一坪反戦通信 Vol.81 一坪反戦通信 81(1997.1.13)

軍用地を生活と生産の場に!
No. 81
1997年1月13日
東京都千代田区三崎町
2-2-13-502
郵便振替 00120-8-45850  電話:030-910-4140  FAX:03-3386-2203
沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック


重い荷車を引いて
牛は石ころと瓦礫の道を
ゆっくり着実に歩む
彼の頭は低く保っているが
その目は前方を見つめている
一羽の雀が飛んできて
牛の角に止まり
真剣にさえずる
牛はうなずいてから大きく
一声で答える
牛はその後もっと力強く
進んで行く
   栄野川安邦(会員・元違憲共闘議長)


◆本号の主な記事 ◆


基地の整理・縮小を巡る動き

県内移設の返還はごまかしだ!

 全国紙・A紙は12月21日の沖縄県民大会を「基地の整理にらみ/結束にすきま風」と報じた。果たしてそうなのか?在日沖縄米軍基地の整理・縮小に関する日米特別行動委員会(SACO)の最終報告に対する反応を中心に、最近の沖縄の様子を紹介したい。

SAC○をめぐって

 基地の約21%、11施設・約5,500haが返還されるという。これだけみれば在沖米軍基地の整理・縮小に関するSAC○の最終報告(12月2日)は◎である。しかしその大部分に沖縄県内への移設条件がついている。つまり整理・縮小に名を借りた中古基地の改造・強化に過ぎない。しかもわれわれの税金である。

 SAC○の最終報告を受けて沖縄へやってきた橋本首相は、12月4日の基地所在地市町村長らとの懇談で、基地の過重負担を押しつけてきたこれまでの政府の政策を陳謝し、「(代替ヘリポートは)見切り発車しない」「県内移設は強行しない」と沖縄の基地問題解決に向け、地元合意を最優先させることを明言した。首相の話を聞いて、大部分の地元首長は感動して「信頼関係の回復」と言ったというが、橋本首相は<県内移設はしない>とは一言も言っていない。

 この状況を沖縄タイムス中部支社の長元朝浩記者は次のように「意訳」している。

 「地元の反対を押し切ってまで強行することはありません。でも、移設ができないと普天間の返還もできない。どっちが得策か、沖縄のみなさん、この際よく考えて下さい」と。つまり、普天間基地返還問題について、沖縄に下駄を預けたのである。首相は厚顔無恥、外面如菩薩・内面如夜叉なのである。

 問題は少しも片づいていないのである。いやそれどころか、沖縄にとっては新たな苦悩の始まりなのである。

 さて、95年の10・21県民総決起集会に結集し、沖縄の現状、基地からの脱却を訴えた各団体は、この報告をどう受けとめたのだろう。

 高橋宏明さん(なんだったばー県民投票実行委)は「基地従業員が言っていたように、基地経済に依存している人でも沖縄の土地が戦争のために利用されることはおかいと思っている。知事は国と駆け引きしていく中で、経済問題を一緒にしてしまって、基地をなくしてほしいという、住民のいちばん大事な思いが反映されなかった。」

 新垣勉さん(弁護士)は「基地返還が中心で、地位協定を全面的に見直そうという視点が薄い、という印象だ。」

 玉寄哲永さん(沖子連会長)は「県はこれが基地撤去への第一段階というが、米側は兵力削減を約束できていないと言っており、このまま事務レベルの処理に入っても縮小へ向かうとは思えない。基地周辺の子どもたちは基地の存在に大変敏感だ。子どもたちが伸び伸びと育つには、基地のない沖縄が必要だ」と。

沖縄は今も戦場

 12月3日、読谷村のトリイ通信基地内でグリーンベレー兵士らが300発の空砲を発射。

 12月10日、米軍トラックが国道で転覆して海兵隊員11人が死傷。米海兵隊戦闘爆撃機が演習の帰路、那覇空港の西約10キロの海上(米軍への提供水域外)に450キロ爆弾を投下。

 12月12日、航空自衛隊戦闘機2機が那覇空港離陸直後の旅客機に異常接近。

 12月13日、米海兵隊のヘリ2機が訓練中、久米島の民間地に緊急着陸。

基地の整理・縮小めざして

 沖縄を訪れた首相は、知事や開係市町村長との懇談の反応に気をよくして帰京したようだが、事はそれほど簡単なことではない。

 12月17日の吉元副知事の講演と、同9日の大田知事の定例記者会見での話を総合すると、県の方針として<基地の県内移設を認めない運動をつくり、日米両政府に在沖米軍兵力の撤退を求めていく>ことは明らかである。

 一方、大田知事も12月9日の定例記者会見で、個別基地の返還要請からさらに踏み込み、日米両政府に対し、在沖米軍兵力の削滅(米軍基地の七割を占有する海兵隊の撤退)を強力に求めていく方針を明らかにした。

 そしで何よりも「基地の整理・縮小を求め県内移設に反対する12・21県民大会」が2万2000人の参加で成功したことだ。


決戦の年・1997年

われらの土地を返せ!

許されない強制使用

 反戦地主の心を受けて(弁護士・会員)
 高揚した運動も、大田知事の代行応諸によって元気がなくなったやに見える。大田批判はたやすい。しかし本土出身(広島)の私が自らの批判をすることなく大田を批判しうる立場にあるのか。なにかしっくりこなくて、このごろ元気が出ない。
 否応なく、強制便用手続きは進み、2月21日には収用委員会の第一回の公開審理が始まる。戦争のためには、一坪たりとも渡さないとの反戦地主の心を、どのように主体的に受けとめていくのか。自らの立場の確立なくして、連帯もありえないのではないだろうか。
 反戦地主・阿波根さんは重課税訴訟に対して、「腐った判決」と評価した。腐った判決は、腐った裁判官・腐った司法が、人間が行ったものである。戦後50年、日本の戦後責任が問われる中で、治安維持法の適用など、戦争の推進と、人権の抑圧に加担した裁判官・検察官・弁護士、各自の責任は末だに明らかにされていない。人殺しの基地を維持するために国に協力する裁判官、国指定代理人も組織としてではなく、個々の人間として、戦争加担をしていることを自覚すべきである。
 くだくだと考えているが、とにかく、反戦地主が一人でも闘っている限り、私も闘いを止めるわけにはいかないし、日本から基地がなくなるまでは、闘いをやめるわけにはいかない。
 (12月24日)

 97年決戦を闘いぬく(運営委員)

 いよいよ公開審理闘争が始まります。来年5月にむけ、基地内立ち入り−明け渡し−撤去にのぼりつめる闘いを、ウチナーンチュの仲間と共に全力でつくっていきたいと思います。
 米軍特措法の改悪が目論まれ、基地の再編・強化が現実に進められる中、公開審理闘争と連動した、基地に迫り、安保体制を揺るがす闘いを、来年の闘いの課題として全力で担いたいと思います
 基地の「県内移設」を容認し、「沖縄振興策」とひきかえに反戦地主の闘いを踏みにじる大田「県政」を許さず、沖縄人民の闘いへの一切の分断の攻撃を打ち破り、97年決戦を闘いぬきたいと思います。
 
 「私たちの安保」考えよう(会員)
 私たちにとって日米安保条約って、なにだろうか?そんな思いをもつ有志が企画したシンポを開いたのが昨年3月。6月には「日米安保『再定義』、わたしたちはこれからどうする」、11月は「『安保』が人をひき殺す!日米地位協定の不当性を告発する」とつづけてきました。
安保の存在は当然で、安保そのものが問題だという批判をしないマスコミなどの思惑に抗して、“わたし(たち)”の立場で安保を考えつづけていきたいと思います。
4月19日(土)両国の江戸東京博物館ホールで「軍用地問題が日本を変える」(仮題)を開きます。ぜひご参加下さい。詳細は電話03-5670-4837加藤まで。
 
 母のくれた貴重な時間(会員)
 毎回学習会の資料を届けていただいているのに、会費の支払いさえ滞りがちという、名ばかりの会員でしたが、ようやく2月から学習会に出られるようになりました。やむなく教職をやめて母の介護にあたっている間、庭にすら出られぬ日もあり、夜の会合に出るのはまったく不可能でした。
 7月に母を亡くして、外へ出られるようになったものの、母が最後に入院した一週間の、自分の体力との闘いだった日々を思うと、看護する者の身を案じて母は逝ってしまったような気がして、今もつらく、胸が痛みます。
 でも母のくれたこの貴重な時間を大切に生きていきたい、どうしようもなく悪くなりつつある世の中に流されぬよう、足を踏みしめて沖縄から学びつつ、こちらでもできる具体的な闘いの方策を深っていきたい、と思っています。
 
「返還を」国会決議で(会員)
今、沖縄問題は重大な局面にあると思う。ムード的には、あたかも沖縄の基地返還に本土の橋本首相も努力するかのような印象がある。しかし、この保証など実はどこにもない。大田知事も、橋本首相もいつ変わるか判らないし、沖縄問題もいつか風化してしまう危険がある。
 問題は沖縄県の「基地返還プログラム」が実は、沖縄の各議会でも、本土の国会でも、もちろん米政府にも正式に認知されているわけではない事にある。この「基地返還プログラム」を、沖縄の県議会、市町村議会で正式に決議すると同時に、本土の「国会で正式に決議」する事だと思う。本土の我々は「基地返還アクションプログラム」の国会決議を迫る国会請願運動をただちに展開する必要がある。この請願運動を提案したい。今年こそ沖縄問題の正念場の年だ。

粘り強く闘おう(運営委員)

この一年、どうだったのか。どう沖縄の現実(すくなくとも基地の撤去)が変わり、「本土」はどう努力してきたのか。
 わたし自身、沖縄の歴史を知り現実にふれてきて、沖縄の人々とともに現実をどうにか変えていこうとこだわってきた。「差別している者に自由はない」というように、沖縄を差別している「本土」に未来はない。「琉球処分」した「本土」は、アジアを侵略し、多くのアジアの人々を殺しただけでなく、日本国内の民衆自身も殺されていった。この一点でもバネにして。
 しかしこの一年、これまでになく沖縄問題への関心と努力がされてきたとは思うが、悔しくもほとんど変わっていないのが現実てある。
 現実は、日米安保体制の下に生活している私たち自身が一歩でもそれを打ち破るような努力をしなければならないとつくづく思う。また、「本土」の沖縄問題への関心、解決への努力を、一時的と言われないように粘り強く続くようにしたい。そのことを心に刻んで、春を迎えたいし、みなさんにも呼びかけたい。


集会のご案内

2月13日(木)午後6時〜9時
豊島区民センター6F 文化ホール(公会堂隣)
模擬公開審理あり
会場費 500円
沖縄から反戦地主も参加予定。

 さて、昨年12月の学習会に続いて第2弾「公開審理はこんなもの・集会」をやります。わかりやすい模擬劇も企画中。会員扮する収用委員はどんな裁決を下すのか? 乞う、ご期待!


公開審理で強力な反撃を その3


いままでと違はう審理へ

 これまで三度にわたって行われてきた公開審理は、収用委員会会長の小堀・宜保らの独裁者的対応で地主の声を踏みにじってきた。五年前の審理でも、宜保会長は地主の意見陳述がまだ始まったばかりなのに、「裁決の機は熟した」と一方的に審理の開催中止・打ち切りをやってのけた。
 今回・四度めの公開審理は、その第一回が2月21日と目前に迫ってきた。
 今度はそうはいかない!
 「本土」も含めて、世論は演習・訓練が日常生活と接しているような軍事基地の整理・縮小はもちろん、いずれ撤去も避けられないという方向に大きく波うっている。基地縮小のために特別行動委員会(SACO)が、昨年秋、日米間で設置されざるを得なかったほどだ。基地縮小のためのはずなのに、実際には移設条件つきの返還で、移設先がなければ返還もない…みたいな「最終報告」になっている。しかし移設候補地のすべてで「受け入れ」反対運動が起きていて、総論ではともかくも各論で「基地に感謝」する所はどこにもない。この世論を無視することは政府・防衛施設庁にはできない。だからこれまでの公開審理のようにはとてもいくはずがないのだ!
 昨年四月の日米間「安保共同宣言」だって駐留米軍を47,000人と明記できなかったのだ。国会で論議もせずに事実上の条約改訂(アジア・太平洋への拡大)をやってのけるくらいだから、明記しなくたって既成事実にしてしまうことは朝飯前のはずだ。
 ほんとうは明記したかったところだろう。明記できなかったのは、この世論の<力>だ。この力をあと一歩、<形>に表していこうではないか! 公開審理で押しまくり強制使用をストップさせるところまでもっていく、そのチャンス到来だ!
 沖縄に海兵隊を駐留させて施設・区域を米軍に提供すること自体、安保条約には明記がない。「陸・海・空軍」とは明記されているが、「海兵隊」はそのいずれでもないのだ。だからアメリカの海兵隊に施設・区域を提供する条約上の根拠はない。また米軍の駐留経費も日米間の地位協定ではアメリカが負担すると明記されている。だから日本側が負担しているのには協定上の根拠がなく、「思いやり」によっている。しかし「思いやり」されるべきは、繰り返される事故・犯罪で命の危険に日常的にさらされている沖縄の住民の方ではないか!

公開審理ではこれらの、
今まで我慢させられてきたインチキを鋭く追及しよう!

 反戦地主会・一坪反戦地主会・違憲共闘など五団体は去る12月25日、収用委員会に対して公正な審理ができるよう14項目の申入書を提出した。同申し入れは、基地への立ち入り調査や土地鑑定などへの便宜要求の他、すべての地主に陳述の機会を与えるなど、実質的な審理を要求するものだ。
 第一回公開審理は来る2月21日。会員は反戦地主への支持・連帯の表明はもちろん、当事者としてできるだけ現地・宣野湾市の審理会場へ行って、大結集の力で強制使用手続きをストップさせようではないか!

 五年前の公開審理のビデオがあります。。第一回と第二回分だけで、しかも未編集ですが、希望者に実費でダビングします。
 関東ブロックへ申し込んでください。


公開審理・反戦ツアーのおしらせ

◆期間:2月20日(木)〜23日(日)

  1. コース 2月20日 7:00pm羽田発 〜 23日 6:40pm羽田着
  2. コース 2月21日 8:45am羽田発 〜 23日 6:40pm羽田着
  3. ※ただし2コースだと公開審理の開始に間に合いません。1コースをおすすめします。

◆経路

  21日
普天間基地>公開審理>交流集会
  22日
P3C基地建設阻止の援農>三原区民との交流
  23日
へリポート建設候補地(大浦湾)>象のオリ>嘉手納基地

◆費用

◆定員 54人

◆申込方法

◆費用の送金方法


公開審理とはどんなもの?

安里秀雄さんが解説

 「みなさん、沖縄・問題はまだ終わっていません!公開審理の始まる時は、必ず沖縄に来て下さい!」
 違憲共闘・事務局次長の安里秀雄さんを沖縄から招いて、関東ブロックでは昨年12月14日に「公開審理とはどんなもの?」をテーマに学習会を行った。講師の安里さんは明快な語り口で、強制使用手続きの一環である公開審理についてその法的根拠の解説も交え、参加者にわかりやすく説明。反戦地主の支援のヤマ場・公開審理にはぜひ「本土」からも参加してほしい、と訴え、会場からは質問や意見がたくさん出て、活発な質疑・応答となった。

安里さん解説の公開審理のあらまし

公開審理は第一回がだいじ、大結集して下さい!と安里さんは強調した。


紹介 『沖縄現代史

新崎盛暉 著(岩波新書)


 さて、いよいよというか、ついにというか、「本土復帰」から四半世紀の沖縄の歴史をまとめあげた本の決定版が出版されることになりました。
 本書は沖縄問題に関心を待ち始めた人の「入門書」としてだけでなく、運動の展望を模索するうえでの参考文献となりえると思います。


 滅らぬ米軍基地、実らぬ経済振興――。1972年の復帰以後、本土の関心が薄れるのと裏腹に沖縄の願いを裏切って厳しさを増した現実。この20余年、さまざまな困難に立ち向かって粘り強く繰り広げられてきた人々の闘いと、日米両政府とのせめぎあいを描く。沖縄と日本の将来の重大な転換点を迎えているいま、必携の通史。
   (裏表紙から)


 そして、沖縄戦終結から「復帰」までの歴史をまとめた故・中野好夫氏と共著『沖縄戦後史』執筆が著者自身「本土」在住の時期であったのに対して、その<続編>である本書は沖縄在住期の執筆です。

 沖縄の側から見た沖縄史です。日本政府にに対して<沖縄>を突きつけたものです。


 上からの指示待ち、というのではない自発的な運動こそが必要だと「本土」を告発しているのです。「運動の基礎はあくまで個人の方針を参考にそれぞれの判断と責任において、自主的行動をとればいいのである」
   (本書91ページ)。


 「決まったこと」だけを実行するのでは、もはや自発性・運動そのものは死滅しているのではないでしょうか?

 各団体が主体的に沖縄現地の闘いにこたえていくことが大切であると、運営委員の一員として考えました。本書を読んで、その確信を深めました。

  (紹介:瀬底=会員)


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