第2回総会 記念講演 全文
(1999年6月5日、於 たんぽぽ舎)

南京事件 −− 虐殺否定論の動向

吉田 裕 一橋大学教授

第2章


二、南京事件をめぐる論争について

(一)保守派内部の亀裂

(1)偕行社の方向転換
それから南京事件をめぐる最近の論争ですけど、まず重要なのは、 ここでも先ほどの天皇制をめぐるのと同様で保守派の中に亀裂が入っています。 これはご存知のように大分前ですけど、偕行社、 陸軍の正規将校の親睦団体である偕行社が方向転換をした。 最初の『証言による南京戦史』という連載ものでは、 日本軍はシロであるということを論証しようとして、 関係者から資料の提供や証言を求めたところ、捕虜の虐殺、 捕虜を殺せという命令を受けたとか、 そういう類の証言や記録がたくさんでてきちゃったんですね。 そこで総括の号で、加登川幸太郎さんという、戦後軍事評論家として有名になった、 旧軍人出身の人ですけど、編集者としてまとめをやって、 「中国人民に対しては非常に惨いことであった、 詫びるしかない」というまとめをするんですね。 加登川さんはその後でも書いてましたけど、彼は陸軍大学校の学生だったころに、 南京である種の不法行為があったということを自分は聞いていたと、 だから自分は最初から日本軍はシロであったという判断は持っていない、 クロであったという判断をもっていた、と言っているんです。 そのような形で、詫びたということをめぐって、 偕行社の中で加登川批判が吹き出るんですけど、 ともかくそういうことをやって『南京戦史』という本を1988年に刊行するんですね。 その中で捕虜等16、000人の殺害があったということを認めるわけです。 捕虜や投降兵の殺害があったことは認めるわけです。

(2)奥宮正武『私の見た南京事件』
それから奥宮正武、『私の見た南京事件』。 これが97年にPHP研究所から出ています。 奥宮さんというのは有名な海軍出身の軍事評論家、パイロットです。 日中戦争中に南京の内外でかなり海軍機が撃墜されているんですね、 その墜ちた飛行機に乗っていた日本兵の遺体を捜索する活動にあたっていて、 南京陥落直後に南京に入って、城内を車でずーっと回った経験があるんですね。 それで虐殺の現場を目撃してるんです。それを非常に率直に書いています。 それと彼は、虐殺数は大体5万人ぐらいではないかとして、秦郁彦説を採っています。 なおかつ、この本の面白いところは、 先ほどの藤岡信勝の自由主義史観を罵倒してるんですね。 そういう人がいるから日中の友好ができないんだ、ということを非常に強く、 これにはちょっとびっくりしました。 保守派の軍人で、 どちらかというと太平洋戦争肯定論で対米開戦止む無し論に近い人なんですけれど、 その人からこういう意見が出てくるんだなあということで、 ちょっと意外な気がしたんですけれど、 ともかく彼は自由主義史観のような言説は日中友好にマイナスであることを 非常に強く言って、藤岡信勝氏を名指しで批判しています。

(3)福田和也「南京大虐殺をどう読むか」
こういう論文が出ました。若手の自称右翼の福田和也ですね。 今、保守系論壇の売れっ子ですけど、 彼が『諸君』の97年の12月号に「南京大虐殺をどう読むか」という論文を書いて、 この中で大体5万人くらいの虐殺はあった、ということをいいます。 これに小林よしのりなんかは頭に来るわけですけど、 福田和也のいっていることは結構おもしろくて、 自由主義史観や新しい歴史教科書を作る会の人たちは日本軍はシロであったと、 そのことだけを論証しようとしている。 じゃあクロだったらどうなんだ、クロだったらあなたがたは自分の国を愛せないのか、 ということをいうんですね。 これはちょっと面白い言い方で、間違いを犯した国であったとしても、 自分は愛国者だから愛するんであって、 シロだったということを論証する必要はないんだと、これは大分論争になりました。

(4)中村粲「『南京事件』の論議は常識に帰れ」
それから、中村粲という正真正銘の大東亜戦争肯定論者ですけど、 彼は『正論』の99年の5月号に 「『南京事件』の論議は常識に帰れ」っていう論文を書いています。 面白いんですが、あの藤岡信勝批判なんですね。 藤岡信勝氏は、彼は書いたものがないもんですから、講演なんかの記録を読むと、 ついに南京大虐殺0説に移行したようなんですね。 それをめぐって中村さんと論争になって、 中村さんの場合は「南京事件の光と影」というんですね。 光の部分もあったが影もあった。 光というのは日本軍の入城によって治安が回復した、これを光だと、 これもかなり強引な主張ですけど、それは仮に認めてあげるとして、 影の部分は投降兵とか捕虜の虐殺、市民の虐殺、 そういうものがあったということは否定できないと、そういうことをいっています。 彼は参戦者だった兵隊からある程度聴き取りをしているようで、それもあるようで、 影の部分まで否定するのはおかしいということをいって、常識に帰れといって、 藤岡信勝氏を批判しているんですね。 藤岡信勝氏は太平洋戦争肯定論はとらないし、 左翼の東京裁判批判もとらないというころから出発して、 中村粲批判もしていたんですが、 その中村さんから今度は常識に帰れっていわれるようになったんで、 これはもうほとんどお終いじゃないでしょうか。

(二)虐殺否定派の最近の動向

(1)国際法の再解釈による虐殺の否定
そういう状況です。 虐殺否定派の最近の動向はさすがに、 ある実態があったということは否定できないんですね、 数の問題では意見が分かれますけど、ある種の犯罪や不法行為、 残忍な行為があったということは否定できなくなってきているんです。 ですから完全なまぼろし説というのは厳密にいうと存在しないんですね。 その中でどう生き残ろうとするかというと、最近の傾向は国際法を再解釈して、 虐殺を肯定化しようとする。 国際法をかなり無理に曲解して、虐殺を肯定するという議論です。 一番典型的なのは、これが大体否定論者の種本ですけれども、 小室直樹、渡辺昇一の『封印の昭和史』という本があって、 この中でこういうことをいっているんですね。 まず捕虜っていうのは契約関係である、 だから責任ある指揮官が降伏を申し出なければいけない、その上で降伏を受け入れる。 受け入れるにあたって、受け入れるかどうかは受け入れる側の権限なんだ、 ということをいうんですね。 南京の場合は唐生智という司令官が逃げて、最高司令官がいなくて、 責任ある人がいなくなった。 正式な投降を申し込んできた人もいないんだから、 投降してきた中国兵を殺したってかまわないんだって、 これはむちゃくちゃな議論なんですけど、これを言うわけですね。 これは国際法上の根拠は全くありません。 これは後で話しますけど、 ハーグの陸戦条約の一条の拡大解釈でいってるとおそらく思われますけれど、 これは根拠はありません。 ただしこれは面白いのは、この解釈を適用すると一番困るのは実は日本なんですね。 というのは日本軍は戦陣訓という戦場道徳があって、降伏はしちゃいけないんです。 ですから、日本軍はニューギニア戦線で、大隊単位で降伏しちゃったという、 前代未聞といわれた珍しい一例があるんですけど、 それ以外は指揮官が降伏を命ずるということはないんですね。 そうすると日本軍の場合はどうなるかということです。 南方戦線で日本の投降兵があり、人種的な偏見の問題があって、 アメリカ兵が大分殺した例があるんです。 アメリカの場合は捕虜収容所に入れてから虐待して殺すということはないですけど、 投降してくるところで殺している例はかなりあるんですね。 ところが、この小室直樹、渡辺昇一説をとると、 日本兵の捕虜は殺されてもやむをえないんだ、という主張になっちゃうんですね。 その点は彼らもさすがに気にしているらしくて、資料の6、 『封印の昭和史』を読みますと、 「逆に日本軍は南の島でずいぶん玉砕したといわれていますが、 降参した日本兵はあらかた殺されています。 英語を話すことができる者だけは情報を得るために生かされましたが、 それ以外の投降兵については、アメリカにしてみれば厄介なだけだったのです。 そこで大量に殺してブルドーザで埋めたわけですが、 これらの人を捕虜といっていいかどうかわかりませんが、 そのようなことがあったということは、向こうの記録にちゃんと書かれています」。 これは非常に奇妙な文章ですね。 捕虜とはいえないというのですが、それはさっきの彼らの議論があるからですね、 正式に降伏していないから捕虜とは認められないんだ、 だから殺してもかまわないんだということに論理的にはなってしまうのですけど、 そこまでは言えないわけですね。 ですから前半は非常にアメリカ軍の非道さを 非難する口吻に満ち満ちているわけですけど、 後段に行けば行くほど腰砕けになっちゃって、 向こうの記録にちゃんと書かれています、という結論で終わっているんですね。 中国側に対する犯罪をきちんと追及できなければ、 連合軍側の犯罪だってきちんと追及できないんだということですね。 このことがあります。

それから、これが最近の否定論の一番の種本なんですが、 東中野修道氏の『南京大虐殺の徹底検証』があります。 これも読むと頭の痛くなるような本で、 僕は南京はもう止めて他のことをしようかと思っていたんですが、長い間読まないし、 買いもしなかったんですけど、 あまりにもむちゃくちゃなことを言い出したみたいなので、 みんなで反論の本を柏書房から出すことになって、 それでようやく取り寄せて読んだんですけども、まあひどい本ですね。 これは中国の南京の防衛軍は国際法の適用外だという主張をするんですね。 なぜそうなるかというと、彼はこういう風にいうわけです。 資料7の1〜3条は後で説明しますけど、漢数字の四の項目だけちょっと見てください。 東中野 説によると、軍が正式の交戦資格を与えられるためには、 次ぎの四つの条件を守らなければいけない。 (1)部下のために責任を負うものその頭にあること、(責任ある指揮官があること)、 (2)遠方より認識しうべき固着の特殊徽章を有すること、 (民間人と区別できるなんらかのマークをつけなければいけない)、 (3)公然と兵器を携帯すること、(隠し持ったりしてはいけない)、 (4)その動作につき戦争の法規慣例に遵守すること、こういう条件があって、 こういう条件を満たした場合にのみ、軍隊は交戦資格を与えられる。 捕虜になったときは正式に捕虜として認定され、人道的に処遇される、 という説なんですね。 ところが南京の防衛軍はこの条件を満たさなかったと彼は主張するわけです。 (1)部下のために責任負うものその頭にあること 、は唐生智が逃げちゃった、 これでまず第一項違反、 それから(2)遠方より認識しうべき固着の特殊徽章を有すること、 これは軍服を脱ぎ捨てて難民区に逃げ込んだ、これで二項違反、 武器を捨てた、難民区に逃げ込んだ、これで三項違反、 以上を通じて交戦法規に違反した。 だから中国防衛軍は国際法の適用外である。捕虜としての資格を与えられない、 だから殺してもかまわない、というふうになるんですね。 これが東中野説です。 ところが今いわなかった、四項目の前文部分を見ていただくと、 次のようになってるんですね、 第一条「戦争の法規及権利義務は単に之を軍に適用するのみならず、 左の条件を具備する民兵および義勇兵団にもこれを適用する」。 つまりここでいってるのは国際法というのはまず、基本的に軍に適用する、 軍というのは正規軍のことです。 正規軍にも適用するけれども、民兵や義勇兵の場合でも左の4条件を満たしたら、 国際法の適用を受けるという条文なんですね。 これは説明が必要ですけれども、 国際法の主流というのはもともと正規軍主義なんですね、 徴兵制で集められた正規軍が中心になる。 ところが民兵がいるわけですね、スイスとか民兵制度を採っている国がある。 それから普仏戦争の時なんかプロシア軍が入ってきたとき、 フランスの市民が直接敵対するわけですね。 そういう義勇兵とかいうものも交戦資格を持ったものとして認めろと、 いろんな国が国際会議の場で主張するわけですね。 結局一応徴兵制が主流、正規軍が主流ではあるんですけど、 民兵や義勇兵の場合でもある条件を満たした場合には、 交戦資格を認められる、ということになったわけです。 ですからこれはそもそも民兵や義勇兵のことをいってるんです。 ですから、「部下のために責任負うものその頭にあること」というのも、 当時の国際法でもかなり巾をもって解釈されていて、つまりゲリラや民兵の場合、 指揮系統、命令系統はそんなにはっきりしてないですからね。 本国の政府から任命された司令官がいなくたってかまわないんです。 その中で選んだって構わない。ですからそういう条項なんですね。 それをつまりゲリラや民兵を想定した条項を無理やり正規軍に当てはめて、 中国正規軍はそれに違反したというふうになっているんですね。 非常に問題のある見解です。 しかし、仮に百歩譲って、正規軍がこういう犯罪をすることがあるんですね。 たとえば正規軍の兵士が軍服を脱いで市民の服を着て、 ピストルを隠し持って狙撃する、ということが実際あり得る。 その場合は戦争犯罪になるんですね。 当時の国際法では戦争犯罪になる。 ところが彼らは戦争犯罪を犯したものはすぐに殺してもいいと思っているんです。 それは大きな間違いで、軍事裁判の手続きがなければ処刑できないんです。 処刑という以上は法的な手続きが必要なんです。 当時の日本の軍でいえば軍律法廷というんですけど、 軍律法廷にかけて処刑しなければいけない。 ところが南京の場合、それら全部すっとばして、 その場で殺してしまったわけですから、違法性は非常に明確になってるわけです。

それから、そもそも民兵、 義勇兵を想定した条項を無理やりに中国の正規兵に当てはめて、中国の正規兵は、 特に南京防衛軍は国際法を蹂躙したというわけですね、 今の4項に違反することによって。 そういう議論を立てているんですけど、 それもやはり全部日本に跳ね返ってくるんですね。 たとえば沖縄戦を考えてもらえばわかりますけど、沖縄戦は45年の6月23日に、 牛島満という第32軍の司令官と長勇という参謀長が自殺しているんです。 東中野修道の論法でいえば、 彼らは自殺することによって司令官としての職責を放棄した、 指揮官がいなくなってしまった。 正式の司令官がいなくなった以上、 正式に日本軍が降伏文書に調印するのは9月7日ですけど、 それまで散発的に潜伏している日本兵とアメリカ兵の間に戦闘が続いているのですが、 その場合、投降してくる日本兵は殺しても構わない、 国際法の適用範囲外だから殺してもかまわない、という議論になるんですね。 こういうふうになると、 また米軍の戦争犯罪を追及できない論理になってしまうんですね。 そのへんを彼らはほとんど無視しているんですけれど、実際、 たとえば本当に米軍や連合軍の戦争犯罪も追及しようとすれば、 同じ基準でそれを中国戦線にあてはめざるをえない。 そうすれば当然日本軍の中国に対する戦争犯罪の存在を否定できないということですね、 これが重要だと思います。

(2)国際法の無視による虐殺の否定
これらは国際法の歪曲ですが、もうひとつは国際法の無視です。 これは何度言ってもこの主張を無視するんですけど、彼らが言うのは便衣兵ですね。 資料8を見てください。小林よしのりさんのマンガ。 「便衣兵 − つまりゲリラである」、 「軍服を着ていない、民間人との区別がつかない兵である」、 「国際法ではゲリラは殺して良い」、「ゲリラは掟破りの卑怯な手段だからである」。 いい加減にしてほしいんですけど、ちょっと一言説明しておきますと、 ゲリラ、民兵、義勇兵というのは国際法の中では主流ではなかったんですね。 それはある意味では国際法っていうのは、当時の大国の意志を反映してますから、 植民地を持っている大国の利害を反映しているわけです。 植民地大国に対する反乱というのはゲリラという形をとって現れるわけですよね。 だからゲリラにはなるべく正規軍と同じ国際法上の資格を与えたくないというのが、 先進国というか植民地保有大国の側の理屈なわけですね。 ですから、国際法上ゲリラにとってはかなり不利なんです。 さっきのハーグ陸戦法規は、1907年に調印ですけれど、 ゲリラにとっては不利な条項という面があるんです。 もう一度見なおしてください。 4つの条件を満たしてのみ、民兵や義勇兵には交戦資格が与えられる。 だから捕虜になった場合でも、人道的に処遇されるということです。 まあ第一項はいいですよね、責任者がいる。 ところが、第二項の遠方より認識しうべき固着の特殊徽章を有すること。 たとえば都市ゲリラの場合、民衆にまぎれて、市民に紛れて行動するわけですよね、 私はゲリラですってワッペンをつけて回るバカはいないわけで、 これはゲリラの活動を規制する面があるんですね。当時の国際法自体がです。 国際法は目安として重要なんですけれども、 国際法自体が歴史性というものをもっていて、 特に戦前の国際法はゲリラという形をとって現れるような、 民族的抵抗を抑え込む役割を果たしていた。 その歴史性ということを考えにいれないといけません。 しかしそれを押さえた上でもやはり当時の国際法からみても 無理な主張を彼らはしています。

便衣兵というのは1932年、昭和7年の第一次上海事変の時に登場してくるんですね。 これは便衣という一般人の服ですね、これを中国の学生や労働者が着て、 正規兵も少しいたようですけど、民間人の服を着て、上海で一種の都市ゲリラをやる。 単独で行動して拳銃で狙撃したり手榴弾を投げる、これを便衣兵というんですね。 そういう民間人の服を着てゲリラ的な行動をする戦闘者、これが便衣兵です。 これは当時の国際法の解釈では、現行犯でですね、 手榴弾を投げてきたり、拳銃で狙撃してきたときは、 現行犯で正当防衛で反撃できますけど、 処刑するにはこれもやっぱり国際法上は軍事裁判の手続きが必要なんですね。 小林よしのりは国際法上は殺してもよいと書いていますけれど、 これは全くの間違いで、軍事裁判の手続きを経て、初めて処刑ができるわけです。 それはそうなんで、民間人の服を着て、武器ももってないのに、 お前は目つきが悪いからゲリラだろうとか、 まあ南京ではそういうことで殺しちゃったんですけど、 そういうことをやると大変なことになるわけですね。 事実、第一次上海事変の時には、日本の外務省の電文の中に残ってますけど、 かなり誤認というか、間違って一般人を殺してしまった。 日本人の居留民が自警団みたいのを作って、自分たちで検問をやって、 通行人を処刑しちゃう、殺害しちゃうんです。 外国人まで間違えて殺害した例があって、 これは日本の出先の外交官が本省に報告してますけど、 かなり間違えて一般人を殺してしまったのです。 そういうこともあるから、当時の国際法の解釈でも、間違えて良民を、 冤罪の良民を殺してしまう場合もあるから、 必ず軍事裁判の手続きを経ないと処刑できないんだというのは、 当時の日本軍の常識でもあった訳ですね。 ところが、南京でやったことは、まず厳密にいって、便衣兵という戦闘者はいません。 多少散発的な抵抗はあったと思いますけど、『南京戦史』をみても、 先ほどの『証言による南京戦史』を読み返してみたんですけど、 難民区の掃討に当たったのは第9師団の第7連隊という連隊で、 その上の旅団長の副官の談話が載ってましたけど、城内に入って難民区に入っても、 ほとんど抵抗はなかったということをいってるんですね。 だから中国軍の便衣兵による抵抗はなかった。 『南京戦史』も、予期に反して抵抗はきわめて微弱であった、と書いてます。 いわゆる便衣兵の抵抗はなかったんですね。 実際にいたのは戦意を失って軍服を捨て、武器を捨て、 難民の中に紛れこんでいた中国兵がいただけです。 それは厳密な意味で便衣兵ではありません、それを殺してしまった。 仮に便衣兵がいたとしても、 さっきから繰り返しいっているように軍律会議にかけなければ処刑できないんですから、 それをすっ飛ばして、目つきが怪しいとか、この辺に軍帽の跡があるとか、 第7連隊の場合でみると青年壮年男子はすべて連行せよって書いていますから、 末端では若い男は皆連行して殺したんだと思いますけど、実際は、 怪しげなそういう基準で皆殺しにしたのです。 これは国際法上の大問題です。

(3)敗残兵の殲滅の正当化
それから敗残兵の問題がある、南京事件の場合は東中野氏の虐殺40数人説、 藤岡氏の0人説から始まって、上は34万人まで巾があるわけですけれども、 巾がでてくる理由はひとつは国際法の解釈によって、 虐殺の定義が動いているってことなんですけど、 もうひとつは敗残兵の位置付けなんですね、これが難しい。 たとえば戦意を失って城内外にうずくまっているような中国兵がいます。 それを日本兵が襲い掛かっていって殺しちゃう。 一番典型的な例は揚子江の上を小船や急造のいかだに掴まって、 中国の市民や軍民が逃げていくわけですね、 それを海軍の11戦隊の砲艦が揚子江を遡って行って、 砲艦の上から機銃や小銃で射殺するということをやったわけです。 これを彼らは戦闘行動だって言うわけですね。 僕は『天皇の軍隊と南京事件』という本の中で、これは正規の戦闘行動ではないと、 少なくとも降伏するように勧告して、 少なくとも捕虜として収容する努力をした後でなければ、 戦闘の帰趨はついている段階ですから、あまりに非人道的で、 戦闘行為とは呼べないって書いたんです。 けれども、藤岡信勝氏が批判をして、逃げる敵を殺すのは当然である。 それを殺さなかったら、再び戦列に復帰して、歯向かってくるかもしれないんだから、 逃げる敵を殺すのは当然であるっていう議論をしているんですね。 ここで議論が分かれるんですね。 僕の主張は問題はそう簡単ではないと、 前の『現代歴史学と戦争責任』のなかでも書きました。 というのは、これもまた日本側に跳ね返ってくるんですけどね、 ダンピールの悲劇というのがあります。 アメリカ側ではビスマルク海海戦っていってますけど、1943年2月ですね、 ニューギニア戦線が危うくなって、そこで増援計画で、 8隻の輸送船に乗って増援部隊が送り込まれます。 それに対してアメリカの空軍とオーストラリアの空軍が反復攻撃を加えて、 8隻の輸送船が全部沈没しちゃう。 これは天皇もショックを受けるほどの大敗北だったんですけど、 このころは日本軍の兵隊も悲惨で救命胴衣が皆にはないんですね。 竹を切って繋いだのをライフジャケットにしているようなありさまで、 かなり日本兵も悲惨なんですけど、 沈没した輸送船から逃れた日本兵が数十人単位で固まって海峡を漂流するわけです。 それをアメリカやオーストラリアの空軍機が反復銃撃を加えて、 機銃掃射で殺してしまう。 それからアメリカの魚雷艇が探索に当たって、漂流する日本兵を見つけて殺す。 ジョン・ダワーというアメリカの歴史家は『人種偏見』という本の中で この事件のことを取り上げていますが、 アメリカはちょっと日本と違うなあと思うのは、こういう事件が新聞に報道されて、 ちゃんと議論されてるんですね。 非人道的だっていう人は少数派なんですけど、 非人道的だっていう人の声も紹介されるんですね。 そこがちょっと日本と違うところですけれど。 ともあれ、アメリカでもこれは正当だっていう人の方がかなり多い。 しかし、ダワー氏はその事件を取り上げて、 こういう行為の背後には人種的偏見があるという形で、 アメリカの戦争犯罪としてこの事件を取り上げているんですね。 朝日新聞の報道でも出ましたけど、 戦後のオーストラリアではこの事件に関係した空軍のパイロットだと思いますけれども、 200人ほどの漂流している日本兵を銃撃して全部殺した事件があって、 そのパイロットを戦犯として処罰しろという要求が出てきて、 大論争になったことがあるんですね。 そういうことがあります。 ここでいいたいのは、 アメリカやオーストラリアの良心的知識人たちが自国の戦争犯罪の問題を、 自国の日本軍に対する戦争犯罪の問題を正面から取り上げて論議しているときに、 藤岡信勝氏や小室直樹さんや渡部昇一さんたちは その戦争犯罪を肯定するような助け船を実際は出しているわけですね。 自虐史観とか言いながらですね、 アメリカや連合軍の戦争犯罪を追及できないような戦争観が 一番自虐的なんではないかと僕は思います。 結局そういうことで、自国の戦争犯罪にきちんと対処できない限り、 他国の戦争犯罪にだってきちんと対処できないんですね。 そういうことだと思います。

最近知った例ですけど、巡洋艦矢矧というのがあって、 戦艦大和という戦艦が沖縄へ水上特攻というのをして突っ込みます、 太平洋戦争末期ですけれど、それに護衛艦としてついていった巡洋艦です。 それの戦記が出たんですけれど、矢矧が沈没した後2〜3時間、 漂流する日本兵が米軍機の執拗な銃撃を受けます。 これに対してマレー沖海戦というので、太平洋戦争の初期に、イギリスの戦艦、 プリンスオブウエールズとレパルスという2隻の戦艦を 日本の海軍の航空隊が撃沈するという戦闘があったんですね。 そのときには日本の海軍機は護衛でついてきているイギリスの駆逐艦が 漂流するイギリス兵を救助するのを妨害しなかったといわれているんです。 美談としていわれているんです。 なおかつ次の日には、飛来した日本軍機が2つの花束を海上に投げて、 ひとつは日本兵のために、ひとつはイギリスの戦死者のためにというのが、 児島襄の『太平洋戦争』に出てきます。 この藤岡信勝氏らの議論を敷衍させていけば、沈没した矢矧の漂流する日本兵、 ダンピールで漂流する日本兵、このダンピールの場合は話が前後しましたけど、 一部の日本兵は駆逐艦に救助されてニューギニアに上陸して戦闘に加わってるんですね。 だからさっきの藤岡理論によれば殺して当然、 殺されて当然ということになっちゃうんですね。 それではおかしいわけで、このマレー沖海戦の場合も、藤岡流の議論で言えば、 イギリスの駆逐艦の救助活動を妨害しなかった日本の海軍機のパイロットというのは、 異常な戦場の現実を知らない感傷主義者だってことになりかねないわけですね。 そういう点で、繰り返しになりますけど、結局彼らの議論は、 日本軍に対するアメリカ軍の戦争犯罪を肯定することにつながる 戦争観なんだっていうことを強調しておきたいと思います。

最近、まだ読んでないんですけど鈴木明さんが『新南京大虐殺のまぼろし』 っていうのを出しました、ここへ来る途中読んできて、 まだ100ページくらいしか読んでないんですけど、いらいらしてきました。 帯カバーとか宣伝を読むと、虐殺否定論争に終止符を打つ、と書いてあるんで、 これはすぐ読まなければと思って読み出したんですけど、 一向に本論がでてこないんですね。 彼の場合は典型的ですけど、これは日本の本音の世論の典型だと思いますけど、 「南京大虐殺のまぼろし」なんですね。 「まぼろしの南京大虐殺」じゃなくて「南京大虐殺のまぼろし」なんです。 これは微妙にちがうんですね。 「まぼろしの南京大虐殺」というと何にもなかったということになりますけど、 「南京大虐殺のまぼろし」というと南京大虐殺の中に まぼろしの部分があったというニュアンスが少し出るんで、 つまり彼は何もなかったとは前の作品でも一言もいってないんですね。 今度の作品でも、何もなかったとは自分は一言もいってない、 と繰り返しい言っていますので、完全な否定論とはちがうようです。

一方では本当に騒がしい虐殺否定論が、とにかく大きなメディアで、 今までは小さなメディアで取り上げられていたのが、大きなメディアで、 『サピオ』とかああいうところで、 取り上げられるようになったというのは現代的特徴だと思います。 確かに彼らの声が大きくて、派手な活動をやってるのは確かですけど、しかし、 あれがあのまま日本の社会の主流ではないし、 日本の社会の中で少しずつ変わっていく面もあるわけですね。 自由主義史観研究会は、琉球大の高嶋さんがよく会報を送ってきてくれるんで、 ぱらぱらと見てみますと、非常な会費難、財政難で、 季刊で年4回出なくてはならないんですけど、 ぜんぜん出てなくて非常に苦しいようですね。 会員数も増えてないようですし、当初の見通しのように、 教育現場に根を張った組織にはぜんぜんならないようです。 新しい歴史教科書を作る会も去年、 大月隆寛という若い民俗学者が事務局長を事実上解任されているんですね、 だから内部でいろいろごたごたがある。 それから恐らく教科書を作る段階で分裂する可能性が出てくると思います。 というのは、前に『新編日本史』っていうのがありましたね。 あの時も結局最後に揉めるんですね。 教科書の検定というのは角を全部取っちゃいますから、いい角も悪い角も、 いい角というのは変な言い方ですが、いろんな意味で角を取っちゃいます。 だから、あまりにも右の方につんつんした角も取られちゃうんですね。 結局、『新編日本史』のときも検定を受け入れるか、受け入れないで玉砕するか、 不本意だけれども受け入れて少しでもいい教科書を現場に提供しようって考えるか、 理不尽な検定は反対して玉砕でいくべきだって考えるか、相当中で議論したようです。 今度もどういうふうにまとめるのか、検定に対してどう対応するのか、 この会も一枚岩というわけにはおそらく行かないだろうと思います。 先ほどの中村粲さんも皮肉まじりに、 新しい歴史教科書を作る会の教科書の中で南京事件はどう書かれるのか、 興味があるところだけれども、おそらく自分の説、中村説ですね、 「光」と「影」くらいの常識的なところに 落ち着くのではないだろうかといってましたけど、 そう言う点では極端な角の部分は取られていく面があって、 彼らの主張がそのまま中心になっていくわけではないということを 強調しておきたいと思います。 ちょっと早いですが以上です。

 

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