「中国の留学生は日本の運動に関心がない」とある日本の活動家がこぼしていた。 関心がないのではなく、‘心を打つものがないからでしょう’と私は思っている。 昨年の12月13日、南京大虐殺60年東京国際シンポジウムの会場には 50人以上の中国人が出席していたし、目に涙を溜めて、 大声で東北を占領された怒りと悲しみを歌う「松花江上」を合唱した。 無関心ではない、関心の対象が違うのである。 日本の補償裁判を支援している団体には、「知る会」、「明らかにする会」、 「心に刻む会」などの名がついている。知ったり、感じたりしている日本人に、 留学生が、「それで?」と問いを投げても答えがない。知ったり、 刻んだりすることでは付き合う気になれないのではないかと私は思っている。
ある中国の留学生が中国人の補償裁判に出て、 「支援運動の中に何故若い人がいないのかな」といぶかっていた。 「心を打つものがないからだ」と私は言った。 「いまの日本の経済・政治が混沌としていて、先が見えないのと同じように、 補償問題も混沌として、先が見えない」、「若い人たちは、先が見えないこと、 しかも自分達が正しい、 よいことをしていると思っているおじさんやおばさん達に 付き合っていられないからでしょう」と評論家めいたものを付け加えた。
25年いた南京と南京人への恩返しの気持ちもあって、 「ノーモア南京の会」の会合にせっせと出ていた。 しかし活動家がイベントを計画し、 忙しくしている日本の運動のパターンに嵌まってきているようにみえてきて、 ‘心に響くものがないな’と思うようになっている。 60年前のわが南京、30万死難同胞のことを考えると、 ‘心に響くもの’がほしい!
編集長に「何か書いてくれ」と言われ、「なにをかく?」と聞くと、 「なんでもいい」とのこと。 なんでもいいということで、いま考えていることを正直に書いたら、 創刊号に水を差すようなものになってしまった。
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