軍用地を生活と生産の場に! |
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック |
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電話:090- 3910-4140 |
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駐留軍用地使用裁決申請事件に係る公開審理(第7回) |
日時:2004年11月4日(木)13:30 場所:自治会館 |
○渡久地会長 それでは、これより那覇防衛施設局長から、使用裁決申請及び明渡し裁決申し立てのあった駐留軍用地使用裁決申請等事件に係る第7回目の審理を開催いたします。 本日の審理は、土地所有者の方々から提出のありました求釈明の申立書及び求釈明の補充申立書に係る陳述書と、これに対する那覇防衛施設局の釈明をしていただきます。なお、途中で15分程度休憩をとります。 まず、審理進行についてお願いがあります。意見陳述者は私から指名しますので、指名された方のみ意見を述べてください。勝手に意見を述べないようにお願いいたします。 また、審理記録作成のため必要ですので、意見陳述者及び説明者はマイクを使用し、土地所有者の方々はご自分の権利にかかる施設名及び氏名を、那覇防衛施設局の方は職名及び氏名を述べてから意見陳述または説明を行ってください。ただし、施設局において説明を行う方が同一人で、引き続き説明を行う場合には、2回目からは氏名、職名等は割愛して結構です。 審理会場におきましては、携帯電話の電源を切っていただき、定められた場所以外には立ち入らないでください。また、報道関係者以外の写真撮影はご遠慮ください。 入場時に審理会場における注意事項を配布しておりますので、ご確認ください。 あらかじめ通知しましたとおり、本日の審理は午後4時までとなっておりますので、審理がスムーズに進み、多くの方が意見陳述できますよう、皆様のご協力をお願いいたします。 なお、求釈明事項が多いので、陳述及びこれに対する釈明は、いわゆる一間−答形式で行いたいと思います。 それでは、伊江島補助飛行場に関する求釈明から始めたいと思います。 土地所有者の方、求釈明をどうぞ。 ○知念忠ニ(土地所有者) こんにちは。私は、施設名伊江島補助飛行場の地主、知念忠二と申します。どうぞよろしくお願いいたします。 まず、質問、すなわち求釈明に入る前に、皆様方のご了承をお願いいたしたいと思いますが、6月1日付けの私どもの求釈明の申立書においては、1、射爆撃飛行訓練場などの実態と国連平和原則との関連。2、当施設使用実態と日米安保条約との関連。3、住民に対する基地被害を含む使用実態における憲法上の問題点、というふうに通告してありますけれども、順序は3番目の演習場と憲法上の問題、関連について質問をまずいたしたいと思いますので、ご了承をお願いしたいと思います。 それでは、始めます。 私は、3の通告の中で、米軍が占領支配と武力で住民から奪った土地に設置された伊江島の空対地射爆撃、短距離離着陸、パラシュート降下訓練場は、人身事故等幾多の基地被害が繰り返され、この実態は現在も変わっていないということを指摘しておきましたけれども、施設局は私たちの土地の経緯、その実態についての認識、どのように認識されているのか、まず施設局のこの件についての認識について、ご答弁をお願いしたいと思います。 ○波久地会長 防衛施設局、釈明をお願いします。 ○大澤代理人(起業者側) 私、那覇防衛施設局施設部長の大澤でございます。私からお答えをさせていただきます。 ただいま知念さんからご紹介がありましたのは、求釈明事項として出されております11番目の項目の中の(3)ということのご質問かと理解をして、お答えをさせていただきたいと思います。 まず、ただいまの求釈明の内容でございますけれども、私ども使用の裁決の申請にあたって、提出することとされております裁決申請書及びその添付書類、並びに明渡裁決の申し立てにあたって提出することとされております明渡裁決の申立書及びこれとともに提出することとされております書類に記すべき内容とはかかわりない事項であり、また収用委員会が権利取得裁決及び明渡裁決において裁決しなければならないとされている事項のいずれにも該当しないものであることから、審理にはなじまないものと考えておりますということを、お答えをさせていただきたいと思います。 なお、当局といたしまして、米軍の活動等において、地域住民等の皆様に人的な被害、あるいは物的な被害を及ぼすような事件・事故というものはあってはならないものと考えております。 そうした観点から、平素から米軍に対しまして、米軍人の教育や綱紀の粛清の徹底を図るなど、その防止について実効ある措置を講ずるよう、さまざまなレベルから申し入れを行っているところであります。 また、米軍におきましても、これらの要請等を踏まえまして、安全管理の徹底等に配慮していくものと承知をしております。以上、お答えをいたします。 ○知念忠ニ 実に情けない答弁でございます。私から申し上げましょう。審理になじまないというけれども、この土地は私たちの命綱でございました。この命綱であった土地が、行政的に取り上げられたことが、この土地強制使用の公開審理になじまないというのは、私は甚だ不満でございます。しかし、私のほうから、ではどういう理由で、私が不満を持っているのか、理由を申し上げましょう。 振り返りますと、私たちのこの土地は、やはり歴史があるんです。ほかの土地もみんなあるようにあるんです。私たち伊江島の5,000数百名の住民は、すぐる沖縄戦において、伊江島は日本軍の飛行場という大事な基地があるために、沖縄戦が近づいた頃に5,000数百名のうちの約3,000名は本島のヤンバルのほうに疎開させられましたが、しかし、残る2,000数百名は伊江島におりました。私も10歳の子供でありましたけれども、伊江島に住んでいて、4,000名余りの戦死した兵隊を含む人々の中から、実に私の同級生を含む1,500名以上の住民が、あの激戦の犠牲となったわけであります。 そして、残る私たち約2,000名の者はどうなったか。引き続きあの伊江島の飛行場は、本土爆撃の基地に使うために、米軍は私たち4月16日に島が陥落しましたので、捕虜になった私たちを根こそぎ収容所に収容し、2,000名余りの住民を一人残らず収容したものは慶良問列島のほうに米軍が強制的に移動し、難民として向こう慶良問列島に放棄したのでございます。 私たちは、あの慶良問列島で、食べるものがなく、栄養失調になり、私などは腹が膨れ足が膨れて、あと1週間遅ければ子供たちの多くがもう栄養失調で死んでいたと。でも亡くなった人たちもおります。そういう中で、私たちは戦争から実に2年、1947年の7月にやっと沖縄本島に渡ってきた、全部が。何回かに分けて渡りましたが、それが2,000名余りの島に残っていた人々なんです。 そして、あれから戦争が過ぎて2年にもなるというのに、米軍は伊江島の場合は大事な基地があるからということで、やはり帰島を許さなかった。島に帰ることを許さなかった。やっと陳情に陳情を重ねて、指導者の皆さんが実現したのが1947年(昭和22年)の3月でございました。以来、私たちは、例えば私どもの土地が今接収されている地域にいたしますと、施設局が言っている短距離の離着陸訓練の飛行場、それは既に接収されて米軍が飛行場にしておりました。残りの土地を戦車やブルドーザーで敷き詰められ、押しつぶされたものを、私たちは一鍬一鍬、鍬を入れて開墾しました。私も10歳から11歳、12歳の頃ですので、父や兄が戦争にとられて犠牲になったために母子家庭だったけれども、あの土地を一鰍一鍬入れて立派な農地にして8年、1955年、あの沖縄戦から10年目にして、それも1955年の3月に米軍が伊江島に上陸をしてきたんです。 そして、その土地は、私たちの土地は、このように伊江島の住民、そして村民が力を合わせて復興に取り組んだ結果、見事な農地に変わって、私たち伊江島真謝(演習場のある地域です)の人々をはじめ、伊江島の人々の命をつなぐ大事な農地に変わったんです。立派な農地でした。その農地を取り上げるために、1955年3月11日、米軍が300名ぐらいの武装した兵隊を動員して、寸鉄帯びない私たち真謝・西崎両住民に襲いかかって、武力で奪ったのがあの土地なんです。 今、政府が強制的に使用し、それを引き続き米軍の基地にさせているその土地なんです。そういう土地について、私たちは何としてもあの50年、約50年前の立派に農地に変えて、再生産の場に変えたいというのは、私たち農民をはじめ住民のこれは偽らざる心情ではないでしょうか。 そういうことで、私は、再び防衛施設局に聞きます。 今、この土地が米軍の戦争のための射爆撃、あるいは降下訓練、離着陸訓練、間断なく四六時中行われていますけれども、こういうことを見るにつけて私たちは、自分たちのあのひところは豊かな農作物を育んで命綱となっていた土地を思わないわけにはいかないんですよ。だから、この審理とはなじまないということは、私はどうしてもそれを認めることができないんです。 施設局、あなた方は公務員ですね。私たちが雇っている国家公務員なんです。そういうことで、あなた方の心情はどうなんでしょうか。私たちのこの心情を理解できないんでしょうか。あと一度、施設局の大澤部長、どうぞご答弁願いたいと思います。 ○渡久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) ただいま知念さんから過去の歴史にも触れられ、あるいは皆さんのご心情にも触れられてお話がございました。 そのことについては、私として心からの訴えと言いますか、お話だというふうにそのことは受けとめをさせていただきたいと思いますけれども、そのことと先ほど求釈明事項で出てまいりましたごととの関係で申し上げますと、受けとめさせていただくということは受けとめさせていただくというふうにご理解をいただきたいと思いますが、釈明事項に対するお答えとしては、先ほど申し上げたとおりでございます。 ○渡久地会長 知念さん、どうぞ。 ○知念忠ニ それでは、先のほうへ進めたいと思います。これは大事な歴史的な経過であり事実だと思いますので、伊江島における米軍の土地武力接収について、もうちょっと詳しくご紹介をしておきたいと思います。 私の家族の持っている土地も全部あのとき奪われたことは、言うまでもありません。もちろん、真謝、西崎の関係する多くの人々百数十人に及ぶ住民の生活の糧としていた土地が奪われたことも周知のとおりでございます。 私は、なぜこの土地取り上げをリアルに皆さんに申し上げておきたいかと申しますと、私自身、又聞きではなくて、この伊江島の人々が体を張ってこの命綱の土地は取り上げないでくれというふうに請願を行った。そのことに対して私自身も、ときには住民側の通訳として参加をした経験があるがゆえに、私はリアルに覚えているし、また申し上げたいのであります。 最初に申し上げたように、今から約50年前、1955年3月11日に完全武装した米兵がトラックやブルドーザーなどを伴って上陸をいたしました。私たちは、まさか民主主義を重んずるアメリカの軍隊が、農民に武力でもって襲いかかってくるなどということは思いもよりませんでした。 それで指導者の阿波根昌鴻さんは、常々、やはり米軍と接触するときは、話し合いをするときは、鎌を持ったり棒を持ったりしてもいけない。暴力ととられるといけないから、手も肩から上に上げてはいけない。こういうふうに私たちはやったわけであります。私自身、そういう阿波根さんをはじめ、指導者の皆さんの一言一句を通訳いたしましたので覚えていますけれども、私たちはそういうふうに紳士的に、アメリカの民主主義を重んじて交渉にあたったんです。 ところが、ただ命綱を取り上げないでくれということに対して、300名の武装兵を連れて土地を奪うということは許されないではありませんか。これは過去のこととして、私は片づけることはできないので申し上げているんです。 例えばこういうこともありましたね。並里セイメイさんという62歳の方が、屋敷に入ってきた米兵に対して、「この土地がなくなると、ママもベビーもみんな死んでしまう」ということでひざまずいてお願いしたものを、ひっくり返って身振り手振りで訴えたら、米兵は何をやったか。公務執行妨害という罪をきせて、並里さんを毛布でくるんで近くの飛行場、真ん中の飛行場ですね。中飛行場に準備して待たせてあった米軍機に乗せて、嘉手納に輸送して軍事裁判にかける。こういうことをやったんですね。 そして、指導者である阿波根昌鴻さんをはじめ、住民の指導部の方々がこういう野蛮をやめてくれというお願いをしたら、これまた指導者の皆さんを米兵が拘束をして、一時急ごしらえの金網をつくってそこにぶち込むということなども行ったんですね。 そういうようなことがありましたけれども、じや、現場の模様はどうだったかというと、私はつぶさに見て今でも覚えてますけれども、約200名の住民と米兵300名とが対時をしておりました。そして、上空からはジェット機が低空で威嚇をしております。そういう中で、切々と伊江島の西崎の区民は訴えました。「土地を取り上げないでくれ」。 しかし、それに対して指拝官のガイデア中佐は何と言ったか、「自分たちは戦争に勝ったのだ。イエスでもいい、ノーでもいい。この土地は接収する」と。これ一点張りなんですね。現地ではどうしてもこの米軍との話し合いは進展しない。歯が立たない。そういうことで私たちは、阿波根昌鴻さんを先頭にして、指導部は13日には沖縄本島に渡り、琉球政府そしてアメリカ民政府に直に訴えることにして、3月13日には上覇したんです。那覇に来て訴えたんです。 ところが、私たちの訴えも空しく、13日には阿波根昌鴻さんの家屋をはじめ、立ち退きに反対している13戸の家屋を一つ一つ焼き払い、そしてブルドーザーで引き壊した。破壊し尽くしていきましたね。私の従兄弟の家などは、長女がはしかにかかっているので、せめてこの子が治るまで待ってくれということを聞かないで、おばあさんにこの子供を連れさせて、最初は警察に連れていき、そして村役場に連れて行き、あとは郵便局かどこかの庭で放置をすると。こういうことをやり、そして従兄弟の家を壊してトラックに乗せて島中をこういうふうにぐるぐる回って、米軍に反対する者はこうなるんだよという見せしめを行いましたね。非常にこれは許しがたい蛮行でしたね。 そして、私の姉の家もそのとき焼き払われました。そして、姉の後ろのほうにあった親戚の家も米兵に焼き払われました。米兵は何と言ったか。「ママさん、マッチマッチ」と。もちろんその家の住民が、住んでいる人がマッチを渡すはずありません。ポケットからライターを出して火をつけて焼いたんですね。 そういうような方法で接収されたのが、あの伊江島の土地なんですよ。皆さんが言う伊江島補助飛行場。何かしら単なる補助飛行場に聞こえますけれども、実態は現在も米軍の戦争のための、人殺しのための降下訓練、物資の降下訓練、それから射爆撃、射撃の訓練場、こういうような状態になっているではありませんか。 だから私たちは、あれから50年になりますけれども、その土地を取り戻すために、ときには恥を忍んで阿波根昌鴻さんという指導者を先頭にして沖縄本島の隅々を私たちは乞食行脚をして訴えました。もう米軍に土地を取られて食べるものもない。ないので、県民の支援をお願いして、あの生産の場であり命綱である土地を何としても取り戻したいということで、南は糸満の先から北は国頭の隅々まで訴えて土地を取り戻すために頑張ったのが、伊江島土地を守る会に結集する私たちの仲間、地主をはじめ伊江島真謝、西崎の住民の活動であり、戦いなんですよね。あれから50年になるではありませんか。 そういうことを政府は復帰後も認めて、復帰のときにきれいさっぱりそういう米軍の無謀は許さないと謝って、私たちに土地を返すのが政府の当然のやるべきことではないでしようか。私たちのこの悪夢、50年に及ぶこの悪夢は忘れることができないんです。だから、やがて来年の3月では満50年を迎えます。そういうときにあたって私たちは、この悪夢とどうしても決別したいんですよ。 そこで私たちは、今につけてしかし私たちのこの命と暮らしを守る場である土地が、私たちを脅かす存在になっている。つまり、演習場として、皆さんが強制使用し演習場として、あるいはその他の目的で、戦争目的のために使っておりますけれども、これは私たちが我慢できることではないんですよ。 だから、私たちはそういう意味で、あの50年前の悪夢からちょうど50年目になりますので、そういう節目あのときにあの悪夢と決別したいと思いますけれども、施設局、どう考えますか。ご答弁をお願いしたいと思います。 ○渡久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) 今、また改めてその過去の歴史と言いますか、そういったものに触れられてお話がございました。 そのことについては、今、伺っておりましたけれども、そうした思いと言いますか、住民の方々の思いといったものを改めてお伺いをさせていただいて、その場にいた者でない私でございますので、どの程度理解したかということについてはいろいろなあれがあるかと思いますけれども、私なりに大変重たいものとしてお話を伺いました。 その上で、では、その50年の節目が来年くるけれども、その節目の年までに返還をしていただきたいという趣旨のご質問だったかと思いますけれども、その点に関しましては大変恐縮でございますけれども、私ども今お願いをしております裁決の申請の手続きを経まして、なお使用させていただきたいということでお願いをしているということでございます。 ○波久地会長 知念忠二さん。 ○知念忠ニ 残念でございます。それでは、変わった角度からお聞きをいたしたいと思います。 まず最初に、もう触れましたけれども、当射爆撃訓練、並びにパラシュート降下訓練の場となっておることなど、伊江島補助飛行場にかかる事件・事故等の実態に照らしてお伺いをしたいと思いますけれども、その求釈明、質問を進めていく上で、どうしても施設局、つまり政府が持っておられる資料の中から、ご報告を願いたいことがあるんです、実務的に。つまり、占領支配下から現在に至るまでのこういう事件・事故についての調査結果はどうなっているのか、ご報告をしていただいて勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 ○渡久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) ただいま占領後からの事件・事故というふうなことでおっしゃられたかと思います。大変恐縮でございますけれども、私ども、まず申し上げさせていただきたいのは、昭和47年5月15日以降、こうした米軍に施設及び区域を提供するという仕事をさせていただいておりますので、その前のことについて、私どもが把握をしている資料といいますか、私どもが自身として作業したものがないということについて、まずご理解をいただきたいと思います。 その上で、今の知念さんの求釈明といいますか、ご質問といいますか、そういったものが訓練中、その求釈明事項の3にございます、後段の中に、訓練中に起きた事故の内容というのはどういうものかということについて、釈明を求められたということでお答えをさせていただきたいと思います。 訓練中に起きました事故の内容につきましては、使用の裁決の申請にあたって提出することとされております使用裁決申請書及びその添付書類、並びに明渡裁決の申し立てにあたって提出することとされております明渡裁決の申立書及びこれとともに提出することとされている書類に記すべき内容とは関わりない事項であり、また、収用委員会が権利取得裁決及び明渡裁決において裁決しなければならないとされている事項のいずれにも該当しないものであるから、審理になじまないものと考えておりますということをお答えをさせていただきたいと思います。 ○知念忠ニ 甚だ不満でございます。土地は強制使用して米軍に提供した。しかしここで、この土地で行われている行為については一切知らない。知らぬ存ぜぬ。あるいは裁決申請とは関係ない、なじまない。これでは政府公務員としての仕事とは言えないんじやないでしょうか。そのことを指摘して、私の質問を進行したいと思います。 私は、なぜこのことを言うかというと、この土地が住民福祉のための公共施設であれば、そういう事件・事故というのは稀に起こるものでしょう。しかし、戦争の準備をするための訓練場ですから、大変な事件・事故が起こっているんです。これを政府が私たちから強制的に収用して米軍に提供している以上は、ここで何が起こっているか掌握しない限り、その土地を提供する資格はないんじやないですか。私はそれを指摘したいんです。もっと真筆に、政府職員であれば仕事はしてもらいたい。これは総理大臣以下の政府職員です、単なる現場の職員だけじやなくて。もちろん現場の職員も、公務員である以上、その責は免れません。 では、私のほうから、これは申し上げましょう。私のこれから申し上げる資料は、公式な資料に基づくものであります。つまり、伊江村という立派な自治体のまとめた資料によるものでありますので、申し添えておきたいと思います。 まず、復帰以前の特徴的な、いっぱいありますけれども、特徴的な人身事故の例について、つまり演習場があるがゆえの事件・事故について、私のほうから具体的に指摘しながら見解をお伺いしたいと思います。 1959年9月6日、真謝区の比嘉リョウトクさん、石川セイカンさんの2人が、爆死をいたしました。その弟さんがきょう出席している地主の石川清敬さんであります。 では、どのような事件だったのか、当時の伊江島の人々の事件の背景を申し上げますと、土地が取り上げられてから4年、やがて5年ですか、4年。演習場内で不発弾を拾い、これを解体して、あるいは薬きょうを拾って、不発弾なども拾って、これを売って生計を立てていたというのが実情なんです。そのために、演習中の飛行機に銃撃されて負傷をした青年。腕をもぎ取られたり、足をやられて切断されたり、そういうような事件というのはいくつもありました。そういう中での事故であります。 石川セイカンさん、比嘉リョウトクさんという私と同じ部落の先輩であり、友人でもあった壮年の2人が、生活のために演習場から拾ってきた不発弾を、家の庭で解体しているときに誤って爆発をさせて、あたら若い二人の命を失ったわけであります。これは先ほど申し上げたように、決して自業自得というものではございません。そのことについて、今年7月27日付の琉球新報紙上で島袋清徳伊江村長は、当時を述懐してこのように語っておられます。 「薬きょう拾いの村民が被弾する事件は、死亡事件も含めて再三起きていた。村民は、危険を犯し爆発の危険もある薬きょうなどを拾って生計を補う。厳しい時代だったね。」 このように証言しておられます。 続けます。 次は、1961年2月1日、平安山リョウフク君という20歳の青年が、演習中の米軍機からジャンプ爆弾というのが飛んできて、演習場外で草刈をしていたこの青年の命を即座に奪ったわけであります。この親戚の1人であり、地主の平安山良尚君がきょうも出席しておりますけれども、この事件は私たち真謝区民、あるいは伊江島の人々に大変な衝撃を与えました。そして米軍は何て言ったか。「演習場内で草を刈っていたからこれは自業自得だ」こういうふうに言い張っております。 そこで、ほかの人々と同じように、演習場外でけがさせられても、やはり演習場内だった。ひどいことには、当時はまだ金網も十分張られてないので、立入禁止区域という札を、事件が起こったらずっと住民側のほうに移動させて、住民のほうに罪があるように見せかけるという、そういうことまで米軍はやったんです。平安山リョウフク君がその類でございました。 だから、重軽傷を負いながらも、やはり補償も何もない。そういう事件というのは枚挙にいとまないんです。死亡事故だけを取り上げましたけれども。 そこで私は、この遺族関係者の痛ましい姿、しかも1円の補償も現在に至るまでない状況。泣き寝入りを強いられているこの実情を見るとき、やはり伊江島の人々、地主をはじめ皆さんが常々言っているように、演習場さえなければ、基地さえなければ、こういうことはなかったというこの思いですね。こみあげてくるではありませんか。 私は、こういう犠牲になっている私たち地主をはじめ伊江島の住民の心情を汲み取るのが政府の役目だと思います。 聞きます。したがって、伊江島米軍演習場における人身事故、こういうような事故について、中にはさっき申し上げたように、1円の補償もないというそういうことについて、政府はたとえ復帰前のことであったとはいえ、どのようなお気持ちなのか、お聞かせ願いたいと思います。 ○渡久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) 私、那覇防衛施設局の施設部長としてお答えをさせていただきたいと思います。大変恐縮でございますけれども、復帰前のことについて、今申し上げた国の役職にある者としてどう思うかというふうに問われれば、そのことについて私として、大変恐縮でございますけれども、具体的に回答をするということは差し控えさせていただきたいというふうに申し上げさせていただきたいと思います。 ただし、そうした復帰前のことであれ、復帰後のことであれ、大変住民の方々が悲惨な、救済されない環境にある、あるいはあったということであれば、そのことについては大変お気の毒なといいますか、そういう気持ちであります。 ○知念忠二(土地所有者) 答弁は甚だ不満でございますが、やはり気持ちとしては気の毒だというんであれば、私たち沖縄県民を、27カ年闇米軍の支配下に置いたのも政府の責任です。そして復帰のときに、こういう問題を解決しなかったというのも、あなた方政府職員をはじめ、やはり政府の責任です。こういうことは復帰前のことだったから、やはり回答できないというのは、これは責任逃れといっても私は言いすぎではないと思います。これは現在に生かすべきだと思います。でも、ここで留まっておくわけにいきませんので、私の質問を進めます。 次に、復帰後の米兵による事件、狙撃事件について、これは20歳になる私の甥の場合の事件でございます。 事件の概要は、1974年7月10日午後6時頃、演習場内に草刈りに私の甥は行きました。そして、米軍と地元との合意で、これは村を仲介者としてつくり上げられてきた間で合意でございます、当時の。演習中との表示である赤旗が下りた後は、自由に演習場に入り草を刈りてよいということになっていたんです。ところが、私の甥は、ほかの40名の方々とともに、ここに出席しておられる石川さんなどもそうだったかもしれませんが、そういう住民の方々40名とともに、草刈りに演習場内に入ったわけです。 そしたら、米兵2人がジープで彼を追い回して追跡し、背後の至近距離から信号銃を発射しましたね。左手に命中して彼は何カ月もの重傷を負いました。 そこで、あのとき大問題になりましたけれども、例えば外務省のアメリカ局長は何と言いったか。「事件はさほど悪質とは思われない」と言いましたね。これ悪質ではないでしょうか。そういうような言葉を発して、そしてその言葉どおり政府のとった態度は対米従属そのもの。第1次裁判権を放棄して、裁判権は米軍が行使しましたね。周知のとおりであります。そして軍事裁判で米兵らは裁かれましたが、どういう結果になったか。降格と100ドルから150ドルの罰金でしたね。1万円から1万数千円、約2万円の罰金。こういう状況でしたね。 そして私の甥は最近の琉球新報紙上、先ほど申し上げました7月27日でしたか、村長の談話の出た新聞紙上で、「殺人未遂が罰金刑、無罪同然の判決に腹が立った。復帰しても沖縄は米軍占領地のままだと、くやしかった」とこう言っておりますね。これは最近も起こってますね。あの普天間のヘリの墜落事故のとき、皆さんは日本政府の対米従属の姿、よくご覧になったでしょう。こういうことでこの事件を通じ、私の甥は非常にくやしい思いでこのようなことを述べてるわけであります。 私が、いみじくも彼らが指摘しているように、演習場内外の状況は米軍占領支配下を思わせる状況であり、これは憲法で保障する私たちの人権をも侵害していると言えるのではないかと思います。 つまり、裁判権放棄は主権の放棄ではないですか。これで私たちの生命、人権は保障されない。この事件について言えば、そういうふうにも言えますね。したがって、米軍演習場が私たちの人権侵害の温床となっている。憲法上存在する理由は成り立たないんではないですか。政府の見解を求めます。 ○波久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) ただいま自分の甥ごさんの問題に触れられてお話がございました。私、大変恐縮でございますけれども、その事件の詳細について承知をしておりませんので、そのことについて云々ということは申し上げることができませんけれども、その米軍基地があると、私どもが皆様から土地を借りられる、あるいは合意を得られない方については、今、審議をお願いしてございます駐留軍用地特措法を適用させていただいて、その土地を使用させていただいていると。そういう立場でございます。 そういった土地を使って、米軍が安保条約の目的達成のための活動を行うということでございますけれども、そうしたことを私どもとしてはまた認めている立場でございますが、だからといって、我が国の国民が人権を侵害される。そういったことがあってはならないというのは当然のことだと思います。 ○渡久地会長 知念さん。 ○知念忠ニ(土地所有者) 人権侵害があってはならない。そのとおりなんです。しかし、現に人権が侵害されているから、伊江島中演習場の問題については私が政府に正しているんです。先に進みます。 では、次に角度を変えて、演習場の周辺にはどのような危険性が及んでいるのか。現実の問題についてお聞きをしたいと思います。 これは、過去の経緯に照らして私は申し上げてみたいと思いますけれども、多数の人身事故が起こっているんですね。例えば1960年12月2日に真謝区では、荻堂セイチョウさん宅の19mのところに爆弾が落下して、奥さんが爆風で飛ばされておりますね。 そして62年2月15日には真謝区で、石川セイケンさんの自宅の25メートルの地点に1トン爆弾が落下してますね。 それから63年3月6日には、西崎区の東江ヒサコさん宅の近くに演習弾が落下している。そして72年5月15日には、伊江西小学校、これは演習場より4キロメートルも離れているんですね。そこにパラシュート降下訓練中の米兵が小学校給食室に落下、窓ガラスを割っているんですね。 そして1981年2月5日には、真謝区の友寄リュウジョウさんのブロック塀に、演習中の米軍ヘリから銃弾2発が打ち込まれた事件が発生しておりますね。友寄リュウジョウさんは、「その日は伊江島射爆場の標的に向けて、米軍ヘリコプター2機編隊で弾を撃っているのが見えた。その1機の弾がそれて、私から4メートルから5メートル離れたブロック塀に直撃した」と死の恐怖について語っておられます。だから「演習場はないほうがいい」と、こういう意見を述べておられますけれども、こういう事件ですね。 以上、列記したのは、演習場内の標的から大きくそれて住宅地域、公共施設内で引き起こした米軍機の爆弾投下、機銃掃射、パラシュート降下訓練による被害の特徴的なものでございます。これらの事故は一歩誤れば、いや、もう数歩誤っているかもしれません、人命を奪いかねないものであった。こう指摘せざるを得ないんです。そのほかにも、基地あるがゆえの事件・事故は無数にありますね。 ここで、「命を脅かす演習場はいらない」と島の人々が叫ぶのは当然ではないでしょうか。最近の米軍演習場にかかわる事件・事故の実態はどうなっているか。そのことについて、さらに申し上げてみたいと思います。 これは1990年代からのものでございますが、91年1月11日、C−130機からフェンス外耕作地に重さ約2トンの訓練用物資が投下されていますね。同じく3月12日、空軍輸送機から耕作地に重さ2トンの金属箱が投下されています。そして、4月29日と11月25日には、延べ5名の米兵が演習場内の目的地を外れて民家の屋根、耕作地に落下しています。5月20日には米兵3名、耕作地に落下。7月12日には、C−130機から1.36トンの物資をフェンス外耕作地に投下。96年1月28日には、パラシュートから米兵と木箱が耕作地に落下。97年8月3日には、パラシュート降下訓練中の米兵が耕作地に落下。同じく9月19日には、パラシュートから物資が西崎区民家50メートルの先に落下しております。そして同じく12月30日には、パラシュート米兵が西江前区の民間地域に落下し、ビニールハウスなどを壊しておりますね。 そして2000年1月6日には、パラシュート米兵が西江前農家の耕作地に落下して、ビニールハウス畑を破壊しておりますね。そして同じく9月18日に、パラシュート米兵が牧草地に落下しておりますね。 そして2001年2月1日には、パラシュート米兵8名中6名がフェンス外に落下しております。それは西崎区の農家、ビニールハウス畑に大きな被害を与えていますね。 以上が、90年代から2001年にかけ航空機からの物資降下訓練、兵士の降下訓練等について、目的地から大きくそれて民間地域に落下した主なものを拾い上げたものでございますけれども、そのほかにも演習場等、基地に起因する事件・事故は無数にございます。こんなにも突然、大きな危険物が空から降ってきたのでは、伊江島の住民は毎日が戦々恐々とした生活でございますね。人身事故が今のところ起きていないのは、偶然の奇跡によるものであり、人命にかかわる重大事故がいつか発生することは間違いないと思います。 この事態を、防衛施設局はどう考えておられますか。私たちの一日も早く危険な演習場を撤去してほしいという気持ちが、そういう意味で理解できませんか。以上、申し上げた事件・事故についてご答弁をお願いしたいと思います。 ○渡久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) ただいまの多数にわたる事件と言いますか、事故と言いますか、そういった例をご紹介しながらお述べになりました。一つ一つについて、私、今、手持ちの資料で確認することはできませんでしたけれども、お調べいただいた上でのお話だと思います。また、私が今手持ちにある資料でもそれに類したと言いますか、そういった幾つかの点については、符合する事故が起きているということについては事実かと思います。 私ども、そうした事故・事件があっては、それはならないものだというふうに考えております。そうした点について、冒頭でも少し申し上げさせていただきましたけれども、米軍側に対しましては、そういった事件・事故がないように事前に防止をするという観点から、種々のレベルで申し入れをしているということでございます。 ○渡久地会長 知念さん。 ○知念忠ニ(土地所有者) 事前に防止するように米軍に申し入れていると。聞こえはいいんですけれども、そうなっていないんですよ。だから、私はここで訴えているんです。 では、先に進めましょう。 2002年から2004年、現在に至るまでの事件・事故の発生状況について、さらに見てまいりましょう。 その件についても私のほうから申し上げる前に、施設局が資料を持っておりましたら、この間の事件・事故はどうなっているか。事前防止を申し入れたということの基礎になった資料でございますけれども、2002年から2004年までの事件・事故発生状況はどうなっているか。このことからお伺いいたしましょうか。 ○渡久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) 私ども米軍の事件・事故というものにつきましてどういう立場にあるかということを、まず申し上げさせていただきたいと思いますけれども、私どもはそういった事件・事故があったときに、責任を持ってと言いますか、警察権を行使するというような意味での責任を持って対応している部署ではございません。したがいまして、その米軍の事件・事故のすべて を我々が承知をしているかと言われれば、承知をしているわけではございません。そうした立場であるということを、まずご理解いただきたいと思いす。 私どもの承知している立場は、その事件・事故がございまして、物的な被害あるいは人的な被害が生じましたときに、そういった被害について補償するという仕事をさせていただいているわけでございますけれども、そういった立場で承知しているものがあるということでございます。 したがいまして、そういう立場の中で私どもが本日、裁決の申請をしております事件について審理をいただいているということとの兼ね合いではそういったこともございますので、あるいはまた冒頭申し上げましたように、権利取得の裁決、あるいは明渡裁決に関わりない事故等々という理由の中で、審理になじまないものと考えておりますということを申し上げさせていただいているわけでございます。その上で、個々の私どもが、那覇防衛施設局としてじやあどういう事件・事故について承知をしているのかということでございますれば、それは私どものそれぞれの担当課が持っております資料を精査をして、いわゆる情報公開法というような手続きもございます。そういった中でご照会をいただければ、それはそれとしてお出しをするということになるんだと思っております。 ○波久地会長 はい、知念さん。 ○知念忠ニ(土地所有者) 情報公開法を活用しての資料の提供、私がそれ要求するかどうかは私の問題ですけれども、私はそれじやなくて、この公開審理の場で、土地の裁決の申請と関係があるから聞いておりますけれども、お答えならないことについては甚だ不満であります。そのことを表明して、先に進めたいと思います。 次に、では今の伊江島演習場の実態を憲法に照らして考えてみたい。おたくが回答しなかった事件・事故の具体的な内容に基づきながら、これを見てみたいと思います。 2002年2月14日には、提供地外にパラシュートから米兵5人中3人が提供地外に落ちております。タバコハウス畑に落下して被害を与えている。そして、同じく2月19日には、提供地外にCH46ヘリコプターからパラシュート米兵1人がトウガン畑に落下して被害を与えている。同じく3月18日には、提供地外にUH−60ヘリから米兵1人が落下して、タバコに被害を与えている。そして、2002年10月25日には、提供地外にMC−130機から重量物5ガロン、水缶の5ガロンを3缶(75キログラムが西崎部落のトウムイ畑に落下しております。そして、2003年2月27日には、提供地外にC−130機からパラシュートで米兵が西崎区の牧草地に落下しております。そして、同じく5月20日には、HH−60ヘリから提供地外にパラシュート米兵が8名中5名が実射区のタバコ畑に落下しております。そして被害を与えております。そして2004年、ことしの2月4日に、C−130機から提供地外の実射区に米兵1人が落下して、タバコ畑を荒らしている。 こういう被害が立て続けに起こっているわけです、2000年代になってからも。特に申し上げたいことは、2002年10月25日の事故の場合でございます。西崎区長のナカヨシオ氏夫妻が、草刈り作業中だったんです。そして、その落下してきた物資は、夫妻が農作業をしている、草刈り作業をしている地点から、200メートルから300メートルしか離れていない。新聞にも大きく報道されたとおりでございます。 夫妻はこう言っております。「バーンという音で気づいた。もちろん空から荷物が降ってくるのが見えるわけではない。突然の出来事でびっくりした。私たちは、命まで米軍と政府に預けているわけではない」と。こういうふうに怒りを表明しておられます。 また、ある契約地主は、「ヌチドゥ宝、命を脅かす演習場は一日も早くなくしてほしいと思います。」こう言っています。契約している地主の方たちは、政府の皆さんの手を替え品を替えした、そういう手練手管を弄したやり方に抗しきれずに、応じているんです。そういう中で、演習場の存在によって、命まで脅かされる。あるいは奪われるという事態になった場合に、この演習場を撤去してほしい。こういうのは当然ではないでしょうか。 また、別の契約地主は、土地の契約と同時に命の取り扱いまで政府と契約したわけではないと。こう、こもごも語っておられます。これはやはり、危険な演習場の早期撤去、これを主張している。こういう皆さんの、地域住民の契約しない地主、契約した地主を問わず、「ヌチドゥ宝」、命を守るために、こういうような共通の願いに立っているということの証明ではないでしょうか。 私は、今こそ約50年このかた、ずっと続いているこの実態、時には住民の命を奪い、そして、私たち同胞の命を奪い傷つけ、さらに現在も激しく多くの住民の命を脅かしている伊江島演習場の存在は、住民福祉、村民福祉を否定する以外の何者でもない。私は今こそ声を大にして叫ばざるを得ない問題だと、こう思うんです。 聞きます。この演習場の存在によって、憲法で保障されている私たちの権利、すなわち生命、自由、幸福追求の権利の尊重、これはのっけから否定されていると思いますが、あなた方政府関係者はどう思いますか。明確なご答弁をお願いしたいと思います。 ○波久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) ただいまご質問がございました点でございますけれども、ご質問した点が冒頭で私お答えをさせていただいた求釈明事項の11(3)の、これは憲法で保障されている人権と財産権を侵害するものではないかということと同趣旨であれば、冒頭申し上げたとおり、お答えをさせていただきたいと思います。 なお、今のご質問が、住民の人権の侵害があっていいのかというご質問であれば、それはそうしたことはあってはならないというふうにお答えをさせていただきたいと思います。 ○渡久地会長 知念さん。 ○知念忠ニ(土地所有者) いくら真筆に質問をしても、のれんに腕押しという感じです。しかし、私は最後まで訴えます。 では、次に、財産権の侵害の問題に関連して、憲法上の問題として、質問をしたいと思います。 まず、私は、こういう危険な基地を引き続き米軍基地に提供することは財産権の侵害になるのではないか。心からそう思うんです。というのは、憲法29条には財産権はこれを侵してはならない、こう規定しているからなんです。私たちの命まで脅かしている、あるいは奪っているこの米軍の演習場、これが果たして憲法29条に合致するものと言えるでしょうか。 政府は、正当なる保障のもとにこれを公共のために用いることができるという同規定のただし書きを適用して、私たちの土地を強制収用、米軍に提供しているのだと言うかもしれない。そうですね、このことは答えは聞かなくてもわかります。しかし、地主をはじめ住民の生命を奪い、日常的に人々の命と暮らしを脅かす基地、すなわち伊江島の射爆撃・パラシュート降下訓練場等は、いささかも公共の名に借するものではなく、明らかに憲法で保障されている財産権を侵害するものではないでしょうか。 しかるに、政府は、不条理な外国軍隊の基地を提供するため、私たちの反対を押し切ってまで土地を強制的に収用し続け、さらにこれを強行しつつあります。これは公共の名のもとに合理化できるものではないではありませんか。危険な演習場を速やかに撤去し、土地を地主に返し、広々とした同用地を生産の場に変えることこそ筋道というものではないでしょうか。明確な政府の答弁を求めます。 ○渡久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) 今の質問でございますけれども、私ども、知念さんご自身がおっしゃいましたように、29条の3項に、私有財産は正当な保障のもとにこれを公共のために用いることができるという規定がございまして、伊江島補助飛行場そのものは日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するために、アメリカ合衆国に使用を許している施設及び区域であります。 ○渡久地会長 知念さん。 ○知念忠二(土地所有者) 日本国の安全及び極東の平和安全を守るため云々ということについては、私の1、2の質問事項でまた議論してみたいと思います。 それでは、進めます。 私は、安保があるから、もちろん皆さんの裁決申請の理由ですね、それも日米安保条約に基づいて云々と言っております。その安保があるからということについて、論を進めてみたいと思います。 ご存知のように、国の基本法は憲法でございます。いかなる国内法も、条約も、憲法を越えて存在し得ないことは自明の理でございます。既にこれまでの議論で明らかにしてきたように、またさらに詳しくは、私の1の質問、国連憲章との関連、そして2の安保条約の議論関連についての質問でさらに明らかにしますけれども、政府により提供されている米軍基地が、対外的には国連憲章にも違反するアメリカのイラク侵略戦争の訓練、出撃基地として使用されている実態に照らして、基地提供の根拠となっている日米安全保障条約そのものが憲法違反の存在だと私は考えます。というのは、伊江島の射爆撃・降下訓練場をはじめ、米軍基地の存在は日本国憲法前文第2項で規定する恒久平和主義の理念及び原則に違反すると思うからであります。 また、国内的問題として考えるときに、るる申し上げてきたように、米軍基地は事件・事故の続発により、ときには住民・国民の命を奪い、人権を侵害、日常的に死の恐怖を与え、命と暮らしを脅かす存在になっていることに最大の関心を払わないわけにはいきません。果たしてこれが、私たち演習場周辺の住民はもとより、国民の安全を守る条約、つまり日米安保条約はそういう条約であると言えるでしょうか。 さらに外国を侵略、侵攻する外国軍隊に出撃の基地を提供する我が国は、侵略国あるいは非抑圧民族の恨みと怒りを買い、場合によっては報復攻撃を受けないとも限りません。 こうして日米安保条約は、私たち国民の平和に生きる権利を侵害する温床となっており、平和的、民主的条項を持つ我が国の憲法とは両立できない存在ではないでしょうか。したがって、今や日米安保条約はその10条に基づき廃棄する時期に来ていると思いますけれども、防衛施設局の見解はいかがでしょうか。 ○渡久地会長 防衛施設局。 ○大澤代理人(起業者側) 今のご質問について防衛施設局として、その政府の立場からお答えするのが適当かどうかわかりませんけれども、政府としては日米安全保障条約を廃棄する立場にはないということを承知しております。 ○渡久地会長 知念さん。 ○知念忠ニ(土地所有者) そこで申し上げますけれども。 私は、政府はそういう安保廃棄の立場にないということを言っておりますけれども、しかし、総理大臣をはじめ、やはり政府職員は憲法を守る義務があります。尊重し憲法を守る義務があります。憲法99条にはそれがうたわれておりますね。 そういうことで、やはり私たち国民に奉仕する公務員であれば、たとえ政府がそういう立場になっても、政府職員の一人一人がいいのはいい、いけないのはいけない。憲法をも犯す、こういうような場合はこのような安保条約は要らないのではないかという、そういう意見を自分の上司に進言することも当然の公務員のなすべき義務なんですよ。 そのことを私は申し上げて、ここで別の地主のほうに発言を譲り、残り二つの質問については別の地主の久保田さんの発言を終わってから、残り二つの質問は続行したいと思いますので、収用委員会のお取り計らいをよろしくお願いしたいと思います。以上で、私はここでとめておきたいと思います。 ○渡久地会長 それでは3時5分まで、15分間休憩をとりたいと思います。 (午後2時49分 休憩) 資料提供:安里秀雄さん |