<非暴力平和隊実現可能性の研究>

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

2.2 平和チームと「市民平和活動」

2.2.2 平和チーム

ドナ・ハワード


2.2.2.4 成果と影響
「実際に私は、ものごとは寄せ集めに過ぎないと思う」
非暴力的活動の成果をどのように評価するか? 暴力紛争を減らすために努力を傾注している人々すべてがこの問題に悩んでいる。 私たちは成功したのだろうか?

「イスラエルの嫌がらせのために、ある農夫は小麦を収穫することができなかった。それで私たちは、彼と一緒に畑に行って働いた。彼は私たちと共にそこで働くことができたのだが、収穫は後で燃やされてしまった。私たちはそれを救うことができなかった。 私たちは助けたことになるのだろうか?... 悲しいことに、ヘブロンの家々は再び破壊された。私たちは何を達成したのだろうか?」。ヘブロンのCPTチームからこのような質問が寄せられる。成果は紛らわしい。

平和維持 Peace keeping
平和維持では、永続的な平和を創造することはほとんどできない。 その機能は単に暴力を止めて、紛争解決の可能性の道を開くことである。大規模な非暴力の平和維持活動がおこなわれれば、その成果を評価することはおそらく可能であろうが、それはまだなされていない。

割り込み Interpositioning
GPTのキャンプ設営は、湾岸危機に対する平和的解決が可能であったという考え方を象徴している。 その成果が単に象徴的なものでしかなかったのか、あるいは真の介入のための可能性があることを実際に果たしたのか? キャンプの目的が単なる物理的な割り込みであったのか、戦争に反対する世界的なコンセンサスの構築を助けるために計画された政治的割り込みだったのか? ガルフ・ピース・キャンプは、戦争の時にかなりの人数の平和活動家たちのグループを交戦国の間に置くことを初めてなし遂げた。…「砂漠の嵐作戦」の戦争行為が始まった時、平和キャンプがイラクとサウジアラビアの国境線上に配置された。

ミュラーとビュトナーのガルフ・ピース・キャンプ についての成果分析は「紛争を拡大させようという上層部によって示された意図に対する、重大な異議申立てにはならなかった。そのためには、人数が少なく、目に見える中立性があまりに少な過ぎた。何故ならば、キャンプをたった1か所イラクの国内にしか設置できなかったので、戦争を宣伝する側にとって、中立性と道徳的な正統性に疑いを投げかけるのは容易だった。 もっと多くの人々がいたならば紛争を縮小させる効果を実際に達成することができたのかどうか、という問題はまだ未解決のまま残されている。」

同行 Accompaniment
「国際的な同行がなかったら、人々は軍隊が踏みつけられる虫のようなものだ」
  …メキシコにいて、ペテンへの帰還を待っているグアテマラ人難民。
CFJの同行は、地元の著名な牧師の影響によってFRAPH(ハイチ発展フロントと称する準軍事団体)によって誘拐されていた男性の解放という成果を事実上もたらした。「それは、準軍事団体の誘拐から誰かを解放するという同行による介入についての私たちのケーススタディの中での唯一の例の一つ」であり、直接的な抑止よりはむしろ、道徳的・政治的な信念として同行の可能性を例証している。

いくつかの場合、1997年にコロンビアの「サバナ・デ・トレス人権委員会」委員長であるマリオ・カリクストの誘拐の時に起きたであろう、二人の同行者の介入のように、同行による救命の成果は問うまでもない。 2人の武装男性がカリクスト氏の頭に銃口を向けた時、同行者たちはその間に割って入り、危機的状況を静めた。ガンマンたちは、危害を加えることなく立ち去った。

スリランカのブラドマン・ウィーラコーン副大統領によると「政府は確かに同行に注意を払った...地元の警察官や兵士も、たとえ国際政治を何も理解していなくとも、同行には注意に払った。この地方公務員は、彼の上司が彼の態度について何か聞くかも知れないことを最も心配している、そして、彼は外国人が何らかの力を持っている、… 自分はそこにいないのだ、と勝手に想定する。 そのプレゼンスは、彼を用心深くするだろう」という。 ウィーラコーンはまた、道徳的な視点を示唆した。「このような行為に関わる男は、悪いことをしているのを知っており、そして、秘密のうちにやろうとする」と。

ミュラーとビュトナーは「PBIは活動している市民社会の中で、持続的な暴力の抑制」を立証している、としてPBIグアテマラ・プロジェクトを評価している。

「多くの場合にPBIは、草の根レベルや中間層の人々および市民社会の組織を、脅迫あるいは暴力の行使から保護することができる」。 これは、プレゼンスと護衛を通して、すべての関係者との関係を確立することにより、政府への対話の申し出により、そして、国内での抑圧と暴力について国際社会に知らせることによって、なされる… 国際的な警告ネットワークは、重大な局面で国際的に広く知らせることを発動する。それは、事実上グアテマラの上層部への制裁力を持っている。「この場合、暴力の抑制は、実行される制裁に対する能力を通して、介入グループの仲介者によって支持される。」

同行の1つの期待された成果は、地元の活動家が恐怖に打ち勝つことができるようにすることである。 これは彼らの団体の中で他の人との連帯を必要とするが、そのような団体を作る行為ですら危険であるかも知れない。そのような団体がなければ、単独で恐怖に立ち向かわなければならないが、そのような団体がいったん成立すると、それは、国家によって確実に「非合法化」され、邪悪なものとされ、さらに、参加が禁止される。「同行は、恐怖のハードルを低くすることができる。人々が民主的な政治活動の初めのハードルに打ち勝つことを可能にする。それによって、グループの成長を促進する。」

同行は、活動家にとって利用し得る政治的活動のスペースを広げる。

「活動家が、もしそうでなければ避けたであろう重要な政治活動を実行することができるならば、その同行は、非暴力的市民社会の強化と成長に貢献したことになる」。あるいは、同行プロジェクトのランディ・コーハンが述べるように「国際的な同行によってなされた最大の影響は、彼ら自身の国の中で公正をなし遂げるために闘争しているグアテマラ人に私たちが提供する休息のためのスペースへの貢献である」。

プレゼンス Presence
CPT派遣団のメンバーであるクレア・エヴァンスは、ベツレヘムの近くのベイト・ジャラにおけるプロジェクトについて証拠と問題の両方を提出している。 「2000年の12月前半に、ベイト・ジャラのパレスチナ人地域のイスラエルの砲撃に対応するために、2人のチームがそこにいた。砲撃はほとんど毎晩起きていた。 私たちのチームは何か圧迫を受けていた。そのいくつかはチームのメンバーである70歳にななるローマ・カトリックの修道女に向けられていた。また、米国とカナダの大使館も私たちのプレゼンスを承知していた。 1月中旬までには、砲撃は中止された。私たちのチームがプレゼンスしていたことが一つの要因だったのだろうか?

「最終的なプロジェクト・リポートから引用すると、「結論として、私たちは爆撃の停止に役立ったのか、という問題になる。実際に攻撃を停止したり抑制する中にあって、私たちがどのような成果をあげたのかを正確に知ることは決してないだろうと思われる。確かに、私たちの広報活動はP.R.であり、軍隊にとっては頭痛の種であった。クリスマス・シーズンの間に、尼僧を爆撃することは、彼らにとって良いこととは思われない。 しかし、この近隣への爆撃は、私たちのプレゼンスがメディアの記事に最初に現れた直後に一時的に増加した。それは軍隊が私たちに、立ち去ることを納得させようとしていたのだろうか?」

「もう一つの問題は、私たちのプレゼンスが、パレスチナ人のガンマンを保護するであろうと考えて、彼らがこの近隣から射撃することを私たちが勇気づけたのかどうか? ということである」。私たちに関する話が現れた後のある時には、砲火は私たちの家のすぐ近くから飛んで来た。この両方の問題について、地元の仲介者たちはいろいろと違う意見を伝えてくれる。

「しかしながら、爆撃は停止された(これを書いている2001年1月17日現在、少なくともベイト・ジャラでは)」。私たちは停止したことに、どこで直接関連したのか? 最も現実的な答えは私たちがいくつかの要素の中の一つであったということである。確かに私たちは一つの要素であった。」

この話は一つのことについてはっきりしている。それは、紛争地域におけるメディアの活動による目立ち度の価値である。そのチームがそこにいることを人々が知らなければ、そこにいることの影響力はほとんどない、そしてそれが印刷されるならば、彼らの態度がどのように見えるかについて心配する。彼らのプレゼンスが、a) 1月中旬までの砲火の休止、b) 報道機関による報道に続くこの近隣での砲撃の一時的増加、c)この近隣からのパレスチナ人ガンマンによる砲火、を引き起こしたのかどうかは明確ではない。この成果は、また、CPTのプレゼンスが、爆撃を終わらせた「いくつかの要素の中の一つ」であったという道徳的勝利および経験的確信として、定義できるだけのように思われる。

ニカラグアでのWfPのプレゼンスの成果について、何人かの参加者は象徴的なものでしかなかった、と評価した。兵士のフランシスコ・マチャドは、感慨を込めて「彼らのうち何人かは、戦争を止めるには、彼らのプレゼンスだけで十分だろう、と考えてやって来た、しかし、彼らはすぐにわかった」と言った。WfPのニカラグア人パートナー団体のメンバーであるシクスト・ウロアは「WfPは(ジャラパからの)反革命運動をつぶしてしまった」と信じていた。再定住コミュニティを訪れることによって、WfP はまた、その区域に相当程度の保護を拡張した。米国からの訪問者がそのコミュニティを訪問するような機会には、コントラは攻撃するのを避けなければならなかった、と彼は信じている。

チアパス高地にいる追い払われた村人たちは、「あなたがたがここにいたならば、実際の大虐殺は起こらなかっただろうに」とCPTのメンバーに語るほど、国際的なプレゼンスが保護的であると強く信じている。

緊急行動ネットワークと国際的圧力
同行とプレゼンスの有効性は、うまく開発された緊急時の行動ネットワークと加えられる国際的圧力の利用にかかっている。 PBIは徹底的にこの戦術を開発し、明白な成果を持ってそれを利用している。 二つの例を挙げる。

「ボランティアが逮捕される都度、PBIはその国際的な緊急行動ネットワークを働かせた。そして、多くの場合に、この外圧が、PBIボランティアだけではなく、時には彼らと一緒に逮捕されたエルサルバドル人の釈放をもたらす助けになったことを証拠が示している」

彼らに対して企てられた待ち伏せを回避した後で、PBIチームは直ちに大使館と政府役人との一連のインタビューを始めた。 世界中のPBI支部は、自国の政府およびコロンビアにある自国大使館に電話をした。ヨーロッパの三カ国の大使館の代表がやって来て、PBIの活動を支援して、住民と軍事当局に会った。 PBIに対するどのような攻撃についても政治的な因果関係があったことは明らかである。この事件は、PBIの地元での認められた影響力と同様に、PBIの安全を強化させた。

観察 Observation
逸話によってだけなのだが、人権の観察と監視は、効果的な抑止戦術であることが知られている。 しかしながらそれは、何が進行しているのか、そしてその結果としてその態度が止まることを報告することについて、チェックポイントで兵士と話すボランティアにとっては決定的であるように思われる。アムネスティ・インタナショナルによっておこなわれているように、実際の文書化と報告は、定量化可能な効果を持っている。 しかし一方、これらの活動は、それを通して情報が注がれなければならない国際的な対応ネットワークと同じくらい効果的であるに過ぎない。

この活動は時には危険を伴う。CPTとPBIには、取り上げられてしまったカメラと露光されてしまったフイルムの話がたくさんあり、カメラを渡そうとしなかったボランティアが逮捕されたことも一例ある。 PBIは、フラッシュ写真の撮影が、グアテマラのルニフィ工場においてデモをやっていた市民を危険にさらしたかもしれない、といぶかっている。同行について言われていたように、この危険性は、この活動が効果的であることを否定はせず、むしろ証明している。

平和構築と統合的戦略
ミュラーとビュトナーの研究は、BPTの結合した戦略を、対話のパートナーとして、最高幹部に対してかなりの影響を与えたとして、そして、市民社会の中の中間層および草の根のリーダーに対して、さらにそのチームが活動的であった市民社会の部分に暴力の抑制に対していくらかの影響を与えたとして、評価している。「いろいろなグループの間で情報を交換しあうこのチームの能力は明らかであった。彼らが訪れた各グループは、他のグループに関する情報を切望していたし、BPTを情報源として信用していた。 1人の活動家は「あなたたちは、セルビア人とアルバニア人の両方と草の根レベルで一緒に活動した経歴があるので、これをやるのに非常にユニークな立場にいる」と彼らに直接伝えた。BPTI(国際BPT)のプロジェクトは、市民社会の相互関連の進展と紛争解決能力(平和構築:セミナーとネットワークによる権限委譲)の面において強力な支援の役割を果たしている。 直接的紛争の状況の中でのプレゼンスは、政治的な抑圧に対して保護する。暴力と人権侵害に関して(国際レベル)国内レベルで報告することは、国家機関に対してある程度の圧力を増大させる… 軍事攻撃の間、BPTIは、監視の役割を引き受け、また、個人の訴訟事件では脅かされている人々の保護を引き受けている。…」

トレーニングと平和教育
チームのメンバーには、平和チームが提供する正式のトレーニングに加えて、まったく個人的に、そして恐らくは非常に効果的に、地元の人々との対話の中で、継続的に教える機会がある。CPTのプレゼンスに関する感動的な話がある。それは、四旬節(復活祭の前の40日間)の間のチアパスで、メキシコ陸軍の中での市民活動キャンプであった。断食し、祈っていた彼らは、兵士たちと対話し、結局、軍用ヘリコプターの離着陸場を巨大な平和のシンボルに変えてしまった。 別の二つの事例では、後日彼らは若者たちに会った、彼らはその時キャンプで兵士であったが、今は民間人になっていた。なぜ軍人を止めたのかをその男たちに尋ねると、二人とも「あなたがそうするように、と私たちに言ったからです」と同じ答えであったという。

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