東裁判30万人署名を推進しよう

                                        最終更新:1999年9月14日

東京高裁・不当判決!

昨年暮れに、東史郎さんたちが、 著作の一部の記述が名誉棄損にあたるとして訴えられていた、 南京・戦争裁判の控訴審判決公判が東京高裁にて開かれた。 その判決には、法と正義の名に値するものは何一つない。 論理的矛盾だらけの、先に結論ありきの不当な政治的判決である。 日本の司法は戦前の日本帝国主義の中国をはじめとしたアジア侵略を まったく正当化しようとしているのだ。 まったく許すことはできない。
以下、この判決と東裁判の意味するものをみていく。
1998年12月22日(火)14時、 東京高等裁判所810号法廷(第7民事部、裁判長裁判官・奥山興悦、 裁判官・杉山正己、佐藤陽一)で、東さんの南京・戦争裁判の判決が下された。 判決文は以下。
「主文 1 本件各控訴をいずれも棄却する。
    2 本件各附帯控訴(当審における請求を含む。)をいずれも棄却する。
    3 原判決主文第1項は、請求の減縮により次のとおり変更された。
      控訴人らは、被控訴人に対し、各自金50万円及びこれに対する平成5年
      5月1日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
    4 平成8年(ネ)第2379号事件控訴費用は控訴人東史郎及び同下里正樹
      の、同第2407号事件控訴費用は控訴人株式会社青木書店の、各附帯控
      訴費用はいずれも被控訴人の各負担とする。」
1996年9月に始まった控訴審は、正当な歴史認識を欠き、 国際的には全く受け入れられることのない不当な判決言い渡しで幕を閉じた。 東さんと弁護団は15時より裁判所内の司法記者クラブで行われた記者会見で 抗議声明を読み上げ、この判決が「歴史の事実を根本から踏みにじ」り、 「裁判所が『まぼろし派』に加担し、きわめて政治的な判断をしたこと」、 「この判決をとうてい受け入れることは出来ず、 直ちに最高裁判所に上告するとともに、 東日記と南京大虐殺の真実を広く世の中に訴えて、 歴史の審判を期す」ことを表明した。
また、記者会見後、裁判所前で、多くの支援者とともに、 「不当判決 俯仰天地には愧じず」の文字を内外の報道陣の前に示し、 判決の不当さと、正義は裁判所側でなく、こちら側にあることを訴えた。 (尚12月25日に最高裁に上告した。)

東史郎さんの南京・戦争裁判とは

東史郎さんは、1912年生まれで、今年の4月に87歳になった。 元京都第16師団、福知山第20連隊の兵士である。1937年8月、 25歳で召集され、12月の南京攻略戦に参加した。 戦地で書き続けた日記や陣中記録をもとに帰国後清書しておいたものを、 南京戦から50年目の1987年に市民団体の求めで公開、記者会見をしたのである。 そこで東さんは「悪の原動力を探求し、反省し、再び過ちなからんことを願ってこそ、 日中友好の基ではないか」と思い、日記を公開した動機を述べている。
同じ年にこの日記を基に青木書店より『わが南京プラトーン』 (副題、一召集兵の体験した南京大虐殺)が刊行された。 この本を中心とした記述が名誉毀損になるとして、 残虐行為を起こした元兵士が原告となり、1993年4月東京地裁に提訴したのが、 この裁判の始まりである。 1996年4月、同裁判所は、日記の記述を虚構と認定し、 東さんら3者に50万円の支払いを命じた。東さん側は新たに弁護団を結成し、 東京高裁に控訴、1996年9月26日に控訴審第1回公判が始まり、 1998年9月13日の第13回公判にて結審し、12月22日の判決に至った。

30万人署名を強力に押し進めよう

年末から年始にかけて穏やかで暖かい日の続いた日本列島だったが、 松も明けた1月8日から日本海側を中心とした大雪に見舞われた。 9日に金沢で「南京60カ年全国委員会」が開かれるので、 金沢からの帰りに10、 11日と丹後半島にある東さんのお宅におじゃまする予定であった。 関東平野は快晴であったが、越後平野は大雪のため電車のダイヤは乱れ、 運休が相次ぎ、金沢へは3時間ほど遅れて着く有様であった。 新潟から、富山、石川、福井、京都と雪は降り続き、 日本海は黒い高波が押し寄せていた。列車の窓から見る雪に埋もれた白の世界と、 荒れ狂う海の暗い光景は、今年の東さんの闘いを暗示しているように思えた。
しかし、判決日以来に再会した86才の老人は、何10枚と綴じられた、 中国を中心とした新聞報道を見せながら、私に熱い口調で話しかけた。 「今回の判決は、当初の11月26日の予定を江沢民主席の来日のために延期した。 中国の主席の来日中にこんな判決では、内外の反響が大きすぎるので延ばしたのだ。 政治の力に司法が押し切られた。日本の司法は独立していないのではないか。」 「それに比べ、中国をはじめとする諸外国での報道の多さはすごいものがあります。」 「だが、なぜ日本の報道機関はこうした各国の様子を報道しないのか。 北京を始め各国には多くの日本の報道機関の特派員事務所があるはずだ。 その特派員が書かないのか、書いても本社で握りつぶしてしまうんでしょうか。」 「こんな不当判決はありません。今、最高裁に上告していますが、 世界の世論に訴えて、最高裁に、日本の司法に圧力をかけたいと思っています。 ここで負けてはおられません。私は勝つまで戦います。」 食事もとらずに東さんは私に語り続けた。 私は東さんの気力、体力にただただ圧倒されるのみであった。
南京大虐殺記念館の入口の壁には、 犠牲者の数が300000(30万人)と記されている。 この数を超える、30万人以上の署名を世界各国から集めよう。 その世界の世論の力で、日本の最高裁、司法、 さらには南京大虐殺を「まぼろし化」しようとする、 日本の政治、文化状況に打撃を与えよう。これが30万人署名の考え方である。 今年も多くの方の理解と協力で東さんへの支援を続けていこう。
                                 (芹沢明男)

 

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