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貧乏記者のアフガン現地ルポE  (9月23日号/178号)

カンダハールへ

 カブールを出たのは朝6時半だった。古都カンダハールはタリバン時代にはオマル師が居を構えていたタリバン発祥の地。カブールから約500キロ、ちょうど京都から東京くらいまでの距離だ。車を飛ばせば1日で着くと聞いていた。

タジク人ドライバーを雇う

 2日前オールドシティーのバザールで声をかけてきたタジク人のファルークを1日20ドルで通訳に雇うことにし、タクシーもチャーターしてきてもらうことにした。朝、待ち合わせの公園に行くと、やはりタジク人のドライバーがポンコツのカローラとともに待っていた。名をサルドールといい1日30ドル。他にガソリン代、宿代、食費はこちらで持つことにした。
 出発して30分ほどは舗装された道を快適に走った。沿道には地雷原を示す赤い石、安全地帯を示す白い石が点々と並ぶ。やがて舗装道路が終わると車のスピードはガクンと落ちた。運転手は自分の車をいたわるようにそろりそろりと運転する。スピードメーターは時速20〜30キロ台をウロウロしている。他の車がどんどん追い抜いていく。トラックにさえ抜かれる。
 「大丈夫か? ほんとうに今日中につけるのか?」
 心配になって何度も声をかけるが、そのたびに曖昧に肯くだけ。この運転手を雇ったことを後で悔やむことになると、この時点ではわからなかった。カイバル峠からカブールまで一気呵成に駆け抜けたあの韋駄天ドライバーがいまは懐かしい。

道路の原初回帰

 パキスタンのペシャワールからカイバル峠を越えてアフガニスタン東部のジャララバード、首都カブール、南部のカンダハール、さらに西端のヘラートを経てイランへ抜ける道をアジアハイウエイと呼ぶ。地図に「A1」と記されているこの道を30年以上も前に通って、デリーからロンドンへバスで旅した沢木耕太郎は、そのときの様子を「アフガニスタンの風景はこころに沁み入るようだった」(新潮文庫『深夜特急4』)と書いている。だが「『絹の道』の中でも有数のもの」と沢木が絶賛した沿道の風景も戦火に荒れ果て、ただ砂漠の中に轍が果てしなく続くだけの荒涼たる姿になってしまった。
 この道を走ると舗装道路がどのように壊れていくのかよくわかる。道のところどころに崩壊初期、中期、盛期、末期のような状態が残っているのだ。初期の段階では乾いた田圃のようなひび割れが広がりところどころに小さな穴ぼこができる。次いで穴ぼこが大きくなり、それを避けようと車が路肩によって走るため路肩も崩れはじめる。舗装のかけらが残るだけの末期を経て、最後は単なる轍に戻る。これを原初回帰と名づけてもいいかな。日本道路学会(そんなものがあるか?)にレポートが出せるな。

                                         
踊るおじさん

 ノロノロ走る車窓からほとんど変化しない単調な景色を眺めながらそんなことを考えていると、褐色の乾いた大地の彼方前方になにやらくるくる独楽のように回る人影がある。映画『アラビアのロレンス』冒頭シーン、陽炎に揺れながら駱駝に乗って近づいてくるオマーシャリフのようだ。近づくとなんと、道のど真ん中でおっさんが1人踊りを踊っていた。その踊りのユーモラスで巧みなこと、倦みきっていた車中に笑いが広がる。運転手が1000アフガニー札を窓の外へ投げた。
 砂漠の轍の道端にときどきスコップを手にした老若男女がポツリポツリとたたずみ、のろのろとした動作で乾いてサラサラになった土をスコップにすくいあげ、轍の深くえぐれた部分にぱらぱらとかけている。「道普請?」日本ではすでに死語になったような言葉が一瞬頭に浮かぶ。最初は「なんだか奇特な人がいるな」と思って見ていた。「しかしまさかボランティアではあるまい。失対事業のようなものだろうか。村や郡が日当を出しているのだろうか」。
 ぼんやりとそんなことを考えていたが、それにしても延々と続く悪路に子どもや年寄りの細い腕で立ち向かうのはあまりにも焼け石に水、やる気も感じられないし絶望的に展望がない。実は彼らは道をなおすフリをしながら1日、街道沿いで物乞いをしているのだ。道普請人たちは車がやってくるのを見ると急に働くそぶりをするが、車が通りすぎる刹那、顔を上げ手を差し伸べる。なかにはもうポーズをするのもかったるいのか、スコップにもたれかかったままでやけくそ的に手を差し出して叫んでいる奴もいる。踊るおじさんは道普請のかわりに独自のパフォーマンスで勝負していたのだ。ときに屈強な若者が手押し車にぐり石を積み、道にあいた穴ぼこを埋めている場面に出くわすこともある。こうして正しく土木建設作業に励み、道路を実質的に改善しているけなげな若者を見ると、ドライバーはたいていアフガニーを投げる。助手席の私も感動して衝動的に5000アフガニー札を投げてしまったりする。軍閥の兵隊になるくらいしか現金収入がない中で、自ら仕事を創りそれを評価してもらって収入を得ようとしている。 (次回につづく)

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