずだ。 ご両親が今、一番心配しているのは、当時の部員たち。亡くなった恵さんの全身はあざだらけだった。そして、その恵さんの死に立ち会った子どもたち。事故後にそのことを口にする、語り合う機会さえ与えられずに、真実から目を背けて生きざるを得なかった。今だ、語ることのできない子どもたちの心の傷を心配する。 学校とは、恵さんの死を教訓として具体的に生かしていくことで和解した。これをきっかけに、元部員たちにも自宅に訪ねてきてほしいという。そのために、ご両親は今の住まいを移ることなく、居つづけるつもりだという。 今は7月。もうすぐ恵さんの命日が来る。 夏休みになるたびに、今年も、部活動でいったい何人の子どもたちの命が奪われるのだろうと思ってしまう。 「生きて帰れたら、お祝いしてね」。もう、この言葉を子どもたちから聞くことがなくてすむように、専修大学付属高校だけでなく、すべての学校、すべての教師、部活動に関わる児童生徒たちに、この和解条項を生かしてほしい。 正しい知識と安全に対する意識。これを徹底するだけで、事故は確実に減らせる。草野さんと同じ思いをする遺族を生み出さないですむ。 |
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