ニュース第52号 00年1月号より

森の危機の克服をめざして

     NPO法人 森づくりフォーラム

 代表理事 内山 節

 

 この数年、東北、北海道を除く各地の山村では、猪による畑の被害がごくありふれたものになってきた。私の「村の家」のある群馬県上野村でも、庭にまで猪がでてきて穴を掘っているのだから驚いてしまう。

 このような現実がはじまった頃、村人はその原因は人工林をつくりすぎたことにあると考えていた。確かにそのような面もあるだろう。スギやヒノキやカラマツ林では、猪のエサはほとんどない。ところがしばらくすると、村人はそうとばかりも言えないと考えるようになっていた。猪は秋にはドングリの実などをよく食べる。ところがそれ以外の季節は、この雑食性の動物は、ユリの球根やヤマイモ、クズなどの根、それに沢ガニ、カエル、ヘビ、ミミズなどを良く食べるのである。とすると草原状態の場所に暮らす動植物を結構食べていることになる。

 そう思って山をみると、今日の山には草原がない。かつては山火事の跡や焼き畑の跡が草原のように、一時期なっていたが、現在では山火事はほとんどの場合すみやかに消し止められているし、焼き畑はほんの一部でしかおこなわれていない。とともに今日の木材生産は、次第に長伐期の大径木生産に移行し、間伐が主体になってきているから、林業が一時的に草原をつくりだすことも少なくなった。皆伐(全伐)をすれば、その跡に木を植えたとしても、十年間くらいは草原に近い状態がつくられていた。

 考えてみれば山の動物たちの中には、草原を必要とする動物がたくさんいる。タカやワシがエサを狩る場所も主として草原である。こう考えるうちに村人は、猪が里に降りてきている主たる原因は、林業が不振で、皆伐をしなくなった(再造林の費用を考えるとできなくなった)からではないかと考えるようになった。

 もちろんそれが主たる理由かどうかは、きちっとした調査をしなければ断定はできない。しかし天然林率が七割を超えている我が上野村でも、これほど猪が里に降りてきている理由は、他に考えにくいのである。

 林業の不振は、荒廃林をつくりだしているだけではなく、森に暮らす動物たちにも、さまざまな圧迫を加えているのであろう。とすると、これから日本の森はどう変わっていくのであろうか。その変化は、山村の人々や森に暮らす動物たちに、どのような影響を与えていくのであろうか。

 この2000年の新しい年を迎えて、いま、私たちにわかっていることは、少くともしばらくの間は、林業経営を軸にして日本の森を守ることは不可能だという現実である。今日の木材価格では、ほとんどの林家において、経営的な林業などできるはずがない。

 だが、それは、林業をやめてもよい、ということを意味するのかといえば、決してそうではない。森をつくり守ること、森から生まれた木を利用していく社会を放棄してしまったら、私たちはますます環境に対して敵対的な社会をつくってしまうだろう。そして山村は破綻を深めながら、森に暮らす動物たちをも苦境に陥れてしまうだろう。

 林業経営の破綻が、林業の終息になってはならない。だからこそ、そのためにはどうすればよいのかを、私たちは考えなければならない。

 ところが今日の雰囲気をみていると、林業の終息を思わせるような変化が次々におこっている。新しい「森林計画」では、国有林のなかの林業的な森林(循環利用林)の割合は、20%以下になった。しかも近い将来予想されている国有林の第二次経営破綻や、現場の作業をする労働者を持たない体制への移項をめざす動きをみていると、数年後には国有林は林業から全面撤退して、単なる森林管理機構になるのではないかという気もしてくる。

 しかし、新しい林業のかたちをつくりだそうとする市町村の動きもほんのわずかであり、森林所有者の大多数も、困ったと思いながら、なすすべもなく森をみているだけの状態である。率直に述べれば林業を何とか維持していこうと思っているのは、現在では、意欲のある都道府県の林務関係者、一部の市町村と一部の森林組合、昔から林業経営をおこなってきた大規模森林所有者、森づくりに村の暮らしの基礎があることを感じ続けているほんの一部の村人、森の現場で働いている人々、それに林業に価値をみいだしつづける「森林ボランティア」など一部の人々くらいになってしまった。

 私には、この事態こそが森の危機であるように思える。もちろん私も、これまでの林業の方法に、何の問題もなかったとは思っていない。私のわずかな山も、天然林であるという現状を変える気もない。しかし、人工林であれ天然林であれ、森をつくり、木を利用した暮らしや社会をつくる必要性を感じるかぎり、そして山村や森で暮らす動物たちの暮らしを守ろうとするかぎり、林業を放棄してよいはずはないのである。

 2000年という新しい年を迎えて、私たちはこれまで以上に大胆に動こうと思う。林業を捨ててはならないと考える人たちのネットワークをつくっていくことも必要であろう。「森林ボランティア」は、いままで以上に、政策を提起する能力をふくめた、総合的な力をつけていかなければならないだろう。

 唯一の救いは、私たちが、たとえ不十分であっても、少しはその基盤をすでにつくり上げていることである。

           巻頭言目次    巻頭言00年2月        巻頭言99年12月