第三章 安保条約の違憲性・国際法違反性
第一 はじめに
日米安保条約が日本国憲法に違反することは、準備書面(二)で詳細に主張したとおりである。すなわち、日米安保条約6条により日本に駐留するアメリカ軍は、憲法9条2項でその保持を禁止した戦力に該当し、同項で否定された交戦権の行使を容認することになる。また、在日米軍及び基地の存在そのものが、憲法前文で明記している平和的生存権を侵すことになる。さらに、日本に軍事増強を義務づける安保条約3条は軍備禁止した9条2項に違反し、日本の防衛のために、日本(自衛隊)が米軍と共同作戦行動をとることを義務づけている安保条約五条は戦争を放棄し武力行使を禁止した憲法9条1項に反する。
本章では、安保条約及び在日米軍基地が憲法違反、国際法違反であることについて大要以下のような主張をさらに展開する。
第一に、沖縄の本土復帰、新ガイドライン及びその立法化の動きに関連して、安保条約の機能が拡大強化され、他方で、日本の戦争参加を具体化する動きがすすめられており、憲法9条や平和的生存権を侵害する事態がますます進行している。それは、核兵器の持ち込みをも容認する政府の態度にも示されている。
第二に、安保条約は集団的自衛権を認めるものであるのみならず、国連憲章や国際法に明白に違反する。
第三に、安保条約の違憲判断を回避した砂川事件最高裁大法廷判決の立場からみても、その実際を直視すれば、少なくとも現時点では明白な憲法違反と言わざるを得ない。
以下、これらについて詳述する。
一 沖縄の本土復帰と安保条約の質的変化
アメリカ軍は、前述したように沖縄戦以降、沖縄の土地を一方的に占領してこれを自由に使用し、軍事基地にしてきた。そして、1952年のサンフランシスコ講和条約発効後もアメリカの沖縄占領が続くなかで、アメリカの施政権のもとで、沖縄の軍事基地は拡大強化されてきた。米軍は様々な事件・事故を多発させ、沖縄県民は多様な被害を受け続けてきた。平和的生存権も踏みにじられ続けてきた。
このように沖縄の米軍基地は、沖縄の本土復帰前に形成されてきたものであって、そもそも日米安保条約によって日本が米軍に提供したものではない。安保条約に拘束されることなく米軍が自由に使用する基地として使用されてきた。すなわち、沖縄は、アメリカにとって「太平洋の要石−キーストーン」と位置づけられ、沖縄の米軍基地は、極東の範囲に限らず、世界各地で活動するアメリカ軍の出撃基地として、その役割を果たしてきた。特に1960年代には、ベトナム戦争に際して、沖縄米軍基地から米軍機が直接ベトナムに向けて発進して戦闘に参加し、あるいは北爆を続けた。他方、本土の米軍基地から出撃しベトナム戦争に参加することは、日本政府との事前協議を要するとされているが、いったん沖縄を経由することによって、その出撃は事前協議の対象からはずされ自由とされた。沖縄は安保条約の適用地域ではないから、沖縄からの出撃は事前協議を要しないというのである。
他方、米軍基地のための土地収用(取り上げ)、強制使用については、地主に対して適正手続きが何ら保障されず、米軍が一方的に発した布告・布令により強行された。まさに銃剣とブルトーザーによる土地強奪が公然と行われたのである。また、沖縄には核兵器も持ち込まれ、伊江島で行われていた核模擬爆弾の投下訓練をはじめ核戦争を想定した演習が続けられてきた。
このような復帰前の米軍基地の実態は、日本国憲法の平和主義と明らかに矛盾するものであったが、27年に及ぶ米軍の支配下で憲法の埒外に放置されてきたのである。
1972年の沖縄の本土復帰にあたって、沖縄の米軍基地は、法的には、安保条約にもとづいて、日本がアメリカに提供する形態をとることに変更された。しかし、米軍基地や米軍の活動、その実態は、変更されたであろうか。
否である。
沖縄の米軍基地は復帰後もほとんど縮小されず、県道越えの実弾砲撃演習が実施され、核模擬爆弾の投下演習なども続けられていた。しかも、「核抜き・本土並み」返還という政府の説明と異なり、沖縄の本土復帰交渉において、日本が米軍の核持ち込みを容認する合意が秘密裡になされていた。当時日本政府の担当官であった若泉敬氏の著書「他策ナカリシムを信ゼンムト欲ス」(文芸春秋、1994年5月)において、佐藤首相とニクソン大統領とが核持ち込みに関する秘密合意議事録に署名したことが明かにされている。
本土復帰により、安保条約の拘束を受けずに機能してきた沖縄の米軍基地が、そのまま安保条約に基づいて提供されるということとなった。しかし、安保条約は、自由使用という実態を有する沖縄の米軍基地を取り込むことによって、従前のその実態を大きく変化させることになった。
本土復帰後の在日米軍の実態は、まさに1972年の沖縄の本土復帰前の安保条約の機能がいっそう拡大・強化されたことを示している。沖縄の住民は、本土復帰後も依然として激しい基地被害などを受け続けており、平和的生存権も侵害されて続けている。
このような安保条約及び米軍基地の存在・実態は、平和的生存権を保障し、戦争を放棄し軍備を保持しないと明記した日本国憲法に明白に違反するものであり、とうてい容認できるものではない。
二 グローバルな在日米軍の役割と安保条約の違憲性
安保条約で定めている「極東の平和と安全」というのは、「大体において、フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び中華民国の支配下にある地域(台湾地域)もこれも含まれている」(1960年政府統一見解)といわば地理的な概念として説明されており、この政府見解は、現在も変更されていない(98年5月27日衆議院安全保障委員会、高野北米局長)。
ところが、在日米軍基地は、この範囲をはるかに超え、アジア太平洋から世界にむけて現実に機能している。最近でも、湾岸戦争及びその後のイラク攻撃、アフリカのソマリヤなどにも、在日米軍基地から米軍が出撃している。
しかも、1992年1月の宮沢首相とブッシュ米大統領による日米共同声明では、日米関係がグローバルパートナーシップに基づくものであることが確認され、日米安保・在日米軍がグローバルな役割を果たすことが公然と確認されるに至った。アメリカは、95年の米東アジア戦略報告で、ソ連崩壊後において東アジアに10万人の軍隊を維持すること明言し、アジア太平洋地域における在日米軍の役割をあらためて確認した上、これを21世紀に向けて維持することを明らかにした。96年4月の日米安保共同宣言は、この東アジア戦略にもとづいて、日米がアジア太平洋地域で軍事的役割を共同して果たしていくことを確認した。
他方、この日米安保共同宣言では、核兵器など大量破壊兵器の拡散防止、あわせて弾道ミサイル防衛(BMD)に関する研究についての協力が約束されたが、新ガイドラインでも、日米間でBMDの研究を継続することを確認している。このような軍事の拡大・強化は、アジア太平洋地域において新たな軍事的脅威を生み出すものに他ならない。
しかも、安保条約のこのような機能の拡大・強化は、沖縄県内への移設を前提とする普天間基地「返還」などSACO(「沖縄に関する特別行動委員会」)により、在日沖縄基地の再編強化を伴うものである。
さらに、この日米安保共同宣言では、ガイドラインの見直しが確認され、翌97年9月23日には、日米両政府で新ガイドラインが合意された。そこでは、日本が武力攻撃を受けた場合とともに、日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合の日米協力、いわゆる周辺事態における日米間の軍事協力が定められている。その内容は、「具体的な政策や措置に適切な形で反映されることが期待される」としていたが、それが98年4月周辺事態法案、自衛隊法「改正」案及び「物品役務相互融通協定」(ACSA)の改定として国会に提出され、99年5月に国会で成立するに至った。新ガイドラインや周辺事態法で規定されている周辺事態とは、地理的概念ではないとされており、アジア太平洋地域をにらんでおり、そこで発生する軍事紛争(米国による軍事介入・侵略も含む)まで対象とされている。
アジア太平洋地域への日米安保条約の拡大に対応して、ヨーロッパでは北大西洋条約機構(NATO)が域外活動を新たな任務として明記する新戦略概念を確認し、同盟の目的と任務の明確化をはかった。そして、99年3月から続けられたNATO軍によるユーゴスラビアに対する空爆は、その役割が具体化された重要な試金石とされている(平成11年度防衛白書)。いずれも、アメリカの世界戦略のなかで位置づけられていることが、浮き彫りにされている。
このように日米安保条約は、条約上で定められた目的・機能を超えて、それがグローバルに、少なくともアジア太平洋地域へと拡大され、日本の防衛と関係のない役割がいっそう明らかにされている。個別的自衛権の行使の範囲で安保条約の合憲性を説明してきた政府見解や最高裁判所判決の立場からも、このような米軍に基地を提供する安保条約はとうてい違憲といわざるを得ない。なお、安保条約がそもそも集団的自衛権の行使となることについては、後に詳述する。
三 新ガイドラインの立法化と安保条約の違憲性
1 新ガイドラインの合意と内容
前述の日米安保共同宣言では、ガイドラインの見直しが決定され、97年9月に新ガイドラインが作成されるに至った。これは、英字新聞で「ウォーマニュアル」(戦争の手引書)と紹介されたものであり、日米安保条約をアメリカと共同してアジア・太平洋地域への軍事支配を強化する関係に拡大・強化するものに他ならない。
周辺事態に対して、新ガイドラインは、@救援活動及び避難民への対応のための措置、A捜索・救難活動、B非戦闘員を退避させるための活動、C臨検を含む経済制裁の実効性を確保するための活動について日米の協力義務などを定めている。さらに、D米軍に対する支援として、自衛隊施設及び民間施設の提供、補給・輸送等の後方地域支援を義務付け、その際には、中央政府及び地方公共団体が有する権限及び能力並びに民間が有する能力を適切に活用するとしている。
2 関連法と周辺事態
日本で新ガイドラインを実行するための法律が新ガイドライン法案−周辺事態法案及びACSA改訂、自衛隊法「改正」案として国会に提出され、99年5月に国会で成立するに至った。
そのなかでは、日本が武力攻撃を受けていない場合でなくても、周辺事態として、米軍の軍事介入や侵略戦争に協力を求められる。
その周辺事態の範囲は、「地理的な概念ではない」とされ、その限界が明確にされておらず、安保条約でいう極東の枠を超えて、アジア太平洋地域から全世界へと拡大されるおそれがある。
3 日本の軍事活動と武力行使
新ガイドライン・周辺事態法では、食料や燃料等の補給や武器弾薬の輸送、負傷兵の治療、武器の整備など米軍の活動に不可欠な活動を日本が担当し、米軍と一体となって戦争を行うこととなる。後方地域支援活動、後方地域捜索・救助などという言葉で日本が担当する活動が説明されているけれども、今日の戦争を考えるとき、戦闘行動の行われている前線と兵站活動を行う後方とが一体となって軍事行動が行われるのであり、後方地域支援の比重が軽くなるものではない。この点について、元防衛庁幹部も、「広い戦争行為には、戦闘部隊も後方活動も全部包含されるはずです。ある意味では輸送とか通信というのは、前線で戦う歩兵より重要なくらいで、医療だって戦争行為の外側とはみなされない」(西広元防衛事務次官『文芸春秋』90年10月号)と述べているのである。
そして、攻撃を受ければ、これに対して、自衛隊が海外でも部隊による組織的な武器の使用、すなわち武力行使を行うことまで認めている(周辺事態法11条)。ここでは、使用する武器は限定していないばかりか、自衛隊法95条の「武器の防護のための武器使用」で反撃することをも容認される。
結局は、憲法で禁止されている武力による威嚇や武力行使、さらには交戦権をも認めることになる。
4 自治体・国民の戦争動員
このような米軍の戦争に、日本の自衛隊をはじめ国の行政や地方自治体、国民まで動員し、日本が戦争行為を行うことが約束され、実行されようとしている。すなわち、周辺事態法八条で各行政機関がそれぞれに必要な対応措置を実施するとし、同法9条1項で地方自治体の知事や市町村長に対して「必要な協力を求めることができる」とし、同条2項で民間に対して「必要な協力を依頼することができる」としている。政府が、各行政機関や自治体・民間を戦争に動員できる仕組みが作られているのである。
周辺事態法成立後の99年7月6日、政府は、自治体や民間の協力を具体化するために、港湾・空港の使用、危険物貯蔵所設置や救急車による搬送の許認可、兵員や武器・弾薬などの輸送、廃棄物処理、医療機関への患者の受け入れ、民間船会社・航空会社への協力依頼、給水、体育館・公民館などの目的外使用を含めた物品貸与など、13項目を列挙して関係自治体などに示している。しかも、政府は、自治体が正当な理由がなければ拒否できないとし、拒否を明確にした議会決議や条例まで無視して協力を義務づけようとしている。
周辺事態法のもとでは、このように軍事が優先され、自治体や国民の動員、様々な基地被害などにより基本的人権がいっそう激しく侵害される。国民の平和的生存権も侵害されることになるのである。そればかりか、憲法で定める地方自治の原則や民主主義をも蹂躙されることになる。
このような事態をもたらすのが、安保条約にほかならない。安保条約そのものについても、その違憲性はますます明白となっているといわなければならない。
5 米軍の判断に事実上白紙委任
周辺事態法は、「周辺事態」の場合の実施措置や手続きを定めるとしている。けれども、実施手続きにおいて、基本計画は国会の承認が排除されており、その判断をチェックする機能は実際上存在しない。次に述べるように、日本の判断は、アメリカの判断に従うことが想定されているのである。
在日米軍基地を発進した軍用機や米艦船が湾岸戦争やソマリア作戦、イラク爆撃などに参加した場合でも、事前協議が行われたことは過去に一度もない。日本政府の態度は、在日米軍の出撃に対して、ノーチェックであり続けたのみならず、国連の非難決議があげられている前記軍事行動や国際法違反の軍事介入などにも理解を示し、これを支持し続けた。 池田行彦外相(当時)は、「周辺事態が予想される場合においていろいろ緊密な日米間の調整が行われる、その過程で情報交換であるとか政策協議なども従来以上に協議していこう、それからまた調整メカニズムをきちんとつくっていこう、こういうことにしております。」(97年6月16日参院内閣委員会)として、日米間の対応が食い違う可能性を否定している。日本がアメリカの判断に従うことは当然の前提として想定されているのである。
そして、日米両政府は、98年に入り、新ガイドラインの実施組織となる「包括メカニズム」を発足させ、新ガイドラインを具体化する作業を着々と進めている。すなわち、自衛隊・在日米軍・米太平洋軍の代表など、日米の制服組による共同調整会議で、共同作戦計画と相互協力計画の策定、参戦準備段階の共通の基準及び実施要項(交戦規則)づくりの作業が進行している。
新ガイドラインでは、周辺事態が予想される場合には、日米間の調整メカニズムを早期に開始し、情勢の変化に応じて即応体制を強化することとされている。
このように日本側で「ノー」といえない状況がつくられているのである。このように国家主権すら無視されることになる事態は、日本が独立国家であることを前提とした日本国憲法のもとで到底容認できるものではない。
6 違憲性は明白
以上のように新ガイドラインや周辺事態法が成立し、安保条約下の米軍基地も大きく変容してきている。日本の戦争行為を義務づけ、武力行使まで容認し、そのために自治体や国民まで動員する国内法の成立整備により、いっそう、米軍基地が憲法九条に違反し、平和的生存権の侵害となることが明白になってきている。これは、単に米軍基地の機能の変容というにとどまるものではなく、安保条約の違憲性をいっそう明らかにするものである。
四 核兵器を許容する安保条約の違憲性
日米の沖縄返還交渉に際して、核兵器の持ち込みを容認する秘密合意が存在したことはすでに述べたとおりである。沖縄米軍基地に核兵器が持ち込まれた事実は米軍関係者の証言などからも明らかとなっているが、そもそも、米軍には核兵器を含む軍備が前提とされている。その核兵器の威嚇力によって、全世界に対する強固な軍事的支配力が誇示されてきたのである。安保条約により、日本も「アメリカの核の傘」のもとにある。
現に、日本政府は、いわゆる非核港湾条例を否定する態度を表明している。これは、核兵器を事実上容認するものである。非核港湾条例というのは、核兵器を搭載していないことが明らかにされない限り、自治体の管理する港湾への入港を拒否するというものであって、すでに神戸市で制定されている。高知県でも、同様の条例を制定する準備をしていたが、政府・自民党は、その制定に対し反対し、これに介入し、その成立を妨害した。そもそも、核兵器を「作らない、持たない、持ち込ませない」という非核三原則は、わが国の国是と言うべき基本政策であり、政府はもとより地方自治体もこれを守り抜くことは当然であるにもかかわらず、公然とこれに反する態度をとっているのである。
1996年7月、国際司法裁判所は、核兵器の行使と威嚇は一般的に国際法に違反する、核軍縮交渉を完結させる義務があるとの勧告的意見を発表した。核兵器の威嚇力に依存し、核兵器を容認する日米安保条約は、このように現在の国際法で受け入れられるものでは到底ない。
そもそも、日本国憲法の平和主義は、軍事力に依存する政策を放棄したことに重要な意味がある。核兵器の威嚇力に依存する日米安保条約は、日本国憲法が容認するものでないことは明らかである。