2004/6/23 | いじめのカモフラージュとして使われることの多いゲームと、罰ゲームのもつ強制力について | |
2004年6月3日、埼玉県蕨市立第2中学校の女子生徒(中2・14)が飛び降り自殺した。 スポーツ報知(2004/6/17)によると、『同じ部の同級生4人とテレビの人気番組で使われ、小中学生などの間で流行中の「指スマ」という指遊びゲームをしたという。「負けたら罰ゲームをしよう」と決めたものの、罰の内容は決められないままゲームが行われ、女子生徒が5回、その他2人の生徒が1回ずつ負けた。ゲーム終了後、「1回の負けにつき男子生徒1人に告白」という罰が決定。女子生徒は“告白相手”の5人を勝った生徒らに指定され、「好きです」と言うことを強要されたという。部活動の休憩時間に、他に負けた生徒2人が先に告白。女子生徒も続いて告白した。1人が監視役となり見届けていたという。告白後、女子生徒は泣き崩れ、友人に慰められたが、残り4人への告白は翌日とされ、「告白しなかったらハブく(仲間外れにする)よ」と言われたという。」 女子生徒の部屋にあったノートには、罰ゲームのことや、「ゴキブリ」「害虫」などと呼ばれていたことなどを記し「死にたい」と書かれていたという。 詳細がわかっていないので、はっきりとしたことは言えないが、この事件でポイントとして考えられることは、 1.女子生徒は、仲間と楽しんでゲームに参加したというよりも、断りきれず、いやいや参加した可能性がある。 2.ゲームは、いじめのカモフラージュとして最初から計画されていた可能性がある。 ということだ。 多くのいじめで、被害生徒はむりやりゲームや遊びに参加させられている。傍目からは一見、仲良く遊んでいるかのように見える。しかし、実際にはフェアでないことが多い。 男子生徒ではとくにプロレスごっこが多い。力の強いものと弱いものをわざと対戦させる。いじめられているもの同士を闘わせる。あるいは、いじめられている側が反撃しようとすると、周囲から羽交い締めにされる。逃げようとすると後ろから押し出されたり、足をひっかけられたりする。そのうえで、負けたことを理由に、さらに金を払う、殴られる、つねられる、歌をうたう、言いなりになるなどの罰ゲームが待っている。いじめている側が負けたときには、免除されたり、軽い罰が科せられ、いじめられている側が対象になっている時は全員からひどくやられたり、けっして免除されない。ゲームそのものが最初から、イカサマだったり、いじめられる側が不利な条件のゲームが選ばれたり、周囲が協力して負けるように仕向けられたりする。 女子生徒の場合でも、タイマンをはらされるなどということもあるが、好きな男子の名前を仲間に告白することを強要されたり、金を払わされる、規則を破らされる、清掃を押し付けられる、荷物を持たされる、援助交際の電話をさせられるなどの罰ゲームがある。また、例えばいじめ自殺した平野洋(よう)くん(940715)の場合、他クラスでいじめられていた女子生徒が「好きです」と無理やり告白させられている。男子に比べて、精神的なダメージを受ける罰ゲームが多い。 子どもたちは、仲間からのゲームや遊びの誘いを断れない。断れば、断ったこと自体がいじめの理由にされる。また、どういう言葉で断ったらよいのか悩んでいるうちに無理やり参加させられる。 また、決まった罰ゲームの内容がどれだけプライドを傷つける、もしくは体を傷つけるものであったとしても、子どもたちは断れない。宮城県の中学校の男子生徒(中3・15)は、バトミントン遊びの罰ゲームで肛門に鉄の棒を差し込まれ、人工肛門を余儀なくされた(S011200)。 罰ゲームには、そもそもいじめ的な要素が含まれている。ゲームに負けたことを正当な理由として、罰を下す。周囲は罰を下される人間が困る様子を見て喜ぶ。それを楽しみにする。 上記の事例では、最初からバトミントンをすることが目的ではなく、罰ゲームが目的のバトミントンゲームだった。 今回の「指スマ」も、「指スマ」ゲームで楽しむこと自体が目的ではなく「罰ゲーム」が目的だったのではないか。場合によっては、女子生徒をターゲットに罰ゲームを科すことが目的だったのではないか。 女子生徒だけが5回も負けたことに、何か細工があったのか。あるいは、女子生徒が一番負けたからこそ、「告白」の罰ゲームが思いつかれたのか。 他に2人の女子生徒が罰ゲームを実行している。一見フェアに見える。しかし、告白する相手はゲームの勝者が決めている。冗談の通じる相手や親しい相手に言うのと、そうでない相手にウソの告白をするのとでは、心理的負担はまるで違う。また、もし女子児童がいじめられていることが生徒間で公然の秘密であったとしたなら、女子生徒の告白が、新たないじめ発端となることも考えられる。例えば、ウソの告白だとしても、相手の男子生徒から「お前みたいなブス、だれが相手にするかよ」などの言葉を投げつけられれば、ひどく傷つく。 ただ仲間から「ウソの告白」を強要されただけなら、「嫌だ」と断ることができたかもしれない。「罰ゲーム」だからこそ断れなかった。多くの子どもたちがいじめを大人に知らせることは「告げ口」として、卑怯なことだと考えている。同じように、決められた「罰ゲーム」を実行しないことは卑怯なことだと考えているだろう。まして他の2人が実行した後ではなおさら、自分だけが逃れるわけにはいかない。「卑怯」であることは、いじめの理由になる。そして何より、「自分は卑怯である」と思わせられることは自尊心をひどく傷つける。「卑怯な自分」になりたくなかったのではないか。「心」を守るために、死を選んだのではないか。 「罰ゲーム」には不文律の「契約」という縛りがある。断れないのは、子どもたちだけではない。 テレビではタレントたちが、「罰ゲーム」と称して、様々なことをやらされている。大衆の面前で恥をかかせられるだけでなく、時には暴力を受けたり、体に害を及ぼすような食品を採ることさえ正当化され、強要される。 勝ったものと負けたもの。支配するものと支配されるもの。負けたものがペナルティを払う。戦争と同じ、強者の理論、暴力の構造だ。 どちらが先なのか、学校生活にも罰ゲーム的考えは、はびこっている。教師が遅刻したり宿題を忘れた罰だと言って、生徒をつねる、頭を叩く、電気ショックを与える。テストの点数が悪かった生徒たちに「遺書」を書かせたり、授業を理解していない罰として、動物の気持ちになりなさいと全裸にさせたり(001030)、水泳着をもって来なかった生徒を服のままや全裸で泳がせるなど。教師が問題としている行動の改善と罰とがどう関連するのか。生徒に恐怖心を植え付ける罰に、絶対的権力者としての教師の加虐心がほくそ笑んでいる。生徒の心や体を傷つける行為が、「罰」という名目のもと堂々と行われている。生徒たちは拒否できない。 もっと大人になっても、酒の席のゲームだと言われて断れず、罰ゲームと称してキスをさせられる、服を脱がされる、ワイセツ行為を強要される。たとえ契約でも、「公序良俗に反することはこれを無効とする」という法律があっても、「遊び」に名を借りたなかでの強要は断りづらい。 蕨市の中学校長は「ささいなことでも相手が嫌がることはしないよう指導していた」とコメントしている。この言葉の裏に女子生徒が強要された罰ゲームは「ささいなこと」という認識が見え隠れする。 たかが「罰ゲーム」ではない。強要された方はひどい苦痛を感じていても断れない要素がそこにあること、罰ゲームそのものにもともといじめの要素が含まれること、いじめのカモフラージュに使われることがあるということを大人たちは理解してほしい。 そして、子どもたちには、「いじめを告発すること」「意に添わない罰ゲームを拒否すること」はけっして卑怯なことではないこと、逃げ道を塞いで相手を追いつめることこそ卑怯なやり方であること、自分の心や命を守ることは人の生きる権利として、どんなことよりも優先されるべきものであることを伝えたい。
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