渋谷「寄り合い」報告

----------------------------------------------------------------

「寄り合い」スタート

これまでの渋谷での炊き出し・パトロールの形態は,いのけんのほうがぐるぐる 歩き回って先輩たちに会いに行っていたのだが,夏の間これを変更し,宮下公園 での「寄り合い」の形で行うことにした.先輩と先輩が出会う場をつくり,そこ から新しい何かを作り出せないかと考えたのである.

と言っても我々の力量では隔週土曜にしか場を持てない.その少ない機会を楽し く過ごせるようにと趣向を凝らした.最初の寄り合いの日には,ギターを持った 先輩がやってきて,自作の歌を歌ってくれたり,歌集から選んで歌うほかの先輩 のために伴奏をしてくれた.まずまずのスタートとなった.別の回にはビデオ上 映会を行った.ベンチの陰で発電機を回し,シーツを紐で木につるしたスクリー ンに,ビデオプロジェクタで映し出せばなかなかいい雰囲気になる. 先輩たちは競馬が好きだろうということで借りてきたのが「天皇賞名勝負.」い きなり菊の御紋が映し出され,「かの明治大帝が…」と始まったのにはまいった が.

飯はたいていいのけんの事務所「ながれや」で作って運んだが,ときには公園で 「共同炊事」も行った.みんなで輪になって野菜を切り,カセットコンロふたつ で大鍋に豚汁を作った.おおいに盛り上がり,その日は話もはずんだ. 毎回三十から四十人の先輩たちが集まってくれたと思う.飯を食ってから,思い 思いの話をした.246号ガード下から追い出されたときの報告,これからのこ と,福祉の対応のこと,尋ね人があったり,みんなでその情報を言い合ったり. 入れ替わりも多かったが,それでも少しづつ顔見知りになっていった. こうした話し合いの中から246号ガード下撤去問題に関して,建設省代々木出 張所との交渉が実現した (別記事参照)

代々木や新宿からも

やや離れた代々木公園からも先輩たちが顔を出してくれた.彼らは公園の端のほ うにテントを張り,比較的「定住」生活をしていて,渋谷の先輩たちとはまた ちょっと違ったスタイルの人たちだ.しかし彼らもこの寄り合いが始まったこと をとても喜んでくれた.公園でも月に一度撤去があり,みんな怒っていること, 力を合わせて何とかしていきたい,と話していた.

新宿駅西口の地下通路で生活する先輩たちも毎回十人くらい応援にきてくれた. そこで渋谷と新宿の先輩たちの交流も生まれた.新宿では一足先に先輩たち自身 による「仲間の会」ができており,ともに力を合わせて生きている.そのすばら しさを渋谷の先輩たちに話してくれた.

じっくりと長い目で

一方で,厳しい目でこの寄り合いを見ている先輩たちもいる.「おまえら何年こ こで『力を合わせて』と訴えてきた?それで何が変わったんだ?ここに暮らして る連中はみんな駄目なんだよ.飯が目当てで来てるだけさ.」ある意味では正し いと思う.僕らがやっているのは何なのだろうと思うことだってときどきある. しかし,月に二度ほどの集まりで,一年や二年で何かができるとは思わない. じっくりと腰をすえて関わっていきたい.「なにより,あなたがそんなことを 言ってくれるようになったことだよ」と思わず言いたくなる.こういう言い方を する人ほど,みんなが力を合わせて助け合って生きていけたら,ということを考 えているんじゃないかと思う.

反省点もいくつかあった.どうしても寄り合いに来ない,来れない先輩がいるの で,並行してパトロールをやる必要があったのだが,寄り合いに参加できるいの けん,支援の人数が少なく,十分にはできなかった. また,いのけんがマイクを持ち一方的に話してしまう場面がどうしても多くなっ てしまった.みんなの前で話すことを苦手とする先輩が多いのでしかたがないの が.散漫にならず,かつ気負わずにみんなが参加できる,そんな「寄り合い」に していきたい.

先輩たちのなかには,人間関係に疲れてしまったのだろうと思わせる人が何人も いる.寄り合いに来ようとしないし,来てくれても誰とも話そうともしない.裏 切られて裏切られてここにやって来たのだろうか.そんな人たちがほんの少しで も居心地がいいとか,気が休まるとか感じることのできる場が作れればいいなと 思っている.いますぐというのではなく,心のどこかにちょっとだけでも引っか かっていて,あるときふと思い出してくれればそれでいい. そんなことでは腹がふくれる訳ではないし,寒さがやわらぐ訳でもないのが厳し い現実であるのだが.

冬を目の前に

近頃めっきり寒くなってきて,公園での寄り合いはつらくなってきたので,以前 の,いのけんが飯を持って先輩たちを訪ね歩く形態に戻した.しかしすっかりも とに戻ってしまった訳ではない.今度は新宿の先輩たちが一緒に回ってくれてい る.「新宿から来たよ.がんばろう!」と声をかけると先輩たちも嬉しそうだ. 渋谷の先輩の中にも手伝ってくれる人が現れはじめた.それに何と言っても,夏 の寄り合いの間に顔見知りになった先輩たちの反応だ.「あ,そうか今日はいの けんの日だったな.公園で寄り合いはやんないの?」「寒いからさ,しばらくお 休みして,またこうして回ってくるよ」「そうか.楽しかったよな.次はいつ来 る?待ってるよ.」

大晦日の「越年・越冬まつり」の企画,実行を中心に,この冬の間の取り組みを 担う 「渋谷 冬をのりきろう!実行委員会」 をたちあげようと,今いのけんでは呼びかけている. 皆さんの参加をお待ちしています.


いのけん通信第 10 号(Nov. 23, 1995)
(c) 1995 町田ナツオ,渋谷・原宿 生命と権利をかちとる会
inoken@jca.ax.apc.org

$Date: 1997/08/12 14:51:57 $ 更新

index 10 号 目次
up いのけん通信
Home いのけん ホームページ