No. 83 | ||
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1997年4月2日 | ||
東京都千代田区三崎町 | ||
2-2-13-502 | ||
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沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック |
これではとても「不法占拠状態を回避するための必要最小限の改正」どころではない。収用委員会も公開審理も存在意義がなくなってしまう。社民党が賛成できないのは当然だ。「特措法」については抜本改正論の新進党も賛成できるほどの内容。
来たる4月4日には閣議決定、4月中には本会議で可決の動きにある。国会請願行動や4・6代々木公園大集会の圧倒的成功で、この特措法改悪を阻止しよう
5日14日の強制使用期限切れ後も継続使用しようと、政府は「特借法」改悪をめざしている。この動きにストップをかけようと私たちは、沖縄百万人署名運動などの市民団体・個人とともに「沖縄繋急行動」を結成。3月10日の檜町公園での緊急集会・国会請願行勤を第一波に、17日・18日と27日・28日に国会周辺への連続行動を展開したほか、25日の大田ー橋本会談時には国会前座り込みと首相官邸への要請行動を行った。(以下、17日・18日と25日行動の報告)
米軍用地特別措置法の「改正」をめぐり、政権のゆくえも取り沙汰されるなか沖縄緊急行動では3月10日の国会要請行動に続いて17・18日と参議院議員面会所での集会を提起した。連日100人の人たちが呼びかけに応え、駆けつけた議員ともども、法案を許さない闘いを国会内外で盛り上げていこうと誓った。
挨拶に立った島袋宗康(しまぶくろそうこう)・参議院議員
「公開審理中にもかかわらず『改正』を出すのはルール違反。米軍がわれわれの財産をおびやかしていることが大きな憤激を引き起こしている。多くの問題を抱えながらなお、基地のための上地を収用し続けようとすることに大きな怒りを感じる。多くの団体にも呼びかけて、一昨年の10・21に劣らない集会を開こうと努力している。みなさんと一緒にがんばりたい」。
衆議院議員の照屋寛徳さんは「基地問題を考える時、各々節目があったと思う。復帰前に沖縄の置かれた状態は違法であり不当なものであった。しかし復帰後も同じであった。今回、公開審理を迎えているが、「本土」ではすでに必要のない特措法が沖縄だけに適用されている。政府は全国が対象であるとうそぶいているが、まったくの詭弁だ。沖縄選出の議員としてみなさんと固く心を結びあっていきたい」と決意を述べた。
また自衛隊も違憲であるとする栗原君子議員は、「私は広島出身だが、沖縄でも戦争の傷跡がたくさん残っているのを見た。政府はいま、ACSAを結んで軍事同盟を拡大しようとしており秋にはガイドライン見直しを詰めようとしている。この時点でしっかりと見据え闘っていかなければならない」と連日の挨拶で思いを述べた。
3月25日の大田・橋本会談当日、沖縄緊急行動はこの会談が特措法改悪の「通過儀礼」となることを防ぐため、国会前で座り込みを行った(大田知事は会談で橋本首相に対して「特措法改悪には反対だ」と伝えた)。
当日は天気がよく、気温も23度まであがり、絶好の座り込み日和。1時から5時まで50人余りが「特措法改悪阻止!」「沖縄に平和を!」などと書かれた横断幕を広げながら座り込んだ。
座りこんでいる間、スロバキアのジャーナリストが写真を撮ったり、社民党の中川智子衆議院議員が「数は少ないけれども、土井議員とともにがんばっています。がんばりましょう」と声をかけて行ったりした。座り込みの前を通りかけて署名用紙に署名する人もいた。
沖縄からは、反戦地主会会長の照屋秀伝さんと違憲共闘会議・前議長の宜保幸男さんから電話メッセージをいただいた。
照屋さんからは「沖縄・ヤマトを貫く壮大な闘いによってこの正念場を乗り切りましょう!」と。宜保さんからは「橋本はナチスのように嘘を言い重ねることで危機を乗り越えようとしている。しかし私たちは、生活と真実と正義を求めて闘っていかねばならない」というものであった。
最後には、代表者が「特措法改悪反対」の首相あて要請書を官邸に提出した。
一坪反戦地主会
米軍用地収用特措法の「改悪」は単なる「改悪」にとどまらず、土地収用法体系そのものを抜本的に変更するものであって、「有事立法」の新たな制定に他ならない。
(条文の内容)
(問題点)
結局、今回の法改悪は、単に条文を追加し暫定使用を認めたというのではなく、法的手続きを経ることなく、また、その使用を争うための法的救済手段も認めない「有無をいわさず土地を取り上げる」法律であり、新たな「有事立法」である。
収用委員会制度そのものの否定であり、憲法の瓦解である。
法「改悪」は、沖縄に対する差別立法に止まらず、有事立法の新設であり、ファシズム国家への突入を意味するものである。
少し古い話しで恐縮ですが、ヤマトーの新聞が伝えないことなので、ぜひみなさんに知っていただきたく、この紙面で報告します。(O.T.=会員)
2月21日は公開審理。翌22日はP3C基地建設反対の豊原地区援農。そして23日、普天問基地の代替ヘリポート建設候補地を訪れ、漁港の岸壁の上で有刺鉄線で仕切られた砂浜と海を目の前に地元の方からお話しを伺った。
島袋・名護市職労委員長
ここは珊瑚礁の海。魚がたくさん捕れる。跡地利用ができるからと、この海を埋め立ててヘリポートを迎えようという動きがある。辺野古の住民は、地域の10分の1に押し込められている。40年前に、どうせ銃剣とプルドーザーで取り上げられるならと、条件闘争で基地(キャンプ・シュワブ)を認めてしまったからだ。
しかし今度は違う。
行政が黙っているので、部落の中からヘリポート建設阻止協議会(「命を守る会」)が生まれた。
命を守る会会長
ここに生まれてきて50年親しんで来た海。この美しい自然がこの年になって失われようとしている。後世に向けて、これを残さねばと思う。
このリーフ(珊瑚礁で浅瀬になっている所=礁縁。砂洲)では、もずくの養殖が行われている。満潮時でも水深は3メートル。旧暦3月31日には、向こうまで歩いて渡ることができ、磯遊びができる。
基地反対闘争はまったく初めての経験だ。
嘉陽宗儀さん
1922年(大正2年)生まれの76歳。国のため、天皇のためと教えられ、海軍兵学校へ入り、ベトナムで戦傷を負い、送り返されて命を長らえた。
「ありがとう」の上はなんと言えばいいのですか?来てくれたお礼をどう言ったらいいか……。沖縄香水の匂いがしませんか?いま、畑で鶏糞をまいていたんです。みなさんの援助がなければ、大きなアメリカ、大きな政府と闘えない。人の命を守るためには何でもします。私はいつ死んでもいいが、遣言だと思ってお願いをきいて下さい。
反対の大会の第一回は、名護市議会を中心に昨年7月16日に。第二回は、労組中心で区長会・老人会など商工会を除く11団体で昨年11月29日に行われました。
名護市長は反対しているが、本当は誘致したいのではないか?と地域の人は思っている。「県が同席すれば、話し合いに応ずる」と言っているのが不安のタネなんです。
過日、防衛庁の役人を市の助役らが案内してきたのを、30人で阻止しました。
来ることは、名護市からの連絡でなく報道陣からの問い合わせでわかったんです。
名護市の財政は、公設・民営の大学建設のためにたいへん苦しい。予算は10%減。97年〜2001年に、返済のヤマ場がやってくる。へリポート関連の金でなんとかしようとしているのではないか?
補助金はまやかしですね。補助金で地域がよくなることはありませんね、よくわかりました。昔は純真な気持ちで兵隊になったが、今はそうはさせません。
こう結んだ嘉陽さんは、関東ブロック・上原成信さんの差し出す闘争資金カンパの袋を、いかにもウミンチュ(海人、漁民)らしく日に焼けた額を地面に擦りつけんばかりにして受けとり、目には涙さえ浮かべていた。
七六歳といえば、悠々自適の日々を送っていてもいい歳。しかも「六年前に大手術を受け、体がボロボロで、あした命があるかどうかわからない。へリポートがきたら、私に死ねということか」(97年1月25日の『沖縄タイムス』)と言う嘉陽さん。沖縄の痛みは、ますます深まるばかりだ。
会員のみなさん!
反戦地主の粘り強い闘いが人々の共感を呼び、50年代半ばの島ぐるみ闘争に匹敵するような「米軍用地の強制使用反対・基地撤去」の闘いが盛りあがりました。今や「基地のたらいまわし反対!海兵隊の削減・撤退!」は沖縄で強力な世論になっており、しかも移転先候補の「本土」でも「沖縄でいらないものは『本土』でもいらない!」の声が強くなっています。
闘いを強化し、支持の声を広げていくために、関東ブロック運営委員会ではこれまで以上の活動の強化・発展を決意しました。とくにこの四月、五月の闘いのヤマ場では専従的に運営委員会のメンバーを配置することにしました。
つきましては重ねてのお願いですが、このための緊急カンパを同封の郵便振替用紙で関東ブロックに送金していただきたく、協刀をお願いします。
会員のみなさん!
現地・沖縄での闘いが孤立することのないように、関東ブロックの私たちの名誉にかけてたしかなものにしていこうではありませんか!
その実現のために、ぜひともお願いします。
本カンパは関東ブロック独自のものです。現地・沖縄をバック・アップするためのものではありますが、現地・沖縄へのカンパではありません。