7月2日。東京高等裁判所にて、体育の授業中の事故で亡くなった戸塚大地くんの控訴審、第2回目が行われた。
今回は、一審とは別の元同級生の証人尋問だった。
22歳の彼を見て、生きていれば大地くんもこんなにりっぱに成人していたのだろうと思うと、本当に残念でならない。
Sくんが宣誓書を読み上げる。裁判長は思いの外、やさしい口調で、「平成6(1994)年、もう8年の前のことだから、忘れていることについては、分からない、覚えていないでもいいから、想像でものを言わないように」と軽く諭すように言った。
原告弁護団に与えられた質問時間は45分。前回の裁判長の厳しい様子から、それを超えることは許されないだろうと思えた。
Sくんは平成10(1998)年に戸塚さん宅で、当時の事故について詳しく聞きたいと言われて、弁護団とも会っている。その時に話したことと、申述書に書かれた内容が同じであることの確認がまずとられた。
しかし、原審(八王子地裁・一審 me020208 参照)では証人申請されなかった。理由は、Sくんの両親が裁判に協力することを反対したからだという。
学校の事故や事件で、多くの原告が苦労するのが子どもたちの証言だ。見たり聞いたりしたことの話は聞かせてくれても、いざ、裁判の証言に立つということになれば多くの子どもたちが後込みしてしまう。そして、大抵の親が反対する。関係者と思われたくない。自分の子どもにとっては何の利益も得られないぱかりか、裁判に協力したことで、学校から敵視されたり、地域からのけ者にされたくはない。内申書に悪く書かれたらどうしよう。反体制的な人間とみられて、就職に影響しはしないか。不安がつきまとう。
その彼が今、22歳になって、就職もして一人前に自立するなかで、自分の意志で証言台に立つことを承諾してくれた。8年という月日は、子どもたちをすっかりと大人にしていた。
なぜ、証言台に立つ気になったのかと聞かれて、「当時の事故のほんとうのことを知ってもらう必要があると思ったから」という。
一審で3人の少年たちが証言した。どういう内容を証言したかはSくんは弁護士から見せられた書類で知っている。その内容について、どう思ったかを聞かれて、「本当のことを証言している」「僕の記憶と大きな違いがない」と答えた。原審で元生徒たちの証言が否定されたことはおかしいと言った。
Sくんは大地くんとはクラスや部活で一緒になったことはないという。中学1年生の時に体育の授業が一緒で、2年生の後半からだんだん親しくなったという。洋服などを買いに二人で出かけたこともあったという。ただし、Sくんの主な友人は同じ部活の生徒がほとんどだった。(弁護団はSくんが、他の3人ほど大地くんとは親しい間がらではなかったこと、従って、大地くんの名誉のためにわざわざウソを言う必要がないことをここで強調したかったのだと思う)
前回証言した3人は確かに大地くんの友だちだった。しかし、事故は何年も前のこと。それをわざわざウソの証言をするために法廷に出るとは思わないと言った。
体育担当のK教師のことについて、同教師から特別な指導があったことはない。(一審判決では、K教師が生活指導を担当していたため、厳しい指導を受けた逆恨みでウソの証言をしているのだと被告の学校側は主張した)また、Sくんは、K教師が指導している姿も見たことはないと言う。
3年生の体育の授業以外にK教師と接点はなく、話したこともないと言う。
K教師の印象については、授業中に騒いでも起こらない、ダラダラやっていたと言う。
好きか嫌いかと聞かれて、どちらでもないと答えた。
3年生時の体育の授業について。4月以降、体力測定があり、陸上競技があって、体育館で機械体操をやった。プリントが配られて、マット、鉄棒、跳び箱の中から自分のやりたい種目をやる。
K教師は班別編成で体育の授業を行っていたと証言していたが、Sくんは班で練習することは全くなかったと言った。
マット運動のテスト採点の間、テストの順番を待っているA組の生徒はおしゃべりをしていた。それに対しての指導はなかった。また、B組の生徒は鉄棒か跳び箱の練習をすることになっていたが、体育館内は遊んだりおしゃべをする生徒で非常に騒がしかったという。
K教師はしゃべっていても、ふざけていても怒らなかったという。
事故の直前、1回目でB組の生徒が歓声を上げた。楽しそうに盛り上がっていた。SくんはA組だったので、歓声をあげることまではしなかった。
2回目、大地くんは跳び箱の上に立ち、バック転をしたが、回転しきらなかった。へんな落ち方をしたのはわかった。B組の生徒が駆けつける。K教師は生徒より遅かった。
事故の感想を聞かれて、「今まで生きてきた中で、たいへんショックだった。体育の授業がちゃんと監視のなかで行われていたとしたら、この事故は起きなかったのではないか」と述べた。
反対尋問では、被告側の弁護士は、「8年前のことを本当に覚えているのか?」として、当時のクラス人数やSくんの出席番号、テストは何人くらいまで終わっていたときだったのか、事故は授業開始から何分後くらいだったのかと細かい質問をした。(記憶力がいいのか、Sくんはそれらの質問によどみなく答えていた)
また、事故を見ていた生徒がK教師に事故状況をどのよに説明したのかについては、説明はしていたのだろうが内容まではわからない覚えていないとはっきりと言っているにもかかわらず、何度も何度も、生徒が報告したことはSくんの目撃したことと同じであったかどうかの質問や、生徒の説明という、そんな重要なことを覚えていないのか、と非常に高圧的に繰り返した。
大地くんはマットの上で身体が動かないと言っていた。説明した生徒は担架を運んできたIくん、Uくんと、状況についての細かい質問に答えた。
原告弁護士が非常に威圧的であったにもかかわらず、Sくんの態度は実に堂々としたもので、「質問の意味がわかりません。もう1回言って下さい」と切り返した。
裁判官が、被告弁護士の質問を途中から奪った形で、にこやかにSくんに同じことを再び聞いた。
墜落したところは見ていた。他の生徒が説明していたことは覚えている。言葉は記憶にないが、言っていることが自分の見たことと違うと思った記憶はないとはっきりと答えた。
また、傍聴席ちから向かって右側の裁判官が質問した。図面を指し示して、Sくんのいた場所と、K教師の座っていた場所と向きを確認した。図にあるイスのところに、K教師はステージの真っ正面を向いて座っていたとの答えに対して、首をあげれば視野に入ったのだなと言った。
証人尋問が終わった段階で、裁判長は「職権により和解勧告をします」と言った。
弁護団の報告会での説明では、原審では一度も和解勧告は出なかった。まして、普通なら両者の意向を尋ねるところを「職権で」と強引に進めた。これはけっして悪い方向ではないという。
今回は、前回とは裁判官たちの態度が随分と違っていた(me020516 参照)。しかも、証人に対しては非常にやさしく、逆に被告側の質問を奪うようなことさえした。なぜ急に変わったのか。
学校事故では一任者と言われる明治大学法学部教授・伊藤進氏の書いてくれた「見られる状態にいながら見なかったのは安全義務違反である」という鑑定書が大きく功を奏しているのではないかという。
内容的には津田玄児弁護士をはじめとする弁護団が今まで主張してきたことと変わらない。しかし、権威には弱い。
また、弁護団の報告では、原審で棄却されても、けっしてあきらめず情報を求め続けた。その結果、名前を出さないことを条件に元教師から話を聞くことができたという。
当時TT(チーム・ティーチング)のための加配教師は確かにいたが、当日は忌引きでいなかったということを被告の学校側は勤務表までも持ち出して主張していたが、実は、国分寺市全体で行われていたことだが、申請して教師を1人増やしてもらえれば、教師たちは仕事が楽になる。雑用をやってもらえればやりやすくなるということで、体育の授業にはついていなかったという(体育の授業のために加配申請をしているが)。
弁護団が当時の1〜3年にアンケートをとった結果、女子の体育に加配教師はつけられていたとするが、アンケートに答えてくれた全員が2人いた記憶はないという。実名まで出してもいいと言って、絶対に体育の教師は1人だったと証言してくれた生徒もいる。
裁判長は、このことについて、法廷で「因果関係が直接的ではない」と言い方をしたので、傍聴人にはわからなかったが。弁護団も、事故との直接関係がないことはわかっている。しかし、原審の言う、生徒はウソをつくが学校はいつも正しいとされることに、反論したかったと説明した。
話を聞かせてくれた教師は、大地くんの事故のことは職員会議でも報告されたことはないという。お見舞いにしても、弔問にしても、たいへんだとか、悲しむという雰囲気ではなく、やることはやったという説明のためにやっていたようだったと述べた。3週間後に実はプロレス技をやっていて事故になったことがわかりホッとした雰囲気だったという。
しかも、大地くんは6月の末に亡くなったというのに、8月末にはK教師は教頭試験を受験しているという。そのことには同じ教師としても驚いたという。
ほぼ絶望的に思えた控訴審に、わずかであっても希望の光が見えてきた。和解勧告が出たことに対して、大地くんの父親は、「息子に過失があることは親としてもわかっている」のだからと、歓迎の気持ちをあらわした。弁護団も原審で出ると思った和解勧告が一度も出なかったことから、控訴審ではあり得ないと思っていたというだけに、たとえこの裁判が負けたとしても、やはりここまで粘って、がんばってきた甲斐があったと思う。
お母さんのひろみさんが、「大地の友だちがずいぶん頑張ってくれた」「断られることのほうが少なかった」「子どもたちの支えがあったからこそ、ここまでやってきた」と堪えきれずに嗚咽をもらした。
今でも、大地くんの命日に、子どもたちが大勢、来てくれるという。
裁判を通して、ずいぶんと学校の実態が見えてきた。今回、和解勧告が出たことで、控訴した甲斐があったと、気持ちが氷塊してきたと話した。
次回は7月17日に和解の話し合い(傍聴はできない)。結果はどうなるかわからない。原審で被告側が勝っているだけに向こうは強気な出る可能性が高い。
それでも、戸塚さんの裁判を通して、最後まであきらめてはいけないと学ばされた。もし、一審の棄却に気落ちして、手をこまねいていたら、ここまで辿り着くことはできなかっただろう。一審判決からの短い期間に弁護団はそれこそ、できる手は、考えられることは全て行った。葉書式の署名も、あまり公にはしなかったにもかかわらず600名分集まったという。
最後まであきらめないこと。その時にできる最善を尽くすこと。後悔しないために。
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