わたしの雑記帳

2005/1/19 小森香澄さんの裁判(2005/1/18)傍聴報告・担任教諭の尋問の続き。


2005年1月18日1時半から、横浜地裁101号法廷で、前回(2004/11/30 me041205 参照)に引き続き元担任教師の証人尋問が行われた(山本博裁判長)。
大法廷ということで、傍聴券の配布はなかった。新年最初の傍聴は、他の用事と重なったひとも多かったのか、いつも法廷で見る顔が今回は見られなかったりした。やや空席が目立つものの、寂しいというほどではない。

香澄さんの元担任N氏に対して、前回は「いかにも気の弱そうな」という印象をもったが、今回は座る位置の関係で表情がよく見えたためか、あるいは前回の証人尋問で自信をつけたのか、開き直ったふてぶてしさのようなものを感じた。時折、語気を強めたり、薄ら笑いを浮かべていた。
ある傍聴者の話では、N教諭は時折、被告代理人弁護士のほうをみては、目つき、表情、しぐさなどで、どう答えたらよいか指示を受けていたようだと言う。私が気が付いたのは、県代理人の女性弁護士が、今回はやけに表情豊かで、時折渋い顔をしたり、逆に「そうなのよね」と満足気な顔をしている様子だけだったが。

前回に続いて、原告代理人の関守弁護士からの尋問。
Q:あなたは、香澄さんが亡くなって数日後に、他の教師と2人で小森さん宅を訪れて、「いろいろ聞いていたのに、3人に指導していませんでした」と話したことを覚えているか?
A:(小森宅に)行ったことは覚えているが、話したことは覚えていない。

Q:陳述書に、香澄さんの周りには複数の相談できる友人もいた」とあるが、友人とは誰のことを指しているのか?
A:Bさん、Aさん、Cさん、Sさん、○○さん、ほか。

Q:5月16日に美登里さんと話したときに、トロンボーンパートの子が香澄さんにきつい言い方をするという話をしたのは覚えているか?
A:そんな話はなかった。

Q:香澄さんは5月の連休あけに3日間続けて休んでいるが、その理由について、話したりしなかったのか?
A:何も話していない。連休明けに体調不良で休むと連絡をもらっていた。授業中に「香澄さんが長く休んでいるがどうしたんだろう」と言ったところ、Sさんから「Xジャパンのヒデが死んでショックだったんだよ」と言われて、気にしなかった。

Q:香澄さんは5月12日は早退、13日、15日と休んでいる。家庭に連絡を入れようとは思わなかったのか?
A:気にしなかった。学年の出席状況をみてもらえばわかると思うが、他にも欠席する生徒はいたので、とくに考えなかった。

Q:のちにSさんが、「ヒデが原因かと思っていたら、Aさんにいろいろ言われていて、ショックで精神的にダメになった」と書いているが。
A:その時、私もはじめて知った。

Q:6月12日、香澄さんは午前中、病院に行っていた。あなたは午前中、葬式に行っていて、香澄さんを送ってきた美登里さんとは会っていないと前回、証言したが、職員室前の廊下で美登里さんと話して、そこにU教諭が通りかかって、U教諭も加わって一緒に話したのを覚えていないのか?
A:そんなことはなかった。

Q:6月16日の保護者面談の日に、母親の美登里さんが、「Bさん、Cさんとの間に上下関係ができる」と話したときに、それはどういう意味なのか確認したのか?
A:確認していない。香澄さんはトロンボーン初心者で、技術的についていくことが難しいことだと捉えた。

Q:Bさん、Cさんの話し方について話題になったのは、覚えているか?
A:よく覚えていない。
Q:N教諭がコンクールの抽選会で、くじの1番を引いてしまったことをBさん、Cさんに怒られたということだが、1番の何が問題なのか?
A:こうしたコンクールでは、1番の演奏状況を審査の基準にするので不利になる。また、1番だと緊張感があるので。
Q:それは2人一緒に言ったのか?
A:別々だった。文句を言ってきたのは他にもいる。2人だけが言ってきたわけではない。
Q:これはどういう意味で話したのか?何を説明するためにこのようなエピソードを話したのか?
A:お母さんが、「話し方がきついのよね」と話したから、Bさん、Cさんは誰に対してもはっきりした言い方をするという例として話した。保護者面談のときに、話題として話した。

Q:6月7日のアメフト応援の練習のとき、Bさん、Cさんと香澄さんとの間隔が開いていることを美登里さんが心配していた。全体練習のときはそんなことがなくとも、陰では香澄さんに対してきつい言い方をしていたのではないか?そういう可能性について考えなかったのか?香澄さんが亡くなったあとには考えたのか?
A:その時は考えなかった。香澄さんが亡くなったあとも考えていない。

Q:6月16日の面談で、美登里さんが、「Aさんが朝、迎えに来るのが香澄のプレッシャーになる」と話しているが、どういう意味か聞いたか?
A:意味は聞かなかった。確認しようとも思わなかった。Aさんが迎えにくると、朝練にいかなければならなくて、朝早いから、それが辛いのだろうと思った。もう高校生なのだから、別々に登校したほうがいいと言ったら、お母さんも納得されていたようだった。

Q:香澄さんに、朝練に出なくてもいいというアドバイスはしたのか?
A:していない。母親から聞いた話だったから、母親に言えばいいと思った。

Q:診断書が出たあと、指揮者のH氏に香澄さんのことを気を付けてほしいと言ったのは覚えているか?
A:音楽準備室のところで、香澄さんの体調がよくないので、注意してみてほしいと言ったことはよく覚えている。
Q:その時、H氏はなんと言ったか?
A:H氏からはとくになかった。
Q:H氏は、3年生が、香澄さんがトロンボーンパートの1年生からきつい言い方をされているとして相談してきたとN教諭に言ったとしているが、聞いていないのか?
A:聞いたか、聞いていないか、よく覚えていない。
Q:1年生のBさん、Cさんから、香澄さんがきついことを言われているとN教師に報告したとあるが。
A:聞いたことはない。

Q:香澄さんの授業中の様子について。美登里さんは、N教諭から「香澄さんは最近、ノートもとらないし、授業中、うわの空だ」と言われたというが。
A:面談の最後にちょっとだけ言った。うわの空だと言った覚えはない。一度、筆ペンでノートを取っていたので、鉛筆でとったらと話した。授業中の様子は、ふつうの子とそんなには変わらない。

Q:6月23日、病院でうつ状態の診断書を母親がもってきたとき、原因についてどのように説明していたのか?香澄さんは病院の先生にどのようなことを訴えていたのか聞いたか?
A:とくに説明はなかったし、自分から聞いてはいない。
Q:あなた自身は、うつの原因はなんだと思っていたのか?
A:保護者面談の内容から、香澄さんがトロンボーンの初心者で、技術的についていけないことがストレスになっているのではと思っていた。アトピーがひどくなったということも頭にあった。

Q:香澄さんが技術的についていけないことが原因だとなぜ思ったのか?
A:アメリカンフットボールの応援練習のときに、隣で吹いていた香澄さんをみて。トロンボーンは体格が大きいひとが適している。香澄さんは体が小さいから、手を伸ばすところが届かなかったりして、苦労している様子だったので。技術的についていけないと思った。
Q:H氏は香澄さんのトロンボーンの技術は上達していたと言っているが。
A:H氏からは聞いたことがない。香澄さんは初心者だが、上達していたことは認める。ただ、大変だなあと思った。練習のときに例をあげて話したことがある。経験上、トロンボーンの奏者に女性がいて、指が届かないけれどひもをつけて工夫して吹いていたことを話した。とにかく香澄さんは一生懸命、練習していた。

Q:うつ状態の診断書をみて、母親に「部活をゆっくり休まれたらどうですか」とアドバイスをしたのはなぜか?
A:体が大事だから、部活だけでなく、学校も休んだらと言った。T教諭も同じ考えを発言していた。
Q:休養をとるように、香澄さん本人にはアドバイスしたのか?
A:本人にはできなかった。香澄さんが学校を休んだり、保健室にいたり、期末試験にすぐなって、直接話す機会が7月19日までなかった。

Q:香澄さん本人に何が辛いか聞かなかったのかなぜか。技術的なことが問題であれば、休めばかえって技術差が開くのではないか?どういうフォローをすることを考えていたのか?
A:なぜ聞かなかったかはわからない。とにかく、体を治してからでてくればいいと思った。問題は元気になってから解決すればいいと思った。技術のほうは飽和してくるので、ある時期がくれば追いつく。3カ月くらいで追いつく。
Q:そういうことは香澄さんに話したのか。
A:話さなかった。その時はそこまで考えていなかった。体を治してほしいと思った。

Q:K養護教諭には相談、あるいは報告をしたのか。うつは自殺の危険性があるということは知っていると思うが。
A:K養護教諭に伝えていない。伝えることは考えなかった。専門医にかかっているということなので、しなかった。
Q:その専門医から、香澄さんの様子をきくなどはしたのか?
A:しなかった。今となっては、夏休みに入って、自分が元気な体だったらしていたと思う。自分自身が体調を崩して入院したりしていたので、できなかった。
Q:入院したのだったら、他の先生に引き継ぎをするとか、養護教諭に話すとか考えなかったのか?
A:しなかった。コンクールが終わったら、話ができると思ったので。

Q:学年指導や教頭、校長に報告・相談はしたのか?
A:生活担当の先生に、報告は成績会議のときにしてくれるよう頼んだ。7月15日の夜、電話をかけて、通知票と他の生徒のメモを病院から学校に持っていってもらった。
Q:副担任も部活の顧問だったが、打ち合わせをしたり、うつ状態の診断書は見せたりしたのか?
A:はっきり覚えていない。

Q:吹奏楽部顧問団に報告はしたか?
A:T教諭を通じてしたかもしれないが、自分からはしていない。
Q:「吹奏楽部顧問団の間では、全員で香澄さんの様子を注意深く見ていくよう申し合わせていました」とあるが、うつ状態の診断書のことは誰かに報告したのか?
A:6月13日に、診断書のことはT教諭が知っていた。ナイフ事件後は、T教諭か他の顧問に話をした。7月の成績会議のときに全職員に報告した。

Q:うつの診断書はたいへん重要なことはではなかったか?
A:重要は重要だが、他のひとに相談しようとは思わなかった。専門医にかかっているということだったので、そこから対応についての指示が来ると思っていた。

Q:診断書が出たあと、香澄さんに会う機会がなかったということだったが、電話をするとか、家庭訪問することもできたのではないか?
A:プレッシャーをかけてはいけないと思ったので話せなかった。休ませてあげるほうが優先だと思ったので、電話はしないほうがいいと思った。

Q:香澄さんをコンクールに出場させるかどうかをH氏と話し合ったことは?
A:はっきり覚えていない。

Q:陳述書に「美登里さんからクラス替えの話が出たが、なぜクラス替えで問題が解決できるか理解できなかった」とあるが、母親に尋ねなかったのか?
A:母親に尋ねていない。丁度その時、香澄さんが上がってきて、タイミングが悪かった。クラス替えをするときにはたいてい、そういうことに配慮する。実はたやすいことだったが、約束はできないと言った。

Q:6月24日にBさんと話しているが、それはなぜか?母親が、Bさんが香澄さんのことを仲間外れにしたと言うには、きっと何かあるのではないかと思ったからではないのか。
A:Bさんから、小森さんのお母さんが、自分たちが香澄さんのことを仲間外れにしていると言っていると聞いたがと言ってきた。
Q:Bさんは、そのことを誰から言われたのか?
A:それはわからない。

Q:アメフトの席順のことは母親の勘違いだと思ったとあるのは、なぜか?
A:Aさん、Bさん、その隣にOG、通路をはさんで私、香澄さんだった。座席はAさん、Bさんが決めたわけではなかった。

Q:「(香澄さんは)初心者なんだからよろしくね」とAさんに言っているが、きつい言い方をしないでねという意味ではないのか。
A:そういう意味ではない。
あとで聞いたか、その時だったか、いつというのがはっきりしなかったので、陳述書には書かなかったのだが、Bさんから、Bさん、Cさん、香澄さんの3人で話し合いをしたと聞いた。その話し合いの内容はわからないが、香澄さんは、「あなたたちのことじゃない」という言い方をしたという。
Bさんが、「香澄さんのお母さんが私たちのこと悪く言っていたんでしょ」と言って、仲間はずれにされていると母親がそう思っていることはわかった。

Q:7月9日に香澄さんと話したとき、突っ込んだ話をしなかったのはなぜか?
A:香澄さんは「部活ガンバルンだ」と前向きで明るい様子だったので、逆効果になると思い、言えなかった。意欲を示しているのに、なくさせてしまうと思った。「無理をしないようにね」と言った。

Q:うつの原因は何かよくわからなかったのなら、なぜ聞かなかったのか?
A:その前にBさんから、香澄さんが「あなたたちのことではない」と言ったと聞いていたので。また、医者にかかっているのだから、そこからみなわかると思った。

Q:香澄さんが「先生、顔色悪いけれど大丈夫?」と、やさしい気遣いを見せてくれているのに、あなたは香澄さんの悩みを聞いてあげなかったのか。母親や医者からも原因を聞かなかったのか。
A:聞いていない。

Q:先輩が、夏休み前に香澄さんはすごくやせて顔が変わったと言っているが。
A:7月13日から休んでいたので気が付かなかった。

Q:香澄さんが亡くなったあとの聞き取りについて。Bさんには学校で聞いたのか?
A:香澄さんが亡くなったショックでBさんは休んでいたので、I教諭と私とで家庭訪問をした。
Q:Bさんの作文には「その注意が小森さんにとっていじめられていると感じたのかもしれない」とあるが、どういう意味か尋ねたか?
A:尋ねた。「自分はそいう行動をとったと思っていない」「合奏中に寝ちゃだめだよと注意したことがあった」と話していた。他には覚えていない。
Q:「うつのせいで部活を休んでいると聞いたので」とあるが、誰から聞いたか確認したのか?
A:聞いたかどうか忘れた。
Q:その時にメモは取らなかったのか?そのメモはどこにあるのか。
A:メモはつくった。自分は持っていない。管理職に預けた。
Q:「Aさんとちょっとしたことがあって」とあるが、内容は確認したのか?
A:確認していない。

Q:平成13年10月に、県教委がXさんに事情を聞いたということは知っているか?
A:こと細かには聞いていないが、知っている。
Q:(文書を示して)事件直後にXさんに原因として聞いたことと、Xさんが教委に話したことの内容に違いはあるか?
A:違がわないと思う。


ここで、原告弁護団代表の栗山弁護士からいくつか補足質問。
Q:7月9日、香澄さんと話したときに、6月23日に診断書をみて、香澄さんの状態を把握しているのに、原因についてなぜ聞かなかったのか?
A:出てきてすぐに聞く気にならなかった。コンクールの話に流れてしまった。時間もなかった。
Q:学校でそのひまがなかったのなら、電話はしたのか?
A:しなかった。7月9日には香澄さんは元気な様子で、連絡するとプレッシャーになると思い、遠慮した。
Q:陳述書には、香澄さんと打ち解けて話ができる関係だったとあるが。
A:元気だった香澄さんにとって逆効果だと思ったし、素人の私が尋ねるより、医者がしたほうがいいと思った。
Q:そのような状況だったから、医者にきくとか、保護者にきくとかするのがふつうではないのか?
A:大きなコンクールが終わったあとあたりにしようと思った。
Q:なぜ、コンクールが終わったあとなのか?
A:わからない。なんとなく感じていただけで、明確に思っていたわけではない。それ以前でも、話ができる状態だったら聞いていた。
Q:聞けるとき、タイミングとはいつのことを指すのか?
A:保護者や医者から様子があったとき。早く聞こうとは思っていた。だが、その時は聞ける様子ではなかった。


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ここから、Aさんの代理人弁護士の質問。

Q:美登里さんから6月16日の保護者会の面談のときに相談があった、朝練のときにAさんが通学路の通り道にある香澄さんの家に寄って登校することがプレッシャーになるというのは、毎朝早く起きなければならないことが香澄さんのプレッシャーになるということだと思うか?
A:ふつう、そうとしか考えようがない。

Q:美登里さんの話から、香澄さんがAさんのことが嫌いだからとか、ひどいことをされたからというニュアンスは感じられたか?
A:全く感じられなかった。
Q:香澄さん本人からAさんについて相談はあったか?
A:なかった。
Q:6月15日に、Aさんの母親からも相談を受けていたのではないか。Aさんが、毎朝、香澄さんを迎えにいくことをプレッシャーになると感じていると。
A:香澄さんを迎えにいってもいつも出てきてくれなくて、朝練に行くのが遅くなるということだった。もう高校生なのだから、別々に通ったらというと納得した。
Q:6月16日以降、一緒に登校する件の相談はあったか?
A:一切、相談はなかった。
Q:Aさんにとって、自分が嫌われていることを知っていて、わざわざ迎えに行くということはあり得るか?
A:あり得ない。ふつう、そんな人はいない。

Q:2人の仲はどうみえたか?
A:いつも一緒だった。とても仲良くしゃべっていた。
Q:上下関係がある様子だったか?
A:対等な関係だった。
Q:香澄さんが中学時代からAさんを嫌いだったというふうに見えたか?
A:見えなかった。
Q:逆に、Aさんが香澄さんのことを嫌っているように見えたか?
A:見えなかった。
Q:それぞれどんな生徒だったか?
A:香澄さんは明るい生徒だった。Aさんはまじめで、自分の意見をはっきり言う生徒。いつも文庫本を読んでいた。勉強はしっかりする。口調は落ちついていてはっきりと言う。2人は仲がよいので、Aさんが香澄さんの助けになってくれればと期待したほどだった。

Q:香澄さんがうつ状態であることを他の生徒には話したのか?
A:話したことはない。他の生徒も知っている様子はなかった。
Q:あなたは、香澄さんが部活や学校を休んで体調を整えたほうがよいと考えていた。コンクールも参加しないほうがいいと考えていた。母親の美登里さんはどうしたいと思っているようだったか?
A:コンクールの話となったとき、参加させないという話はしなかったから、参加させたいのかと思った。

Q:6月23日に香澄さんと美登里さんが、中学校のT石先生を沈めてやりたいと言っていたというが、注意したりたしなめたりせず、一緒になって言う親をどう思ったか?
A:びっくりした。母親に危惧感を感じた。

Q:香澄さんの友人関係についても、美登里さんが嫌っていて、いじめられていると思い込んだのではないか?
A:Aさんに事情をきいて、仲間はずれではないことがわかった。アメフトのときにも仲間外れではないことはわかっていた。また、危篤の病院で、Dさんを呼んだらどうかと美登里さんに言ったら、「Dさんのこと、嫌いなんだよね」と言っていた。
Q:Dさんが嫌われれるような根拠はあるのか?
A:Dさんは香澄さんと中学校が同じで、クラスも同じ、友だちグループ。Dさんも香澄さんのことをとても心配していた。しかし、「嫌いなんだよね」と言って呼ばなかった。

Q:香澄さんが亡くなったあとの調査で、Aさんが友だちに嫌なことを言っているのを見た生徒はいるか?
A:いない。Aさんの名前は、自殺のあと、はじめて美登里さんから「わかりました。3人でした」と言われた。Bさん、Cさんは思い浮かべたが、Aさんが出てくるとは思いもしなかった。

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Bさんの代理人弁護士からの尋問。

Q:美登里さんは吹奏楽部の役員をやっていたのか。何人くらいが役員になるのか。
A:詳しくはわからない。父母会のなかで選ばれた6、7人のなかの1人。
Q:役員の立場で香澄さんに部活に出席してほしいと思ったということはあるか。
A:美登里さんの態度からも感じた。

Q:アメフトのときの席順を決めたのは誰か?
A:3年生の係り。最終的に指揮者のH氏にみてもらう。
Q:Bさん、Cさんが離れていることを香澄さんはどう思っていたのか?
A:わからない。
Q:美登里さんが、自分の子どもが仲間はずれにされているということを誰から聞いたのか?
A:父母会の○○さんやBさんの母親から聞いた。だいぶたってから聞いた。亡くなったあと、○○さんのお母さんから聞いた。

Q:自分の子が仲間はずれにされているという母親をどう思ったか?
A:そう感じとった美登里さんに少し危惧を感じた。生徒同士の人間関係を勘違いしてしまうのかなと思った。私はそう受け取ることのほうがおかしいと思った。

Q:母親に香澄さんがいじめられているという先入観があったのではないか?
A:そう思う。
Q:Bさん、Cさんが香澄さんをいじめている現場を見たことは?担当教員から具体的に聞いたことは?
A:ない。
Q:うつの生徒をみたことは?
A:以前にある。
Q:思春期のこの時代、家庭内のことが大きなウェートをしめることはあなたも知っていると思う。心の病気のことは大ぴらには言えなかったのではないか。家族に聞くことも憚られたのではないか?医者にも家族の了承なしに聞くことはできなかったのではないか?
A:その通りだ。

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ここからCさんの代理人弁護士の質問

Q:さきほど、Bさん、Cさんと3人で話し合い、「あなたたちのことではない」と香澄さんが答えたということだったが、もう少し詳しい内容を話してほしい。
A:詳しいことはわからない。ただ3人は広場で話し合いをしたらしい。母親に言われて、話し合いをしたのかなあと思ったが、わからなかった。
Q:仲間はずれじゃないのに、仲間はずれだと言われて、「あなたたちのことではない」と答えたということじゃないのか。
A:詳しいことはわからない。

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栗山弁護士から再度補足質問
Q:Bさん、Cさんははっきりしたものいいをするということだったが、うつの香澄さんが傷つくということは考えなかったのか。これ以上、傷つかないようにする、より悪くならないように何か生徒に配慮はしたか?うつと言わなくとも、言い方があったのではないか?
A:私はない。

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裁判官(向かって右側)からの質問
Q:部活動はふだんは服装は自由だったのか?
A:自由だった。コンクールのときだけはちゃんとしようと、ロングスカートに、もちろんノーメイク、持ち物も派手にしないように申し合わせていた。
Q:当日の香澄さんの服装はどうだったのか?
A:コンクールに行けなかったのでわからない。
Q:香澄さんがPHSでとった会話の内容はコンクールのことではないかと思うのか?
A:テープのことは最近聞いた。H指揮者も管理職も大した内容ではないと言っていた。内容も口調もわからなかった。前後関係からコンクールのことではないかと思った。

Q:うつの診断書をみて、もしあなたが入院していなかったとしたら、どのような対応をしたかと思うか。
A:家庭と連絡をとりあっていたと思う。家庭からはあとから来るとは思っていたが。医療関係者と連絡をしていた。夏休み中に家庭訪問をしていたと思う。

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ここまでの終了が3時半。2時間ぶっ通しだった。
その後、裁判長から、和解の可能性はあるかと原告側に打診があった。
栗山弁護士は、それは私たちより、県側の問題ではないかと言った。こちらはいつでも、話し合いの余地はあるとも。ただ、裁判官の「重要な証人は出揃ったので」との発言に対しては、まだT教諭が残っていること。T教諭は吹奏楽部の責任者であり、香澄さんから直接、話を聞いている重要な証人であることが主張された。
裁判官からは、「元生徒らの証人尋問を望むか」の問いかけに対して、少し躊躇しながらも、「望む」と答えた。

数分間、法廷外で3人の裁判官が合議のうえで、次回、T教諭を法廷で尋問することになった。
次回は、3月15日(火)、同じく横浜地裁101号法廷で、10時から12時までの予定。

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今回の尋問で、被告弁護団側の意図がよりはっきりしてきた。
いじめはなかったのに、被害妄想の母親が、ひとりで娘がいじめられていると騒ぎ立てて、結果、香澄さんは死に追い込まれたというシナリオ。
しかし、それが事実なら、亡くなるその日に、香澄さん本人からいじめの相談を受けた、そしてにもかかわらず助けられなかったと言って自分を責めているSさんのことはどうなるのだろう。
PHSに残された、きつい言葉と、それを録音したときの香澄さんの喜び、H氏の自宅にまで押しかけて、それを聞かせた香澄さん自身の行動は何を意味するのだろう。
香澄さんのことを心配して相談しにきた3年生の存在はどうなるのだろう。

そして、いじめは教師の見ていないとこで行われる。まして、小学生のいじめではない。高校生。女子。
それを目の前で見ていないのだから、いじめはなかったという。いじめが社会問題になってからすでに20年以上は経過しているというのに、まだそんなことを言っている。
いじめられている人間が、いじめている生徒2人に、学校の外で詰問されて、「あなたたちのしていることはいじめだ」と言えるはずがない。教師の前でもきっと、いじめの被害者本人でさえ、「あれはいじめではなかった」と言うだろう。報復されることの怖さを子どもたちは一番よく知っている。そして、大人たちが頼りにならないことも。本人が「いじめはなかった」と言ってでさえ、いじめがなかったことの証にはならない。しかも、香澄さんは「いじめはなかった」と言ったのではない。「あなたたちのことではない」と言ったのだ。
いじめられていることを否定していない。


仲良しグループ内のいじめが多いことは前々回(me041128)も書いたと思う。いじめられている側も、いろんなつながりがある限り、そこから抜け出せない。これ以上、ひどい目にあわないためには、気にしないふりをする。笑いながら一緒に行動している。鹿川くんも、大河内くんもそうだった。特に女子は、仲良しグループのなかで、ひとりをターゲットにして楽しむ。交換日記のなかで、ひとりだけイジメ倒すなどということをする。本来は、仲良し同志が、もっと絆を深めあうために行う交換日記を道具として使う。メールもしかり。いじめるほど仲が悪いなら、メールの交換などしなければよいと思うが、わざわざ嫌がらせメールを送る。側で、相手が傷つくのを見て楽しむのだ。がまんするのを楽しむ、泣くの見て笑うのだ。知らない相手、見えない相手に嫌がらせをするより、直接、反応がある分、刺激的でストレス解消にもなるのだろう。必ずしも相手がきらいだからいじめるわけではなく、いじめることが楽しくてストレス解消になるからこそ、学校の時間だけでなく、わざわざ放課後、日祭日まで呼びだしていじめるのだ。放ってはおかない。いじめられているほうは距離をとりたがるが、いじめる側はむしろ、距離を詰めたがる。だからこそ、短期間でも追い込まれてしまう。

シナリオをつくるために、いくつものウソが重ねられている。そのことが子を亡くした親をさらに深く傷つけている。会ったのに会わない。何度も何度も訴えたのに聞いていない。見せたものも見ていない。そして、言っていないことは言ったと言われる。それでも、今回の被告弁護士たちの攻撃に、美登里さんは裁判後もとても冷静だった。笑っていられる、その強さに私は感嘆した。しかし、考えてみれば、美登里さんにとって、自分自身が攻撃されることは、それがどんなにひどい内容であったとしても、大したことではないのかもしれない。今までもずっと、いろいろな活動のなかでそうだった。彼女が耐え難いのは、娘が、香澄さんが攻撃され、貶められること。同じように苦しんでいる子どもたちが攻撃されることだけなのだ。

香澄さんと美登里さんが一緒になって、中学校のときのT石教諭を沈めたいと言ったという。この言葉はバラバラにひとり歩きして、担任は、香澄さんと美登里さんが言ったという。K養護教諭は香澄さんが保健室で、「お母さんとT石教諭を沈めたい」と言ったという。T教諭は、電話で美登里さんに、香澄さんが「T石教諭とAさんを沈めたい」と言っていたと話したという。

私自身は、美登里さんが香澄さんと一緒になってT石教諭を沈めたいと言ったとしても、何の問題もないと思っている。子どもが深く傷つけられたら、親なら当然、子どもの気持ちに寄り添ってそう言うだろう。むしろそこで、一般常識的に、「先生に対してそんなことを言うものではない」とたしなめたりしたら、子どもはきっと、「お母さんは自分の気持ちなどちっともわかろうとしない」と思うだろう。
その話を美登里さんにすると、「あなたも私がそう言ったと思うでしょ。でも、私、一言もそんなことを言ってないんだよ」と言う。その言葉をはじめて聞いたのは、T教諭からの電話。香澄さんにいろいろ話をきくなかで、そんな言葉が出てきたという。そして、美登里さんは養護教諭を信じて、香澄さんが亡くなったあとも、逐一報告していた。

担任が言ったDさんのことも、言っていないという。たしかに、Dさんは中学校が一緒で、そのときからAさんと一緒に香澄さんはいじめられていた。だから、呼ぼうとは思わなかったけれど、そのことをN教諭が知ったとしたら、もっとあとのことだと思うと言った。

そして今回、とくに、Bさんの代理人弁護士からの尋問は完全に誘導だった。ペンが追いつかず、正確に書き取ることができなかったので、ほとんど割愛しているが、実際にはもっとかなりひどいものだった。
美登里さんの本人尋問のときには、それほど攻撃をしかけてこなかったと思ったら、証言が終わって、法廷ではもう反論ができないなかで、様々な攻撃をしかけてきた。
あまりの言いように、さすがに裁判官も不快感を顔に表していた(と私には見えた)。そして、それに担任は乗った。わが意を得たりとばかり勢いづいて、そうだ、そうだと頷いた。法廷を笑顔で去っていったという目撃もある。

どういう理由であれ、教え子が死んだのだ。たった15年の命を自ら断たなければならないほど、追いつめられたのだ。その痛みを感じていないのだろうか。周囲の子どもたちが、香澄さんのことを心配していた。上級生までもが、やせて別人のようだったと。担任は、何とも思わなかったのだろうか。香澄さんのために何かしようとは思わなかったのだろうか。ただ、専門医に任せているのだから、自分たちにできることはないと何もしなかった。積極的に情報を得ようとした形跡さえ見られない。一方で、香澄さんは、自分がそんな状態にかかわらず、その担任の体調までを気遣っている。

子どもがいじめられていると直感的に感じた親は、その直感を信じるべきだ。それが唯一、いじめを親に打ち明けられない子どもを救う方法であると私は思う。
何もなかったとしても、愛情が子どもに伝わればいい。何かあったときには、この親なら言ってもいいと思ってくれるかもしれない。
そして、子どものいじめを増長させるのは、被害者を追い込むのは、小さなサインをみながら、いじめがあるはずがない、あの子がいじめるはずがないという大人たちの思いこみ。それも、子どもたちのためではなく、自分にとって煩わしいことは見たくない、聞きたくないという保身。

担任はせめて、美登里さんに相談されたときに、何もできないなら「できない」と言ったほうがまだ救われていた。こんな担任はあてにせず、別の方法を考えるだろう。しかし、「わかりました」と頷いてくれれば、期待してしまう。担任がひとりで背負い込まず、せめて、ほかの教員を巻き込んでいたらと思う。そうできる条件はあった。部活の顧問団は何人もいた。本人は体調を崩して入院していた。誰かに頼んでもおかしくはなかった。しかし、連携をとることはなかった。

いじめていた生徒が、この担任のもとに固まっていたということも災いした。いや、この担任のもとだからこそ、いじめたいイライラが生徒たちに募ったとも考えられる。
少なくとも、香澄さんだけでなく、加害生徒をも傷つけたのは担任であると私は思う。いじめを止められていたら、みんながみんな、これほど傷つくことはなかったはずだ。精一杯やったけれど防げなかった。そういうことはあるかもしれない。しかし、この担任から努力のあとは、カケラも感じ取れなかった。
N教師は、まだ教員を続けている。何の反省もなく、これからも生徒の心と命を預かっていいのだろうか。





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