2004/11/28 | 小森香澄さん(2004/11/16)傍聴報告。部活嘱託指導員と養護教諭の証人尋問 (2004/11/30一部訂正) |
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10分ほどの休憩をはさんで、3時からK養護教諭(女性)の証人尋問だった。 香澄さんが、よく話を聞いてくれると言って信頼していたこともあり、小森さんは最後までこの養護教諭を信頼して、香澄さんの自殺後も、いろんなことを打ち明けていた。裁判中にも、あの先生とは敵対したくない、責めるようなことはしたくないとずっと言っていた。それが逆に裁判の陳述書のなかでは、K養護教諭のほうから、美登里さんのことを「信じられない」人間と書いてきていた。ショックを受けていた。 K養護教諭は、被告側が申請した証人ということで、神奈川県の代理人弁護士から先に尋問をはじめた。 昭和61年(1986年)4月から養護教諭として働いている。平成2年(1990年)4月から13年間、野庭高校で養護教諭として勤務。 保健室の利用状況が証拠提出されている。保健室を利用した生徒名、症状などが書いてある。年度ごとにつくっているK教諭自筆のもの。 保健室には、体調不良以外に精神的なことで相談したいことがある生徒が寄る。香澄さんの代の1年生は、いつもより保健室の利用が多かった。例年の2倍以上あったという。 4月に入って間もなく、香澄さんが保健室を訪れ、友人が拒食症なのだけれどどうしたらいいかと相談にきた。ただし、本人のことではなく、友だちのことを相談にきたので、ノートに記載はない。 香澄さんは頭痛、腹痛、気分不良などで、保健室をよく利用していた。もっと多い子もいたが、多いほうだった。 香澄さんはひとりで来るより、Aさんなど友だちと連れだってくることが多かった。Aさんや、Kさんや○○さん。腹痛や頭痛を訴えていたが、わりと明るくおしゃべりをしていた。 5月12日、5月の連休明けに、アトピーが出てかゆいと、休み時間に来た。 アトピーはストレスや疲労で悪化すること、医者に相談するといいと話した。精神的な悩みがあると話したことはない。 「何かいやなことはない?」と聞いたが、「何もないよ」と明るく答えていた。Aさんと一緒に来ることが多かった。 5月26日にも香澄さんがAさんと一緒に来た。Kさんがたまたま体調を悪くしてベッドで休んでいた。 香澄さんはAさんとふつうにおしゃべりをしながら、ずっと1時間も手を洗っていた。 香澄さんは「何度洗ってもきれいにならない」と言って、洗い続けていた。香澄さんは助けを求めることはなかった。Aさんに反応はなかった。ふつうにおしゃべりしていた。一般的には、手を洗い続けるのは洗浄脅迫症候群と言う。手を洗い続ける洗浄脅迫ではないかと思った。 6月に香澄さんは体調不良が続いた。香澄さんのPHSにお母さんから電話があって、相談センターの予約がとれたということだった。頭痛や腹痛を訴えていたので、内科かと思っていたが、お母さんも香澄さんが精神的な悩みがあると思っているのかなと思った。香澄さんは友だちとも明るく話していた。 相談センターの予約のあと、自律神経失調症と言われたということで、クリニックから薬を出されたと聞いた。「うつ」とは聞いていない。 お母さんとは保健室で4回ほど話をした。突然、約束もなしできた。 1回目は6月10日。お母さんは香澄さんの体調不良の原因がわかっていない様子だった。 2回目は6月23日。お母さんは、香澄さんがなんでこうなったかわかった、Aさんが原因だと言った。 Aさんが香澄さんに対して、強い口調で話したり、時にはたたいたりする。すぐにでもクラス替えをしてほしいが、無理なら学年末には必ずしてほしいとっ言った。しかし、N先生には、今はクラス替えはできないと言われたという。必ず2年生になるときにはクラス替えがあり、友人関係にも配慮するので大丈夫と話した。 お母さんのクラス替え要望の理由はAさんのことを思っていたのだろうと思う。Bさん、Cさんの2人の名前は出ていない。クラス替えについて、香澄さんの希望は聞いていない。 また、お母さんは、「母親にも原因がある」と言われたと話した。家に帰って、「お母さんのどこがいけないの?」と聞くと、香澄さんは「今からお母さんが変わるわけがないから、私があわせていく」と言ったという。 お母さんは、Aさんのことをそんなふうに言ったが、ふだんの香澄さんとAさんを見ていると、そういうことが信じられなかった。2人の様子をみていこうと思った。 Aさんや香澄さんに話を聞くことは考えなかった。話を聞くことが傷つけることになることも考えられるので、聞かなかった。 仲のよさそうな様子は変わらなかった。何度か香澄さんに「いやなことはない?」と聞いたが、とくに返事はなかった。 7月18日の終業式の日、お母さんと面談した。N先生にも話してきたと聞いた。診断書のコピーを提出してきたということだった。自分は内容を見ていない。相談センターの話のみだった。診断書のコピーは香澄さんが自殺したあとに見た。母親から、Aさんについての要望はなかった。 3回目は6月末か7月初め。青少年相談センターの帰りにシーパラダイスに行ってきたと聞いた。 母親は3回目(7/6)のとき、保健室でAさんを香澄さんの側に近づけないようにとお願いしたと言っているらしいが、そのようなことは聞いていない。もしあったとしても、2人で保健室に来たら、できない。 4回目は、7月10日頃。日にちは正確ではない。香澄さんが母親に向かって、「あんたが悪いんだ」と言ったという。理由は聞いていない。 香澄さんは学校に行かないで、中学校時代の友人の友だちの家に泊まっていると聞いた。「香澄が私に会いたがらないので、友人の母親を介して着替えを渡している」ということだった。 それから、8時半までに、登校するかどうかを学校に連絡しなければいけないか、確認することでプレッシャーを与えてしまうと言われた。8時半までにこだわらなくても連絡を入れれば、それでいいのではないかと答えた。 授業を3時間以上欠席すると、部活動に出られない決まりがあるが、出てはいけないでしょうかと相談されて、香澄さんが出たいというのなら部活に出てかまわないと答えた。 そのことは、顧問とは相談していない。学校に来られなくても、せめて部活動だけでも来られるなら、それがきっかけに学校に来られるようになればと思った。 母親が香澄さんの学校の支度を手伝っていると聞いた。行こうとするとできないので、靴下をはかせたり、ワイシャツを着せてあげていると聞いた。過干渉だと感じた。 しかし、過干渉ではないかと言えなかった。助言はしなかった。 お母さんの話がどこまで真実かわからなくなった。 私が見ている限り、Aさんと香澄さんの仲が悪いとは見られなかった。 AさんはHさんのことが好きで、香澄さんがHさんに声をかけるのがいやで、わざと出させないようにしているのではないかと言われた。それは考えすぎだろうと思った。 BさんやCさんのことが話題になったことはなかった。母親から2人の話を直接聞いたことはなかった。 7月27日に病院ではじめて聞いた。 お母さんからメンタルクリニックの話を聞いた記憶はない。 4回目の母親の話がなんとなくへんだったので、T井先生に話した。香澄さんが登校してきたら、話を聞こうということになった。 7月2日に期末試験があり、香澄さんは保健室で受験した。そのときに香澄さんと話をした記憶はない。それから18日まで、香澄さんが来たことはなかった。 7月18日、終業式のあと、N先生が休みだったので、T井教諭と香澄さんの話を聞いた。7月15日に香澄さんがカッターナイフをかざしたことを知った。 香澄さんからAさんのことを直接聞いた。中学校の時の部活の顧問と母親を水に沈めたいと言った。自分の前から消してしまいたいという意味だと思った。 Aさんのことは記憶にない。Bさん、Cさんのことは全く出てこなかった。 Aさんに事実関係を確かめるとか、香澄さんの言うことを聞くことはしなかった。掘り下げて聞くことも、助言もしなかった。 香澄さんの言い方が気になったが、T教諭と様子をみていこうということになった。この日には自殺の兆候はまるで感じられなかった。Bさん、Cさんの名前は、香澄さんや母親から一度もでなかった。 香澄さんが亡くなったあと、教頭、校長など管理職に話を聞かれて、経過を説明した。 生徒への面接には関与していないのでわからない。 N先生とは相談したことはない。 ********** ここから反対尋問 Q:8月12日に、教頭に話した内容は? A:当時のメモではなく、記憶に基づいて話した。 Q:何か医学的な資格はあるのか? A:看護士の資格をもっている。 Q:自殺やいじめ問題について勉強したことはあるか? A:まったく勉強したことはない。一般的な勉強はしたことがある。 Q:今まで、自殺するケースにかかわったことは? A:ない。 Q:いじめを受けている、困っているという形で、相談を受けて関わったことは? A:ない。友だちとのけんかや友だちと関係が悪くなったという相談はあったが、いじめということでの相談はなかった。 Q:生徒がいじめられていると気づいたことは? A:ない。 Q:いじめを受けている生徒がいたら、どう対処するのがいいと思うか? A:担任や他の教員と話し合いをして、親子してどのように対処したらいいか話し合うのがいい。 Q:平成8年に文科省から「いじめ問題の根絶に向けて」という通達が出されているが、内容を知っているか? A:知らない。見たことがない。 Q:香澄さんが保健室を訪れたときの様子について A:5月の連休前、1回か2回、香澄さんが中学校の友人が食事をできなくなったのだが、どうしたらいいかと相談に来た。 連休あけには、顔や腕がかゆいと言ってきた。病院に行ったほうがいいと言った。アトピー性皮膚炎はストレスがあると悪化しやすいので、何かストレスがあるのかなと考えた。しかし、香澄さんに聞いても「ないよ」という返事だったので、それ以上深くは聞かなかった。 5月には保健室に、頭痛、腹痛、アトピーで来ていたので、ストレスがあるんだなと思っていた。 5月26日頃だと思うが、香澄さんが1時間以上、手を洗っていた。保健室でそういう生徒をはじめて見た。ストレスがあるんだなと思った。お母さんに「家でも見たことがありますか?」と聞くと、「見たことがない」という返事だった。それ以降は見たことがなかったので、一時的なものだと感じていた。 香澄さんは、Aさんと話をしながら、「何度洗っても落ちないんだ」と言ってずっと手を洗い続けていた。Aさんは普通どおりに話していた。 そのことについては、自分から母親に電話をしたのではなく、母親が来たときに話をした。早急に話すことでもない、様子を見ようと思っていた。 6月1日、香澄さんが「ぜん息がでるので、体育に出たくない」と言った。ぜん息は、持病や季節、精神的なものでもなる。担任教師には、生徒が保健室を利用したと報告することもある。教師から質問することもある。N教諭から質問があったかどうかははっきりとした記憶はない。 6月10日頃、体調が悪いというので、病院に行くことを勧めた。体調がよくならなかったので、「医者に診てもらったほうがいい」と言うと、香澄さんは「私もそう思う」と言った。 精神的な悩みはないか聞いたが、「何もいやなことはない」という返事だった。 香澄さんが母親にPHSで電話した。 Q:電話しているときの様子について、母親との仲が悪いように見えたか? A:ふつうに見えた。仲が悪いとは思わなかった。 母親から「青少年相談センターの予約がとれたよ」と連絡が入った。様子をみることにした。他の教師にそのことは話していない。 6月に香澄さんは5回、保健室に来ている。友だちと来て話していたので、その場では聞けなかった。 6月12日に、母親が来て、精神的な悩みがあるようだと話した。「香澄がどうしてこのようになってしまったかわからない」と言った。アドバイスはしていない。アドバイスできるほどわかっていなかった。 6月23日、お母さんがメンタルクリニックに行った日に来て、「原因がわかった」と言った。母親は「Aさんが近づくと、香澄の具合がわるくなる」と言った。心因反応、うつ状態ということだったが、詳しいことは聞いていない。注意しなければいけないと思った。 Aさんが原因ということだったが、にわかには信じられなかった。 Q:美登里さんがウソをついていると思った? A:そういうわけではないが、保健室で見ていると、そういう関係には見えなかった。 Q:教師同士で情報の共有はしたのか? A:お母さんがN先生にも話したと言ったので、自分からは言わなかった。相談センターやメンタルクリニックに通っても、言わないのでわからない。情報の共有はなかった。 7月10日、母親が八景島パラダイスに帰りに寄った。香澄さんは、Aさんのことを泣きながら話したという。 Q:そのことは陳述書に書いていないのはなぜか? A:書き忘れたのかもしれない。 3回目の面談のとき、 Q:美登里さんが香澄さんに制服を着せてあげるということだったが、それは1回だけなのか、複数回なのか? A:確認していないので、わからない。 Q:制服のエピソードは教頭の話のなかにはなかったが、陳述書で突然、出てきたのは何故か。母親のことを過干渉だと思っていたのなら重要なエピソードではなかったのか。 A:忘れていて話していない。あとでいろいろ思い出した。しかし、変だなと、とてもよく覚えている。 7月10日、香澄さんが母親に会いたがらないので、友人のところに泊まりにいっていると聞いた。また、相談センターで、香澄さんが母親のことが原因だと言っていたということだった。 Q:親が原因なら、そのことを伝えなければ対応ができないのではないか?何かアドバイスはしたのか? A:何かあるかもしれないとは思ったが、確信がもてなかった。 ********** 原告、被告代理人とも、尋問は5時までと聞いていたが、裁判長は4時半までだと言う。次の予定が入っているということで、結局、K養護教諭の尋問の残り(原告からの反対尋問の続きと、生徒の代理人からの尋問)は次回に持ち越されることになった。 次回(11月30日・火)は10時から12時まで、横浜地裁503号法廷にて。 担任で部活顧問のN教諭の証人尋問も予定されている。 来年(2005年)は、1月18日(水)1時半から3時。次回に終わりきらないであろうN教諭の尋問の続きの予定。 ************ 今回のK養護教諭の尋問で、いじめに関する専門的な知識を有していると思っていた養護教諭が、いじめの研修を受けたことがなく、いじめに関する大事な通達を知らず、養護教諭としての勤続20年間に一度もいじめの相談を受けたことがないということに非常に驚いた。 今のいじめがはじまったのは1980年頃だと、私は思っている。いじめがどこの学校でもまん延するなかで、保健室は子どもたちの心の居場所としても機能してきたのではなかったのか?担任に話せないことも、教科や評価と関係のない養護教諭になら話せる、のではなかったのか? 生徒たちから信頼されていなかったのか。あるいは、いじめの相談を受けても、それをいじめとは認識せず、友だち間のトラブル、けんかとしか捉えていなかったのではないだろうか。 今のいじめの大きな特徴として、一見仲良く見えるグループ内、かつては仲のよかった友だちからいじめられるということがある。鹿川裕史くんにしても、大河内清輝くんにしても、伊藤準くんにしても、みんな仲間からいじめを受けている。休み時間や放課後、休日まで一緒に行動することを強要されている。 香澄さんの母親から、Aさんが原因ではと言われても、いつも一緒にいるのだから、信じられないとする。 保健室で香澄さんが1時間も手を洗い続けたのは、Aさんと一緒にいたくなかったからではなかったか。 美登里さんは、香澄さんの洋服を着せたことはないという。まして、靴下をはかせるなど。ただ、香澄さんが、朝、登校しようとすると具合が悪くなって起きられないような状況になったときに、1回だけブラウスをはおらせた。そのことを前後の状況を説明するなかでK養護教諭に話した。そのことが、まるで過保護に毎日のように、高校生の娘の着替えを手伝う異常に過保護な母親像として、出されている。 香澄さんが友人宅に泊まりにいったのも、たかが1泊か2泊。すぐに戻っている。 思春期に娘が母親に反発するのはごく自然な成長過程だと思う。 とくに、自分が様々なトラブルを抱えて悩み、苦しんでいるとき、小学生なら全面的に母親に頼ってくるかもしれない。しかし、高校生ともなれば、頼りたいけれど、自分で解決したい。心配されれば頼りたくもなる。心配もされたくないという思いの間で揺れていたのではないか。母親に対する信頼があるからこそ、甘えも出る、八つ当たりもでる。 そして、そういう反応が出やすいのは、希望の高校に入学して、あこがれの吹奏楽部に入った直後より、受験期のイライラのなかのほうが起きやすいのではないか。 もし、本当に母親が原因なら、「やさしい心が一番大切だよ。それを持っていないあの子たちのほうがかわいそう」と亡くなる4日前に母親に言うだろうか。 不登校になるよりむしろ、家にいたくなくて学校に行くのではないか。大好きな部活に打ち込むのではないか。 朝、学校に行こうとしても足が動かなくなるというのは、あきらかに学校に恐怖があるからだろう。 香澄さんが保健室にたびたびきたのは、Aさん、Bさん、Cさんのいる教室にいたくなかったからではないか。 ほんとうAさんと離れたかったのに、はっきり「嫌だ」と言えなかった。離れるために保健室に行っても、ついてこられてしまう苦痛。仲がよいと養護教諭にまで勘違いされてしまう苦痛があったのではないか。 いじめは隠される。表面的なことに惑わされず、子どもたちの小さなSOSに気が付いてほしい。 そして、養護教諭なら、心の傷がどういうものか、わかるはずだ。救えたかもしれないのに救えなかった。自分を責め続けている母親をこれ以上、傷つけないでほしい。 |
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