行動報告
冬をのりきり、暖かい春を迎えたと思ったら、もう初夏である。のじれんが生まれて1年が過ぎた。光陰矢の如しというが、月日の経つ早さ云々というより、目まぐるしく動く状況を怒涛のように駆け抜けてきたという感である。この凍てつき荒涼とした路上において蔭ばかりではなかった。光を見出した。我々は現在、一筋の光明を手掛かりに確かな足取りで突き進んでいる。これから梅雨に入り、そして猛夏の地獄である。一寸先はやはり闇なのか。いや、ともに生き、ともに闘う仲間がいる限り、我々の未来は決して暗いものではないはずだ。
- ★2月10日(水)
- 国道246号の地下道で、建設省代々木出張所と渋谷警察署が抜き打ちで撤去。警告書には撤去期限が記載されておらず、出張所所長も撤去の予定はないと言ったにもかかわらず強行した。所長は警察の方からいきなりきたのでやったと言い訳。双方に厳重に抗議。(その後荷物を奪われた仲間は自力で取り返した)
全都実で(渋谷、新宿、山谷の各団体で構成)池袋駅周辺の仲間の寄り合い。今回から全都越冬、越年期間は各地の仲間で毎週パトロール。池袋は越冬終了後も継続。
- ★2月12日(金)
- 東京駅−銀座−日比谷公園の仲間の寄り合い。東京パトロールは越冬終了後、全都行動の呼びかけなどの際の不定期に戻す。
- ★2月15日(月)
- 8日になぎさ寮(大田区にある越冬宿泊施設、全体の枠は300人、原則として誰でも2週間入れる)での就労支援のについて要望書を提出し、渋谷福祉事務所と交渉の予定だったが、のらりくらりやる気のみられない福祉に対してトップの部長室に乗り込む。仲間の追及で日時の設定を約束。
- ★2月22日(月)
- 渋谷福祉団体交渉。またもや調整がつかないと逃げるが、部長を捕まえて追及したところ、保護課長があわてて飛んできて交渉の場を設定。なぎさ寮での就労支援については、1日5人大森職安までの交通費の支給(東京都と23区共同で)だけで、給料が出るまでの交通費や生活費などの支給について都から各福祉に要請があったが、渋谷区としては予算も制度もないからできないと回答。日常的な就労支援についてもできるものとできないものがあると開き直る。交渉後、前回の交渉で福祉が明言した「仲間の路上脱却に向けた惜しまざる努力」の具体的実施について引き続き窓口で求めていくことを全体で確認。
- ★2月24日(水)
- なぎさ寮入寮行動。渋谷枠20人のところ60人近い仲間が
申し込み、2回目の仲間は遠慮してもらって優先4人(病気や高齢)の残りを抽選。2週間の期間では最終受付。
- ★2月27日(土)
- 炊き出し後、衣類配布。
- ★3月8日(月)
- 就労支援など越冬後の対策について渋谷福祉に申し入れ書提出。
- ★3月12日(金)
- なぎさ寮閉所。生活保護の仲間はさくら寮(病気や高齢など要保護者用の越冬宿泊施設。一時保護所など移動先の施設が決まらない仲間のために3月29日まで延長)に移動。都区の越冬対策終了。
- ★3月13日(土)
- 越冬闘争集約の寄り合い。児童会館集団野営態勢は解除し、仲間の自主管理へ。炊き出しの後、毛布配布。
- ★3月15日(月)
- 全都春期行動第1弾開始。今回各地で多くの仲間がなぎさ寮に1回も入れなかったこと、入所方法の混乱や不充分な就労支援など、越冬対策の破綻の責任をとらせ、今だ目処がたっていない自立支援センター早期開設をかちとるため、全都の仲間の陣形で東京都や23区を攻めていく。初日は23区を束ねる特別区人事厚生事務組合(特人厚)。区政会館隣の公園に各地から70人の仲間が結集。小集会の後、ワッショイの掛け声で特人厚に押しかけ、代表交渉団を送る。交渉の中で越冬対策破綻の責任を認識させ、次回に向け改善を各区と検討することを約束。
- ★3月16日(火)
- 全都都庁行動。90人の仲間が都庁前の歩道に陣取り、小集会、マイク、ビラ撒き情宣。シュプレヒコールとともに代表団が中に入り、福祉局に対し要望書を提出。
- ★3月18日(木)
- 全都台東区団交。一旦は自立支援センターの自区内受け入れが決まりかけていたものの、「住民の合意が得られない」「1カ所先行開設すると他区から流入する」との理由で翻意した台東区との団交は今年に入って2回目。前回(2月8日)の団交では東京都が約束した今年度本格実施の替わりとして既存施設を利用した開設を検討していることを明らかにした。今回、過去最大の170人が結集。ワッショイデモで区役所を1周し、福祉事務所に乗り込む。「引き続き努力している」を繰り返す保護課長は、「台東区は本当にやるる気があるのか!」との仲間の声に押され、5、6月中の開設に向け都や他区に働きかけると同時に、それまでに本格施設の設置の目処をつけることを約束。
- ★3月19日(金)
- 全都新宿区団交。3月9日の第2回ホームレス問題連絡会議(閣議決定を受け2月12日、国の関係省庁と東京都、新宿区、横浜市、川崎市、名古屋市、大阪市の6つの自治体が、野宿者問題の総合的な対策について初めて協議の場をもった。8月最終報告に向け、月1回のペースで開催)で、新宿区が国に「生活保護の現在地主義を見直せ」(=「野宿者は出身地や家族のいるところへ帰れ」)というとんでもない要望書を出していたことが判明。福祉に詰めかけた170人の仲間は、その撤回を迫るが、生活福祉課長は「財政補助だけ言うにはさびしいから」とわけのわからない回答。要望書の撤回について来週までに内部で検討することを約束する。(以降新宿の仲間を中心に3週連続で団交)
- ★3月23日
- 渋谷福祉団交。就労支援について来年度予算を4割増しで請求したことを挙げ、前向きに検討すると回答。のじれんが買って福祉に預けていた求人紙を来年度から購入すること、仕事の面接のための往復切符支給に関しては、個別柔軟に対応することを約束。
- ★4月1日(木)
- 代々木公園で盛大に花見。80人の仲間が集まり、カラオケを熱唱。
- ★4月3日(土)
- 毎週土曜、生活保護の仲間の交流会開始。
- ★4月7日(水)
- 3月下旬から淀川河川敷にある大阪キタ越冬実の仲間のテントや畑に建設省が撤去攻撃を仕掛けてきたことに対する現地交渉に応援。勝手に撤去しないことを確約させた後、大阪の仲間と交流。
- ★4月15日(木)
- 全都春期行動第2弾開始。自立支援センターに尻込みする台東区を追い詰めるためにの上野駅周辺デモに各地から300人の仲間が結集。センター受け入れに反対しているという住民に向け、「センター作れ!仕事をよこせ!」の掛け声が響き渡る。
- ★4月16日(金)
- 全都都庁行動。220人の仲間が都庁前に座り込み、青島から石原に代わったばかりの都庁に「センター早期開設」の声を叩きつける。
- ★4月17日(土)
- 野宿者人権・資料センターのセミナーに仲間(のじれん弁当隊)が作ったおにぎりを売りにいく。まずまずの売り上げ。
- ★4月25日(日)
- のじれん結成1周年総会。(別稿参照)
- ★5月1日(土)
- 第5回全都野宿労働者統一メーデー。(別稿参照)
- ★5月6日(木)
- 道玄坂の地下道で57歳の男性の仲間が死亡。
- ★5月16日(日)
- 毎週日曜就労相談開始。
- ★5月17日(月)
- 渋谷区に対し、仲間の衛生、保健問題についてシャワー設備の改善、街頭相談の実施を求めた要望書を提出。
- ★5月18日(火)
- のじれん就労支援プロジェクトの一つ、代々木公園にバラック開設。以後公園管理事務所から連続して撤去警告攻撃。
- ★5月22日(土)
- アースデーのフリーマーケットに仲間(のじれんフリマ隊)が参加。宮下公園でもフリマ。正午過ぎ、隣の神宮通り公園で59歳の男性の仲間が死んでいるのを仲間が発見。夕方現地で追悼会。
- ★5月23日(日)
- のじれん就労支援プロジェクト、アパート開設。
- ★5月26日(水)
- 第4回「ホームレス問題連絡会議」が「ホームレス問題に対する当面の対応策について」を発表。自立支援センターの全国的な実施をメインに、国が初めて具体的を打ち出す。
- ★5月27日(木)
- 全都台東区団交。新任の保護課長は、「うちは23区の中でもよくやっている」と言うが、自立支援センターの具体的内容を決める「要綱策定検討委員会」が2月から中断したままで、23区に説得力のある働きかけを行っていないことが、仲間の追及で明らかになる。「検討会」を早急に再開させ、23区をまとめるよう強く申し入れる。
- ★5月28日(金)
- 全都都庁行動。福祉局保護課長、6月4日に「検討会」を開くことを約束。
- ★5月29日(土)
- 日本寄せ場学会に弁当隊登場。
- ★5月31日(月)
- 16日に救急搬送先の病院で亡くなった55歳の女性の仲間の追悼会。
|