わたしの雑記帳

2007/5/18 所沢高校井田将紀くん・自殺事件の裁判傍聴報告

2007年5月16日(水)、井田将紀くんの裁判が、さいたま地裁で行われた。急遽、504号法廷に変更になっていた。
裁判長は岩田眞氏、裁判官は瀬戸口壮夫氏、清水亜希氏。

証人尋問に誰を呼ぶかということが法廷では主に話し合われた。原告側は、当日、調べに当たった教師5人と、将紀くんの友人3人、原告である母親を証人申請した。
友人3人の内訳は、1人が近くで教師と将紀くんとのやりとりを見ていた。1人は後ろから見ていた。そしてもう1人は将紀くんと親しかった同級生。
事件前後のやりとりだけでなく、将紀くんのひととなりを話してもらうことで、教師らの取調べがなければ、将紀くんは自殺するはずがないということを立証していきたいと言う。

一方で、被告側で出してきたのは、5人の教師のうち、3人。テストを監督している最中にカンニングを見つけたという教師と、生活指導担当教師と、担任。
今回、裁判所に5人の教師の陳述書を提出した。裁判所はそれを読んでから、どの教師を呼ぶかを考えるという。

今回、原告側は母親の陳述書と友人らの陳述書、そして、2000年9月30日に、同じ埼玉県の中学校で、学校でお菓子を食べたことを指導された翌日、「たくさんバカなことをして もうたえきれません」「自爆だよ」などと書いた遺書を残して飛び降りて自殺した大貫陵平くん(中2)のお父さんの陳述書を提出したという。

次回の法廷(2007/7/4 さいたま地裁504号法廷)で、誰を証人として呼ぶかが話し合われる。
井田さんは裁判のあと、当時を振り返って言っていた。先生方は誰ひとりとして、悪気はなかったのだと思う。しかし、無意識に出た行動であるからこそ、怖いのだと。
おそらく、井田さんが裁判に訴えなければ、教師たちは自分たちの行動に何の疑問も抱かなかっただろう。自殺した子が原因をつくった。自殺した子が弱かった。自分たちは当然のことをしただけ。
教師たちが、無自覚に生徒を死へと追いつめる。教師は学校のなかでは強者であるということ。とくに問題のない子どもにとってほど、教師との力の差は激しい。それが5人もに長時間、囲まれ、叱られたら、どんなにかいたたまれないだろう。

もっともっと、教師には、生徒の立場にたってものごとを考えてほしい。
思春期はたとえ突っ張っている子どもであっても、内面は意外なほどデリケートだったりする。
大貫陵平くんの事件のとき、自分たちの学校でも起こりうることとして、教師たちが自覚をもって話し合っていたとしたら、対応の仕方は違っていたかもしれない。

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私は娘が小さい頃、本人が心から「しまった!」と思っているときには、きちんと言うことは言っても、追いつめないように気をつけていた。かわりに、本人が悪いと理解できていないとき、ごまかそうとしているときには、とことん叱った。ぶったこともある(今は後悔・・・)。

もうひとつ気をつけていたことがある。わが家は二世帯で夫の両親と暮らしている(義母は昨年暮れに亡くなった)。子どもはひとり。誰かひとりが叱ったら、同じことでほかの大人は叱らないようにしなければいけないと思ってやってきた。それがときには、義父母との感情の行き違いになることもあったが(自分たちが叱っているときに、母親が叱らないことが不満など)、子どもにとって、ひとつ悪いことをして、4人もの大人に叱られたらたまらないだろうなと思うからだ。
夫の両親と同居していなけば、娘はせいぜい母親と父親の2人に叱られるだけですむ。同居していることで、倍叱られたのでは割が合わない。

そして、きつく叱ったあとは、娘とのコミュニケーションに気をつけた。互いに感情を引きずらないように。ケロリとしていたら安心するが、落ち込んでいるときにはそれなりに言葉がけをした。
他の大人に怒られて落ち込んでいるときにも同様だった。
これらを、そう意識せずにやっていたと思う。

本来、気の置けないはずの親子でさえ気をつけなければいけないと思うことなのに、教育のプロである教師が、生徒に対して配慮が足りなかったのではないかと思う。
もし、日頃から教師と生徒の間に信頼関係があったらどうだろう。将紀くんの言うことを信じる教師が1人、2人いてもおかしくなかったと思う。
5人いたなら、家庭で父親が厳しく叱ったあとに、母親がそっとフォローを入れるように、誰かがフォローすべきだったと思う。「お前がそこまで言うなら、先生は信じるよ」「お前は自分の責任を回避するようなやつじゃないからな」と。「先生にだって思い込みはあるからな、あとで俺から言っとくよ。あまり落ち込むなよ」と。でなければ、せめて「気をつけて帰れよ」の一言でもいい、ポンと肩をたたいてやっていれば、あるいは、死なずにすんだかもしれない。

人の心を傷つけても平気なのは大人たちであり、命の大切さを知らないのも大人たちだと思う。
教師の叱責は、子どもにとって、ときには「心と体への暴力」になるということ。子ども同士なら多くは集団だが、教師であればたった一人でも、相手に脅威と無力感を与えることはたやすいということを自覚してほしい。

なお、2007年5月29日(火)午後2時より、長崎地裁401の大法廷で、2004年3月10日に教師叱責後自死した安達雄大くん(中2・14)の裁判の担任教師の証人尋問が行われる。



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