組み木絵とは、数十種類の木の、自然の色と木目を生かしながら、組み上げる手法である。中村さんのアトリエには、
絵の素材として100種類以上の木材が並んでいる。そして、それらはみな製材された板ではなく、端材である。
「材木屋さんの倉庫なんかで埃まみれになっている端材も、スライスしてみると木目が見事なんですよ。そんな端材を
使った方が、絵として表情が出ます。それに、組み木絵に使うということは、捨てられる運命にある端材に生命を
吹き込む作業でもあり、自分としても心地いいんです」
絵本や作品展を見たといって、見ず知らずの家具屋や仏壇屋などから端材が送られてくることも多いという。
「木目はその木のドラマが刻まれているものですから、おろそかには出来ません」
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18才で上京し、手に職をつけなければと入ったデザイン
学校もすぐにやめた。しかし、その時はじめて描いてみた絵だけは捨てなかった。やがてイラストレーターとして
仕事を得るようなったが、ひとつの疑問に突き当たった。「自分の役割とはなんだろう」。折しもオイルショックの
時代である。 「世の中が悪い方に進んでいるという気がしていました。自分も、いくらイラストを描いても、
やがて捨てられてしまう。ゴミづくりに加担しているような気がしたんです。それがすごく嫌で。
その頃の僕はヨーガや瞑想にはまっていたのですが、それで思い至ったのは、人間も自然の一部なんだということです。
それに気がつくことで解決できる問題が、かなりあると思ったんです」 自分の持っている絵という手段で、
なんとか世の中を軌道修正できないものか。そんな思いを込めた絵本を準備していたときに、木に出会った。そして
組み木絵という独自の工法を考案する。 「僕がとやかく言葉を使わなくても、木という自然の素材に接してもらう
ことで、自然と人間の関わりを見つめ直してもらえるんじゃないかと。それから、組み木絵の作品づくりに
没頭しはじめたんです」 組み木絵を始めたことには、人と同じことをするのが嫌いという中村さんの性格も
あったのだろう。「世界の組み木絵、世界の中村になるつもりなんだけど、その意味では10分の1も達成できていない」
と笑う。
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「いつも田舎に帰って悲しいなと思うのは、今でも田舎の風景
なんだけど、どこか違うんです。風景が死んでいる。“気”がないんですよ。“気”って、心をニュートラルに
しておくと感じる部分だと思うんです。昔はそれがみんなに伝わって、バランスがとれていたんでしょうけれど。
たまたま僕の田舎だけかもしれませんが、いずれ日本全体に広がると思います。どこかでブレーキをかけなければ
ならないでしょう」 人間は森林を含めた自然に生かされている、という考えを持つことが必要だという想いは、
組み木絵を始めた当初から今も変わらない。屋上緑化など、都会でも始められた取り組みは、よい傾向ではないかと
思うと言う。
● 「僕の作品は“気”と木の“気”が合わさったものですから、本当に木は
おろそかに出来ませんよ。僕の作品を通して木の持つ優しさや温かさに触れることで、ひとりでも多くの人が人間も
自然の一部だということを感じ取ってくれればと思います。そのためには、精一杯いい作品をつくるしかないし、
それは感じ取ってもらえると思っています」 絵本や個展の反応から、木が好きだという人は増えていると感じる、
と中村さんは言う。中村さんの想いが、着実に届いているのだ。
MICHIO NAKAMURA 1948年岐阜県生まれ。 高校卒業後に上京し イラストレーターとして
仕事を始めるが、 飽きたらずに組み木絵を考案。 1984年に第一作「ふるいみらい」を発表。
主な絵本に、 宮沢賢治作「よだかの星」「土神と狐」、 佐藤さとる作「そこなし森の話」などがある。
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