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『ACT―市民の政治―』157号(2001年11月12日)

Line Up

  ◆辛口レビュー パキスタン視察報告
              阿部とも子さん(衆議院議員)
  ◆いずみ(編集長コラム)  ◆CATCH UP
  ◆10・21 国際反戦デー・関西集会
  ◆名古屋・NGO主催でシンポジウム「アフガン戦争の平和的解決を探る」
  ◆末端私論「テロと報復」
       編集部からのお詫び
  ◆パレスチナ問題からみた米国テロ
       「公正な和平」はどこへ?        岡田剛士(『派兵チェック』編集委員会)
  ◆小田急高架事業認可取消訴訟 崩された公共事業の壁(上)
                   木下泰之(小田急高架と街づくりを見直す会事務局次長/世田谷区議)
  ◆Hot Issue in the World  米国軍事介入もイスラム原理主義も反対するパキスタン左派
  ◆OLのつぶやき(10) 群れたがる女たち
  ◆アフガニスタン女性と子どもの写真展!    川崎けい子(アフガン女性と子どもを支援する会)
  ◆市民派議員リレートーク  知花昌一(沖縄県読谷村議)
  ◆神戸市長選に臨む 苦闘する市民派(下)
  ◆川崎市長選・奥津茂樹さん及ばず
  ◆ECOひいき  NUPEKI
  ◆ひとときの光(8) かって歩いた雪山
  ◆BOOK Review E・シュローサー・著/楡井浩一・訳『ファーストフードが世界を食いつくす』
              最上敏樹・著『人道的介入―正義の武力行使はあるか』
  ◆映画情報  「人らしく生きよう―国労冬物語 劇場公開版」
  ◆広告(3面)   『創』12月号/『「脱社会化」と少年犯罪』……創出版
             『軍縮』12月号……宇都宮軍縮研究所

辛口レビュー

パキスタン視察報告
 阿部 とも子さん
(衆議院議員)

国会審議は空論だった

自衛隊の派遣は無謀
 
「民」ルート支援強化を

民衆の憤りと決意
 
空爆の被害者を運ぶ救急車は個人が提供

 阿部知子さんは、10月20日から24日まで、同じく社民党の国会議員の辻元清美さん、北川連子さんとともにパキスタンを訪れた。調査団は、国境近くの町ペシャワールで、日本のNGO「ペシャワール会医療サービス」(PMS)によるアフガニスタン国内への食糧支援の現場に立ち会った。阿部さんに、今回の調査で明らかになった点、それを踏まえ何をすべきか、について話を聞いた。[構成:清水直子]

125号/阿部とも子さん プロフィール


  ――急遽パキスタンへ行かれた目的は。

 9月下旬、衆議院に上程されたテロ対策特別法案が、正味5日間の短い審議だけで通過してしまいました。与党は、とにかく自衛隊を国外に出すことにこだわり、国会の審議は空論でした。
 野党の側にも問題があります。今の民主党には平和外交分野の核もなく、どこかで手を打てばいいという前提で臨んでいます。また、社民党もテロ事件の背景への言及はどうしても不十分で、国内的な論議から踏み出すことができなかったように思います。
 アメリカの最高の軍備や諜報機関をもってしても、このテロを防ぐことはできませんでした。力で押さえ込む限り、どこまでも果てしなく続けなければならない戦いになることを意味し、そこに日本も突入する、ということなのです。
 このかんアメリカは、環境、人権、人種差別、核兵器の問題での国際協調の枠組みを尊重せず、力の支配を正当化してきました。それに対し、日本は無自覚でした。戦後50年、安保条約だけでなく、暮らし方や価値観もアメリカナイズされたからでしょう。
 しかし、南北格差はますます広がり環境問題は悪化し、特に中央アジアは深刻な砂漠化に見舞われ、農地が干からびました。WHOが中央アジアの干ばつで、1200万人が被災すると発表したほどなのに、国際社会は手を差し伸べず、国連はアフガニスタンへの経済制裁を発動しました。極限に追いつめられ、誰がテロの犯人かは別にしても、アメリカをはじめとする西側の対応が憎しみの芽を生んだのは間違いありません。
 テロ対策支援法案は、突きつけられたものの向こう側を見ることをしないまま、武力という枠内で日本がアメリカに協力することを示したものです。しかし、日本は武力行使をしないと定めた憲法を持った国だからこそ、事態の解決のためにできることがあるはずなのです。
 その方策を考えるには、実際に何が起きているのかを知る必要がある、どんな人が暮らし、空爆後、どんな状況におかれているのかを知らなければ、日本がなすべきことを考えるときの土台がないと思ったのです。

 ――報道機関の情報は疑問を解決しませんでしたか。

 戦闘機がこんな性能を備えているとか、見ている側まで軍事評論家にさせられてしまいそうな報道ばかりで、そこで日常を送る人の暮らしが見えませんでした。また、自衛隊を難民支援のために派遣するというけれど、実際どんな支援が有効か、参議院を通過する前に論議を現実に引き戻さなければと考えたのです。
 ですから、外務省など公的な外交ルートは使わず、自費で行きました。外務省の認定では危険度5で、日本人は行ってはいけないことになっているところでしたが、現地で20年近くも医療支援をしているNGOのペシャワール会に窓口になってもらい、民間ルートで行ったため入ることができたのです。

 ――イスラマバードのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で難民の現状について説明を受けたそうですが。

 アフガニスタンから引き揚げてきた、パキスタン内アフガニスタン事務所です。組織の性質上、国の外に出て難民となった人の支援が中心で、国内で飢餓に瀕している人への食料援助の優先度は比較的低く位置づけられていました。しかし、難民になってしまった人を事後処理する発想を根本的に転換しなければいけないと、実感しました。

 ――難民というと着の身着のままで国を出たというイメージで語られがちですが。

 難民キャンプにも、古いキャンプ、新しいキャンプがあり、人々の生活もさまざまです。10数年続く古い難民キャンプには、土作りの家が並んでいて、お店も学校もあります。
 15年前に建設された難民キャンプ(キャチャガライキャンプ、ナーセルバーグキャンプ)は、パキスタンの最貧層の人たちより生活水準は上でした。アフガニスタン国内から難民キャンプの親戚を頼って出てくる人、空爆が始まって以降、国境に向けて逃げてくる人は増えていましたが、パキスタンが国境を閉めていたため、大規模な難民の流入は見られませんでした。
 私たちはPMSの現地スタッフの車で入りましたが、丸腰で民族衣装を着ていても、外国人への緊張が高まっているのが感じられました。ましてや拳銃を持った自衛隊が行ったら一触即発でしょう。自衛隊員にも難民にも死者を出すだけです。絶対に自衛隊を出すべきではありません。
 医務官についても、ペシャワールにも立派な州立病院があって、失業している医師もいます。お金を送れば、現地語で難民の診察ができる医師を雇えるのです。ペルシャ語も話せない日本人の医務官が行ってどうするのでしょう。

 ――ペシャワール医療サービス(PMS)の活動は。

 PMSは、ペシャワールに60床の基地病院と、アフガニスタン内にも八つの診療所を持っていて、空爆の続くカブール市内の五つの診療所でも、現地の医療スタッフが診療を続けていました。
 アフガニスタン国内では、500万人が水や食糧不足におかれていて、厳しい冬を前にカブールでは150万人の市民のうち、1割の人たちに餓死の危機が迫っています。
 国外に出ることのできない、難民にもなれない貧しい人たちにペシャワール会が小麦と食用油の配布を行っていました。私たちが立ち会ったのは、ペシャワールにある製粉所から小麦を買い付けて、トラック7台分(1台28トン)をアフガニスタン国内のジャララバードに届けるところでした。費用は日本からの募金で賄われています。
 欧米のNGOも国内への食糧支援を始めようとしていましたが、末端まで小麦を行き渡らせるルートを持っているのは、診療活動や井戸掘りの支援でジルガという村の長老たちと信頼関係を築いているペシャワール会だけです。

 ――米軍による空爆の被害者にも会われたそうですが。

 空爆で負傷した人が収容されている1600床のペシャワールの州立病院(ハヤタバード総合病院)で、足を切断した男性、炸裂弾を受けた男の子、口の中の出血が酷く、気管カニューレといって気管に管を通す措置をしている女性に会いました。
 パキスタンは難民の受入を認めていませんから、公のルートで運んでくるわけではありません。家族や縁者が国境沿いまで運んで来た人をエディヒさんという篤志家が、個人で救急車をチャーターして、ペシャワールまで運んでいるのです。
 州立病院には子ども3人を含む13人が収容されました。二人は首を射抜かれて到着後すぐ亡くなりました。5人は同じカラマ村から運ばれてきたといいます。この村で何が起きたか想像してみてください。病院まで運ばれてくる人は、ごく一握りです。即死した人、運んでこられないほど重傷の人もいるのです。
 ペシャワール州立病院は、この人たちを無料で診療していました。医師は、なぜもっとも貧しい人を戦争の犠牲にするんだと、憤っていました。
 私たちをその州立病院に案内してくれたのは、普通の市民です。絶対見せたいものがあるから一緒に来てくれ、と。目立たないように病院に行ったのは夜の9時でした。
 パキスタンの政権は表向きアメリカの空爆に理解を示しているけれど、町で会った人々からは、深く静かで、激しい憤りと、自分たちはこの人たちを受け入れて支えるという決意が伝わってきました。
 エディヒさんはニューヨークのツインタワービルへのテロの被害者にも寄付をし、個人でアフガニスタン国境まで救急車を往復させています。
 その国の政権がどうかという前に、一人ひとりが命のためにそれぞれの場所で何ができるかを考える時代になっていると思います。

 ――アフガニスタンへの民から民への支援を考えるときに、タリバン政権の女性への人権侵害が問題になります。

 まず考えなければならないのは、今、アフガニスタン内の女性の人権侵害に関する情報のほとんどがCNN、BBCなどアメリカ、ヨーロッパのメディアを経由したものだということです。
 アフガニスタンから国外に出て難民になった人の状況をひとくくりには語れず、また外国の支援団体が難民が外へ出てくるのを国外で待っているのが本末転倒なのと同じ様に、アフガニスタンの女性といっても、都市部の西欧化した経済的に豊かな女性と農村部の貧しい女性とでは、おかれた状況も考え方も違いますし、支援をためらう理由にするのはどうかと思います。
 お金を持っている女性たちは、アメリカの政策のなかで、アメリカ社会に受け入れられているという現実もあります。アフガニスタンでも一番貧しく、干ばつや国連の経済制裁によってこの冬、飢えで死ぬような女性たちや子どもたちのおかれている現実とは、同じ女性でも絶対的な格差があるのです。
 パキスタンに行って分かったのですが、日本も含め西側の経済的に豊かな国のマスメディア人は、パキスタンで一泊300ドル、日本円にして4万円のホテルに泊まっています。10円あれば1日のパンが賄える土地で、高級ホテルに泊まり、その屋上から電波を飛ばしている人の情報は、地べたを這いずって生きている人の姿を伝えてくれるでしょうか。
 おそらく私たち日本の女性だって、戦後の占領軍による解放政策のなかで、いきなりこれが新しい、正しい女性像ですよと一方的に押しつけられたら、きっと受け入れられなかったと思うのです。女性たち自身がエンパワー=力をつけるためには、まず生き抜いてもらうことです。真っ先に飢餓の犠牲になるのは女、子どもです。今、女、子どもを見殺しにしないために、水と食糧が何にもまさる支援だと私は思います。
 どんな政治的に正しい言質を使おうとも、血の通った政策でなければ、相手の国を、相手の国の一番貧しい人を救うことはできません。私たち先進国の人間が一番やってはいけないことは、自分の規範や自分の価値観を押しつけることだと思います。彼女たちに、とにかく生き延びてもらうことです。生き延びなければ明日はない。祖国の再建もできない。その地で生きてもらう以上の、空爆を止める以上の政治はないと思います。
 私が日本の政治家としてやらなければならないことは、即刻、アメリカの空爆を停止させるために行動することです。機会を見てアメリカにも行きたいと思いますが、そうした主張を世界に言い続け、行動できるのは本来、平和憲法のある日本の役割ではないでしょうか。
 また、大干ばつの原因を作った地球温暖化を放置してきた私たち先進国の人間として持続的に取り組まなければならないこともあります。女性の人権の問題は、その地域で生きる女性たちが力をつけていくために何ができるかという視点で考えるべきだと、私は思います。


いずみ

 147号で報告した市立芦屋高校の存廃をめぐる攻防はいよいよ佳境に入った。
 こういう場合、「大詰め」とか「正念場」とかいうものであって、「佳境」とはいわないものだろうが、闘争が楽しく、出会う人も久しぶりの人もいて懐かしく、闘いの後の宴が、えも言われぬほど味わい深いものとあっては、佳境に入ったというほかない。
 9月25日、多少のトラブルあっても、予定どおり廃校決定できると、教育委員会はタカをくくっていた。それが発言禁止の傍聴規則など糞くらえと、2時間長口舌ふるって、ついに流会させた。
 10月5日の管理部長との交渉では、審議会も教育委員会も秘密会で、議事録もとっていないことを白状させ、主権者不在の審議であり、その無効性を明らかにしてやった。
 10月8日、市長と教育長に叱責されたのか、教育委員長は台本どおり「廃校」とか細く読みあげたが、「野次と怒号」にかき消された。これを契機に、官の広報部であったマスコミが、市民の動きをフォローするようになった。
 10月19日、大阪高裁は一審を上まわるいい判決を下した。九人の教師の強制配転は、組合活動を嫌悪する教育長と校長の不当労働行為と認定したのだ。市教委は上告を諦めたが、それによって北村市長と、それに追従する市教委は違法行為者として確定した。これからは彼女、彼らが犯罪者であることを、折りにふれ自覚させねばならない。
 11月2日、早朝から夜まで市庁舎前に座りこんだ。思い思いに市芦との出会いを語り市芦こそ誇るべき市民文化であることをアピールした。携帯コンロで炊いたおでんとおにぎりは、熱燗こそ自粛したが、市芦存続が市民一人ひとりの切実な願いであることの象徴的な風景であった。
 区画整理に今では1人になっても反対し続ける市民に、強制移転が通告された。何とか3ヵ月延長させたが、この闘いと市芦存続の闘いは合流していない。同じ敵だといっても、容易に合流しないのが市民運動の難儀なところだ。難儀ではあるが、一筋縄ではいかぬ曲者とのつきあいが面白いのだ。

                                                         小寺山康雄 


ECOひいき

NUPEKI (埼玉)
 *エコロジー・フェアトレード・てづくりものの店*

 「出来ることから」をテーマに楽しくやらせて頂いております。今回は、「アフガン難民の人びとの手工芸品」の紹介をさせていただきます。パキスタン北西部辺境州でアフガン難民の支援をおこなうNGO「オッケンデン インターナショナル(OI)」のプロジェクトで難民の人びとが手づくりする商品をOIとフェアートレードカンパニーが1994年から共同で開発し、公正な価格での製品買取に加え、製品一点の売上ごとに百円を別途寄付金としてOIに送っています。
 心のこもった 手袋900円、帽子・バック1000円、スリッパソックス1500円〜。アクリルとウールで編まれ、ソックスの底はスウェードで、しっかりとしたつくりです。せっかく買うならいかがですか?
 ほかにも、心のこもった、手工芸品・無農薬のお茶、コーヒーなどなど、見ているだけで嬉しくなる商品を取り揃えてあります。ぜひ、遊びに来て下さい。イヤイライケレ。(NUPEKIとはアイヌ語で太陽です)

                                               谷利 恵理子

【連絡先】 埼玉県春日部市中央6−1−27
        TEL・FAX 048-745-5333
        URL:www.sensaiichiba.com/nupeki/index.cgi
【行き方】 東武伊勢崎線、春日部駅西口下車直進200m左、センチュリー21の3階(郵便局をすぎ、信号をわたり30m) 


店・モノ・活動を‘ECOひいき’!!

 ACTの名物コーナー「ECOひいき」に登場してくださるみなさんを募集しています。「ECO」なお店、会社、グッズ、運動、などを是非、ACTで紹介させてください。自薦・他薦は問いません。紹介文は、本紙だけでなく、ACTのウェブサイドにも掲載させていただきます。
 @お店・グループ名 Aお店の紹介や商品説明、活動案内(500字以内) B連絡先(お店などの場合、「行き方」も) C執筆者氏名 D掲載紙送付先・原稿に関する問い合わせ先 ―を明記し、EメールかFAX、もしくは郵便でACT編集部[act@jca.apc.org]までお送りください。地図・写真などを添付していただければ、それも一緒に掲載いたします。(編集部)


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