<非暴力平和隊実現可能性の研究>

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

2.2 平和チームと「市民平和活動」

2.2.2 平和チーム

ドナ・ハワード


2.2.2.5 現地で成功している活動の条件

同行
マホニィとエイグーレンは、著書『Unarmed Bodyguards』(非武装の護衛)の中で、一般的な抑止について、ならびに抑止としての同行についての貴重な考察を明確に提供している。 成功している同行のための必要条件に関する彼らの考え方をここに含める。

「同行は、直接に脅かすことはまったくできない。そのプレゼンスは、… その結果起こるかも知れない重大性の示唆、というヒント以上である」。 一連の条件が満たされなければならない。
1)同行者と活動家は、攻撃を仕掛ける者に対して、どのような形の行動が容認されないのかを明確に伝えなければならない。そのメッセージが複雑であったり、または文書を引き合いに出すのであれば、同行者は、攻撃者が文書の内容を理解しているかどうかを知らなければならない。 微妙な点は明確に話されなければならない。「もし攻撃者が、どの行動が反応を引き起こすのかを知らなければ、抑止機能は働くことができない」
2)抑止の掛かり合いは明確に話されなければならない。攻撃者はあらかじめ、活動家が同行されていて、攻撃は重大な結果を招くであろうことを知らなければならない。ここでの問題は、命令をくだす者は知っているかも知れないが、その命令を実行する暗殺団には知らせていかも知れない、ということである。
3)攻撃者は、団体というものはその決議を実行することができる、と信じなければならない。同行者から国際的コミュニティへの、政府側圧力のための通信の連鎖は、明確であって、効果的でなければならない。 実際には、それぞれのリンクは不確実であり、その結果が保証されることはない。
4)攻撃者は、攻撃のことを真剣に考えて、考えられるコストがその利益よりも高い、という理由により、攻撃を実行しないと決めなければならない。 通常、この証拠を見つけることは不可能である。

一つの追加条件は、攻撃者がだれであるかを同行者は知らなければならないということである。 殺人予告は匿名であることが多いし、攻撃者の正体を極めて少ない証拠から推論しなければならない。この場合には、国際的対応の標的を誤るかも知れない。あるいは、非難される側の政府は、特定の攻撃者に対する統制手段はないと主張するかもしれないが、その主張に反駁するのは難しい。抑止の効果が明らかなのは、潜在している攻撃者が同行者グループは誰なのか、何をするのだろうか、そして、攻撃の結果がどのようになるのか、を知っている場合のみである。 抑止戦略は、情報… 攻撃者が誰であるか、そして、どのような政治的圧力が彼あるいは彼女に影響を及ぼすのかに関する明確な分析 … へのアクセスを必要とする。

ある攻撃者は、国際的な圧力について気にかけないかも知れない。国家機構の内部でさえ、支配的な党派に対して政治的に反対し、腰を据えている政府の評判を悪くするために、人権運動家や国際的な観察者を攻撃するような派閥があるかもしれない。[たとえばPBIは、孤立している村に出ていたCERJ(少数民族コミュニティ協議会「ルヌジェル・ジュナム」)のメンバーが、圧力には鈍感のように思われる地元の暴漢と顔を合わせたこと、および、パトロールしていて、非武装のGAMのメンバーを報道関係者の面前で攻撃し、臆面もなく警察と政府代表さえ脅かした「シビル・パトロール」は、外国人のプレゼンスによって影響を受けなかったことを経験した]。

攻撃者が、政治上のコストよりも他の利益の方が大きい、という理由により、手間を掛けても攻撃する価値があると決定するならば、抑止は失敗する。残されていることのすべては、次の機会にはその周囲での予測が変わることを期待して、攻撃の後で脅かされた結果をできる限りしっかりと照会することである。

さらに、活動家はいかなる理由でも身を隠す必要はない。「準秘密性と同行は、別個に利用されれば両方とも有効な安全保障の戦略であるが、組合せて利用するといくらか問題がある。単なる外国人のプレゼンスは、隠蔽をさらに難しくするし、潜在している攻撃者がそれに気づかなければ、保護をするという同行の機能は無くなってしまう」。

強力な「緊急行動ネットワーク」および国際社会に知らせ、国際社会を揺り動かす他の手段、あるいはそのいずれかがなくては、同行を利用することはできない。 特定の領域、国、組織、あるいは個人の国際的な関心が強ければ強いほど、同行は攻撃を思いとどまらせることができるようである。

すべてのチームに対する一つの条件は、同行されている人が活動家であって、かつ、武装していない、ということである。PBIには、自分たちに対して設定した条件がある。それは「PBIは、政治的な組織作りやグループ作りをやらないし、グアテマラ人が自分たちで始められるであろう活動は始めない、国家の領土全体を保護することは試みず、他人を危険にさらすかもしれない情報を漏らしたり発表することは絶対に回避するであろう」というものである。

同行は、必要とされているならば、個人やグループに対する恐怖がプレゼンスする限り、とぎれることなく継続されなければならない。グアテマラの労働党オルグのセルジオ・グスマンによれば「あなたに同行者がいれば、かならず脅迫が止まるというものではない。同行者が脅迫を疑ったり … 政治的に異なる状況になったとあなたが感じたりした時、あなたは同行を取りやめる。だがそれは、系統立った暴力が終わったことを意味しない。暴力が論議される課題をいつ同行が達成したかは、より主観的である。」

PBIは、5年間の「危険な年月」の後で、エルサルバドルにおける同行プロジェクトを1992年に完了した。 「戦争は終わった。暴力と不平等は多くの形で続いていたけれども、保護的な同行はもはやエルサルバドル人が外国のNGOに求めるサービスではなかった。」

以下の例で述べられているように、同行は危険をともなうことを知っているので、各団体は安全と危険に関する条件を設定しなければならない。 1987年から1989年にかけてエルサルバドルでは、PBIのメンバーは「軍隊がその周りを囲んでいるのに、運動組織の事務所の中にいた。 … 暗殺団は、同行者が中にいるのに、夜に爆弾を爆発させた。14回のいろいろな事例の結果、PBIボランティアは、拘留され、尋問されて、国外退去を勧告された。道路上の兵士によって止められ、尋問され、脅迫された例が他に何百もある。「しかし、政府が外国人のボランティアに対してさらに嫌がらせをやればやるほど、エルサルバドルの市民運動は同行を評価した」。グアテマラのPBI の家に手榴弾が投げ込まれ、そして、チームのメンバー3人が不明の襲撃者によりナイフで切りつけられた。

最後の条件は、そこに他の活動を持ち込むことにかかわる。「同行には、直接の戦術よりもはるかに多くの仕事がある。… 軍隊と情報交換し、政治的な影響力を築き上げ、外交面の接触を作り、適切なボランティアを募集し、訓練して、資金を見つけ、緊急時の行動ネットワークを発展させるという「準戦略」を必要とした。これらの「準戦略」は基本原理によって左右されるが、また、資源上の制約を緩和して、政治的な状況を積極的に変えるよう計画される。」

プレゼンス
高い目立ち度が、必ずしも効果的なプレゼンスのための条件というわけではない。人々が潜在的に暴力的であると考えている党派は、市民集団の中に平和チームの国際人がいることに絶対に気付かなければならないが、彼らは、どのような特定の時にも、その個人がどこにいるかを知る必要はない。 チアパスでの「ミシガン・ピース・チーム」は、この要素をまったく独特のやり方で利用した。 チームのメンバーは、観光ビザで国にそっと入国するようにと依頼された。 さらに彼らは、彼らを招いた村に入るのは夜になるように旅行し、その後、日中の間は見られないように屋内に留まるように、と要請された。受入れたチアパスの村民は、外国人が見られてさえいなければ、その地域の中にいることが知られてさえいれば、彼らは十二分に保護することができる、と信じている。

しかしながら、多くの場合、チームはできるだけ多くの関係者に、そのプレゼンスと居場所を知られるようにした。例をあげれば、CFJ(クライ・フォー・ジャスティス 平和を求める叫び)の参加者たちは、ハイチの通りをぶらつき歩いた。

緊急行動ネットワーク
BPTが、彼らの「警告ネットワーク」の利用を必要とすると感じた10項目の発生事例のリストが2.2.2.3節(訳者注;原文の2.2.2.2は間違い)に与えられている。以下は、利用のための条件に関してBPTによって展開された問題である。

  1. 他の団体/政府機関がその事例に取り組んでいるか?
  2. それらとの協調した活動は可能か?
  3. 問題の出来事は、単一の事例なのか反復なのか? それは模範的事例なのか? その出来事にかかわっている人々をあなたは知っているのか? 模範的事例あるいは状況の悪化を示す事例は優先されるべきである。
  4. その事例はどれほど深刻なのか? 生命あるいは健康に対して危険なのか? 生命あるいは健康に対する脅威は、他の人権侵害よりも優先度が高い。
  5. あなたは情報をダブル・チェックしたか? あなた自身が出来事を目撃したのか? 少なくとも2つの独立している情報源があるか? その情報源はどの程度信頼できるか?
  6. 誰が、ネットワークを活動させるチームを望んでいるのか? 関係している人々やグループは、チームが行動することを望んでいるのか? 彼らはその事例が公表されることを望んでいるのか? 関係している人々の意志に反して行動してはならない。どの事実が明らかにされるかについても彼らと調整すること。
  7. その事例に関して行動をとることが、関係者に対する余計な危険をふやすことにならないのか? 第三者に対してはどうか? チームに対してはどうか? たとえわずかな可能性であっても、人々に問い合わせることなしに、人々を危険にさらしてはならない。 チームの安全にかかわるのであれば、コーディネータと相談すること。
  8. その警報はどれくらいの頻度で出されたか? あまりに頻繁に警報を出すことはできない。 人々が行動を起こそうとするための効き目と意志は簡単に萎えてしまう。
平和構築
BPTメンバーのエリック・トーチは、コソボでの平和構築のための条件を箇条書きにした。「平和構築に向かって活動する中で、私たちが心に刻む必要があるいくつかの点がある。まず第一に、平和を構築することは、その関係について集中する必要がある。これをやることは、プロジェクトを計画し、実行するのと同じように、人々と共に過ごす個人的な時間を必要とするだろう … また、そのようなものを計画する時には、単に輸入されて、彼に押しつけるのではなく、やりがいがあるとみなす何かを作るために、関心を持つコミュニティのリーダーや活動家およびNGOと一緒に、多くの聞き取りをやらなければならない、ということを意味している。 第二にその活動は持続可能なレンズを通して見られなければなない… 第三に、それは3つの文脈というか範囲、すなわち、地域的に(コソボ)、準領域的(南部バルカン諸国)、そして領域的(ヨーロッパ)になされなければならない。何故ならば、戦争はこの3つすべてを巻き込んだのだから。」

戦略
ミュラーとビュトナーは、彼らの実証的分析の中で、非暴力的介入が「三つの平和戦略 [平和維持、紛争解決、平和構築]を自動的に結び合わせはしない」と観察している。大部分は「行動ベース」であって、戦略の1つを利用している。この研究は、介入は、それが「過程志向」であるならば、プロジェクト自体の中で手段を開発しつつ、紛争の力学に影響を及ぼすことを目指し、通常、3つの平和戦略の組み合わせを適用しながら、より大規模な縮少効果を持つべきことを示している。3つの戦略はすべて、ひどく拡大した紛争の中で必要であり、紛争解決の総合過程の一部分でなければならない。

重大局面の地域においては、予防のような、より高いレベルの目標は、ボランティア・チームを持っているだけのアプローチでは達成可能とは思われない。平和のために活動しているNGOがこれらのより高いレベルの目標を見失いたくないのであれば、チーム活動は、多くの異なった活動家たちによる活動を包含している広域的なアプローチに統合される必要がある。

明確な目標
評価でき成功している平和介入のための内部条件は、計画されていて可能な活動に合致する具体的で明確な目標が存在することである。これはBPTが、紛争拡大の大波が急に高まるのを直接に経験したクロアチアにおける1995年の、そしてセルビアにおける1997年の痛ましい結末であった。クロアチアでは、ボランティアは、彼らが何らかの影響を及ぼすことのできる足掛かりを確保しなかったことが、失敗であったと考えた。組織人は対照的に、このプロジェクトのこれ(訳者注: 「これ」が何を意味しているのか不明)さえ期待していなかった。 コソボにおける考えられる紛争拡大にどのように反応するかについての審議の中では、防止を達成するための可能性の問題については論議さえされなかった …それは考えられている能力をはるかに超えていた。

また、BPTの平和構築活動は、より系統的にその活動に焦点を合わせた包括的計画が不足していることに苦しんだ。人権、非暴力的紛争解決、情報網の導入、および技能の供与のような、指導的な概念は、チームの経験に基づいて、可能性のある役に立つ役割およびそれにともなうこれらの実用的な現実化に関する考えから成長した。

不完全な形で定式化された目標の他の例は、ガルフ・ピース・チーム(GPT)とミル・サーダであろう。洗練された目標を持っていなかったGPTは、動員できる人数について無理のない計画に関する戦略的目的を定式化していなかったし、彼らが及ぼすことのできるであろう影響力をまったくの楽天的に見積もっていた。 同様に、目標についての不明確さは、ミル・サーダの介入が失敗したことの1つの理由であった。 クリスティーネ・シュバイツアーは、平凡なミル・サーダのアピールと同様に、目標定式化のあいまいさがビーティ・アンド・エクィリブレ(Beati and Equilibre)の最初のアピールでも明白であると示唆している。
戦争を止める、という目的はどこにも詳述されていない。

目標が明確でなければ、活動の焦点はあいまいになるだろうし、ほんのわずかの成功と堀り崩される失敗感についてのあいまいさに、士気は低下するだろう。

構想と原則の明快さ
ミル・サーダの計画の中の重大な欠陥は、中立性に関する合意がないこと、セルビア人とクロアチア人のリーダーたちと話すことの適切性に関する合意がないこと、非暴力的割り込みという用語についてのおぼろげな理解あるいは合意、そして彼らがサラエボに到着した時に何をなすべきかについてさえ、合意がないことに見いだされる。中立性についての明快さおよびそれをどのように達成するかが欠けていることは、通常はそこには何もないことを意味している。 ミル・サーダの場合には、シュバイツアーはその結末について次のように述べている、すなわち、「プロゾールに私たちが滞在している間、そこに私たちのキャンプがあるからボスニア軍はプロゾールを攻撃しなかった、と語り続けられている噂話があった。しかし実際に私たちはボスニア人側には何もしなかったが、そのボスニア人側は、私たちのキャンプ地からおよそ2マイルの場所から毎日擲弾砲による砲撃を浴びせられていた。中途半端な割り込みは、割り込みの成功例ではなく、戦争の味方をすることなのだ!」と。

「政治的に立場をとらないこと」は、紛争の両側あるいはすべての側との良いコミュニケーション、そして注意深く選定された介入の物理的な場所にかかっている。 GPTはどちらにも失敗した。

不干渉
良心的な介入のために欠かすことができないのは、地元の人々がチームを歓迎すること、ならびに問題に対して彼ら自身の解決を作り出す自主性を持っているという条件である。ガルトゥングは、介入を外部に完全に任せてはならない、と警告する。第三者に対して定められた役割が幅広いほど、地元の人々を「お客様」に変えてしまい、紛争解決能力を構築する際に役立ったかもしれないものを取り去ってしまい、彼らに挑戦ではなく、むしろ解決を残すだけになってしまう。

「コロンビア人は、自分たちでコロンビアの問題について決めることが必要である」と、WfPのベネットは言う。 「私たちは、メキシコ人になすべきことについての忠告はしない。彼らが自分たち自身の問題を彼らで解決する際に、私たちはそれを支援する」と、SIPAZのポーンは言う。

すべての関係者との通信
PBIは、平和維持活動が紛争にかかわっている当局との通信を含んでいることが、どれくらい絶対的に不可欠なのか、を繰り返し繰り返し明らかにして来た。「効果的な抑止戦略は、国家と通信することができないことによって妨げられることがある」。エルサルバドルの役人は、同行グループを破壊活動分子として退去させた。それで、PBIと他の人たちは、彼ら自身を公的に身元を明らかにすることをためらっていた。 同様に、スリランカとグアテマラで、PBIが政府との関係を確立するまでには数年間を要した。」

SIPAZの理事であるロバート・ポーンは「私たちは、地方の団体と平等な協同関係と呼ばれるであろうような関係を持っている。私たちは、人権、市民、ザパティスタ、パラディスタスなどすべてのグループとのつながりを持とうと努力します … 準軍事的グループともつながりを持っています … 分け隔てなくすべての視点と連絡を取ろうと試みます。一つのグループと話をしてから、次のグループの所に行って、彼らがあなたに話そうとしないことを知るのは、危険であってわかりにくい。人々にとってこの特定の視点は、私たちがザパティスタ賛成派であると見做すことである。 私たちはそれに打ち勝とうと努力している」と語っている。

「非暴力的平和維持の有効性は、たぶん決定的なまでに、個々の関係者との関係 (その関係が作動させることのできる圧力の形式を促進する) がいかに建設的であるか、紛争関係者に対する市民社会からの圧力がどれほど、いかに効果的に加えられるか、に掛かっている」。 これらの行動は「信頼できる長期間の活動を必要とし、短期間の活動では達成できない」。この中の一つのむずかしさは、拡大していくある段階を超えて、紛争関係者が部外者を単に「敵か味方か」として見ることである。社会的関係とは、繰り返される拡大を防ぐために、非暴力介入チームが、互いに脅しあうグループを監視したり、その間に入ることができるようにすることである。

攻撃者の態度
平和に向けての活動を妨害し、その活動を妨げようと直接行動に訴えるかも知れないグループがある。明らかな利得がないにもかかわらず、個人やグループが戦争を継続させる。 "拒否派"は、ある根拠によって強く結びつけられたものとなり、その根拠がなくなることは彼らの存在への脅威であるとして犠牲を払う。 「非妥協派」は、体験した痛みに対するお返しに、他人に痛みを押しつけるために苦しめようとする。 戦争の終わりは彼らの破滅を意味する。恐らく、彼らは行動について尋問されることだろう。 戦争は彼らが生き残ることができる唯一の手段である。

「非常に頻繁に… 紛争解決者たちは、拒否派の非妥協的暴力によって驚かされたように見える、そして大多数の合意をもたらすように慎重に構成された段階を中断させてしまう。彼らがそのようにやれば、その行動は成功する。紛争解決者が、拒否派に対して彼らの妨害が、平和に向けての勢いを掘り崩している、という信号を出せば、紛争解決者はそのような行動を実行しようとする拒否派の決意を補強することになる 」。

攻撃者は、行動に関する国際的非難や反響を恐れないかも知れない。さらに、軍事グループが脅威を受けた時には、攻撃者は国際社会との良好な関係を求める必要性をあまり感じなくなるかもしれない。

「非暴力的紛争処理、紛争解決、ならびに紛争転換の過程は、国家のシステムが民主的であるか、あるいは政治的、経済的、社会的な適法性が高い水準にあるところ、もしくはその両方を備えた国で、最もうまく機能する。政権が軍事的グループあるいは準軍事的なグループによって支配されているところでは、政権側は、説得よりむしろ恐怖によって統治するのがさらに効率的だ、と信じる傾向がある。 このような状況では、広く受け入れられているゲームのルールに従って果たされる正常な反対者のいる政治力学の機会は極めて小さくなる。国家によって支援された恐怖と政治的な抑圧は、個人や営利団体および政党を、政治の 体系から引き下がらせるか、あるいは暴力的抵抗や非暴力的抵抗に引き込む。

…恐怖政治に対する代替策を探し求める人々に直面する問題は、独断的な逮捕や拷問あるいは消息不明や死亡の危険を最小とする一方、安全な政治的活動のスペースをどのように生み出すか、ということである。 そのような活動をするスペースを構築することは、非暴力的問題解決の前提条件である。多くの問題が恐怖への創造的な抵抗を生み出すのに関連している。
− 犠牲者をどのようにして主役に変えるか
− 個人的恐怖や集団的恐怖にどのようにして打ち勝つか
− 政治的脅威および軍事的脅威への抑止力をどのようにして発展させるか
− 政治活動の消極的な因果関係を最小にする一方、政治活動の積極的な因果関係を高める
政治体制をどのようにして促進するか。

「すべて人権に関する圧力に関連しているのは、戦後あるいは恐怖政治後の過渡期における公正と同様に権力に関する原則であり、そこには、正しいことをすることによってではなく、何かをすることによってそのような圧力に反応するという政府に対する強い意図がある。その何かは、しばしば最も価値の犠牲の山羊をオオカミの前に投げ与えることをともなう。」

紛争が、交戦国の態度について慎重な査定によって慎重に評価されないと、NPによって選ばれたいかなる任務も失敗するだろう。

緊急行動ネットワーク
前述したように、他の戦術の強さは、緊急行動ネットワークの幅と速さと信頼性に依存している、そのネットワークは「無視することができない関連のある国際的な注目を、できる限り最短の時間で起動させる… ここで、効果は、第三者が特定の紛争関係者に対して影響力を及ぼすことができる抑圧的な力から成り立っている。 しかしながら、この力は、最初に活性化されていなければならず、兵器輸出に反対する人権などのように、特定の価値観のために働くようそれ自体が起動されるように準備されていなければならない。したがって、この力の効果は、いつでも適用可能というわけではない … むしろいくらか不安定である」。このネットワークとその信頼性は、紛争地域に入る前に機能的になっていなければならない。

タイミング
PBIは、介入のためのタイミングに関して以下の考えを持っている。
  1. 介入者は、アクセスを得るために信頼性を必要とする。この信頼性は、長期間の関係を通して、あるいは、過去の活動や立場を通しての介入者の評判によって築き上げることができる。
  2. 介入者の人材が得られれば、成功の望みがあるのか?
  3. その紛争は、一つの区分の中だけへの介入ができるように分割することは可能か? あるいは、一つの地域に試験的に介入をする可能性はあるか?
  4. 平和はすべての当事者によって望まれているのか? その当事者は、紛争を解決しようと動機づけられているのか? その当事者の痛みは介入を歓迎するのに十分か?
  5. 何もしないことは、介入に対する期待よりも悪いのか?
  6. 国内の要素は介入に役に立つか?
現地の中での可視性
現地の中でどれほどの目立ち度が有利なのかを決めることに関連する複合的な問題がある。一つはその国の中での法的な立場という実際的な問題である。チームのメンバーがツーリストビザあるいは宗教ビザで入国したならば、彼らの平和活動の目立ち度は、歓迎していない政府側に彼らを国外退去させる機会を与えるかも知れない。 しかし、政府がチームの存在に同意したのであれば、目立ち度が役立つことが証明されている。 抑止の戦略は、同行者や割込み者の目立ち度 の高さに左右される。

なお他の問題は、第三者の国際人に対する世間の注目の効果に関係がある。それは、地元の紛争解決者からの信用と信頼を損なうのか、強めるのか?

ノンバイオレンス・インタナショナルのスタッフであるマイケル・ビアの意見は、第三者は活動を果たすために必要な最小限の目立ち度を求めて努力すべきである、というものである。 過剰な露出は、政治的攻撃あるいは依存への地滑りを起こすかも知れないし、露出不足は、介入者による恩恵を無効にし、信頼を損ねるかも知れない。

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