軍用地を生活と生産の場に!
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック
http://www.jca.apc.org/HHK
東京都千代田区三崎町2-2-13-502
電話:090- 3910-4140
FAX:03-3386-2362
郵便振替:00150-8-120796

駐留軍用地使用裁決申請事件に係る公開審理(第7回)

日時:2004年11月4日(木)13:30
       場所:自治会館



(午後3時5分 再開)

○渡久地会長  それでは、再開いたします。
 次、発言者ございますか。どうぞ。

○久保田一郎(土地所有者)  こんにちは。私は久保田一郎と申します。愛媛県の松山市に住んでおりますが、伊江島の米軍補助飛行場という名前がつけられたところに土地を持っている地主の1人であります。

 先ほど来、知念さんからたびたびお名前が出ましたけれども、もう亡くなられましたけれども阿波根昌鴻さん、防衛施設局の皆さんは阿波根昌鴻さんをご存知でしょうか。ここに私がきょう持ってきましたのは、これだいぶ古い話になりますが、1985年9月26日、沖縄米軍基地強制使用裁決取消訴訟の出張尋問の裁判記録であります。
 阿波根昌鴻さんを知ってまもなくのころ、私は東京におりましたけれども、全く阿波根さんに会ったことはありません。そのときにこの裁判記録を私たち市民運動で沖縄のことを勉強している者に、たくさんの方に送っていただきました。これによって私は、初めて沖縄のこの現状というものをよく認識をし、それから勉強するようになりました。

 それによりますと、先ほど来、その内容については知念さんから詳しくお話をいただきましたけれども、まず最初に自分の経歴について細かく述べられ、そして伊江島での米軍占領の経過と住民の報告、それから強制移住と帰島の経過、それから帰島後の復興努力と米軍の土地強奪、土地取り上げ反対闘争の経緯と意義、復帰後の土地収奪の経緯と土地使用の不当・違法な経緯、地籍不明確な現状、収用土地の使用の実態と契約地主の土地の実態、米軍基地の使用の実態と、以上。

 当時、阿波根さんは82歳でありました。そして病にかかっておられまして、裁判に出ることができないで、伊江島に出張して裁判をされたわけであります。そのときのこれは記録でありますけれども、阿波根さんは誠実に落ち着いて正確に、自分の良心に恥じることなく、事実そのものを証言されました。

 私は、阿波根さんを尊敬する1人としてきょうここに、どうしてもそのことを、阿波根さんに関することをここでご意見を申し上げたくて、松山からやってまいりました。

 阿波根昌鴻さんはその尋問の最後に、「裁判官の皆さん」、これは収用委員会の皆さんとお呼びしてもいいかと思いますけれども、「裁判官の皆さんに申し上げたい。全世界にある核は、地球上の人間を2回殺しても余ると言われている。沖縄、ひいては全世界の安全繁栄のために私たち反戦地主の良心を信じ、国の誤りをただし、強制使用の撤回と基地解放に立ち上がってください。戦争で幸せになった人はいない。今度、戦争が起こったら終わりだ。安保を破棄し、基地も自衛隊もなくして平和憲法を守ってください」と、切々と訴えられました。

 それから年月が流れて20年、伊江島の米軍基地は拡充こそすれ、変わることはなく現存しています。そしてまたきょう、さらなる強制使用の申請を出してきているわけであります。

 私は、この証言集を何度読み返してみても、読み返すうちに阿波根さんの無念の気持ちが強く心を動かし、はらわたが煮えくりかえるようであります。それは今にしても変わることがありません。

 阿波根さんは4万坪の土地を所有されております。これは伊江村の真謝地区というところであります。その土地は、一坪たりとも先祖から譲り受けられたものではない。ご夫妻がまさに飲まず食わずのごとく、休まず夫婦で働き通して貯金をして、こつこつと買い集められた宝物の土地である。

 その目的は、働きながら学ぶ、生産をしながら学ぶという農民学校をつくることが夢であったようであります。そのために4万坪という広大な土地を買い集められたわけであります。決してこれは商売にする土地や米軍に貸すための土地ではございません。そこに防潮林を植えて、戦争の始まる前年の昭和19年には設備の80パーセントまで完成していたと証言されています。

 それが全部戦争で焼き払われ、今度は米軍が銃剣とブルドーザーで押しつぶして、4万坪のすべての土地を強制使用し、主権が国民にある日本復帰を果たした後も日本政府は次々と理不尽な法律をつくって、一坪の土地も返すことなく強制使用しているのであります。

 日本復帰前、占領軍と非暴力で交渉し、島の63パーセントを取られていた軍用地を半分は解放させて、これはアメリカとであります。残りも除々に解放させるところまで約束していたと、私たちに証言されています。そのときを信じて彼は懸命に病魔と闘い、5年間全盲になりましたけれども、全盲になりながらも訪れる人たちに、子供たちに、戦争の愚かさと平和の大切さを語り継がれて生きられてまいりましたが、ついにその日を見ることなく尊い生涯を終わられました。さぞ無念であり、心残りであっただろうと思います。胸が詰まってまいります。

 私は愛媛に住む者ですが、ご厚意によって大切な土地の一部を分け与えられました。しかし、図面の上に線が引かれただけで、名実ともに私名義の土地になったその土地に入ることさえ私は許されません。何の確証も確認もできないわけであります。

 だから、私は松山から沖縄に帰りますときに、必ず飛行機の窓側に座ります。それは何のためかと申しますと、伊江島の土地を自分の目で、空の上からでもいい、やっぱりみたいという気持ちが強いからであります。それは、1,000メートルの上空からはほとんど見えませんけれども、あのへんにあるのかなというぐらいのことしか私にはわかっておりません。人殺しのためには一坪の土地も使わせない。亡き阿波根昌鴻さんの信念どおり、私も米軍基地の使用を絶対に拒否します。

 防衛施設局の皆さん、もう十分あなた方も心の中では苦しみを理解しているはずです。戦争は人を殺し、環境を徹底的に破壊し、憎しみの連鎖を繰り返すだけであり、アメリカの属国のごとき現状から一日も早く脱却し、平和の世づくりのための21世紀を歩み始めようではありませんか。

 最後に、ここに1冊の本があります。見てください。これは1973年6月、阿波根さんが出版された「米軍と農民」という本であります。防衛施設局の皆さん、伊江島の土地を日米安保の定めにより、事務的に強制する前にぜひ一度読んでください。もしお読みいただけるなら、あなた方の家に私は1冊1冊お届けをいたします。それをよく読んでください。どれだけ農民が苦しんでいるかという現状を、そして今までどんなひどい仕打ちを受けたかということが、こと細かく正確に正しく書かれています。

 土地は生産のためのものであり、農民の命であります。伊江島の戦中・戦後の命のかかった想像を超えるむごすぎる歴史を、あなた方にも知ってほしいのです。私はそのことを言いたくてここにまいりました。以上で、私の意見陳述を終わります。
                   (拍 手)

○波久地会長  久保田さん、今のは質問ではなくて意見陳述でよろしいわけですね。

○久保田(土地所有者)  はい。

○渡久地会長  わかりました。
 それと、収用委員会からひと言申し上げておきたいことがございます。
 伊江島補助飛行場につきましては、50年近くの時間が経過して、知念さんにはその間の積もる思いがあろうかと思います。時間いくらあっても足りないという事情はよくわかりますけれども、いろいろ予定が組まれておりまして、一日も早くその発言の機会を得たいという方々もいらっしやろうかと思いますので、できれば知念さんの発言は、きょうこの回で終了させていただければありがたいというふうに考えているんですが、できるだけご努力いただければというふうに思っております。よろしくお願いいたします。

○知念忠ニ(土地所有者)  収用委員会のこと、公開審理の運営方針にご協力申し上げたいと思います。
 私の通告の1の質問、すなわち空対地射爆撃訓練及び射撃訓練、そして短距離離着陸訓練の場となっている伊江島の私たちの土地に築かれている伊江島補助飛行場は、国連の平和維持原則にもとるものではないかということについての質問でございます。と申しますのは、最近の情勢でございます。イラクへのアメリカの一方的な攻撃についてでございます。このイラク戦争に沖縄の海兵隊が出撃していることは周知のとおりです。最近の報道で、5,000名の海兵隊が出撃をし、また、同じく海兵隊航空基地普天間から、事故で墜落したのと同じ型のCH−53D型が早々とイラクに出撃するなど、こういう航空機なども出撃しているわけであります。

 そこで、問題なのは、このイラク戦争の実態です。これは国連及び世界の圧倒的多数の世論の反対を押し切って、米英が単独で行っている戦争でございます。この戦争の犠牲者は、イラクの女性あるいは老人など子供を含む住民犠牲者は10万人を超えていると報道されております。そこで、このような理不尽な戦争に、沖縄がその訓練の基地とされている、出撃の基地とされているということが大問題でございます。

 ここにイラクを取材して名の知られているフォトジャーナリスト森住卓さんのリポート、7月25日付の新聞赤旗日曜版にございますけれども、彼はその記事の結論で、「自分は米軍が沖縄で訓練を受けてイラクに出撃している事実に照らして、それを確かめるためにイラクで取材してきた」ということも言っておりますが、その結論として、「ファルージャ攻撃を行ったのは沖縄で訓練を受けた米海兵隊です。この理不尽に日本政府は協力している事実を忘れてはなりません。」こういうふうに結んでいるんです。

 そのとおり、今、ファルージャは沖縄から行った海兵隊、殴りこみ部隊としての海兵隊が、やはり先兵となって攻撃をかけ、現在は、米軍挙げて総攻撃を行って潰すというところまできていて、向こうの人々は大変苦悩をしている現状でございます。そういうことを考えたときに、私たちはこの沖縄の基地から出撃している米軍の問題を考えずにはいられないんです。

 ご案内のように、国連の平和原則は、あくまで平和的手段で紛争は解決する。武力の使用は、相手国からやられた場合に使用するという、こういう原則になっているんです。しかし、ブッシュ米大統領はそれを無視して、国連のそういう姿勢も無視して、単独でイギリスと一緒にイラクを攻撃しているということで、今、世界の多くの国民から反対をされている現状でございます。
 こういう中で、やはり国連のアナン事務総長も、あのイラク戦争は違法な戦争であるというふうに表明しておられます。ご案内のとおりでございます。

 こういう戦争のために、伊江島の演習場で、つまりブッシュ政権の先制攻撃戦略に合わせた訓練が行われている。CH−503をはじめその他のいろんな種類の米軍機が、海兵隊あるいは空軍機が伊江島の私たちの土地でつくられている演習場で、降下訓練をし、また米兵たちは射撃訓練をし、その他の訓練を積んでイラクに出撃しているんです。こういう事態は、国連の平和原則に違反するものではないかということですが、施設局どう考えますか。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  ただいまのご質問にお答えをさせていただきます。
 ただいまのご質問の内容につきましては、使用の裁決の申請にあたって提出することとされております裁決申請書及びその添付書類並びに明渡裁決の申し立てにあたって提出することとされている明渡裁決の申し立て及びこれとともに提出することとされている書類に記すべき内容とは関わりがない事項であり、また、収用委員会が権利取得裁決及び明渡裁決において裁決しなければならないとされている事項のいずれにも該当しないものであるから、審理になじまないものと考えておりますことを、まずお答えをさせていただきたいと思います。

 なお、伊江島補助飛行場につきましては、日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国が使用されている施設及び区域でございます。

○波久地会長  はい、知念さん。

○知念忠ニ(土地所有者)  それでは、施設局の答弁を聞いていると、壊れた蓄音機の音という感じがしないでもありませんが、時間の都合上進めます。

 私は、同飛行場について、やはり、例えば射爆撃、あるいは降下訓練などについて、歴史的実態に照らして皆さんの見解を聞いてみたいと思います。

 歴史的な事実に照らしてみるとき、ベトナム戦争のときも、やはり伊江島の演習場で多くの米兵が訓練を積んでベトナムに行きました。この米兵の苦悩も、私たちは知っております。それよりももっと、先ほど申し上げたとおり、私たちこの演習場があるが故に、私たちの被害が大きかったわけでありますけれども、そういう演習場、ここで私が特にきょう指摘したいのは、原爆の投下訓練が1960年代から70年代初頭にかけて、公然と行われたということであります。つまり、BDU8B、BDU12という核模擬爆弾ですね、これは実際の核兵器と同じ大きさの模擬爆弾ですけれども、この投下訓練が伊江島で行われております。これはもうご案内のように、1971年の沖縄返還前の沖縄国会で大問題になりました。

 そこで、これは当時はベトナムで核使用の危険性まで指摘されていたところでございます。このことについて、やはり私は、我が国の広島、長崎の被爆の実態を考えずにはいられないと思います。つまり、広島ではやはり現在までの死者が23万7,000人にも及んでいるし、長崎では当時死者が7万4,000名、そして負傷者が7万5,000名、そしてこの被爆者はどんどん犠牲になられているわけですけれども。
 だから私たちは、この被爆者の皆さんが、すべての核兵器を廃絶してほしい、核の使用を絶対にしてはいかんという叫びを、やはり心をいためながら重く受け止めている状況でございます。

 こういうことからいたしまして、復帰前とは言え、やはりこのような被爆国としての、しかも潜在主権は日本にあったわけですから、こういうようなベトナムなどを想定しての核使用を想定しての原爆投下訓練が伊江島の爆撃演習場で行われていたということについてはどう思いますか。

○波久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  ただいま、本日の伊江島補助飛行場の裁決申請をお願いをしている立場でございます。私ども、そういう立場で復帰前に行われていたことについて、一々を申し上げることについては差し控えさせていただきたいと思います。

○漉久地会長  はい、知念さん。

○知念忠ニ(土地所有者)  それでは、復帰前のことについては意見を差し控えるということでございますけれども、復帰後のことについて、それではお聞きをいたしましょう。

 先ほど申し上げたように、1971年の沖縄国会で、この伊江島での核爆弾投下訓練について、日本共産党の不破哲三議員が追及しております。その追及に抗しきれずに、ときの佐藤首相はこう答弁しております。米国に訓練中止を申し入れると、こういう趣旨の答弁を最後にはやっております、のらりくらりしながら。

 そこで聞きますけれども、これは沖縄国会でのことですけれども、それでは復帰後のこのような核攻撃訓練はどうなっていますか。行われていますか、あるいはもし行われているとすれば、その実態をこの場でご説明お願いしたいと思います。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側) 今、お尋ねの点は、伊江島補助飛行場でどういう訓練が行われているのかというお尋ねかと思います。伊江島補助飛行場に関する3番目のご質問で、同施設で行われている軍事訓練の内容及び訓練の回数、訓練に使用される弾薬の種類という求釈明の事項がございますけれども、その答えと併せてお答えをさせていただきたいと思います。

 伊江島補助飛行場は、日米安全保障条約の目的達成のため、アメリカ合衆国が使用を許される施設及び区域として提供しているものであります。その使用目的は、補助飛行場、空対地射爆撃場及び通信所とされており、また、SACO最終報告により読谷補助飛行場で行われているパラシュート降下訓練が移転されているが、同飛行場の管理運用はアメリカ合衆国が行っているため、訓練の内容及び回数など、その詳細については承知をしておりません。 以上のことをお答えといたします。

○波久地会長  はい、知念さん。

○知念忠ニ(土地所有者) それでは、内容は米軍がやっているから承知してない、基地を捷供するだけが皆さんの仕事ですか。私たちの土地、私たちの権利はどうなるんですか。そこが問題ですよ。もうちょっとまじめに答えていただきたいと思います。時間に限りがありますので、進めます。

 それでは、復帰後行われている核攻撃の訓練について、私のほうから申し上げましょう。
 ここに伊江村における基地問題及び被害の実録、平成13年2月作成、伊江村企画調整課作成の報告書がございます。この報告書の7ページに、このようにあります。1975年、すなわち昭和50年11月16日、関連施設名は伊江島補助飛行場における事件。伊江村真謝区のアラシロアラタさん72歳が、演習場内で草刈り中、いきなり核模擬爆弾投下演習が行われ、急を知った家族がアラタさんを車で連れ戻しに行こうとしたところ米兵に制止され、約1時間爆弾の降る中、演習場内にとどまらざるを得なかった。幸い、けがはなし。
 こういうふうにありますけれども、これはどうなんですか。伊江村の公式な資料ですけれども、それについても承知しないとおっしゃるんですか。明確なご答弁をお顔いいたします。

○波久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  大変、恐縮でございますけれども、私、今おっしゃられました伊江村の資料についても承知をしておりませんし、また、その内容についても承知をしておりません。

○波久地会長  知念さん。

○知念忠ニ(土地所有者)  こういう公開審理があるということは公知の事実であります。
 それについて、こういう資料も調べようとしないという政府の態度は、私たちの土地を引き続き使用するという、そういう資格があるとは言えないんではないですか。主権者に対する責任を、政府は、公務員は果たすべきではないでしょうか。

              (「そのとおり」と言う者あり)

 それでは、時間がないので続けます。
 私は、復帰前だったからということだけれども、今見たように、まさに75年といえば復帰後、そういうことになると、核の攻撃訓練が今でも行われているという疑惑を持たざるを得ないんですよ。そこで、それはそういう基地が強化されているのではないかというふうに思うのは当然ではないでしょうか。

 というのは、実はSACOの合意によって、読谷補助飛行場の降下訓練が伊江島に移転されました。読谷補助飛行場というのはどういう性格のものであったか。これは復帰前のことですけれども、どうしても皆さんに紹介しておきたい。

 ここに1995年、9年前の5月に発行されたアメリカの「ソルジャー・オブ・フォーチューン」という雑誌がございます。この雑誌にこういうようなことがあるんです。つまり、1966年、読谷補助飛行場で現在も読谷のトリイステーションにいる米特殊部隊が生の核兵器を担いで、C−130機から読谷補助飛行場で、信管を外してはあるけれども背負って降下訓練をやった手記が、この雑誌に大きく載っているんです。
 この記事を書いた元特殊部隊員は軍曹ですけれども、本人でなければ核兵器の構造から実際にやった訓練に至るまで書けない内容になっているんですね。つまり、グリーンベレーが信管を外した核地雷を背負って、1966年、ある曇り空の天気の日に、12人一組で読谷補助飛行場に降下訓練をやった。この核地雷をベトナムの奥深く進入して行って、設置をしてベトナムを爆破する。こういう訓練をやったという手記の内容なんです。

 そこで、こういう原爆投下、あるいは原爆をしかける、核兵器をしかける場合の演習の間はこういう指示がされている。例えば、演習場内に入ってくる者があれば、だれであっても射殺してよいと。こういう命令がくだっていた。こういうことを書いております。
 それで、1975年11月に伊江島で起きた核模擬爆弾投下訓練のときに、旗は演習場に入ってもよろしいといって72歳の住民が中に入って草を刈りていたら、この演習になったらもう秘密で、人がいようが何しようが訓練を続けたということと併せて考えると、そら恐ろしいんですよ。

 こういうふうに、やはり今伊江島の補助飛行場という演習場は、読谷補助飛行場が統合されて降下訓練が激しく行われている中で、こういう過去の実績に照らして、また復帰後のこういう核模擬爆弾の投下訓練の事実に照らして、また現在ブッシュ政権は、小型核兵器の製造を凍結する決定を外して、どんどん今小型核兵器の増産に入っております。こういうことを見たときに、今イラクに向けてのアメリカの侵攻作戦の上でどんどん沖縄から海兵隊が出て行く。特殊部隊も出ていく。しかし、その前に、伊江島の演習場でこういうような訓練が行われるということになれば、これは大変な事態だと。こう見なくてはいかんわけです。

 こういう疑惑は単なる疑惑ではないんですよ。しかも、基地を提供している防衛施設庁が、伊江村が出している公式な資料に基づくそういうものも承知しない、関知しないで、どんどんアメリカがやりたい放題、何でも演習をさせているというそのことを見たときに、私たちのこういう懸念というものは、これ現実に起こり得る、起こっているということを解釈せざるを得ないわけでございますよ。

 こういうことから私は、本当に心配して質問しているんですよ。私たちは被爆国の国民として他国を先制的にこういった核で攻撃する訓練が、たとえ訓練であろうと、訓練をした上で攻撃はするわけですから、そういうものを許すわけにはいかないんじやありませんか。こういう疑惑があれば、この疑惑を明らかにしていくということが政府の責任であり、そういう疑惑のもたれた伊江島演習場などは、これはやはり撤去するというのが筋ではないでしょうか。

 だから、私聞きます。米軍はさっき申し上げたように、私は核模擬爆弾を使って核攻撃の訓練を行っている、彼らの前例から見て、こういうふうに見るんですよ。そういうことで私は、こういうような訓練に伊江島の演習場が使われるということは、これは絶対に承服できないものでございますので、政府としてはその解明に努力すべきだと思いますけれども、どう思いますか。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  私、先ほど「訓練の内容については承知をしておりません」というふうにお答えしたことについて、それは防衛施設局として、その内容についても具体的に明らかにすべきではないのかという趣旨のご質問かと思います。

 私ども政府の中で持っております仕事を申し上げますと、大変、恐縮でございますけれども、私どもが持っておりますのは、施設及び区域を米側に提供する、そういう手続きをとるということでございます。
 実際に、その訓練の内容いかんを云々するということについて、私どもが今手続きとして、起業者としてさせていただいているわけでございますけれども、政府の中ではその訓練を扱う部署は別途ございまして、その内容について私どもが責任を持って明らかにする云々というようなことについて、何らかのことを申し上げるということはできないということでございます。以上、お答えといたします。

○渡久地会長  知念さん。

○知念忠ニ(土地所有者) 実に情けないことでございます。
 私は、やはりイラクへのアメリカの先制攻撃戦略とこの核兵器の使用についても、今心配されると思うんです。アメリカはいつでも自分たちの気にくわないことについては、先制的に攻撃する。核も先制的にやるという戦略をとっていますので、やはり心配して言っているわけですけれども。
 私は、人類の滅亡をもたらすこうした大量破壊兵器の訓練、その疑惑に満ちた基地、伊江島の演習場などは直ちに廃止すべきものであると。こういうことをつけ加えておきたいと思います。

 それでは、2番目の質問。つまり、伊江島補助飛行場はその内容から見て、安保にさえその存在は違反するんじやないか、という問題についてでございます。
 やはり日米安保の本質は、私どもから言わせれば、これは対米従属の軍事同盟であると。対等平等でないと思います。これはベトナム戦争、イラク戦争における政府の対応から見ても明らかだと思いますね。
 同条約の建前にしても、「日本国の安全に寄与し並びに極東における国際の平和及び安全に寄与する」と、6条でこうなっていますね。そのためには、日本が米軍に基地を提供するということだと思いますけれども。では、普天間ヘリ部隊を含む米海兵隊、グリンベレー等が伊江島射爆撃、降下訓練場等で訓練をつんでイラクに出撃し無差別にイラクの人々を殺す戦争、これを行うことが日本の安全、極東の平和、安全維持につながるんですか。私は逆だと思いますけれども、いかがでしょう。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側) ただいまの点につきましては、その釈明事項の1の(2)ということかと思います。そのことについてお答えをさせていただきたいと思います。
 ただいまのご質問の内容につきましては、使用の裁決の申請にあたって提出することとされている裁決申請書及び添付書類並びに明渡裁決の申し立てにあたって提出することとされている明渡裁決の申立書、及びこれとともに提出することとされている書類に記すべき内容とは関わりがない事項であり、また収用委員会が権利取得裁決及び明渡裁決において裁決しなければならないとされている事項のいずれにも該当しないものであることから、審理にはなじまないものと考えておりますということをお答えとさせていただきたいと思います。

 なお、伊江島補助飛行場つきましては、日本国の安全に寄与し並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するためアメリカ合衆国が使用されている施設及び区域であります。

○渡久地会長  知念さん。

○知念忠ニ(土地所有者)  それでは変わった角度から、つまり安保で言う極東の範囲とはということですが、ずばり言って、これはイラクで戦争する米軍に基地を提供することも、安保に基づく極東の範囲の行為ですか。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側) 実は、伊江島補助飛行場の審理ではございませんけれども、同様の質問と言いますか求釈明がございまして、8月21日の公開審理であったかと思いますけれども、そのご質問は極東の範囲についてのご質問であったかと思います。
 私、その場で「安保条約の第6条に言う極東の範囲についてご質問があったかと思います」というふうに申し上げた上で、「安全保障条約の極東ということにつきましては、日米両国が平和安全の維持に共通の関心を有している区域であり、この意味で、実際問題として両国共通の関心のもととなる極東の区域は、この条約に関する限り、在日米軍が日本の施設及び区域を使用して、武力攻撃に対する防衛に寄与し得る区域ということでございます。かかる区域については、大体においてフィリピン国並びに日本及びその周辺の区域ということであるということは、本政府の統一見解で示されているとおりでございます。」というふうにお答えをいたしました。本日も、そのとおりお答えをさせていただきたいと思います。

○渡久地会長  はい、知念さん。

○知念忠ニ(土地所有者)  私は、今の答弁は極めて不真面目だと思います。私が聞いているのは、イラクに行く米軍が私どもの土地を接収してつくられた伊江島の射爆撃、あるいは降下訓練、あるいは離着陸訓練場で訓練をしてイラクに出撃している事実は否めない。事実であると。これも極東の範囲に入るんですか。明確に具体的な事実を示して質問しているけれども、それに答えない、そらしているんですね。それはやはり政府の不誠実な態度を示すものであり、私たちの主張は伊江島の地主の立場で、私はるる意見を述べてまいりましたけれども、私たちが土地を返せ、演習場を撤去せよ、米軍基地を撤去せよというこの私たちの叫び、要求こそが正当性があると。それにこそ正当性があるということを証明されたと私は思います。

 以上のことを主張いたしまして、私の質問は終わって、関連して阿波根代理人に質問をさせていただきたい。バトンタッチをいたしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○阿波根代理人(土地所有者側)  では、今の質問に関連して質問させていただきたいと思うんですけど、よろしいでしょうか。

○渡久地会長  はい。

○阿波根代理人(土地所有者側)  ただいまの質問に対して、沖縄で……。

○渡久地会長  お名前。

○阿波根代理人(土地所有者側)  名前は、知念忠二さんの代理人の弁護士の阿波根です。
 沖縄で、特に伊江島補助飛行場で演習され訓練された米兵がイラクに派遣されているという指摘は、これは明白な事実だと知念さん言いましたけど、この明白な事実はお認めになるんでしょうか、国は。

○渡久地会長  質問ですか。

○ 阿波根代理人(土地所有者側) 質問です。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  沖縄に配置をされていた部隊が、イラクに行っているかどうかということであれば、沖縄に配置をされていたことがある部隊がイラクに行っているということは事実だと思います。

○阿波根代理人(土地所有者側)  知念さんの指摘はもっと具体的なんです。伊江島補助飛行場で訓練されたグリーンベレー、あるいは海兵隊が、イラクにファルージャに行って、ファルージャの戦闘の主要部隊として攻撃に参加しているんだという指摘なんですけど、このことをお認めになるんでしょうか。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  私、伊江島補助飛行場で具体的にどこの部隊が訓練をし、どういう訓練をしたということについて承知をしておりません。したがって、伊江島補助飛行場で訓練をした部隊がイラクに行っているかどうかについても、申し上げられません。

○阿波根代理人(土地所有者側)  伊江島の飛行場で訓練した部隊が行ったかどうか知らないけど、沖縄に編成されている部隊がイラクに行ったというのは、どうしてあなたは知っているんですか、そうすると。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  それはいろいろ交換されているといいますか、情報によって承知をしております。

○阿波根代理人(土地所有者側)  どういう情報ですか。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  一々については申し上げませんけれども、交換されている情報によって、承知をしております。

○阿波根代理人(土地所有者側)  あなたは交換された情報で、伊江島補助飛行場で訓練されたグリーンベレーが、イラクに行って戦闘行為に加わっていることも当然知っているでしょう、あなたが受けた情報で。そのことも含めて知っているんじやないでしょうか。

○大澤代理人(起業者側)  私が承知をしておりますのは、キャンプシュワーブにいた部隊、あるいはキャンプハンセンにいた部隊がイラクに行っているということは承知をしております。

○阿波根代理人(土地所有者側)   そうすると、イラクというのは、あなたが言う安保条約の極東の範囲で言いますと、フィリピンの以北にあたるんですか。極東に行っても、イラクは極東の範囲内に入りますか。どうですか認識は。フィリピンの以北にあるんですか、イラクは。極東の範囲内の地域にあるんでしょうか。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  私が申し上げましたのは、先ほど申し上げましたのは、極東の範囲について申し上げたとおりでございます。イラクが極東かどうかということについては、私、申し上げたつもりではございません。極東の範囲は何かということについてお答えをしたとおりでございます。

○阿波根代理人(土地所有者側)  私がお聞きしたいのは、極東の範囲の定義よりも、イラクは極東に入るかどうかという具体的なことをお聞きしているんです。一般的に定義じやなくて、イラクは極東の範囲に入りますかということをお聞きしているんですけど、いかがでしょうか。

○渡久地会長  防衛施設局。

○大澤代理人(起業者側)  私としてお答えをいたしましたのは、極東の範囲についてお答えをしたとおりでございます。先ほどお答えしたとおりでございます。

○阿波根代理人(土地所有者側)  イラクがどこにあるかわかりますか。わかりますよね、当然。どう考えてもフィリピンの以北にあたらないでしょう。だからそれは論理矛盾なんですよね。だから、私たちはこの質問に対しては、あなたが答えてくれたことは非常にありがたく思っています。これまさに審理になじむことなんですから、それにお答えしていただいているというふうに考えていますので、答弁していただくことについては、私はあなたの立場は十分理解しています。それから評価もいたします。

 それで、今までの質問の中で、やっぱり審理になじまないということが幾つかありました。そのことについて、私に本来の質問に先がけて、そのことについてお聞きしたいと思うんですけれども。

 まず、復帰後の基地被害について、知念さんの質問に対して、基地被害の実態がどういうことであるかについては審理にはなじみませんということを言ってましたよね。
 しかし、これは僕はなじむと思うんです、まさに。やっぱりなじみますよ。復帰後の伊江島の基地にどのような被害が発生したかと。基地周辺の住民にどのような被害を与えたか。これは非常に重要な審理事項なんです。要するに、地位協定でやっぱり基地の返還、維持については、常に日米双方は検討しなくてはいかんと。この基地返還はできるだけ、基地返還ができるように、これは協議しなくちやいかんというような規定になっています。

 そうすると、この基地がどういうような状態の基地なのか、地域住民にどういうような被害を与えているような基地なのか。このことはやっばり常に日米両政府で検討し続けなければいけない課題なんです。
 強制使用においても、これはこの基地を今後何年使っていくか、あるいは使わさないでいくか、直ちに返還すべきなのかどうか、やっぱり審理する場合には、これはこの基地がいかなる性格の基地なのか、どのような被害を住民に与えているか、これはまさに審理する対象になるべきことだと思いますので、きょうはお返事いただけませんでしたけど、次回以降に基地被害の実態についてもお調べになって、どのような被害があって、その被害の再発防止のためにどのような努力をしているのか、日本政府としては米軍に対してどのようなことを申し入れているのか、そういうことも明確に答えていただきたいというふうに思います。いかがでしょうか。

○渡久地会長  防衛施設局。

○ 大澤代理人(起業者側) 今、阿波根さんのほうから、阿波根さんのご意見として、審理になじむ事項だというご意見だったかと思います。私どもは、先ほど申し上げましたとおり、幾つかの理由によりまして、審理になじまないのではないかというふうに考えているということをお答えをしたとおりでございます。

○阿波根代理人(土地所有者側) いやいや、それでもそう簡単に答えると困るんです。もっと考えて回答してください。既に言ったからそのとおりと言わないで、十分考えられてから回答なさってください。

 それと、イラクの実態についても、イラク戦争の実態についても、やっぱりきちんと施設局のほうでも把握してください。現実に沖縄で訓練された派遣部隊がイラクに行っているわけですから。皆さんの申請書の申請理由の中でも、そのことは安保条約に基づいて、地位協定に基づいて、基地の撤去をお願いしたいと、極東の範囲内で、極東の平和と安全、日本の安全のために、これは使うんだと。基地を使わせてもらうんだということ言われているわけですから。そうすると、そこでどのように基地が使われているかということは、今、特に国民の関心の深いイラクでの戦闘行為についても、やっぱり起業者として、強制使用を申請するものとして、そこらへんはきちんと把握して、地主の不安に応えるようにしてください。希望いたします。

○渡久地会長  伊江島補助飛行場に関する求釈明ないし意見は、これでよろしいですか。

○阿波根代理人(土地所有者側) 今、途中私が質問しない問題が出てきまして、3番目の回答がありましたけれども、それ私が質問しない前に回答されて、非常に困っているんですけれども。演習の内容とか、そこでお聞きしようかなと思っているんですけど。

 きょう、この後しばらくの時間で間に合いそうにないんで、私の質問は大体20分ぐらいでは終わると思うんですけど、あと20分ぐらい予定していますけど、次回また島袋さんの尋問も、キャンプシールズもありますので、それと一緒にやってもらいましょうかなと希望いたします。

○ 渡久地会長 10分ですか、20分ですか。

○ 阿波根代理人(土地所有者側) 20分です。ただ、20分予定していますが、答えがないと、いろんななじまないということが出てきますので、その議論になる可能性がありますので、回答によっては相当長引きそうな感じがするんです。だから、できたら、きょう4時近いですので、きょうはこの程度でお願いしたいと思います。

○波久地会長  それは事前協議でまた協議をすることにしまして、ここで議論する性質のものではなかろうと思いますので、事前協議で打ち合わせをしたいと思います。

○阿波根代理人(土地所有者側)  はい。

○渡久地会長  それでは、きょう一応時間です……

○有銘政夫(土地所有者)  ちょっと座ったまま、申し上げますけど。

○渡久地会長  はい、どうぞ。

○ 有銘政夫(土地所有者) どうでしょう、このなじまない人は排除したらどうですか。検討してくださいね。なじまない人がいると、こっちが迷惑する。

○渡久地会長  それでは、きょう時間でもありますので、これで終了したいと思います。きょうもし積み残しがあるということであれば、また事前協議でどのように取り扱うか協議をした上で、次回の日程を決めたいと思います。

 これで本日の審理を終了いたします。
 次回の公開審理の日程ですが、平成17年2月3日木曜日、午後1時30分から4時まで、沖縄市民会館中ホールにおいて開催する予定です。詳細は文書で通知します。
 本日は、どうもご苦労様でした。
                                 (午後4時 閉会)




資料提供:安里秀雄さん


前のページへ