一、南京事件をめぐる逆流をどう考えるか
(一)2つの官房長官談話
(二)軌道修正に対する逆流
(三)大きな流れは変わらない
(1)「大東亜戦争肯定論」の退潮
(2)野中官房長官の言明
(3)第3次家永教科書訴訟の最高裁判決
(4)福地淳教科書調査官の解任
(5)国民意識=極端な排外主義への不同調
(四)無視できぬ最近の動向
(1)若者の中に広がる大国主義的ナショナリズム
(2)アイリス・チャンの著作について
二、南京事件をめぐる論争について
(一)保守派内部の亀裂
(1)偕行社の方向転換
(2)奥宮正武『私の見た南京事件』
(3)福田和也「南京大虐殺をどう読むか」
(4)中村粲「『南京事件』の論議は常識に帰れ」
(二)虐殺否定派の最近の動向
(1)国際法の再解釈による虐殺の否定
(2)国際法の無視による虐殺の否定
(3)敗残兵の殲滅の正当化
(2)野中官房長官の言明
それから、内閣でいうと野中官房長官の言明が重要で、2〜3年前、
自民党の幹事長代理だった時、南京の虐殺記念館を初めて訪問して、
そのときに彼は政治家としてのこれはけじめであるということを言いました。
それから今度の都知事選で石原都知事のいろいろな問題発言が
中国側を刺激しましたけれど、
そのときに野中官房長官は南京大虐殺はあったということを
記者会見で言明したんですね。
政府としてはそういう方向になってきています。
(3)第3次家永教科書訴訟の最高裁判決
第3次家永教科書訴訟の最高裁判決が97年8月29日にでましたが、
これに関しては南京大虐殺に対する検定、家永教科書への検定は違法だということで、
違法性が確定した。
家永さんの教科書に、混乱の中の出来事だったということを書けということを、
検定官が強制して、結局、
「激昂裡に南京に入城した日本軍は」というようなったんですが、
これは違法性が確定して、先ほどの俵さんの資料にありますように、
南京大虐殺が混乱の中で発生した旨の記述を求めないというふうに、
文部省もなってきているんですね。
(4)福地淳教科書調査官の解任
非常に重要なのは4番目の福地淳という教科書調査官、
これは新しい歴史教科書を作る会系の高知大の教授で日本史の専門家なんですね。
これが教科書調査官に、異例ですけれど(逆はありますが)、
大学教授から直接教科書調査官になる。
この福地さんは新しい歴史教科書を作る会の
エージェントではないかといわれたんですけれど、
彼が座談会で教科書検定基準の近隣諸国条項、
ああいうものがあるから日本の教科書は自虐的になるんだということを発言して、
出版労連とかいろんな会から解任要求が出ます。
江沢民が来る前だったと思いますが、解任されました。
政府としては近隣諸国条項を守らざるを得ない。
対外的な公約として守らざるを得ないということですね。
(5)国民意識=極端な排外主義への不同調
それから国民意識としても極端な、
非常に極端な排外主義を煽るような動きが強くなってきているのは
事実なんですけれども、必ずしも国民全体が同調しているわけではない。
そこで総理府の世論調査をみてみますと、従来から非常に気になっていたるのですが、
96年の総理府世論調査の嫌米感、嫌韓感、嫌中感ですね、
嫌米感というのは従来からあまり変化はなくてたいした割合ではないんですけど、
96年の世論調査から中国に親しみを感じないというのが51%、
韓国に親しみを感じないというのが60%と急に増えてくるんですね。
そういう中国や韓国からの対日批判に対する反発がおそらくこういう形で出てくる。
この傾向は変わらなかったのですが、昨年の調査では、嫌韓感、
韓国に親しみを感じないという人たちがかなり、
そのデータをメモしてこなかったんですが、かなり大きく減少しているんですね。
『月刊世論調査』という総理府が出してる月刊誌で、
恐らく今度の6月号で結果がでると思うんですけど、新聞に一部載りました。
これは金大中の訪日、その後の向こうの日本文化の解禁政策、
そういうものが日本側でも受け入れられている面があって、
そう言う形でお互い歩みよりがみられれば、かなりの変化が出てくる、
そういう可能性を孕んでいる。
論壇のレベルではかなり嫌米意識というか嫌米感が強くて、
くりかえし太平洋戦争はルーズベルトの陰謀だとか、
そういう議論が非常に多くて戸惑ってしまうんですけれど、
しかし総理府の世論調査で見る限りでは嫌米感に変化はありません。
ですから、論壇とはかなりずれがあるんですね。
そういう点で逆流も激しいのですが、
日本社会が変わっていく面も一方であるのではないか。
それに照応するように、右翼の評論家、福田和也という自称右翼がいるんですけど、 彼は天皇ぬきのナショナリズムということを今年に入ってからかなり言うんですね。 皇室というのが国民の精神的統合という意味をもたなくなってきていると、 だからこれからのナショナリズムは天皇はなくてもいいんだということをいって、 ちょっと波紋を呼んでいます。 そういった動きが出てきています。 それは実際、世論の中にもあって、資料4ですね、時事通信の世論調査ですけど、 天皇に対してどうい感情をもっているかという世論調査ですが、 尊敬しているが25.8%、親近感をもっているが34.3%、 尊敬や親近感はないが19.3% 、関心がないが18.6 %。 新天皇になってから尊敬の気持ちや親近感がないや関心がない、 無関心層が無視できない数になってきてるんですね。 だからますますあせって、君が代、 日の丸の法制化とかそういうことを言うんでしょうけれども、無関心層ですね、 尊敬の念をもたない無関心層がかなり増えてきている。 それからもうひとつ重要なのは、女性でもいいんじゃないかという議論ですね、 問い11あなたは女性が天皇になることに賛成ですか反対ですか、 賛成27.8%反対21.4% 。 この3年前の世論調査くらいからこういう傾向が出てきました。 それと同時に世論調査の側がそういうことを聞き始めます。 といいますのは、皇室典範の改正が必要になる情勢になってきているのですね。 今の皇室典範というのは男系主義です。 皇位の継承者は男系の男子、つまり男の子のところに生まれた男の子。 つまり、さーやって女の子がいますよね、 さーやが男の子と結婚して男の子がうまれても、 その子は皇位継承者にはなれないんですね。 結婚するともう皇族の身分を離れちゃいますから。 明治憲法の主義をそのまま引き継いでいるわけです。 そうして考えてみますと、今のお姫様たちが子供を産む年齢というのが、 まあ高年齢出産というのがだいぶ可能になってきましたけど、 もうそろそろ生理的というか肉体的な限界なんですね。 今、皇室で生まれた最後の男の子が、あの髭のなまずの殿下、秋篠宮、 あれはもう34〜5になるんじゃないですか。 それ以後30数年間男の子が生まれていない、 これをめぐってってかなり水面下でちゃんちゃんばらばらがあってですね、 数年前に読売新聞がスクープしましたけど、宮内庁の内部文書では、 どうするかいろんな場合を想定しているんですけど、 できるだけ女にはしたくないというのが底流にあって、 いろんな案を考えているんです。 たとえば終戦直後に臣籍降下という皇族のリストラをやりましたよね、 そのリストラされた皇族をまた呼び返して皇族にして天皇にするとか、 かなり苦労してるんですけど、 まあ明日あたり産まれたとか御懐妊ということになるかもしれないですけど、 どうもこのままでは危なくなる、 そうすると天皇の皇位継承者がいなくなるという事態がこのままではでてきてしまう。 これは実は明治憲法を作るときも、 男系男子に限定するというのは危ないんではないかという議論があって、 女系でもいいんではないか、女帝ではなくても女系で、 女性のところに生まれた男の子でもいいんじゃないか、 という憲法草案がいくつもあるんですけど、 結局最終的に男系男子になっちゃったんですね。 その理由はよくわからないんですけれども、 おそらくで大元帥としての天皇というイメージを、 近代化の過程で国民の中に植え付けていこうとしましたから、 大元帥というのが女性では・・・、というのがどうもあったようで、 ジャンヌダルクのような例がありますけど、結局男系男子にしちゃったんですね。 このままでは、おそらく皇室典範の改正にまで進むと思います。
最近出た文藝春秋の文春新書で、 高橋紘さんと所功さんのお二人が『皇位継承』という本を出しているんですけど 、 そこでも世論調査の結果が出ていて、「参考までに、共同通信加盟の各誌は、 今年の『みどりの日』に皇位継承についてのアンケート調査結果を掲載した。 それによると50%が女性を天皇と認めてよいとしている。 前回、平成4年には容認派は33%だったから、 この6年間で17ポイントも増加している。 一方 『男子に限るべきだ』とする”典範遵守派”は前回の47%から31%に減じ、 今回の調査で双方の比率は逆転したことになる。」ということをいっている。 こういうことを考えると,ナショナリズムは若い世代の中にあるんですけど, それは必ずしも戦前と同じような復古的なナショナリズムではない、 場合によったら福田和也がいうような天皇抜きのナショナリズム、 少なくとも天皇の占める位置は非常に低いものになる可能性があるように思います。 それとても流動的なところであり、軽率には言えないところですが、 しかし大分いろんな意見が出てきていて、皇室典範に関しては加瀬英明のような、 皇室のスポークスマンのような人でも「皇室典範の改正止む無し」 ということを週刊誌などでいってますので、これはちょっと面白い状況だと思います。
(2)アイリス・チャンの著作について
一方アイリス・なチャンの本が出て、僕も読んだのですが、
これも難しい問題を孕んでいて、
外国人の目から見れば日本人というのはこういう風に見えるんだな、
ということが非常に良くわかるし、
戦後の日本社会が南京大虐殺の問題を曖昧にしてきたということもわかるんです。
しかし、歴史家の側から見ると内容的にはいろいろ異論があって、
特に戦後の日本社会で曲がりなりにも南京大虐殺のいろんな研究があった、
その研究成果が反映されていない。
これは語学の問題があると思いますから、
そういう意味では日本の研究者の著作をしっかり海外に紹介していく作業が、
これはやっぱり必要なのではないかなと思います。
それからもうひとつ読んで感じたのは、日本社会について、
彼女は「セカンドレイプ」っていうんですね、
戦後の日本社会が南京大虐殺を曖昧にしてふたをして、確かにその通りなんですけど、
その一方、たとえば80年代には教科書にしてもすべての教科書に、
たった二、三行ですけど載るようになった。
教科書執筆者の側、特に家永裁判というのが大きかったと思います。
外国からの批判に加えて、内側からの努力としては、
家永裁判というのは大きかったと思います。
そういう努力によってすこしずつ変わってきている、
そちらの面にも少し目を配ってほしいというのが、
歴史家としての僕らの言い分ですね。