渋谷・対区福祉交渉報告

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前号の「いのけん通信」に突然,渋谷区福祉に対する 「申し入れ書」のみ を掲載した.しかし読者には前後の事情はさっぱりわからなかったと思う.

その「申し入れ書」 に対する回答を受けとりに行った九月二九日の対渋谷福祉 事務所交渉の様子を中心に,夏から秋にかけて取り組んだ渋谷での行動を報告す る.

前号の「いのけん通信」が手元にあれば 「申し入れ書」 と「渋谷・原宿活動記録」を参照していただきたい.

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福祉の「疑惑」事件

ことの発端は,七月のSさんに対する生活保護の受給と打ち切りに 対する福祉の不明朗な対応であった.

Sさんは,入院して治療を受けていて生活保護が適用されていた. ところが数週間の後,退院・生活保護打ち切りとなる. その前後で,一日あたりの生活保護費の計算額が異なっていたのだ. しかもいのけんが同行して抗議すると,生活保護費がその前より増えたもの だから,「福祉が着服していたのか?」と色めき立つことになった.

説明を求めると,福祉の職員は電卓まで持ち出して計算して見せるも支給額 をはじき出せない.「この次までに説明を用意しておく」という,なんとも歯 切れの悪いものだった.

結局,きちんと説明がなされ(もしかしたら時間稼ぎのうちに裏で辻褄が合わ されたという可能性もなきにしもあらずだが),とりあえず福祉の対応に問題 はなかったことになった.

しかし,この問題を「寄り合い」で話し合ううちに,野宿者に対する 福祉職員の態度の酷さが次々と明らかになり,みんなの力で福祉を変えていく しかない,という空気が広がっていったのだった.

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情報開示請求

「金にからむ不正か?」という疑惑もあったものだから,いのけんは 条例に基づいて情報の開示を請求した.

生活保護に関する資料は確かにプライバシーに関わる部分が多いだろうから, 非開示になるだろうと考えていたが,それにしても「そのような資料は存在 しない」という回答が多かったのは意外であった.

例えば「生活保護が適用された野宿者に関する統計」は「作成していない」, 申し入れ書の項目にも挙げた「路上生活者問題対策連絡会議の議事録」も「存 在しない」であった.

結局,開示されたのは過去3年間の 「住所不定者相談状況調」 --- 福祉の窓口を訪れた野宿者の数と生活保護法外の措置の数--- と,やはり 三年分の渋谷区の 「路上対策事業費」の予算・決算だけであった. 非常に不十分な内容ではあったが,その後の申し入れや交渉で区を追及する 際の材料とすることができた.

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「申し入れ書」と仲間の声

九月八日に渋谷区福祉事務所長に宛てた 「申し入れ書」を提出した. 全文は「いのけん通信」前号に掲載してある. ここではやや長くなるが,箇条書きにした要求項目を 「寄り合い」で集約した仲間の声 とともに紹介したい.

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九・二九 対福祉交渉

九月二九日の月曜日,いよいよ福祉との交渉だ. いつもの月曜日と同じように渋谷区役所隣の公会堂時計台前に集合する. 渋谷での仲間の団結は難しいよ,とずっと言われてきたのだが,三々五々仲間 たちが集まってくる.代々木公園の仲間もいる.単純に利己的な目的ではなく 仲間のためにいま自分が力を出そう,と思って集まってくるのだ.このと きは支援としても本当に嬉しかった. 新宿からも数名の仲間が応援に駆けつけ,野宿の仲間は総勢二十数名,支援も 合わせれば三十名を超える交渉団となった.

おにぎりで腹ごしらえをした後,いよいよ建物の中の福祉事務所 (保護課) へ向 かう.「わっしょい,わっしょい」と区役所庁舎内を横断していけば他の課の 職員も何事かと注目している.これもひとつの目的なのだ.野宿の問題は決し て担当課だけが何かやればいいというものではないのだから.

区側からは池山保護課長(福祉事務所長),菊地管理課長,山崎相談係長の三 名が出席した.大交渉団を目の当たりにして,はじめは「多すぎる」などと言っ ていたが,窓際の面談室を会場として交渉(彼らの弁によれば決して「交渉」 ではなく「単に意見を聞く場」らしいが)を始めることになった.部屋に入り きれない仲間や支援は窓の外のテラスから鈴なりになって中に顔だけ突っ 込んでいる.

「申し入れ」 に対して官僚的な答弁で済まそうとしていた福祉側は,それを許 されなかった.例えばはじめの項目の「窓口職員の対応」について課長は「普 段から指導しており問題はないと信じている」と回答しようとした.すると周 りにいた仲間たちが「俺は前に来たときはこんな目にあった」「俺のと きはこうだった」と次々と証言した.課長の顔には部下から聞いていた話と違 うという困惑の色が浮かぶ.窓口の責任者の相談係長は「ちょっと用が…」 と面談室から逃げ出してしまった.そして「もう一度実態を調査して指導を徹底 する」という回答を得たのだった.

朝九時に始まった交渉は,ひとつひとつの項目についてじっくりと追求し, 昼休みに食い込んで午後一時まで行われた.回答自体は具体性に欠け,十分 に満足できるものではなかったが,福祉,特に普段窓口にいない課長らに直接 野宿の仲間の声を聞かせ,これまでのように適当にあしらっておくことができ ないと判らせることができたのは大きな成果であった.

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何が変ったか,何が変らないか

九月二九日の交渉で,福祉がその場で答えきれなかったことに関しては宿題と して後日の福祉窓口行動の際に回答させた.しかし残念なことに「対応は既に 十分であると認識している」「広報はしない」「他区施設は検討しない」など, 結局何もしないというものでしかなかった. 野宿を余儀なくされている者たちが知恵を出し合い,行政に対しても反発する だけでなく話し合いの場を通して,生き抜くための方策を共に探りたいと言っ ても,福祉行政の側は,とにかく今までと違うことをやって自分の経歴に傷を つけたくないという「事なかれ主義」に徹しているである.

一度の交渉で行政の態度を一変させることができないのははじめから判ってい る.しかし,一連の行動でもっとも大きく変わったのは何より仲間たちの意識 である.一人ひとりでは聞いてもらえなかったこともみんなで行けば行政もそ れなりにではあるが対応が違うこと,いますぐには無理でも 自分達の力で行政を変えていくことができるということを実感できたことは何 よりも大きな成果であった.

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冬を目の前に

路上の仲間にとって最も厳しい季節,冬はそこまで来ている. 毎週土曜の炊き出し・パトロールで出会う仲間の数は徐々に増えてきている. 年末までにはもっと多くなるだろう.

夏から秋の行動を通して培われた「つながり」は,確実に根づいている. 福祉に対しても今後も越冬対策について追及する予定だ.

これからの渋谷にどうか注目しておいていただきたい.


いのけん通信第 17 号(Dec. 4, 1997)
(c) 1997 町田 ナツオ,渋谷・原宿 生命と権利をかちとる会
inoken@jca.ax.apc.org

$Date: 1997/12/11 12:07:37 $ 更新

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