南京大虐殺
− 記録と証言に見る1937南京 −

1.掠奪、強姦、殺人を繰り返して、南京へ

劉 彩品

                                         最終更新:1998年12月03日

まず、兵士の陣中日記、証言の一節(『続・私記南京虐殺』)から見てみる:

【中国軍は退却するのに道路を深く掘り割り、橋梁を破壊し、 地雷を埋没するなどして日本軍の急追を妨害した。 是によって、弾薬、糧秣など重量を積載した車両部隊は行動を妨げられた。 そうなると補給が困難になって、 戦闘するのに必要な弾薬の補給が精一杯で、糧秣は二の次になった。 だが、人間が生きるには食糧は不可欠なものである。・・・
そこで軍上層部は、「糧秣は現地にて徴発自活すべし」と命令を下した。・・・
徴発命令は即強奪命令である。】

日の丸で盛大に送り出された若き日本の兵士 −'皇軍'は、 南京への道々で予想もしなかった中国軍民の頑強な抵抗に遭い、 '盗賊'へと変身して行った。
このような盗賊行為が日本軍の日常茶飯事になったことは、 第13師団山田支隊の兵士達の日記、 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』に克明に記されている:

【S1兵士:とにかく、兵馬の糧秣を徴発することが先決問題なので、 午前も午後も戦友等が徴発に行き、白米、馬糧、鶏など徴発してくる。
 S2兵士:砂糖、サイダー、南京米、醤油、徴発多量。
 D兵士: 米、豆腐、小豆、砂糖、ぶた、芋、カマ、 野菜類等部隊もいろいろ徴発してきた。 分隊では豚、野菜、米、鶏、芋等を徴発してきたので今晩は相当に御馳走があった。】

強奪した後のことを、 114師団の重機銃機部隊の一兵士は(『目撃者が語る昭和史第5卷 日中戦争』) 次のように回想している:

【南京までは、飲まず食わずといっていいくらいの2週間だった。 補給の米がないので農民から取って食った。 どうせ言葉が通じないから、銃で頭をたたいて取った。 頭を殴られると大抵は死んだけど。 集落を、つぎつぎと焼き払って行くんだよ、敵が来たぞぉ、と思わせるため。 兵隊サンヨアリガトウなんて唄う占領地の子供の話しなんて、うそっぱちだな。 なにしろ、日本兵は行く先々に道の両側にぶった切った首を並べたりするんだから。】

「強奪した後に、殺す」、それに女性の強姦を従軍カメラマンは証言している (『目撃者が語る昭和史第5卷 日中戦争』):

【川沿いに女たちが首だけ出して隠れているのを、引き上げて殺した。 陰部に竹を突き刺された死体が昆山にいたるまで、 えんえんと道ばたに転がされていた。 蘇州での強姦と略奪もすさまじいものだった。 ここは、美人の産地とされているが、 娘であろうが人妻であろうが片っ端から強姦した。 そして、終わった後は、必ず殺した。 どうゆうわけか、みんなそうした。 強姦に飽きると、肉親同士に交わりを命じ、 それを見物するようなことも、あちこちでなされた。】       

中国の女性は、日本兵によって耐え難き屈辱を強いられたのみならず、 人間の資格を取り上げられようとしたのである。 日本兵は、このような略奪、強姦、殺人を繰り返し、 サディスト的集団になって南京城にたどり着いたのである。

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