2008/11/9 | 開智学園の杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の控訴審第1回目 | |
2008年11月6日(木)、東京高裁717号法廷で、午前11時から、開智学園の杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の控訴審(平成20年(ネ)第4294号)第1回目が開かれた。 裁判長は、房村精一氏、裁判官が中野信也氏、ほか1名(最近、3人目の裁判官のところに2人名前が書いてあっても、どちらの裁判官が該当事件の担当なのかわからないことが多い)。 傍聴席には大学のゼミ生が来ていて、けっこうにぎわっていた。 控訴審の第一回目では原告側から口頭で「思い」が述べられることが多いが、今回はなかった。 一審原告の杉原さん側から、一審では被告となっていた理事長と教頭への請求を取り下げる旨と、賢哉くんの父親の証人尋問の申請があった。 裁判官3人が数分間、退出して合議のうえ、採用されることになった。ただし、事前に陳述書を提出することで、60分請求されている主尋問を40分に収めるようにとのことだった。 次回は、12月11日、1時15分から、824号法廷にて。証人尋問が行われる。 ********* 裁判後の弁護士の説明では、今回、杉原さん側と、開智学園側も控訴したという。 今回の控訴審での杉原さん側の主張は3つ。 1.欠席確認義務違反 2.全容解明義務違反 3.調査報告義務違反 争点を絞るために、一審の理事長と教頭に対する不誠実な発言への損害賠償請求は取り下げたという。 一審判決(me080718参照)では、3.調査報告義務違反のみに対して、原告父に10万円、母に10万円、弁護士費用として2万円の計22万円を認めた。金額の低さについては、調査しても事実が明らかになったかどうかわからないからという。 しかし、学校が真摯に調査していたら、きっと様々な事実が出てきたと個人的には思う。 学校もそれがわかっているから、あえて調査しなかったのだと思う。 たとえば、学校内でたびたび起きていたという金銭がなくなる事件。そして、賢哉くんがイスの背にかけてあった制服のポケットをさぐっているところを目撃したという生徒からの賢哉くんへのいやがらせ。 ほとんどの事件で、最初、表面に見えていることは氷山の一角であったことが、事実を調査してはじめて明らかになっている。 そして今回、ご両親や木崎弁護士と話をするなかで、なぜご両親が欠席確認義務違反にこだわっているかが、少し理解できた気がする。 今まで無断欠席したことがない賢哉くんが、はじめて無断欠席した。自宅に電話を入れなかった理由を担任教師は、「前の日に頭が痛いと言っていたから、風邪で休んでいるのだろうと思った」「必要を感じなかった」「仕事が忙しくて電話をする時間がなかった」などと言い訳をしている。 しかし、両親は教師がわざと連絡をしなかったと考えている。朝、賢哉くんが学校に来なかった時点で、なぜ来ないのか、察しがついていたから。 賢哉くんは、盗難事件の調査が進展しないことについて、教師に何度も問い合わせをしている。教師への不信感もあらわにしている。そんななか、亡くなる前日にも、賢哉くんは抗議し、2人の教師と話し合っている。 そして、その夜、母親に「学校で大変なことが起きている」「盗難事件が起きている」と話し、母親が「そのことは、先生に言ったの?」と問うと、賢哉くんはそれ以上話さなかった。 そして、「(学校の体育の授業で)キーパーをしていたとき、何回も頭にボールをぶつけられた。わざとかなぁ」「誰かがいたずらしたようで、下駄箱の戸がうまく閉まらないんだ」と話した。 また、賢哉くん自殺した日(2006年7月4日)、一報を聞いて母親が警察にかけつけたとき、教頭は開口一番に「学校でのことを何か言っていませんでしたか?」と聞き、母親が「盗難のことでしょうか?」と問い返すと、口をつぐんでしまったという。 その日の両親と学校との話しあいの席でも、教頭は自ら手元のノート見ながら、賢哉くんが盗難を目撃したと言ってきたことを話し出したという。しかも、実際に盗難が発生しているにもかかわらず、当該生徒は「落ちていたブレザーを拾って席にかけただけかもしれない」と言い、「賢哉くんに危害が及ぶといけないから、加害者と目される生徒には話していません」と言った。杉原さんが聞いても、生徒の名前は頑として教えようとしなかった。 もし、賢哉くんが亡くなる前日に、2人の教師が同じように盗難の犯人をかばうような内容を賢哉くんに言ったとしたら。それも、強い口調で。そして、実際には加害生徒に「賢哉くんが目撃したと言っている」と情報源をリークしていたとしたら。 実際、他のいじめ事件でも、教師が深く考えもせず、誰がチクったか加害生徒にばらしてしまうことはよくある。結果、いじめを告発した生徒がターゲットにされる。被害生徒は、いじめ以上に教師への不信感に悩み、追いつめられる。 開智学園は進学校で、成績のよい生徒や親族に有力者がいる生徒、多額の寄付をした生徒などは優遇されていたという。かつ、賢哉くんが亡くなる前の年にも、当時中学3年生の生徒3人が、累犯を理由に退学処分となっていたはずが、あいまいなまま通学を続け、告発した生徒に対するいじめが公然と行われていたという。そして最終的に、告発者が退学し、一度は退学処分を言い渡された生徒らは有名私立大学付属高校に入学して円満に退校したという。(週刊金曜日 2008.7.11(710)号 「少年の死に向き合わない学校/森俊一氏 より)。 そして、賢哉くんは以前から、「成績のよい生徒は何をしてもいいのか」と言っていたという。 賢哉くんが自殺する前日に言っていた「大変なこと」。窃盗事件だけではないのではないか。 教師たちが、窃盗の事実を知りつつ、犯人が目をかけられている生徒の場合、なかったことにされ、目撃者が高圧的な態度で口を封じられたとしたら。 誰が教師に話したかまで相手に筒抜けになっていて、そのためにグループから報復をされた。そのことを教師に言っても相手にされなかったとしたら。 せっかく中学受験して入った中高一貫校で、これから先、何年も耐えなければならないと思ったら、絶望的になって自殺するのも無理ないのではないか。 学校・教師は、賢哉くんが教師の対応に不満をもっていたことを知っていた。それが、自殺するとまでは考えられずに、抗議の意味で不登校を始めた、あるいは当てつけに登校拒否をしていると考えたのではないだろうか。 教師が欠席確認をしなかったのは、家に電話をして親と話したとき、前日に何があったかがわかるとまずいと思ったからではないか。男の子はとくに学校であったことを親に語りたがらない。親は何も知らないかもしれない。藪をつつく真似はしたくないと思って、電話をしなかったとしたら。 もちろん、事実がどうだったかはわからない。あくまで推測だ。何しろ、学校側が何も調査をせず、情報も出さないので、遺族に知る術はない。そして、民事裁判では、原告側に立証責任がある。 学校の調査報告義務や説明責任が果たされないことが容認されるならば、知らせないほうが学校が訴えられる危険が少なくなってしまう。これから、ますます学校は、自分たちに不利なことは隠すようになるだろう。これがもし、企業の不祥事だとして、そんなことが許されていいのだろうか。ひとが死んでいるというのに、原因さえ調査しようとせず、あいまいにして。 そして、杉原さんは言う、中学3年生にもなって出欠の確認は必要ないというが、学校は家庭に朝、連絡することを義務付けている。社会人だって、朝、出勤してこなければ、自宅に電話を入れるのが普通ではないかと。 私もそう思う。 今回、調査や報告義務違反以上に杉原さんが、欠席確認にこだわったわけが今さらながら、少し理解できた気がした。 それでも、やはり親に知る権利さえきちんと認められていたら、争点はもっと別のものになっていただろうと思う。 なお、裁判長の房村精一氏、どこかで見た気がしていた。自分のサイトを検索して納得。服部太郎くんの控訴審のときの原告勝訴の判決を出した裁判長だった(me060927)。少し、期待してしまう。 |
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