沖縄の米軍基地の現状と課題
1998年2月
沖縄県
目次
沖縄の米軍基地の現状と課題
(1)施設数 39 (1997.3 現在)
(2)施設面積 24,286 ha (1997.3 現在)
(3)軍人・軍属・家族数 50,893 人 (1997.12 現在)
(1)広大かつ過密な米軍基地
- 県土面積の約10.7%が米軍基地
- 沖縄本島では、面積の約19.3%
市町村面積に占める基地面積割合が40%以上の市町村
1. 嘉手納町 82.8% 2. 金武町 59.8%
3. 北谷町 56.4% 5. 宜野座村 51.5%
5. 読谷村 46.9% 6. 東村 41.5%(2)沖縄に基地が集中・安保の過大な負担
- 国土面積の0.6%に過きない狭あいな沖縄県に全国の米軍施設の約25%が存在する。
- 米軍専用施設面積は全国の約75%
(3)私有地の占める割合が高い
- 本土の基地がほとんど国有地(約87%)であるのに対し、沖縄は市町村有地(約30%)、私有地(約33%)が多い。(国有地約33%、県有地約3%)
- 特に基地が集中する沖縄本島中部地域では、約76%が私有地
- 跡利用の推進には土地所有者の協力が不可欠
(4)歴史的背景
- 戦時における日本軍の接収(1941〜1945年)
北飛行場(読谷)、中飛行場(嘉手納)等- 占領下の土地接収(1945−1952年、講和条約発効まで)
「へ一グ陸戦法規」による接取- 布令・布告による土地接収(講和発効後、1952〜1972年)
- 沖縄返還協定による在沖米軍基地の継続使用(1972〜現在)
(1)地域振興を図る上で障害
- 健全な都市形成を図る上での制約
那覇港湾施設、牧港補給地区、普天間飛行場、キャンプ桑江、キャンプ瑞慶覧等- 産業振興上の制約
那覇港湾施設、牧港補給地区、読谷補助飛行場、奥間レスト・センター、キャンプ瑞慶覧等- 交通通信体系上の制約
普天間飛行場、牧港補給地区、キャンブ瑞慶覧、嘉手納飛行場等
制限水域(29か所)・空域(15か所)(2)復帰後も変わらぬ演習、あとを断たない基地被害
1. 演習等関連事故の多発
復帰(1972年)後25年間に……(平成9年12月末現在)
航空機事故180件(うち墜落36件)
山林火災154件(焼失延面積約1,731 ha)
※最近における主な航空機関連事故
1994年4月4日 |
離陸しようとしたF-15戦闘機が、嘉手納弾薬庫地区内に墜落・炎上 |
4月6日 |
CH-46ヘリコプターが不時着訓練中に施設内滑走路に墜落 |
8月17日 |
AV-8Bハリアー攻撃機が嘉手納飛行場から発進後、粟国島近海に墜落 |
11月16日 |
UH-1Nヘリコプターがキャンプ・シユワブにおいて着陸を試みたところ失敗し墜落 |
1995年9月1日 |
AV-8Bハリアー攻撃機が、訓練中、鳥島近海に墜落 |
10月18日 |
嘉手納基地所属F-15C戦闘機が沖縄本島の南南東海上約65マイル(約104km)に墜落 |
1996年5月25日 |
飛行中の在沖米海軍所属のP-3C機から、重さ約11Kgのソノブイが、糸満市の中学校付近の路上に落下 |
12月10日 |
岩国基地所属のFA-18ホーネット機が、訓練中に爆弾投下に失敗し、その後、本島々、本島から約10kmの提供水域外の海上に爆弾を投棄 |
1995年12月〜 |
烏島射爆撃場において、訓練中のハリアー機が計1,520発の劣化ウランを含有する徹甲焼夷弾を誤って訓練に使用し発射した |
2. 航空機騒音(嘉手納飛行場・普天間飛行場)
- 1997年度の騒音測定の結果、嘉手納飛行場周辺で18ポイント中11ポイント、普天間飛行場周辺で17ポイント中8ポイントにおいて環境基準値を超えている。
- 沖縄県軍用地転用促進・基地問題協議会(軍転協)、沖縄県及び関係市町村は、嘉手納、普天間両飛行場における航空機騒音を軽減させるため、「航空機騒音の軽減に関する措置」をまとめ、嘉手納飛行場における海軍駐機場の撤去又は移設とともに日米両国政府に要請した。(1995年9月)
- こうした地元の要請を受け、日米両国政府は日米合同委員会(1996年3月)において、「嘉手納飛行場及び普天間飛行場における航空機騒音規制措置」について合意した。しかし、合意された内容については、飛行時間の規制等、県の求めていたものとは大きな隔たりがあり、同措置によって周辺住民の負担が軽減されるか疑問が残る。今後とも実態調査を行いながら、一層の改善を図るよう政府に働きかける必要がある。
3. 県道104号線越え実弾砲撃演習
- 県道を封鎖して行われる実弾砲撃演習。住宅や学校等の民間地域が演習場に近接しており、危険な状況が続いた。
- 1996年12月の「沖縄に関する特別行動妻員会(SAC0)」の最終報告で、平成9年度中に同訓練を本土へ移転することが合意された。また、1997年6月には、本土での訓練計画が日米合同委員会で合意されたため、沖縄での演習は事実上廃止された。
- 昭和48年の第1回演習から平成9年3月までに、合計180回の演習が実施された。
4. パラシユート降下訓練(読谷補助飛行場)
- 演習場は民間地域に隣接しており、これまで度々、施設外降下が発生している。1965年6月には訓練中の米軍機から字座喜味の民家にトレーラーが落下、小学生が圧死。
- 同訓練については、1995年5月の日米合同委員会で、キヤンプハンセンへの移転が合意されていたが、地元の反対等もあり、1996年12月の「沖縄に関する特別行動委員会〈SAC0)」の最終報告では、伊江島へ移転することが合意されたこ
5. 原子力潜水艦の寄港(ホワイト・ビーチ地区)
1994年、復帰前後を通じて最高の18回寄港を記録した。1997年の寄港回数は9回となっている。
6. 米軍人、軍属等による犯罪
米軍人、軍属等による復帰後の刑法犯罪は、1997年12月未までに4,867件に達し、基地から派生する事件・事故が跡を絶たない。
7. その他赤土流出・基地からの油流出等環境に及ぼす影響
- キャンプ・ハンセン内の実弾演習による着弾地からの赤土流出が、金武湾を汚染している。
- し尿処理施設の汚水や油脂類等の漏出により、河川・海域の水質を汚染している。
- 平成7年に返還された恩納通信所からは、基準値を越えるPCBや水銀等の有害物質が浄化槽内にある汚泥の中から検出され、未だ跡利用の目途が立たない状況にある。
(3)県経済に占める基地収入
1972年度 |
1995年度 | |
軍人・軍属消費支出 |
414億円 |
477億円 |
軍雇用者所得 |
240億円 |
523億円 |
軍用地料 |
126億円 |
670億円 |
軍関係受取(合計) |
780億円 |
1,670億円 |
基地依存度 |
15.6% |
4.9% |
基地従業員数 |
19,980人 |
8,349人 |
(1)基地の返還が進展していない(返還率15.2%)
【返還状況】
復帰時(1972年5月) 87施設 28,661 ha
現 在(1997年3月) 39施設 24,286 ha
(参考)
米軍専用施設の返還状況(施設面積)
本土 |
| |
復帰時 |
19,699 ha |
|
現 在 |
7,902 ha |
|
返還率 |
59.9% |
|
(2) 基地の返還を妨げている移設条件付き返還合意
→
狭い県土に移設は困難
沖縄県内における駐留軍用地は、沖縄戦終結後、米軍が農地、宅地等を強制接収して建設した経緯がある。そのため駐留軍用地の地主は、駐留軍用地の賃借料を主な収入源として生計を立てざるを得なかった。
しかし、駐留軍用地は返還される場合は、30日前の返還通知、細切れ返還、返還後の利活用が配慮されていない返還等のために、駐留軍用地跡地は広範、かつ長期間にわたって遊休化し、駐留軍用地の地主は、経済的に困難な状況に陥るものが多かった。
このようなことを背景に県は、1978年以来、「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」(以下「軍転特措法」という。)の早期制定を国に要望した。
その結果、軍転特措法は、議員立法として1994年6月に4回目の国会提案がなされ、「国の負担又は補助の割合の特例等」を削除する等法案の一部を修正のうえ可決きれ、1995年6月20日に施行きれた。
【沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律の概要】