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駐留軍用地使用裁決申請事件に係る公開審理(第8回)

日時:2005年2月3日(木)13:30
       場所:沖縄市民会館中ホール




○波久地会長 
 定刻となりましたので、これより那覇防衛施設局長から使用裁決申請及び明渡裁決申立てのあった駐留軍用地使用裁決申請等事件に係る第8回目の審理を開催いたします。

 本日の審理は、土地所有者の方々から提出のあった求釈明の申立書及び求釈明の補充申立書に係る陳述書と、これに対する那覇防衛施設局の説明をしていただきます。なお、途中で15分程度、休憩をとります。

 まず、審理進行についてお願いがあります。意見陳述者は私から指名しますので、指名された方のみ意見を述べてください。勝手に意見を述べないようにお願いします。

 また、審理記録作成のため必要ですので、意見陳述者及び説明者はマイクを使用し、土地所有者の方々はご自分の権利にかかる施設名及び氏名を、那覇防衛施設局の方は職名及び氏名を述べてから、意見陳述または説明を行ってください。ただし、施設局において説明を行う方が同一人で、引き続き説明をする場合には、2回目からは氏名、職名等は割愛していただいて結構です。

 審理会場におきましては、携帯電話の電源を切っていただき、定められた場所以外には立ち入らないでください。また、報道関係者以外の写真撮影はご遠慮ください。

 入場時に審理会場における注意事項を配布しておりますので、ご確認ください。

 あらかじめ通知しましたとおり、本日の審理は午後4時までとなっておりますので、審理がスムーズに進行され、多くの方が意見陳述できるよう、皆さんのご協力をお願いいたします。

 なお、求釈明事項が多いので、陳述及びこれに対する説明は、いわゆる一間一答形式で行ってください。

 その審理の順番ですが、本日は伊江島補助飛行場、それからキャンプ・シールズ、それと残りの時間を嘉手納飛行場に充てたいと思います。

 まず、伊江島補助飛行場地権者代理人の方から、お願いします。土地所有者の方、代理人、お願いします。

○ 阿波根代理人
 伊江島補助飛行場の地主の代理人、弁護士の阿波根です。

 去年の11月28日に、この強制収用事件初めての地主、被収用者側のほうから現地立入調査をさせてもらいました。代理人として、実際、現地調査に入れたのは、私と仲山忠克弁護士の2人だけでしたけれども、それでもこれまでの何回か行われた米軍基地の強制収用事件で、地主サイドのメンバーがだれも入れなかったと。安保条約、地位協定の壁があって、入れなかったと。少しでもこれを改善できたというふうには考えております。でも、やっぱり代理人ではなくて、本来の地主さんが入られるように、今後もよろしくお願いします。これはぜひ必要なことですので、よろしくお願いします。

 上記立入について、施設局から大澤さんも一緒に、収用委員長、大澤さんも一緒に入ったんですけど、率直に言って大澤さんは頑張っておりました。米軍と一生懸命交渉しておりましたし、できる限りの頑張りはしているなということで、そういう印象は受けました。

 ただ、残念なことに、このアメリカとの交渉がいかに難しいのか、米軍との交渉がいかに難しいのかということも感じました。それは中に入って感じたことなんですけれども、カメラでその対象土地の写真を写すんですけれども、例えば、嘉手納の東野理原の土地、これは嘉手納の滑走路の中にあるんですけれども、この東野理原の土地については、アメリカのほうからの指示で、通訳の方がカメラを車から外に出さないでくれというような要望すらありました。

 その中でも、私どもは対象土地を確認に来ているわけだからということで、カメラで写しました。施設管理権というのが、いかに私たちの地主の権利、そして日本の主権をやっぱり押しつぶしているかということを実感いたしました。

 それで、私の質問の趣旨は、日米安保条約地位協定ということで、これを根拠として土地は強制収用されているんですけれども、この地位協定のあり方、日本における基地のあり方、基地提供のあり方、やっぱり常に私たちは問題意識を持って対応しなくてはいけないのではないかというふうに考えています。

 というのは、皆さん、釈迦に説法だと思うんですけど、地位協定にも2条には、日本国はアメリカに対して施設区域を提供しなければならないということになっていて、基本的にこれはどこでもアメリカは施設提供を、日本国の領土であれば、どの土地でも提供を要求することができるんだというふうに言われています。

 しかし、その反面、具体的に個々の土地を、どこを提供するかについては、地域とか、開発状況、地域の状況、その他、地権者の要望とか、いろいろそれを聞いて決めなさいということが地位協定の2条に書いてあるわけですよ。すなわち、提供すべき地域を、どこに、どの範囲で認めるべきかということは、日本国は常にそれを考慮しながら施設提供しなければいけないというふうに考えています。

 例えば、沖縄の広大の基地の中にも、本当にこの施設が提供しなければならないのかどうか。余計な施設が含まれているのではないかということも常に点検すべきであります。それから、地位協定についても、やはり地域からそういう返還要求が自由に出せるような協定なりに切りかえていかなければならないと考えています。

 そういうことも考えながら、私は現地立入調査に立ち入ったんですけれども、伊江島の土地の具体的な跡地の質問について考えるには、この伊江島の飛行場が具体的にどのように使用されているのか。どんな施設として使われているのか。それならば、どの程度の範囲の土地までが必要やむを得ないものなのか。どの土地が余計な土地なのかということも考えながら審理していただきたいと思って、求釈明をしているわけであります。

 ということで、伊江島飛行場について、これは1番から3番まで、大体数字的なものですので、まとめて回答していただきたいと思うんですけれども、伊江島補助飛行場について、その施設内の私有地の面積、そのうち契約拒否地主らの所有する土地の面積、私有地中における契約拒否地主所有地の割合が1つ。

 2番目に、同施設にある建物及び工作物の種類、数量、どのようにこれは配置されているか、教えてください。

 3番目に、同施設で行われている軍事訓練の内容及び訓練の回数、訓練に使用される弾薬の種類、限定されているかどうか。訓練中に起きた事故を知っているなら、教えてください。

 以上、3点についてまとめてご回答お願いします。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 私は、那覇防衛施設局施設部長の大澤でございます。ただいまの求釈明事項について、お答えをさせていただきます。

 まず1番目の、伊江島補助飛行場内の私有地の面積、そのうち契約拒否地主らの所有する土地の面積、私有地中における契約拒否地主所有地の割合ということでございます。

 お答えをさせていただきますと、伊江島補助飛行場の面積約802万平方メートルのうち、私有地の面積は約587万平方メートルであります。この私有地のうち、合意によることができず、駐留軍用地特別措置法を適用し、使用している土地面積は23万2,746.94平方メートルであります。伊江島補助飛行場の私有地全体に占める面積割合は3.96パーセントであります。

 それから、2番目の釈明事項でございますけれども、伊江島補助飛行場にある建物及び工作物の種類、数量ということのお尋ねでございますが、まず、本裁決申請に係る土地には建物はございません。工作物としては、舗床がございます。なお、伊江島補助飛行場内の国費財産は建物が事務所建て1棟、倉庫建て1棟、工場建て1棟、雑屋建て2棟、計5棟ございます。また、工作物として、囲障、舗床、下水、電力線路等がございます。以上、お答えをいたします。

 それから、3番目の伊江島補助飛行場で行われております軍事訓練の内容及び訓練の回数、訓練に使用される弾薬の種類、訓練中に起きた事故の内容ということでございますけれども、これは前回の公開審理でお答えをさせていただくところと重複する部分があろうかと思いますけれども、お答えをさせていただきます。

 まず、伊江島補助飛行場は、日米安全保障条約の目的達成のため、アメリカ合衆国が使用を許される施設及び区域として提供しているものであり、その使用主目的は、補助飛行場、空対地射爆撃場及び通信所とされており、またSACO最終報告により、読谷補助飛行場で行われていたパラシュート降下訓練が移転されているが、同飛行場の管理運用はアメリカ合衆国が行っているため、訓練の内容及び回数など、その詳細について承知をいたしておりません。

 また、訓練中に起きた事故の内容については、使用の裁決申請にあたって提出することとされている裁決申請書、及びその添付書類並びに明渡裁決の申し立てにあたって提出することとされている明渡裁決の申立書、及びこれとともに提出することとされている書類に記すべき内容とは関わりがない事項であり、また収用委員会が権利取得裁決及び明渡裁決において裁決しなければならないとされている事項のいずれにも該当しないものであることから、審理になじまないものと考えておりますことをお答えとさせていただきます。

○渡久地会長 
 阿波根代理人。

○阿波根代理人 
 また同じような議論になって、つまらない議論に入っていきたくないんですけれども、基地の被害状況等についても、これは審理の対象になるということは明らかなんです。要するに、その施設がどういう役割を担っているのか、住民にどんな影響を与えているのかどうかは、日米合同委員会で最終的には決着して、そのような施設は返してもらおうじやないかということで決まるわけです。

 ですから、皆さんが被害についてはその裁決申請書の添付書類等に該当しないということなんですけれども、確かにそれは該当しないかもしれません。しかし具体的にこの土地が、この土地のどこまで提供施設として、我々の土地のどの区域まで収用すべきかということについて判断する場合には、やっぱりこの基地がどのように使われていて、地域住民にどんな影響を与えているのか、どんな基地被害が発生しているのかということは、重要な審理の事項だと思いますので、ご回答をお願いいたします。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 私どもとしてお答えさせていただきますのは、先ほど申し上げたとおりでございます。

○波久地会長 
 阿波根代理人。

○阿波根代理人 
 同じような形で議論したくありませんので、前のほうに進みます。

 伊江島補助飛行場では、現在、先ほどの説明では、パラシュート訓練、補助飛行場部分、それからハリアパット、それから落下傘練習が行われているということなんですけれども、パラシュート部隊は、何回か施設外に落っこちたりしてきているんですけれども、具体的にパラシュート部隊は伊江島補助飛行場の中で、どの近辺で訓練がなされているのか。

 例えば、射爆場付近中心でやっているのかですね。空対地の射撃場ですね。その付近の中心で行われているのか。そこらへんご存知でしたら教えていただきたい。具体的にパラシュート訓練はどの程度の頻度で行われているか、教えてください。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 お答えいたします。パラシュート降下訓練が具体的にどの場所で行われているのかというお尋ねでございます。実際に降下をする目標地点、そういった地点について私も具体的に承知しているわけはございませんけれども、伊江島補助飛行場内の中でフェンスが張られている内側に目標地点があるというふうに理解をしてございます。
 それから、パラシュート降下訓練がどの程度の頻度で行われているのかというお尋ねでございますけれども、伊江島補助飛行場はアメリカ合衆国が使用を許されている施設及び区域を提供しているものでありますけれども、その管理運用はアメリカ合衆国が行っているため、パラシュート降下訓練の使用頻度とその詳細については承知をいたしておりません。

○渡久地会長 
 阿波根代理人。

○阿波根代理人 
 パラシュート降下訓練も含めましての施設の使用目的、使用条件等は、合同委員会、あるいは日米取り決めの中でどのように取り決められているか、教えてください。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側) 
 伊江島補助飛行場の使用目的及び使用条件は公表されておりますけれども、これに沿って申し上げますと、その使用主目的は、補助飛行場空対地射爆撃及び通信所とされております。また、使用条件につきましては、2,000ポンドを超えないあらゆる航空機用の在来型訓練弾を使用する空対地射爆撃及び重量物投下を含むパラシュート訓練を行うなどとされております。以上、お答え申し上げます。

○阿波根代理人 
 現在というのはきょうという意味じやないですけど、昨今、伊江島補助飛行場の空対地の射撃訓練が今も行われているんでしょうか。それとも、最近行われていないんでしょうか。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。

○ 大澤代理人(起業者側)
 先ほども申し上げましたように、具体的に伊江島補助飛行場におきまして、どういう訓練が日々行われているのかということについては、承知をしてございません。

○阿波根代理人 
 伊江島補助飛行場ではご存知のように、平成元年にハリアパットが移されてきまして、ハリアパットの訓練もしています。それからパラシュート訓練、降下訓練が行われていると思うんですけれども、具体的にハリアパット訓練がどの程度行われているかについては、わかりませんでしょうか。

○渡久地会長  那覇防衛施設局。

○ 大澤代理人(起業者側)
 大変恐縮でございますけれども、そのことについて具体的に私ども承知をしてございません。

○阿波根代理人 
 やっぱり施設がどのような形で使用されているかということは非常に重要なことですので、調べて回答していただきたいと思うんですけれども。
 私の聞くところによると、最近は射撃訓練はあまりないと。ハリアパット訓練が行われていると。ハリアパット訓練が行われている場所は施設の中の北西部分でしょうかね。そのわずかな地域だと思うんですけれども、どうでしょうかね。

○波久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 先ほど、阿波根弁護士からも伊江島補助飛行場の中に立ち入ったというお話がございました。実際に現地立ち入りされた際に、鉄板が敷き詰めてあったかと思いますけれども、その現場もご覧いただいたかと思います。その場所がハリアパットという場所でございます。そこへ航空機が離着陸をする、そういった訓練を行う場所でございます。
 他方、そのパットに限らず周辺地域にも航空機の離着陸で制限がかかるということで、具体的にどこからどこというふうに申し上げるのは難しいと思いますけれども、その場所を中心にしてそうした訓練が行われているというふうに認識をしております。

○阿波根代理人 
 ハリアパットというのは大した面積を要しない地域だと思うんですけれども、一番広い面積を要するのはパラシュート訓練のための施設は相当広い部分を必要とするかもしれません。ただし、広大な伊江島の飛行場の中で、パラシュート訓練だったら島の西側部分でやれば可能じやないかと思うんです。
 今、伊江島では黙認耕作地も補助飛行場の中に入っているというような現実があります。そこで、対象土地のうち黙認耕作地として使用されている土地がありますか。あるのでしたら、それはどの土地でしょうか。

○波久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側) 
 本裁決申請にかかる土地につきましては、先ほど来申し上げておりますように、空対地射爆撃場、短距離離着陸訓練場及びパラシュート降下訓練用地として使用されているものでございますが、そのサトウキビなどの種付けをし、収穫するといった形での黙認耕作地とし使用されているものはないというふうに承知をしております。

○阿波根代理人 
 民間地域も、この施設内には住宅が何軒かあると思うんですけれども、何軒か存在すると思うんですけれども、その補助飛行場内には民間の住宅がどれぐらい存在しているんでしょうか。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 本裁決申請にかかる土地につきまして、住宅はございません。なお、伊江島補助飛行場内には、約140戸の民間住宅が所在しているものと承知をしております。

○阿波根代理人 
 このような状況の伊江島補助飛行場なんですけれども、この施設については、昭和51年の第16回の日米安保協議委員会で、施設の返還が合意されておりますけれども、この日米間の返還合意が今後実施される可能性はあると考えてよろしいんでしょうか。

○渡久地会長  那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 第16回の日米安全保障協議委員会におきまして、伊江島補助飛行場につきましては、移設土地と、その実施にかかる合意の成立後、返還される施設・区域とされております。この移設地につきまして、現時点におきまして具体的な見通しが得られているという状況にはないものと承知をしております。

○阿波根代理人 
 前回の審理の中で、伊江島補助飛行場で訓練を受けたグリーンベレーがイラクのファルージャに飛んでいる。そこまで発見されているんだという意見ないし質問がありました。これについて大澤さんは前回の回答ではそのことについてまでは承知していないということだったんですけれども、その後、伊江島飛行場でのグリーンベレーの訓練をされてファルージャに行ったという事実は、その後は大澤さんとしては掌握していないんでしょうか。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 前回の公開審理の場におきましてお答えをした以上の内容についてお答えできる状況にございません。具体的に申し上げますと、そのことは承知をしておりません。

○阿波根代理人 
 私の質問は以上で終わるんですけれども、このような施設の状況で、伊江島補助飛行場の中にも不要不急な土地が存在するというふうに考えられます。
 施設局の仕事はやっぱり地域の声を、あるいは地主の声を上のほうにあげて、日米合同委員会なり、あるいは日米安保協議委員会なりにあげるような形で、ぜひ沖縄基地の実情を上申して、沖縄の基地を沖縄から撤去できるように。少なくとも基地の縮小ができるような形で皆さんも那覇防衛施設局の仕事として職務としてそういう責任があると私は考えます。沖縄の基地負担、苦しんでいるということはどなたでも公知の事実であって否定することはできません。那覇防衛施設局は、防衛施設局の中でも非常に重要な役割を果たしている組織であると私は考えます。そこにおられる皆さんが沖縄の施設の整理縮小、そして返還のために皆さんが頑張っていくと。そういう視点で強制業務をやっていかれることを希望いたします。以上です。

○渡久地会長 
 これで伊江島補助飛行場にかかる求釈明及び回答は終了したというふうに考えてよろしいですね。
 それでは、次、キャンプ・シールズの求釈明に回答いただくことになりますけれども、その前にあらかじめお断りしておきたいことがございます。

 きょう、実は予定されておりました審理順序に若干の変更がございまして、そのために本来ならばキャンプ・シールズに関する求釈明をいただきまして、そして防衛施設局から回答をこの場でいただくと。こういう本来ならば手はずになるはずなんですが、先ほど申し上げましたように、若干の予定の変更がありまして、これに伴ってきょうは求釈明だけをいただくことにしたいと思います。そして、求釈明に対する回答はまた機会を改めて次回ないしは次々回に防衛施設局から回答をいただくということで、キャンプ・シールズに関する発言者の了解をいただきたいと思いますが、よろしいでしょうか。

○阿波根代理人 
 回答可能な部分なものであって、回答が困難なところは別途、後でということでいいです。

○ 島袋善祐(キャンプ・シールズ土地所有者)
 非常に審理になじむような話をしますから、回答もやりやすいです。

○渡久地会長
 それでは防衛施設局、もし回答ができる部分につきましてはご回答いただくことにしまして、きょうこの場でなかなか回答が難しいという事項につきましては、また持ち帰って回答していただくということでよろしいでしょうかね。
 
○大澤代理人(起業者側)
 大変恐縮でございますけれども、私どもは本日の公開審理にあたりまして、準備の打ち合わせと言いますか、事前の打ち合わせという場で、本日は伊江島補助飛行場と嘉手納飛行場の審理を行うというふうに伺ってございます。そのことについて了解ができているというふうに理解をしてございます。
 したがいまして、大変恐縮でございますけれども、私は本日、シールズ関係の資料といいますか、そういったものをすべて持ってきておりません。したがいまして、お答えをさせていただくことについても、正確にお答えをさせていただくことができないかと思いますので、できるだけ正確にお答えをさせていただくという観点で、本日はどういう事項であってもお答えは差し控えさせていただきたいと思います。そういうふうに審理を進めていただければありがたいと思っております。

○渡久地会長 
 わかりました。
 会場の皆様に一言ご説明を申し上げます。
 ただいまの防衛施設局部長からお聞きになりましたとおりの話がありましたけれども、これにつきましては、実は各公開審理の前に、収用委員会が開催をします準備手続というのがございます。事前協議と称しておりますけれども、その事前協議の場で、次回の公開審理をどのように運営しようか、持とうかというような協議がなされます。

 本第8回目の公開審理に向けて、先月、事前協議が行われたわけですけれども、その席上、第8回目においては、伊江島補助飛行場と、そして嘉手納飛行場の求釈明と回答を行うという三者の確認が行われておりまして、というような事情がございまして、那覇防衛施設局としましては、これを受けて準備及び心準備も含めてのことですけれども、きょうこの会場に臨んでいるわけです。

 したがいまして、キャンプ・シールズにつきましては、次回9回目ないしは10回目くらいを予想していたのがきょうということになりましたので、発言者には大変申しわけないと思いますが、事情が事情でございますので、那覇防衛施設局として資料も持たないまま回答しても不正確になってもいけませんので、次回ないしは次々回に回答するということで、ぜひとも発言者にはご了解をいただきたい。そして、会場の出席者にもその旨のご理解をいただきたいというふうに収用委員会としては思いますが、いかがでしょう。

○阿波根代理人 
 よろしいです。了解です。そんなに難しい質問ではないと思うので、この場で聞いて、資料がなくても答えられる分がありましたら回答していただくと。この場では回答できない部分がありましたら、次回以降に回答を持ち越して回答するという形でお願いしたいと思います。

○渡久地会長
 私としましては、収用委員会としましては、せっかくご発言いただくことですし、そしてまた質問に、求釈明に、軽重の差があるとは考えておりません。きっと重要な事項に関する求釈明だろうと思います。
 したがいまして、そうしますと、回答も慎重を期さないといけないであろう、その防衛施設局の立場も理解できます。というようなことから、ぜひ回答は次回ないしは次々回ということでご了解願いたいと思います。その上でご発言を願いたいと思います。

○阿波根代理人 
 大澤部長もこれまで回答できるのは回答しましょうとおっしやっていますので、そのようにお願いします。

○渡久地会長 
 それではまず、求釈明をいただきましょうか。施設名と、そしてご氏名、お名前をください。

○島袋善祐(キャンプ・シールズ土地所有者)
 島袋善祐と申します。それから施設名は、何回もキャンプ・シールズという言葉を聞きましたけれども、沖縄県にはキャンプ・シールズというとないんです。こういう英語のついた地名というのは、ウチナーンチュにはなじまないんです。お返しします。
 本来、人の土地を取り上げるときには、農地までも取り上げて、名前までも勝手につけているわけね。本来でしたら、ここは私たちの祖先がずっと大昔手に入れた土地なんです。ここはお茶が曲がりくねるぐらい、ユー ユカイル トウクウマ ヤイビン。豊作の土地なんです。だから、マガチャパルと言います。よろしいですか。非常になじむでしょう、そういう話が。
 本来でしたら、この土地を、地名を変えてはいけないと言うんじやないよ。那覇の土地、米軍に取られたところ、銘刈というところがありましたね。今、大きな街になっていますよ。そこは町名を変更する委員会をつくって、おもろまちになりましたよね。これが民主主義だろうと。
 だから、日本政府というところが行動するとき、あるいは国民に向かって発言したりやるときには、科学的に証明できるもの、それから社会性のあるもの、それから国民に指導する、社会性、国民指導性、それから科学的、この3つをそろえたような話でないと、沖縄はずっとこういうふうに米軍基地によって苦労するんですね。
 英語の話が出ましたので、これだったら、非常になじむでしょう。でも、キャンプ・シールズは、これは英語でしょう。ここに防衛施設庁の方、見てください。(掲示)これは皆さんが、アメリカが沖縄の土地を取り上げて、こういうのを立ててあるんですね。これは何と書いてありますか。「US MC PROPERTY LAND」、これはどういう意味ですか。これだったら、英語がうまいから答えられるでしょう。どうぞ。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局、もしお答えできるんでしたら。

○島袋善祐 
 これは、米軍に取られた土地に立ててあるんですね。そして、私が拓本でつくってきた。どうぞ。

○渡久地会長 
 それでは島袋さん、那覇防衛施設局、きょうはたまたま英和辞典は持っていらっしやらないようなので、これは次回ということでいかがでしょう。大丈夫でしょうか。那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 今、会長からおっしゃっていただいたとおり、私は英語に堪能ではございませんので、正確にどういう意味かは次回にお答えをさせていただきたいと思います。

○島袋善祐 
 では、この看板を見て、5、6名の人たちが議論しました。これはアメリカ合衆国の財産だという人がいて、私は説明しました。USというのはウエハラサブロウ、それからMCはマエハラチェコさんね。プロパティー・ランドというのは、アメリカ合衆国の海兵隊の財産ですと書いてあるわけね。
 では、いつ、沖縄県にアメリカの財産ができたのかと、財産のできた日、原始取得の日を教えてください。アメリカの財産でしょう。どういうふうに財産を手に入れたのか、聞かせてください。

○渡久地会長
 先ほど進行についてお断り申し上げましたとおり、一応、那覇防衛施設局にご回答をいただくようにしますけれども、回答できない場合には、また次回に回答するということでご了承ください。その上で、那覇防衛施設局、回答を求めます。

○大澤代理人(起業者側)
 すみません。大変恐縮でございますけれども、私は今、既に土地の所有者の皆様方からいただいております求釈明事項だけ手元に持っております。それで今、土地の所有者の島袋さんからお尋ねのありました件については、この以前にいただいている求釈明事項の中にない事項かと思います。もし会長におかれまして新たな釈明事項ということであれば、従前と同様に文書の形で提出をさせていただければ、次回にお答えをさせていただきたいと思います。

○渡久地会長
 島袋さん、今、お聞きになりましたとおり、この点につきましては、提出されてございます求釈明事項の中に確か盛り込まれていない事項かと思います。それでも改めてこの点について、今、お尋ねになった点について、釈明をどうしても求めたいということであれば、文書という形で提出していただければ、こちらを経由しまして、こちらのほうから防衛施設局のほうに渡しますので、そのような手続きをとっていただけませんか。

○島袋善祐 
 はい。ありがとうございます。

○渡久地会長 
 引き続き、どうぞ。ご発言ください。

○島袋善祐 
 本来でしたら、土地というのは人間を育てるものですね。これは一番最初に考えた職業が、私は農業だと思うんですね。沖縄の人たちはみんな仲良く助け合って暮らしていましたけれども、今から60年前、米軍が沖縄県に上陸して、最初に踏みつけた草を、植物を聞きたいと思っていました。多分、こういう状態だから答えないでしょう。米軍が沖縄県の植物を最初に踏みつけた植物はこれです。(掲示)わかる人は後で見てください。これは知らない人には、また知っている人が教えるわけね。これをグンバイヒルガオと言うんです。この草は米軍が沖縄に上陸するときに踏みつけられ、水陸両用車と言うんですか、あれで踏みつけた草なんです。
 この草は、踏まれても焼かれても頑張っている。だから、沖縄県の人たちも防衛施設局の土地収奪、あるいはこういうやり方に対しては、この草に負けないように頑張ってほしいと思います。
 それから公開審理ですから、防衛施設庁は沖縄の土地を戦争のために使うということを何回も言っていますけれども、私たちは皆さん聞いて、沖縄の土地は戦争に使わすより、平和に使ったほうがいいという発言と相反する面がありますけれども、皆さんも収用委員会の先生方に負けないように、この方が言っていた、語弊ですけれども、闘うと言ってもいいでしょうね。軍配はどちらにあげるかというような、このグンバイカズラに負けないように、これはグンバイになっております。だから、自然がよく教えていますよ。
 それから、土地の話ですけれども、米軍がこういうふうに沖縄の植物を踏みつけて、上陸して、60年間、沖縄県民は困ったんですね。私が最初に言ったのは、どういうふうにして米軍は沖縄県に土地を求めたかということを申し上げましたけれども、私たちの祖先はずっと大昔、あしたに霜を踏んで、夕べに星をいただくまで、一生懸命働いて、額に汗し、手にマメをつくって頑張って、それから飲まず食わずの勤倹貯蓄に励んで、土地を手に入れるわけですね。今、土地を手に入れるというときには、みんな紙幣でしょう。沖縄県には大昔は紙幣というのはないんです。みんなこういうお金だったんです。(掲示)これは我が家に少し残っている、昔の人たちが1貫、2貫と言うでしょ。これが1貫、2貫のお金なんです。
 そして、今はキャッシュカードとかいろんなのでやるけれども、昔はこれを(掲示)相手様に届けないといかんわけね。だから、馬の背中に乗せて持っていくわけです。皆さん、おそらくはもうないでしょうけれども、我が家に残っているんですよ。馬のシチャンダと言う。馬の背中にあててね、そしてここにお金を下げて相手に伝える。これが民主的な土地の原始取得じやないかと私は思うんです。あなた方がやっているのは、私は米軍の土地泥棒に加担するような犯罪的行為だと思うんです。

 そして、さっき見せましたけれども(掲示)これは2メートルあるんですね。本来、昔は境界線というのが沖縄でもあるわけよ。これは、昔の境界線。また拓本していた。十字になってね。そして、深さは5センチある。地上から顔を出しているのは5センチなんです。これは2メートルを出しているから、5×4=20の40倍…、これはアメリカの財産。こういうのをウチナーグチでは「盗人(泥棒)の首、高あぎてい」と言う。高いでしょう。沖縄の境界線ってこんなもんだ。これは上から写したものです。

 そして、答えきれないのは多分、沖縄のことをよく知らないんですね。私は60年間ずーっと見てきましたので、沖縄のことをわかってもらうために少し圧縮してお話ししたいと思います。
 私たちが、この収容所にぶち込まれているとき、この土地は米軍によって奪われるわけですね。私は今から60年前、昭和20年4月2日に米軍に捕まって銃弾の雨の中をくぐり抜けて捕虜収容所にぶち込まれました。勝連半島でした。そこは食べ物がないのでお父さんに連れられて、捕虜収容所から出てきたときに、今まで見たことのないものを見ました。日本人がタバコをつけるときマッチはこういうふうに前にこすりますけれども、アメリカ人はマッチを点けるときには自分の前に引っ張っていた。そして、このマッチというのは石にこすっても、靴にこすっても、火はふくんです。そして、具志川村宮里というところの茅葺き屋根に、このマッチで火をつけてぼうぼうと燃やしていました。これは犯罪だと思うんです。放火罪。そして、自分の家が心配になって大急ぎで、今、知花十字路というところに来たら、今まで見たことのないのを見ました。日本の車はタイヤが4本、アメリカの車はタイヤが12本ある。そのうえに今まで見たことのない大きな機械が乗っていました。この機械は何ですか。これは答えきれるんだったら答えてください。英語で答えても、ウチナーグチで答えても同じ。英語で答えると「ブルドーザー」、ウチナーグチで答えると「ドゥルポージャー」という。「ドゥル」というのは「土地」、「ボーズン」というのは「剥ぎ取る」ことなんです。
 そこで十字路では、瓦家から、茅葺家、天久写真館というのもありましたけれども、このブルドーザーで全部敷きならしていきました。だから、ブルドーザーというのは使いようによっては国土破壊につながる、私は思います。
 そうこうしているうちに、とうとう、自分の財産は大丈夫と思っていましたけれども、米軍は私たちの家が爆弾によって倒れかかっているのを直すために、一生懸命木を切っていました。沖縄では木を切るときには、主が山の神、木の神と言ってお祈りをしてから切るんです。「若木、構えていうさぎやび−くとう」と言って木を切るんですね。そして、主が3回この木に鋸(ノコギリ)をこすって「やまく」という人に渡す。「やまく」というのは「山切や−」という。そういうふうにして木にも神様がいるし、土地にもいる。これが沖縄の文化なんです。
 ところが、皆さん、国際大学に飛行機、ヘリコプターが堕ちたときに、それ防衛施設庁に聞きたいけれども、ここは沖縄ですから、クートートウ、アートートウ、やりましたか。40何本の木を切っていますまね。それをぜひ答えてほしいと思います。お祈りしたかどうかです。

○渡久地会長 
 那覇防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)
 すみません。いろいろと事情をご説明いただいて、そういうことについて私たちも話を深く聞かせていただきました。今、木を切る際にそういったお祈りをしたうえで切るというお話でございました。
 これもまた求釈明事項にない事項でございますから、改めてということでございますけれども、ただ、普天間で実際に事故があった際に、木を切った事実、そのものはあるわけでございます。その際、そういうお祈りをしたうえで切ったかどうかということについては、今現在、私、具体的に承知をしておりませんので、お答えはできません。

○渡久地会長 
 島袋さん、少々お待ちください。進行上の問題ですけれども、これから休憩の時間もとらなければいけません。そしてまた、嘉手納関係の発言者もお待ちになっております。たくさんの人に、大勢の人にできるだけご発言をいただきたいという収用委員会の立場もございますので、できるだけ集約をしてご発言いただければ有り難いと思います。

○島袋善祐 
 よくわかりました。そして、本人の了解なしに木をどんどん切ることを沖縄県では「で−じなと−ん、山ちっちやん」と言います。そしてこの木は何でしょう。(掲示)これはアメリカが一番嫌いな中国から沖縄県に持ってきた木なんです。これは漢字で書くと相思う樹と言います。相思樹(ソウシジュ)と言います。よろしいですか。私は自分のお父さんから聞きました。ソウさんが亡くなったときに身内がお墓の周囲に植えたんだね。そしたらこの樹が助けて、この家は繁栄した。だから相思樹なんです。この樹はアドトバクターという有効菌を保有している樹なんです。おわかりですか。どんどん進めるけれども、アドトバクターとは空気中に遊離している窒素を集める樹なんですね。この樹が大きくなると家具もつくれるし、マイホームもつくれるわけね。こういう樹をブルドーザーで全部敷きならして、この樹はまたアメリカから持ってきた。これはキョウチクトウ、(掲示)これは毒です。軍事基地の撤去はできないというけれども、これは簡単でしょ。これを撤去することを私は要求いたします。
 それから、相思樹というのは、遊離窒素を集めると言いましたけれども、防衛庁は何を集めていますか。これは人を助けるんですね。これは毒ですから、こういうのを国民から税金を集めてイラクで人を殺す。これはもう私たちウチナーンチュとしては、しのびないです。
 それから、時間があまりありませんから、防衛施設庁は土地代の話をして、地代も払っているからとよく言いますけれども、本来、私たちは百姓ですから、百姓というのは、畑を耕す、百姓でなくても畑というのは、土地というのは耕したほうがいい。平均すると1年間に5回耕すわけね。60年間異民族に土地を使用されているので、本来でしたら6×5=30、300回土地を耕すわけね。そこの土地の中には300回の空気が入っているわけね。空気代を払ったことがあるのかどうか。コンクリートで踏み固めて、ブルドーザーで踏み固めて空気をほしがっているわけね。私はそう思います。そこで、これを持ってきました。(掲示)これは、普通はグシチと言いますね。これをこういうふうに巻くことによって名前が変わるんです。(掲示)これからはサンと言います。これは悪いのを追い払う。防衛施設庁、私は悪い…。昔の年寄りは学問はなくてもこういうことを、那覇のまちに行っても旧の8月にはみんな門に差されています。
 日米安保条約というのは、これはマジムンですから、沖縄から追い払うために私は60年間、一度も屈することなく米軍に協力するのは嫌だと言って、ずっと頑張ってきましたけれども、皆さん、私は防衛施設庁にはたくさんのことを言いたいけれども、時間の関係でたくさんの人に発言をさせてほしいという要望がありますので、話はこれぐらいにいたしますけれども、軍配はどちらにあげるかは皆さん、強制はしませんけれども、防衛施設局みたいに人が嫌だというのを強制するのが一番悪いんだから、軍配はどちらにあげるか、戦えば必ず勝つと私は思っております。私たちの先輩は、沖縄には60年前たくさんの飛行場がありました。多分、本島だけに飛行場が12あった、ここ沖縄市美里村には飛行場が2つあった。1つは泡瀬、まちになっているでしょう。それから、こちらから1,000メートル行ったところの知花というところがありますけれども、そこにも飛行場があった。みんな知らないでしょう。私たちの祖先はみんな頑張って基地をなくした。
 だから、私たちがどこでも訴えているのは、天に橋を架けるような話じやない。人間が間違って軍事基地をそこに置いて、沖縄の人たちも犠牲にして、アフガニスタンやイラクでたくさんの人を殺している。こういうことに沖縄の土地が利用されているということに非常に心痛めている。みんな。だから、軍事基地をなくするために、同じ人間ですから今晩はゆっくり考えてほしいと思います。もう時間になりましたので、終わります。

○渡久地会長 
 どうも、島袋さん、ご苦労様でした。これから、嘉手納関係の求釈明と回答に移るわけですけれども、その前に15分、2時45分まで休憩をとりたいと思います。

                                (午後2時30分 休憩)



資料提供:安里秀雄さん


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