第三章 安保条約の違憲性・国際法違反性
第四 砂川大法廷判決と安保条約の合憲の要件
一 問題の所在
裁判所は、「安保条約は主権国としての我が国の存在の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものであるから、これが違憲か否かの判断は、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外であり、安保条約は一見極めて明白に違憲とはいえない。」と繰り返し判断してきた。
この裁判所の姿勢の原点が、砂川事件大法廷判決(1959年(昭和34年)12月16日)にあることはいうまでもない。ところでこの大法廷判決は、単に「統治行為論」を展開しただけでなく、安保条約に基づく米軍の駐留は、「憲法九条および前文の趣旨に適合」するとしていた。
ここで展開された論理は、憲法は、わが国が主権国として持つ固有の自衛権を何ら否定していないし、無防備、無抵抗を定めたものではない。わが国が必要な自衛の措置をとることは当然であるし、わが国が平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることは禁じられていない。9条2項にいう戦力は、わが国が主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうので、米軍はこれに該当しない、というものであった。
われわれは、かかる論理にも結論にも承服しない。しかしながら、そのことはさておくとして、ここで留意しなければならないことは、この大法廷判決は、全く無留保で米軍の駐留(その法的根拠としての安保条約)を合憲としていたわけではないということである。
判決はいう。「われら日本国民は、憲法9条により戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、憲法前文にいう平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式または手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができるのであって、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」と。
整理すると、この大法廷判決は、他国に安全保障を求めること(現実には、米軍の駐留を認めること)が憲法上容認されるには、
などの要件が充足される場合であるとしているのである。
即ち、このことを裏からいえば、これらの要件を充足しない他国との「安全保障条約」は、憲法9条と前文の趣旨に違反する無効な条約であることを意味している。
憲法は、わが国の平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、一般的に禁止していないとしても、右大法廷判決は、無制約でそれを許容するのではなく、その要件を呈示したのである。そして、この三要件は、その性質上、わが国を取り巻く国際情勢の変化の中で、不断に点検されなければならないものである。
そうすると、右最高裁判決から40年程経た現時点において、現行安保体制(現行安保条約とその後の日米両国政府間の共同宣言や協定を含む法体系)がこれらの要件を充足しているか否かを検討することは、必要不可欠の作業ということになる。そして、そのためには、安保条約の条文の文理的解釈に止まらず、日米両国政府が現実に展開している政策と米軍駐留の実態を全面的に検討することが求められることになる。
これは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」するために、司法に課せられた崇高な責務である。
以下、現行安保体制とそれに基づく米軍の駐留が、@わが国の平和と安全を維持するためとはいえず、Aその目的を達するための方式または手段とはいえず、B国際情勢の実情に即応しないので、憲法9条と前文に違反する無効な条約であることを詳述する。
二 現行安保体制は日本の安全を維持することを目的としていない
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旧安保条約は、1952(昭和27)年4月26日発効し、現行安保条約は1960(昭和35)年6月23日発効している。前記砂川大法廷判決は、この安保改定調印の直前になされたものである。
旧安保条約は、日本国は武装を解除されているので固有の自衛権を行使することができないが、無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、個別的・集団的自衛権の行使として、アメリカ合衆国が、日本国内及びその付近にその軍隊を維持するのだとされていた。「無責任な軍国主義」とは、ポツタム宣言が第2次世界対戦までの日本・ドイツに対して使った用語であるが、ここではソ連に対して転用され、不信と憎悪をかきたてるキーワードとされていた。
改定された現行安保条約は、6条で「日本国の安全」と「極東における国際の平和及び安全」の維持のために、旧条約と同様に米軍が日本に駐留することを認めるのみならず、五条で、日米両国が「日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃」があれば、それがどちらに対する攻撃であっても「自国の平和及び安全を危うくするもの」と認めて「共通の危険に対処するように行動する」こととしている。「日本国の施政の下にある領域」に限定されてはいるが、集団的自衛権の公然たる容認である。即ち、6条で在日米軍が「極東の平和及び安全」のためにという名目で行動し、どこかの国と敵対関係に突入すると、その発進・出撃基地は日本にあるわけだから、5条によって、「日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方」つまり在日米軍に対する「武力攻撃」がありうることになり、「武力攻撃のおそれのある場合」(自衛隊法76条)として自衛隊が出動するとされているのである。
このことは、歴代政府の「憲法は集団的自衛権を禁止している」との言明にかかわらず、日本には直接関係のないアメリカの戦争であっても、日本は「共通の危険」として「対処」することになるわけであって、日本の平和と安全を維持するためどころか、全く逆にアメリカの戦争に日本が巻き込まれる危険性を持つことになるのである。
2 「日米防衛協力のための指針」(旧ガイドライン)による変更
安保条約第6条では、日本の安全とは直接に関係のない極東の事態が規定されている。けれども、これはアメリカの基地使用目的を定めたものであって、極東での作戦に従事する米軍に対し、自衛隊が支援行動をおこなうことを義務づけたものではない。こうした条約上の制約をもった日米安保条約は、1978年の「日米防衛協力のための指針」(旧ガイドライン)によって、新しい段階をむかえることとなった。
旧ガイドラインは、「侵略を未然に防止するための態勢」や「日本に対する武力攻撃がなされるおそれがある場合」の共同作戦をとりあげ、日本に対する「武力攻撃」があったときの共同対処に限定していた安保条約の規定を踏みこえた。更に、「日本以外の極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合の日米間の協力」を約束した。安保条約の極東条項はあくまで米軍の行動についての規定であったのに、旧ガイドラインは日米間の協力を極東で行なえるようにしたのである。
ここには既に「専守防衛」ではなく、海外に撃って出る姿勢が示されている。
しかしこの旧ガイドラインも、形式面からいえば、「日本防衛」という安保条約の目的に拘束されていた。極東での共同作戦についても、「極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合」として、日本の防衛と関係のない問題で発動されることは、文面の上では想定されていない。日本への武力攻撃がない場合に共同作戦ができるといっても、その「おそれ」が存在していることは欠かせないのであった。
3 日米共同宣言による安保条約の「再確認」
この「限界」を突破したのが、1996年4月の「日米安全保障共同宣言」である。宣言は次のようにいう。
「日本と米国との間の堅固な同盟関係は、冷戦の期間中、アジア太平洋地域の平和と安全の確保に役立った。われわれの同盟関係は、この地域の力強い経済成長の土台であり続ける。日米両国の将来の安全と繁栄はアジア太平洋地域の将来と密接に結びついている。
冷戦の終結以来、世界的な規模の武力紛争の発生する可能性は遠のいている。ここ数年来、この地域の諸国の間で政治および安全保障についての対話が拡大してきている。しかし同時に、この地域には依然として不安定性及び不確実性が存在する。
日米安保条約を基礎とする両国間の安全保障面の関係が、共通の安全保障上の目標を達成するとともに、21世紀に向けてアジア太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎であることを再確認する。
日本の防衛のための最も効果的な枠組みは、日米両国間の防衛協力である。この協力は、自衛隊の適切な防衛能力と日米安保体制の組合せに基づくものである。
米国が引き続き軍事的プレゼンスを維持することは、アジア太平洋地域の平和と安定のために不可欠である。この地域において、約十万人の前方展開軍事要員からなる現在の兵力構成を維持することが必要であることを再確認する。
日本周辺地域において発生しうる事態で日本の平和と安全に重大な影響を与える場合における日米間の協力に関する研究をはじめ、日米間の政策調整をする必要性がある。」
ここに見てとれることは、日本の防衛についても触れられてはいるが、それが主眼ではなく、むしろ、今後も維持される10万人規模の米軍の前方展開能力に日本が協力しつつ、21世紀のアジア太平洋地域において、日米両国が望むかたちでの安定的で繁栄した情勢を樹立しようとする姿勢である。ここにこの共同宣言が日米安保条約の「再確認」といわれる理由がある。
4 新ガイドライン及びその関連法
この日米共同宣言を受けて、日米両国政府は、1997年9月、「日米防衛協力のための指針」(以下、新ガイドラインという)を策定した。これは、1978年の旧ガイドラインを全面的に改定したものであるが、これによって、日米安保体制は質的転換を遂げている。
新ガイドラインの特徴は、「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態)」における日米軍事協力のあり方を具体的かつ詳細に取り決めていることにある。旧ガイドラインが、「日本以外の極東における事態」を想定し、日本が米軍に対して行う「便宜供与」について「相互に研究を行う」としていたことと対比しても、そのアジア・太平洋地域への拡大(政府は「地理的」概念ではないとしているが)と軍事的協力の全面性(直接的戦闘行為を除き、兵站活動や救助活動を担うことになる)の質的変化には顕著なものがある。
政府は、この新ガイドラインの実効性を確保するために「周辺事態措置法」の制定や自衛隊法の改正などに着手し、1999年5月24日、これら新ガイドライン関連法は、国会で成立した(この問題点については、本章第二・二を参照のこと)。
このように日米安保条約は、明文改定はなされていないが、日米共同宣言、新ガイドラインの制定、その関連法の成立を経て、大きく質的な転換を遂げている。その適用範囲は「日本と極東」から、地理的には制約されない「日本周辺」へと拡張され、機能的には、米軍への基地提供から、平時も戦時も、自衛隊のみならず、政府諸機関から地方自治体や民間まで、従ってわが国のあまたの人的・物的資源が、米軍への協力(兵站活動や救助活動は戦闘行動と同視される)に動員されることとなったのである。そして、そこでは「わが国の平和と安全」がいわれているが、それは、日本に対する武力攻撃が行われているとか、あるいはそのおそれが差し迫っているなどの「わが国の固有の自衛権」の発動とは全く異次元の武力による威嚇や武力の行使による「わが国の平和と安全」が語られているのである。端的にいえば、日米両国政府は、強大な軍事力を背景に、自国の安全と平和を口実として、アジア太平洋地域の制御を意図しているのである。ここには、単に「防衛」に止まらない、先制攻撃の姿勢が顕著である。
ところで、砂川大法廷判決がいう「わが国の平和と安全」の概念は、その文脈からして「わが国の固有の自衛権」を意味していたことは明らかである。そうすると、ここまで述べてきた様な変容を遂げている現行安保体制を、砂川大法廷判決が要件としている「わが国の平和と安全を維持することを目的としていること」を充足するとすることはできない。
三 日本の安全保障のための方式又は手段としての異常性
1 在日米軍の特権-治外法権
日米安保条約第6条は、「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」と定めており、これにもとづいて「在日米軍の地位に関する日米協定」が結ばれている。この「地位協定」は、アメリカに施設及び区域を使用することを許すに止まらず、在日米軍に多くの「特権」を保障している。
「地位協定」にもとづく在日米軍の「特権」・「特典」・「優遇措置」の主な項目を以下に列挙する。
ここには、国際的に見ても異常ともいえる米軍の特権が認められており、治外法権の範囲が広汎に過ぎるというべきである。わが国の防衛を目的としながら、わが国の主権をかかる形で制約することは、独立国間の関係のあり方として是認されるものではない。
2 在日米軍の任務と特性
現在、わが国には、アメリカの四軍の部隊が駐留している。その役割は、以下にみるとおり、わが国の防衛を目的とするというよりは、アメリカの固有の軍事戦略に基づいての駐留である。
(一)第三海兵遠征軍−侵攻部隊としての海兵隊
沖縄・岩国基地を拠点とする第3海兵遠征軍は、アメリカ海兵隊のなかで唯一海外に師団規模で展開している部隊で、沖縄のキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワーブなどを拠点とする第3海兵師団と普天間基地(沖縄)、岩国基地(山口)を拠点とする第1海兵航空団から構成されている。
そもそも海兵隊は、「フロム・ザ・シー」を売り物にしているように、海兵隊独自の航空機で相手陣地を攻撃しつつ、ヘリコプターや上陸用舟艇で相手国への上陸するための侵攻部隊である。
現に、沖縄の第3海兵師団は、長期間にわたるベトナム戦争で戦闘したし、湾岸戦争の時にも大挙出撃した。
米海軍佐世保基地には、強襲揚陸艦「ベローウッド」をはじめ、四隻の揚陸艦が配備され、第3海兵遠征軍の出撃を支えている。「ベローウッド」は95年2月にはアフリカ・ソマリアに出動している。また、湾岸戦争の時には、戦車揚陸艦「サン・ベルナルディーノ」、「セントルイス」、「ディビューク」などの揚陸艦部隊は沖縄の海兵隊を乗せて中東に直行していた。
1995年9月には、LCAC(強襲上陸用エアクッション型の舟艇)二基搭載の最新鋭ドック型揚陸艦「フォークマックヘンリー」が新たに配備され、同型の「ジャーマンタウン」とともに佐世保基地の機能が強化されている。このLCACは水陸両用の高速上陸用舟艇でアメリカが強襲対象としている世界の海岸の70%で上陸作戦が可能といわれ、強襲時において海岸への高速輸送や内陸部までの進入が可能である。
(二)米第7艦隊の広範な守備範囲
横須賀、佐世保などを拠点とする米第7艦隊は、西太平洋とインド洋を守備範囲としており、極めて攻撃的な役割を担っている。
第7艦隊に所属する旗艦「ブルーリッジ」や空母「インデペンデンス」(現在は退役し「キティホーク」と交代)など11隻が横須賀に、強襲揚陸艦「ベローウッド」など六隻が佐世保を母港にしている。
横須賀を母港としている第七艦隊の艦船は、ベトナム戦争中、ベトナムのトンキン湾に出動して北爆に参加していた。
湾岸戦争のときも、横須賀を母港としていた空母「ミッドウェー」の艦載機は他のどの空母航空団よりも多く出撃した。横須賀を母港としていた「インデペンデンス」戦闘群は1995年9月から10月にかけてペルシャ湾に出動して監視行動をおこなっていた。
更に、横須賀には、潜水艦部隊として米太平洋潜水艦群のなかの第七潜水艦群が置かれていたが、これに加えて第5艦隊所属の潜水艦任務部隊が寄港していることが明らかとなっている。第5艦隊とは、中東地域を担当する艦隊である。この艦隊の任務部隊の指令部が横須賀にあるとすれば、横須賀が中東もその作戦範囲とする基地になっていることになる。
(三)全地球的任務をおびる第五空軍
ソ連崩壊後、米空軍は世界各地で発生する地域紛争にどこへでも駆けつけられる空軍をめざして再編成されている。日本に展開する米空軍も、フィリピン以北・ハワイ以西の北西太平洋全域の空を作戦範囲とする太平洋軍第5空軍が、前進配備の大部分の戦闘機部隊や輸送機部隊を一本化して指揮することになった。
東京にある横田基地は、第5空軍指令部の所在基地であるとともに「世界的・地域的支援する中心的な兵站施設」として位置づけられ、アジア太平洋全域への輸送拠点である。青森県の三沢には、第35戦闘航空団のF16戦闘爆撃機36機が配備されている。この戦闘爆撃機は、敵のレーダー網を破壊攻撃することを主任務とするもので、嘉手納などのKC135と組めば世界のどこへでも出撃可能である。
沖縄の嘉手納基地には、第18航空団所属のF15制空戦闘機55機と、「空飛ぶ指令室」の異名をもつE3B空中警戒管制機部隊、空中給油機部隊、戦略輸送機部隊などが配備されており、これらは、一度飛び立てば、そのまま世界のどこの作戦にも参加できる態勢をとっている。
(四)アメリカの世界的な兵站拠点の在日米陸軍
在日米陸軍の拠点座間基地でも、米世界戦略にあわせて基地機能が再編されている。これまで日本有事への対応を任務としていた第九軍団が解散され、新たにアジア太平洋地域を作戦対象とした第1軍団分遺隊と第9戦域陸軍地区軍団となった。同じ神奈川の相模補給廠もアメリカの兵站作戦の拠点になっている。医療コンテナ・「展開可能医療システム」(これらのセットを組み合わせれば即座に野戦病院に早変わりする)が大量に持ち込まれている。また、「可動式燃料供給システム」(360個のコンテナ)も運び込まれている。世界のどこへでも有事ともなれば、これを前線に運び込こもうというもので、日本がその拠点にされている。
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このような米軍の駐留について、クリントン・アメリカ大統領は、「米国は死活的な国益の存在する地域に前方展開するという世界戦略の一部として、東アジアにおける同盟関係を維持し、このためにこの地域に約10万人の兵力の前方展開を続ける計画を持っている。」「4万7千人の在日米軍人への支援および米国の前方展開戦略に対する日本の貢献に多大の称賛をする。」といっている。
ここに示された大統領の称賛は、日本が負担している在日米軍の駐留に対する日本の負担の大きさに対するものである。
即ち、日本が負担している在日米軍の駐留経費は、総額で1995年度で6、258億円(うち「おもいやり予算」は2、714億円)。米兵1人あたり1、442万円である。ナイ元国防次官補は、「日本は兵員給与を除く駐留経費のほぼ70%を支払っている」と日本政府の気前のよさを高く評価している。
かかる米軍駐留の実態、従って現行安保体制は、日本の防衛のためというよりは、米軍の前方展開のためのものであり、日本の主権に対する制約や、条約上根拠のない国費負担と相まって、日本の安全保障にふさわしい方式又は手段であるとはいえない。
四 現行安保体制は、国際情勢の実情に即応していない
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砂川事件大法廷判決の時から、国際情勢が大きく変化したことは誰も争うことはできない。政府は、1995年11月28日閣議決定された「新・防衛計画の大綱」の中で次のようにその認識を示している。
この新たな指針の策定に当たって考慮した国際情勢のすう勢は、概略次のとおりである。
ここにあるのは、冷戦は終結したが、複雑で多様な地域紛争が発生している。アメリカはその強大な軍事力を背景に引き続き大きな役割を果たす。日米安保体制は、米軍の展開を確保する基盤となる重要な役割を果たすという基本的スタンスである。
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元々、東西冷戦の渦中で、日米安保条約という「安全保障政策」が選択されたことは、日本が「西側」の一員になることを鮮明にしたものであった。そして、ソ連の侵略に対しどのように日本を守るかが、当時の重大な問題意識であった。けれども、砂川大法廷判決当時の田中幸太郎長官が、「人間の奴隷化においてナチズムやファシズムに勝るとも劣らない赤色インペリアリズム」(1952年・新年の詞)と評したソ連は解体された。その重大な脅威「仮想敵国ソ連」が崩壊した現在において、日米安保体制を継続するかどうかは、その大前提に変化があったのだから、当然再検討されなければならないものである。
五 砂川大法廷判決の「小谷勝重・意見」、「河村大助・補足意見」について
この日米安保体制が継続するということは、わが国が、アメリカに異常な治外法権を認めつつ、アメリカの軍事力を官民上げて補完し、アジア太平洋地域における「平和と安定」を図ることを意味している。
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砂川大法廷判決において、小谷勝重判事は「意見」で次のように述べている。
国の存立に重大関係あり高度の政治性ある条約というべき第2世界戦争勃発の原動力となった日独伊三国同盟条約の如きは、「一見極めて明白な違憲」と認められないようにその体制を整えることができると思うのであるが、多数意見は違憲審査権の範囲外としてその効力を容認するのであろうか。けだし世界状勢は変転極まりなく、国の権力にも変遷推移あることに想到すれば、国の基本法たる憲法の護持擁護は不抜のものでなければならないことが痛感されるのである。私は平和の維持と基本的人権の擁護のため、違憲審査権の健在を願ってやまないものである。
1940(昭和15)年の日独伊三国同盟条約の前文は次のようにある(カタカナをひらがなにしてある)。
「大日本帝国政府、独逸国政府及伊太利国政府は万邦をして各其の所を得しむるを以て恒久平和の先決要件なりと認めたるに依り大東亜及欧州の地域に於て各其の地域に於ける当該民族の共存共栄の実を挙ぐるに足るべき新秩序を建設し且之を維持せんことを根本義と為し右地域に於て此の趣旨に拠れる努力に付相互に提携し且協力することに決意せり。而して三国政府は更に世界到る所に於て同様の努力を為さんとする諸国に対し協力を吝まざるものにして斯くして世界平和に対する三国終局の抱負を実現せんことを欲す。依て日本国政府、独逸国政府及伊太利国政府は左の通協定せり。」
ここにも、「恒久平和」・「世界平和」・「共存共栄」・「新秩序の建設」などのキー・ワードを見出すことができる。
軍事力(国家の殺傷力と破壊力、武力による威嚇とその行使)による「平和と安全」の創出とあらゆる相互援助ということでは、この日独伊三国同盟と日米安保体制は共通の立場にある。大日本帝国憲法下における軍事同盟と完全に同質の発想と論理にある現行安保体制を、日本国憲法下において合憲とすることは背理である。
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同じく、河村大助判事はその補足意見の中で次のように述べている。
「政治部門がいかなる方式内容の条約を取結ぶべきかの裁量決定に当っては、憲法の基 本原則である平和主義、国際協調主義を基準として、国家目的達成に相応しいものをとるべきであることもまた当然であるから、政治部門の裁量権はこれを尊重すべきではあるが、その裁量権には一定の限界があり、その限界を踰越し又は裁量権の濫用により、明白に憲法の平和主義国際協調主義その他憲法の条章に反する措置に出た場合、たとえば、攻撃目的のため駐留を許容したものと認められるような明白な違反がある場合には、その措置は司法裁判所における違憲判断の対象となる。」
どのような軍事同盟も、他国に対する侵略や攻撃を標榜することはない。あの日独伊三国同盟においても、いずれかの国が攻撃されたときに、あらゆる政治的、経済的、軍事的方法により、相互に援助するとされていた(第3条)。だとすれば、河村判事のいう「攻撃目的のための駐留」とは、単に、その条約の文言ではなく、その客観的な実態から判断されなければならないであろう。
現行安保体制下における米軍の駐留は、国家固有の自衛権の範疇をはるかに超越し、まさに「攻撃目的のための駐留」であることは、既に述べてきたことから明らかである。そしてそれは、政治部門の裁量権の範囲を踰越し濫用するものとして、「司法裁判所における違憲判断の対象」とされなければならない。
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三淵忠彦最高裁初代長官は、1947(昭和22)年、その就任挨拶で、「裁判所は、国民の権利を擁護し、防衛し、正義と衡平を実現するところであって、圧政政府の手先となって国民を弾圧し、迫害するところではない。裁判所は真実に国民の裁判所に成りきらなければならない。」と述べている。
今、裁判所に求められていることは、「自慰的な言い訳」(砂川大法廷判決での小谷判事の意見)をすることでも、「圧政政府の手先」となることでもない。「国民の権利を擁護し」、「国民の裁判所」となることである。
安保条約が「一見明らかに憲法に違反するとはいえない。」という、常套の用語を用いる前に、裁判所は、現行安保体制が、砂川大法廷判決が安保条約が合憲とされるために必要とした三要件を充足するかどうかについて、慎重な審理を行うべきである。
このことを心から期待したい。